Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】 作:サクライロ
シャワーを使い、体温を取り戻したビアンカを焚き火の輪に招き入れて、僕達はその場で簡単な朝食をとりながら、帰路について相談をした。
転移魔法を使えることは話したが、船ごと転移できるかどうかがはっきりしなかった。成功したとして、街中にいきなり船が現れてはたまらない。キメラの翼で船ごと街へ戻った経験もないとクラウスさんが言っていたので、やはり今回は念の為、普通に航行して戻ろうという話になった。
「少しばかり波が荒れてきそうですので、サラボナまではおよそ一週間か、もう少しかかるくらいになりましょうか」
クラウスさんに改めて所要日数を確認し、食糧と水が足りるかを再度相談した。思いがけず往路が早まったので、食糧庫には大分余裕がある。ただ、途中からビアンカが同行した分、多少計算が狂っていた。念の為ここから近いルラフェンまで僕が行って、少し買い出しをしてくるという提案をしてまとまった。
昼頃、洞窟近くの岸に船をつけてもらう約束をして、パトリシアの毛並みを整えた。
一度船を洞窟の外に出してもらい、馬車と僕だけに注意を絞ってルーラを唱える。
何度か使ってみて、この魔法の効果範囲もだいたい掴めてきた。僕の集中力、魔力によって、運べるものや人数が変わってくるようだ。今回のように対象を絞れば、パーティーのうち数人だけ移動させることができる。馬車なら何度かやっているので問題なかったが、サラボナへの帰還についてはさすがに、船のような大きなものと共に──それもそれなりの距離を転移したことはなかったから、僕自身ぶっつけ本番は怖いかな、と思ったというのが大きい。
……早く帰れるなら、それに越したことはないのだけれど。
およそひと月ぶりに訪れたルラフェンは相変わらず入り組んでいて、妙な匂いと黒い煙が漂っていた。また何か実験してるんだろうな。記憶を頼りに店を探したが、まだ朝が早すぎてどこも開いていない。せっかくルラフェンに来たから、とベネット爺さんの家を訪ねてみると、相変わらず古びた本の山に埋もれた書斎でぶつぶつ呟き、ひっきりなしにページを繰っていた。このお爺さんは一ヶ月もの間ずっとこうして本を読みあさっていたのではなかろうかと思うほどだ。
「おお! 誰かと思ったらお前さんか。どうじゃその後、古代魔法ルーラの使い勝手は⁉︎」
恐る恐る声をかければ、再会の喜びも束の間。さながら尋問の如く、復活させたばかりの古代転移魔法ルーラの使用感について聞き取り調査が開始された。魔力を一度にどのくらい使って、どの程度の人数をどのくらい遠くへ運べたことがあるか。転移後に身体的な変化はないか。生命体以外に運んだものは。周辺数歩分の距離にあった意図しないものを巻き込み転移したことはないか。術者が転移せず他者にのみルーラを施すことは可能か。
「ええ、きちんと意識してやれば転移したい対象だけにルーラを施すことができました。でも、僕が同伴して転移しない術式は不可能かなと思います。──あの、すみません僕、実はこの後用事がありまして」
まだまだ続きそうなベネット爺さんの質問責めから及び腰になりつつ、壁の時計をちらりと盗み見て、さすがに焦りが出始める。
このお爺さんはずっと昔に失われた古代魔法の研究をしている方で、その情熱に共感して、このルーラという転移魔法の復活をお手伝いした訳なのだが、とにかく研究に懸ける情熱が物凄い。一ヶ月前には僕という被験者を得て、大層活き活きと実験に明け暮れていらっしゃった。ルーラが完成した暁にも、次の魔法じゃ! 死ぬまでに後百個は完成させるぞい! と意気込んでいたから、このまま話を聞いていたらまた別の魔法実験に付き合わされそうである。時間があるからと訪問したのは迂闊だったかもしれない。
「おお、そうか? 残念だの。君のような風魔法に適性のある者はあまりおらんでな、他にも手伝って欲しい研究が山ほどあるんじゃよ」
「はい、また時間ができた時には必ず……ですから、お身体に気をつけて研究なさってくださいね。食事と睡眠はちゃんと摂って」
一番不安に思われるところを念押しして、僕はベネット爺さんに再会を約束し家を出た。
開店したばかりの店に駆けつけ、必要なものを購入して迷路のような街を出る。
パトリシアを励ましながら馬車を飛ばし、なんとか太陽が頭上を通過する頃には待ち合わせの場所に辿り着いた。
「すみません、店が開く時間を考えていなくて。少し遅くなりました」
とっくに岸に停泊させて待っていてくれたクラウスさんに詫びれば、いつもの穏やかな表情で労われる。
「ええ、そうだろうと思いました。私も気づかず見送ってしまい失礼しました。ビアンカさんはお休み中ですよ。テュールさんも一睡もなさってないのですから、しばらく操舵は私に任せて休憩なさって下さい」
彼の言葉に恐縮しつつも有り難く頷き、簡単にシャワーを使わせてもらった後、操舵室にある簡易ベッドに夜まで身を投げさせてもらった。
目が覚める頃にはすっかり辺りは暗く、船は南へと向かって全速前進している最中だった。眠っていた間にも何度か魔物の群れとの遭遇があったらしく、先に目覚めたビアンカや、僕の代わりに魔物番をしてくれていた仲魔達が撃退話を得意げに聞かせてくれた。
そうしてようやくクラウスさんから舵を任され、彼にも休息をとってもらいながら、僕は今、夜の湖畔の風に当たっている。
──サラボナまであと、六日。
やはり往路とは違い、天候も落ち着かなければ湖の様子も騒がしかった。先程まで星が見えていた空からは突然、大粒の雨が降り出しては甲板を激しく叩き、低い唸り声と共に現れた魔物が幾度となく船を捕えて傾けようとした。水中の魔物には割と聖水が有効で、船体づたいに流し込んでやるとそれを嫌って離れていく。尚も追いすがってくる相手のみ迎撃して、事無きを得る。
起きている仲魔達と場所を分けて見張りをしていたが、何故か僕が守っている場所ばかり狙われる……というより、どうも僕を狙ってくる魔物が多いように思われた。
僕が持つ、水のリングがそうさせているのか。
「この辺りの魔物たちは洞窟の守り手なのでしょうな。御神体を奪われたと立腹しておるのでしょう。何、洞窟から離れれば落ち着くであろうよ」
飄々とピエールは嘯いたが、そう言われると僕の気がどうも晴れない。が、ではお返しします、という訳にもいかないのだから。地図と風向きを確認し、帆の角度を調整して、僕は早く洞窟の霊域から脱出することを祈るばかりだった。
やがて夜が明けて、空を包んでいた重たい雲の隙間から幾筋かの光が漏れだす。
ひとまず一晩目を無事に切り抜けたことに安堵する。そうして起きだしてきたクラウスさんと仲魔達に状況を報告し、食事を取ってから見張り番を交代した。
ピエールが推測した通り、魔物達の襲撃は、洞窟を離れるほどに収まりつつあるように感じられた。
「あぁ……不覚だわ……」
甲板に出れば、船縁にぐったりと身体を伏せ、もたれている金髪の女性が一人。
「大丈夫? 水かなんか要る?」
「へいき……うぷ。行きは大丈夫だったのに、昨夜はずいぶん揺れたわね」
「ああ、うん。マーマンが結構下から揺らしていたからね」
頷き、船縁に寄りかかったまま肩越しに水面を覗いた。
今日はビアンカだけでなく、仲魔達も何名かは船酔いに苦しんでいるようだった。船に慣れているクラウスさんと、昨夜必死で魔物に応対していた僕やピエール、プックルは割と平気だったのだが、特に船室で休んでいた面々がやられてしまったらしい。マーリンなどはフードをいつもより深く被りむっつりと押し黙っているが、食欲のなさは誤魔化せない。あれだけ船の揺れに慣れたガンドフでさえ、船室でぺちゃんこに倒れていたのには驚いたが。
「最低でもあと六日は乗るんだものね。耐えるのよビアンカ……船酔いごときに負けてたまるもんですか……」
「別に、ビアンカは村に帰ってもらっていいんだけど。ダンカンさんが心配じゃない?」
「心配だけど、それよりもっとテュールの方が心配なの!」
このやり取りももう何回したことやら。間髪入れずにきっぱりと言いきり、苦笑する僕を軽く睨め付けたビアンカが、船縁に肘を置いたまま、視線をふと湖面へと落とした。
「……ねえ、そういえばさ」
「うん?」
どことなく沈んだ声音に、僕は首を傾げると、隣で面伏せる金の三つ編みを振り返った。
「……あのむかつく奴、お金持ちのお嬢さんと盾、って言ってた。盾ってなんのこと? テュール、そのことは言ってなかったから」
「────ああ」
ビアンカに問われ、僕ははじめて……盾のことをすっかり失念していた自分に気がついた。
そう、だった。そもそも僕がサラボナに来たのは、父の遺志を継ぐため。『天空の盾』の情報を……否、そのものを得るため。
「……指輪を二つ、手に入れたら、結婚相手として認める証として……ルドマン家に伝わる盾をいただけるんだって。その、ことじゃないかな」
少し前にも、あの火山の中で。アンディに烈しく責め立てられたことを思い出す。
そんなつもりはなかった。それがどんなに今の僕の真実であっても、サラボナの街に入るあの瞬間まで僕が『そのつもり』でいたことは否定できない。
フローラに興味などなかった。盾のことしか頭になかった。
だから、どこかまだ後ろめたさのようなものがあって……何となくそんな、誤魔化したような言い方になってしまったのだ、と思う。
「……ふぅん」
ビアンカは無感動な相槌を一つ打つと、またぼんやりと波間に視線を彷徨わせた。
「それって……パパスおじさまが探していたっていう、伝説の武具と関係があったり、するの?」
……どうして、こうも鋭いんだろう。
気づかれたくなくて濁したことを、どうして言い当ててしまうんだろう。
頷くことも、否定することもできなくて、答えを飲み込んでしまった僕に。ビアンカがやっと首だけ振り返って、少し辛そうに微笑んでみせる。
「ごめん。こんな言い方、したら嫌だよね」
「────いや……」
やっと、それだけ絞り出すと、ビアンカは尚も切なげな微笑みばかりを向けて、船縁に組んだ腕に頰を埋める。
「でも……そっかぁ。良かったじゃない。テュールはその指輪を持って帰れば、初恋の人と結婚して伝説の盾も手に入れられるかもしれない、ってことでしょ? 大団円ね。パパスおじさまだってきっと喜んで」
「ごめん、ビアンカ」
それだけは。
強い声で、遮ってしまった。祝福を口にしていたビアンカに。ビアンカの肩がわずかに強張ったのがわかった。けれど父の名が出た瞬間、それ以上聞くことに耐えられなかった。
それらはすべて、本当のことだというのに。
「……ごめん」
もう一度だけ、短く告げて、僕はビアンカを甲板に一人残したまま、操舵室のある船尾甲板へと逃げ込んだ。
それ以上、聞きたくなかった。嫌という程わかっているつもりだった。でも、第三者であるビアンカから、善意でそれを突きつけられることは思った以上に痛かった。
あの日大広間に居た数多の男達。昨日洞窟で行きあった、リングを探していた男達。
うら若き美しい少女と、家宝や富豪の財に目が眩んだ男達を忌み、嫌悪する資格など、自分にはない。
──……誰よりも先に、盾だけを欲していたのは自分なのだ。
その事実が、フローラへの想いを純粋なものでいさせてくれない。いっそ、家宝の盾が伝説とは無関係のものだったなら。
そんな風に思ってしまうことがまた、ずっと慕い続けてきた父への裏切りのようで、ひどく胸が痛かった。
どうして、ただ出会うだけでは駄目だったのだろう。
生まれて初めて、僕は自分の境遇、運命を少しだけ、呪いたいような気持ちになった。
伝説の盾も、勇者と共に魔界を目指すという父の悲願も、彼女への想いの妨げにしかならないのだ。
例え、彼女と結ばれることができたとして。この危険な旅につきあわせるのか? 一人待たせて、置いて行くのか? それとも、彼女をも魔界へ連れて行こうというのか?
こんな男に、彼女を幸せになどできるものか。
「どうか、なさいましたか」
ずっと船尾で波を眺めている僕を気にしてくれたクラウスさんが、いつもの穏やかな声をかけてくれる。
「──あ……、すみません」
少しだけ頭が冷えて、笑顔を繕い振り返ると、操舵室から覗くクラウスさんの側へと歩み寄った。
「そろそろ代わります。すみません、お任せしっぱなしで」
「この為に同行させていただいているのですから、テュールさんは私にまで気を遣いすぎですよ。……少し、お辛そうに見えたものですから」
優しい、クラウスさんの心遣いに、またも喉に何かが込み上げてしまいそうになる。
「……大丈夫です」
苦い、それを飲み下して。僕はただ微笑み、首を振った。
これ以上この方に甘えるわけにはいかない。
「ご心配をおかけして、すみません」
重ねて言った僕を、どこか憂うような瞳で見つめて。何も言わずにクラウスさんが舵の前を譲ってくれる。
「……お嬢様も、よくそんなお顔をなさいます」
軽く頭を下げてから舵を握った僕に、ぽつりとクラウスさんが呟いた。
思いがけないフローラの話題に顔を上げると、クラウスさんは何故か、少しだけ痛ましげな微笑みを僕にくれた。
「お二人が……その、お二人だけの辛さを、和らぎあえる関係になってくださったら、と。……そんな風に、思えましたもので」
クラウスさんの言葉を聞きながら、胸に下げた指輪を服の上からそっと、包んだ。
君がこんな風に苦しい時、僕が癒してあげられる存在になれるなら、僕の苦しみなんてもう些末事でしかない。
本当にそんな存在になれるなら、もう誰のどんな視線も、言葉も怖くないと思える。
──あのひとさえ、僕を信じてくれるなら。
「……なりたい、です。誰よりも、彼女を……」
切実さを滲ませた僕の答えに、クラウスさんがもう一度、優しい笑みを浮かべて頷いてくれる。
こんなにも苦しい。こんなにも胸が痛むのに。
一瞬でその痛みを取り除いてくれるのも──この恋であり、彼女だけなのだ。
船は順調に航行し、一路サラボナを目指す。
夕飯時、改めて顔を合わせたビアンカに頭を下げられた。
「さっきは無神経だった。本当に、ごめんなさい」
そんな風に謝らせてしまうことが辛くて、黙っていつもの微笑みをつくり、首を振った。
「気にしないで。ビアンカは何も悪いことは言ってないよ」
「でも」
ビアンカは尚も言い募ろうとしたが、僕が目配せで制止を訴えたので、続く言葉を呑み込んだようだった。
「……傷つけたかったわけじゃ、なかったの」
しばらくはお互い、黙ったまま食事の準備をして。キッチンで温めたスープをよそい、配膳しながら、僕にだけ聞こえる小声でビアンカが呟いた。
「わかってるよ」
僕も、カトラリーをそれぞれの席に並べながら。目は向けなかったけれど、安心させたくてできるだけ穏やかに、そう返した。
小さく息をついたビアンカが、配膳の手を止めて僕の横顔をじっと見つめる。
「テュールは、本当に……フローラさんを愛していて、結婚したいんだよね?」
そんな言葉にも、もう僕は……赤面して、狼狽えることはなかった。
「……うん。そう……」
静かに、頷いた僕を。
ビアンカは寂しそうな瞳で、一度見上げてから瞳を伏せた。