Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】 作:サクライロ
その豪邸には、溢れんばかりの人が詰めかけていた。
野次馬も相当数混じっていただろうが、多くはフローラ・ルドマンとの結婚を望む男達だった。身なりの良い者、歴戦を思わせる屈強な者、いかにも学のありそうな者。どこにでもいそうな町民から、どこぞの王宮から出てきた出で立ちの者まで、広いとはいえ限りあるその空間には男という男がひしめき合っていた。
「順番に応接間へお通りください。間も無く、当主から挨拶がございます」
慣れた手つきで客人達をさばくメイドの誘導に従い、人の流れに乗って僕は大広間へと抜ける。
広間の中央に飾られた、ルドマン家の立派な紋章がちらりと僕の意識をかすめた。
……どこかで見たような。
富豪と言っていたし、世界中に別荘や船といった資産を持っているのかもしれない。ならば、オラクルベリーやポートセルミで見かけたことがあったかも。
そう、思った瞬間僕の周りが一際大きく騒めく。顔を上げれば、螺旋階段の上から恰幅の良い男性がゆったりと降りてきた。恐らく彼がルドマン家の現当主なのだろう。彼は広間に集められた男達の顔触れに満足そうに一つ頷き、階段を中ほどまで降りると、その場から全体を見渡しよく通る声で告げる。
「皆様、方々よりよくぞお集まりくださった。我こそはルドマン家当主、ロドリーゴ・ルドマンでございます」
どこからともなくぱらぱらと拍手の音が降り、ルドマン卿はゆるやかに礼をとってまた観衆を見渡す。
「本日皆様にお集まり頂いたのは他でもない。我が娘、フローラの結婚相手を探す為。これ程多くの方々に娘を望んで頂けておることに、まずは心より感謝を申し上げたい」
立派に蓄えられた口髭を撫で、ルドマン卿は目を細めた。その様子から、一人娘をいたく大事にされているであろう様子が伝わってくる。
「フローラは我がルドマン家の、我ら夫婦の宝であります。大切に育ててきたその宝を、つまらぬ男にやすやすと渡すつもりはございません。つきましては本日、ここにお集まりの皆様を証人とさせて頂き、フローラの夫となる者への条件を申し上げたいと思う」
隣でルドマン卿を見上げる男が、こくりと唾を飲んだのが判る。この場を共有する男達がみな、一様に緊張感を高める。
──どんな無理難題か。
先程、そう揶揄していた人がいたことをちらりと思い出す。
「……さて、皆様は炎のリング、というものをご存知ですかな?」
固唾を飲んで次の言葉を待つ男達に、ほんのわずか、にやりと笑ったように見えた。ルドマン卿が楽しげに、謎掛けを続ける。
「古い伝承によれば、この大陸のどこかに、不思議な対の指輪があると申す。一つは炎のリング。もう一つは、水のリングと呼ばれるものでな、どちらも身につけた者に幸運をもたらすとのこと。──この二つの指輪を手に入れ、双方の結婚指輪としてもらいたい。見事果たした者にのみ、フローラとの結婚を認めよう」
卿の言葉が終わらぬうちに、静まり返っていた広間が地を揺るがすが如く激しくどよめいた。憤る者、絶望する者。条件はそれだけかと居丈高に居直る者。阿鼻叫喚とばかりに喧騒を増す広間の様相をいっそ愉しげに見遣り、卿はぱちんと掌を叩いて締めの言葉を発する。
「どなた様も揚々励んで頂きたい。結婚が決まった暁には我が家の家宝の盾をその印として差し上げよう。──では皆様、ご健闘を」
「お待ちください、お父様!」
男達の野次を物ともせず流麗に締めくくったルドマン卿の台詞を、鋭くも凛とした声が遮った。
────え。
咄嗟に、弾かれたようにそちらを見れば、いつからそこに居たのだろうか。螺旋階段の一番上から、先程まみえたばかりの可憐な少女が長い碧い髪をさらりと宙に流し、握りしめた手摺から身を乗り出して父親を見下ろしていた。
「フローラ、何故そこにいる? お前には自室で待っているように言ったはずだ」
少女の制止に、卿は不愉快そうに眉根を寄せる。だが少女は怯まない。真っ直ぐに父親を見つめたまま、一歩、階段を降りて珊瑚色の唇を開く。
「お父様。私はこれまでずっと、お父様の仰る通りにして参りました。──けれども、これだけは。夫となる方だけは、私自身に決めさせて頂きたいのです」
凛とした、強い声音で言い切ると、彼女は父親の返事を待たず僕達の方を向き直り、出来るだけ大きく声を張り上げた。
「それに、皆様! 炎のリングは溶岩の流れる、大変危険な場所に出現するものと聞いたことがございます。どうか、お願いです。そのような危険を、私などの為に冒すことはおやめください。皆様の御身こそどうかご自愛ください!」
悲痛なほどの、彼女の渾身の叫びに集まった男達が身じろぎする。──それでも、そんな中でも僕は、その場で彼女の姿を再び見ることが出来た高揚感を抑えられずにいた。
ひとたびこの目に映せば、もう視線を外すことができない。
この心地を、なんと呼んだらいいのだろうか。
「────あ、……あなたは」
これだけたくさんの人集りで、そう簡単に気づけるはずはないと思うのに。螺旋階段の先だけを真っ直ぐ見上げていた僕に彼女が気づいたらしく、密やかに目を瞠った。
気づいてもらえたことにじわりと悦びが湧きあがり、目配せだけで彼女に挨拶を返す。
ルドマン嬢──フローラは僕の視線を受けてほんのりと目元を薄紅に染め、口許をそっと繊細な指で抑えた。先ほど知り合ったばかりの男がこの場に居て驚いたのだろうか。わずかに恥じらうように、しかしどこか不安げな表情で僕を見つめている。
しかしそんな表情ですら、僕にとっては悦びでしかなくて。
「どうした、フローラ」
口許を押さえたまま人集りの一点を見つめているであろう娘に、ルドマン卿が怪訝な顔で階段を上り近づいていく。彼女の隣に並び立ちその視線の後を追った卿が、──僕のいる辺りを凝視して。僕に気づいたかは解らないが、小さく溜息をつき傍らに立つ娘を一瞥する。何か、囁いたようだったが、それはさすがにここまでは聞こえてこなかった。
「──とにかく! フローラと結婚したくば伝承の指輪を二つとも揃えてここに持ってきてもらおう。条件はそれだけ、叶えたものに娘と盾を与える! 話は以上だ。皆様のご健闘をお祈りしますぞ」
改めて階下の僕らの方を向き直り、最後にそれだけ述べると「さぁ、フローラ。来なさい」と娘の腕を掴みあっという間に二階の向こうへと消えてしまう。取り残された僕らはと言うと、「お疲れ様でございました」という無情なメイドの一言により次々と屋敷を追い出された。そうして豪邸から噴水広場にかけての道は、今広間に居合わせた者から外で様子を窺っていた野次馬達まで大勢が入り乱れ、サラボナの街中はちょっとした混乱に見舞われることとなった。
「やっぱりな。あの狸親父、娘を嫁にやる気なんざさらさらねぇんだよ」
「炎と水のリングなんて……伝承どころか、お伽噺の類いじゃないのか? 本当にあるのかよ、そんなもん」
殆どがルドマン卿の提示した条件に対する非難ばかり聞こえてくる中、唐突に背後から外套を強く引かれ、一瞬後方によろめきたたらを踏む。
「──あなた、さっきフローラと目が合っていましたね。どなたですか? 彼女と知り合いなんですか?」
すいません、の一言もなく、僕の外套を掴んだ張本人は息もつかせずそう畳み掛けてくる。肩越しに振り返れば、僕と同年代くらいの線の細い金髪の青年が、元々は穏やかそうな瞳をきつく釣り上げて僕を睨みつけていた。
「……ついさっき、街の外に飛び出しそうになった仔犬を捕まえただけです。あなたこそ、ルドマン嬢……フローラさんをよくご存知のようですが」
フローラ、と呼び捨てにする青年に若干の苛立ちを覚え、自然と声音が低くなる。そんな僕の返答に青年はわずかに外套を掴む力を緩めたが、警戒するように凄むことはやめない。はっきりと僕を敵と認識した目で見据えて、叩きつけるように言う。
「僕はアンディ。フローラとは幼馴染です。……ずっと、子供の頃からフローラだけを想ってきました。お金も、地位もないけれど、僕は想いだけなら誰にも負けない自信がある。あなたにだって、絶対に負けません!」
強く言い切って、彼は外套から手を離すとずかずかと人混みから離れていく。ルドマン卿の条件にも臆さない瞳。僕よりずっと腕力のなさそうな青年だった、けれど、その秘めた情熱に一瞬気圧されたことが、後から思い返すとじわじわと悔しさに変わっていく。
──絶対に負けない、だなんて。そんなもの、やってみないとわからないじゃないか。
確かに僕は、ほんのついさっき彼女を知ったばかりで。まだ彼女のことを何も知らない、けれど、それでも、────
(それでも、……何だって?)
本当に、ふと我に返り、今しがた自分を支配していた思考に驚愕する。
ついさっき会ったばかりなのだ。そんな、まだやっとたったの二回、目にしただけの少女に。
(求婚、しようっていうのか? していいのか? テュール……)
まだ少しだけ冷静な僕が、恐らくは初めての衝動に我を忘れそうになっている僕にそう自問する。
結婚なんて、考えたことはない。
僕は目的があって旅をしている最中で、他人をそこに巻き込もうとは露ほども思っていない。
そんなことはずっと当たり前で、揺らがないと思っていた。
思って、いたのに────
自戒しながらも瞼を閉じれば、さっきこの目に焼き付けたばかりの可憐な姿が、鮮やかに思い出される。
あの華奢な美しい手を、取るのは、先ほどの金髪の青年か。
それとも、別の。
(……嫌だ)
それは、嫌なんだ。
理由なんて何だっていい。
ただ、それだけは、嫌だって思った。
他の誰かのものになってしまう彼女なんて、見たくない。
誰かのものになるのを、何もしないでただ見ているだけなんて──耐えられない。
そう、思ってしまったんだ。
「──のリングは、確かに一説では、ここから南東にある死の火山に現れると言います」
未だ散らない人集りの中、学者肌らしい出で立ちの青年が狼狽えながらも懸命に説明しているのが聞こえてくる。
「ですが、リングは常にそこにあるとは限りません。何百人が同時に探しても見つからないかもしれない。何故なら──古い伝承に拠れば、炎と水のリングは持ち主を選ぶ。本当に必要とする者の前にのみ、姿を顕しその力を貸すのだと、そう伝えられているからです!」
悲劇の主人公よろしく叫んだ青年を取り囲む人の群れから、大きな溜息や落胆の声が漏れる。候補者のほとんどは、これらの情報から挑戦することをやめてしまうのかもしれない。
──好都合だ。
そっと人の波を抜け出し、街のすぐ外に繋いだ馬車へと急いだ。納屋の番人に声をかけ、馬車の中で時間を潰している仲魔達を小声で呼ぶ。中で何をして遊んでいたのやら、スライムナイトのピエールがひょいと荷台から顔を出し、首を傾げてみせる。
「行きたいところができたんだ。明日の朝早くに出発したいんだけど、みんな大丈夫かな?」
「問題ない。皆ちと鈍っておりますんでな、暴れられる処を所望致すが」
「そうだね。溶岩が流れるようなかなり暑いところみたいだから、ガンドフに冷気溜めといてって伝えておいて」
「承知」「オマカセー」
伝言でも良かったが、本人もひょっこりと愛くるしい一つ目を覗かせてくれる。安堵して二人の肩を軽く叩いた。
「ありがとう。あとでご馳走、差し入れするね」
「ごちそうー!」「わぁ〜い!」
うっかり口走った言葉に今度はスラりんとホイミンが反応し飛び出してくる。「こら、他の馬が驚くから!」と何とか落ち着かせ、改めて皆に手を振り馬車から離れようとした、その去り際に。
「……あるじ殿、何かござったかね?」
ピエールが不思議そうに僕を呼び止め、僕もまた首を傾げて振り返った。
「何かって?」
「いや……、随分と、良い
ピエールの何気ない一言に、一瞬、虚を衝かれる。
「そう、かな──うん、そう……かも」
歯切れ悪く口籠もり、同時にひどい気恥ずかしさが襲ってきて、僕はきっと紅潮しているであろう熱い顔を掌で覆いながら納屋を飛び出した。
──こんなにあっさり、勘づかれるなんて。
自覚すら覚束ないこの感情に、舞い上がっている自分を簡単に見抜かれてしまったと思うと、何とも居心地の悪い、居た堪れないような何かが僕を襲う。
だけど。
そんな初めての感情に弄ばれながら、ふと顔を上げ思った。
──さっきから、
ここは、こんな風景だっただろうか?
空が。木々が。土が。水が。
ずっと見てきた、同じ景色、同じ光景のはずなのに、
何故かいつもよりずっと明るく、鮮やかに見えて。
そういえば、今の馬車も。皆の顔も。
まるで目隠しがとれたみたいに、明るさを増していて。
先ほど居た、噴水広場も。
街の活気も。
何故だろう。さっき、町に入る直前に見た風景とは、まるで彩が違って見えて──
……彼女に、出逢った瞬間から?
とくん。
己の心臓が、ひとつ、新たな刻を大きく刻んだ。
見るものすべてが、鮮やかな色を持つ世界。
これが、本当の世界だったのかもしれない。
ずっと、ずっと、暗い薄い膜越しに見えていただけ、
だったのかもしれない。
──そういえば、父さんが生きていた頃はまだ、
世界はこんな色をしていた。
いつの間にか、忘れてしまっていた。
もしかしたら、父さんを喪ったあの日から
僕は意識しないまま、光をも失っていたんだろうか。
彼女が、解き放ってくれたんだろうか。
その清らかさで、僕に巣喰った闇をも払って。
『良い貌を、なさっておられる』
ピエールの言葉を、もう一度、深く噛みしめる。
その、いつもよりずっと鮮やかに美しい世界を、僕は駆け抜けて街に戻った。
道具屋で新たな探索地に備えて薬草に聖水、携帯食糧などを多量に買い込み宿に入る。明朝早くに一度発つ旨を番頭に告げ、早めに夕食をもらい、馬車の仲魔達にも夕餉を差し入れしてから再び宿に戻って温い湯を使う。
そうして僕は、明朝に控えた冒険の為、その夜は早めに就寝した。
いつもの夢は、見なかった。