Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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#20. 婚礼~side Henry

 ラインハットはそこそこの大国だが、さすがにここまでの船はない。

 音に聞くサラボナの大富豪とは斯くやあらん、ともいうべき豪華すぎる客船のベッドに消耗しきった幼馴染を横たえてやり、俺は密やかに笑いを噛み殺した。

 これから挙式だというのに新郎がこれでどうする。使い果たしすぎだ、と思ったけれど、その原因の一端は俺が担っているようなものなので、あまり強いことは言えない。隣からひしひしと、最愛の妻の手痛い視線を感じることだし。

「大丈夫でしょうか……テュールさん」

 心配そうにぽつりと漏らしたマリアの言葉に、誰より不安げに新郎に寄り添っていた純白のドレスの佳人がびくりと背中を震わせる。そんな妻と、これから目の前の男に嫁ぐ可憐な碧髪の少女を苦笑まじりに見やって、せめて少しでも不安を取り除いてやりたいと、思いきって彼女の背中に呼びかけた。

「……ルドマン嬢、いえ、フローラさんとお呼びしてもいいかな? こいつなら大丈夫ですよ。本当に頑丈だから」

 フローラさん──俺達より更に歳若いという、まだどこかあどけなさすら残る少女は、俺とマリアを交互に見上げて瞳を伏せた。胸から下を清楚な白で覆い、美しく仕上げた化粧をほんの少し歪ませた彼女が「ありがとう、ございます……殿下。お手を煩わせてしまい、本当に申し訳ございませんでした」と深々と礼をとってくれるが、内情を知る俺としてはどうにも心疚しい。

「気にしないでくれ。今回のこれは俺も悪かったから……大事な新郎を、本番前に酷使させてしまってさ」

 死んだように眠るテュールの前髪をくしゃりと撫でてやり、苦い笑いを嚙み殺す。今回の結婚式を主催するルドマンという男、ラインハットに遣いを寄越した時から面白い御仁だとは思っていたが、まさかルーラの話にここまで食いついてくるとは。

「そうですとも、貴女が気に病むことはございませんわ。殿方って時々、どうしようもなく子供におなりですのね」

 マリアにしては辛辣な物言いに、さすがの俺も苦笑を禁じ得ない。その殿方には俺はもちろん、新婦の父も含まれているのだろう。

「もうしばらく寝かせてやって、時間が許すなら少し、あちらでお話ししませんか? こいつがどうやって貴女を口説き落としたのか、興味がある」

 からかい混じりに扉の向こうへと花嫁を誘うと、彼女はまだ心配そうに彼女の夫となる男の顔を覗き込んでいたが、やがて華奢な手でそっと男の額に触れてから、おもむろに立ち上がった。

 船室の扉を出ると、立派な調度品に彩られた応接室に続く。

 この辺り一帯の部屋は、船の主であるルドマン公が普段使用している私室らしかった。

 この巨大な船は、実際に航行させるものというよりは船を象ったテーマパーク的な位置付けにあるらしく、今俺達がいるフロアには、十数室という規模の宿泊用の客室まで用意されている。普段から船全体をカジノとして解放しており、裕福な貴族などの中には数日間、泊まり込みで遊んでいく者も多いのだとか。

「いや、この船は本当にすごい。噂には聞いていたが、君のお父上は随分とやり手だな」

「……無茶ばかり申す父で、お恥ずかしい限りです……」

 俺なりに褒めたつもりだったが、やはりテュールのことが頭にあるのか、フローラさんはそれだけ言うと力なく項垂れてしまう。そんな彼女を励ますように「ね? 殿方って子供でございましょう?」と優しく囁くマリアだったが、そこまで餓鬼だっただろうか。こういう粋な金の使い方を見せられると、男として逸るものを抑えられないこともあるのだ。

「それで、今をときめくサラボナの領主令嬢がどうやってあの朴念仁とお知り合いに? あいつが何か粗相をしてたら是非教えて欲しいんだけど。親分がお叱りを食らわしてやるからさ」

「そんな、粗相だなんて」

 これまたからかい半分ではあったが、どうやら真面目な気質の愛らしい花嫁は慌てて首を一生懸命横に降る。

「私の仔犬が街の外へ飛び出しそうになったのを、テュールさんが捕まえてくださったのです。助けていただきこそすれ、何も困ったことは」

「ああ、ごめんごめん。社交辞令っていうか、分かりにくかったよな」

 一生懸命言い募る花嫁に、なんだか申し訳なくなりこちらも被せるように取りなす。尚も不安そうに俺を見る彼女に「あいつとは昔からこんなだから、つい軽口を叩いてしまう。悪かったよ」と言い添えた。

「……ヘンリー殿下は、ずっと昔からテュールさんとご友人でいらっしゃるのですか?」

 ドレスが崩れないよう気を遣いつつ、応接テーブルの向こうに腰掛けた彼女が、どこか羨望の色を込めた問いを発する。

「ああ、もう十年来の付き合いになるかな。子供の頃、あいつを俺の子分にしてやってさ」

 答えながら、古い記憶に少しだけ想いを馳せる。決して思い出したい記憶ではないが、こうして多少懐かしく思い返せるくらいには時が経った、ということだろう。

 十年以上前。俺がどうしようもない、救いようがないほど莫迦な子供だった頃。

 取り返しがつかないことがあるのだ、と思い知らされた。起こってしまった後ではどうしようもないことが。もう少し早く俺の目が覚めていれば、あいつの父親が命を落とすこともなかっただろうに。時間を戻すことが叶うなら、と足りない頭で何度願ったかわからない。俺よりもっと幼かったあいつが絶望の底に叩き落される様を目の当たりにして、絶対に手を離すものかと誓った。それくらいしか、当時の俺に償える方法はなかった。

 今だって償いきれたとは思っていない。寧ろ、俺を真っ当な人間へと引っ張っていってくれたのは、幼かったあいつの手だったような気すらする。愛する父親の死に目にあって尚、歯を食いしばって泣くのを堪えていたあのちびの姿に、この弱い心根をどれだけ叱咤されただろうか。

 だから、少しだけ、意外だった。

「……長い付き合いだが、ああいう顔は見たことがない」

 フローラさんばかりでなく、隣に座る妻までもが、俺の呟きに目を瞬かせて振り返る。

「ああ、いや。あいつ、欲がないからさ」

 慌ててそう言い繕った。少なく見積もっても半分くらいは本当のことだ。テュールは、自分の望みというものを持たない。俺が知る限り、あいつを生のぎりぎりで支え続けていたのはあくまで親父さんの悲願であって、あいつ自身の望みではなかった。その複雑な生い立ち故か、酷く優しい気質のくせに甘さという隙を作らず、それ以上に他者を気安く自分の領域に入れることがない。──多分、ずっと共にいた俺でさえも、本当の意味であいつに心を許されてはいない。恐らく本人は、全くと言っていいほど気づいていないのだろうが。

 だから、意外だったのだ。俺とピエールの軽口にあんな風に笑うテュールなど、これだけ長く知った仲でも初めて見た気がしたから。

「確かに、無欲な方だとは思いますけれど……」

 マリアがぽつりと呟いて、未だ開かぬ扉を遠く見やる。

 いや、眺めていたのは、同じくその扉を心配そうに見つめる、花嫁の横顔だったのかもしれない。

「……フローラさんは、あいつの生い立ちのこと、どこまで聞いてる?」

 ふと思いついてそう問いかけると、フローラさんは一瞬息を詰めてから緩く首を振った。

「──何も。お恥ずかしい話なのですが、私、テュールさんとはまだお会いして間もないのです。今日までもあまり、お話をする機会もなくて……」

 さすがにこの回答は予想しておらず、今度は俺が狼狽える番だった。

 なんだって?

 受け容れ難い落胆、絶望と共に、憤りに似た感情が腹の底から湧き上がる。

 あいつは、自分のことを何も知らない、世の不幸など何も知らず何不自由なく育った、お綺麗なばかりのご令嬢と結婚を決めたって言うのか?

 身勝手とわかっていても、止められない。正気の沙汰とは思えなかった。

 あいつは、あいつにだけは、そんな生半可な気持ちで伴侶を決めて欲しくはなかった。

 誰よりも、救われて欲しかった。間違いなくあいつの全てを受け止めて、受け容れあえるようなひとと結ばれて。深く、深すぎる傷を負ったまま大人になってしまったテュールを、どこまでも癒してくれるような女性と、誰よりも幸せになってくれることを純粋に願っていた。──それなのに。

 理不尽な感情だ。目の前の、何も知らない彼女にぶつけていいものではない。それ位はいくら沸騰した頭でもわかる。目を合わせず息を吐いて誤魔化そうとしたが、彼女は怯えたように瞳を伏せてしまった。しくじった、と思ったが多分、もう遅い。

 重く息苦しい空気が満ちて、どうにも居心地が悪くなった頃。

「フローラさん! ここにいたのね」

 唐突に、太陽の如く明るい声が響いた。思わず振り返ると、長い金髪を一つに編んだ美しい女性が、フローラさんに向かってまっすぐ歩み寄ってくるところだった。花嫁より大人びた色気を纏ったその女性は、俺とマリアに気づくとにこりと笑って、軽く会釈をしてくれる。

「ご歓談中、失礼しました。フローラさんとお話しさせていただいてもいいかしら?」

 物怖じせずそう問うた彼女に快く場を譲る。正直、有難かった。

「ビアンカさん、探させてしまってごめんなさい。私、もう行った方が良いでしょうか?」

「テュールはまだ寝てるんでしょ? だったら平気よ。気がつくまで側にいてやって。ちょっと、居場所を確かめておきたかっただけなの」

 花嫁の傍に跪き、朗らかに答える彼女の名に聞き覚えがあった。そしてまた、彼女があいつの名を呼び捨てにしていることに、記憶のパズルがぱちりと嵌る。

 神殿建設に無理矢理従事させられた幼い頃、そして自由を取り戻した後にも、あいつが気にして消息を探していた女性がそんな名ではなかったか。

「失礼。ビアンカさん、と言ったか? もしかして以前、アルカパの街で宿屋をやっていらした」

 不躾に割って入った俺に、金髪の女性は「え、ええ。そうですけど」と驚きを隠さず振り返る。そして俺の身なりから察したのか、「──あ! もしかして、ラインハットのヘンリー殿下でいらっしゃいますか? テュールのお友達の!」と口許を抑えながら素っ頓狂な声を上げた。

「ああ。……なんだ、良かった。あいつ、ちゃんと会えたんだな」

 誰に言ったわけでもない独り言が、先程の身勝手な激昂を緩やかに溶かしていく。

 懐かしい土地を共に訪ね歩く中、アルカパの宿屋で、テュールの期待が落胆に変わる様をこの目で見てきた。

 あいつは、ずっと会いたかった人に会えたのか。そうか。

「フローラさん。宜しければ、ご一緒にテュールさんの様子を見に参りませんか」

 唐突に、黙って隣に座っていたマリアが花嫁にそう声をかける。つられてそちらに視線をやれば、彼女はどこか固い表情のままマリアに頷きを返していた。

「ヘンリー様。私、少しだけフローラさんにご一緒させていただきますね。こちらでお待ちくださいますでしょう?」

 有無を言わせぬ確認に、ああ、と気圧されるまま答えると、マリアはすっと立ち上がり、フローラさんを船室の奥へと促した。

「──ああ、そうだ。フローラさん」

 ふと、あいつの旅の目的がどうだったのか気になって、去り際の花嫁に声をかける。

「これについてはご存じないか? サラボナに伝説の勇者の盾がある、という話だ。あいつはずっと伝説の勇者を探して旅をしている。その為に天空の武具を集めているんだ。何か知っていることがあるなら、教えてやってほしい」

 花嫁は動きを止め、肩越しにわずかに俺を振り返った。一瞬違和感を覚えるほどに無機質な瞳がこちらを向く。だがすぐに、それが見間違いかと思える慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、彼女はしとやかに頷いた。

「……それでしたら、もう、テュールさんのものですわ」

 花嫁の言葉に、ほっとして知らず籠っていた肩の力が抜ける。

「そうか。良かった、俺も一つ肩の荷が降りたよ」

 フローラさんはもう一度、あでやかな笑みを残し礼を取ると、マリアに連れられて奥の船室へと入っていった。

 いつの間にやら妙な緊張で手に汗をかいている。妻に待てと言われたからには離席して散歩というわけにもいかない。軽く脱力しながら室内を見渡すと、先程の美人がすっかり神妙な顔つきでじっとこちらを凝視していた。

「……今のは『なし』です、殿下。失礼ながら。テュールが知ったら怒りますよ、多分」

「怒る? あいつが?」

 今の会話の何がいけなかったのかわからないが、『怒る』という感情表現がまずテュールの面構えにどうにもそぐわない。しかし、金髪の美人は真剣に俺を見据えると、深々と頷いてみせる。

「怒る、とは違うかもしれませんけど。あの子、盾のことを言われるの、すごく嫌がっていたから」

 それだけ言うと、彼女はどこか沈痛な面持ちのまま、女性が二人消えていったばかりの奥の扉を見やる。

「……よく分からないな。親父さんの遺言だぞ? 勇者を見つけるために装備品を集めろって。その為にサラボナまで来たんだろう。嫌がるも何も、あいつに何を反発する必要があるんだ」

 少なくとも一ヶ月半前、ラインハット城を訪れたテュールはそんなことを厭う奴じゃなかった。相変わらず愚直にまっすぐに、父親の遺志だけを継いで立つ男だったというのに、何がこうもあいつを変えたというのか。

 ──慣れぬ恋にうつつを抜かした、とは言いたくないが。

「そうですけど、それが辛いんです。今のテュールには」

 溜息を一つつき、彼女は俺に向かって一礼すると、今来た甲板の方へと立ち去ろうとする。

「待ってくれ。ビアンカさん、君はテュールの過去をどれくらい知っている?」

 思わず呼び止め、先程フローラさんに投げかけたのと同じ問いを押しつけると、金髪の美人は少し怪訝な顔をして振り返った。

「サンタローズ出身で、故郷の村が滅ぼされて、十年ほど囚われの身でいて、目の前で父親を亡くした。こと、くらいかしら」

 どこか無感動にそれだけ告げると、彼女はさっさとこの場を立ち去ってしまった。

 一人取り残された俺は、女性達の後をついてテュールを見舞おうか暫し悩んだが、何故か酷く疲労感を感じて、そのままソファに深くもたれ息を吐いた。

 ……お前を知っている、お前もずっと探していた人が、これほど側にいるのに。

 そんなことを考えてはいけないと、頭ではわかっていても。先程の花嫁の回答に覚えた絶望感は簡単には拭えない。

 どうしてテュールは昔馴染みのあの人ではなく、何も知らない令嬢を妻に望んだのだろうか。

 確かに、活き活きとしていた。見たことがないほど良い顔をしていた。だが、それが花嫁の影響とは限らないんじゃないか。一ヶ月半前には探し人との再会の話は聞かなかったから、ビアンカさんと再会したのもつい最近なのだろう。だったら、あいつが良い方向に変わったのは、ビアンカさんの影響でもおかしくはないんじゃないのか。

 朗らかな、感じの良い女性だった。大人びていて、快活そうで。テュールのこともよく知っていて、憎からず想っていたようにも見受けられた。

 ……すっかりビアンカさんに肩入れしている自分に気づき、頭を振ったところで、奥の扉が静かに開けられ、マリアだけが中から出てくる。

 俺と目が合うとそっと微笑み、こちらへゆっくり歩み寄りながら、甲板の出入り口を守っている使用人を手招きする。

「テュールさんが気がつかれましたので、皆様で準備を手伝って差し上げてくださいませ」

 目覚めたのなら一言声をかけて、と思い腰を浮かせたが、進みたい方向とは真逆に腕を引かれる。「ヘンリー様は、そろそろ来賓席に参りませんと」とこれまた有無を言わせずマリアに引きずられ、甲板に出た。人混みから隔離されたスペースを出るなり唐突に人と初夏の熱気に晒され、一瞬で特別室の方に戻りたい心地になるのをぐっとこらえる。

 不機嫌なのか、さっきからマリアはあまりこちらを見ない。口も最低限しかきいてくれない。何がそんなに不愉快なのかはわからないが、せっかくのテュールの晴れの日に水を差す真似は控えたかったので、とりあえず大人しく来賓席へと移動した。

 最前列で神父を拝める特等席で、陽光に晒され熱くなった椅子に腰かければ、喧騒に包まれた周囲からは、噂話がいくつも流れ聞こえてきた。

「そうそう、炎のリングに水のリングを拝めるんだよ? 伝承の指輪なんて本当にあるんだねぇ。わくわくしちまう」

「本当に羨ましいよ。あのフローラさんと結婚できるだけじゃなく、天空の盾も手に入れられるってんだから。なぁ、実はあの青年が本当に伝説の勇者だったりしないかねぇ?」

「おお、いいじゃないか! 勇者と天女のラブロマンスか。ポートセルミのステージに演材を持ち込んだらヒットするんじゃないか⁉︎」

「これだけの人数を花婿が全員転移させたんだろう? 只者じゃないよな。あんな魔法は見たことない」

 やいのやいのと楽しげに話す内容を聞いて、成る程、天空の盾を得る条件がフローラさんとの婚姻だったのか、と納得した。

 ……いくらあいつでも、それが令嬢を妻に望んだ理由とは思いたくなかったが。俺が知る限りのこれまでのテュールを思えば、そう考えるのが自然なような気がした。

 ──上手くは、いかないものだな。

 少し遣る瀬無い思いで、まだ誰もいない壇上を眺める。きっとあの金髪の女性とは、結ばれたくても叶わぬ事情があったのだろう。……ふと斜め下から視線を感じ、隣を振り返ると、愛しい妻がどこか不安そうに瞳を揺らし俺を見ていた。

「どうした? マリア」

 俺の問いかけにマリアは答えず、尚もじっとこちらを見ていたが、やがて少しだけ躊躇いながら口を開いた。

「……ヘンリー様は、私が鞭で打たれていなかったとしても、私を妻に望んでくださったのでしょうか」

「は? ……え⁉︎」

 やっと応えてくれたと思いきや、とんでもないことを言い出す。頓狂な声が出てしまった俺を尚も見上げ、マリアが更に言葉を紡ごうとした、その時。

「皆様、大変お待たせいたしました。新郎の入場でございます」

 前方の甲板に備えられた立派な祭壇に神父が上がり、何度か言葉を交わした執事が結婚式の開始を高らかに宣言する。程なく、緊張した面持ちで礼装に身を包んだ幼馴染が姿を現した。左胸に清楚な白い小花を挿し、些か落ち着かない様子で観衆の目を引いている。いつもの見慣れた旅装ではなく、どこぞの王族かと見紛う礼服姿の幼馴染は、心なしか男ぶりも上がって見える気がする。

「へぇ、結構似合ってんじゃん」

 思わずこぼしたその呟きに、隣で息を呑み見守っていた妻が控えめに同意を示して。

 壇上へ上がり、花嫁を迎える為にこちらを向き直ったテュールと一瞬、目が合う。

 気恥ずかしいのを誤魔化すように、ほんのわずか、はにかんでみせて。

 それから、ずっとまっすぐ敷き詰められた赤い絨毯の向こう側、父親に伴われた碧髪の花嫁を見つけると、もうテュールは、心を奪われたように彼女に釘付けになった。

 先程は身につけていなかった、羽衣のようなヴェールでうっすらと表情を隠した碧髪の花嫁は、正しく、輝ける天女のようだった。

 彼女が歩くその跡をふわりと翻るヴェールには、テュールの胸元にあるものと同じ、光沢のある小花が美しく散らされている。よく見れば、あれはどうやら絹でできているらしかった。枯れない花とは粋なことをする、とひっそりと感嘆の息が漏れる。

 一歩、一歩ゆっくりと、汚れなき純白のドレスに身を包んだ花嫁が自分に向かって歩いてくる姿を、祭壇の前に佇んだ俺が良く知るはずの幼馴染は、ただひたすらに満ち足りた表情でやわらかく微笑み、見守っていた。

 

 そんな、眺めただけで痛いほどに感じられる深い愛情に、

 己の浅慮を思い知る。

 

 近づいてきた白い手を取り、並び立った瞬間彼女に注がれた、何より愛しげなその眼差し。

 誓いの言葉を述べたときの、揺るぎない声音。

 白銀の美しい指輪を彼女の細い指に通した瞬間には、純白の花嫁の姿だけを漆黒の瞳に余すことなく映して。

 口づけを促され、少しだけ躊躇いがちに身体を屈めた、その時の気恥ずかしげな表情も。

 

 ああ、

 こいつ、今、幸せなんだ。めちゃくちゃ。

 

 そんなテュールを目の当たりにして、先程までの自分の思考がいかに愚かだったか思い知らされた。

 悔しいが、こんなにも想いを露わに誰かを見つめるテュールを、俺は見たことがない。

 ──そして、これこそが、俺自身がずっとあいつに対して望んできた姿なんだと。

 自分の為には何一つ望まなかったテュールが、自ら何かを欲する瞬間をずっとずっと待っていた。きっとそれがいつか真実、こいつにとっての希望となる。救いとなる、そんな気がして。

 盛大な拍手が鳴り響く中、マリアと俺もずっと両の手を鳴らしている。そうしてテュールが花嫁の肩を遠慮がちに抱き寄せ、視線を交わして微笑みあったのを見て、やっと、これで良かったのだ、と素直に思うことができた。

「……重ねて、しまったのです」

 ぼんやりと二人を眺め拍手をしながら、マリアがぽつりとそう呟いた。

「私が、奴隷でなかったら。お二人の過去に関わることがなかったら、そうして出逢っていたとしても、ヘンリー様は変わらず私を望んでくださったのだろうか、って」

 この場にそぐわぬ独白にどきりと胸が鳴り、思わず傍に並び立つ妻を省みる。

「……埋められない時間があるのは、私も同じです。フローラさんは、尚のこと」

 マリアの瞳は新郎新婦だけを映している。が、その言葉はまっすぐに俺だけに向けられ、その想いはひどく温かい。

「けれど、……あなたの手を取って、私はより深く、あなたを知ることができました。あなたを大切に想うことも。──それで、良いのではないかと」

 マリアの言葉に小さく頷き、今一度、寄り添い合う二人を見つめる。

 まだお互いのことを何も知らない、まっさらなままの二人。

 あいつの壮絶な過去を知ったら、彼女は苦しむかもしれない。

 何も知らないお嬢様には、重すぎる過去かもしれない。

 テュールは再び絶望するかもしれない、けれど。

 あいつが今、やっとその手に掴んだ幸せを、この俺が祝福してやらなくてどうする。

「テュール! それにフローラさんも、おめでとう! 本当に素敵よー!」

 湧き立つ歓声に紛れて、先程少しだけ言葉を交わした金髪の女性が、輝くような笑顔で一際明るい声を投げかけている。

 きっと彼女の声に顔を上げたフローラさんが、少しだけ、切なげに声の主を仰いだ。すぐにテュールがその手を引いたので、それ以上の変化は分からなかったが。居並ぶ来賓たちに順番に挨拶を述べるため、祭壇から降りた二人は真っ先に俺とマリアの前に立ち、一度顔を見合わせてから、微笑む。

「今日は、ありがとう。……来てくれて」

「ああ」

 テュールの言葉に短く、頷いて。その傍に寄り添う花嫁を見つめた。先程のことがあってか、俺に相対する彼女の表情はやはりどこか固いままだったが、その瞳は臆することなくまっすぐに俺を射抜いてくる。

 ────意外と芯は強そうだ。

 か弱いだけの世間知らずかと思ったが。テュールはこう見えてどこか抜けたところがあるから、こういう眼をした伴侶なら、悪くはない。

「テュールを、頼むよ。……フローラさん」

 自然と、そんな言葉が口を突いて出た。

 目を瞠ったフローラさんが翡翠の瞳を大きく揺らめかせる。小さく頷いて微笑んでやると、はい、と噛みしめるように微かに応えて、テュールと繋いだ指を絡めなおした。

 そんな花嫁に、新郎はヴェールの上からまた、愛しげな微笑みを降らせる。

 その想いが、裏切られることがないように。

 もう二度とお前が絶望に追い落とされることがないように、このめでたい日に祈ってやる。

 だから、幸せになれ。テュール。

 もはや聞き取れないほどの歓声と拍手を浴びつつ、参列者の隙間を縫って歩いていく二人を見送る。高く青い空には色とりどりの花のシャワーが舞い踊り、手の込んだことに花火も連続して打ち上がる。この派手な仕込みはあの少年のような眼をした御仁か。そう思うと口の端が勝手に緩み、くつくつと笑った俺を、隣のマリアが不思議そうに首を傾げて見上げた。

 ほら、もう、お前の未来は明るいよ。

 清々しい心地で見上げた、珍しく雲ひとつない初夏の青空は、花嫁の髪が溶けて広がったような優しい色をしていた。

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