Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】 作:サクライロ
遅い昼食を終えた昼下がり、フローラを伴いルドマン家の本宅を訪れた。
卿はいつもと全く変わらぬ様子で僕らを出迎えてくれた。昨晩はいつまで呑んでらしたのかわからないが、全く酔いを残してらっしゃらない酒豪っぷりに密かに舌を巻く。
「そろそろ来る頃かと思っていたよ。二人共、昨日はご苦労だったな」
見慣れた応接間で卿と相対し、開口一番労いの言葉をいただく。
「申し訳ありません、実はあまり酒は得意ではなくて……ああいう場ではすぐに潰れてしまい、面目ないです」
天空の盾を収めた宝箱の鍵を譲り受けた後、申し訳程度に盃をいただいて辞してしまったことを詫びた。卿はまた愉しそうに笑い、「何、君はまだ若いからな。歳を重ねれば呑み方もわかってくるものだ」とありがたい言葉を下さった。
「そろそろ、旅立ちを考えているのかね?」
静かな問いかけに「はい」と頷いて短く答える。卿はまた満足げに頷き、「また土産話を聞かせてもらうのが楽しみだ」と笑った。
「フローラ。お前はテュール君が帰るまで家を守れるな?」
卿の視線が僕の隣へと移り、フローラがわずかに身体を強張らせる。拳一つ分離れて座る彼女の緊張を見てとり、思いきって口を開いた。
「そのことなのですが、──お義父さん。今日はもう一つ、お許しをいただきにあがりました」
僕の呼びかけに卿が目を見開く。フローラから揺らいだその視線を捕まえて、僕もまた、緊張を覚えながらも言葉を紡いだ。
「フローラに、僕と一緒に来てもらいたいと思っています。……何卒、共に出立することをお許しいただけませんか」
目の前に座る僕と、フローラを卿が交互に見遣る。フローラもどこか遠慮がちではあったが、「お願いです、お父様。私の与り知らぬところでテュールさんに何かあったらと思うと……」と懇願の言葉を口にしてくれた。先程の力無い微笑みが、出立への躊躇い、というわけではなさそうなことにひっそりと安堵の息が漏れた。
「……厳しい旅になるのではないか。テュール君にとっても、フローラが足手まといになりこそすれ、役に立つとは到底思えないが?」
ちらり、と娘を一瞥し義父は手厳しい問いを発する。視線さえ逸らさなかったものの、フローラは気圧されるように肩を縮めた。
「僕の仲間達からも了承は得ています。魔法使い曰く、フローラには類い稀な魔導の才があると。いずれは立派に僕のパートナーを務めてくれると、信じています」
今度はフローラが驚愕を僕に向ける番だった。目を瞠る彼女を振り返ってそっと微笑み、身体のすぐ隣にある華奢な掌を思いきって包んで握る。
ぴくり、と彼女は身じろぎしたが、振りほどくようなことはなく、わずかに目許を赤らめて、重ねた手に切なげな視線だけを落とした。
「…………、ふむ」
暫し、卿は顎に蓄えた立派な髭を撫でながら僕らを眺め、思案していたようだった。
「では、こうしよう。ひとつ、出立の前に頼まれて欲しいことがある」
ぽん、と膝を打ち、卿が身を乗り出した。振り返って使用人に何かを申しつけ、また僕達を交互に見遣りながら、彼はある提案を口にした。
「サラボナを出て船で北西へ向かったところに、祠がある。ビアンカさんの住む村から西にある小島だ。祠の中に壺が一つ納められているのだが、その壺の色を見てきて欲しい。できるかね?」
卿が話している最中に先程の使用人が羊皮紙を持ってきて、卓上に広げた。船の上で何度も広げたその地図を指先でトントンと示しながら、卿は僕達を窺い見る。
戸惑いながらも、僕は頷いた。それくらいなら造作もないことだが。
「但し、今回はフローラのみを伴って行くこと。仲間の皆さんには別宅でお待ちいただく。船はテュール君がすっかり扱えるようになったとクラウスから報告を受けておるから、今回は二人でも問題ないだろう。万が一どうにもならなくなったら転移魔法で逃げ帰ってくれても良いが、その場合、課題は失敗だ。フローラの出立は許可できん。……どうだ?」
隣に座るフローラが身体をすくませたのが、繋いだ手から伝わった。すぐにその手を握り返して、僕は強く頷く。
「わかりました。必ず無事に、確認して戻ってまいります」
不安げに僕を見るフローラに、もう一度微笑みを返して。彼女は何か言いたげに唇を震わせたが、どこか辛そうな表情のまま目を伏せた。
「頼もしい夫だな、フローラ」
嬉しそうに響く父親の言葉に、フローラは尚も項垂れたまま、はい、と頷く。フローラの気落ちの理由が僕にはわからなかったが、とりあえずそのことは頭の隅に置いておくことにした。
期せずしてこれから祠へと往復する間、二人きりで過ごせることになったから。船で行くなら片道に軽く二日はかかるだろう。時間はたっぷりあるのだから、ゆっくり話をすればいい。
少しでも、彼女ともっと深く理解し合うきっかけになれたら。
明朝から再び帆船をお借りする約束をして、本宅を出た。その足で久々の道具屋へと向かう。所要日数は大体往復で五日、念のためそれより多めに見積もって、足りない食糧や聖水を買い込む。
荷物は別宅に運んでもらえるよう頼んで、二人で歩いて仮の新居へと戻った。
フローラは相変わらず浮かない顔のままだった。一度だけ「あなたは旅を急がなくてはならないのに、余計な用事で時間を取らせてしまって、本当にごめんなさい……」と謝られたが、その時は彼女と目の高さを合わせて覗き込み、緩やかに否定した。
「僕が、君と一緒に行きたかったから受けたんだ。気にしなくていいんだよ」
一瞬、泣きたいように顔を歪ませたが、すぐに彼女は微笑んでくれた。でもやはり、その表情からはひどく辛そうな気配しかしなくて、胸が痛かった。
明日の為に準備を全て整え、仲魔達にも数日留守にする旨を告げる。
夕飯時も、空気は重いままだった。今日は僕も手伝って一緒に作って食べたが、フローラは次第に僕と目を合わせなくなっていっているような気がする。僕が何かしてしまったのか、鈍いなりに一生懸命考えたけれどどうしても理由がわからなかった。
……やっぱり、一緒に行くのは嫌だと、思われてしまったのだろうか。
それぞれ順番に湯を使って、夜も早めに休むことにした。
濡れた長い碧髪を白い項に零しながら結い上げ、薄い寝着を纏ったフローラの姿にどうしようもない昂りを感じてしまったが、こんな状況で近づけるわけがない。初めて一緒に同じ寝台に潜り込み、僕の緊張は正直振り切れそうなほどに最高潮だったけれど、結局この夜も手も触れられぬほど身体を離したまま就寝してしまった。
……それでも今、隣に君がいる。
触れる勇気もない自分が情けないけれど、不甲斐ないけれど。
僕から顔を背けたまま寝息を立てる君が、切ないほどに愛しいばかりで。
ふと、求婚の前日の夜、眠る彼女を訪ったことを思い出す。
あの時感じた違和感のことを、今度訊いてみよう。そう自分に言い聞かせ、深呼吸でなんとか緊張を落ち着かせながら、僕もまた瞼を落とした。
翌朝、まだ陽も昇り始めたばかりの頃、フローラと連れ立ってルドマン家の家紋入りの帆船に乗り込み、出発した。
今回は操船できるのが僕しかいない上、魔物に遭遇した時の対処もほぼ僕一人で請け負わなくてはならないので、フローラにはありったけの聖水を託して、操舵室の内側に控えてくれるよう頼んだ。身躱しの服に身を包んだ彼女は固い表情のまま頷く。聖水で魔物を避けていればまとまった数を相手にすることもそうないから、この辺りの魔物ならば僕一人でも捌けるだろうと踏んでいた。
街から凡そ一日くらいの距離では船の行き来も多い為か、さほど魔物が出ない。これは先日、定期船に乗った時も思ったことだった。やはり水門のあたりから多くなる印象だ。
左右を深い森が挟み、いつかのように心地よい風がそよぐ。こんなにものどかな時間をフローラにもあげたい、と願ったことを思い出した。
「フローラ」
操舵室の窓から外をぼんやり眺めていたフローラを手招きして、後部甲板へと呼んだ。おずおずと近づいてくる彼女を隣へと招き入れ、若干の緊張を抑えながら並んで立つ。
「……気持ちいいですね」
初夏の日差しに、新緑の香が立つ風を受けて碧い髪が一筋、目の前を軽やかに流れていく。
あの日見た幻が、今、目の前にある。
「うん。……君にも、こんな風にのんびりさせてあげたいってずっと、思っていて」
船縁に手を添えて遠くを見ていた君が、翡翠の双眸をつとこちらに向けて小首を傾げた。
不意に視線が交わって、心臓が小さく跳ね上がる。
「水のリングを探しに行っていた頃、……君はずっと、アンディの看病をしてただろ?」
思わず視線を泳がせそう言うと、フローラは少しだけ目を瞠り、またどこか苦しそうに視線を遠い湖面へと落とした。
船縁に載せられた白い手は、いつか見た痛々しさはだいぶ薄れてはいたが、今度は僕の為に家事をしてくれているからなのか、まだどこか荒れた風だった。昨日本宅で義父と話をした時、掴んだ指先は思った以上にかさついていた。
けれど、ちらりと盗み見た横顔はかなり血色も良くなっていて、やつれきった彼女が少しずつ元の姿に戻れているのだと思ったら、ほっとして肩の力が抜けた。
あんな苦労は、もうさせたくない。
「……ビアンカさんは、この先の村にお住まいなんですよね」
遠く、焦点を合わせず眺めていた彼女が、ぽつりと呟いた。
「そうだね、この先に水門があって。その手前から軽く半日くらい歩いたところ」
「そんなにかかるのですか。ビアンカさん、よくお一人で行き来されていると仰っていたから、もっとお近くなのかと思っていました」
「山道だから、慣れもあるんじゃないかな? それにビアンカはちょっと特殊だと思うよ。魔法なんて僕より上手だしさ」
得手不得手はあるだろうけどね、と苦笑してみせたが、彼女はぎごちなく微笑んだだけだった。
それきり会話は途絶えてしまって。どちらからも何も切り出せないまま日暮れを迎えた。
やはり陽が出ているうちの方が魔物は出にくいから、定期船が通るぎりぎりの水域までは船を進めて、陽が昇ってから僕が仮眠を取る方がいいかと考えて、夜のうちはフローラに休んでもらうことにした。フローラはひどく複雑そうな、申し訳なさそうな表情で躊躇していたが、「僕が休んでいる間は見張りをお願いすることになるから」と説得して、なんとか休んでもらった。
そうして、その夜は一人で時々現れる魔物の相手をしながら進められるところまで船を進めて。
朝になり、起き出してきたフローラと簡単な朝食をとった。心配そうに僕を見るフローラに「少し休めば、大丈夫」というと釈然としない顔で頷いていた。
朝食の後、二、三時間の予定で近くの岸に停泊して仮眠をとった。フローラには半刻ごとに場所を変えて聖水を撒くこと、少しでも異変を感じたらすぐに僕を起こすことをよくよく念押しして。
元々旅をしている中で、自分は魔物の気配には敏感な方だと思っていたのだけれど、このやり取りの中で驚くことがあった。
「……テュール、さん」
操舵室で仮眠をとっていた僕の耳許で、フローラが息を殺して囁く。普段と違う彼女の雰囲気にすぐに目を開け起き上がると、「申し訳ありません。何となく、あちらの木の方に嫌なものを感じて……」と言う。僕が耳を澄ましただけではわからなかったが、表に出て様子を窺っていたら程なくキメラが森の中から唐突に飛来し、それを皮切りに数体のマーマンやオクトリーチまでもが浮かび上がってきたのだった。統率のとれた行動は、群れてこの辺りを通る船を狩ろうとしているのか。
すかさず剣を振り払い、キメラを打ち落とす。その傍らからフローラが海の魔物の群れめがけて聖水を投げつけてくれる。もんどり打ったマーマン達をバギマで退け、船体に絡みつき登ろうとするオクトリーチの足を次々切り裂いて湖の底へと沈めていく。意外にも臆さずフローラが船縁へと駆け寄り、船体の外側に聖水を伝わせてくれる。
「……すごい。よく気づいたね」
概ね魔物の気配が消えたところで、父さんの剣を拭いながらフローラを振り返ると、フローラは今更震えがきたように身体を強張らせ、へなへなとその場に座り込んだ。
「────大丈夫⁉︎」
咄嗟に駆け寄り額を撫でると、フローラはまだ焦点の合わない目で頷く。
「だい、じょうぶ、です」
それだけ言うと、瞳を閉じ、何度か深呼吸をする。まだ震えの収まらない細い腕をさすってやると、やっと深く息を吐いて、僕の顔を見てくれた。
「……あなたが、いてくれたから。大丈夫、です」
控えめだったけど、久しぶりに見た彼女の微笑みに、性懲りも無く心が踊ってしまう。
「僕の方こそ、助かった。今みたいにちょっとしたことでもいいから、気づいたら僕に教えてもらえたらありがたいな」
これは心からの本音だったが、フローラは尚も遠慮がちに黙って頷いていた。
その後も、ちょくちょく戦闘にもつれ込みながら船は進んだが、フローラは直接戦闘には参加しないものの絶妙な聖水捌きで僕を援護してくれた。うっかり擦り傷を作ってしまった時にはすぐにベホイミを施してくれて、これまた僕は感激のあまり、施術してくれる彼女を抱き締めてしまいたい衝動を気取られないよう抑える方が大変だった。
次の日暮れ前にまた少しだけ仮眠をとり、夜の間はなるべく船を走らせる。
そうして、まだ夜明け前の闇深い頃、帆船は小島へと到着した。
小島の岸に船を着け、近くの木にしっかりと括り付けて。
真っ暗な中でも祠はすぐにわかった。月明かりだけに照らし出された石造りの建物が、木立の向こうに見えたから。
「……明るくなってからにする?」
さすがに真夜中の祠参りは肝が冷える。念のためフローラに訊いたが、彼女は顔を強張らせたまま首を振った。
「行けます。────大丈夫です」
幸いにも、周りに魔物の気配はなかった。祠の中ならもっと安全だろう。持ってきたランプに火を入れ、手を繋ぎあって真っ暗な林を抜ける。すぐに祠の入り口が見えてきた。
中ももちろん真っ暗で、ずっと螺旋階段になっているらしかった。フローラの手を取り、一段一段、ランプで照らしながら降りていく。
どれくらい下っただろうか。やがて、螺旋階段の終着点に確かに壺が安置されているのが見えてきた。何やら魔法陣の中に置かれたそれは、中から静かな青い光を仄かに放っている。
「青、だね」
僕の言葉に、フローラも強張ったまま、頷く。
もう一度、二人で手を引き合いながら階段を昇った。静謐な空間に、かつん、かつんと僕達二人の足音だけが響く。
「……フローラさえ良かったら、ここで休息をとっていかないか」
先程入った入り口が見えてきたところで、僕はフローラにそう提案した。
繋いだ手をびくん、と震わせてフローラが僕を見た。暗がりで表情はよくわからなかったが、きっと怖いのだろう、と思って手を握り直し、できるだけ優しく、言葉を続ける。
「多分、祠の中には魔物が入ってこられないから。船で寝るよりここの方が安全かなって。──大丈夫、何もしないよ」
最後の言葉は蛇足だったかもしれないけど。安心させたくて、つい口から出てしまった。
……何かしたいって言ってるも同然じゃないか。
あとからそんな考えに至って気恥ずかしくなってしまったが、君は静かに、はい、と答えてくれて。とりあえず僕達は入り口付近の広い場所に身を寄せ合って、壁にもたれた。
足元にランプを置き、持ってきた毛布を二人でかけて手を繋ぐ。
「気になることがあったら、すぐに起こしていいからね」
もう一度念を押すと、素直な君はまた、はい、と頷く。
目を閉じると、ふわりといつもの花の香りがした。
今までで一番近くにフローラの体温を感じる。
そんな、独り善がりな幸せに身を委ねて、僕は浅い眠りの淵へと落ちていった。
目が覚めると、外はすっかり昼時のようだった。
隣に座り眠るフローラは綺麗な睫毛を伏せたまま、静かな呼吸を繰り返していて。その頭がわずかに僕の肩にもたれかかっていて、目覚めて早々に心臓が鷲掴まれる心地を味わった。
あまりの幸せにもう一度だけ眠ってしまいたくて目を閉じたところで、僕の身じろぎが伝わってしまっただろう。フローラがうっすらと目を覚まし、僕は心の中で激しく落胆する。
「……おはよう」
肩に乗せられたフローラの眠そうな顔を間近に見下ろして、照れ隠しに微笑んで言うと、君もまた恥ずかしそうに、おはようございます、と返してくれた。
その場を片付け急いで岸を離れて、舵を安定させてから二人で簡単な食事をとった。
「あとは、無事に戻るだけだね」
この調子なら、明後日には卿にご報告できるだろう。晴れてフローラの出立が許されれば、いよいよまた、まだ見ぬ地への旅が始まる。
ほとんど課題をクリアした状態で僕は内心浮かれていたが、フローラはここにきてますます思いつめたように物思いに耽ることが増えた。
魔物に遭遇すれば懸命に協力してくれるのは変わらなかったが、それ以外の時間はずっとぼんやりしていて、名前を呼んでもなかなか反応がない。
そうかと思えば、じっと自分の手を見つめていたり。物憂げに遠くを見つめていたり。
正直すごく心配だったし、こんな状態の彼女をすぐに連れ出すことはきっとできない。なんとか話をしたかったけれど、糸口をなかなか掴めないまま、無為に時間は過ぎた。
そうして幾度かの魔物との遭遇も無事乗り切り、出発からやはり五日後の午後、僕達はサラボナに到着した。
この祠、原作内では「一日あれば往復できますわね」ってフローラが言ってくれるんですけど、その縮尺で一日往復ってⅤ世界どんだけちっこいのん……てのはワールドマップと睨めっこするたび思うことです。レヌール城かて縮尺信じたら夜半に往復絶対不可能。
もう脳内変換で、あれだよメルカトル図法!見た目よりでかい小さい!と都合よく自分に言い聞かせながら旅させてます。