Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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#26. すべての世界を、君に【終章2】

 その塔は、街の入口と対になる豪邸の向こうに聳え立っていた。

 街を遠くから望めばすぐに目につくその塔の存在には気づいていたが、街からほど近くに建てられたそれが何を意味する建造物なのかはわからなかった。何かを守るためなのか、何かを祀るためなのか。

「幼い頃、よくここにこっそり入り込んで遊んだんです」

 いよいよサラボナを発つ直前、最後に行っておきたいところがある、と言ったフローラと共に、僕は今その塔の最上階を目指している。

 白壁をなぞり、軽く息をつきながら階段を上る彼女が少しだけよろめいて、咄嗟にその背に腕を添えた。碧い双眸が僕を振り仰いで、恥ずかしそうにそっと微笑む。その手を片方、掬い取って僕も微笑みを返した。

「小さい頃は特に、あまり街に出してもらえなかったので。幼い私にとっては、大人達の目を盗んでここに登るだけのことでも大冒険でした」

 かつん、と軽い足音を立てながら、僕の知り得ない君の話を聞かせてくれる。

「……それって、アンディも一緒だった?」

 幼い頃のことというとどうしても気になってしまって、でも僕の嫉妬心に気づかれるのもなんだか癪で。なるべく感情を気取られないよう、静かな調子で問うてみたら、君が少しだけ驚いたように僕を見た。

「──アンディは……いえ、ここに来たことはありません。私の遊び相手として、時折屋敷を訪れてくれていただけなのです」

 それだけ言って、彼女は目を伏せ、さらりと流れた自分の髪を眺め遣る。

「この髪が、珍しいと言って……妙な噂になることを恐れたのか、両親が私を外に出しませんでしたので」

 それは、なんとなく納得できることではあった。恐らく隔世遺伝の類なのだろうが、ご両親の髪はフローラとは似ても似つかぬ栗色と黒。要らぬ詮索を嫌ったのは当然だっただろう。僕もまた、これまでの人生で色々な人に会ったように思うけれど、フローラのような鮮やかな空色の髪は今までに見たことがない。

 ──────空色の、髪?

 否、どこかで。遠い記憶の揺蕩う底で、何かが蠢いたけれど。その正体を探り当てる前に、君の小さな声が耳に届く。

「……ここは、街とは反対側にありますから。人目を避けて、一人になりたい時にはちょうど良くて」

 塔をところどころくり抜いた窓の一つに手を添えて、外に広がる高い空を君が見上げる。

 そうしていると、本当に空から地上へ舞い降りた女神のように見える。

「じゃあ、ここは君の隠れ家みたいなもの、だね」

 軽くおどけて微笑むと、君も嬉しそうににこりと笑い、頷く。

「はい。……一度、父に見つかって怒られてからは、控えておりましたけれど」

 落ち着いた君に似合わない、そんな悪戯っぽい告白をそっと囁いて。君にもそんな無邪気な頃があったんだ、と当たり前のことをこんなにも嬉しく感じる。

「こうしてどなたかと一緒に登るのは、テュールさんが初めて、です」

 ──そして、そんな風に、微笑んでくれる。

 嬉しくて、幸せで。ついもっと傍に寄りたくなる。

 昨日、ようやく気持ちを通わせるまで、こんな風に話せるようになるとは思っていなかった。

 ずっとこうして、君と話したいと思っていた。

「……嬉しいな。君とこうやって、初めてのことができるって」

 思ったままのことを口にしたら、僕の肩のあたりにある君の耳が、かぁっと紅く色づいたのが見えた。

「もう、初めてのことばかり、です……」

 その言葉の本意はわからなかったけれど、何となく昨夜と、今朝のことが思い出されてしまって。僕もまた気恥ずかしさがこみ上げてしまい、君と手を繋いだまま、空いた手できっと赤い頰や口許を覆った。

 ──駄目だな。幸せすぎて、緩みすぎてる。

 かなり高いその塔を半分も登ったところで、フローラが次第に足をすくませ始めた。

 心なしか顔色も段々と青ざめてきて、僕と握りあった掌にしがみつくように身を寄せる。

 そうしてしがみつかれるのは正直浮かれるほど幸せだったけれど、フローラがただならぬ様子であるのを喜んでみているわけにはいかない。

「フローラ、……怖い?」

 恐る恐る訊くと、フローラは怯えた瞳を一度僕に向け、申し訳なさそうに目を伏せる。

「……克服、してから、旅立ちたいと……思ったのですが……」

 言葉尻に力無い溜息を滲ませて。君は見るからに肩を落とし、形の綺麗な額を僕の肩に預けてくれる。

「……申し訳ありません。実は……あの、……高いところが、苦手で」

 ────────可愛い。

 そんな、苦手なところがあるのも。こうやって気まずそうに告白してくれるのも。怯えを隠さないのも、それなのにこうやって頑張って、高いところに登ろうとしてしまうところも。

 可愛くて、可愛すぎて、先に僕がどうにかなってしまいそうだ。

「謝ることないよ。寧ろ、……嬉しい、って言ったら、変かな」

 なるべく真っ当な労りの言葉をかけてあげたかったのに、相変わらずうまい言葉の一つ選べない僕はそんな拙い言い回しになってしまう。

 案の定、どこか怪訝な表情で見上げられてしまい、苦笑するしかない。

「ごめん。──あんまり、君が可愛くて」

 どうにもにやけてしまう口許を腕で隠しながら小声で言い添えると、君もまた目を瞠り、赤らんだ頰を隠すように顔を背けた。

「だって、……高いところが苦手、だなんて。これからの旅の妨げになりこそすれ、役に立つとは思えませんわ」

 まぁ、確かにそれは、そうかもしれないけど。

 高いところくらい、僕がずっと支えてあげるし。

 君がうっかり落ちないよう、ずっと手だって繋いでいたいし。

「……君は、天女みたいな人だから」

 ふと、思いついたイメージをそのまま、言葉に替えてみる。

「空から堕ちたような気がして、怖いのかもね」

 いつかどこかで聞いた、空から堕ちた天女の御伽噺。

 あの天女の顛末はどんなものだっただろうか。空に還ってしまっただろうか。──フローラが手の届かぬ高みへと還ってしまうなんて、僕にはきっと耐えられないと思ってしまうけれど。

 空の欠片のような君を見ていると、美しい君が空から堕ちてくる様がすんなりと絵になって浮かぶ気がした。

 僕の戯言を黙って聞いていたフローラは、どこか虚を衝かれたような顔をして、微かに目を見開いて遠くを見ていた。

「あ。ごめんね、変なこと言って」

「いえ、──いいえ。ちょっとだけ、驚いてしまって」

 ふるふる、と君は首を振り、握った手の腕に華奢なその身を寄せて僕を見上げる。

「一番上まで、行きたいのですけれど。……付き添っていただけ、ますか?」

 震え出しそうなまでに怯えの色を滲ませながらもそんなことを言う。このひとは、どれだけ僕を悦ばせれば気が済むんだろう。

「もちろん。落ちたりしないよう、僕が捕まえていてあげる」

 翠の旅装に包まれた肩に手を回して抱き寄せると、彼女がほんのり身じろぎをして、赤い顔を小さく俯かせる。

 それから、肩を抱いて寄り添いあったまま、続きの階段を上った。

「何度も、ここには忍び込みましたけれど。……やっぱり怖くて、一番上には一度しか上がれたことがないんです」

 僕にほとんどその温もりを預けたまま、最上階から吹き込む爽やかな風にしなやかな碧髪を躍らせて、君がぽつりと呟いた。

 かくして、塔の最上階は。──広く開け放たれた物見台のような場所だった。全方位、サラボナを取り囲む全ての風景がここにある。ずっと続く河と森林の向こう、あちらにあるのはルラフェンだろうか。僕が潜ったばかりの滝の洞窟はきっとあの辺り。水がキラキラとこの遠くまで反射の光を寄越す。見渡せば遠くに水平線、そして南にごつごつとした火山帯。このサラボナの地形、稜線まで全て見通せる、高い塔。

「すごい。一望できる」

 思わず呟くと、僕にしがみついたフローラが微かに頷き、僕の視線を追った。

「……一度しか、見たことがない光景なのですけど。とっても怖かったのに、何故か……この眺めだけは、忘れられなくて」

 彼女が風に攫われないよう、強く抱き寄せ直して。腕の中のフローラを見下ろす。

 僕の視線に気づいたのか、君も僕を少し見上げて、笑う。

「もう一度、今度はあなたと一緒に見られたことが……、嬉しい」

 そんな、可愛いことを言ってくれる君が本当に愛しくて。

 僕も微笑んで、そっとその額に口づけを落とした。

 彼女は眩しそうに目を細めて、またほんのりと微笑んでから、遠いこの風景を眺める。

「この塔は、私が生まれるよりずっと前から建っているのだそうです。何でも、魔物の襲撃に備えて父が建てたのだとか」

「お義父さんが?」

「ええ。詳しいことは聞かされていませんが……見張りをするくらいですから、何か良くない予兆を感じることがあったんでしょうか」

 彼女の言葉に頷き、僕はつい最近訪れた祠のある小島を目視で探す。

 小島は、ここから祠の外壁までとても良く見えた。晴れた空の下に小さく浮かぶ小島は先日、夜中にフローラと二人で歩いたそことは違う場所のように見える。

 昨日、壺の色を伝えた時の義父の安堵の顔。色が青以外の何色かに変わることを恐れているのが、僕にも察せられた。もしかしたら、あの壺は本当に魔界か何かからの敵の襲来を知らせる為のもので、この塔はあの小島をここから監視する為に建てられたものなのかもしれない。

 この塔が役割を果たしてしまう日が来ないことを、ただ祈るしかない。

「──それでも、私にとってここは、外の世界に触れられる唯一の場所で。この塔の窓から見える風景をモチーフにして、遠くにある町や村や城のことなどをあれこれ想像するのが好きでした。どんな町かしら、どんな服を着た人達がいるのかしら。どんなお祭りをやっていて、……私はいつか、どんな方と出会えるのかしら、って……」

 その澄んだ声を聞きながら、幼い君が塔の窓から顔を出して、遠い国々へと想いを馳せている愛らしい姿を想像した。

 もし僕がその場にいたら、きっと君にこう言っただろう。

『僕が全部、見せてあげる』

 空想の中の子供の君に、幼い僕が呼びかける。

 その言葉のまま、たった今この喉からこぼれ落ちた独り言を、大人の君が拾い上げて。振り返った君の頬を、慈しみを込めてそっと、撫でた。

「一緒に、見に行こう? 君が見たかったもの、全部」

 幼い君の願いを、これから僕が叶えるんだ。

 君の二つの翡翠の瞳に映り込む僕を覗きこむ。やがて君がやわらかく笑んで頷き、僕は満ち足りた想いを噛みしめながら、彼女の珊瑚の唇を食むようにそっと、自らを重ねた。

 わずかな間、彼女の優しい体温を直に感じて。

 吐息混じりに唇が離れた頃、彼女が小さく、呟いた。

「……私にも、ずっと見続けている夢が、あるんです」

 かき消えそうな告白に耳をすませば、君は困ったように少しだけ眉を寄せて、力なく微笑む。

「空しか、見えない。雲よりずっと、ずっと高いところから落ちてくる夢……どこから落ちているのか、それが私なのかも、わかりません。物心つく頃からもう、何度も、何度も────」

 繋いだ手が、僕の腕に抱き込んだ身体が、わずかに震えたのがわかる。

 できるだけ優しく抱擁を返すと、君が顔を上げて、応えるように笑ってくれる。

「……天女ではありませんけれど。先程のお話で、この夢のことを思い出してしまって」

「そっか。──嫌なこと、思い出させてしまったかな」

「あ。いえ」

 抱きすくめた僕を顎を持ち上げて懸命に見上げ、君は視線を彷徨わせて言葉を探す。

「嫌、というのとも少し、違って。……怖いけれど、嫌な夢ではないんです。寧ろ──」

 そこまで言って言葉を飲み込むと、君は僕の腕の中、めいっぱい真っ直ぐに首を上向きに傾けて、高く遠い空を見上げた。

「夢の、始まりがいつも、曖昧で。それをずっと、知りたいような気が……するんです。一体、どこから落ちているのか。始まりにはいつも、誰かがいる気がする、けれど、目が覚めると思い出せない……」

 それきり、彼女は遠い空の向こうを見つめたまま、軽すぎる体重を僕に預けて口を閉ざす。

 どんな夢なんだろう。たった一人、雲より高いというその場所から落下する情景を視るなんて。きっと羽などなく、自らの重さだけで加速しながら宙を凪ぎ空を割って落下する、あの激しく心許ない心地。

 そんな夢を幼い頃から幾度となく見続けているのなら、高いところが恐ろしくもなるだろう。

「……お恥ずかしいです。あなたが長い間苦しんでこられた、お父様の夢の方がずっとお辛い話なのに……こんな話、されても困ってしまいますよね」

「そんなことない。話してもらえて嬉しいよ。そりゃ、僕にはすぐに何かしてあげられるわけじゃないけど……知っているだけで、違うってこともあると思うんだ」

 君を包み込んだ腕に力を込めながら一生懸命伝えたら、ちゃんと受け取ってもらえたみたいで。君が穏やかに頷くのを見て、ほっとして少しだけ、力を緩めた。

「無理、しないでいいからね。怖い時は……目を瞑っていたっていいんだから」

 今一度、抱きしめたまま君の手を取る。振り返って見上げた君の碧い髪に頰を埋めて、握った左手の指をそっと絡ませて。

「そういう時は、僕が君の眼になる。君がどこにも落ちていかないよう、僕が君を抱きしめる。絶対に離さない。絶対、僕が守るから……」

 とりとめなく。思ったまま、口にした誓いの言葉に、君がほんのりと首筋を赤く染めて、はい、と応えてくれる。

「……でも、やっぱりもう少し、頑張ります。私も……私こそ、あなたにもっともっと相応しい私でありたいから」

 そんなの、今のままで十分すぎるのに。

 それでも君の、その気持ちがたまらなく嬉しいから。

「それって、ずっと傍に居てくれるってこと……、だよね?」

 思いっきり君の言葉を意訳して、嬉しさのあまり口角が緩んでしまうのを必死で堪えて君の愛らしい瞳を覗き込む。

「え? ……ずっと、……居て良いのです、よね?」

 至近距離で僕に見つめられて、あわあわと赤い顔で視線を泳がせる。そんな君も、たまらなく可愛くて。

「もちろんだよ。──嫌だって言われても、きっと離れられないけど」

 だって、君は、僕の最愛の妻なのだから。

 もう一度だけ、と頰を掬い取って柔らかな唇を啄ばんだところで、遠くから定期船の接近を知らせる汽笛が聞こえた。

 塔の遥か下をちらりと見遣れば、川上から大きくない船がこちらへ向かって緩やかに航行しているのが見える。もう半刻もすれば、あの船は折り返して山奥の村のある奥地へと向かう。

「残念。時間切れみたいだ」

 名残惜しくも唇を離し、君を抱き上げたまま立ち上がる。物見台の段差の上に足をかけ風に煽られれば、きゃっ! と高い声で叫び慌てて僕にしがみつく君を、思い切り抱きしめて。

「行こう。この世界の全て、空の果てまでだって、一緒に」

 怖々頷く君に、こみ上げるまま笑顔を向けて。

 大丈夫。何処へだって行ける。だって、君には僕がいるし、僕には君がいるから。

 抱き上げたまま踵を返し、今来た階段を早足で降りていった。必死にしがみついてくれる君の温もりと重みを、その倖せを確かめながら。

 今頃、下では仲魔達が出発の時を待っているだろう。馬車には君の証である天空の盾、父の証である天空の剣。その二つを携えて、僕は未だ見ぬ運命へともう一度、踏み出す。

 この街で出逢い、やっとこの手に捕まえた、

 唯一無二の大切な君の手をとって。

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