Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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#3. 父の秘策

「どうでしたか? いい買い物はできました?」

 ルドマン卿所有の大型客船ストレンジャー号、その乗船員の一人であるアラン氏の実家が営むオラクルベリーの宿屋に一泊した翌朝。ご家族のご厚意で朝から豪勢な食事にお招きいただくことになり、上機嫌で席へと案内してくれたアラン青年は開口一番にこやかに問うた。

「そうですね、必要なものは大方揃えられたかなと。やはり商業都市は品揃えが違いますね」

 僕もまた頷きつつ、昨日購入を決めたものを思い返した。保存食の代表格である乾物や穀類はポートセルミよりこちらの方が種類が豊富で、フローラと相談しながらまとまった量を仕入れることが出来た。馬車は狭くなるものの、これで一月半程度は余裕で保つだろう。他にもテントだったり、水を溜める為の道具だったりと中々面白いものが見つかった。

 面白いと言えば、一連の買い物中にフローラが最も興味を示したものが面白かった。夜のみ営業している掘り出し物専門のオラクル屋という店がある。その軒先でフローラは縫いとめられたように立ち止まってしまったのだった。外に何かあったかな? と思いつつ店主と話しながら待っていたが、やっと入ってきたフローラは夢見心地な瞳を泳がせ、入口にかかっていたのれんへの賛美をうっとりと口にした。

「あんなに可愛いのれんを見たのは初めてです……! あなた、ご覧になりましたか? 可愛すぎて私、息が止まってしまうかと思いました。あんな素敵なのれんがお出迎えしてくれるなら、毎日だってここに通いたいくらいです。今は無理でも旅が終わったら……駄目かしら?」

 珍しく興奮気味に語る妻に僕も店主も呆気にとられてしまい、「そ、そんなに気に入った?」とうっかり聞き返したのがまたいけなかった。「それはもう! あんなに可愛らしいホイミスライムちゃんが三匹も、仲良くお手手をつないでお迎えしてくれるのですよ⁉︎ お顔もとっても優しくて、特に真ん中の子、本当にホイミンちゃんにそっくりではありませんか? 色合いも素敵です。作られた方の深い愛情が伝わってきます。素晴らしいです‼︎」と一層熱弁される始末。ホイミンと仲が良いのはアンディ絡みからだと思っていたが、実は純粋にホイミンの造形が彼女好みだということなのか。まさかのれん一つで僕達の終の住処が決まることになるとは思ってもみなかった。

「お嬢さん、いい趣味しているじゃないか。いつでも見に来ておくれ。のれんも喜ぶよ」と苦笑する店主に「はい、きっと!」と握り拳で力一杯返事をする、そこまで積極的な彼女を見るのは初めてな気すらした。

 店を出てからも名残惜し気にちらちらと振り返っていた。いっそこの店で働きたいと言わんばかりの入れ込みようである。夜しか開かない店だから、さすがにそこは許容できる気がしないが。

「帰ったらホイミンに教えてあげたら? 喜ぶかもよ」と言うと、にこにこ嬉しそうに頷いていた。自分で言っておきながらもやっと嫉妬めいたものを感じてしまうあたり、余裕がないというか何というか。一度そう思い始めると、彼女が愛用しているイヤリングまでホイミンの形に見えてくるから救いようがない。

「アランさんは、ご家族とゆっくり過ごされましたか?」

 妻もまた昨夜のことを思い出しているのだろう、一人顔を綻ばせている様子に苦笑しつつ青年に目を向けると、青年もまた日焼け顔をぽり、と掻きながら気恥ずかしげに笑った。

「はい。なんか、昨夜久々にお袋の飯食ったら、ああこんな味だったなーって。色々積もる話もしまして、やっぱ家族っていいもんだな、と」

「本当に、ありがとうございます。聞けば旦那様が転移魔法で帰省をお手伝いくださったのだとか。いやさすが、お若いのに素晴らしい術をお持ちで驚きました」

 改めて、見事な体躯の宿の亭主に深々と腰を折られるとどうしていいやら。「いえ、元々僕達が買い出しに来たかっただけなんです。今度遠方の大陸まで船を出していただくことになっていまして、その準備がてらアランさん達にもご同行頂いたまでで」と弁明すると、その脇からご両親が「ほお、船を出せるようになったのですか? ビスタ港は開かれたものの、連絡船はまだまだ動かせないと聞きました」と興味深げに身を乗り出す。

 オラクルベリーとしても、交易がもっと盛んになれば恩恵は大きいのだろう。アランさんはアランさんで「他の船はまだ出し渋ってるけど、うちの乗組員は腕がたつからね。テュールさんもお仲間さんもお強いっていうし、ま、大丈夫でしょ? 他の船ももっと気軽に出せるようになるといいんだけどな」とさも楽観的に言う。

 ────そうか。海路に巣食うものがいるなら、一度全力で叩いてみてもいいかもしれない。

 どのみち船長が一昨日示した、船がよく沈むと言う場所は航路上通過せざるを得ない、警戒すべき要所だ。先日フローラと共に祠の小島へ向かった時、普段徒党を組まないはずの陸と水棲の魔物とが連携して襲ってきたことがあった。数種の魔物が入り乱れて遭遇すること自体は、良くある。だが、異なる地域に生息する他種属同士が謀って共闘する、という状況は今まで見たことがなかった。且つ、魔物達の動きは非常に狡猾だった。明らかに船の転覆を目的に動いていた。あれが定期船だったら、どれだけの被害が出ていたことか。

 正義の味方を気取るつもりはない。けれど、僕や仲魔達が力になれるなら、危険を顧みず船を出してくれる方々にこの大恩をお返ししたいと切に思うのだ。もちろん、戦力的に無謀なら切り抜けることに注力する。所詮僕は、多少腕に覚えのある一介の旅人に過ぎない。

 父ほどの剣の腕があれば、もう少し強気でいられたかもしれないが。

 強く、人の信頼を得られる人だった。剣の技量だけではなく、他人の為に動くことができる人だった。母を……彼の妻を救うという目的のためならば勇者という赤の他人の力すら厭わず求めることができる、そういう意味で己を過信し過ぎることもなかった人だと思う。ただ一つ────僕という弱みを除いては。

 父を尊敬している。しているからこそ、父のように命を落とすことだけはあってはならないのだ。弱いから、未だ力が及ばないからこそ手を尽くして生き延びなくてはならない。僕が父の死に学ばなくてどうする?

 今更ながら、背筋を冷たいものが伝う。守らねばならないものが増える恐ろしさを、ある種の結果を伴って痛いほど実感する。

 父は何故、僕を彼の旅に同行させたのだろうか。それこそ足手まといにしかならなかっただろうに。勇者でもない、幼い僕を父の側に置くことに、当時何の意味があっただろう。

「……テュールさん」

 思考の小径に迷い込んでしまったその時、澄んだ鈴の声が緩やかに僕を掬い上げた。

 呼吸すら忘れていたように、振り返ると同時に身体中が新鮮な空気で満ちていく。清涼な気配をまとった僕の妻はいつもと変わらぬ微笑みを宿し、いつの間にか膝上に握り込んでいた固い拳にそっと触れてくれる。

「あとで、私にも聞かせてくださいね」と静かに優しく言い添えて、彼女はすっと姿勢を正した。

 ……たったそれだけで、僕の精神をも一瞬で立て直すことに成功する。

 彼女は、すごい。

「あの、お口に合いませんでしたでしょうか」

 手が止まってしまっていたことに気づいたんだろう。若女将に不安げな視線を向けられ、慌てて首を振り笑顔を繕った。

「とんでもない、とても美味しいです。こちらのお料理は奥方様が?」

「いえ、今日は義母が……アランさんのお陰で、昨夜からとっても張り切ってくれていまして」

「あら嫌だ、年甲斐もなくお恥ずかしいですよ」

 話を振られた母君は照れたように口許を抑えて笑う。「いつも厨房は嫁に任せているんですけどね。久々に息子の顔を見ますとね、あれも好きだったわ、これも食べてたわ、みたいに色々思い出してきて、懐かしくってねぇ。まぁ、親馬鹿ですわねぇ」

 ころころと笑う母親に「お袋、それでもこれはちょい作りすぎ」と軽口を叩くアラン氏は左右から小突かれて、それを見た母親や義姉もまた微笑ましげに笑っていて。料理と同じ、心温まる風景がそこにあった。

「すごく、優しい味がします。……ご相伴に預かり、本当に幸せです」

 本心から滲み出る幸福感のまま、頰を緩めて呟いた。

 こんな風に理想の「家族」と触れ合う機会もあまりなかった僕は、こういうひとときをずっと渇望してきたんだと思う。

 それが妬み、嫉みに変わらずいられるのは、手に入れたばかりの僕だけの「家族」が在るお陰で。

 ちらりと隣を見れば、フローラもまた羨望めいた色を浮かべて目の前の大家族を眺めていた。

 目が合うと、僅かな困惑とともに微笑む。

 父であるルドマン卿を見るに、淑女として厳しく育てられた彼女だから、こういう団欒はどこか眩しく映るのだろうか。

 和やかな雰囲気のまま僕達は朝食を終え、支度を整えたアランさんと連れ立って宿を後にした。

 

 

 

 オラクルベリーを少し離れた昨日の転移場所で他の船員達と無事に落ち合い、心残りがないことを確認してポートセルミへ戻った。

 家族と一夜の団欒を楽しんだ面々は、昨日より活力に溢れた表情で係船場へと戻っていった。ストレンジャー号は出航中だが、留守の間にもこなさねばならない仕事が何かとあるらしい。船長は当然船の上で、係船場では船長より年配ながらも浅黒い、ご立派な体躯の御仁が留守を守っていた。

「イヴァン様ではありませんか! お会いできるとは思っておりませんでした」

 挨拶がてらフローラを伴って船員達に続いたところで、妻が一際嬉しそうな声を上げた。

「おお、お嬢様! 益々お美しくなられて。この度はご結婚、まことにおめでとうございます」

 どなたかと妻を振り返る僕に「ストレンジャー号の前の船長でいらっしゃいますわ」と微笑み、フローラは彼の前に進み出る。彼女が紹介するより先に、そのいかにも海の男という風情のご老人は「お話は聞いている。パパス殿のご子息だと」と目を細めて僕を見た。

「……懐かしいな。お父上に連れられていた時はあんなに小さかった坊やが」

 慈しみのこもった太い声に胸を掴まれる思いがする。こみ上げるものを感じながら、ご無沙汰しております、と告げた。

 加齢のため第一線を退いた彼は今、ポートセルミの小さな漁船を取りまとめた組合を運営しているという。少しずつ腕利きの者を集め、海上の自警団的な役割を果たしつつ漁場をじわじわと拡大しているところだとか。

 同時に、ストレンジャー号がこうして不在の際は係船場や埠頭の管理も引き受けていらっしゃるのだそうだ。

 自治が保たれているとはいえ、この街においてもルドマン家の援助の大きさは計り知れない。そもそもカジノ船をあの場所に作った経緯も、海運業が壊滅的であったここ十年ほどの間に卿が打ち出した奇策なのだというから驚きだ。ろくな収益を見込めなかったポートセルミが持ち直したのは、カジノ船から得られる税収諸々のおかげだった。

 渡りに船、と思い、イヴァン殿に今朝方考えついたことを話した。一通り打ち明けたところで、彼はいかつい指先で顎を摩りながら目を細め、「血は争えんなぁ」と呟いた。

「え? どういう……」

「君のお父上にも一度、魔物一掃の助力をいただいたことがあってな」

 目を瞠った。父が、今の僕と同じように?

「さすがに憶えてはいまいな。坊やがまだ赤ん坊の頃、たまたま小舟で行き合った氏が南の海で魔物に囲まれ立ち往生していたストレンジャー号を見事脱出させてくれた。その恩があって数年後、船を使いたいと言ったパパス殿をお乗せすることが叶ったわけだ。あの時の赤ん坊が今また魔物を掃討しようと言い出すとは、いや、縁とはつくづく不思議なものだな」

 思いがけない懐古談に言葉を失った。そこまで古い父の話は聞いたことがなかった。赤ん坊の僕を連れての船旅、ということにもまた驚いたし、やはり父は昔からそういう人だったのだな、としみじみ思うことが出来た。

 僕にもできるだろうか。父さんが為したように。

「お付きの方がまた博識でな。魔物を酔わせる方法などご存知で、これは大層な方々だと思ったものだ。……どうやら、お父上方の知恵が年月を経て君の助けになるかもしれんな。そうは思わないかね? 坊や」

 お付きの方、とはもしやサンチョのことだろうか。他に誰か居たのだろうか。聞きたいことは山ほどあったが、さも愉しげに笑い含む、老いてなお眼光鋭い御仁を前に僕はごくりと唾を飲み、真っ向からその闘志と相対して請うた。

「────ご教示いただけますか。父は、どのようにして魔物の群れを退けたのでしょうか?」

 

 

 

 

 

 小一時間、イヴァン殿と掃討作戦について相談をし、荷物を整理した僕らは兼ねての予定通りサラボナへと飛んだ。

 さほど急ぐつもりはなかったのだが、事情が変わった。死の火山へ向かう前にルドマン家の本宅に立ち寄り、イヴァン殿から預かった書簡を執事に託した。あいにく卿は視察のため留守にしていて、ただ近く戻る予定ではあるとのことだったので、内容を検めてもらえるようお願いして街を出た。

 元々小金稼ぎだけの予定だったのが、宝石を手に入れたいもう一つの理由が出来た。それこそが父が、時を超えて僕に授けてくれた魔物掃討の秘策だった。

「宝石を、砕くのですね」

 パトリシアを励ましつつ馬車を駆る。時折襲う激しい揺れに僕の外套を掴んで身を寄せながら、一頻りの話を聞き届けたフローラが呟いた。

「うん。なるべく細かく、本当は砂くらい細かくてもいいって。だから、欠片でもいいから集めて来てほしいって言われた。特に、魔物から拾える宝石は効果が高いらしいから」

 答えた僕に、フローラがこくりと小さく頷く気配がする。

 手元に少しだけ持っていた宝石は全てイヴァン殿に託して来た。出航までの凡そ十日間でその宝石を砕き、船底に罠を張るのだという。それだけでは到底足りず、これから向かう火山でできる限り多くの宝石を集めて来てほしい、というのが改めて受けたイヴァン殿からの依頼だった。

 代わりに託された卿への手紙は、イヴァン殿率いる組合の実質出撃許可を請うものであった。卿の領海内で事を起こすつもりであること、把握しうる限りの戦力とこれまでの被害について簡単にまとめたものが記されていた。

「大旦那様はこういったことがお好きだからな。寧ろ陣頭に立ちたかろう」とイヴァン殿は笑い、正直僕もまた同じ事を思って密かに笑ってしまったのだった。

「儂も常々腹に堪え兼ねておったのよ。お前達も皆、同じ思いだろう? 今こそ母なる海を我々の手に取り戻すのだ!」

 手紙をしたため終えたイヴァン殿が力強く言い切れば、埠頭に集った屈強な船乗り達も声高にオォ‼︎ と呼応していた。

 僕はまだ、父ほどに強くはない。

 でも、今回はプックル達だけじゃない。こんなにも頼もしい味方がたくさんついていてくれる。

 なんと心強く、有り難いことか。

「……テュールさん」

 暫く黙ったまま、隣で瞼を閉じて内に篭る魔力を探っていたフローラが、つと眼を開けて僅かに振り返った。

「前方に何か、います」

 相変わらず、素晴らしい察知能力だ。小さく頷いて幌を軽く叩き、同時にパトリシアの速度を緩めた。────中から『暴れ足りない』頼もしい仲魔達が身構える気配がする。

「すぐ、終わらせるよ」

 言うより早く、プックルが幌を割って咆哮し跳躍した。飛来したキメラをひと凪で捉え喉元を喰い千切る、瞬間降り注いだ槍をピエールと僕で弾き落とした。仲魔の中でも特に俊敏なこの二匹は地に降りてなお加速し、ガンドフの冷たい息に煽られて草叢に伏せたランスアーミーを次々に薙ぎ払う。その草叢に紛れて、いつの間にか飛び出したスラりんも敵に噛みつき暴れまわっていた。全て斬り伏せた彼らが振り返ると同時にマーリンの炎に翼を焼かれ、僕が斬り捨てたキメラの亡骸が数体、どさりどさりと重い音を立てて地に落ちた。

「プックル‼︎」

 泡を食って逃げ出したベロゴンの群れを追うプックルを即座に押し留め、御者台に立って辺りを見渡した。全員の無事を確かめほっと息をついて、その隣で息を殺していたフローラを覗き込む。

「────、大丈夫?」

 ホイミンが庇うように寄り添っていた僕の妻は、顔色こそ失ったものの気丈にもしっかりした声で「はい」と頷く。微かに震える手で「ありがとう、ホイミンちゃん」と目の前のホイミスライムを撫でやり、馬車の木枠を支えに地面へと降り立った。

 ととん、と軽い足音と共に戻ってきたプックルの側に迷いなく歩み寄った彼女は、その耳許に何事かを囁いてから掌にやわらかな光を灯した。先ほどの猛攻の折にキメラの嘴が彼の後ろ足を抉っていたことを、彼女は見逃さなかったのだ。

 プックルは特に怪我に頓着しない性質だから、あの動きを見て傷を負っているとは普通思わないだろう。当のプックルは顔色一つ変えず、黙ってフローラの施術を見守っていた。

 この遠征の過程で、マーリンがまずフローラに課したことが「出来るだけ多く回復魔法を行使する」ことと「魔力の底を知る」ことだった。次いで、より多くの回数をこなせるよう、必要なだけの魔力を消費できるようになること。出来れば、内に眠る魔力を少しでも多く使えるものにしていくこと。

 一も二もなく承諾した彼女は、サラボナを発ってから愚直に己の中の魔力を探っていた。こうやって時折戦闘にもつれ込んだが、彼女は馬車の中で目と耳を塞ぐことはせず、恐れながらも御者台に居て戦闘の様子を逐一見守っていた。そうして傷ついた者がいれば、いち早く駆け寄って治癒魔法を施した。勿論ホイミンも補佐としてついていたが、この半日の間は全ての回復をフローラ一人で請け負ってくれていた。

「奥方殿は目が良い。彼女は良き後方の担い手になりますな」

 少なからぬ世辞が含まれていたかもしれないが、ピエールがそう評してくれたことは素直に嬉しかった。

「もう少しで水場に着くから、今日はそこで野営しようか。フローラも疲れただろ?」

 さすがにいつも以上に青白い顔のフローラを慮ると「私は、大丈夫です……が」と遠慮がちに言い、僕達の愛馬の凛々しく美しい首をそっと撫でた。

「パトリシアちゃんは、ずっと走り通しですものね。お休みさせてあげないと」

 そんな風に優しく毛並みを撫でられて、喜ばない馬はいない。

 嬉しそうに鼻を鳴らすパトリシアに、お前もか、と内心苦笑し、それからもう半刻ほど馬車を走らせてサラボナの南からずっと広がる湖の端へ出た。湿地帯はそろそろ終わりを告げ、もう半日も馬車を進めれば乾いた砂地と、険しい岩山だけが続く火山の膝下に入っていく。

 湖の冷たい湖水で簡単に汗を流し、火を熾して簡単な夕食を取った。いつも仲魔達にけちょんけちょんにいなされる僕の雑穀粥が、フローラの調味で全くの別物に生まれ変わる。同じものを煮ているだけなのにどういうことだろう。

「お塩一つとりましても、味の染み方がございますから」と彼女は言ってくれるが、さっぱり意味がわからない。

 食後には、少しですが、と彼女があのジャムをスナックと共に差し出してくれて、仲魔達は飛び上がって喜んだ。食べ物一つでここまで士気が上がるのか、と驚嘆する。食えればなんでもいいの精神でここまで来た自分が些か惨めに思えるほどだ。

 ────言っても奴隷上がりなんだから、仕方ないよなぁ。

 こんな時、真実育ちの良い彼女と自分とをつい比べては気落ちしてしまう。だって本当に今まで、そこまで味にこだわることがなかったから。

 そう言えばどこの店だったか、料理にけちをつけていたお爺さんに会ったことがある。酒は美味いが料理は不味い、と散々な言われようだったが、僕はそんなに悪くないと思ったのでそのように答えたら何故だかひどく同情された。別に美食ではないというだけで、普通の味覚だと思うのだけど。

 今だって、フローラの作るものはちゃんと美味しいと思えるんだし。

 簡素ながらも普段の野営時よりずっと満足いく夕食を味わった後、すっかり暗くなった湖のほとりでフローラの水浴びを護衛した。水浴びと言っても水に浸した布で身体を拭うくらいのものだったけれど、彼女が気を遣って周りに見えにくい夜を選んでくれたのだった。ホイミンが茂みの外側で更にトヘロスを重ねがけしてくれている。彼女の側に僕一人が付き従っているのは勿論、仲魔達の余計な気遣いの賜物である。

 星明りにぼんやりと輝く静かな湖のほとりで、ぱしゃん、と跳ねた水音を立てる。暗闇に浮かび上がるフローラの姿は御伽噺で聞きかじった人魚のイメージそのものだった。

 その神秘的な美しさに息を呑む反面、どうしたって性的にそそられてしまい必死に興奮を抑え込んだ。どんなに暗くても、否、暗いからこそ余計に、あんなにも無防備なフローラを前にして理性を保てと言う方が無理がある。

 ……いい加減、けだものじみてるな。本当に。

 はぁ、と熱の篭った吐息を零した時、一通り身体を清め終えて身交わしの服を着直したフローラが「お待たせいたしました」と声をかけてくれた。

「……? どうか、なさいましたか」

「え。いや、なんでも。さっぱりできた?」

 暗くて見え辛いのが幸いした。ため息こそ気づかれたものの、僕の情けない赤ら顔までは見えていない様子の君は「はい、とっても。ずっと見守ってくださり、ありがとうございました」と愛らしく見上げて微笑んでくれる。

「良かった。明日から多分こういうことはできないと思うんだけど」

「平気ですよ。ちゃんと解っておりますし、みんな同じなのですから」

 殊勝な君の言葉が嬉しくて、愛しくて。やっぱり我慢しきれなくて、少しだけ、と己に言い訳しながら華奢な肩を背中からそっと抱きしめた。

「……っ、テュールさん」

 突然の抱擁に、君が僅かに身じろぎし戸惑った声を漏らす。

「ごめん。少しだけ、こうさせて」

 密やかに囁けば、君はまた遠慮がちに頷いて僕に体重を預けてくれる。

 微かな花の香りが心を和ませた。心地よくて、穏やかな、倖せ。

 ほんの僅かな時間だったけれど、フローラを腕の中に確かめたことで満たされてやっと身体を離した。目が合うと気恥ずかしそうに微笑む彼女を、何度でも好きだ、と思う。

「ありがとう。……ゆっくり、休んでね。明日も頼りにしてるから」

 額に軽く口づければ、彼女も素直に頷き、胸許に頰を擦り寄せてくれた。

 火を消して、僕と仲魔達が交替で見張りをしつつ夜を明かした。仲魔達もまた、魔物の気配に聡い。静まり返った夜なら尚更で、馬車に近づかれる前にひっそりと動き出し、草叢で小競り合いをしては戻ってくる。夜が明けてみれば、馬車の周りには身体を失った魔物の核である大小の結晶がいくつも転がっていた。

 苦笑しつつ、それらを拾い上げて道具袋に収めた。大事な大事な、僕ら冒険者の金策の元だ。今回目的としている宝石とは違うものだが、これも加工すれば装飾品や魔導具として活用される。故に状態の良いものほど高く買い取ってもらえる。

 起き出してきたフローラと準備をして、手早く腹拵えをした後、水の補充をしてからまた馬車を走らせた。

 そこから更に三日、火山に近づくほど荒れた魔物との遭遇も増え、二度ほどフローラが限界を迎える惨事もあったものの、これもマーリンの課題のうちなので致し方ない。尚も戦闘に加わろうとするフローラを宥めて馬車の中で休息を取らせつつ、先を急いだ。

「奥方様がお使いになれる魔力量はこの二、三日で着実に伸びております。ご心配は要らぬ。休めばまた施術はできる。役割を得たいとお思いなら、まずはしっかりと休まれることです」

 今や彼女が全幅の信頼を置いている、魔導の師であるマーリンの言葉は特に効いたようで、その後は大人しく魔力の回復に努めていた。どこまでも健気な姿に胸が熱くなる。

 そうしてサラボナを発って四日目の夕方、突然打ちつけてきた夕立ちを凌ぎつつ、僕達の馬車は火山の根元に大きく拓けた洞窟の入り口へと辿り着いた。

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