Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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#5. 水辺の休息

 十分に集まったか、と言われると、余剰な程足りているとは言い難い。

 とは言え、先ほどの出来事の中でここに来て一番の量の宝石を手に入れることができたし。すっかり踊る宝石を狩る気も削がれてしまったので、宝石採集はここらで打ち止めにして戻ろうかという話になった。

 幸い、副産物として昨日までに集めた結晶核が道具袋にたっぷり三つ。換金すればそれなりの額になる。出航までもう数日あるので、宝石商を当たって少し補填してもいいかもしれない。

「ああ、でも一度、汗を流したいな」

 すっかり汗を吸ってじっとり湿ったままの服を嗅いで、思わず顔をしかめた。途中途中で身体を拭くくらいのことはしていたものの、水に浸かることなく五日が経過していた。このまま街に戻るのはちょっと抵抗がある。

 それに今は明け方なので、さすがにこの時間の宿の受け入れはないだろう。恐らく朝の食堂準備にてんてこ舞いの時間帯だ。せめて昼過ぎまで時間を潰したいが、現状ほとんど全員が昨夜から起きて動きっぱなしなので、なんとか交替で休息を取らなくてはとも思う。

「一度サラボナに戻って、湖沿いに人気のないところまで行ってみようか? ついでに仮眠もとってさ、夕方までにポートセルミに戻ろう」

 僕の提案に、皆一様に頷いてくれた。フローラだけが「せっかくサラボナに戻られるのでしたら、別宅をお使いいただいても父は何も言わないとは思いますけれど……」と言ってくれたが、約束もなく訪ねて万が一にも他の賓客と鉢合わせてしまっては申し訳ない。ただでさえ凄まじい不衛生ぶりなので、そこは笑って辞退した。

 深く考えず「今日は天気も良さそうだし、気持ちよく水浴びできそうじゃない?」などと口走ったところで、そうだ、フローラは女の人なんだよな。という考えが過った。先日は夜だったからまだ良かったけれど、この晴天の下彼女を水浴びさせるということは────

 不自然に口籠ってしまったから、多分僕の不埒な考えは透けてしまっただろう。彼女と目を合わせるのが忍びなくて、熱くなった顔をついと背けた。

「と、とにかく、早く休みたいよね。うん、早く行こう?」

 またもやにまにまと緩んだ視線を向けてくる仲魔達をどついて馬車に押し込め、全員馬車に収まったところで、久々のルーラを唱えた。一瞬で転移したその先で、先日と同じく火山への道筋をパトリシアに示す。湖の畔自体は馬車で進むには向かない湿地帯なので、少し離れたところに整備された道を小一時間走らせてから休憩場所を探した。

 パトリシアを先導しながらしばらく行くと、一本の大木を囲むように木々が並ぶ、木陰が涼しい水辺に出た。

 ちょうどいいかな、と思って声をかけようと馬車を覗くと、ほとんどみんな爆睡中だった。反応したのはプックルとマーリンくらいで、苦笑しながら湖についた旨を告げる。幌とガンドフに支えられて眠るフローラの膝の上、ホイミンとスラりんが幸せそうに寝息を立てている。微笑ましくも羨ましい構図だ。あまり見たことがないフローラのあどけない寝顔にささやかな悦びを覚えつつ、起こさないようそっと幕を閉めた。

 魔族に身体を洗う習慣があるのかは定かでないが、マーリンはさっさと茂みの陰の見えにくいところへ行ってしまい、僕はプックルに水をかけながら丁寧に毛並みを整えてやった。

 水はあまり好きではないプックルだが、こうして手入れをされるのは子供の頃からさほど嫌がらない。

「気持ちいい?」

 声をかけると、フニャンと珍しく甘えた声を出す。なんだか可笑しくなって「なんか、久々だね。こうやってプックルを綺麗にしてやるの」と耳の後ろを撫でてやった。身体も大きく、信じられないほど勇猛になった君だけれど、やはり僕にとってプックルはいつまでも甘えたがりのままなんだな、としみじみと思う。

「小さい頃は結構怖がって、僕の後ろで小さくなったりしてたのにな。今は絶対僕より先に前に出ちゃうんだから、ほんと敵わないよ」

 声を潜めてくすくすと昔話を囁いたら、どこか不服そうに眉間に皺を寄せてプックルが鼻を鳴らした。びしょびしょの身体を猫の如くぶるるる、と震わせてわざとらしく水を飛ばしてくる。「こら、やめろって! もう」と笑い含みに止めたら、フン、と鼻息も荒く勝ち誇った顔で僕の周りをぐるりと歩き、さも満足げに寝そべった。

 まるで王様の如く悠々としたプックルの表情にまた笑いを堪えつつ、今のうちに汗を流しちゃおうかな、と思い立ってターバンを外し外套を脱ぐ。ずっしりと汗を吸って重い布地に憂鬱な息が漏れる。宿に着いたら、これも全部洗濯しないといけない。

 こっそりと幌の気配を伺い、まだ妻が起きてこないことを確かめて。腰布以外の着衣を取り、急いで湖に身体を沈めた。

「……冷てッッ‼︎」

 全身の血管がキュッと締まり、鳥肌とともに思わず情けない声が出た。

 日が昇ってしばらく経つけれど、朝の湖はやはり冷たい。普段水場でこんな風に全身浸かって洗ったりしないのだけど、脱いだところをもしフローラに見られたら、と思ったら恥ずかしくてたまらなかったのだ。歯の根ががちがちいうのをこらえて手早く髪を解き、べとついた頭皮を懸命に擦る。宿に入れば湯でしっかり洗えるけれど、とにかく今はこの不快感が少しでもどうにかなれば。

 ……ちょっとは、ましになったかな?

 溜息のぬるさが却って身体の冷えを際立たせる。一度上がって身体を拭こう、と思い顔を両手で拭ったその時、ばしゃん! と盛大に水が撥ねて「つっ……めたあああいっっ!」という舌ったらずな大声が耳のすぐ近くで響き渡った。

「……スラりん。起きたの?」

「おきたー! ここつめたいよごしゅじんさまー!」

「うーん、昼になればもう少しぬるくなるとは思うんだ、けど、……」

 ぷかりと浮かんだ青い軟体を掬い上げ、何気なく返していた言葉がじわじわと詰まっていく。スラりんに続いて「ホイミンもおきた〜」と漂ってきたホイミスライムのその向こう、幌幕をかき分けて碧い髪が──フローラが顔を覗かせたのだ。

 まだぼんやりと眠そうな顔つきだった彼女は、水に浸かった僕と視線が交わるなり、その翡翠の双眸を大きく見開いた。真っ白な肌をかぁっと真っ赤に染め上げて息を呑み、首まで紅潮しきった顔を慌ててぱっと背ける。

 ──────待て待て待て‼︎‼︎

 裸を見られるのなんて初めてではないのに、なんなんだこの気恥ずかしさは。よく考えればもっと恥ずかしいことだってしているというのに、寒気なんてどこかへ行ってしまいそうなほどの羞恥で今まさに頭が沸騰しそうだ。

「いやその、えっと、先にさっぱりしたいかなと思って‼︎」

 こちらも反射的に口許までばしゃ‼︎ と水に沈め、早口にまくしたてた。何を口走っているか自分でもよくわからない。「あ、はい、……ごめんなさい」と首筋まで真っ赤に染まった彼女もまた目を逸らしたまま、幌の中へとその背を吸い込ませていった。

 ……こういう時って、どういう顔をしたらいいんだ。

 未だ心臓と顔ばかりが熱くどくどくと脈打つのを感じつつ、ばしゃり! と顔に冷水を打ちつけ嘆息した。いや、確かにまだ結婚してそう経ってないけども。気持ちもちゃんと通じあって、ここまでそれなりに密な時間を過ごしてきているというのに、未だにこんな反応をしてしまう自分がなんとも情けない。

 冷たい水が嫌なのか、僕の頭上に避難したスラりんが「どうしたのー? ごしゅじんさま、かおまっかー」と能天気な声で呼びかける。苦笑いを嚙み潰し、スラりんを地面に下ろして僕も湖から上がった。

 冷えた肌にまだ涼しい朝の風が痛いほど刺さる。鳥肌に耐えつつ用意していた布で手早く身体を拭き、乾いた着替えに身を包んで、やっと気持ちを落ち着かせることができた。

「……フローラ」

 未だ静かな馬車の中をそっと覗くと、暗い中、まだ夢の中の仲魔達に紛れてフローラが所在なく座り込んでいた。僕の呼びかけにぴくりと反応し、わずかに顔をこちらに向ける。

「──、すみませ……なんだか、その」

 彼女もまだ顔が紅潮したままなのだろうか。隠すように両手で頰を包んで、フローラは辿々しくも言葉を選び視線を彷徨わせた。

「……どきどき、して……止まらなくて……」

 かき消えそうな、儚い声。

 肩を抱いて、恥じらいを隠さず俯く可憐な横顔に、彼女も僕を意識してくれているのだと思い知った。僕もまだ気恥ずかしさに苛まれていたけれど、小さく身体を震わせる彼女を愛おしく思う気持ちの方が勝ってしまって。

「……こっち、来て? フローラ」

 声を潜めて手招きをしたら、遠慮がちに幕の側へと身を寄せる。その華奢な身体を、壊さないようにそっと捕まえる。

「大好き、だよ……」

 胸をいっぱいに満たしていく気持ちを、溢れるままに口にして。

 碧い髪が、さらりと僕の肩にかかる。抱き締めた服越しにとくとくと小さな鼓動が伝わって。僕の高鳴りも、今君に届いているだろうか。

 心が同じだと、感じられることがこんなにも幸せだなんて。

「……好き、な、気持ちが、止まらなくて」

 僕の肩に頰を押しつけた君が、か細い囁きを耳許にそっと吐き出す。

「しあわせなのに……苦しい、です────」

 ああ、もう。

 そんな気持ちまで、僕と君はきっと一緒だ。

 好きで、好きでたまらなくて。近づきたいのに歯止めが効かなくなるのが怖くて。想いを通わせあって、ただ幸せなだけでいられたなら。感じる幸せの大きさに比例して、甘やかな切なさも、どうにもならないもどかしさも日増しに大きくなっていく。

 そんな苦しさだって、愛おしいと思えるほど。

「あ、……ごめん、髪が濡れたまま」

 君の髪に、襟口にぽたりと雫が降っていることに今更気づく。身体を離そうとしたけれど君はふるりと頭を振り、尚も肩に額を押しつけて僕にしがみついた。

 ────触れたいよ。

 抗い難い衝動に負けて、一度だけ、と目の前の君をきつくきつく抱き締めた。びくりとしなった背が震えて、すぐに腕の力を緩めればけほけほと小さく咳き込む。

「……これでも、すごく我慢してるんだ」

 潤んだ瞳を下から覗く。優しい、澄んだ眼差しが困ったように僕を見つめ返した。唇を寄せてしまいたい追の衝動を堪えつつ、微笑んでその頰をそっと撫でる。

「でも、黙って見せる気にもならないからね。これ以上」

 え、と目を瞬いた彼女がばっと後ろを振り返った。その背後で、いつの間にか起きていたガンドフとピエールが大変生ぬるい微笑みをたたえて僕達を見守っていたのだった。実は馬車の外でも他の仲魔達がにやけながら並んで僕らを見上げていたのだけれど、フローラがそこまで気づいていたかどうか。

「何、拙者らに気遣いは無用。さ、遠慮なさらず続きを、どうぞ」

 ほとんど全身、爪の先まで真っ赤になって固まったフローラに、ピエールが嫌味なほどにこやかに追い討ちをかける。

 ……声にならないフローラの叫び声が、サラボナ一帯に広がる湖畔を揺るがしこだました。

 

 

 

「恥ずかしくて、表に出られません……」と馬車の隅に小さくうずくまった彼女を宥めてなんとか連れ出した。僕はいいけどフローラをあまり揶揄うなよ? と、澄まし顔のピエール達に釘をさすことも忘れずに。

 改めて、みんなで火を囲んでスナックとジャムの朝食をいただいた。やっぱりフローラのジャムはとても美味しい。疲れた身体に優しい甘さがじわりと沁みて、活力になっていくのがわかる。

 あっという間にひと瓶空になってしまうのを見て、フローラが控えめに微笑みながらも「もっとたくさん作らないと、砂漠でもすぐに使い切ってしまいそうですね」と言ってくれた。「うん! もっと〜!」「もーっとほしーい‼︎」とはしゃぐスライム属の二人にくすくす笑い、「そうね。他の果物でも作ってみましょうか? いろんな味を選べたらきっと楽しいですよね」と答える僕の妻は正しく女神か聖母そのものである。その横顔にうっとりと魅入りつつ「そしたら、本腰入れて買い出ししなくちゃだよね? 明日か明後日、一緒に行こうよ」と誘ってみたら、嬉しそうにきれいな笑顔で頷いた。天使だ。

 朝食の後は仮眠を取らせてもらった。思いのほか水が冷たいことを伝えて、水浴びするかどうかはフローラの判断に委ねることにした。側についていたいけれど、ついていたら正直もう我慢できる自信がない。

「ふろ〜らちゃんがあらってるあいだ、ホイミンとスラりんがまもる〜!」とスライム属達が騎士よろしく宣言してくれたので、悔しいが今回は彼らに任せて、些か悶々としつつ暫し木陰でうたた寝をした。

 怠い身体の隅々まで、とくとくと血が巡っていく感覚が心地よい。

 ほんの一時間程度のつもりだったが、目が醒めると太陽がすっかり頭上を通過していた。すぐ隣の木の幹に身体を預けて座ったフローラは半乾きの髪を珍しく編んでまとめていて、「スラりんちゃん達が居てくれましたので、安心して水浴びが出来ました」とはにかみながら教えてくれた。その後は僕と一緒に少しうとうとしつつ、水遊びをする仲魔達をここから眺めていたらしい。

 僕はといえば、目覚めたら君が傍らにいてくれたことで、まるで膝枕でもしてもらっていたような錯覚を覚えてしまって。気づかれないようこっそりと吐息を零して、妙な興奮を誤魔化した。

「そういえば、初めてちゃんとフローラの寝顔、見たかも」

 横たわったままフローラを見上げて囁いたら、君はまた頰に鮮やかな紅を点して顔を背けた。

「……初めてだなんて、大袈裟ですわ」

「大袈裟じゃないよ。いつもフローラの方が先に起きてるじゃないか」

 僕の言葉に視線を泳がせたフローラが「そんなこと……」と口籠った。困らせてしまうのは本意でないにしろ、そんな風に俯く君も可愛くて、つい弄りたくなってしまう。

「そうか、そういえば祠でもちょっとだけ見たかな。あと『あの夜』も寝てはいたけど、実際眠ってなかったんだから数には入らないよね?」

「もう、テュールさんっ!」

 恥ずかしそうに声を上げた彼女の桜貝の唇に、笑いながら人差し指を押し当てて。

「そんなに大きな声を出したら、気づかれちゃうよ」

「──っ……」

 またもや顔全体を真っ赤に染めたフローラの掌を捕まえたまま身を乗り出して。ほんの一瞬、柔らかな珊瑚色に自分の唇を押し当てた。

 すぐに離して賑やかな水辺を振り返り、今度は誰にも気づかれなかったことを確かめて。まるで大人の目を盗んで悪戯をする子供のようだ。顔を見合わせれば可笑しくなって、どちらからともなくくすくすと笑い声を零しあう。

 ああ、────幸せだな。

 ほんの二、三ヶ月前には考えもしなかったこと。君という人間が存在することを全く知ろうとしなかったこと。欠片も興味はなかったくせに、知ってしまったらもう、逃れられなかった。

 こんなに満たされてしまったら、もう君なしでは無理だよ。

 僕が起きていることに気がついた仲魔達がびしょ濡れのまま次々に戻ってくる。彼らを拭いてやっている間にフローラが温かい粥を準備してくれたので、みんなで遅めの昼食にした。片付けた頃にはだいぶ陽も傾いてきていて、肌寒くなる前におよそ一週間ぶりのポートセルミへと転移した。

 雑多な諸用は全部明日に回して、すぐに宿の手続きをした。フローラと交代で久々の湯を使い、下の酒場で夕食をとった後、船に帰還を告げるため僕だけ外に出た。

 少し湿った潮の香の夜風が、ここが港町であることを教えてくれる。

 いつもながら一際立派な係船場では、カジノ島の送迎を終えて次の出航準備をしていたストレンジャー号が僕を出迎えてくれた。

「イヴァン前船長から簡単に話は聞きました。面白いことになっておりますなぁ。大旦那様からの言伝も預かっております。明日の昼過ぎにでも改めて、お打ち合わせを致しましょう」

 僕の姿を認めた船長は穏やかに僕を労い、今夜はゆっくり休息をとるように言ってくれた。お心遣いに感謝しつつ、明日また色々と相談させていただく約束をして、足早に宿に戻った。

 起きて待っていたいとフローラは言ってくれたが、眠かったら気にせず寝るよう念を押して出ていた。果たして、彼女は椅子に腰かけたままことりと意識を手放していた。そりゃそうだ、六日もの間ずっと馬車か洞窟の中で、あれだけの冒険をすれば相当疲れているだろう。軽い身体を抱き上げると、いつもの優しい花の香りがした。ベッドに彼女を横たえ、額にかかった碧い髪を払ってやって、静かな寝息が零れる柔らかな唇を少しだけ、どきどきしながら啄ばんだ。

 眠り姫は目覚めなかったが、ほんの微かに「……ル、さん」と寝言で僕を呼んでくれた。どきりとしたけど、彼女はより深い眠りに堕ちていったようで。初めて彼女の穏やかな寝顔をじっくりと堪能して、最後にもう一度だけ口づけてから、寝る前に軽く鍛錬してこようと思い立ち、父の剣を持って再び宿の外に出た。

 

 

 

 本当はもう一度だけ、寝顔を見たことがあるのを思い出していた。

 でも、あの時の君は、どこか切なそうな寝顔で、一筋の涙が頰を伝っていたから。

 夢の中で何か辛い思いをしているんじゃないか。不安になって揺り起こしたら、君はたまらない笑顔でとびきりの言葉をくれた。

 ────僕と出逢ったあの瞬間、泣きたいほど嬉しかった、と。

 視線が交わったあの時から同じ気持ちをずっと、育ててきたんだって。

 父の悲願を忘れはしない。母を救うという、人生の目的も。

 ……でも、僕は彼女に教えられてしまった。僕自身が望んで果たしたいことが、今の僕にはある。

 力が、欲しい。

 共に来てくれる彼女を、絶対に失わずにいられるだけの力が。

 人間の身体ではどうしようもないことかもしれない。けれど、どんな巨体が相手だろうと、真正面から受けて力負けする、なんてのはもう懲り懲りなんだ。

 誰もいない街の外れで一人身体を馴らしていたら、ひょっこりと現れたピエールが「お相手致そうか」と不敵な声をかけてくれた。彼もまた、夜も含めた自由な時間にはこうして散歩をしたり、鍛錬や狩りをしたりと割と気ままに過ごしているのを知っている。

「助かる。ピエールの剣は速いからね」

「あるじ殿も、だいぶ返しが速くなられましたな」

 にんまりと笑いを含ませた彼の返事に、やはり彼は武人なのだな、と頼もしく思う。

 それから小半刻、相方と剣で打ちあってから宿に戻った。シャワーでざっと汗を流し、がしがし拭いて妻の眠る寝台へと潜り込む。フローラはぐっすりと眠っていて、愛らしい寝顔を間近で見るとたまらぬ幸福感にこの心を酔わされる。

 ────結婚したんだ、ってこんなことで実感するのはおかしいかな。

 部屋に戻ったら当たり前に君がいる。こんな奇跡がどうして我が身に起こったのか、未だに信じられない心地になる。

 彼女の額に軽く口づけて、小さな頭を胸に寄せて横たわった。久々の柔らかな寝床に身体を沈ませると、吐息と共に心地よい疲労感が指先まで滲み出ていく。甘やかな花の香りに誘われて瞼を閉じた。あっという間に僕の意識は深い眠りの底へと潜っていって、そのまま朝も遅い時間までぐっすりと熟睡してしまったのだった。

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