Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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#7. 内なる混沌

 いよいよ出航前日という日の昼時前、フローラと連れ立ってラインハット城を訪れた。

 婚礼の翌日に寝過ごしてしまい、ヘンリー夫妻を見送りそびれたことをずっと悔やんでいた。遠方へ旅立つ前に挨拶に行こうと思ったものの、海路で戻ったヘンリー一行がいつ頃ラインハットに到着するのか、今ひとつ見当がつかなかった。

 二週間経てばそろそろ着いている頃かと思い、約束もなしに勢いで訪問してみたところ、毎度のことながらラインハットの衛兵達には大いに歓待され、すぐさま城内に通していただいた。

 ヘンリー夫妻は数日前に帰国したばかりらしく忙しくしていて、今日もちょうど領内の視察に出るところだった。突然訪門した非礼を詫びたが、「まあ、そんな便利な魔法が使えちゃ仕方ない。神出鬼没にもなるよな」と苦笑して返された。

 王兄殿下の私的な謁見ということで通された広間ではデール国王陛下のご同席も叶い、新妻を紹介し、また急であっただろう義父の招待を快くお受けくださったことへの謝辞もお伝えすることが出来た。

 ヘンリーの異母弟であるデール国王陛下は兄に似ず、温和で純朴な雰囲気のお方だ。ヘンリーが行方知れずとなってわずか一年後に父王を病で失い、まだ幼かったデール様は母である太后を後見役として王の座に就いた。その母君がいつからか、魔物に成り代わっていたわけだが。

 僕とさほど変わらぬ若さで国主として立つ覚悟はいかほどの重圧か。しかも魔物の策謀の下、搾取され荒廃させられたあとの領土を彼は厭うことなく受け入れ、領民の為に力を尽くしている。

「伝説の盾が見つかれば、との一念でサラボナ行きをお勧めしたのですが、それ以上の素晴らしい出会いを得られたのですね。本当に良かった……!」

 本来ならば雲の上のお方だというのに、旧くからの友の如く飾らない祝辞をくださる。フローラと二人、微笑みあってから礼をとった。そんな僕達を、国王陛下と王兄夫妻は温かな眼差しで見守ってくれていた。

「ひとつ、これはあくまで個人的なご相談なのですが。実は今度、西の内海の魔物退治を考えておりまして────」

 そう、出航前にこの話を通しておきたかったのもあって、無理を押して訪問させてもらったのだ。ビスタ港を起点とする北東の内海は主にラインハット王国の領海になる。西側で魔物を狩るというだけでこちらに何がしかの影響があるかはわからないが、西の大陸とは国同士で連携するような関係でもないだろうから、せめて情報だけでも入れておきたかった。

 だからこそ、次にヘンリーの口から出た言葉には息が止まるほど驚いた。

「ああ、その件なら先日手紙を頂戴したよ。ルドマン公から」

「────は⁉︎」

 思わず素っ頓狂な声が出た。僅かに息を呑んだ隣の気配はフローラだ。いちいち情報が早すぎやしないか、否、ルドマン卿の根回しが早すぎるんだ。このタイミングでヘンリーが連絡を受けているということは、ラインハットに無言の共闘を要請しているも同然じゃないか。

「は? じゃねーよ。お前が指揮って西海の魔物を蹴散らしてくるって話だろ? 面白そうなことやってんじゃん。いや寧ろ、珍しいか。そういうの自分から首突っ込んでくタイプじゃないもんな、お前」

 ずけずけとひとの性格分析までしてくれる。間違ってはいないけど、よりによってフローラの前で人を物臭坊主みたいに言うのはやめていただきたい。

「いや、まあ確かに、テルパドールへ向かうついでではあるんだけど。……魔物に手を焼いてどこも船を出せずにいる中、協力して下さるんだ。僕達にできることがあるなら、喜んで力になりたい」

 卿の船ならいざ知らず、戦力を持たない小舟の多くは日々の漁すらままならない。今以上に船を出せなくなれば恐らく内海にはますます魔物が跋扈するようになり、制海権を人の手に取り返すことはほとんど不可能になるだろう。

「それに、海路が分断されるような状況が良いはずないだろ? 少しずつでも船が行き来できるようにしたいんだ。船を待っている人も、出したい人もたくさんいるってわかったから」

 指を組み、言葉を選びながら答えたら、ヘンリーがどこか眩しそうに目を細めて僕を見た。

「やっぱり、変わったよな。お前」

「──そう……かな」

 そう、かもしれない。十年ぶりに自由を手に入れて、それでも頭を占めていたのは父と、母のことばかり。やっと父の遺志を果たせる、その思いばかりが逸って、正直ラインハットのいざこざに関わるのも少し煩わしく感じていた。どうやら太后が何者かに成り代わられているらしいとわかった時も、ヘンリー一人に行かせられない、という綺麗事以上に、父を死に至らしめた事件の真相を少しでも知りたいという下心が大きかったからこそ協力したようなもので。そういう事情がなかったら……マリアさんのような、純粋な善意だけでは手伝わなかったかもしれない。戻るべき祖国がある彼を疎んじて、無謀だと突き放したかもしれない。決別して、先を急いでいたかもしれない。

 薄情だな、と今更ながら、思う。

「ま、元々押しに弱いんだ、こいつは。お袋の偽物討伐だって俺が押し切って付き合わせたようなもんだったし。だから今回の西海の話、乗せられて仕方なく、ってんじゃないならお前にしちゃ随分立派だと思ったんだよ。そんだけ」

 褒めているのか貶しているのか、揶揄い口調のヘンリーを軽く睨み、僕は敢えて国王陛下に相対し姿勢を改めた。

「……恐らくポートセルミとサラボナの狭間、セルマー海峡が主戦場になるかと予想しています。こちらへの影響については何とも言えませんが、僕達はその後南下しますので追い立てられた魔物が北へ流れる可能性があります。念のため、海洋と沿岸の警備の強化をお願いできればと」

 ビスタ港とポートセルミ港の間にはカジノ船があるので、多少流れてもそこで食い止めてもらえる期待はある。が、万が一ということもあるから。

 話を一通り聞き終えたデール国王殿下は、思った以上に硬い表情のまま暫く黙り込み、やがて逡巡しつつも頷いた。

「分かりました。と言いましても、我々はビスタ港を守るので精一杯かとは思うのですが……」

 どこか腰の引けた物言いに引っかかりを覚える。何某かの事情があるにせよ、僕が持ちかけたのはあくまで受動的な警備の話だ。

「実は先日、オラクルベリーに行く機会がありまして。町の方にビスタ港の連絡船について聞かれました。できれば、この機に連絡船の復興を視野に入れて動いていただけたら、と思ったのですが……」

 顔色をちらりと伺いながらもう一歩、踏み込んでみたが。若き国王は見るからに暗澹たる表情になり、眉尻を落としたまま力なく首を振った。

「──申し訳ありません。そもそも、船がないのです。偽の母が次々に廃棄させてしまい、ビスタ港に入れられる客船がありません。それでもここ数年はたまに連絡船を出せていたのですが、半年ほど前でしたか、最後の客船が魔物の襲撃にあって沈んでしまいました。新たに船を造ろうにも職人がおらず、恐らく処刑してしまったか、国外に逃れたものかと。……他国から購入しようにもお恥ずかしながら、今の我が国にはその余力もありません」

 僕も、フローラも愕然として言葉を失った。

 東の大国と謳われたラインハットが、それほどまでに衰弊していたなどと誰が想像出来ただろう。

 魔族の謀略を退けた。城下にも笑顔が戻り始めた。誰もが王兄殿下の帰還を喜び、圧政の終りを祝っていた。ラインハットは在りし日の平和を取り戻したのだと、信じて疑わなかった。

「今や、大国の意地で建っているだけなのです、この国は。たった十年の内に兵士も、領民も随分と減らしてしまいました。──幼かったとは言え、母を止められなかった僕の咎です。僕がもっとしっかりした子供だったら、頼りないなんて思わせなければ、きっと母にあれほどの愚行を冒させることはなかった……」

「お前に何の責がある。それを言うなら俺が、あの頃捻くれずにもっとちゃんと親父と向き合っていればこんな事態は避けられたかもしれん。そもそもお袋に道を誤らせたのも、俺が世継として心許なかったことが第一の原因だろうが」

 険しい声音でぴしゃりと遮った実兄の言葉にも苦く笑って項垂れる。そうだろうか、と僕も思ったが口にはしなかった。

 幼いヘンリーが例えどんなに人望厚い第一王子だったとしても、あの頃の継母君はやはり彼を陥れようとしたのではないだろうか、と思ってしまったのだ。それは決して彼の、この兄弟の罪ではないのに。

 それでも彼らは、そこまで負ってゆかなくてはならないのか。

 たった今まで華々しく見えていた、為政者の水面下を垣間見たような心地がした。

「ま、幸い王族用のと兵船は数隻残してあるからさ。そうだ、久々に兵船出せばいいじゃん。こういう時のための備えだろ?」

「兄さん、あまり簡単に言っちゃ……」デール国王が困惑した様子で兄の思いつきを諌めたが、すぐに僕を振り返ると安心させるような穏やかな笑みを向けてくださった。「いえ、でも。やれるだけのことはやらせていただきます。ルドマン公に頼りきりでは情けないですから」

「ありがとうございます。……無理をお聞き届けいただき、本当に申し訳ないです」

 僕の言葉とともに、隣ですっかり消沈した様子のフローラが深く頭を垂れた。

 この様子では、実はサラボナに向かう際も相当のご苦労があったことだろう。国の威信を懸け送り出してくださったに違いない。……そう思うと、義父は実はラインハットを試しているのではないか、などという空恐ろしい考えまで過ってしまう。肚の中で何を考えているか僕には測れぬ方だから、ただの愚かな憶測に過ぎないことを祈るしかないけれど。

「いいんだよ。オラクルベリーの町民の要望なんて、本来は俺が聞いて来なきゃならんところだ。伝えてくれてありがとうな」

 すっかり王族の顔つきになったヘンリーが大人びた微笑みを向けたが、次いでその口許を引き締め声を一段下げた。

「……しかし、用心しろよ。テュール」

 彼の一言が場の空気を一瞬で塗り替える。自然伸びた背筋に嫌な汗を感じながら、僕は彼の視線を正面から受け止めた。

「お前ももう、判ってるだろうけど。……あの内海の中央にある山、俺達が『大神殿』を作らされてたとこ、だろ」

 ひどく真剣な声音でヘンリーが断定した内容に、僕もマリアさんも僅かに眉根を寄せた。僕のすぐ隣にいるフローラと、黙って話を聞いていらしたデール国王陛下も身動ぎしたのが伝わった。

この場に居合わせた面々は、程度の差はあれども、光の教団がどういう集団なのか薄々理解している人達だ。

「……ヘンリーもやっぱり、気づいてたんだ」

「そりゃあな。──何もかも教団の所為とするのは尚早だろうが、場所的にも、魔物の勢力図的にも怪しいじゃないか。もう何隻も沈まされてるんだろう? うちも実は、先の航海中に何度か魔物に捕まって手こずった。例の海峡もそうだし、ポートセルミ沖でも何度かやらかしたな。無事切り抜けられたから良かったけど」

 ヘンリーの回顧談にぞっと肝が冷えた。淡々と語っているが、マリアさんが同乗した船への度重なる魔物の襲撃。生きた心地がしなかったのではないか。本当に、無事に戻れて良かったとしか言えない。

「光の教団は魔族と繋がりがある。証拠は出せなくとも俺達は知っている。俺達を拉致し教団に連れ込んだのが他ならぬ魔族だったんだからな」

 苦々しげな彼の呟きに唇を噛み、一度だけ黙って首肯する。

 海で、陸で。人間の世界にじわじわと影響を及ぼしつつある、新たな神を崇める教団。魔族が崇めるなら、それは魔神と呼ぶべきものではないのか?

 それこそ夢物語か、御伽噺でしかなかった話。遥か昔の勇者の伝承譚は魔族の神か、魔王の復活から語られてはいなかったか。

 ──ならば余計に、早く現れてくれればいいのに。

 まだ見ぬ勇者に身勝手な苛立ちを覚える。生まれる前からレヌール城は魔物によって滅ぼされていたし、恐らくは神殿建設だって始まっていた。そんな僕が今度、十九歳になるのだ。凡そ二十年以上も前から闇の手による侵食は始まり、未だ誰にも止められずにいる。

 一体いつから、魔族はこの世界に手を伸ばしてきたのだろう。

 そして、世界を救うという勇者は、いつまで魔族の侵攻を許せば現れるというのか。

「目を光らせてはいるが、この大陸にも恐らく教団の手の者が居る。すぐに手を下すには正直俺も報復が怖いんでな、悪い。ただ、そいつらの足取りは把握しておく。俺達の領内で教団の好きにはさせるかよ」

 相変わらず頼もしい幼馴染の言動に、やっと少しだけ、ぎこちなく笑うことができた。

「お前のお袋さんの件も、案外教団に繋がってたりしてな」

「……嫌だな。教祖とか言われたら、さすがに落ち込む」

 そういう意味じゃねぇよ、とヘンリーは笑ったが、僕は申し訳程度の微笑みを頰に貼り付けて首を振った。

 魔界に囚われているという母親。今も生き永らえているなら、逆に何のために生かされているというのか。それほどの存在価値を僕の母が持つという、母という以外何も知らない人だけれど、だからこそそれがどうしても理解しきれなくて。

「ま、気をつけて行けよ。藪つついて蛇、くらいで済めばいいけどな」

「脅かすなよ……万が一やばいのが出たら、さすがに今回は退くよ。それくらいの分別はある」

 薄く苦笑いを返したら、翠の瞳に一際強い力を込めたヘンリーが僕を見据えた。

「親父さんの仇が現れても、か」

 不意打ちで囁かれた、鋭利に研がれた一言に。

 身体中の血がざわりと逆立つ。

 ……考えなかったわけでは、ない。

 人にはあり得ぬ蒼い顔。禍々しい、死神のような立ち姿を忘れた日はない。しかし十年、あの忌まわしい場所に居て一度も奴らにまみえることはなかった。ヘンリーの言う通り、教団に囚われて魔族を見たのは幼い頃のその一度きり。確証というには弱すぎる。それでも、僕らをあの場所に連れてきたのは紛れもなく奴らであって。奴らは奴らの『神』を盲信していて、そのために教団を、神殿を作り上げようとしていて、だからこそ父の仇は間違いなくあの教団に繋がっていて。

 今この時、僕はどんな顔をしていただろう。

「──……今は、退く」

 自分ものとは思えない、

 低い、呪詛めいた声が喉から溢れた。

「僕の私情で、皆を危険には晒せない」

 黙って隣に寄り添ってくれる妻の気配が、今は痛いほど精神に刺さる。

 本当は、

 あの魔族らを目にした時にどうなるか、自分でも解らない。

 恐れに身がすくむだろうか。

 怒りに精神を喰われてしまうだろうか。

 刺し違えても滅したい、と願ってしまうか、

 死の淵を見てそれでも生に縋りつくのか。

 ──────駄目だ。

 僕が思い出さなくてはならないのは、あの炎にもう誰も焼かせはしない、その誓いだけだ。

 緩く、瞼を閉じて息を吐いた。若干の冷静さを取り戻した頭がやっとまともに回り始める。それと同時に、いつの間にやら爪が食い込むほど握り込んでいた拳に温かなものが触れていたことに気がついた。僕の思考を邪魔しないよう、ただ添えられただけの優しい手。

 この手のためにも、生きて、守ると決めたのだから。

「……大丈夫。今回は、仇を討つための戦いじゃないから」

 今度は、ちゃんと落ち着いて言えた。

 それを聞いたヘンリーもまた、ほっとした表情で息を吐いた。

「その顔だと、今の話は全部理解できているようだな? フローラさん」

 不意に話を振られて、僕の傍らに控えていたフローラが真剣な面持ちのままこくりと頷く。何を示唆したものか僕には分からなかったが、ヘンリーは満足げに頷くと「良かった。そういうわけだから、テュールをよく見ていてやってくれよな」と続けた。

 どう言う意味かと顔をしかめてみせたら、「いくらお前でも、フローラさんの前でそうそう無茶はやらかさないだろ」とやや呆れた声で諭される。似たようなことをピエールにも散々言われている気がするが、そこまで言われるような問題行動をやらかしたことがあっただろうか。釈然としないまま更にヘンリーを見つめ返せば、ため息混じりに「これだから、自覚のない奴は嫌なんだ」と呟かれた。……かと思いきや、

「普通の神経の奴はなぁ。地上から遥かに高い、床のない吹き抜けを! 何もない空中を! 歩いて渡ってみようなんざ考えねーんだよ‼︎」

 突然どえらい剣幕で神の塔の一件を捲し立て始める。心臓ガメゴン製のてめーと一緒にすんじゃねぇ‼︎ と重ねて食ってかかるヘンリーに怪訝な顔を向けた僕の隣で、フローラが想像したのか身体を強張らせたのが伝わってきた。

「修道院の南にある塔なのですが、最上階に擬態の魔法を解く宝具が置かれていたのです。が、宝具への道が不思議なことに目に見えない、道なき道になっておりまして……」とマリアさんが丁寧に説明してくれたが、ああ、それは逆効果です。高所恐怖症のフローラはすっかり顔面蒼白で「わ、渡られたのですか……そこを」と縮こまりながら呟く。彼女を安心させたい一心で、小刻みに震える掌をそっと握って体重だけ引き寄せた。

「あれはあの道で正解だっただろ。他に渡る方法あった? 大体いきなり渡ってない、念のため剣でつついて確かめたし」

「それだよそれ! 確認してるから大丈夫ーとかのほほんと言いやがって。吹き抜けのど真ん中で俺、片足落ちたよ⁉︎ いやマジで死んだと思った」

「よく言う。ずっと僕の腕掴んでたし、ちょっと踏み外しただけじゃん。すぐに引き起こして何ともなかったよね?」

「そういうことじゃねぇよ莫迦野郎が! あれここ床ないねごめんとかほざいたの、一生忘れねーぞ。お前、もしマリアが落ちてたらどうしてくれんだよ。次はフローラさんかもしれないんだからな⁉︎」

 それを言われるとちょっと痛い。僕自身は高いところは全く平気で、触ってそこに見えない床があるのはわかったから大丈夫な自信もあった。しかし確かに二人は完全に腰が引けていたし、強引だった感は否めない。その頃既に仲魔だったスラりんとピエールは、一見何もない空中をよたよた歩く僕らを向こう岸でぽかんとしながら眺めていたのだった。ほら、また清らかなる乙女やラインハットの王族じゃないと宝具を手に取れないなんて言われるのは癪だし、一人で行ってうっかり足を滑らせてはそれこそ目も当てられないし。だから、二人には申し訳ないけど支え合いつつ無理矢理ついてきてもらった、というのが正直なところだった。

 あの塔はとにかくずっと何かに試されている感じがして、それが居心地悪くて正直早く抜け出したかった。父と、恐らくは母の幻影を見せられたのも、惑わされているようで決していい気持ちはしなかった。

 せめてこの二人……ヘンリーとマリアさんの前でなかったなら、もう少し素直に感傷に浸ることもできたかもしれない、けど。

「わかった、もっと気をつけるよ……」

 半ばうんざりしつつ答えたら、やっと溜飲を下げたらしく勝ち誇ったように睨みつけられた。

「ほんっと、こいつのこういうところがむかつくんだよ。空飛ぶ魔物を仲魔にするとかあっただろうが、頭使えよ頭! こないだ馬車でホイミスライム見た時正直殺意わいたぞ俺は。フローラさん、苦労するだろうが頑張ってくれよ? テュールの『大丈夫』をくれぐれも信用しすぎるんじゃないぞ!」

 すっかり怯えて頷くばかりの新妻に何を余計なことを言ってくれているのか。「だから本当に大丈夫な時しか言わないって!」と殆ど悲鳴の如く叫び、無理矢理に会話を終わらせた。用件は伝えたし、これ以上長く時間を割かせては申し訳ない。こちらもまだ用事が残っているのでこれにて辞去する旨を告げた。

 人払いして頂いていたので、衛兵は扉のあちら側を守っている。国王と王兄夫妻に深々と拝礼し、広間を出ようと扉に手をかけた、その時。

「……本当は、真っ先に復興しなくてはならない土地があると、我々も解っているんです」

 あまりに重い悔恨を含んだ、デール国王の呟きが聞こえた。

 振り返るとデール国王が立ち上がり、まっすぐに僕に向かって頭を下げていた。

「申し訳、ありません……」

 慌てて彼の前に跪いて見上げ、姿勢を正すよう乞うた。僕にとっては全て過ぎたこと。彼に頭を下げてもらう道理などどこにもない。

「お顔を、お上げください。僕は太后様から直々にお詫びの言葉をいただきました。僕も、もう良い、と言った。それでこの話は終わった、そうでしょう?」

 そうでなければ、幾ら親友がいるとはいえこの城をこんなに頻繁に訪れたりするものか。懸命に訴えたが、デール様は尚も苦しげに顔を歪め、低く苦い呟きを漏らした。

「テュールさんの赦しをどれほど得たとしても、サンタローズの方々はラインハットを赦しはしないでしょう。──今も、兵士の立ち入りは拒絶されます。当然のことです……」

 それを、問われれば僕にはもう何も言えない。サンタローズは確かに僕の故郷だけれど、焼き討ちにあったのも僕じゃなければ、荒れ果てた村に戻って少しずつ再興に向かおうとしているのも僕じゃないから。

「……それでも、少しずつ何とかしていきたいと思ってるんだ」

 項垂れきったデール様を支えるように隣に立ったヘンリーが、彼に似つかわしくないほど真剣な表情で言葉を繋いだ。

「まずは毒草地になっちまった村の土を入れ替えて、草と木を植えて。土地が健全になったら畑を整えて家を建て直して、人を呼んで、さ……すぐには無理でも、お前達が旅を終えたらあの村に帰れるようにしてやりたい。その為に俺達にできることは、何だってやらせてほしい」

 どこまでも真摯な。二人の想いが痛いほど、突き刺さる。

 ラインハットに戻る数ヶ月前、サンタローズに滞在した暫くの間。村焼きから命からがら逃げ果せて、今も荒廃したままの村に戻り細々と暮らしている人々から話を聞くたび、ヘンリーの表情が今のデール様以上に痛々しく歪むのを何度も何度も見てきた。

 俺の所為だろう? と、自分を責めろと言外に訴えられるたび、黙って首を振った。別に君の所為だなんて思ってない。そんな風に、悔やみ続けられる方がよっぽど重い。

「……気持ちは、わかるよ。でも……君達の責任だと、あまり思いつめないで欲しい」

 だから、僕はやっぱり、こう言うしかない。

「だって、当時子供だったんだよ。僕もヘンリーも、デール様だって、十にも満たない子供だったじゃないか。誰も彼も巻き込まれただけだよ。そこまで……そうやって、君達がサンタローズや父さんのことばかり気にかけてずっとずっと気に病んでいくことを、父さんが喜ぶとは思えないんだよ」

 それは、本心だ。サンタローズの村人の代弁じゃない、僕が彼らに抱いている一番の本音。

 成長した今だからこそ、思う。あの時、確かに無念に違いなかった父が最期の瞬間、幼いヘンリーにその業を一生抱えて生きろ、などと念じただろうか。自分の息子とさほど年の変わらない子供に。

 王子と言えど躊躇わずその頰を張り、父王の懸念を涙ながらに伝えていた。あれほどヘンリーを深く思い激しく叱咤した父が、彼にそんな呪を施すはずがないのだ。

 父が望むのは、ただ前向きに歩んでいくことじゃないのか。

 あの日、彼が守った子供達がこうして互いに力を合わせ、過ちを正し、二度と悲劇を起こさぬよう新たな今日を繋いでいく。

 その姿勢だけが、父の、村人達の命に報いることになるんじゃないのか。

「君達は、ラインハットの国主だ。今やほとんど住む者のいない小さな村より先に、慈しむべき民がいるだろう……」

 そして、誰かに手を差し伸べたかったら、まずは自分が真っ直ぐに立つのが先じゃないのか。

 人々がどんなに希望を感じていたって、デール様が思い悩むほどにはラインハットの現状は明るくないらしい。だったら、意地なんて言わずに国力をつけて頂きたいんだ。ラインハット王国が真実、在りし日の素晴らしい姿を取り戻したのだと、いつか胸を張って言えるように。

 サンタローズだって、いつまでも変わらないままじゃない。ヘンリーやデール様がそこまで気遣わなくとも、少しずつだけど人は居着いていっているし、子供の姿も見えるようになった。本当に少しずつ、あの惨劇は過去へと変わっていってる。

 ちゃんと立ち上がっていくよ。いつか、また手を取り合える日も来るだろう。

「────それでも、俺達はもう子供じゃない」

 長い、長い沈黙のあと。ぽつりと低くヘンリーが零した。

「やらかしたことの重みくらいわかる、ってだけだよ」

 僕ももう、それ以上反論はせず頷いた。彼の言い分も痛いほどわかる。

 そうすることで君が前進できるなら、それでもいい。何かしたいと思うことが、顔を上げるきっかけになるなら。

「力を尽くすと、お約束します。あなたが救ってくださったこの国を、あなたに恥じることがない国に今一度育て上げてみせると……我が王冠にかけて、誓います」

 デール国王も静かに告げ、まるで臣下のごとく恭しく、僕に向かって敬礼を下さった。

 その想いだけで十分です。本当にもう、十分だ。

 飾り気のない、偽りない言葉が何より胸を熱くする。凡庸だとか、気迫にかけるなどと囁かれることもあるけれど、この方を王として戴いたことはラインハットの民にとって間違いなく、この上ない僥倖だろう。

 必ずやヘンリーと共に、良い国を造って下さるに違いない。

 全てのやりとりを黙って見守って下さっていたマリアさんを振り返り、丁寧に礼を取る。

 そうして改めて、どこか切ない穏やかな微笑みで並んで僕らを見送る異母兄弟に向かい、フローラと共にもう一度、答礼を返して広間を出た。

 

 

 

 城門を抜け、遠ざかる城壁を一度だけ振り返りながら、並んで歩くフローラにだけ聞こえる小さな声で呟いた。

「……全てが明るみに出た後にね。ヘンリーは僕に、斬ってもいいと言ったんだ」

 綺麗な翡翠の双眸が揺らぎ、僕を振り仰いだ。黙って淡い微笑みを返し、彼女の無言の問いを肯定する。

 いつから繋がれていたものか、長い長い獄中生活からやっと解放されたばかりの、痩せこけた力ない初老の女性だった。否、投獄のストレスから老けて見えただけかもしれない。狼狽えるデール国王と、粗末な旅装を身に纏ったヘンリーを前にして、赦してたもれ、と泣き崩れた。

 十年以上前に見た彼女の姿を、僕はいまいちよく思い出せない。

 幼いデール様を庇うように、豪奢なドレスを広げてきつい眼差しで僕を見ていた。当時母親というものがよくわからなかった僕は、ギラギラした気迫の、少し怖い方だな、と思った覚えがある。

「愚かな人だと、思う。絶対に許されないことをした人だと思う、けど……やっぱり、斬れないよね。そんなに簡単じゃないよ」

 ほとんど自分に言い聞かせる為に独りごちたそれに、声もなく同意を示して、フローラが頷いた。

 彼女が実子である第二王子を王にしたいと望まなければ、そうして世継であったヘンリーの廃嫡を企てたりしなければ。きっと父が命を落とすことはなかった。サンタローズが焼かれることも、彼女自身が幽閉されて、挙句この国の領民達が次々に処刑されるような事態にもならなかったろうに。

 母の愛と呼ぶには、あまりに罪が重すぎる。

 それでも、

「……お袋、と、呼んでらっしゃいましたよね」

 隣を歩く君が、噛みしめるように呟いたその言葉に、うん、と静かに頷いた。

 ──それでも、ヘンリーが母と呼んだから。

 断罪したところで命は一つも戻らない。そんな虚しさもあった。彼女は心底反省して、今は城の奥で大人しく教会の手伝いなどをしているそうだ。それで良いと兄弟が言うなら、僕がこれ以上介入する必要もない。

 ただ、どうかもう二度と、過ちを犯すことのないようにと。

「ここでお昼を食べてから行こうか?変な話ばっかりするからすっかりお腹空いちゃったよ」

 湿っぽい空気を吹き飛ばすべく思い切り伸びをして言ったら、フローラも僕を見上げてちょっとだけ笑ってくれた。

「私も、お腹が空きました。このあとはサラボナに行かれるのですよね?」

「うん。出航前にもう一度、お義父さんにご挨拶を、と思ったんだけど……吃驚したね。あそこまで根回しが早いとは思わなかった」

 割と心から感嘆を込めて言ったのだけど、フローラは「他所様のご都合を考えず軽々しく働きかけるのは、あまり褒められたこととは思えませんけれど」と険しい表情で呟く。父君が娘に厳しいように、この娘もまた父に手厳しい。それもまた互いに愛情と信頼あってのことだろうと、僕は唇を引き結んだフローラを眺めながらも微笑ましい気持ちになってしまう。

 そんな、難しい顔で遠くを見つめる最愛の妻の手を引いて、僕はラインハットで一番大きな食事処へと彼女を誘った。

「──じゃあ、急いで食べて出掛けようか。船長達をお待たせすることになっては申し訳ないから」

 

 

◆◆◆

 

 

 ラインハットの酒場で和やかに昼食をとったあと、再びフローラを伴って、今度はサラボナへと転移した。

 毎度のことながら約束は入れずの訪問で、お会いできるか不安があったが、今回は無事にお目通りが叶った。凡そ二週間ぶりに会った義父は、相変わらず上機嫌で僕達新米夫婦を迎え入れて下さった。

「ほんの少し見ない間に、随分と夫婦らしくなったものだな」

 嬉しそうに目を細める卿の前で、つい緩んでしまう頰を表情筋のみで抑えるのが大変だった。

「大変恐れ多いお役目を拝命しまして、僕に務まるのか甚だ不安ではあるのですが……」

 いただいたお手紙についての謝辞を述べ、また内心の憂いを正直に伝えると、卿は愉快そうな笑みを浮かべて僕を見た。

「君はいずれ、人の上に立つ男になると儂は見ておる。今度の一件は小手調べに丁度良いかと思ってね」

 我がことながら、随分と高く買っていただいたものである。恐縮しつつもその表情を窺うと、やはり僕にどこか甘い義父は穏やかな眼差しで微笑んだ。

「何、心配するな。船長らをはじめ彼らは海上の専門家だ。君は全体を広く見渡し、欠けるものが出ないよう気を配ってくれさえすれば良い」

 一見簡単なようだが、その采配にポートセルミの海運業の命運が、そして多くの船乗りの命そのものが懸かっている。一層気の引き締まる思いで唇を噛み締め、姿勢を正した。

 途中一度はイヴァン殿と落ち合う予定だが、そこから先は狼煙代わりの花火だけが連絡手段となる。ストレンジャー号だけが海峡を越えるので、他の船の無事を確認できるのはテルパドールからの帰還後だ。うまく釣れることを祈るしかない。

 宝石集めから戻って、内職の合間にも船長らと何度か作戦会議をした。小舟にはそれぞれ最低限の武器の使い手と、回復薬や聖水、魔物を釣るための餌を積み入れてある。主な戦闘はストレンジャー号が引きつけて行い、魔法の使い手を乗せた大型船二隻が補助に当たる。小舟には情報収集と伝達役を担ってもらい、魔物に追われたらすぐに大型船舶の間合いに入ってもらうよう伝えてある。万が一沈まされそうになった場合は近くの船舶がいち早く救助すること。こう言った一つ一つの判断を、戦いながら僕が下す、ということなのだ。

 一つ、提案をして、帆をもう一つ用意してもらってあった。

 僕も実は、内海の中央に位置するセントベレス山が恐らく『大神殿』の建設地である、ということに引っかかりを覚えていた。光の教団のこと、奴隷として十年過ごしたことはフローラ以外には話していなかったが、もしも教団が魔物の増殖に絡んでいるとしたら──多少の挑発にはなるかな、と思って。

 帆は、街の教会に保管されていたものを借りた。長くこの世界を護っているとされる主神、マスタードラゴンを模った紋章が刻まれた帆である。

 長い船旅故、何卒神の御加護をいただきたい、と尤もらしい理由をつけてお借りした美しい竜帝の帆を、今はルドマン家の紋章の代わりにストレンジャー号の前面部に掲げてある。

「フローラはどうかね? 回復魔法だけは修道院で学んできておったようだが。さすがの儂も、フローラが魔物相手に戦うようになるとは全く予想しておらんでな」

 何故か済まなそうに卿からは尋ねられ、その隣に綺麗な姿勢で腰掛けた奥方様はさも心配そうなお顔で娘を見つめた。フローラもちょっと困ったような顔つきで僕を窺ったが、何も不安になることはない。彼女に微笑みを返して両親へと向き直り、この二週間で経験したことをありのままに話した。

「大変、助けてもらっています。先日死の火山へ探索に行きましたが、フローラがすべての回復を担ってくれましたし……魔物の気配にとても敏感なので、先手を取られることがほとんどありませんでした。僕の仲間達も、フローラは目が良い、と何度も褒めておりました」

 報告の途中にも卿はほぅ、と何度も目を瞠り、奥方様も口許を抑えて僕と愛娘を交互に見つめた。そんな母親にやわらかな微笑みを向けた妻の横顔をちらりと見遣り、もう一つ、僕自身の所感を付け加えた。

「──何より……僕や仲間達の力になろうとしてくれることが、一番有難いことです。そのための努力を惜しまない人ですから」

 真っ先に視線を上げたフローラと顔を見合わせ、微笑みを交わし合う。そんな僕達を眺めた義父もまた、「成る程。夫婦らしくもなるわけだ」と満足そうに頷いた。

 ここへ来る前にラインハットを訪問してきたこともお話しした。卿の手紙が無事国王らの手に渡ったことを伝えると、「余計なことをしてすまんな。過日の、婚礼にご列席いただいた礼を申し上げるついでにお知らせしておきたかったのだよ。君のご友人ならば動向を知っておきたかろうとも思ってな」と仰られた。そのお顔に他意は見られず、僕はとりあえず笑って流されておくことにした。相変わらずこの方の本音は見えないな、とひっそりと思いつつ。

「後日お返事が届くこととは思いますが、ビスタ港周辺に関しては警備を強化していただけるとのお言葉をいただきました。僕達もできるだけ、北には流さぬよう留意して参ります」

 この言葉にも卿はただ力強く頷き、「頼んだぞ」と激励をくださった。

 あとは、テルパドール訪問後に一度サラボナへと戻る旨を伝えて、用件の全てをお話しできたところで、これにてお暇する旨を告げた。

「そうか、出航は明日だったな。今夜のポートセルミは賑やかしくなりそうじゃないか? なぁ、お前」

 どこかうきうきと奥方へ声をかけた、その夫に向かいアウローラ様は優雅なため息をつきつつ「あなたったら、また悪い癖が出てらっしゃいましてよ」とはんなりと諌める。僕もこれまでのお付き合いの中で、卿が何を意図しているのか何となく読めてきた。隣で何とも言えない顔をしている、況やフローラをや。

 果たして卿は輝くほどの満面の笑みで、ほとんど想定通りのご提案をくださった。

「儂もポートセルミに同行しても良いかね? 何、帰りはちゃんとこちらで手配する、心配はいらん。君に送ってもらっては船の見送りが叶わんからな。さぁ、行こうではないか。君達の壮行たる宴の舞台へ!」

 

 

 

 斯くして、僕らは大陸に名だたるルドマン卿のご同伴をいただき、ポートセルミへと戻ることとなった。

 ルーラを詠唱する前に一度街の外へ出て、やっと炎のリングの効果を確かめることが出来た。やはり炎の魔法のようだったが、単体を狙うメラ系とは違い大分広い範囲に爆発を仕掛けることができるようだ。使ったことのない魔道具を義父の前で試すのは危険かとも思ったが、やはりと言うべきか彼は両の眼をこれでもかというほど輝かせ、大興奮で指輪の魔術に拍手喝采を下さった。

「なんと、二つの指輪にこのような魔法が込められていたとは! さすが伝承の指輪というだけのことはある、素晴らしい。これなら必ずや君達の役に立つだろう!」

 フローラも何とか例の吹雪を発動させることに成功した。やはり魔法とは使い勝手が大きく違うので、特にこれから魔法を覚えていきたいフローラが頼りすぎるのは良くないかもしれない、という結論に至ったが、例の魔物討伐まではあまり間もない。彼女には回復役に徹してもらうつもりでいるものの、どうしてもという時には指輪での援護も視野に入れて行くよう相談をしあった。癖になっては怖いが、魔力を消費しないというだけで精神的に大きな価値がある。

 何度か空に向かって指輪を使う練習をしてから、ようやくポートセルミに移動した。

 卿のご推察の通り、今夜はポートセルミで一等大きな酒場を貸し切っての壮行会が行われる。まだ夕方前だったが、酒場には船員の妻も交えた人々が忙しなく動き、次から次へとテーブルに酒や料理を並べていた。そこへひょっこり彼らの主たるルドマン卿が現れたものだから、酒場は一転大いに沸き立った。イヴァン殿とフォスター殿、船長のお二人が先頭に立ってすぐに卿を出迎え、彼らは往年の友の如く抱き合い肩を叩きあっていた。どれほど長い付き合いなのだろうか、その篤い信頼の絆を少しばかり羨ましく感じたほどだ。

 卿に手招きされ、僕らも早速始まったばかりの宴の輪に加わった。次々に乞われる挨拶に応え、固く掌を結んでいく。この一人一人が僕達を支えてくれる、そう思うと武者震いのような心地がした。フローラもまた船員のご家族一人一人と言葉を交わし、何かを誓い合っていたようだった。

「光の……教団」

 話しておくべきか迷ったが、ヘンリーが昼間言っていた『大陸に教団の手の者がいる』という情報が気にかかった。挨拶がひと段落つき、卿と船長二人を交えて話す機会を得た時に切り出してみたところ、フォスター船長はひどく怪訝な表情で教団の名を反芻した。

「はい。まだ確証はありませんのでお話しすべきか悩んだのですが……あまり良からぬ噂を聞く教団です。最近あちらこちらで布教活動をしているらしいと友人から聞きましたので、念のためお耳に入れておきたく思いまして」

「その友人、とはラインハットのヘンリー王兄殿下で間違いないかね? テュール君」

 低い声音で確認した卿に船長らが声もなく驚愕を見せ、僕もまた、黙って深く頷いた。

「灯台に、落書きがあったのさ。消しても消してもいつの間にかまたやられている。しつこい餓鬼の仕業かと思ったが」

 エールを並々注いだジョッキを傾け、どこか苦々しげにイヴァン殿が言う。思わず腰を浮かせ、「何と書いてあったのですか」と問うと、イヴァン殿は一層苦虫を噛み潰したような顔をして、テーブルにとんとんと指をつき、見えないその文字をさらりとなぞった。

 ────もっと、光を!

 素知らぬふりをするつもりが、動揺がしっかり面に出てしまっていたらしい。「心当たりがある、と言う顔だな」と鋭く卿に言われ、苦笑しつつ首を振って再び腰を下ろした。その字面、確かに何度かあの建設現場で見た覚えがある。

 ……何をするつもりなんだ。一体。

「それで教会から帆を借りたのかい。坊やも食えんな」

 今度はおどけた口調だったが、イヴァン殿の眼は異様なほど鋭く、真剣だった。

「……はい。先ほども言った通り、確証はないのですが……此度の海の魔物の一件、光の教団が繋がっている可能性があります」

 周りに絶対に気取られぬよう、細心の注意を払って声を潜めた。それきり僕らのテーブルには暫しの沈黙が満ちる。

 ややあって、イヴァン殿がジョッキに残ったエールを一息に飲み干し、たん、とテーブルにそれを置いた。

「良い事を聞いた。参考にさせていただくよ、坊や」

 いつもの口調で僕の肩を軽く叩き、彼は空のジョッキを携えてカウンターへと去っていった。

「……イヴァン殿の孫も、あの海域で沈んだのです」

 その背を見送りながら、フォスター殿が静かに、呟いた。

 はっとして振り返ったが、もう遅い。僕は何という軽率なことを。

「今の君と変わらないくらいだったな。三年ほど前のことだったよ。……あの頃はまだ船を出せていたかな。船が襲われることが増えたというので、自警団を組むようイヴァンに依頼した矢先のことだった。孫だけではないがね、小型客船一つで五、六十人は乗る計算だ。これ以上の犠牲は正直、御免被るな」

 敢えて感情を含めず淡々と紡がれた卿の語り口に、こみ上げる遣る瀬無さを唇を噛んでやり過ごした。

 何としても、総員無事に返さなくては。

 きっとそれが、僕にできる一番の弔いだ。

 

 

 

 だいぶ夜も更けた頃、尚も賑やかしい酒場のどこにもフローラの姿がないことに気がついた。

 こっそりと二階の客室に戻り覗いてみたが、気配はない。となれば外かな、と思い、すっかり出来上がり盛り上がっている人々の間をかい潜って表へ出た。酒場の喧騒とは裏腹に静まり返った街中をぐるりと見渡したが、フローラらしき人影は見当たらない。そのまま埠頭の方へ向かって歩いて行ったら、灯台の光をちらちらと反射する暗い海の手前に小さな影がうずくまっているのを見つけた。

「こんなところにいたんだ」

 海を見渡せる埠頭に面した舗道の縁に、フローラは腰掛けていた。夜風にさらさらと揺れる碧い髪を宵闇に溶かし、真っ黒に揺らめく波間をぼんやりと眺めていたようだった。声をかけるとすぐに振り返り、申し訳なさそうに眉尻を下げて僕を見た。

「あ……、すみません。黙って出てきてしまって」

「全くだ。こんな夜遅くに一人で外に出るなんて、危なすぎるよ」

 別に本心から怒っていたわけではないが、人気のない暗がりに彼女一人で居させるのはやはり心配なんだ。特に暴漢などに襲われでもした時、彼女の細腕では相手が例え人間の女性であったとしても敵わないように思うから。

「……っ、ごめんなさい……」

 案の定、君は身体を縮こませて謝罪の言葉を口にする。「気をつけて欲しいだけだから。怒ってはいないよ」とできるだけ優しく頭を撫で、その隣に腰を下ろした。少し寒そうな細い肩に僕の外套を掛けて抱き寄せると、「……暖かいです」と控えめな微笑みが返ってきた。

「──……、広いね」

 そのまま、彼女の頭に軽く体重を預けたまま暫く、寄せては返すばかりの波の気配をぼんやりと感じていた。

 夜の闇よりも深く、何もかも飲み込みそうな混沌を揺蕩わせる暗い海面は、昼間ヘンリーに問われてさざめいた心の闇を思い起こさせる。

 僕の中にも、ある。この海よりもきっと昏い、深くて澱んだ底の見えない混沌が。

「子供の頃は、海が……とても、怖かったんです」

 やがて、互いの温もりが沁みる頃。ぽつりと君が呟いた。

 聴覚を研ぎ澄まし、今にもかき消えそうな告白に耳を傾ける。

「こんなに、大きくて深い水。私なんて砂粒よりちっぽけで、あっという間に飲み込まれて消えてしまいます。小さい頃──あの船であなたに出会った頃、私も父に連れられて旅をしていましたけれど、船に乗らなくては、と思うたびに足がすくみました。沈んだらどうしよう、乗りたくないって……本当に、当時から莫迦げていたなと思うんですけれど」

 最後は自嘲気味に声を潜めた君の肩を、もう一度ぎゅっと力を込めて抱いた。君がこんな風に淡々と話してくれる時は、大抵自身の内側の恐れや何かと戦っている時だから。

「海と、空の色だって。言ってくださったのは、あなただったのかな、って……」

 潮風に溶けそうな呟きにつられて視線を交わせば、彼女はまた遠慮がちに首をすくめ、微笑む。

「正直に言うと、今も怖いです。でも……、いつからか、船に乗るたび思い出す言葉がありました。私と同じくらい小さかった誰かが私にくれた、おまじない。綺麗な髪だねって、空や海の青色だねって……わたしの色だから、大丈夫。飲み込まれたりしない、そう、船に乗るたび何度も自分に言い聞かせて……」

「────あ」

 フローラの言葉を頼りに記憶を弄ったら、ふと焦点が合った。先日取り戻したばかりの記憶の中、肩口で碧い髪を切り揃えた小さな女の子が、どこか羨望を滲ませた眼差しで幼い僕と父を見上げていた。

「多分、そう。だって、すごくキラキラして……光る水面みたいな女の子だったから。妖精みたいだなって思って」

 だから、多分その時言ったんだ。すれ違っただけの幼い君に、すごくきれいな髪だねって。あの空とか、この海みたいなどこまでも澄んだ碧だねって。

 そんなきれいな髪は初めて見た、と言った気がする。小さな君は吃驚したように目をぱっちりと見開いて、それから恥ずかしそうに、ありがとう、と言ってくれた。

「やっぱり……、あなたがずっと、私を守ってくださっていたのですね」

 波の音より静かに、けれどほんのりと嬉しそうな色を滲ませて。囁いた君は、遠い宵闇の中に再び視線を溶かす。

 闇に浮かぶ綺麗な白い横顔に、ほんのひと時、見惚れる。

「もう、大丈夫です。怖いけど……怖くない。あなたがいるから、私は明日、新たな一歩を踏み出すことができます」

 確かめるように、彼女の内に呟いて。そうしてフローラはどこか艶めいた瞳をこちらに向け、僕の視線をいとも容易く搦めとる。

「────優しい、瞳ですね」

 唐突に囁かれた一言にどきりと心臓が鳴った。覗き込むと君は僕の腕に軽い頭を横たえ載せたまま、密やかに、楽しげに笑った。

「ふふ。……十数年、言いそびれてしまいましたけど」

「……十数年越しの、褒め言葉?」

 さすがに気恥ずかしくて、軽く冗談めかして返したら、彼女は綺麗な眼差しに惜しげもなく愛しさを乗せて投げかけてくる。

「今も、変わっていませんよ」

 ……本当に、一体どこでこんな殺し文句を覚えてくるのか。

 その一言で生まれた心地良い熱を君に分けるように、尚も僕を見上げる頰をそっと、捕まえて。

 誰も見ていないから。

 そう、自分に言い聞かせて。誰よりも愛しい君と秘めやかに口づけを交わした。

 甘く優しい唇を深く食むたびに、昼間、身体の芯からおぞましく冷えていったものが、緩やかに溶け出していくのがわかる。

 君が僕を捕まえていて。僕が、僕を見失わずにいられるよう。

 漣が絶え間なく満ち引きを奏で、潮の香りが満ちる中。名残惜しくて、君の温もりを繰り返し求めた。外套の内側に君を隠し閉じ込めて。

 宴が終わり、酒場を出てそれぞれの住居に戻り行く船員達に見つかるまで、僕らはそうしてずっと身を寄せ合って波の音を聴いていた。

 

 

◆◆◆

 

 

 翌朝、名士ルドマン卿を筆頭に数多の船員家族らに見送られ、ストレンジャー号と他数隻の船舶がポートセルミ港を出航した。

 既に小舟が十隻ばかり、例の海域周辺へ向かって就航している。あまり深入りはせず警備がてら周ってくれれば良いと伝えてある。凡そ一週間程度で一度合流し、その後セルマー海峡の通過を試みる算段だ。

 絶対、なんて言えないのだと、わかってはいるけれど、

 それでも絶対に全員、再びこの地を踏ませてみせる。

 遠ざかる陸地をこの目に焼き付けながら、今一度の誓いを立てた。水のリングを求めて出た時と同じ、強い決意が漲るのを感じる。

 大丈夫。大丈夫だ。

 瞼を閉じるのと同時に船長に名を呼ばれた。すぐに振り返り、同乗した航海士達の元へと急ぐ。数日後に控えた戦いを前に、必ず勝って戻ろうと彼らに告げるために。

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