Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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#17. 指輪の警鐘

 違和感を覚え始めたのはいつからだっただろう。

 元々この大陸に棲まう魔物達からは、総じてさほど強い敵意を感じなかった。北の大陸に比べて縄張り意識が強いのか、大体種族ごとに群れを形成している。近づかなければ襲われることも少なかった。仲魔達を見るに食の概念はあるように思うが、さて彼らはどうやって食いつないでいるのやら。などと思ったが意外にも砂漠には特有の果実が成っていたり、魔物ではない動物もそれなりに生息している。海も遠くはないし、なんとでもなるんだろう。

 そもそも何故、何のために魔物は人間を襲うのだろう。生まれた時からこの環境だったから実感はないけれど、魔物と人間が敵対しない時代なんて今までにあったのだろうか。そういえばどこでだったか、天空城が関係しているという話を聞いた気がする。昔、空に在った天空城が何らかの要因で地上に堕ちて、それから魔物が跋扈するようになったと。

 仲魔達はあまり自分のことを話したがらない。僕もまた、彼らが自ら切り出さないことはあまり聞かない。だから主人という自負はあっても、彼らを正しく理解できている自信はなかった。決して魔物だからではなく、相手が人間でもそれは同じだ。有体に言ってしまえば、僕自身に聞かれたくないことがあるからそうやって距離をとっている、ということなのかもしれない。

 ……いや、きっと今の僕なら、彼らに何を問われても答えられるんだろう。フローラになら何だって話せるのと同じで。

 ならば今、隣にいるリーシャに同じように語れるかと問われれば、それは無理だと思う。何度か世間話的に昔のことを訊かれたけれど、六歳より後の記憶はほとんど適当に誤魔化した。彼女は純粋に僕を知りたいと思ってくれたのだろうし、彼女自身のことも色々と話してくれた。けど、そこまでだった。それ以上に知りたいとも思えなければ、自分のことを知ってほしいとも、結局は思えなかったのだ。

 ────テルパドール城まで実質一昼夜の距離、もう数日とかけずに着くだろう。どう転んでもそこが答えだ。僕の気持ちはきっとこのまま揺らがないし、彼女もそれを理解している。

 だからだろう、昨日くらいからリーシャは目に見えて口数が減っていた。単に話題が尽きただけかもしれないけど。いつものように馭者台に座って、僕の隣で膝を抱えながらぼんやりと遠くを見ている。時々ちらりと盗み見る横顔は憂いの所為か、ひどく大人びて見えた。

 そんな少女の寂しげな表情に、全く胸が痛まないかと言われれば嘘になる。

 いっそそれくらい冷淡になれたなら、初めからおかしな期待を持たせることもなかっただろうに。

「今夜は特に荒れそう。早駆けの魔法かけて、お馬さんが頑張ってくれたら朝にはお城に着けるかもだけど」

 次第に強まる風を受け、宙を仰いだリーシャがぽつりと呟いた。

 ふぅん、と頷き、掌で目を覆いながら地図と羅針盤を照らし合わせる。こちらに着いてから手に入れた大陸の詳細な地図は、特殊な織布に描かれているらしく、適度に重みがあって猛烈な砂風にも耐えてくれる。

 ここ数日は今までにないほど風が強くなっていて、目も開け辛いほどだった。とはいえ、砂漠に砂嵐はつきものだと言う。今まで荒天に至らなかったのが幸運だったのだろう。膝を抱えて隣に座るリーシャはさすがに慣れているらしく、上手にフードを被り直しては砂埃を避けているようだった。

「もう少しで城の手前の集落に着くと思うんだ。今夜はそこで休んで行こうか」

 リーシャと、幌の中で寛いでいる仲魔達に向かって声を投げると、すかさずピエールから了の返答が返ってきた。中の面々に異変はないらしいことに安堵して、再び見えない砂塵の向こうを振り仰ぐ。

 みんなは気付いているだろうか。この三日ほど、ほとんど魔物と遭遇していないことに。

 多少土地柄が関係しているにしろ、エピカ周辺まではまだ姿を見ることがあった。砂嵐の所為だろうか。それとなくリーシャに訊いてみたら首を捻り「結界かなぁ……? お城にはほら、勇者様の御廟があるから、特に魔族に攻められないよう周りに結界を張ってるんだよね」と答えてくれた。それってもしかして、仲魔達は中に入れない? と慌てて問いを重ねたら「わかんない。着いたら門番さんに訊いてみようよ」とけろりとして言う。そうだよな、いくらマイヤ様の秘蔵っ子とはいえ、リーシャは一介の村の少女にすぎない。

 それにしても、これほどまでに魔物の気配を感じないのは些か不気味でもあった。ここは砂漠で、僕にとってまだまだ未知の領域だから、今までの常識では測れないこともあるんだろうけど。

 フローラやリーシャはともかく、仲魔達は何か思うところがあるかもしれない。集落に着いたらマーリンとピエールにそれとなく相談してみようか。そんなことをぼんやり考えていたら、幌の中から朗らかに談笑する声が聞こえてきた。どうやらお調子者のスラりんがみんなを笑わせているらしい。楽しげな中の様子に、リーシャがそわりとそちらへ意識を向けた。

「入ってていいよ? 何かあったら呼ぶし」

 声をかけたら、眼を見開き振り向いたリーシャがすぐに頬を薄桃色に染めてくしゃりと笑った。

「ううん、いい。ここにいていい?」

 どこか甘えた声に苦笑し、黙って頷いてみせる。

 また甘い対応をしてしまっているのかもしれない。今更優しい言葉はかけられない、けど、気持ちは痛いほどわかるから。

 ごめん。やっぱりきっと、応えられない。

 少しだけほっとした様子で、リーシャが膝を抱き直した。幌から聞こえる歓談と風の音を聞きながら、僕とリーシャはそのまま言葉もなく、お互い砂煙に霞む遥か向こうに意識を馳せつつ馬車を走らせていた。

 

 

 

 目当ての集落に着く頃には、ちょうど陽も傾いていた。砂まみれの馬車を祠の隣の納屋に入れさせてもらい、人心地つく。

 集落には比較的規模の大きな宿があったが、間の悪いことに空きがなかった。城にほど近い場所だから致し方ない。今から更に移動するのもこの風では辛いし、野宿しかないかと思案していたところ、偶々通りかかった祠のシスターが寝所を提供すると言ってくださった。悩ましいことに小さめの客室には一人用のベッドが二つのみで、そりゃそこは女性二人が使うべきだろう、僕なんかいっそ馬車で寝りゃいいんだし。と激しく固辞したものの、何故かリーシャが自分達と一緒に寝ろと粘る。見かねて間に入ってくださったシスターが、祠に寝泊まりしてはどうかと言ってくださり、これまたありがたくご厚意に甘えることにした。

 そんなわけで、シスターの夕食会にお招き頂いた後は、納屋でパトリシアを洗ってやったり、馬車の砂埃を落としたり、軽く整備したりなどして過ごした。仲魔達も祠で休むよう勧められたが、曲がりなりにも魔族の彼らに聖域は居心地良いものではないらしい。普通の魔物と違い、入れないわけではないけれど。そんなわけで仲魔達は納屋に集まり、僕は一人、神を祀った小さな祭壇の脇の方に寝袋を敷かせてもらい、荷物を小脇にまとめた。普段が賑やかなので、完全に一人というのは寂しく感じたが、たまにはこんな日があってもいいかと思い直した。

(……あ、そうだ)

 ランプの灯りの元、船から持ってきた本をぱらぱらとめくっていたら、ふと、仲魔達に相談したかったことを思い出した。

 外套を羽織り、祠のすぐ隣の納屋を覗く。数名は幌の中で休息中なのか、プックルが入り口近くの藁束の中に寝そべり、ピエールが相棒の緑のスライムと向かい合って剣を検分している以外はがらんとしていた。

 僕が入るとすぐに気づき、手入れ中の剣を鞘に収める。

「拙者らも、この辺りに満ちる妙な気配が気になってはいた」

 簡単に懸念について話すと、ピエールは鉄仮面の顎を一つ撫で神妙に頷いた。

「妙な、気配?」

「左様。確かにあるじ殿の言われる通り、ここのところ魔物の気配を感じぬ。不自然なほどにな。しかし、ほんの微かに……残り香とでも言おうか」

 残り香。

 喩え方が妙に腑に落ちた。僕は状況から違和感を覚えただけだったけれど、彼ら魔物にのみ嗅ぎ分けられる気配や臭いは恐らく確かに存在する。

「全く姿が見えぬ以上、無闇に動くわけにもゆかぬが」

 ここまでの行程で思い出せる手掛かりがないか、無意識に腕組みし思索に耽ってしまった僕の意識を、いつもの飄々とした呟きが浮上させてくれる。

「先んじて、マーリン殿がホイミンとガンドフを連れて周辺を見廻っておる。王城近くで不穏なことがあってはあるじ殿のみならず、人間達も心休まるまい」

 僕が尋ねる前に動いてくれていたのか。静まりかえった納屋の様子にも合点がいった。さらにはこの後、プックルと連れ立ってピエールも外を見てきてくれるという。つくづく、彼らの洞察力と行動力には驚嘆させられる。

「夜半お声がけするやもしれぬが、構わぬか」

「もちろん、いつでも遠慮なく起こしてくれて構わないよ。本当にありがとう。みんなもくれぐれも気をつけて」

 気遣いに感謝しつつ祠に戻り、すぐ動けるよう防寒具の上に外套を着込んだまま仮眠をとった。果たして夜も深く更けた頃、コツコツと扉を叩く音がする。飛び起きて外を窺うと、そこにはしびれんとプックル、ピエールが立っていた。

「お休みのところ申し訳ない。あるじ殿、ご同行願えるか」

 即座に頷き、手短に状況を聞いた。集落の北、岩山が連なるあたりで不自然に巨大な窪みを見つけたという。陥没跡というよりは円錐型に掘られた穴のような窪みだそうで、更に奇妙なのは、その周辺に魔物の核らしき塊が撒き散らされていたのだと。

「狩人かな? 罠を張った跡だとか」

「さぁて。そこまでして魔物を狩る必要のある土地とも思えぬが……少なくとも、拙者が嗅いだ残り香は凡そヒトのものとは思えなんだ」

 真剣な、低い囁きを聞いて、唇をぎゅっと噛み引き締めた。凝視したスライムナイトの横顔は相変わらず飄々としたまま、ごく稀にしか見せない緊張を仮面越しにも色濃く漂わせる。

「魔物、なんだね。それも只者じゃないやつ」

「変わり種には違いない。……全く、あるじ殿はつくづく奇妙な星の下にお生まれと見える」

 どこか愉悦を含ませた彼が薄く笑う。鼻白んだ僕を、今度は感嘆を篭めた眼差しで見つめ返した。

「行く先々でこうも奇怪な魔物に出くわすことになるとは。確かに貴方ならば、ヒトの身ながらいずれ魔界にも到達出来るやもしれぬな」

 賛辞なんだろう。こんな至らぬ主でも、彼をはじめ仲魔達はいつでも心から誇ってくれる。それがわかるのに、卑屈な僕にはほとんど皮肉にしか聞こえなくて、思わず黙り込み視線を逸らしてしまった。

 勇敢で、威厳も貫禄もあって。時に勇者かとさえ囁かれた父の逸話を、至るところで耳にした。

 翻って、息子である僕のなんと不甲斐ないことか。父の最期の手紙を読み返すたび、胸がつまる。

 恐らく彼自身期待しすぎないよう、また僕にも期待をもたせすぎないよう配慮して書かれたものだったが、その行間には彼の切実な願いが否応なしに滲んでいた。同じく手紙を読んだヘンリーが真っ先に僕を顧みたほどだ。だからこそ、苦しい。出来るなら僕自身が、その望みを叶えたかった。父が遺した第一の願いは遂に、叶うことはなかった。

 僕は『勇者』ではない。魔界へ渡るその術は、勇者という宿命を戴く他者に委ねなくてはならない。

「……そうだね。勇者さえ、見つかれば」

 自嘲混じりに呟いて、パトリシアを静かに先導し集落の表口まで出た。風も強いし、特に帰りはみんなで戻るなら馬車を出した方が良いと思ったのだ。仲魔達が幌に乗り込んだのを確認して馭者台に上がろうとした────刹那、背後からぐい! と外套を引っ張られた。

 驚いて振り向くと、そこには防寒具を着込んだリーシャが、紫水晶の瞳を大きく見開いて僕を見上げているではないか。

「テュールさん⁉︎ こんな夜中にどこに行くの⁉︎」

 慌ててしぃっ! と唇に指を当て、詰め寄る彼女に小声を促した。幸いにも誰かが起き出してくる気配はない。ひっそりと胸を撫で下ろしつつ、厄介なことになったな、と内心で舌打ちする。

「ちょっと気になることがあって。すぐ帰ってくるから、リーシャは寝てなよ」

「あたしも行きたい。連れてって? お願い!」

 案の定、部屋へ戻るよう促したものの、彼女は前のめりに食らいついてくる。どうしても漏れてしまう溜息をこちらも隠さず、自分なりに誠心誠意、彼女を諭してみたけれど。

「フローラを一人にするのは心配だから。ここに居てって、頼んじゃいけない?」

「フローラさんならぐっすり眠ってたわ。あたしが出てきたのにも気づいてなかったもの、平気よ」

 あっさりきっぱりとリーシャは言いきり、次いで幼くも切実な声で上目遣いに懇願した。

「お願い、連れて行って。変な胸騒ぎがするの。テュールさん達だけで行かせたくない」

「胸騒ぎって……それ、占いで?」

 怪訝に思い問うてみたが、意外にもリーシャはあっさり首を横に振った。

「半分は違う。ただの勘……最近、よく視えないんだもん」

 お城が近いからかなって思ってるんだけど、とリーシャは口籠る。正直、気は進まないけれど、こんなところで揉めるのも騒ぎになるのも御免だった。「余計な口出しは無用だよ。危ないと思ったらすぐに退くこと。約束できないなら連れて行けない」そう厳しめに告げたらしおらしく頷いた。再び溜息混じりに同乗を促して、背後の天幕を巻き上げ幌の中を覗き込む。

「ごめん。リーシャが一緒に行きたいって。誰か残って、もしフローラが起きてきたらすぐ戻るって伝えてくれないかな?」

 僕の提案に三者がそれぞれ顔を見合わせた。すぐに口を開いたのは、ピエールだった。おどおどと皆の顔を見回すしびれんに向かって、彼にしては優しい声音で呼びかける。

「伝言となるとプックルには難しかろう。拙者でも良いが、どうする? しびれん」

「し、しびれんっ、のこるっ。ちょっと、こわいし……っ」

 渡りに船とばかりにしびれんが名乗りを上げ、ふわふわと幌の外に浮かび出た。その白い月みたいなもちもちの肌を撫で遣り、優しく微笑んでみせる。

「ありがとう。祠で待っててくれればいいから、よろしくね」

 快く留守番を引き受けてくれた臆病者の痺れ海月は、馬車が見えなくなるまでその場に留まり、心配そうに見送ってくれた。

 この時、ほとんど集落の外にいたから気づかなかったのだ。僕らの目を盗むようにして、怪しい男が集落内を徘徊していたこと。それとほぼ同時刻、目を覚ましたフローラが僕達の不在に気づいて、不安を募らせていたことにも。

 

 

◆◆◆

 

 

 案内された場所は聞いた通り、集落の北に連なる山岳地帯からほど近い、馬車で十分もかからないところだった。リーシャの魔法のお陰で早く着けたと思うと少々癪ではあるが、そんな恩知らずな言い分を面に出せるはずもなく。吐く息も白く、隣で小さくなっているリーシャに手綱を預け、馭者台を降りた。

「参られたか。ご主人、こちらに」

 先んじて周囲を見張っていたマーリンがスラりんと共に手招きする。その隣にガンドフとホイミン、そして見慣れぬ小さい魔物がちょこんと座っていて、よく見るとどうやらケムケムベスの子供がガンドフにもたれかかり、うとうとしていたのだった。ガンドフが大きな目を優しく細め、まずはマーリンの方を見てくれと促してくれる。黙って頷き、闇にはためく暗い色のローブを追った。

 すごく不思議なのだけど、マーリンはこの砂地でもわりと足を取られることなくすいすい歩いていく。なんと言っていいのか、滑るようないっそ浮いているような、とにかく人間離れした歩き方なのだ。一見老人と見紛う風貌だが、こういう時、彼もまた歴とした魔族なのだと感じ入る。

「足元に気をつけられよ」

 忠告とともに指し示された先には、確かに拓けた穴というか、窪地が見てとれた。小屋一つ分もあるその緩やかな窪地には特に細かい砂が多いのか、さっきから吹き上げられる砂塵がひどい。視界も覚束ない砂地の中、月明かりを受けてきらきら光るものが見える。多分魔物の核なのだろうが、これだけ無数の核が手付かずで放置されている様は極めて異様で、不気味に見えた。

 まるで疫病か何かで、大量死でもしたみたいじゃないか。あるいは、砂漠が彼らを喰らい尽くして核だけ吐き出したような。

 こみ上げるおぞましさを無理矢理飲み下した時、隣にピエールが立った。どこで拾ってきたのか、彼の頭ほどの石を無言で放る。思った以上の急勾配だ。窪みに向かって転がった石はすぐに砂の下に落ち込んで見えなくなってしまう。

「底無しの可能性も、ある」

 石を飲み込んだ後の滑らかな砂地から視線を逸らさず、ピエールが低く告げた。厚く着込んだ防寒着の下、嫌な汗がじわりと肝を冷やしていく。

「こんな……、集落の近くで」

 魔物の死因は恐らくこれだけではないのだろうが、もし人間がここに落ちれば助からない可能性が高い。人為的なものか、自然発生的なものか、何一つわからないのが更に薄気味悪いことこの上ない。

「恐らく形成されてからさほど時間も経ってはおらぬ。このような噂は今までに聞かなんだな?」

「あったらどこかで注意喚起されてると思う。心配だな、同じようなのが他の場所にないとも言い切れないね」

 知らずに馬車が突っ込んだら大惨事だ。幸か不幸か、この周辺は岩山だらけで人が来るところではなかった。こういった岩に穿たれた洞を寝ぐらにする魔物は多い。まして数日前から強まっているこの風、岩肌を吹き下ろし砂嵐を起こす風の中を危険を顧みず近寄る人間はそうそういない。

 ────だからこそ『ここ』を狩場に選んだのだろうか。この窪地を作った主は。

 いつの間にか馬車を置いてリーシャが側に来ていた。僕の肩越しに恐る恐る覗き込むが、心当たりがある表情ではない。「こういうのって、自然に出来るもの?」と訊いたがやはり首を振った。

「砂漠に底無し穴なんて、聞いたことないわ。最近行方不明になった人なんていないといいんだけど」

 ぶるりと身体を震わせ、リーシャが呟く。城の方に伝えればある程度対処してもらえるだろうが、それまでに事故が起こりかねないことが恐ろしい。「とにかく、夜が明けたらなるべく早く王城に向かおう。集落の方にも近寄らないよう伝えて、すぐに埋まってくれれば心配いらないんだけどね」と神妙な面持ちの仲間達を見比べ声をかけた。

「その点はある意味心配無用やもしれぬ。あ奴らがずっと張りついておるからな」

 そう答えて、ピエールが窪みの向こう側を指差す。つられてそちらを眺めると暗がりでひどく判別し難いものの、魔物らしき影が数匹連れ立ってこちらを見ていた。よくよく凝視するとどうやら槍を携えたオーク達で、敵意以上に戸惑い、警戒した様子で僕達を見守っている。

「ご案じなさるな。人質というわけではない」

 別に仲魔達の行動を疑ったりしないけど、ガンドフが寝かせていた仔ケムケムベスと関係あるのだろうか。そう思いつき、振り返った僕をピエールが制し苦笑した。

「勝手に懐いたまでだ。あれの意図を正しく汲んでやれたのがガンドフだけだったのでな」

 ああ、なるほど。そういうことか。

 仲魔達の多くが人語を理解してくれるのでつい失念してしまうが、同種属間でのみ通じる意思疎通法を持つ魔物は少なくない。ガンドフだって言葉を扱うのは決して得意ではなく、恐らくビックアイが片言でも僕らの言葉を話してくれること自体極めて稀なのだ。そのケムケムベスはまだ幼いから尚更だろう。

「コのナカに、かぞク、イる」

 辿々しく告げる中に哀しみが満ちて。ガンドフは自らに体重を預けこくりこくりと舟を漕ぐ小さな眷属を慈しむように撫でた。

「群れで眠っていたところを襲われたようです。これはたまたま目覚めて離れていたらしい。親を追ってここに近づこうとするのをあのオークらが止めているところに、我々が行き合った」

 足が遅いのが幸いした、とマーリンが静かに付け加える。重苦しい気持ちで彼の言葉を聞いた。この小さな青い魔物も目の前で親を喪ったのかと思ったら、かつての自分を否応なしに思い出してしまい胸が締めつけられる。

「オーク達によれば、夕刻この辺りでヒトを見たと」

「人間? 間違いなく?」

「そのようですが」相変わらず、顔色一つ変えず淡々とマーリンは頷く。「ヒト一匹ではあったが、何故か同時にヒトならぬ気配も感じ、咄嗟に身を隠したと。その後、あの仔を見つけたそうな。状況を見てすぐ惨劇を察したとのこと。尤も、彼らが見つけたときこれらはまだ遺体だったとも」

 話の血生臭さに思わず眉を顰め、腕を組み暫して思考を整理した。魔物に遭遇しなくなったのはほんの二、三日前から。道中特に怪しい者の話は聞かなかったが、ピエール達はうっすら残る魔物の気配に勘づいていた。

 恐らくこの数日前から人知れず、この周辺で狩りをしている人間、もしくは魔物がいるのだろう。周到に人目を避けていたのが、狩り尽くして痕跡を残したか。問題の魔物を狩るため人間が動いている、という見方もできる。敵か味方かもわからないが、無差別に魔物を狩っているようにも見えるあたり、あまりまともな目的ではなさそうだ。

 幼いケムケムベスの寝姿をぼんやりと眺めながら考えていたら、マーリンがおもむろに問うた。

「保護なさるか。ご主人ならばあれも手懐けられるであろう」

「────いや」

 首を振り、寄り添う二匹の一つ目の魔物達を見遣った。その傍らにいつの間にかプックルが近づいていて、クゥウ、と珍しい喉声を出す。小さなケムケムベスに何故か、見覚えはないはずの孤独なベビーパンサーの姿が重なった。

 当時まだ幼獣だった君は、僕達が必ず帰ってくると信じて、父の剣をただ守って、僕達のことをずっと探し回ってくれたんだろう。生きてるものは食べちゃ駄目だよ、という物知らずの子供と交わした莫迦げた約束を律儀に守って。

 忠義めいた篤い友情を嬉しく思うと同時に、愚かな子供だった僕が長い間、君を無為に縛り続けてしまったのでは、とも思う。

 選ぶのは、この子であるべきだ。そして、本人の意思で選ばせるにはこの魔物はあまりにも幼すぎる。

「……連れて行かない方がいいと思う。そこに家族がいるってわかっているなら、余計に」

 人間を基準に考えてはならない。彼らは魔物で、魔物には魔物の理がある。

 黙って聞いていたリーシャが一瞬動揺したが、対するガンドフは僕の結論を聞き届けると仔ケムケムベスを抱いてのそりと立ち上がった。その肩にスラりんを乗せて、窪みを迂回しオーク達の元へ歩いて行く。その背をふよふよとホイミンが追って行った。恐らく、他種属だけれどあの子が他の群れに会えるまで様子を見てやってもらえないか、頼んでくれるつもりなのだろう。

 もちろん、通りすがりの彼らにそこまでしてやる義理はない。親を追って窪みに落ちるかもしれない。他の魔物や人間に狩られるかもしれない。けれど、それらは元々この悲劇の有る無しにかかわらず、砂漠に生きる彼らの摂理の内の出来事でしかない。

「ピエールも言ってたよね。人ならざるものの気配だって」

 暗闇に溶け込んだガンドフ達の背を見送りながら、相棒に跨り側に侍るスライムナイトへと声をかけた。ふむ、と一つ軽く唸り、ピエールは鉄仮面の顎を撫でて考え込む仕草をしてみせる。

 心なしか、共に過ごすうちに彼の振る舞いは段々と人間じみてきているような気がする。

「我々はそう見ておる。人間の件は知らぬが、得体の知れぬ魔物は確かに居る。ヒトに擬態した魔族の可能性もあろうが、微かとはいえ、これだけ気配を残す魔物をオーク共が見間違えるとも思えぬ」

 ピエールの話からラインハット王国を脅かした偽太后が思い出されて、思わず深く頷いた。なるほど、あれはそれなりに力の有る魔物だったのだな、と改めて思う。あの時もピエールとスラりんは共に戦ってくれたが、二人並んだ太后のうちどちらが本物でどちらが偽物かは、神の塔に祀られていた宝具の鏡を使わないとやはり判別できなかった。

「案外、あるじ殿の御同業かもしれんな」

「────魔物、……遣い?」

 思わぬ提言に傍らの仲魔達を振り返る。魔物遣い。名乗ればどこでも通じる程度には認知された肩書きのはずだが、実際そう呼ばれる人間に、僕は出会ったことがない。

 どうやら彼としてもなかなかに絶妙な閃きだったらしく、相変わらずの澄まし顔で佇むマーリンを満足げに見上げたピエールが、さも愉しそうに言葉を続ける。

「生業としてなら有り得るかと思ったまで。本質で言うなら、あるじ殿と同様にことを為せる者などそうおるまい」

 ピエールがまたくつくつと笑いを噛み殺し、マーリンが静かに頷き同意した。どういう意味だと二人に問い返そうとした、その時だった。

 

「────────ッッ、熱っ‼︎」

 

 唐突に、左手を猛火のような灼熱が襲った。骨まで焼くほどに熱を帯びた薬指をたまらず抑えて蹲る。

 乾いた砂の上にぽたぽたと脂汗が滴った。ホイミンが真っ先に近づいて覗き込んでくれたが、顔を上げて応える余裕もない。歯を食い縛り異変に耐える僕を、リーシャと他の仲魔達はただただ訝しげに見つめている。

 唯一、フードの奥をぎらつかせたマーリンだけが、おもむろに一歩進み出て僕を促した。

「指輪を。ご主人」

 は、はぁ、と自分の呼吸がやけに生々しく鼓膜を打つ。恐る恐る、右手を退けて熱源を見下ろした。焔を閉じ込めた丸い紅玉が鈍く赤い光を放っている。ちらちらと揺らめくその石の中を、炎が龍の如く激しくぶつかり旋回している。

 まるで、何かを知らせんとするように。

 すぐ思い至るのはたったひとつ、

 ────この指輪と、対の。

「……戻る」

 痛む左手を抑え立ち上がった。軽いどよめきの中から、真っ先に声をあげたのはやはりリーシャだった。

「テュールさん? 一体どうし」

「プックル!」

 鋭く遮った僕に呼応してプックルがととんと歩み出た。乗れとばかりに背を向けてくれた親友の毛並みをひとつ撫で、険しい表情の少女を振り返る。

「リーシャ。プックルに早駆けの魔法を頼めないか。……多分、馬車で戻るより早いから」

 言いながら手早く気配を探ったけれど、やはりルーラでは掴めない。まるでこの大陸の集落全てに鍵がかけられているみたいだった。もう何度も試してきたことで、今はそこに落胆している場合じゃない。

「……っ、嫌よ」

 そして、もうほとんど予測できた、彼女の返答にも。

「ちゃんと理由を言わなきゃ、かけてあげない! 一体どうしたの? あたし達をここに置いて行かなきゃいけないことなの? 大体テュールさん、いっつも肝心なこと」

「フローラが」

 急く心を必死に落ち着けて最低限の言葉を繕う。こうしている間にも、フローラが。

「フローラに何かあったんだ。もしくは指輪に。そうでなきゃ、炎のリングがこんな反応するはずない」

 今度こそ息を呑んだリーシャと仲魔達に背を向けて、黙って僕を待っていてくれたキラーパンサーを促す。

 もう、魔法がかかるまでの一秒すら惜しい。

「行こう。プックル」

 声かけと共に大きな背に跨った、瞬間プックルが勢いよく砂を蹴り加速した。取り残されたリーシャの「……もうっ!」と憤った声がみるみる遠ざかる。横殴りの風は昼間よりずっと強く、月明かりさえ砂塵に霞む。ひっきりなしに打ちつける砂粒を物ともせず、僕を乗せたプックルは暗闇の中を怯むことなく疾走していく。

 じんじんと痛む左薬指は絶えず、淡い光を灯し続けていた。

 脈動の如く赤い点滅を繰り返す様はまるで、彼女自身の命の灯火だとでもいうようで、

 ────消させるものか。

 

 

◆◆◆

 

 

 プックルが集落に駆け込むのと、速度魔法をかけ直し飛ばしてきた馬車が追いついたのはほとんど同時だった。

「あたしっ、祠見てくる!」

 減速もそこそこに、馬車から飛び降りたリーシャが叫び駆け出した。一人じゃ危ない、と注意を投げる隙もない。次いでスラりんとホイミンが幌から飛び出し、暗闇へと呑み込まれていく。手綱を操るピエールがこちらを見ながら些か気落ちした様子で言った。

「しびれんはすれ違ってしまったのか。せめて彼女は無事であって欲しいが」

「……そうだね」

 プックルの背から一度降り、静まり返った夜中の集落を見渡して相槌を打った。薄情だが、実を言えば探っているのはしびれんの気配じゃない。

(やっぱり、いない)

 密かに唇を噛んだ。いつぞや滝の洞窟で神経を研ぎ澄ました感覚を思い起こす。あの清涼な波動をすぐ近くに感じられない。きっと彼女はもう、この近辺にはいない。

「ごしゅじんさま! こっち、きてー!」

 更に深く気配を追おうとした瞬間、スラりんが向こうの小道から僕を呼んだ。ピエールが先んじて動き、僕も急いで後を追う。小走りについて行くといつの間に降りていたのか、マーリンやガンドフも集まって、集落の端の地面を囲んでいるのが見えた。輪の中央からホイミンのあたたかな魔法の光が漏れている。そっと近づき、彼らの傍らに膝をついた。右の掌に同じく治癒魔法を喚び起こして。

「────、しびれん」

 ゼリーみたいな白肌を淡い光でそっとなぞったら、微かに呻いていたしびれんがうっすらと瞼を開けた。

「ご、……しゅ、じん……さま……っ」

 とりあえず意識が戻ったことにほっとする。焦点を合わせた黒い瞳に僕が映り込んで、黙って頷いてみせると、透明な涙をいっぱいに溢れさせた。

「へんな、おとこが、……っふ、ふろーらちゃ……、まもれ、な……っ」

 後半はもう言葉にならなかった。ほのかな潮の香りと共に、大粒の涙がぼろぼろと砂地に降り注ぐ。途切れ途切れの独白の中に引っ掛かりを感じて、しゃくり上げるしびれんを覗き込んだ。

「男? 人間だったのか、しびれん」

 ううっく、と痛々しい嗚咽を堪えながらしびれんが頷く。まさか先ほど聞いた、怪しい人間と関係があるのだろうか。疑念がちらついた矢先、何か大きな布を咥えたプックルが低く唸って寄ってきた。長い牙に掛からないよう拾い上げられた、妖精の羽のような薄手のそれに心当たりがあった。

 繊細なレース編みを施された白いショールが月明かりの下、強風に翻る。先刻の夕餉の席で彼女の細い肩を包んでいたものだからよく覚えている。およそ防寒には適さない、部屋着でしかないそれがここに落ちているという事実は、彼女が長く外に居るつもりがなかったであろうことを如実に示していた。

 ────間が悪すぎたのか。僕達が出かけた時、その不審な男はこの集落か近辺に潜んでいたはずなんだ。

「うん……ごめんね。一人にして、心細かったろう」

 受け取ったショールを握りしめ、もう一度、しびれんの泣き濡れた頬を拭った。ほとんど傷の癒えた身体に柔らかなショールをかけてやる。先ほどからふかふかの身体にしびれんを抱いてくれていたガンドフと目が合うと、僕まで気持ちがほぐれる優しい瞳で頷いてくれた。

「この程度で済んで本当に良かった。あとは僕達に任せて。絶対に連れて帰るから」

 最後に触手を一度握って立ち上がる。いつの間にか起き出してきた住人達が、ランプの灯りを片手にこちらを囲んで見ていた。昼間も顔を合わせてはいたが、暗闇の中魔物達と話す僕への眼差しは警戒の色が強い。気にせず、仲魔達の顔をぐるりと見渡した。

 たった今采配を誤ったばかり、うまく指示できる自信なんてない。だが今は、迷っている暇こそないんだ。

 信じろ。みんなを、己の判断を。

「スラりんは僕と一緒に。プックル、悪いけどもう一度乗せてくれないか」

 呼ばれたスラりんが真っ先に跳ね上がり、僕の肩へと飛びついた。懐に入れば落ちることもないだろう。プックルも当然とばかりに鋭く呼応した。目配せだけで確かめ、次いで片腕ともいえる鎧の騎士を振り返る。

「出来ればピエールの力も借りたい。ついて来られる?」

「何とか。可能なら、例の早駆けを頂けると助かる」

「それは寧ろ、プックルにこそ掛けてもらいたいよ」

 怒りで沸騰しそうな今だからこそ、軽口がありがたい。ひとつ息を吐いて、まだ名を呼んでいない仲魔達を向き直った。いずれも緊張の漂う表情で僕の指示を待っている。

 全幅の信頼を寄せてくれているのがわかる、僕の頼もしい、かけがえない仲魔達。

「マーリン、ガンドフ。申し訳ないけどしびれんとリーシャを頼みたい。ホイミンも、しびれんの側にいてあげて。祠で待っていてもらっていいんだけど、暴漢の仲間がいないとも限らないから、念のため、常に周辺を警戒して欲しい。例の魔物のこともある。トヘロスと聖水をこまめに撒いて、何かあったら集落の人達を守ることを最優先にして」

「御意」

「オマ、カセ!」

 一通りの指示を下し終わると同時に、ほとんど食い気味に両者が答えた。一通りしびれんの施術を終えたホイミンも「まっかせて〜! ぜっっったいにふろ〜らちゃん、とりかえしてきてね〜〜‼︎」と彼にしては力強い激励をくれた。

「グランさん。これは……一体」

 人だかりを掻き分け、リーシャに連れられたシスターがまろび出る。既に事情は聞かされているのだろう。すっかり取り乱した様子で「奥様、奥様は」と繰り返す彼女と正面から相対した。

「落ち着いてください。あなたに非は一切ない。たまたま夜中に表に出て、運悪く賊と行き合ったようなのです」

「あたしが気になることがあって、先に外に出たの。……それで」

 倒れんばかりに息を呑んだシスターの肩を支え、ひどく萎れたリーシャが気まずそうに言い添えた。しびれんにかけたショールをちらりと見遣り目を伏せる。その仕草には何も答えず、慌てて駆け寄ってきた住民達に崩折れたシスターを任せた。改めて場を見渡し、猜疑の眼で僕らを取り囲む人々へと告げる。

「お騒がせして申し訳ありません。少々、不穏なことが起こっているようです。僕達が戻るまでどうか家屋から出ず、しっかり戸締りなさっていてください。戦える方はすぐ応じられるよう準備を。仲間の魔物を何匹か残して行きますが、彼らは善良です。皆さんに危害は加えません」

 半信半疑といった体で人々がざわめき出す。端からすんなり信じてもらえるとは思ってない。言うべきことは言った、あとはシスターが皆さんを説得してくれることを期待して、仲魔を促し集落を出ようとした瞬間、リーシャの懇願が背後に響いた。

「待って!」

 夜半の喧騒を一瞬で掻き消す、揺るぎなく響く若い声。

 それを振り返った僕は多分、ひどく冷ややかな目をしていたんじゃないだろうか。

「あたしも行く。連れて行って、お願い」

 さっきと同じ台詞だが、しかし媚びた色はない。ただ真っ直ぐ、真摯に僕を見つめる紫水晶の瞳から先に視線を外してしまったのは、居た堪れなさに負けた僕の方だった。

「……別に、リーシャの所為だなんて思ってないよ」

 白々しい。欺瞞めいた言い方に反吐が出る。

 誰の所為だ。少しの間だから、眠っているから、しびれんを残して行くから。もしものことを何一つ想定できていなかったのは僕だ。そのわずかの間に、目を覚ましてもし部屋にリーシャがいなければ、心配した君はきっと僕を頼って外に出る。そんなの、そんなこと、ちょっと頭を働かせればわかりきったことだったじゃないか。

 その上、非力でおよそ戦闘に向かないしびれん一人にこの場を任せた。力如何ではなく、フローラと親しいからという理由で。完全に僕の采配ミスだ。

「…………っ、でも」

 それでも。リーシャは己への憤りを、押し殺した声と共に絞り出す。

「でも、……あたしが無理やり着いて行かなかったら、きっとフローラさん、外に出ることなかったでしょ⁉︎」

 叩きつけられた忿怒は、彼女自身へ向かうもの。

 わかってる。ここにいる誰もが後悔している。きっと僕が一番、自分自身を許せずにいる。この苛立ちを彼女に向けていい理由はない。そもそも守りたいなら一緒に休めって、これじゃ本当にリーシャの言った通りでしかないのに。

 悔しい。悔しい。これ以上何も否定してやれない。せめて今は、己の非を責めることしか。

「今回ばかりは守ってあげられないかもしれない。正直、ここに居てくれたほうが僕はずっとありがたいけど」

 愛想の欠片もない僕の返答にも、彼女は強い眼差しで頷く。

「守ってくれなくていい。自分の身は自分で守るわ」

 力強く言いきって、もう彼女は僕の答えを待たず野次馬を振り返った。遠巻きに訝しむ人々を見渡し、一度深く息を吸う。強風に煽られて赤紫の長い髪がぶわりと待った。アメジスト色の風の中、彼女は石の如く響く高い声を張り上げた。

「皆さん、お願い! テュールさんを信じて。あたしは今度、新しく女王様にお仕えすることになった巫女です。この人達は、そこの魔物さんも、あたしをお城まで送り届けてくださってる最中なの」

 まるで神託の如く、彼女の宣言が集落内に響き渡る。女王に仕える、という言葉の意味を知らぬ者などここにはいない。不審感に満ちていた人々の視線がみるみるうちに畏敬へと変わっていく。エピカで見た、フローラを取り巻いていた空気とも違う、憧れと尊敬に溢れた眼差しを浴びて、リーシャは聴衆に向かってにこりと艶やかに笑うと更に高らかに叫んだ。

「非力な女性が暴漢に攫われたのよ? 助けるのは当然でしょ! アイシス様の御膝下で、暁の再来と謳われたこのあたしが行かなくてどうするのよ‼︎」

 相変わらず強気だ。自身の価値を武器にする彼女をこの時初めて見たように思う。ずっと普通の少女だと感じていたのが、ああ、この子は本当に力を継ぐ人間だったのだと思い知る。

 もうとっくに、その覚悟を決めていたのだということも。

 年配の方々が数名、おお、とどよめいた。数代前の女王、暁の巫女姫を知る人々なのだろう。この上ない名分を高らかに掲げたリーシャがさっさと僕を押し除け、プックルに抱きつくように乗り上げた。その小さな背を包むように後ろから跨る。あ、とリーシャが小さく呟き、すぐ後ろの僕を仰ぎ見た。

「でもテュールさん、手掛かりは? もう少しここの人達に話を訊いてみた方が」

「要らないよ」

 そっけなく答えたのと、プックルが駆け出したのはほぼ同時だった。首を叩いて方角を示すと、すぐに僕の意図を理解したプックルがそちらを向いて速度を上げる。慌ててリーシャが緋色の鬣にしがみ付きながら、キラーパンサーと必死に並走する緑のスライムへ手を伸ばし早駆けの魔法をかけた。

 指輪はもう点滅していなかった。けれど、じわじわと薬指から伝わる鈍い熱が、僕を彼女の居場所へと駆り立てる。

「指輪が教えてくれる。……絶対に」

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