Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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#20-2. テルパドール城(2/2)

 テルパドールに着いた翌日の朝。

 砂嵐がおさまり、外はからりと晴れている。宿の外が何やら賑やかで、今日は朝から市が立つのだと教えてもらった。

 早速城の図書館に行こうかと思っていたけど、それなら、と今日はまずのんびり買い物しようという話になった。

 仲魔達にも朝食を届けて、夕方まで自由にしていて良い旨を伝えた。さすがに市中を堂々うろついては何も知らない人々に恐れられてしまいそうだが、ここは幸い街の外れにあるし、衛兵の目が届くところなら変に咎められることもないはず。

 あまり褒められたことではないが、僕に連なる印ももらってあるから、彼らだけで門の出入りをすることも一応は可能ということになっている。

「テュールさん。見てください、これ、とっても綺麗です」

 宿を出て少し歩くと、オアシスに続く広い道にまばらにテントが張られているのが見えた。気の向くままに覗いていた最中、宝石に似た雑貨が並ぶ軒先でフローラが足を止めた。

「この間砂漠にたくさん散らばっていたやつだね? すごい、本当に花に見えるね。これ全部石でできてるんだ?」

「テルパドールでしか見られない希少な鉱石ですよ。お客さん」

 テントの中で荷の整理をしていた、恰幅の良い男性が愛想よく身を乗り出してきた。褐色の額に白いターバンをくるりと巻いた、いかにも砂漠の商人という雰囲気の彼は、淀みない謳い文句を流れるように披露してくれる。

「我々は砂漠の薔薇と呼んでおります。砂漠の特異な気候下でのみ生成される石でして、これは全て自然にできておるんですよ」

 へぇ、と相槌を打ちその石を眺めた。人の手を加えずこの形になるとは、自然が生み出す奇跡に驚嘆させられる。そういえば女王の扇も砂薔薇扇と呼ばれていたっけ。この美しさを象るまでにどれほどの月日を要するのか、そう思うとこの鉱石は正しくテルパドールの象徴と呼べるのかもしれない。

「こちらは特に質の良い砂漠の薔薇を選びまして、磨いた石を葉に見立て台座にいたしました。割れやすいものですので加工には向かないのですが、こうして置物にして飾ると災厄を退けると昔から言われておりまして」

 店主がいくつかの置物を選び、目の前に並べてくれる。質の良いものと言うだけあってとりわけ見事な造形で、本当に石で精巧に作られた薔薇の花にしか見えない。

「欲しい?」

 熱心に眺める妻の姿に興を引かれ、華奢な肩を抱き込み声をかけた。鉱石の一つや二つ、さらりと買ってやれる漢気を見せたいという下心も大いにある。唐突に僕の重みをその背に受け止めた彼女は軽く目を見開いて振り返ったが、すぐにほろりとはにかむと、気恥ずかしそうに肩をすくめて答えた。

「あ……いえ。ビアンカさんに何かお土産をお渡ししたいな、と思いまして。これでしたら綺麗ですし、珍しいものだから喜んでいただけるかしら」

 そう言ってほんのり、嬉しそうに微笑む彼女を目の当たりにして、僕の邪な下心は正直粉々に砕け散りそうだった。ええ、お土産でしたらこれがぴったりですとも! と盛り上がる店主とにこやかに頷くフローラの後ろ姿に、微笑ましくももやもや湧き出た黒い感情がつい滲み出てしまう。

「前から思ってたけど、なんか、妬ける……」

「え?」

 独り言のつもりだったのが、君はしっかり耳に留めて振り向いてくれる。先日改めて想いを確かめ合ったばかりで、甘えもあったかもしれない。僕を気遣ってくれるその表情を見ていたら、無意識のうちに腹の内側に溜め込んできたものがつい、噴き出してしまって。

「だってフローラ、絶対ビアンカ好きだろ。初対面の時からものすごーくビアンカに拘ってない? 求婚の時も式の後も僕よりビアンカのこと気にしてたし、こないだだっていきなりビアンカのこと言い出すしさ。何だかんだで一緒に温泉入るくらい仲良いし、今だって真っ先にお土産、とか……ほんっと、妬ける」

 そう、考えてみたら僕は、フローラから手元に残る贈り物をもらったことがない。その代わりに美味しい手料理をたくさん作ってもらっているし、実は彼女が、僕の破れた外套やシャツをこっそり繕ってくれていることも知っている。彼女に不満なんてない、けど何というか、僕より先にビアンカが贈り物をもらえるのかと思ったらつい、もやっとしてしまって。

 黙って聞いていた君の頰がじわじわ赤く染まっていく。困らせてるのはわかる、でも、どう見てもフローラは、僕よりビアンカを気にかけている気がするんだ。繊細で優しい君がとてもとても好きだけど、その十分の一でもいいから僕の恋心も理解してくれたら、なんてわがままなことも思う。

「そ、そんな……あの、確かにビアンカさんはとっても素敵な方ですが、テュールさんより、だなんてことは」

 僕が贈った瑠璃と金の耳飾りをしゃらりと揺らし、フローラは眉尻を下げて懸命に訴える。必死な君がまた可愛くて、困らせておいてそんなふうに思ってしまう罪悪感と、僕のために心を尽くしてもらえる悦びが綯交ぜになって、胸の中で激しく氾濫する。

 僕を好きだって、あんなに何度も伝えてくれているのにね。余裕がなくて本当に、ごめん。

「だって、本当に素敵なんですもの。大人っぽくてお綺麗で、笑顔がとても眩しくて、お側にいるとこちらまで明るい気持ちになれますでしょう? それに、……同じ、ひとを、好きになった方……です、し……」

 一生懸命言い募っていた君だけれど、恥ずかしいんだろう。野苺みたいに瑞々しい赤で白い首筋を染め上げ、フローラはついに消え入りそうな小声で囁き俯いた。いや、これは僕もかなり恥ずかしい……自業自得にも程があるが、赤の他人である店主はさっきから目を丸く見開き、このしょうもない痴話喧嘩──喧嘩ってわけでもないけど──をそわそわと見守っている。

「今まで親しいお友達も居なかったものですから、舞い上がってしまって……その、お気を悪くされていたなら、ごめんなさい」

 終いにはすっかり萎れたフローラにそんなことまで言わせてしまって、自己嫌悪と羞恥のあまり熱くなる頰を隠し、嘆息しながら小さく詫びた。

「…………ごめん。心が狭すぎた」

 そうだよな。考えてみれば君は筋金入りの箱入り娘で、長いこと修道院で過ごしていたような人なんだ。同世代の女友達と気軽に遊ぶような機会も、縁もきっとなかった。幼馴染のアンディですら、連れ立って出かけたことはなかったようだし。そこはつい安堵してしまうけれど、彼女がやっと得た友人にまで嫉妬してしまうなんて、狭量にも程がある。

「そうよーぉ。心せまーい、テュールさん」

 唐突に懐の脇から声をかけられ、不意打ちすぎて一瞬すくみあがってしまった。思わずそちらを睨みつければ、真新しい女官の衣服に身を包んだリーシャがくすくす笑いながら膝を抱えて座り込み、こちらを見上げている。

「しっ、心臓に悪い声のかけ方するなよ、リーシャ‼︎」

「気付かない方が悪いんでしょー。おっはよ、フローラさん! もう身体は大丈夫?」

 けろりと僕をあしらうと、リーシャはすぐフローラに明るく挨拶を投げかけた。穏やかに微笑み頷く妻を見て、ほっとしたように頰を緩ませる。

 それにしても、ここまで何度も気配に気づけないっていうのは……多分これ、何らかの魔法を使われているんだろうな。きっとまた古代秘術の類なんだろう。リーシャといいマイヤ様といい、この大陸の女性達はつくづく油断ならない。

「……どこから聞いてたの。立ち聞きとか趣味悪い」

「えっとねぇ、ビアンカさんて人の話をし始めたあたりから? 何々、テュールさんの恋敵⁉︎ そんな面白そうな話、隠してたなんてずるーい!」

 愉しげに笑いながらリーシャが僕を小突き、次いで腕を絡めてぐいぐい引っ張る。ああ、うん、こういうところやっぱり似てるかもしれない。「いえ、どちらかというと、私の……で、ですよね?」とフローラは遠慮がちに申し出てくれたが、いや、そうなんだけどそうなのか? なんだかどんどん頭が混乱してくる。

「なんだかややこしいのねぇ。あ、そうそう荷物ありがと! ちゃーんと問題なく受け取りましたっ」

「そっか。そりゃ良かった」

 びし! と額に手を添えて兵士の如く敬礼してみせるリーシャが可笑しくて、つい笑ってしまう。フローラと二人、くすくす肩を震わせていたら、僕らの様子を眺めていた鉱石売りの店主も楽し気に声をかけてきた。

「そちらは新入りの巫女さんかな? 可愛いお嬢さん」

「そうなの。叙任式はまだ先なんだけどね! ふふっ、これからよろしくね、おじさん」

 笑われてぷぅっと頬を膨らませていたリーシャだったが、店主の言葉に気を良くしたらしい。ころっと弾けるあどけない笑みを、惜しげもなく彼に向けた。

「叙任式? って、いつやるの?」

「新年の祭祀の時よ。見ていってもらえたら嬉しいけど、さすがにその頃二人はいないよね」

 うーん、と軽く唸り「そうだね。残念だけど」と返した。

 年が明けるまで凡そ一ヶ月、次の目的地はまだはっきり決まっていないけど、多分その頃にはストレンジャー号もサラボナに戻っているだろうし。

「いつになるかわからないけど、落ち着いたらまた顔を見にくるよ。真面目に女官してるリーシャも見てみたいしね」

 せっかく女王から空間転移の許可もいただいたのだから、使わない手はない。小さな頭をぽんぽんと軽く撫でたら、リーシャは暫し驚いたように目を見開いていたが「うんっ。楽しみにしてる!」とすぐにまた屈託ない笑顔を向けてくれた。

「ねね、まだすぐには帰らないんでしょ? フローラさんとお茶したーい! いつだったら誘っていい?」

「いつだったらって……逆に、リーシャはいつならいいのさ。その服着てるってことはもうお務め始まってるんだろ? ていうか、僕は混ぜてくれないのか?」

 さも当然のように除外されてるのが悔しくて、余計な一言を添えたのが運の尽きだった。店主とフローラの目の前で、僕は年下の少女から憐憫に満ちた痛ましい眼差しを注がれるという屈辱を味わう羽目になったのだった。

「テュールさん、女の集いに混ざりたいの……? 女装でもしてくる?」

 まじまじと見つめながらとんでもないことを言い出すし。「何それ。テルパドールじゃお茶する時は女装しなきゃいけない決まりでもあるわけ?」となんとか反撃したが、口達者な年頃の少女に僕が口で勝てるわけがない。

「そうじゃなくて、女の子だけできゃっきゃしたい時があるの! 好きな人のこと話したり、お洒落の相談したりね。そういう場に女の子として参戦したいの? って聞いたんですけど⁉︎」

 知らないよそんな文化。詳しいことを話せない僕も悪いけど、こちとらまっとうな人付き合いもろくにせず、今日まで生きてきたんだから。極め付けに「あー、でもテュールさんはどうせフローラさんの惚気話しかしないだろうからやっぱ来なくていいわ。もーお腹いっぱい」などとぼやかれて、僕は憤慨し、フローラは恥じらいのあまり、それぞれが耳まで真っ赤にして口籠ってしまった。

「ま、でも優しいテュールさんは反対なんかしないもんね。奥さんが友達とお茶するのも嫌だなんて、心せっまーいこと言わないわよねー?」

 ほんっと、よくもまあこれだけ小気味良く、ぽんぽんぽんぽん人をおちょくれるもんだと思うよ。

 げんなりしつつも気を取り直し、「言わないよ……フローラが行きたいならもちろん、いつでも行ってきていいから」とおろおろ見守っている妻に優しく声をかけた。あたしと態度が違いすぎる! とリーシャはまたもやぷりぷり怒っていたが、仕方ないじゃないか。どうしたって僕にとって、フローラと他の女性なんてそもそも、比ぶべくもないのだ。

「明日あたりから図書館で調べ物するつもりだから、暇な時誘いにきたらいいよ。今日は散策と買い物して、夕方はまたお呼ばれしてるしさ」

「知ってる。あたしもこれから準備、手伝ってくるんだー」

 例の魔物や女官長の一件はまだ公にはされていないようで、そこは弁えているらしく、リーシャも店主の前で詳しいことは口にしなかった。代わりに「ふっふーん。度肝抜いてやるから覚悟しておきなさいよ! やっぱ結婚しとけば良かった、なんて後悔したって遅いんだからねー!」などと意味不明かつ居丈高な台詞を投げてくる。呆気にとられた僕らを尻目に、リーシャは得意げに胸を張るとぴょこんと跳ねて立ち上がった。

「じゃっ、二人とも。またあとでねー!」

 その慌ただしさたるや、春の嵐の如くである。軽やかに声を上げ駆け去っていく背中を見つめ、僕は思わず疲れた息を吐いた。

「いやぁ、元気な新入りさんだ! 賑やかになって良いねぇ」

 声を上げて笑う鉱石屋の店主に苦笑いを返し、改めて商品を見せてもらった。僕とリーシャがやりあっている間にもフローラはちらちらと置物を眺めていたらしく、さほど時間をかけることなくビアンカへの土産品を選んで顔を綻ばせていた。……いや、うん、これ以上狭量なことは言うまい。幼馴染の男への贈り物でないだけずっとましだと思うべきだ。

 ────どれだけ心が狭いのか、僕は。

「ありがとうございます、テュールさん」

 壊れないよう綿入りの箱に念入りに包んでもらい、フローラは嬉しそうに僕を振り仰ぐ。そんなに幸せそうにされては、微妙な顔などできようはずもない。「喜んでくれるといいね」と微笑みを繕い答えたら、彼女はまた愛らしく笑い頷いていた。

 ……そうやって今、君を微笑ませているのは僕じゃなくてビアンカなんだよなぁ。なんて思っちゃうことが僕はもう切ないんだけど。こんなにも好きで仕方がないんだってこと、いつになったら君にちゃんと伝わるだろう?

 

 

 

 その後もつらつらと市のテントを回り、珍しい魔道具や武具を買い込んだり、見慣れない軽食に舌鼓を打ったりしているうちに、あっという間に時間が経ってしまった。

 テルパドールの人々は秘術の扱いに長けた民族なのかもしれない。北の大陸では見たことのない魔道具をたくさん見つけた。特に、混乱した者を正気に戻す鈴は初めて見た。仲間が狂乱すると抑える方も辛いし、正気に戻った本人も気落ちすることが多い。お守り代わりに持っておいてもいいかな、と思い多めに買っておくことにした。

 武具といえば、この時もちょっとした口論になった。

「でも、先日のように魔法が使えない状態になれば、私は何もできなくなってしまいます。剣は無理でも、せめて自分の身を守れれば……」

「だったら指輪で十分じゃない? ちゃんとみんなでフォローするから、フローラがそこまで気にしなくていいんだよ。確かにこれならフローラも叩けるようになるかもしれないけど、そのために前に出るような真似はして欲しくない」

 魔力を少し使って腕力に変える、という不思議な杖をフローラが見つけたのだ。今まで武器らしいものは何も持たせていなかったけれど、自分も何か持ちたいと彼女の方から言い出した。

 気持ちはすごく嬉しいけど、攻撃を届かせるってことはそれだけ相手の間合いに入るってことだ。折角マーリンから魔法を習っているのだから僕としてはそれで十分だと思うし、元々非力な彼女にどれだけの打撃を期待できるのか。もっと本音を言えば、彼女を敵の間合いになんて一歩だって入れたくない。

「魔法が効かない、ということもありますでしょう? 詠唱には少なからず時間がかかってしまいますし、指輪の魔力だけでは敵を討つに至りません。それに、まだ……攻撃魔法は、教わっておりませんから……」

 段々と尻すぼみになり、フローラはついにしゅん、と項垂れてしまった。身躱しの服にさらりとかかった碧髪を掬い上げ、小さな頭を優しく撫でてやる。

「十分すぎるほど助かってるんだよ。本当に。フローラは判断が的確で早いし、この間だってフローラのバイキルトがなかったら倒せてなかったと思う。ほら、マーリンだって特に武器は持ってないだろ? フローラに攻撃が及ぶかもって思ったら僕が集中して戦えないし、君には今まで通り、なるべく後ろから援護して欲しいな」

 そう諭してみたもののどうにも釈然としない様子のフローラだったが、何か買うにしてもとにかくこの場で決めないで、もう少しよく話し合ってからにしよう? と提案して、何とか頷いてもらった。とは言っても、これに関して譲るつもりは毛頭ない。

 その店の隣に出ていた、女性向けの装備品を扱うテントにはこれ見よがしに色っぽい……いやどうみても女性用下着にしか見えない、ビスチェと呼ばれる装具が軒先に吊るされていた。うっかり視界に入れてしまった僕は大陸に着いた日のことを思い出し、めいっぱい赤面してしまう。

 魔力を封じた特殊な加工で見た目以上の防御力を秘めるというが、正直あんな性的に唆られるものを白昼堂々外に置かないでほしい。目のやり場に困る。多分この辺では慣れたものなんだろう、通り過ぎる男達の視線が舐めるような……いかにも目の保養といった感じでにやにや通り過ぎていくのが、妻の前でまた居た堪れない。

 強度を高める工夫ができるならもっと身躱しの服のような、普段着らしい装具に仕立ててくれればいいのに。

「わ、わわ、私、防具はこれで十分ですから」

 僕の様子からフローラも気づいたらしく、ビスチェから顔を背けあわあわと言い繕う。

「下着みたいだし、中に着るって手もあるかもよ?」と言ってみたが、それでも真っ赤な顔をぶんぶん横に振っていた。心配しなくても人前であんな格好させないから……ああ、ほんっと莫迦な考えが頭を過る。

 これを言ったら軽蔑されるよなぁ。脱がせていいなら僕の前でだけ着て欲しい、なんてさ。

 陽が中天を過ぎる頃からぼちぼちと店仕舞いが始まり、僕らも軽く昼食をとったあと、宿に戻った。

 夜は女王にお招きいただいているから、少し時間に余裕を持ってそれぞれ身支度をする。僕はすぐに終わってしまったので、早めに湯をつかったフローラの髪を乾かすのを手伝った。タオルで丹念に水気を取り、温めた石に長い髪をあてながら梳かして乾かしていく。碧髪の間から覗く白いうなじがうっすら桃色に染まって、唇を添わせたい衝動を懸命に堪えた。

 こうしている間にも、心地よい花の香りが広い室内にほんのりと漂う。衝立の向こうで微かなざわめきを感じて、今すぐ可憐な妻を自慢してしまいたいような、やっぱり隠しておきたいような相反する欲求に駆られる。

 見慣れた白い上品なドレスに着替えて髪を整え、薄化粧を施した妻は普段以上に清楚で、輝いて見えた。いつもながらここは周りが褐色肌の人ばかりだから、彼女の白さが余計に際立つ。太陽が西の地平に近づいていく頃、すれ違う人々の注目を嫌というほど浴びながら、異国の姫君か、女神とも見紛う妻の手を引いて城へと向かった。

 出掛けに馬車を覗いたが、夕方待ち合わせたはずの仲魔達は誰も戻っていなかった。みんなも招待していただいてるんだけどなぁ、と首を捻りつつ、遅れては申し訳ないので先を急いだが、実際遅かったのは僕達の方だった。城門に辿り着くと衛兵達が早速僕らを取り囲み、「お待ちしておりました。ただ今、お仲間の皆様には城の者達がご指導をいただいておりまして」とにこやかに言う。は? と思いきや、正門を潜ると左手から響く激しい剣撃の音と共に、耳慣れた掛け声が聞こえるではないか。

「ひゃあっほー! ぴえーるかぁっこいーっ! そこだーっ、いけいけーっっ!」

 ノリノリではしゃいでいる、これはスラりんの声だ。多分他の仲魔達もその近くで応援している。うおォ‼︎ と壁をも揺るがす野太い咆哮を斬るように「その踏み込みや良し!」と叫んだのは正しくピエールで、瞬間キィン! と鋭い金属音が響き渡った。慌てて鍛錬場に駆け込めば「勝負有り! ピエール殿、まことお見事でございました!」と両者の間で仰々しく判定を下す兵士あり、がくんと跪いては「くっ、力及ばず……無念!」と真剣に悔やむ体格の良い兵士あり、同じく鎧達の歓声に囲まれ「重みの効いた良い剣でござった。右脇がやや甘いようだ、気をつけられよ」などと偉そうに講釈を垂れるスライムナイトの姿あり。

「何やってんの、みんな……」

 がっくりと肩を落としつつ声をかけると「かような情けない顔をされては色男が台無しですなぁ、あるじ殿」と快活に笑い飛ばされた。機嫌がよろしくて結構なことで。

 暇を持て余し、街を出ようとしたところで衛兵達に誘われたらしい。外に魔物が少ないことはわかっていたし、人間と手合わせする機会などこれまで皆無に等しかった彼らは大いに興味をそそられたようだ。結局みんな連れ立って鍛錬場にお邪魔して、兵士達の訓練に混ぜてもらっていたのだと。

 魔物相手で変に萎縮されていないか不安に思ったけれど、観戦席に紛れ込んだスライム属達がわきゃわきゃ盛り上げたお陰で警戒心もどこへやら。あの夜ピエールやプックルの活躍を見ていた兵士も何人かいて、是非手合わせを! と意気込まれて今に至るそうだ。

「皆さん、活き活きしてらっしゃいますわね。とっても楽しそうで、なんだか羨ましくなってしまいます」

 いつもの綺麗な立ち姿で微笑ましげに皆を眺めていた妻だが、実は彼女自身に熱い視線を注がれていることには全く気づいていない。あれは天女か⁉︎ とこそこそ囁きあう声が聞こえて、思わず不必要なほど彼女の近くに立ち周囲を牽制してしまった。

 疑問符を浮かべながら振り返った彼女に愛想笑いを向けて、そろそろ行こうと促しかけた矢先、耳聡く聞きつけて寄ってきたスライム属達が嬉々としてフローラを取り囲んだ。

「えっ、うらやましい⁉︎ ふろ〜らちゃんもやってみる〜⁉︎」

「おりゃー! きえー! ってやるの、たのしかったー! スラりんももっかいやりたーい!」

「待って、みんなしてフローラに変なこと教え込まないで⁉︎」

 なんとも他愛無い、可愛いお誘いにすぎないが思わず本気で止めてしまった。だって、ついさっき武器のことで揉めたばかりだってのに、ここぞとばかりに打撃練習をしたいなんて言い出したらたまったもんじゃない。

 果たして、僕の妻は茶目っ気たっぷりな人でもあったことを失念していた。

 ぐっと両腕をのばし、素振りの真似事をしたかと思えば、彼女は唐突に「オリャー! キェーっ!」という愛らしくも勇ましい奇声を高々と上げたのであった。突然の妻の奇行にあんぐり口を開けたしびれんと、逆にやんやと大喝采のホイミン達に向かってフローラは「うふふ、本当ですのね。思いきり声を出すと楽しいですわ!」と花も綻ぶ満開の笑顔を向けた。

 待って、本当に腹筋がやばい。我慢したくても、以前ストレンジャー号で君が見せてくれた可愛すぎる叱咤激励まで思い出して、こみあげる笑いを抑えきれなくなってしまう。ああもう、本当に君ってひとは。

 ぶっくくく、と背中を震わせ笑う僕を振り返り、フローラは実に不本意そうに唇を尖らせたが、遠巻きに見つめる兵士達の唖然とした様子にようやく気づいたらしい。「淑やかなばかりでないことは、あなたが一番よくご存知ですわよね」と気恥ずかしげに肩をすくめてみせた。

 うん、知ってる。でもあんまりそういうところ、他人には見せないでね。可愛すぎて気が気じゃないから。

 ご滞在中はいつでもどうぞ! だの、今度は是非ご主人様とお手合わせを! だの口々に請われつつ、ピエール達を引っ張りようやくその場を後にした。もっと遊びたかったー! とぶつくさ文句を言う仲魔達の中、にこにこ大人しくついてきてくれるガンドフについ癒されてしまうのも致し方あるまい。

 そういえばマーリンがいないな、と思ったら案の定、鍛錬場とは反対方向にある図書館で黙々と本を読んでいた。君達自由気ままに過ごせて良かったね。本当に。

 

 

◆◆◆

 

 

 そんなこんなで仲魔達を回収し、女官に取り次いでもらって案内いただいた先は、昨日も訪れた地下庭園だった。

 階段を降りるところから独特に雅な音楽が聴こえて、フローラがうっとりと瞳を細める。

 降り立った美しい緑園でまず目に入ったのは数名の女官による楽団、真ん中をくり抜いて拓けた庭園の端々にご馳走を載せたテーブルが置かれる。スパイシーな香りがここまで漂ってきて食欲をそそる。昨日も通された東屋の近くには豪奢な敷物が敷かれており、仲魔達はそこで自由に寛いで良いらしい。早速ごちそうを皿いっぱいに盛りつけ大喜びでかぶりついていた。

 遠慮を知らない仲魔達の振る舞いに肝を冷やしつつ、促されるままに東屋の席につく。申し訳ないがあまり酒に強くないことを伝えると、ごくごく軽い祝い用の酒を注いでくれた。

「この度はまことにありがとうございます。このような素晴らしい宴にお招きいただき、恐れ多くも幸せに思います」

 すぐに降りてきてくださったアイシス女王を目にして立ち上がり、フローラと並んで礼をとった。まっすぐこちらへと歩を進めながら、女王は落ち着いた美しい微笑みを返してくださる。

「本来ならば、城下の民に皆様をお披露目したいくらいなのですが。まだ事の処遇を決めかねております故、内々の席を設けるしかできず申し訳なく思います。どうぞごゆるりと、羽を伸ばして行かれませ」

 そんなことされたらもう街を歩けない。ご沙汰が決まってもお披露目だけは何卒ご勘弁願いたい。

 ダンスはいかがですか? と尋ねられたが、僕はあいにくそっち方面はからっきしだ。単に物知らずなのもあるけど、多分絶望的にセンスがない。踊りや音楽の才能に恵まれた方が些か羨ましい。その分、父から多少剣技の才を継ぐことができているのだろうから文句はないけど。

 フローラは多分踊れるのだろうが、僕に合わせてか、勧められてもやはり微笑んでは首を振っていた。

 主賓が役立たずなので、余興として女官による演舞が披露された。東屋前の拓けた舞台に、色とりどりの衣装に身を包んだ女性達が次々舞い込んでくる。先ほどの民族的な音楽に合わせて蝶の如くひらひらと舞う様はなんとも幻想的で、どこか神の存在をも思わせる。

 次は真っ白なローブを身にまとった女性達が、細い笛の音に合わせて優雅に踊ってくれた。儀式などで神々に奉納するために舞う神聖なものらしい。初めの舞よりさらに神秘的な空気に満ちたその空間に、僕もフローラも思わず言葉を失くして見惚れた。

 続けて音楽が聴き覚えのある旋律に変わる。どこで聴いたか、不思議な感覚に身を固くしていたら、新たに三人の女官が前に進み出た。と思ったら、そのうちの一人がリーシャだった。目が合うと気恥ずかしげにはにかんでみせ、他の二人と同時に息を吸い、歌い出す。

 ああ、これ、あの時の歌だ。

 独特の音階に彩られた歌声に覚えがある。夜中にリーシャと訪れた祠で、儀式をやった時の歌だ。あの時は変な感覚に凌駕されて、じっくり聴く余裕がなかった。

「大変古くより、子守唄として歌い継がれてきた歌です。……そういえばグラン殿は、東の祠の潔めもお手伝いくださったとか」

 隣に腰かけた女王から静かに問いかけられ「いえ、僕は、リーシャの伴をしただけで」とあわあわ首を振った。惑わしの霧と言ったか、結構な大事だったようだしリーシャが報告したのかもしれないが、あの儀式で寧ろ余計なことしかしなかった僕は、お咎めをいただくのではと気が気でない。

 舞や歌をご披露いただく間にも、東屋には次々に見慣れない料理が運ばれてきていた。有り難く摘ませていただきながらちらりと仲魔達を盗み見れば、全くペースが衰えていない。相変わらず遠慮なくご馳走を頬張っては、繰り広げられる演舞に触手でぱちぱち拍手したりして楽しそうに見入っている。どうやら彼らの分の料理も十分ご用意くださっているのは見てとれたが、頼むから調子に乗って早々食い尽くしてくれるなよ、とひやひやする。

 女王から二杯目を勧められ、恐縮しつつも昨日の芳茶をいただけないかとお願いしたところ、快く頷いていただけた。芳茶を気に入っていたフローラも同様に盃を頂戴し、花びらが踊る温かい芳茶を嬉しそうに味わっていた。

 贅沢なひと時を楽しんでいて、すっかり油断していた。

 次の一団が舞い込んできた瞬間、あやうくお茶を噴き出しかける。港町モン・フィズの宴でフローラが着せられた、布地の少ない衣装の人々が踊り始めたのである。いや確かに踊り子マーニャを模した服だと聞いてはいたけど‼︎ 実際にこの衣装で踊られると視覚的破壊力がものすごい‼︎

「マーニャ様はあの出で立ちで魔王を倒されたと伝えられております」とすました声で告げられ、思わず目を剥く。あんな格好で戦ったのか、怪我をしろと言わんばかりじゃないか。とにかく露出が多い、立っているだけで裸を見ている気分になる。ひらりひらりと舞うたび際どいところが目に入って、もうどこを見ればいいのかわからない。しかも否応なしにあの夜の艶かしかった妻を思い出してしまう。もっと純粋に演し物として観られればいいんだろうけど、耐性がなさすぎて。

「あ、あなた。ポートセルミで見た踊りに少し、似ている気がいたしませんこと?」

 ぽぽぽ、と音がしそうなほど茹だった頰を両手で抑え、一生懸命鎮めんとするフローラが努めて明るく言ってくれた。僕も気を紛れさせたくて必死だ。「そ、そうかな、そうかもね」と目を泳がせつつ、しどろもどろ答える。

 ほんとそういうセンスがないから、似てるなんて発想にも至れない、というかポートセルミのステージ、全然覚えてない。舞台はあったけど、どんな演目をやってたか皆目見当もつかない。初めて辿り着いたときは船の揺れが身体に残ってぐらぐらしてたし、思いがけず父らしき人の噂を聞いて高揚してたし、そうそう、カボチの人が絡まれてたのを助けたりっていうそっちの記憶しかなくて……結婚直後だって、船出の準備でばたばたしてたしさ。単に直視し辛くてよく見てなかったのもあるけど。

 フローラが似てるっていうならきっと間違いないのだろうけど、逆によく覚えているなと感心する。

「もしよろしければ、一着用意させましょうか?」

 くすくすと女王に笑われ、僕らの赤面は最高潮に達する。

 いいえ、私には全く似合いませんから! と両手を突き出し必死に固辞するフローラを、硬直した僕の向こうから女王が愉しげに見遣った。だめだ、この空気でちょっと欲しいかもなんて絶対言えない。昼間感じたどうしようもない欲求が、腹のあたりでむずむずと燻ってしまう。

 さらに音楽が変わり、今度は占者の装いの女性達が進み出て歌い始めた。端の方にリーシャがいて、楽しげにのびのびと歌っている。その歌に合わせて、左右に分かれた先ほどの艶かしい踊り子達が掛け合うように舞い踊る。一際若いその一団は見習い女官達なのだろう、さすがにあまり整った動きではないけど、瑞々しく勢いのある踊りはとても魅力的だ。

「伝説の戦いを歌い継ぐ舞でございます。テルパドールの民は昔からこの歌劇を大変好みますゆえ、どの集落でも祭りの際は必ずこれを踊ります」

 目を細め説明してくださる女王に、はい、と覚束ない首肯しか返せない。なるほど、魔王との決戦の伝承を舞にしているのか。

 これ見よがしに得意げな視線を送ってくるリーシャを羞恥に耐えつつ軽く睨み返していたら、フローラがきゅっと僕の服の脇を掴み、小声でぼそり、呟いた。

「よそ見、しないでくださいね……」

 するわけないってば。

 真っ赤な顔で遠慮がちに僕を見上げてくるのも可愛いし、ちょっとしたやきもちを面に出してくれたのが嬉しくてたまらない。顔を近づけ「しないよ。フローラのあの姿、思い出してただけ」と小さな耳許に囁き返したら、ぼんっ! と聞こえそうなくらい頭のてっぺんまで一気に火照った。ああ、ほんと可愛い。

 ますます真っ赤になって俯くフローラをにこにこ見下ろしていたら、微笑ましげにこちらを眺めていた女王がおもむろに声をかけてきた。

「つかぬことをお伺いしますが、────グラン殿」

 フローラのお陰で大分赤面が落ち着いてきた僕は「はい、何でしょうか」と女王に向き直った。思いの外真剣な眼差しが真正面から僕を捉える。例の魔物との戦闘のことで、何か気になることでもあったのかな。そんなことを思いながら視線を受け止め、首を傾げた。

 果たして、彼女の口から紡がれたのは……、全く予想もしなかった問いかけ、だった。

 

 

「グラン殿のお父上はもしや……、パパス、というお名前ではありませんでしたか」

 

 

 ────血が、

 一瞬、巡るのを止めた気がした。

 低い、物静かな女王の声が脳内に遠く反響する。唐突すぎてすぐに言葉も出なかった。唇だけ虚ろに戦慄かせた僕を、女王はただ真摯に見つめて逸らさない。

「…………っ、どうして、それを」

 真っ白な頭からそれだけを絞り出す。瞬きを忘れた瞳孔が目の前の女王を映し返した。その嫋やかな二の腕を掴んで揺さぶりたい衝動を堪えて、もう必死に抑えながら前のめりに詰め寄った。

「父を……っ、ご存知なのですか⁉︎ 父も、僕と同じようにかつて、勇者を求めてここを訪れたのでしょうか‼︎」

 やっと迸った問いも、彼女の黒く深い瞳に溶けて消える。

 何故言い当てられた? 昨日、僕は父の名を告げていない。父が亡くなったことは確かに言った。心を読むことで知ったのか、一体何をどこまで読んで父が『パパス』という人だと思われたのか、まるでその人に心当たりがあるような問いかけの意味は。

 よくよく考えれば、恐らく女王は父が亡くなった時にも成人していらっしゃらない。見た目で女性の年齢を測る芸当は僕にはできないが、目の前のこの妙齢の佳人がポートセルミの船長達ほどお年を召していないことくらい僕にもわかる。

 さらにラインハット地方は遙か遠い北の地、そこで十年以上前に亡くなった人間と面識があるはずも、あったところで凡そ十五年は昔の話を覚えていらっしゃるかも定かではない。

 しかし、ここは勇者の墓として伝えられる聖地。父の目的は勇者を探すこと。もしかして、もしかしたら、いつか僕や彼の願いを知る誰かがここに辿り着くことを予見して、父が痕跡を残したということもあるのではないだろうか。

 目まぐるしく思考が回る。ほとんど腰を浮かせて息を詰めた僕を、女王はわずかな動揺も見せず、漆黒の双眸で静かに覗き込んだ。

「面識はございません。我が国にご来訪があったかどうかも定かではございません、が……私が昔、宮仕えを始めたばかりの頃、城内でまことしやかに囁かれた噂話がありました」

 僕の瞳の奥の奥、彼女から見える何かにひたすら目を凝らすように。女王はその眼差しを揺らすことなく、ゆっくりと告げる。

「もう十七、八年も前のことです。とある東方の国の武勇の王が、生まれたばかりの王子を伴い自ら旅に出られたと。────魔族に連れ去られた、かの方の王妃を救うために」

 

 

「………………、王?」

 

 

 何か、いきなり関係ない話をされたような。父の境遇とよく似た話のような気はするが、僕の父は王ではないし、母は王妃などではない。

 少しだけ頭が冷えた。意図をよく呑み込めず、ようやく目を瞬かせた僕を、アイシス女王はひどく真剣な眼差しで再び真っ直ぐに見つめ返した。

「遥か東、南大海を超えた大陸の峡谷奥地に、グランバニアという国がございます。建国七百年余の歴史を誇る大国ですが、三、四十年ほど前……いえ、当時はちょうど各地で魔族との紛争が激化し、いくつかの国々がこの世界から姿を消した頃でした。かの地でも大規模な衝突が度々起こり、かなり深刻な痛手を被られたようです。その影響から他国との親交もほぼ途絶えていたものと思われます」

「は、はい……あの、それが僕の父と、どう」

 関係あるのか、と問おうとしたが女王の気迫にまた押された。

 研ぎ澄まされた女王の瞳が鋭く僕を射抜く。ただ見つめられているだけなのに息もできない。何故か膝をつき、腰を屈めて……頭を低めてから、アイシス様が僕の手を取り恭しく、見上げた。

 勇者でもない僕に、まるで、臣下が礼をとるように。

「申し訳ございません。昨夜から書庫を調べさせましたが、残念ながら詳しい記録は残っておりませんでした。我が国が保管できておりましたのは今から凡そ二十年前、パパス・パンクラーツ・グランバニア新王陛下のご即位に関する報せと、そのご成婚を報せる文を頂いた時の記録のみでございました」

 

 ────パパス・パンクラーツ・グランバニア新王陛下。

 

 鈍い僕でも女王の言いたいことがなんとなくわかってきた。いや、わかったというか、あくまで話の筋が理解できてきたということであって、実感は全く伴っていない。絵空事の、お伽噺を聴いてるみたいな。あれ、今のこれって本当は夢だったりしないか?

 なんて不敬な、畏れ多い夢を見ているんだろう。

「ここからは当時を知る者達の与太話ではありますが、お聞きくださいますか。めでたい報せを頂いて数年と経たぬ頃、グランバニア王国にて重大な変事有りとの報告がもたらされました。曰く、パパス王が妃、マーサ妃殿下が王太子ご出産の直後、魔族の手によって拐かされ姿を消したと。パパス王は御自ら王妃を救い出すため、王弟殿下に王位を預け出奔なさった……そのように伝え聞いております。まだ赤子であった、彼の御子息を伴って」

 

 彼女が一言、ひとこと、言葉を紡ぐたびに、

 自身の脈動が耳障りな衝動に変わっていく。

 

「…………、マーサ」

 

 嘘、だろう。

 耳の中が煩い。ちゃんと話を聞かないと、でも自分の動悸が両の鼓膜をずっと打ち鳴らしていて酷く煩い。何度も胸を温めたその名が、今は何故か借り物みたいにひどくよそよそしく響く。

 何で。嘘だ。怖いほどの偶然だ。そんなはず、あるわけない。

「お聞き覚えが、おありですか」

 どれだけ自分を制しても、冷静になれと諭しても。女王の問いかけを誤魔化すことが、できない。

「……母の、名です。……そんな」

 恐る恐る、口にしたその時初めて、手や唇が小刻みに震えていることに気がついた。女王の冷たい手に包まれたままの右手がひどく汗をかいている。なんと不敬な、わずかな正気で思ったけれど、まるで自分のものではないというように強張った身体は腕を引くことすら許してくれない。

「堅牢たるグランバニア王城から王妃が拐かされたとあって、我が国も大変に震撼いたしました。女王、ひいては天空の兜を奪われるわけには参りません。若輩の身でありましたが、当時の緊迫した空気は私もよく覚えております」

 それまでずっと僕の瞳を捉えていた女王が、ふと痛々しげに眉根を寄せ、視線を膝へと落とした。

「……そうですか。消息不明のまま十数年、大陸を越えて勇猛果敢で知られた御方が……亡くなられていらしたとは」

 頭がぐらつく。女王の呟きがひどく、遠い。耳の奥で雑多な音がわんわんと木霊して。

 夢か現かも判じられない気持ちの悪い感覚の中、女王のいたわしげな声が「お父上は、いつ」と問う。ほとんどまともに回らない思考を叱咤して「六歳、の時、です」とだけ答えた。

 父の最期、蒼白い肌の魔族と業火の残像が瞼の裏をかすめる。今も鼓膜にこびりついて消えない断末魔。命を振り絞り僕を呼んだ、壮絶な父の声。

 僕を覗き込む女王に今、この光景は視えているのだろうか。

 祈るように僕の掌を押し戴いていた女王が、長い沈黙の後、そっと手を放して低く告げた。

「あなたがもしも、パパス王がお連れになった幼子である可能性がおありなら────グランバニアに、向かわれるのが宜しいかと存じます」

 それきり、女王は唇を引き結ぶと音も立てずに立ち上がった。椅子の背に両手を添え、きっとあの美しい立ち姿で僕を見下ろしているのだろう。

 僕の反応を待っているのかもしれない。けど、今は地面をただ睨むことしかできない。顔を上げることももう、できなくて。

「────…………、あなた」

 ずっと僕の後ろで静かに話を聞いていたフローラが、強張った背中をそっと撫でて、吐息だけで優しく僕を呼んでくれる。

 その鈴の声を聞くだけでほんの少し、張り詰めていたものが弛んだ。けれどまだ頭はごちゃごちゃしたままで、黙って僕の返答を待っている女王にとにかく何か答えなければと、渇ききった喉を無理矢理に開く。

「すみません、……ちょっと……まだ、気持ちの、整理が」

 深く俯いたままなんとか告げれば、また哀しげに僕を見下ろした女王が頷いて腕をすっと泳がせた。と同時に、じわりと周囲の喧騒が戻ってくる。今までなんらかの結界を貼られていたのかもしれない。気づけば演舞は終わり、先ほどより人数を減らした楽団が弦楽器を静かに奏でていた。歌っていたリーシャ達ももういない。宴の終わりを告げる穏やかな雰囲気に、強張りきった身体と意識が少しずつほぐれていく。

 女王が東屋を離れ、それと同時にフローラの温かな手が何度も優しく背をさすってくれる。

「────ごめん……」

 情けないほど弱々しい声が出た。思わず口許を抑えたけれど、フローラはふるふると柔らかく首を振り僕を覗き込んでくれる。

「無理も、ありませんわ……」

 どこまでも優しい、澄んだ声に慰められると、喉が何か熱いもので詰まる心地がして、どうしようもなく苦しくなる。

 何度も息を吐き、やっと身体の震えが落ち着いてきた頃、仲魔達もまた心配そうにこちらを見ていることに気がついた。少し離れたところに敷かれたラグの上、大人しく集まった彼らはそれぞれが首を傾げつつ、ただならぬ僕達の様子を黙って見守ってくれているらしかった。

 ……グランバニア。多分本当に初めて耳にした国の名前。

 朧な記憶を懸命に手繰ったが、父か、サンチョがその国の名を口にしたことがあったどうか、どうしても思い出せなかった。

「グラン殿」

 どれくらい茫然としてしまっていたのだろう。改めて名を呼ばれて顔を上げた。近衛兵らしき兵士を二人、側に控えさせたアイシス女王が、すっきりと背筋を伸ばして佇んでいる。

 そろそろお開きなのだろう。いつまでも居座ってはご迷惑だ。ぼろぼろの胸中を叱咤し、なんとか笑みを繕って立ち上がった。

「申し訳ありません。すっかり取り乱してしまって……貴重な、お話を。ありがとうございました」

 ずっと寄り添ってくれていた妻の手を握って並び、深々と頭を下げた。まだ不安そうだったフローラも僕に続いて首を垂れる。敬意と謝意をこめて長く礼をとり、顔を上げると、女王はまだ神妙な顔つきで僕達の、胸のあたりをじっと見つめていた。

「本当に、今宵はこのような席を設けていただき恐悦至極です。僕達も、仲魔達にとっても、大変楽しい時間でした」

 重ねて謝辞を伝えれば、女王の表情がまた痛々しく翳る。

 ……気を病ませてしまっただろうか。真偽はともあれ、僕のため心を砕いてくださったことには違いないのに。

 思えばこんな重大な、且つ突拍子もないことを、何の確信もなくただの旅人に話されるだろうか。昨夜からわざわざ書庫をひっくり返して調べてくださったことを思い出す。きっと今も、お話ししながら僕の内面を読むことで、その信憑性を確かめてくださったに違いないのだ。

 せめてもう少しましな言葉をと口を開こうとした、その時。先ほどよりずっと重苦しく、アイシス女王が僕の呼吸を遮った。

「……このようなお願いを申し上げる資格がないことは承知しております。しかも先刻、あのようなお話までしておいて……まことに、心より申し訳なく思います。ですが」

 真摯な響きは変わらない。だが、さっきは瞳から逸らされることのなかった漆黒の眼差しが、今は僕達の顔より下方を心許なく揺らめいている。

 お会いしてから今、初めて、アイシス女王は自身の躊躇いを隠すことなく僕らに相対している。

「一つだけ、お聞き届けいただきたいことが。テルパドール国主としてではなく、ただのアイシス・フォルセティとして……お二人に、いえ。奥方様に、お願いがございます」

 隣から微かに息を呑む音がした。雛鳥の羽音のようなその空気の振動を、僕も女王も黙って感じとる。

 美しく切り揃えられた黒髪をさらりと揺らして、女王はついに深々と腰を折った。側に控えた兵士達も、もちろん僕らも、ぎょっとして声をかけようとしたがその衝動は強い声音に遮られる。

 切実な、痛みすら伴った彼女の『頼み』が、音の消えた常春の庭園に静かに響く。

「会ってやって、いただきたいのです。赦せとは申しません、ただ────あの子の言葉を、あの子がもし……何か話せたなら、どうか聞いてやって欲しい」

 あの子、というのは、きっと。

 ちらりと隣を盗み見れば、翡翠の瞳を思い切り見開いた君が一心に女王を見つめている。

 それがどんな理由であっても君は断らないだろう。救いを求められて、それが誰であり誰のためであったとしても、手を差し伸べない選択肢など君の中にはきっと存在すらしない。

 濃い宵闇の漆黒と、春空の水碧の瞳が交錯する。

「お願いです。奥方様……フローラ・グラン殿。我が友、ユノ・シューレンに────どうか、お慈悲をいただけませんか」

 その眼差しに、深い憂いと祈りを滲ませて。

 砂の国を治める神秘の女王がそう、請うた。




オリャー!キエー!
↑は原作ネタですから‼︎笑。ライバルズで花澤さんフローラがこれ叫んでくれたのほんっと最高でした……しかも確か相手は味方ヘンリー。最高すぎるよ……!
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