Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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#21.5 蒼穹の未来【終章0】

「あっ……という間だったなー……」

 雲ひとつない、高い冬の空を見上げてリーシャは呟いた。

 たった今まで目の前にいた、馬車と客人達はもういない。魔物らしからぬ親しみやすさに溢れた奇妙な一団と可憐な少女一人を納めて、馬車の主である青年が海の向こうの土地へと一瞬で転移させた。砂地には一方通行の轍跡だけが、名残惜しくも残されている。

「転移魔法をお使いになるって、本当だったのねぇ。キメラの翼なしで転移出来るなんて」

 同室の先輩女官も感嘆交じりに呟く。そうですねぇ、とリーシャも首肯を返した。

 キメラの翼は、最後に立ち寄った街へ瞬時に移動できる魔道具だが、任意の街へ転移することはできない。大昔には魔法で自在に街々を行き来できた、という逸話もあるし、きっと自分達が使う古代魔法のような類の秘術なのだろう。

 風に由来する転移魔法は、魔道具においてさえ、テルパドールを擁するこの大陸内では使用をほとんど禁じられている。リーシャもキメラの翼自体、自分では使ったことがない。使えるのは女王と一部の女官や長老、兵団長のみだが、たった今見送ったばかりの彼はつい先日、王都近郊で起こった魔物との戦闘において多大な功績を納めた。その褒賞として、一介の旅人の身でありながら、このテルパドール王都においてのみ、転移魔法を行使することを許されたのだった。

 それにしても便利な術、とリーシャもしみじみと思う。そんな魔法が使えるなら、再び会える日もそう遠くはないだろう。……彼女が懸念するような事態さえ起こらなければ。

 というか、それならちょっとくらい、あたしも連れ出してくれたらいいのに。などと、自分本意なことも思う。お休みの日にはあの夫婦と一緒に、転移魔法で遠くの国に遊びに行くの。ものすごーく楽しそう!

 思うだけなら自由よね、と少女はひっそり笑う。まだ十四歳、遊びたい盛りなんだもの。

 客人の一行は、これからずっと遠い東の国を目指すらしい。

 その前に船と落ち合うため、一度北のサラボナという街へ戻るのだそうだ。若い夫妻の、奥方の故郷だと言っていた。あの天女のような女性を育んだ街とは一体、どんなところなのだろう。

「リーシャ。この度はまことにご苦労でした」

 ぼんやりと空の向こうに想いを馳せていたら、唐突に女王陛下から声をかけられた。はいぃ! と思わず背筋をぴんと伸ばして向き直る。

 もう何度も女王とほとんど一対一で話しているリーシャだけれど、先入観の所為か、この気安さには未だ慣れない。

 そんなリーシャを見て、先輩女官達がくすくす笑った。城に来たばかりのリーシャには考えも及ばないが、そもそも女王を取り巻く女官や兵士の半数以上は、元々彼女と同僚だった者達だ。今ではもちろん最上位の敬意を持って接するが、公の場以外での女王アイシスが、家臣である彼らとこれまで通り、肩肘張らず接したいと思っていることも承知している。何も知らぬ無作法者が無礼を働くことまで許しはしないが、彼女が『大きな家族』と呼んだ、特に女官従きの末の妹にあたるリーシャが少々礼を失したところで、目くじらを立てることはしない。

「占いで、熱砂病にかかられた奥方様を見つけたそうですね。あなたのその行いがテルパドールと彼らの運命を大きく変えてくれました。私からも、礼を申します」

「ややややめてください! アイシス様に頭を下げられたりしたらあたし、しばらく食堂でご飯食べられなくなっちゃいますっ‼︎」

 身を屈めようとした女王を大慌てで制する。あわあわと両手を振り乱すリーシャに、女王はやや怪訝な顔を向けたが、周囲の女官に目で問うと、傍で見守っていた勝気そうな女官が苦笑いしながら首を振り答えた。

「嫌だわ、新入りを虐めたりしてません。それよりリーシャ、そろそろあのご夫婦のお話を聞かせてくれてもいいんじゃない? あなた、あの方に求婚してたって聞いたわよ」

 えぇっ⁉︎ なんですって⁉︎ と一斉に場がどよめき、あちゃあ、とリーシャは辟易する。どこから漏れたのやら、こんな風に追求されるのが怖くて公言はしていなかったのだ。大体、入城の前にきっちりけじめはつけてきたのだから、赤の他人にあれこれ詮索される謂れなどない。

 これは、女王から頭を下げられようが下げられまいが、しばらく食堂で落ち着いて食事をいただくことは難しそうだ。

「求婚……ってどういうこと⁉︎ ちょっと、詳しく聞かせなさい、リーシャ‼︎」

「あんなお綺麗な奥様がいらっしゃる方によくやるわね……! 確かに、すっごく恰好いい方だったけど」

「ほんっと恰好良かったわ! 魔物と対峙した時なんて剣神かと思ったもの。あんな素敵な殿方に守られていたなんて、んもう、リーシャったら羨ましい! 許せない‼︎」

 にわかに殺気立った先輩達に囲まれて揉まれ倒し、リーシャは内心叫び出したい気持ちでいっぱいだった。

 ああ、もう、テュールさん! やっぱりあたしも連れてってー‼︎

 きゃあきゃあと黄色い声を上げて自分を揉みくちゃにする女官達の後ろで、あー、あれが例の……と兵士達が囁いているのが聞こえる。ああなるほど、噂の出所はもしや鍛錬場ね? テュールさん達が図書館に篭っている間、魔物さん達は鍛錬場の顔馴染みになってたみたいだし。大方人懐っこいスライム属のうちの誰かがぺろっと話したのだろう。さすがにそこまで口止めを考えていなかったリーシャは苦く息を吐く。

 こほん、とわざとらしい咳払いが響いた。女王の鶴の一声、いや一息である。お陰で、場を埋め尽くす甲高い声がようやく止んだ。

「我々も、今宵はささやかながら宴を楽しみましょう。先日の祝勝もまだでしたから。皆、後輩を可愛がるのはその時になさいね」

 女王が穏やかに告げれば、さっきまでリーシャを問い詰めていた女官達がきゃあ! と再び嬉しそうに声を弾ませた。これは、逃げ道を絶たれたかしら。苦く笑うリーシャを尻目に、兵士達もまた表情を緩ませ、それぞれに浮き足立っている。

 実は、この城でもてなし以外の『宴』といえば、城に働く者誰もが参加し楽しめる、無礼講を指すものなのだ。当然、給仕や警護に回る下働きの者達が宴を楽しむことはできないが、彼らには後日、女王から別途労いを与えられるのが常となっている。

「城内の皆に、あなた達の顔見せもしたかったのですよ。今まで中々、落ち着いて紹介できなかったけれど」

 リーシャをはじめ、入ったばかりの見習い女官達の顔を一人一人確かめて、女王が艶やかに微笑んだ。本来なら歓迎の宴と称するところ、そうできない理由があることは、ここにいる誰もが承知している。

 昨日、ついに次期女官長位に関する内示が出された。────ユノ・シューレンは正式に、女官長ではなくなった。

 結局あの事件は公になっていない。女王と、普段表に出てこられない奥の院の方々による審判がどのように下されたのか、リーシャも他の女官達も何も知らないし、詮索できる雰囲気でもなかった。自分達に出来ることはそれとなく減刑を願い、呟くことばかり。

「さぁ、宴を楽しみたいなら早く仕事を終わらせなくてはね。皆、見送りご苦労様でした。持ち場に戻って、夕刻には宴を始めますよ」

 元気に呼応した者達が城内に戻っていく。女王の周りに残るのはこの時間、彼女の周辺を護り公務の補佐をする女官と近衛だけだ。奇しくもリーシャは、夕方まで公務従きの見習いに充てられていた。

 柔らかく微笑み、仕事に戻っていく家臣達を眺める女王を傍らから見上げて、リーシャは昨夜から燻っていた疑問を恐る恐る口にしてみた。

「あ、あのぅ……ところで、アイシス様」

 微笑みを崩さず首を傾げた女王に、話してごらんなさい。と無言で促され、少女は思いきって言葉を続ける。

「昨夜、もう一度占ってみたら……あの、今までほとんど視たことなかった未来が、視えたんです、けど」

 そこまで言って、ちらりとアイシスの瞳を窺ったが、やはり彼女は微かにも表情を変えない。寧ろ、リーシャの動揺をどこか楽しんでいるようにも見える。

 だって。有り得ない、こんな短期間にここまで予知の光景が変わるなんて。────しかも、何だろう? あれは。

 どこかの王城、だった気がする。テルパドール城にも引けをとらない、とても立派なお城だった。二人がこれから向かうところだろうか? あんなところ、今までの未来視に出てきたことがなかった。テュール……見送ったばかりの青年が、見慣れた紫の旅装束姿ではなく、異国の正装めいた服を着ていた。嬉しそうに微笑んで彼が駆け寄った、その先には碧いあの髪以外、よく視えなかったけれど。

「……一体、二人に何をお話しになったんですか、アイシス様⁉︎」

 自分もうっかり彼の妻に未来視を話したことを棚において、リーシャはつい頓狂な声を上げる。

 本来、リーシャのような一介の占者が、個人の独断で本人に予知を伝えることなどご法度だ。占の力は未来を動かす力をも持つもの。現実において予知の影響力は計り知れず、リーシャも物心ついた頃から、その旨をきっちり戒められてきた。

 女王アイシスが心を読み取れるという噂は知っている。自分が青年の妻にほとんど直接予知の内容を語ってしまったことを気づかれ、咎められるかもしれない。思わず身を固くしたが、女王はふわりと妖艶に笑むと、赤銅の扇で口許を隠し、落ち着いた声で静かに問い返した。

「『それ』は、あなたにとって好ましい未来でしたか?」

 訊かれて、リーシャは昨夜の未来視を思い返す。懸念しているうちの一つ、彼らの赤児については何も視えなかった。けど。

 碧い髪が、視えたということは、────きっと。

「まだ、わかりません。……でも」

 でも。胸の内側で反芻し、リーシャは昨夜視た彼の表情にあたたかく想いを馳せる。

 笑っていた。きっとこれまでの未来視の中で初めて視た、彼の心からの笑顔だった。

 あの未来視一つで、すべての懸念が払拭されたとは思わない。昨夜予知した光景の後にも、想定外の出来事が待っているのかもしれない。

 それでも。

「誰も失われない未来の可能性が、ほんの少しでも高くなるなら……あたし、まだ、望みを捨てたくないです」

 凛と響く少女の答えを聞き、女王は満足そうに目を細めた。

 砂を含んだ乾いた風が凪いで、女官達の髪と、綺麗に切り揃えられた女王の黒髪を揺らしていく。

「……あなたがそうして、お二人のために動いたこと。きっと良い方向に作用するでしょう。お二人が我々や、女官長のため動いてくださったことも。……知るはずのない話を知ったことも、未だ知らずにいることも。些細な出来事が重なり合い絡み合って、きっと未来はもう、私達が数日前に視たものとは違っている」

 その漆黒の眼差しはここにはない、誰も知り得ぬ未来だけを、女王はその眼ではっきりと見据えている。

「信じられると、断言できます。あのお二方ならば最良の未来を……必ず、手にすることができると」

 静かだが力強い女王の言葉に、リーシャも迷わず頷いた。

 リーシャも信じている。あの二人の絆は、簡単に壊れたり挫けたりするものではないのだと。

「我々もこれからですよ。世界を覆う暗雲の暗示は晴れてはいない。けれど、遠からず光は差します。来るべき方をお迎えするため、その時のために、私達は必ずやテルパドールを護り通さなくてはなりません」

 はい、とリーシャだけでなく、周囲に控えていた女官と兵士達も一斉に力強く唱和した。彼らを頼もしげに見遣り、女王アイシスは今一度、客人一行が飛んだであろう空の果てを遠く見つめる。

 ────その『光』をもたらすであろう、あの二人の行末に、どうか、神々のご加護があるようにと。

 誰にも聴こえぬ祈りを、女王は己の内側で密やかに零した。

 

 幸運を、お祈りいたします。

 ……グランバニア次期国王陛下。

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