Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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#22. 帰郷【終章1】

 ────まるで、罪人みたいだな。

 テルパドール王城の図書館である学者が語った、かつての勇者の生い立ちだ。

 両親は恐らく戒律を犯して罰せられ、残された子どもは、まるで神の審判を逃れるように身を隠して育つ。

 父親が雷で落命したという話も、もしや幼い我が子を庇ったのではないか、とつい自分になぞらえて考えてしまう。命を奪った相手こそ魔族と竜神では天と地ほども違うが、彼らの罪の証に他ならないその子供を愛し子呼ばわりすることも気になった。

 そう、血を分けた愛し子というのも、後世の人間が充てがった解釈に過ぎないのではないか。もしかしたら、勇者とは元々生まれてはならない存在だったのかもしれない。交わってはならない二人から生まれた、ある種の異形だ。

 うっかり口にしかけた言葉に聡い妻が気づきかけたが、何とか誤魔化せたと思う。こんなことを僕が口走ったりしたら、信心深い妻にきっと悲しい顔をさせてしまう。

 ずっと、絶対的な存在なのだと思っていた。人智を超えた存在だと。だからこそ期待したし、落胆もするし、密かに怨恨の念を抱くことだって出来たのだ。

 学者の話を聞いて、この概念が少しだけ……揺らいだ。

 初めて、同情めいた感情を『勇者』に対して、覚えた。

 生まれに関して、勇者に罪があるのか。ただ、天の者と地の者が求めあっただけじゃないか。

 その伝承が本当なら、彼はまるで烙印のように与えられた己の力をどう思っただろう。魔王討伐の使命だって、こうやって聞くと血に課せられた贖罪みたいだ。何という重い罰だろうか。

 ……違う。僕は重ねてしまっているんだ。連れ去られた母、殺された父。二人が一体何をした? 裁きだとか罪だとか、死という現象にいちいち理由をつけるなら、僕の父があんな業火に焼かれなくてはならなかったのは何故だ。

 そうされる理由があったと、もしもこうやって赤の他人に評されることがあれば言われるのか? 例えばヘンリーを……一国の王子を誑かした罪だと?

 他の誰が何を言おうと関係ない。僕が、納得していたいだけだ。胸を張って、父さんの最期は立派だったと言いたいだけだ。それでも後世、つまらない他人の憶測から『死んで当然』みたいな言い方をされたら、僕はきっと許せない。何でもない顔をして流せるほど、僕はまだ大人じゃない。

 ────そんな憤怒が燻っていたせいだろう。臆病にも女王の話に慄いていた僕だけれど、どうしても意識がそちらに向いた。僕の祖国だという、グランバニア。ずっと側に寄り添ってくれていたフローラもまた、悩める僕の背中をそっと優しく押してくれた。

 ────行きましょう? あなたにきっと縁ある国、グランバニアへ。

 怖れを完全に克服できたわけじゃない。でも、彼女が側にいると言ってくれたから。

 それから一週間、暦は十二月半ばに差し掛かる頃。

 途中、軽く体調に支障の出た妻を慮りながら、日夜図書館通いと情報収集に明け暮れた。そうして、フローラの手帖が新たな情報を記したメモでいっぱいになったところで、僕達はいよいよ、サラボナへ一時帰郷することに決めた。

 

 

 

 久々のルーラでサラボナに帰還し、ルドマン家の本邸に挨拶をした後は、別宅の鍵を借り受けてそちらに引き篭った。やはり、と言うか街に入った瞬間、一気に注目を浴びてしまった。今、迂闊に外に出ると、住民の皆さんに捕まって何もできなくなりそうだ。

 およそ半年ぶりに会った義母が、涙を滲ませながらも僕達の無事を喜んでくれて、何だか面映い心地がした。

 義父であるルドマン卿は視察のためあいにく不在だったが、近日中にはお戻りになると言っていただけた。

 色々と行きたいところはあるけれど、今夜は本宅のディナーにお招きいただいている。久々に愛娘と色々語り合いたいのだろう。フローラだってたまには母親とゆっくり過ごしたいかもしれない。何なら今夜は本宅に泊まってきてもいいんだよ? と言ってみたが、彼女はやはり優しく微笑んでは首を横に振るばかりだった。

 わずかな時間も僕を優先してくれている。そう思えるのは素直に、嬉しい。

 今頃、ストレンジャー号もサラボナに向かっているはずだ。迎えの船員達とこの街で合流するまではゆっくりできるし、それまではフローラにも両親との時間を過ごさせてあげられるだろう。

 そんなわけで、今は別宅で荷物を解きながら一休みしている。天空の盾と剣を寝室に運び込み、その脇に、先ほど手に入れたばかりのあるものを置こうとして、ふと、フローラに声をかけた。

「最後にすごいものもらっちゃったね。これ、ずっと前にマーリンが言ってた、杖ってやつじゃないか」

 後ろから旅行鞄を運んできたフローラが神妙な面持ちで頷く。

『天罰の杖』と呼ばれるこの秘宝は、テルパドールを去る直前、女王陛下から下賜されたものだ。

 結局何も御礼出来なかったからと、宝物庫を探してご用意くださったらしい。ルーラで行き来できるようにしてくださっただけでも十分すぎるというのに。

 魔法が使えない者でも初級の風魔法であるバギを発動できる上、鈍器として使っても良いそうだ。確かに、先端に雷を抱く天使像を戴いたこの杖は手触りで確かめた限り、そこそこの強度もある。

 馬車の中では大変興味深そうに眺めていたマーリンだったが、使うかと聞いたらあっさり不要と返された。なまじ使える魔道具を手元に持つと気を散らされそうだと。魔法を発動する感覚は魔道具を使うのとは全然違うから、まあ、気持ちはわかる。実力主義の彼らしい考えだ。

「……フローラ、使う?」

「え」

 せっかくいただいたのだから活用したいけど、僕とピエールには持つ余裕がないし。さすがにプックルに杖は機動力を奪うだけ、スライム属達にも大きすぎると思う。もちろん、手が届くところに置いておいて誰が使ってくれてもいい、というようにしてもいいのだけど。

 そうするとガンドフかフローラになるのだが、鞭を持ってるガンドフに対してフローラは今のところそんなに物を持たないから、剣の要領で背中に杖を固定するようなベルトを身につければかなり扱い易くなるんじゃないかな。武器を持ちたいって言ってたし、これならきっと打撃より先に風魔法の発動を考えてくれるだろうし。

「……良いのですか?」

 そんなに思いがけない提案だったのか、君は碧い瞳をめいっぱい見開いて、躊躇いがちに僕を見た。

「うん。と言っても前に言った通り、なるべく後方支援を頼みたいのは変わらないよ? 一人で魔物を倒そうなんて考えないで。……でも、確かに水のリングだけだと、全く効かなかった時なんかは困っちゃうもんね」

 例えば、逃げたり躱したりする隙を作れるだけでもいいんだ。危険に曝さないために彼女の手足を縛る真似をするのは、さすがに本末転倒が過ぎる。きっと、先日自分のためにしびれんが傷ついたことも、彼女が自衛を気にするようになった理由の一つなんだろうから。

 鞄の中身を整理していた妻を手招きし、きれいに整えられたベッドに腰掛けた。おずおずと隣に座る彼女に杖を握らせると、フローラは込み上げる感情を堪えるように唇を噛みしめ、手の中の杖をじっと見つめた。

 ふといたずら心が芽生えて、その耳許にそっと顔を寄せる。

「僕の背中は任せるって言ったの、忘れた?」

「っ……忘れて、ません……!」

 瞬間、ぶわっと彼女の頰が紅く染まる。結婚して半年経つのにこんなにも初々しい妻が愛しくて、思わず笑いながら華奢な肩を抱き寄せた。

「ありがとう、ございます。もっともっと、あなたのお役に立てるよう頑張ります、私」

「今だって十分過ぎるほど力になってくれてるのに。でも、……ありがとう。嬉しい」

 綺麗な心根も半年前から変わらない。ポートセルミの埠頭でそんな話をしたことを思い出した。あの頃はまだ回復魔法以外使えなかったのが、たった半年で君は数種類の補助魔法を使いこなすようになり、今や立派に僕のサポートをしてくれている。

「フローラがくれる支援魔法は、僕には特によく効くから」

 また頰を赤らめ俯いた可愛い妻を見下ろし、くすくす笑いながら木苺みたいな耳朶をそっと撫でた。瑠璃玉と金のフリンジの耳飾りが、彼女の吐息みたいに微かな音を立てて揺れる。

 お世辞じゃなく、フローラの魔法は少なくとも僕にとっては特効薬みたいなものだ。他の仲魔達がどうかはわからないが。普段の回復も然り、この間のバイキルトは信じられないくらい力が漲ったのを感じた。相変わらず判断もとても早い。本当に、彼女がいてくれるだけで普段の戦闘が随分楽になってる。

「これからも、よろしくね。頼りにしてる」

 碧い髪を掬い取り、細い肩を後ろから固く抱きすくめた。僕の腕に収まったフローラはそんな僕を見上げてほんのり微笑み、控えめに頷いてくれる。

「もちろんです。ずっと……連れて行って、くださいね」

 愛らしい声が耳にくすぐったい。腕の中の温もりを確かめて、甘酸っぱい幸せを噛みしめた。そうしてしばらく彼女を抱きしめたあと、すぐそこにある桜貝の唇をこちらに向かせて、儚く漏れる淡い吐息ごとそっと塞いだ。

 

 

 

 真冬のサラボナはうっすら雪化粧を伴ってとても綺麗だった。

 深く積もるほど降ってはいないが、人があまり歩かない庭や木の上には粉雪が薄く積もっている。木々や民家の扉、壁が葉っぱやリボンで飾りつけられ、夏に見た光景とは違う雰囲気を漂わせていた。年明けまでこうして飾りつけて新年を祝うのだそうだ。所々に飾られた赤い実は竜神への捧げ物らしい。

 本宅のディナーへ向かう途中、短い道のりだったが、粉雪が舞うサラボナの夜景をフローラと一緒に楽しんだ。いや、仲魔達も一緒だったのだけど、にやにや笑う彼らはわざとらしく、僕らから一定の距離をとって後ろからついてくる。そのくせ後ろで何やらこそこそ囁き合っているものだから、良い雰囲気も君達のその配慮のお陰である意味ぶち壊しである。

 アウローラ様はさすがルドマン卿の奥方、お一人で僕らを気持ちよくもてなしてくださった。婚礼の後の宴以外では酒の席に同席したことはなかったはずだが、さりげなくあの蜂蜜酒を勧められて驚いた。

「家に残っているボトルがなくなる前にこれに似た蜂蜜酒を作らせようって、主人が随分と張り切っていましたわ」

 くすくす笑う義母はどこかフローラに似た少女の面影を宿している。僕と一緒にそれを聞いたフローラはまたもや呆れたように軽く溜息をついた。やはりというか、フローラは義父にどこか手厳しい。

 娘から事前に聞いてくださっていたのか、仲魔達にもご馳走が用意されていた。フローラの手料理の腕前はこの家のコック仕込み、ということは彼らの舌に合わないはずがない。大喜びで領主邸の料理を堪能していた。

「今夜は賑やかで楽しいわ。主人がいないと普段の食事はリリアンと二人きりだから、寂しくって」

 そう言って切なく笑う義母を見てしまうと、時々はサラボナに帰るようにしなくては、と強く思う。

 そんなふうに思えることもまたくすぐったい。フローラだけでなく僕にとっても、ここはもう帰るべき場所なんだなって。

 和やかな晩餐を楽しんで、だいぶ夜も更けた頃、僕とフローラは仲魔達を連れて再び別宅へと戻った。

 

 

 

 ────その夜は久々に、フローラと肌を重ねた。

 砂漠へ旅立つ前夜以来の交わりだった。結婚してから初めて、止められない激しい情欲に身を任せた。軽いとはいえ二人とも酒も入っていて、フローラはいつも以上に身体を火照らせていて、熱くて蕩けてものすごく気持ち良くて。湿った髪から漂う心地よい花の香りに酔い痴れ、何度も何度も、夢中で彼女を貪った。

 今までにないほど互いに深く欲しがりあって、底知れぬ幸せにどこまでも溺れ尽くした。

 それだけに飽き足らず、翌朝にもつい彼女を求めてしまったのだけど。

 今から凡そ二十日後、いよいよグランバニアへと旅立つその日まで、僕達は今まで縁のあった土地を渡り歩くとともに、この別宅に帰るたび何度も愛し合い、求め合い、互いの想い、昂りを繰り返し確かめ合ったのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

 翌日、ほとんど正午という遅い時間にやっと昼食を終えた僕達は、昨夜のお礼を伝えるため本宅に立ち寄った。

 義父はまだ帰っておらず、ならばどこへ行こうかとフローラと相談し合う。ひとまず昨夜、名前の上がったアンディ宅に挨拶に行って、次の出立までの間にラインハットと、ポートセルミ。オラクルベリーにもまた買い出しに行きたいし、長旅になるだろうからダンカンさんとビアンカにも挨拶しておきたい。フローラも、せっかく買った土産を早く渡したいだろうし。

 余裕があったら、もっといろんなところに行ってみたい。天空人というお伽話めいたヒントも得たのだし。もしかしたら、勇者より天女の痕跡の方がずっと追いやすいかもしれない。あの伝承を信じるなら、天空人がこの世界のどこかに存在すれば、勇者が存在する可能性もまた残されているってことなんだ。

 ひとまずその日はアンディ宅を訪問した。最後に会った彼は病み上がりで随分とやつれていたが、今はすっかり体力も戻り、彼の職分である装飾細工の仕事も再開しているという。

 そう、今まで彼のことをほとんど知らなかったのだけど、父のノルン氏は鍛冶師を、息子のアンディは鍛冶を学びつつ、手先の器用さを生かして装具の細工を手掛けているのだそうだ。若いながらも感性の光る彼の細工は好評で、アンディに宝飾品を手掛けてもらうためにノルン氏の元に魔物核の錬成を持ち込まれるようなことも多いらしい。線の細い繊細な、彼らしい仕事だ。

 フローラの婚姻騒ぎの前には、父子揃ってとある剣のデザインを手掛けたのだと話してくれた。よくよく聞くとその剣こそ、以前サラボナへ至る途中にある宿屋で旅の武器屋から購入した破邪の剣だった。彼ら親子とあの武器屋、そしてフローラのヴェールを手掛けた萬屋のドワーフ達が協力しあって、この世に再び破邪の剣が生み出されたのだ。

 僕が買い手の一人であったことは少なからず驚かれた。勿体無いのもあってまだあまり活用できていないけど、必ず使わせてもらいます、と意気込んでいうと二人とも嬉しそうに頷いてくれた。

 息子がまたいい仕事をするようになって嬉しい。失恋の痛手を乗り越えて少し逞しくすらなったようだ、と父親は朗らかに笑っていた。

 母親は遠慮がちにキッチンに篭っていて、やはりどこかもの言いたげな雰囲気ではあったけれど、表向きは親しげに振る舞ってくれた。決して僕を許したわけではないのだろうが、幸せそうで良かったよ、と僕らの肩を叩いて笑ってくれたときは少し、胸が熱くなってしまった。

「フローラがいい顔をしてくれていて、安心しました。本当に悔しいけど……今日の彼女が今までで一番、可愛い」

 アンディがこっそりと耳打ちしたそんな台詞に、僕は頰が紅潮し緩んでしまうのを必死で耐えた。アンディもまたうっすらと頬を染め、不服そうに眉根を寄せている。

 自惚れていいだろうか。彼女がますます可愛くなったのは、僕と一緒にいるからだって。

「次は僕が、彼女くらい可愛い嫁さんを見つけてみせますよ。……フローラはもう、大丈夫でしょうから」

 最後の一言は、幼馴染の、彼女の『兄』としての矜持だったのだろう。

 夏の出発前、最後にゆっくり挨拶に来た時は、彼女と気持ちを通じ合わせる直前だった。あの時のフローラはひどく気落ちしていて、そんな彼女を見送るのは彼も辛かったと思う。

 言いたいことは山ほどあっただろうに、僕を信用して送り出してくれた。そう思うと、事あるごとに嫉妬を拗らせてしまっていた自分の狭量が本当に恥ずかしくなる。

「あ。あの……時間に余裕があればでいいんですけど、ちょっとご相談したいことが」

 ふと思いつき、アンディとその父親に一つ相談をした。黙って隣に座っていたフローラも、その内容を聞いてやわらかく表情を綻ばせる。

「あんたはアンディの命の恩人だ。喜んで鍛えさせてもらおう」

「水くさいな、テュールさん。なんならそっちの剣も、出発までに持ってきてくれれば調整しますからね? 研ぐくらいなら僕にも出来るんだから」

 職人親子二人から口々に申し出をいただいて、思いきり恐縮してしまう。最初の要件をもう少し丁寧に説明すると、ノルンさんは皺が深く刻まれた温和な顔に一瞬、闘気と見紛う強気な笑みを浮かべた。

「それはますます、気を抜けない。手放すのが惜しいと言わせる一振りを鍛えなくては」

 こんな顔もなさるのか。

 鍛冶職という戦場に生きる一人の男として、老いて尚これだけの覇気を纏われるとは。全く似ても似つかぬ方なのに、この時初めて、ノルン氏の眼差しに、雄々しかった自分の父親を思い浮かべた。

「ルドマン様には父の代から懇意にしていただいておる。フローラさんの旦那の依頼を他の鍛冶師に譲っちゃあ、ノルンの名が廃るってもんだ。なぁ、アンディ」

 普段の温和さが別人のように、血の逸った様子で息子の背を叩く。フローラはさすがに戸惑った様子だったが、アンディの方は慣れているらしく「ああ、久々に親父のやる気に火がついたな。期待してやってください、テュールさん」と爽やかに苦笑している。

 ……僕はもしかしたら、とんでもない方に依頼を投げてしまったのかもしれない。

 

 

◆◆◆

 

 

 結局、ノルン家を出る頃には陽が傾き始める頃合いになっていた。これ以上の遠出はやめることにして別宅に帰り、今後の予定を改めて話し合った。

 ヘンリーも年の瀬で多忙だろうから、ラインハットには早めに謁見の申し入れをしておきたい。常識外れな訪問ばかりになってしまっているのは密かに気にしていた。と言っても、あちらに伺うといつも問答無用で奥へと通されちゃうんだけど……

 近々、朝一番でラインハットの城門を訪ねてみて、通されてしまったらそれはそれ。ヘンリーが不在なら別の日取りをとりつけて、その日は違う場所を周ることに使おう、と提案して、フローラにも頷いてもらえた。サンタローズやオラクルベリー、行きたいところはたくさんある。フローラは何も言わないけれど、オラクルベリーに行くなら修道院にも足を伸ばしてあげたい。彼女にとっては、第二の生家のような場所だろうから。

 ビアンカが住む山奥の温泉村は、定期船の片道だけで二日かかる。朝の便で出て翌日夕方到着する計算だ。今回は時間に余裕があるし、宿に一泊することになるだろうから、訪問にかかる日数は三日。もちろん出立までには行くつもりだけど、フローラには申し訳ないが正直、優先度は低い。最低三日空けてしまうことを考えると、せめて義父の帰宅を待ってからにしたい。

 絶対に外せないのはポートセルミだ。大鮹討伐で力を貸してくださった船乗りの皆さんに、無事の報告とあの時の感謝を改めて伝えたい。ストレンジャー号の到着がまだだから、彼らを待ちたい気持ちもあるけれど、特に心配とご迷惑ををかけたイヴァン元船長達には早く挨拶に行きたいと思う。

 その後、海の様子はどうだろうか。船が沈まされることはなくなっただろうか。

 大体話を詰められたところで本宅から遣いの方が来て、よろしければまた夕食をご一緒に、と義母の言伝を伝えてくれた。快諾し、支度をして小一時間後には本宅を訪問した。食事時はいつも寂しいけれど、皆がいると賑やかで楽しい……そう嬉しそうに言っていた義母を思い出すと、サラボナに滞在している間の誘いはなるべく断りたくない、という思いがひしひしと湧いてくる。

 義母は今夜も上機嫌で僕らをもてなしてくれた。僕でも飲める口当たりの軽い上等なお酒と料理を絶妙なタイミングで勧めてくれる。

「テュールさんみたいな素敵な息子ができて、本当に嬉しいわ。本当の母親と思って甘えていいのよ」

 母性溢れる優しい声でそんなことを言われると、甘酸っぱいような気恥ずかしいような、くすぐったい気持ちになる。

 更には「あなたのお母様もきっと、あなたに会える日を待ち焦がれていらっしゃるわね」と囁かれ、つい熱いものが胸に込み上げてしまった。

「フローラ、あなたもますます身体には気をつけて。元気な赤ちゃんを産まなくちゃね」

 不意打ちの一言に、ばくん‼︎ と心臓が飛び出しかける。フローラも恥ずかしそうに頬を染め「もう、お母様ったら……」と俯いた。まさか、いやしつこいかと思いつつ「フローラ、もしかして……?」と耳打ちしたが、真っ赤な顔でぶんぶん首を横に振られてしまう。そういうことじゃないのか、残念。実は授かっていて、真っ先に母親に相談したのかと早合点してしまった。

 和やかな歓談の最中、館の主が帰宅したとメイドさんが伝えに来た。奥方が先頭に立ち、全員揃って表で義父を出迎える。

 半年ぶりの義父は相変わらず恰幅がよく、噴水広場の橋を渡ってこちらへ向かっていたときには少し険しい顔をしていたが、僕達を目にした途端、一気に表情を和らげた。

「おお、戻っていたか! 二人とも無事で何よりだ」

 小走りに駆け寄り、満面の笑みで僕とフローラの背をばんばん叩く。僕はともかく、フローラの肌が傷つかないか心配になる。その後ろには、以前お世話になった航海士のクラウスさんも控えていて、ああ、船での視察だったのだな、と納得した。さりげなく目礼を送ったら、クラウスさんも嬉しそうに目配せを返してくれた。

 大広間に戻ると既に義父の席が用意されていた。グラスに酒を注ぎ直され、僕達と義父それぞれの帰還を歓び乾杯をする。さっきの難しい顔が嘘のような上機嫌で、義父は早速身を乗り出すと、例の海戦について話し始めた。

「セルマー海峡に巣食っておったのは船より巨大な鮹の魔物ということだったな。よくぞ見事、仕留めてくれた。お仲間の魔物殿がその身を賭けてとどめを刺してくれたと、イヴァン達から聞いたが」

「はい、それでしたら……彼です。かなりの損傷を負いましたが、無事治癒しまして、今はもう恙無く」

 屋敷の主人が戻ったため、広間の隅で大人しく料理を摘んでいた仲魔達の中からピエールを手招きして呼んだ。話は聞こえていたのだろう、すぐに緑のスライムを従え僕の横に並ぶと、スライムとともに恭しく首を垂れた。こういう振る舞いを見ると、彼はつくづく誰より騎士らしい騎士だと感じる。

 切羽詰まったあの場で僕を厳しく叱責し、命じた役割を完璧に遂行してくれた。功績は正しく評価されるべきだ。

「父君の御前にて恐れ入る。スライムナイトのピエールと申す」

 跪き、手短に名乗った小柄なスライムナイトを見下ろして、義父は威厳たっぷりの低い声で彼を呼んだ。

「顔を、あげてくれんか。死の火山で負傷したノルンの息子を、いち早くこの街へと運んでくれたのはそなたらであろう」

 はっきりとは答えなかったが、恐らく肯定の意志を込めてピエールが頭を上げた。つるんとした鉄仮面を満足げに見遣り、義父はどこか嬉しそうに言葉を続ける。

「有り体に申せば、儂には魔物であるそなたらの胸中は測りかねる。だが、さすがはテュール……我が息子が信を置く仲間達であると。今儂は、心から感服しておるよ」

 そんなふうに、言っていただけるとは。

 たった今初めて僕を呼び捨てで────息子と、呼んでくれた義父は、目の前の鉄仮面をまじまじと見つめ、おもむろにこう付け加えた。

「何か望みがあれば言うがいい。出来る限りのことはしよう」

「ふむ。そうですなぁ……」

 辞退するものと思ったが、意外にもピエールは興味深そうに軽く唸ると、鉄仮面の顎を撫でながら何やら思案し始めた。

 剣が欲しい、と言われたらどうしようか。内心ひっそり汗をかく。というのも、さっきノルンさんに依頼したのは正しく、ピエールのための剣なのだ。宿屋で買った出来合い品の鋼の剣を文句一つ言わず使ってくれている彼だが、普段の働きを労いたい気持ちも込めて、特別な一振りを持たせてやりたかった。

 アンディを助けた時は僕の代わりに仲魔達を指揮して戻り、家に運び込んだ後はホイミンと協力し合ってアンディに治癒魔法をかけ続けてくれた。その姿はノルンさんも見ていて知っている。だからこそ、彼が剣を失った話をした時、ノルンさんは目の色を変えたのだ。

「……既に、許しを得ているものとは思うが」

 やがて、長い沈黙の後。ピエールは落ち着き払った様子で切り出した。うむ、と促すルドマン卿の前に改めて膝をつき、彼は低く、厳かに告げる。

 

「これから先、如何なることがあろうとも、奥方殿があるじ殿のお側を離れぬことを……改めて、お許し願いたい」

 

 ──────え。

 弾かれたように、顔を上げる。フローラもほとんど同時にピエールを凝視した。僕も驚いたけれど、フローラの驚愕はそれ以上だった。

 息を止めたように呑み、翡翠の瞳を大きく揺らめかせる。

 吸い込まれた細い息は彼女の動揺を生々しく伝えていた。

 そんな僕らをちらりと見遣り、ピエールはふ、と空気を揺らして苦笑を露わにする。

 多分、君はこの後義両親に打ち明けるつもりでいた『あの話』に関して、先手を打ってくれたのだろう。それについてはもう少し、落ち着いてからお二人に切り出すつもりだった。フローラがどうこうではなく、僕自身の出自に関する話として。

 仲魔達にはテルパドールを発つ前夜、僕から話をした。

 普段あまり動じない皆にもそれぞれに驚きがあったようだが、グランバニアを目指すと告げて、異論を唱える者はいなかった。

 フローラは卿の一人娘だ。普通なら彼女は卿の跡取りで、僕は入婿ということになる。けど、卿は僕が後継に縛られることがないよう、そういった取り決めをしないでくれている。結婚してフローラの同行を許されたとき、僕の旅の目的についてもちゃんと打ち明けた。父の遺言を果たし、魔族に攫われた母を取り戻したいのだと。いつか全てを終わらせた暁にはきっと家族揃って暮らそう、そう言っていただいたこともある。だが、もしもこの先、グランバニア……でなくとも、僕がどこか別の場所に骨を埋めようと思ったら、卿の跡を継ぐことは確実に出来なくなる。まして僕の父パパスが万が一、本当にグランバニアの国王であったなら────僕の立場がどうであれ、大陸も隔てた遠いサラボナに居を構える可能性はきっと、限りなくゼロに近くなってしまう。

 ルドマン夫妻の大事な大事な一人娘。僕のために実の親から一生、遠い地に引き離してしまうかもしれないと思うと心苦しい。今まではほとんど故郷のない、根なし草みたいなものだったから良かったのだ。フローラのお陰で、僕にとっても今やサラボナは、サンタローズの次に自身の故郷とも思える場所になっているのだから。

「奥方殿はあるじ殿に必要な方である。……これは我々、あるじ殿が配下一同の総意でもある」

 淡々と響くピエールの声を聞きながら、僕もまた感極まってしまうのを堪えられなかった。

 フローラが加わることに難色を示した仲魔はいない。けれど、皆が皆、初めから彼女を共に戦う仲間として迎え入れたわけでもなかった。

 まだ何も出来ない。戦力には数えられない。

 それはフローラに限ったことじゃないし、だからこそ彼らは彼らなりに自然に受け入れてくれたのだとも思うけれど、どうしたって庇護される『客分』に過ぎない居心地の悪さはフローラもずっと感じていただろうと思う。

 結婚する前から、仲魔達を恐れず接してくれた。旅を始めてからは自ら役割を得たいと言って学び、力を高め、励み、自分に出来ることを常に模索しながら共に歩んできてくれた。

 そんな彼女を、他ならぬ仲魔達が、僕の片腕でもあるピエールが、いつの間にかこんなにも認めてくれていたのだと。

 そう思えることがあまりにも、嬉しかったのだ。

「……君達にそこまで言ってもらえる我が娘を、心から誇りに思う。フローラ」

 やがて、義父の太い静かな声が、包み込むように娘を呼んだ。

「しっかりやりなさい。夫と、彼らをこれからもよく支えるように」

 

 ……思えば、義父はいつだってフローラに厳しかった。

 僕にはいつだって甘い方だけれど、娘に対してこれほど優しく声をかけているところを見たのは、多分これが初めてだった。

 

 フローラはもう、翡翠の双眸を大きく見開いたまま、瞬きも忘れてピエールと父親、そしてその向こうの仲魔達を見つめていた。一つ目をほんわか細めて見守るガンドフに抱かれ、スライム属達が励ますようににこにこ笑っては跳ねたり、触手をくねくね振ったりしている。プックルは相変わらず頓着しない様子で寛ぎ、深くローブを被ったマーリンはさも当然と言いたげにすました顔で静かに座っていた。ピエールからももう一度困ったように笑った気配がして、彼女はついに両手で顔を覆った。俯き、何度も頷いては、はい、ありがとうございます、と懸命に声を絞り出す。

 指の間にじわりと涙が滲んで、そうして必死に嗚咽をこらえるフローラをそっと抱き寄せ、震える背中を繰り返し撫でた。

 ……ずっと、

 実家に関わるたびにそれとなく感じていた、フローラの萎縮めいた緊張が、彼女の涙と共に少しだけ解れていくような。

 そんな気が、した。

 

 

 

 フローラの嗚咽がおさまった頃、改めて義両親に向き合い、アイシス女王からお聞きしたグランバニアの話を切り出した。

 と言っても、王位云々まで話すのはなんだか気が引けて。

 単に父が、祖国の王様と同じ名を頂いただけかもしれない、そういう名付けはよくあるだろうし。と自分に言い聞かせ、その辺は濁して、自分の父がそこの出身であるらしいということだけお話しすると、意外にも卿はさほど驚いた様子はなく、ふむ、と軽く頷きながら顎髭を撫でた。

「君の剣にグランバニアの国章が刻まれていることには前々から気づいていた。黙っていてすまなんだな」

「────そう、だったのですか?」

 少なからずの動揺が声に出てしまった。僕に向かって軽く首を傾げ、義父は好々爺の如く優しく目許を緩ませた。

「以前、お父上の形見だと言っていただろう? しかし君はサンタローズの出身だと言っていた。ならば父君は恐らく、グランバニアの名のある戦士の家柄だったのだろうと思っておった。幼くして父君を失った君は自らの出自を知り得なかったのだろう、と」

 淡々と紡がれる義父の声は、寄る辺なき孤独な子供を労るように温かい。

 かつて失くしてしまった宝物を、そっと手渡されるような。

「……だから、旅の宛てがなくなれば儂から提案してやろうと思っていたのだが。先を越されたな」

 ひっそりと義父が苦笑して、ああ、と僕も頷いた。だから義父は僕にまず、勇者の墓のことだけ伝えたのだ。グランバニアは遥か遠く、テルパドールの方が確実に勇者に……、僕の目的に繋がる情報だったから。

 納得した様子の僕を見て義父は目を細め、次いで椅子の傍に立てかけた剣鞘をじっと見た。

「その剣、鍛治師ではない儂にもわかる。そんな大層な剣はグランバニア王家から直々に賜るか、王族でもなければ持ち得まい」

 さらりと告げられたその言葉に内心、緊張が走る。少し早まった鼓動を落ち着けながら卿の表情を窺った。

 一体この方は、何をどこまで勘づいていらっしゃるのだろう。

 僕の焦燥を気にも留めず、卿は濃い酒を舐めて唇を湿らせるとグラスを置き、すっかり暗い窓の向こうを遠く見遣った。

「イヴァンから聞いた。幼かった君とお父上に、儂は会ったことがあるそうだな。フローラも」

 唐突に話が変わって、戸惑いながらも頷いた。フローラもまた隣で小さく同意する。

「言われるまで思い出せんとは、儂も耄碌したものだ。確かに昔、ビスタ港でうちの船に乗り込んだ時、入れ違いに降りていった客人がいた。屈強で、不思議と風格のある御仁だったよ。フローラと同じくらいの少年を連れていた。……あれが、君だったのだな」

「はい。……あ、でも、僕もストレンジャー号の甲板に立って初めて、思い出したので」

 少し狼狽えながら答えると、卿はまたひっそりと笑いグラスを揺らした。一息に煽れば奥方がさりげなく酒瓶を傾け、琥珀色の液体を上品に注ぐ。

「グランバニアは遠い。非常に峻険な峡谷に抱かれるように建つ国でな。君ぐらい若い頃、あちらの大陸を少し放浪したことがあるが、いや大変だった。いくつかの村を渡り歩いたが、当時ですら廃村となった処が少なくなかった。とにかく険しい崖道が多い、魔物も跋扈していてな。……王城を一目拝みたかったが、結局随分離れた村から木々に埋れ建つ城の頂を見ただけで諦めてしまった」

 義父の話に耳を傾けながら、以前酒を酌み交わしながら聞いた内容を思い出していた。

 山奥深くの秘境に建つ城とは、グランバニア城のことだったのか。

「もう二十年以上経つから、少しは通りやすくなっておると良いのだが。船で三ヶ月、山越えに何ヶ月かかるかな。高山では空気が薄く、それで命を落とす者もある。苛酷だぞ。フローラ、お前は数ヶ月の野外生活に耐えられるのか」

「はい」

 鋭い卿の問いかけにも、フローラは揺るぎなく即答した。

「テュールさん達の足を止めさせることは致しません。ご安心ください」

 背筋を伸ばし、凛として宣言する妻は本当に頼もしく、美しい。この繊細な風貌のどこにそんな覇気を宿しているのかと思う。半年前、この場で出立を許された時の力ない様子は見る影もない。「やる気だけで越えられれば苦労はせんのだぞ。まったく」と卿は尚もぼやいたが、つい嬉しさを隠せず彼女を見つめてしまった僕をはたと見てとると、ごほん! とひとつ咳払いをして誤魔化した。

「君の生い立ちに関する話だ。その目で確かめてくるといい」

 よくよく準備を整えて行くのだぞ、と言い置いて、義父は一度言葉を切った。オラクルベリーに行く前に必要なものを洗い出さなきゃね、とフローラと小声で話していると、彼はいつの間にか随分と神妙な面持ちで、押し黙ったままじっと僕らを見つめていた。

 目が合うと、その眼差しに重い悔恨の色が過る。

「……君達に詫びねばならんことがある」

 何かを伝えようとしてくださっているんだろう。卿の正面へと向き直り、唇をひき結んでしばらく待つと、義父は再び溜息をつき、眉間を指で揉んでから、視線をテーブルの上に落とした。グラスの中、少なくなった液体が照り返す洋燈の灯りをぼんやりと眺めて、彼はようやく重い口を開く。

「手紙を受け取ってすぐ、ナサカに人を手配した。だが……」

 苦く言葉を濁され、すぐに意図するところを察した。僕達が去った後恐らく、ナサカはすぐ、あの魔物達に────

 隣のフローラが僕の二の腕をきゅっと掴む。動揺は伝わったが、彼女は今度こそ気丈に顔を上げて父親を見つめていた。

「半数以上の住民が殺害、もしくは拉致されたそうだ。……行ってみるかね」

 言葉とは裏腹に、卿はひどく気が進まない様子だった。大事な一人娘をわざわざ、惨劇のあった土地になど行かせたくはないだろう。だが、他ならぬフローラが真摯に頷いた。視界の端でそれを確認して、僕も「はい」と肯定すると、卿は疲れた表情で深く溜息をついた。

「念のため三人ほど、あの周辺に駐留させている。……葬儀は済ませた。詳しいことはあちらの者から聞くといい」

 重々しい通告を受けてまた頷く。何から何まで対処していただき言葉もない。ちらりと娘の表情を確かめ、また一層辛そうに卿が言い澱んだ。

「生き残った者が数名、カボチに移った。話を聞きに行っても良いが────フローラ。お前は今回、行かんほうがいいだろう」

 何故、とフローラは切実な瞳で訴えたが、義父も真剣な眼差しを返す。

「青髪の女を出せと、襲撃してきた魔物に問われたそうだ。お前を逆恨みしておるかもしれん。……この上、つまらん諍いの種を撒いてくれるな」

 びくり、フローラが肩を縮こませ小さく震えた。同じく黙って話を聞いていた義母も、哀しげな瞳を娘に向けた。

 それはまるで、彼女の所為で集落が襲われたと言っているも同然で。

 ナサカの浜で僕達を責め立てた人々の顔を思い返せば、僕とフローラが今どれだけ恨まれているか、聞かなくともわかってしまった。僕も正直、あんな酷薄な視線の中に二度とフローラを曝したくない。

 あの少年がもしも無事なら、フローラも馬車に隠して連れて行こう。でも、カボチにいなければ、卿の言う通りわざわざ火に油を注ぐこともない。

 犠牲者が出てしまった。取り返しはつかない。それでも……あの少年が、約束を違えず生きていてくれることを願ってしまう。

 まだ相談したいことはあったけれど、大分遅い時間になってしまった。四、五日後に戻ることを言い置いて、邸を辞した。卿はカボチの生存者を見舞ったのか、その方達の特徴がわかれば教えてもらえないかと別れ際に問うたところ、子供はいなかったはずだと返され、ますます肩を落として帰路に着く。

 サラボナからナサカの集落まで、普通に向かえば馬車で五日。パトリシアの頑張り次第で少し早められるだろうか。夜のうちに手早く出発準備を整えて、その夜はすっかり消沈したフローラを抱きしめながら就寝した。

 短い睡眠を取ったあと、まだ陽が昇る前の薄暗い時間帯に、僕達はひっそりとサラボナを発った。

 

 

◆◆◆

 

 

 もう五ヶ月近く前のこと。懸念がなかったわけではない。

 今だって心のどこかで、ああやっぱり、という思いがある。

 残党がいたんだろう。とどめを刺しきれなかった魔物があの後報告して、報復した。怒りのあまり挑発したことが今更悔やまれる。フローラの存在も気取られている。あれからかなり時間が経っているから、そうそう襲われはしないだろうけど。

 気づかれたら危ない。極力外に出さないようにしないと。

「以前、テュールさんは……魔族、その教団が、誰かを探しているようだって、仰っていましたよね」

 ほとんど休みなく馬車を走らせてすっかり陽が傾いた頃、洞窟の手前、旅人の多い小さな祠近くで休息を取った。結い上げた髪を帽子で隠したフローラが、いつもの雑穀粥を器に注ぎながらぽつりと呟いた。

「……もしかしたら、勇者様を……探しているのでは、ないでしょうか。彼らも」

 ────そうかもしれない。

 今まで全く考えなかったわけではないけど、彼女が静かに告げた一言は、何故だかすとんと腑に落ちた。

 あいつらがどこまで情報を持っているかはわからない。けど、もし奴らが、勇者が天空人の血を引く存在だってことを知っていたら? あの時の不思議なベホイミだって、その血の所為だと誤認されたんだろうか。いい迷惑だ。

 そういえば確か以前どこかで誰かが、大昔に天空城が落ちたって言ってなかったか。それから、人間に悪意を持つ魔物が跋扈するようになったんだって。

 勇者が生まれないよう、先んじて天空界を滅ぼして。それでも勇者が現れる予兆は消えなくて、だからこそ奴らは今、人間界をしらみ潰しに探している。

 ……だとしたら、やっぱり神なんていないんだ。

 皮肉すぎて笑ってしまう。神はかつて世界に勇者を与えたかもしれないが、同時に侵略の火種をも産んでいる。それでいて、真実この世界を救えるのは、それほどまでに魔族から恐れられる存在とは、もしかしたら天空界もすべて含めて、人と天空の血を合わせた『勇者』だけなのかもしれない。

 神は既に人間の庇護者ではない。人間を守れるのは人間でしかない。天空の血が入っていようが、彼はきっとこちら側の人間だ。だからこそ『勇者』と呼ばれるのだ。

「だとしたら、ある意味希望はあるよね。多分、まだ『見つかってない』ってことだろう?」

 集めた薪を少しずつ焼べながら、静かに答えた。焚火の赤い光に照らされた妻が頬を傾けて、透明な瞳をこちらに向ける。

「子供ばかり狙うのも、もしかしたら。アイシス女王の予知みたいなことが、魔族にだって出来るのかもしれない。……何十年も前から、勇者が生まれる予兆があるのかもしれないよ。子供のうちにその芽を摘もうとしてこの現状なら、逆に言えばまだ、希望はある」

 淡々と言い切るとフローラはそっと頷き、膝の上で粥を啜りながら見上げるしびれんを優しく撫でた。そうしてまた、ぱちぱちと炎が爆ぜる様をぼんやりと見つめた。

 能天気な考えだと、我ながら思う。勇者の卵がとっくに狩られている可能性も否定はしない。でも、ここまでなりふり構わず子供を、変わった髪色の人間を狙ってくるなら────恐らく、奴らもまだ手応えは得られていない。屠るためか、自分達の手中に落とすためかは知らないけど、探し物を見つけるために、こんなにも躍起になってる。

 見つけてやる。必ず、奴らより先に。フローラだって絶対に、渡さない。

 そのまま交代で仮眠をとり、まだ明け方にもならない頃、サラボナ北の長い洞窟に入った。出没する魔物は以前とさして変わらない顔触れだが、どうしてもキメラだけは警戒してしまう。髪を隠したとはいえ、一度でも見咎められて奴らの中枢部に知られたら。

 とにかくフローラは幌の奥に隠して一切外に出さず、戦闘も全部僕と仲魔達で切り抜けた。何もさせてもらえないのは辛いだろう。女王から戴いた杖を得て、僕の力になりたいと言ってくれたばかりの君だから、余計に。

 それでも、文句ひとつ言わず馬車に閉じこもる君の様子から、父親に戒められたのが相当応えていることも痛いほどわかった。

 君は何も悪くない。今はただ、あいつらの標的になってしまっているだけなんだ。

 洞窟を抜けてしまえばあと二日ちょっと、やっとパトリシアを走らせられる。そこからはもう、トヘロス頼みで魔物を振り切りながら馬車を飛ばした。所々に見える雪景色を楽しむ余裕もない。休息もそこそこに先を急いで、三度目の日付も変わろうという頃、旅人で賑わうあの辺境の宿屋に駆け込んだ。突如現れたサラボナの白薔薇を見て驚く人々に構わず、一部屋確保してやっと息を吐く。パトリシアの脚と首もよくよく冷やし、腹帯を替えるなどしてここまでの頑張りを労った。

 朝になればもう一息、森を抜けて昼にはナサカの浜に着くだろう。墓標が少ないことばかりを心密かに祈りながら、フローラと僕は束の間の眠りについた。

 

 

◆◆◆

 

 

 人気のない砂浜に、フローラとホイミン、ピエールを伴い静かに降り立つ。

 壊れかけた大きな客船がないこと以外、ほとんどあの日のままだった。波が寄せては返すだけの砂浜には足跡ひとつない。風が、海岸の奥の森を涼やかに通り抜けて、さわさわと木々が鳴る音がした。あとはもう、波の音だけ。

 哀しいほど静かで────本当に誰も、いなくて。

「あっちの方かな……、集落」

 ぽそりと呟いたら、真っ先にピエールを乗せた緑のスライムがぽよんと跳ねた。彼に続いてホイミンが呼応するように、僕らの周りをくるりと飛んでトヘロスを施してくれる。

 帽子を深く被り、防寒具に身を包んだフローラの手を引いて、さくり、と砂を踏みしめ歩き出した。

 十五分ほど歩いたところで、ぼろぼろに朽ちた藁葺き屋根がいくつか見えてきた。

 もう昼時だけれど、どこからも煙は上がっていない。放ったらかしの畑に作物は残っておらず、誰かが持って行ったのかと思ったけれど、少し行った先におびただしい墓標が立てられており、そこにいくつかの野菜や果物が供えられていて────生き残った方か、ここに駐留している方々が置いたのかもしれない。

「失礼いたします。ルドマン様御息女フローラ様と、若旦那様でいらっしゃいますか」

 集落の入り口と思しき大きな岩の前には、鎧を着た壮年の男性が立っていた。僕達を見つけるとすぐに声をかけてくれる。

「はい、ルドマン家の者です。寒い中こうして見張っていただき……本当に感謝しております」

「そんな、恐縮です。あの、この度は……本当に残念なことで」

 フローラが帽子を押さえながらしなやかに腰を折り、僕も彼女に倣った。彼女こそ碧髪の乙女であることを把握しているであろう男性は、少しばかり狼狽えながら弔詞を告げたあと、僕達を集落の中へと案内してくれた。

 ホイミンとピエールはそこに残った。魔物が来た時すぐに対応できるよう、衛士の方の代わりに見張ってくれるつもりなんだと思う。

 二日、三日ごとに交代で、ここと周辺の集落を巡回してくださっているのだという。他の漁村に被害はないと聞かされ心底安堵した。もっと内地、サラボナ寄りの小さな村に実家があるというその男性は、卿の呼集を受けて駆けつけた時のことを丁寧に話してくれた。

「我々が到着した時には魔物は退いたあとでした。恐らく抗戦したものと見ていますが、生存していたのは四人のみ、……死者が十名ほど。こちらが、生存者の言を元に書きつけた住民のリストになります」

 集落の中にいたもう一人の衛士から数枚の紙を手渡され、フローラと共にざっと眺める。一枚の紙には名前が四つ、あと二枚の紙にずらりと、もういない人々の名前が羅列されてあった。

「名の下に線を引いたものが女子、頭に印を入れたものが子供です。当時集落にいた子供は三人、すべて連れ去られたようで死体が見つかっていません。生きたまま拉致されたという保証もないのですが」

 ……泣いてしまうかと、思ったけれど。

 赤く染まる目をそれでも気丈に見開いて、妻はまっすぐ顔を上げた。凛とした眼差しで前を見据えた彼女は二人の衛士を見比べ、願いをはっきりと口にする。

「お墓を、見せていただいてもよろしいですか」

 折れそうに華奢な佇まいからは考えられないほど強い、彼女の声に気圧されつつ、男性達が頷いた。久々に大公令嬢として立つ彼女の横顔を見て、思わず嘆息する。

 そうして先導していただき、今来た道を戻って行った。血の匂いこそしなかったが、漁村にはもうなんの生活臭も感じられなかった。所々に散る黒い血痕を遺して、壊れたまま、割れたまま直されていない戸や窓が惨劇を物語っている。

 さっき通り過ぎた墓地に辿り着くと、「この一角が、今回の犠牲者の墓になります」と衛士の一人が示してくれた。使い込まれた飾り気のない十字架を胸許から取り出し、フローラはまだ綺麗なその墓標ひとつひとつに向かって丁寧に祈りを捧げた。僕もまた清い水を汲んで備えられたものと入れ替え、フローラに並んで指を組み深く祈りを捧げていく。

「……あの時の……お父様、亡くなられたのですね」

 ゆっくり手を合わせながら墓場を周っていたフローラが、その内の一基の前で足を止めた。

 僕もまた、黙って彼女の肩を支えて隣に立つ。

 さっき見たリストにも、キト少年と同じ姓はこの方だけだったから間違い無いだろう。

 ナグ・マハト。……漁師らしい、屈強な体つきの方だった。黒く日焼けした身体は筋骨隆々としていて。フローラを突き飛ばしかけたり、看過できない瞬間はあったけれど、彼が息子を……家族を、とても大切に想っているのだということだけは、はっきりと伝わってきた。

 あんな騒ぎがあって、結局こんなことになって。彼にとって僕とフローラは正しく、悪魔の遣いとしか思えなかっただろう。

 激昂した顔しか思い出せないけれど、彼もまた、息子を守るため魔物と戦ったのだろうか。

 長く、静かに黙祷を捧げたあと、フローラは傍らに佇んだ男性の方を向き直り、後ほどこちらのマハトさんという方のお宅に案内していただけますか、と請うた。承諾をいただいてからまだ祈りを捧げていない墓標を順番に周り、十基すべてを清めたところで改めて、集落の中に戻った。

 マハト氏の家は集落の入り口に程近い、井戸のすぐそばにあった。井戸の外壁にべったりと黒い染みがついていて、ここで惨劇に見舞われたことが推察できた。

「ここで、銛を握りしめて息絶えておられました。すぐそばにご子息のものと思われる靴と、帽子が……」

 それを聞いた瞬間、フローラが弾かれたように顔を上げた。目で訴えるとすぐに、こちらです、とすぐ近くの民家の玄関口に案内される。扉付近にある棚の上、それらしいものが置かれているのが見えた。見覚えのある帽子と、小さな茶色の靴が片方。

 失われるにはあまりに小さい、あどけない生の証だった。

 深く俯いたあと顔を上げた妻は、その二つの忘れ形見を貰い受けたいと申し出た。いつか返してあげたいから、と告げる妻の真意を測りかねた男性達はひどく戸惑っていたようだったが、少し相談しあったあとその二つを渡してくれた。

 小さな帽子と靴を、汚れも厭わず抱きしめた妻の背中は、いつもよりずっと儚く、悲しく見えた。

 

 

◆◆◆

 

 

 ささやかな弔いを終えて、四日ぶりにサラボナへ戻った。

 本宅で休んでいた義父を訪い、結局ナサカの集落だけ見舞ったことを報告した。悼ましく顔を歪めた義父だったが、労い以外のことは口にしなかった。強行軍で漁村までの道のりを走破してくれたパトリシアと仲魔達を労い、その日の夜は久々に、別宅でフローラと夕食を用意した。

 お互い、気持ちがどうしても喪に服してしまう。いつもなら弾む会話もなく、淡々と食事を終えて、それぞれ湯浴みをして。明日以降の予定も何も話せず、粛々と就寝準備を進めた。

 ……ああ、そうだ。ラインハットに行って、謁見の申し入れをしておかないと。

 濡れた髪を拭きながらぼんやりとそんなことを思う。早めにしなきゃと思っていたのに、ナサカのことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていた。

 ベッドに入っても、今日はやっぱり睦み合うような雰囲気にはならなくて。でもいつも以上に離れ難いような気もして、相手の吐息が感じられるくらいの距離で手だけゆるく繋ぎ、真っ暗な部屋の中から窓の外の雪明かりをぼんやりと眺めていた。

 夜半から降り始めた雪は、地上に着く前に消えてなくなりそうな淡い粉雪で、白い小さな欠片が街の灯りを照り返して輝く様がひどく幻想的だった。

 フローラもやっぱり眠れないみたいで、静かな呼吸だけ繰り返しながら、シーツの中で小さくうずくまっていた。

 ────もしも、拉致されたっていう彼らが生きたまま、神殿に連れて行かれていたとしたら。

 絶対とは言えないけど、きっと大丈夫だよ。

 苛酷っちゃ苛酷だったけど、僕でも十年、命を落とさず過ごせたんだから。何だかんだであいつら、人が死に過ぎないよううまく使ってたし。子供になら優しい人も多かったよ。キトや、他の子供達も、彼らが諦めなければきっと生き延びられる。いつかきっと、また会える。

 ……勇者に会えれば。勇者ならきっと、彼らのことも助け出してくれる。

 頭の中で、妻に語りかけたい言葉をいくつもいくつも考えたけれど、どれもこれも、あまりに無神経な物言いでしかないように思えて、結局何も言えなかった。

「……きて、いると、思いますか」

 そうやって意味もない思考をひたすら巡らせていたら、唐突にフローラの鈴の声が、静謐な闇をそっと震わせた。

 雛の羽音みたいだと、いつか思った。とても密やかな君の声。

「……生きていると、思うよ。僕は」

 願望なんかじゃなく、はっきりと答えた。約束したからなんて甘いことを言うつもりはない。船の掌握に失敗している今、新たな労働力は喉から手が出るほど欲しいだろうから。

 そう言う意味でも、育ち盛りの人間の子供をうまく生け捕りにできたなら、奴らはそう簡単に殺しはしない。

 使って使って、動かなくなるまで使い潰してから、だよ。あいつらなら。

 懐に寄り添った、ほんのり温かい頭をそっと撫でた。額からゆっくり頰へと滑らせたところで、その指の先がじわりと濡れていることにようやく気づく。

 ────いつから、泣いていたのだろう。

 身体を強張らせて、息も殺して。ただ溢れる哀情に、白い頰を静かに湿らせて。

 フローラはもうずっと泣いていた。深く埋めた顔の下、柔らかい敷布に涙も音も全部吸わせて誤魔化しながら……泣いていた。

 気づかなかったなんて。こんなにも近くにいて、一人で泣かせてしまっていたなんて。

「っ……ごめ、…………なさ、い……」

 僕に気づかれて、彼女がやっと深く息を吸った。ひぃっく、としゃくりあげた声があまりにも痛くて。ずくんと心臓を穿たれたような痛みを覚えた、刹那。

 胸が張り裂けそうな、彼女の、

 か細すぎる叫びが耳を貫いた。

 

「わたし、が……っ、私が、あの子を……あんな目に、遭わせたのだと……あの時、もし私が捕まってさえ、いれば……!」

 

 数日前、義父にナサカの件を聞かされてからきっと、ずっとずっとずっと耐え続けてきたものが。

 堰を切ったように溢れ出る痛々しい彼女のそれを、薄明かりの中、ただ息を呑んで見下ろした。

 それを口にするのが、君を守ろうとした人達の想いを蔑ろにするようなものだと。君はよく理解っている。

 それでももう、吐き出さずにはいられないんだってことも。

 君の所為じゃない。初めに少年が襲われたのは船とは関係なかったはず。君がその身を犠牲にしていれば良かっただなんてこと、絶対、絶対にないから。

 そう、言ってやりたくても。

 奴らが気づいて奪いそびれた『碧髪の女』の存在が、更なる襲撃を招いたことは事実で。

 少なくとも、被害者である彼らから見たら何も変わらない。こちらの事情なんて関係ない。

 報復に巻き込まれ、最悪の悲劇に見舞われたのは彼らであって、僕達じゃなかったのだから。

 罪深いよ。君の温もりを確かめながら思う。震える肩を抱きながら思う。だって、それでも僕は。

「……前にさ。メッキー、一緒に見送っただろ。真夜中の、船のデッキで」

 小さな頭を胸に埋め、声を殺して泣く君の耳許に低く、独白を落とした。心許ない君を壊してしまわないよう、優しく、包むように抱き寄せて。

「今になって、君の気持ちがすごい、わかる……」

 愚かだ。残酷だ。そう言った君の気持ちも、痛いほど。

 だって、僕も同じだ。今だけはあの人達を悼んでいたい。キト少年の無事だけを案じていたい。そう思うのに。

「フローラが無事で……ここに、いてくれて……僕のそばにいてくれることが、こんなにも、嬉しいって……!」

 もう、抑えきれなくて。

 ぎゅうっと力を込めて、ほとばしる衝動に任せて、腕の中にか弱い君を閉じ込めた。ふ、と小さく呻いたフローラが苦しげに身動ぎする。呼吸もままならないほどきつくきつく抱きしめて、もう必死に、頭に浮かんだ言葉をそのまま紡いだ。

「僕は今回のこと、フローラの所為だなんて思わない。全然、自分を責めなくたっていいって思う、けど」

 伝わって。いつも拙くて、全然うまく伝えられない僕だけど。

 今だけはどうか、ちゃんと伝わって。これだけは。

「君が罪だと思うなら、僕も負いたい。同じ苦しみが欲しい。半分じゃなくていいよ。全部だって望むところだよ。……泣いていいから。僕の前でだけは我慢しないで、思いっきり泣いていいから────」

 どうか、生きて。

 どんなに自分を許せなくとも、誰が君を許さなくても。存在することまで否定して、絶望してしまわないで。

 今にも粉々に壊れそうなほど泣きじゃくる君を、抱きしめても抱きしめても足りなくて。上半身を起こして、彼女の涙で湿りきった自分のシャツを脱ぎ捨てた。拒絶しない君のやわらかな寝衣もたくしあげて剥ぎ取って、滑らかな白い素肌を僕の固い身体で覆い隠す。

 ……とくん、とくん。

 生身の、ぬるい肌と肌をぴたりとくっつけ合えば、君の心音と体温が心地よく、僕の奥まで浸透して。この心をどこまでも切なく、震わせていく。

 安心する。言葉にできないくらい、君の存在が僕をこんなにも落ち着かせてくれる。

 こうしていないと耐えられない。互いの温もりで傷を塞がないと、無数に刻まれた心の傷が苦しみに曝されて壊されてしまう。君の涙がどこまでもしみて、身を引き裂くほどの激痛に変わってしまう。そんな気が、して。

 それ以上、何も言葉は要らなかった。濡れた睫毛に胸板を押し当てて、何度も何度も頬を拭った。儚い吐息が魂を震わせる。碧い美しい髪の毛も、繰り返し優しく梳いて。

 慈しみ、穏やかに愛し合いながら、僕らはただ寄り添いあい、癒しあって、その長く苦しい夜を越えたのだった。




天罰の杖は本来グランバニア洞窟にあるものですが、今この世界観で道端にぽいっと宝箱があるっていうのがそぐわない気がしてこのようにしてしまった。死の火山の魔封じの杖は単に取れていない想定です。あとあれ見てくれがちょっと、テュールはこれ妻に持たせないだろうなと思って。髑髏の杖やねん。
本当はモーニングスター振り回させるのが正解なんですが、うちのフローラさんは身内に事故る気しかしないのでなんとなく持たせなかった。笑。でも実際の私のセーブデータでは、結婚した日から彼女はグリンガムの遣い手です。
SFC版当時は何故か、理力の杖を持たせてたイメージが強いです。何故だろうな。

この帰郷時期の夫婦の営みをじっくり書きたくて、pixivの方にR18の別シリーズを設けています。と告知だけ。Bright Azureは全編自分がフローラといちゃいちゃしたくて書いてるだけの妄想小説です‼︎‼︎‼︎
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