Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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第二幕・幕間
ある冬の雨の日


 窓際の棚に並べられた薬草を見定めていた時、ふと、窓をばらばらと打つ雨音に気がついた。

「おや。いつの間に、結構降り出しましたね」

 顔馴染みの道具屋の店主が、カウンターの向こうでごりごりとすり鉢を扱いつつ、気怠げに窓の外を見遣った。

「今日はもう降らないと思ったんだけどな」

「ま、こればかりは神の思し召しで。お客さん、雨具はお持ちですか」

「いや、持ってないです。困ったな、確かその薬は濡れると駄目なんですよね?」

 カウンターの上には調合を依頼したばかりの薬草類が数種並んでいる。これらを使える薬に仕立てるのは薬師の修行を積んだ方にしかできない難業である。これから数ヶ月かけて標高のある寒冷地に赴くということで、今日は凍傷に効く塗り薬と、体温を上げる薬効のある薬湯の調合を依頼したところだった。

「急ぎでないなら、明日のお渡しでも構わんがね」

「ああ、そうか。じゃ、止まなそうなら明日、改めて貰いに来ます」

 無愛想な店主は手元のすり鉢に視線を落としたまま、「はいよ」と気の無い返事をしてくれる。

 ここの道具屋の主人は調薬が専門らしく、雨具といった日用品の類は扱っていないらしかった。そうこうしているうちに外は本降り、今出たら全身ずぶ濡れになってしまうだろう。

「少し雨宿り、かな……」

 物憂い雨音がざぁ、と響くのをぼんやりと聞きながら独り言ちる。今は旅の狭間の束の間の休息、妻が久々に使い慣れた別宅のキッチンでパイを焼いてくれるのだと言っていた。もうそろそろ焼き上がった頃だろうか。妻の手料理に目がない仲魔達も今日は室内にいるだろうから、帰ったら欠片も残っていないかもしれない。

「……お客さん、今度はどこに行かれるんで?」

 すり潰した草や根の汁に手際よく粉薬を練りこみながら、店主がぽつりと問いを口にした。

 僕の妻は名前も顔もよく知られたひとで、特にこの街で知らない人はいない。サラボナの白薔薇とも謳われた彼女は、この街を収め、地方全体をも収める西の大公と呼ばれるルドマン卿の一人娘だ。

 半年ほど前に彼女の婚姻相手の座を巡って、この街がちょっとしたお祭り騒ぎになったことがあり、その中で僕も顔が知れることとなったので、この人もおそらく僕の素性を覚えていらしたのだろう。

「ええと……東の、ずっと遠方の国へ行ってみようと思っています」

「東、っていうと、ラインハットの方ですか」

「いえ。もっと東南の……海を周って、かなり険しい山脈を越えなくてはならないそうで。半年はかかるかな。グランバニア、という国です」

 ごり、と響く低い音が一瞬止まって、店主が目を上げてちらりとこちらを見た。

「それは、また……難儀なところへ」

 奥歯に物の挟まった言い方に、思わず苦笑が漏れる。

「ええ、本当に。山脈途中の村などは、一年中雪が消えないところにあるのだそうです。そんなところに白薔薇の君を連れて行こうというんですから、無謀もいいところですよね」

 フローラを少なからず知っているであろう彼に、苦笑いを含めつつ首をすくめて見せると、彼はますますなんとも言えない顔で僕を見た。

 本当に、よく泣き言一つ言わずについて来てくれていると思う。紛うことなき深窓の令嬢であった彼女と夫婦の契りを交わして半年、新婚旅行と呼ぶにはあまりに過酷な旅路だった。三ヶ月超に渡る船旅と、そこから一ヶ月近くかかった砂漠越え。不自由も多く辛いことだってあっただろうに、彼女は常に微笑みを絶やさず、僕と仲魔達に寄り添っていてくれた。そうして辿り着いたテルパドールで女王アイシスから聞かされた衝撃的な内容にも、彼女は冷静に話を咀嚼し、彼女なりに導き出した結論を聞かせてくれた。

 ────行きましょう? あなたにきっと縁ある土地、グランバニアへ。

 怖じ気づく僕の背を、そんなやわらかな一言でそっと押してくれたのも彼女だった。

 雨は止むどころか、ますます勢いを増している。身体の頑丈さにだけは自信があるから濡れて帰ること自体はやぶさかではないが、義父の厚意でお借りしている別宅を汚してしまうかもしれない。何より、彼女に要らぬ心配をかけてしまいそうで嫌だな、と思ってしまった。

 自分より、他の誰より、僕の身を案じてくれるひとだから。真冬の雨に打たれて帰ればひどく心配させてしまうだろう。共に過ごして半年、彼女の性格は以前よりよく理解しているつもりだ。

 数日後にはまた船に乗るため、この街を出なくてはならない。足場が悪いと馬車も思うように動かないから、早く晴れて、少しでも地面が乾いてくれると良いのだけれど。

 そんなことをつらつら考えながら、ぼんやりと窓の外を見ていたら、視界に見慣れた碧色がちらりと映った。

 ────あ。

 目を凝らすと同時に、傘をさしてきょろ、と周りを見渡す妻が窓の向こうの通りに現れたのが見えた。あたりに並ぶ店先を確かめているのだろうか。思わず扉を押し開けて店の外に出ると、すぐに妻がこちらに気づいてほっとその表情を緩めた。

「あなた。良かった、雨具はお持ちでなかったと思ったから」

「うん、ちょうど困ってたんだ。迎えに来てくれたの?」

 状況的に疑いようはないのだけれど、嬉しくてつい頰が緩んでしまう。白い息を吐きつつ近づいてくる妻に声を投げたら、彼女は優しい微笑みを向けて頷いてくれた。暖かなコートに身を包んだ彼女を良く見ると、その肩には仲良しのしびれくらげが乗っている。

「私一人で行かせるのは心配だって、寒い中こうしてついてきてくれたんですよ」としびれんを優しく振り返るフローラに、しびれんもはにかみながら「しびれん、さむいのへいきっ。あめも、すきだしっっ」と答えた。

「はは。確かに、元々海にいたんだもんね」

 指先で白い身体をくすぐってやると、しびれんは嬉しそうに触手を捩らせた。そんな様を、フローラは綺麗に背筋を伸ばした立ち姿のまま、微笑ましげに見守っている。

 店の中に視線を戻すと、店主が目を丸くしてフローラを見ていた。僕ではなく彼女が魔物を連れているのが不思議だったのだろう、またしてもつい笑えてしまうのを我慢しながら扉を開けて店主に声をかけた。

「妻が迎えにきてくれましたので、明日の朝改めて取りに伺います。代金はその時でも?」

「……ああ、もちろん。明日ね、お待ちしとります」

 頷き答えた店主の皺が刻まれた目許は、珍しいことにどこか柔らかく笑んでいるようにも見えた。

 窓の外から店主に会釈したフローラが、片手を僕に差し出すと同時に「あ」と息を呑んだ。

「……ご、ごめんなさい。傘を、忘れてきてしまいました……」

 一瞬意味がわからず目を瞬いたが、宛もなく空を凪いだフローラの手を見て理解し、つい噴き出した。迎えに来ることで頭がいっぱいだったのか、確かに傘は彼女が差しているもの一つしかなかった。

 はぁ、と見るからに息を吐いて落胆している彼女を心優しいしびれくらげが「だ、だいじょうぶ、いっぽんはあるもんっっ」と必死に励ましているが、逆にその励ましこそが面白く思えてきて、ますます笑いがこみ上げてしまう。

「……そんなに笑われますと、私も些か傷つきます。テュールさん」

「ご、ごめん。だってなんか、フローラらしくて」

 さも恨めしげに僕を見上げる彼女を前に、咳払いでもして必死に笑いを堪えようとするがどうにも誤魔化しきれない。基本はしっかり者なのに、稀にこういう抜けたところを見せるのが本当に可愛い。

「すぐに取ってきますから、中でお待ちに────」

「いいよ。こうやって帰れば」

 慌てて別宅への道を戻ろうとした彼女の肩を後ろから捕まえて、腕の中へ抱き込んだ。傘から雫が降り落ちて、わずかに湿って冷えた碧い髪が頰に触れる。真冬の凍りそうな雨の中、僕を迎えにわざわざ外に出てきてくれたのだと思うと、一層の愛しさがこみ上げてしまう。

「こ、これでは歩けません!」

「うーん。じゃ、これならいい?」

 言いながらさりげなく傘を彼女の手から取り、しびれんを間に納めて肩を抱いた。二人が傘に収まるように差しかけて帰宅を促すと、フローラはますます納得いかないと言いたげに軽く唇を尖らせた。

「そんな風になさっては、あなたが濡れてしまいますから……」

 ちらりと傘から外れた方の肩を覗きながら、遠慮がちにそんなことを言う。少しくらい、外套があるから構わないのに。

 僕とフローラの間ではわはわと緊張しているしびれんの様子が可笑しくて、そして何を言っても不服そうなフローラがまた可愛くて。思わず溢れてしまう笑みをそのままに、僕は最愛の妻の肩をもっと強く引き寄せた。

「いいんだ。……濡れたら、暖まればいいんだし」

 服なんか着替えればいい。別宅はさすが富豪の屋敷なだけあって全く寒くないし、仲魔のみんなもいるから暖炉には火が入ったままだろう。温かいお茶を飲んで、すぐに湯を使ってもいいのだし────君と抱き合ったらきっともっと、温かい。

 何なら本当に、君が温めてくれてもいいのだけど。

 僕の意図に気づいたのか、耳朶を少し赤らめたフローラが、つと目線を外して呟いた。

「雨が降り出したからお迎えに来ましたのに。あなたがそのように濡れてしまっては、本末転倒ですわ」

「いいんだって、本当に。こうしているだけで、一人で帰るよりずっと暖かいんだからさ」

 ね? と間に挟まれたしびれんに同意を求めれば、困ったように愛らしい目を泳がせ頷く。「しびれんも、ふたりといると、あったかいっっ」と囁いてくれて、その言葉にやっとフローラが口端を緩めて微笑んだ。

「ありがとう。二人とも、迎えに来てくれて」

 改めて妻の手を取ったら、やはりしっとり湿って冷えていた。ずっと室内にいた僕の手の方がまだましなような気がして握りこんだら「あなたの手、温かいのですね」と彼女が微笑んでくれる。

 多分体質もあると思うんだけど、彼女は線が細い所為か、抱きしめるとひんやり感じることが多いから。

 ────ああ、やっぱり、今日は帰ったらたくさん温めてあげたいな。

「そういえば、パイはもう出来た?」

 ふと思い出して道すがら聞いてみたら、フローラは一度しびれんと顔を見合わせ、楽しそうに首を振る。

「あとは焼くだけなんです。やっぱり、焼きたてをあなたと一緒にいただきたいなと思って。……ですから、早く帰りましょう?」

「そっか、すっかり待たせちゃってごめん。それならお詫びに、お茶は僕が淹れようかな」

 くすくすと小さく笑いながらフローラは「お願いします」と頷き、しびれんもまた「はやく、たべたいなっ。すっごく、すっごくおいしそうだったっ」と声を弾ませた。

 雨は憂鬱だけど、君といるだけで悪くない時間に変わる。

 君と結婚して過ごしてきたこの半年間、未知の大陸への旅は決して順調なばかりではなかったけれど、それでも君が笑って隣にいてくれるだけで僕は毎日満たされてばかりだった。

 暑い日も、嵐の日も、雪の日も。一人では退屈なだけの日々も、君が隣にいてくれれば、いつだって、それだけで。

 

 

 

 ────次の旅も、

 きっと楽しいものになるだろう。




2019.6.24 短編
「雨が降って困っていたら妻が傘差して迎えに来てくれたんだけど素でお迎え分の傘忘れてきた可愛い」という妄想が気に入って、そのままSSにしたものです。
 書いたのがテルパドール編書き始めたばかりの頃だったのですが、しっかりこうして収束していくあたりが私だなぁと思います。このほかの番外編も、そこに合わせるように物語が収束していくんですよね…不思議…
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