Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】 作:サクライロ
通されたのは、あの日と同じ大広間だった。
大広間と思っていたが、実際は本当に広すぎる応接間だったらしい。当日は撤去されていた立派なテーブルが二つと豪奢な椅子が幾つか置かれ、広いその卓上の一つには所狭しと大小の瓶が並ぶ。もう一つの、部屋の中央に置かれたテーブルには小洒落た料理が何皿も。さすがは富豪、と思わざるを得ない晩酌の様相だった。
「昔から各地の酒を集めるのが好きでね。まぁ掛けなさい」
着席を促され、僕は恐縮しながら端の方に置かれた椅子に腰を下ろした。誘われるままについてきてしまったが、フローラの父親と一対一で飲む、などというシチュエーションはさすがに想定していなかった。当のフローラは、急な誘いに緊張する僕をひどく申し訳なさそうな顔で見上げていたものの、屋敷に入るとすぐに彼女の自室へと追いやられてしまったようだった。未婚の娘が男同士の飲みの席に顔を出すものじゃない、という父親のお説教つきで。
「グラン君と言ったか。出身はどこかね」
「……サンタローズです。ただ、僕自身はずっと旅をしておりまして」
ずいぶん昔に滅んでしまった村だが、故郷と呼べる場所はあそこしか知らないので、正直にそう答える。
僕の返答を聞き、卿は苦いものを噛みしめるように顔をしかめる。……その瞳は、古い過去の記憶を呼び起こすかのように遠くを見ていた。
「サンタローズ……か。久々に聞いたな。昔、何度か立ち寄ったことがある。実に美しい、のどかな村だった」
「──ご存知でいらっしゃいましたか?」
今度は僕が、驚きの余り前のめりに尋ね返す番だった。
「これでも、昔は冒険家でね」
どこか愉しげに卿は言い、僕の目の前に美しいグラスを卒なく差し出す。
「若い頃はずいぶんといろいろなところを回ったものだ。……しかし、ラインハット王国がサンタローズを滅したのはかなり昔の話ではなかったかな? 君はその時まだ子供か、生まれていなかったくらいだろう」
低く、確認するように問われ、僕は静かに目を閉じて頷いた。第三者からその過去を語られることに少しだけ胸が痛んだが、過ぎてしまったことは何事も変えられない。
「仰る通りです。当時の僕は六歳でした。……理由あって、サンタローズが滅んでからは長く、あるところで過ごしていまして……最近ようやく戻ったばかりです」
濁した答えが気になったようだったが、卿は結局それ以上の追求はしなかった。その代わり、ずらりと並んだ瓶から酒を選びながら、ラインハットの話題を口にする。
「なるほど、随分と苦労をされているようだ。──ラインハットと言えば、最近も何やら騒動があったらしいな。長く行方不明だった王兄殿下が帰還されたとか」
卿の言葉に僕は一瞬返答を悩んだが、思いがけず耳にした懐かしい友の話題に頬が緩み、自然と小さく頷いていた。
「……友人です」
卿は軽く瞠目して振り返り、僕の表情を見て満足げな笑みを浮かべた。
「どうやら、君は色々と冒険譚を持っているようだ。これを肴に、どこまで聞かせてもらえるかな?」
言いながら取り出したのは、黄色いラベルがどこか可愛らしい、細身の美しい小瓶。
「今は亡き、サンタローズの蜂蜜酒だ。年代物だが、どうかね?」
それから、僕とルドマン卿は時間を忘れて話し込んだ。
ヘンリーの国の内情に関わる事柄についてはさすがにあまり込み入ったことまで話せなかったが、ラインハットの王太后が別人──つまりは魔物だったが──に成り代わっていた件、ヘンリーが陣頭に立ってその企みを砕いた件については、彼の手伝いをしたということで所々ぼかしながら話をした。ルドマン卿は少年のように目をキラキラと輝かせ、僕の話に食い入るように聞き入っていた。
「いや、面白いな。君は面白い! 若いのにまぁ、随分と修羅場を潜ってきておる。儂は君のような若者が好きでな、男はやはりこうでなくてはいかん!」
興奮した様子の卿が僕の肩を叩いて笑う。恐縮しつつも、気に入ってもらえるということは当然悪い気はしない。
また、ルドマン卿が若かりし頃の冒険譚も幾つか聞かせてもらった。見たことのない世界の話も幾らかあった。灼熱の砂漠が広がる中に佇む美しい国の話。秘境ともいえる山の奥深くに人を寄せ付けず聳え立つ城の話。南の海のどこかに浮かぶ不思議な収集家の館の話。
「────いや、こんなに旨い酒は久し振りだ。あの子の目は曇っていなかったようだな」
話の合間に、卿がグラスを揺らしながらどこか嬉しそうに、ぽつりとそう呟いた。
意味を捉えかね軽く首を傾げると、卿はまた照れ臭そうに笑い、手の中のグラスを一気に呷る。
「いや、あの場に来てくれた君だ。どうかね、フローラのことは? 憎からず想ってくれていると、儂は考えているんだが?」
ずずい、と僕の方に身を乗り出し、卿が気分もよさそうに僕にそう問うてくる。
憎からず──どころか、僕はあなたのお嬢さんに呆気なく、この心をすべて囚われてしまっています。
などと口にするのはあまりに気恥ずかしく、恐らくは顔を赤らめて俯いてしまった僕に、卿はますます笑みを深め背をばしばしと叩いてくる。
「なんだなんだ! こっちの方は随分と奥手だな。まぁそれくらいの方が誠実で良い」
「……恐れ入ります。卿」
酒のせいだけではなく熱を持った頰を軽く抑え、僕は軽く息をつく。この話題だけはどうにも未だ、気恥ずかしさに打ち克つことができない。
「君ならばきっと伝承の二つのリングを見つけてくれるだろう。期待しておるよ。もう何人かは死の火山へ向かったらしいと聞いたが……そうか、君がノルンの息子を火山で助けたと、そう言っていたな?」
満足そうに僕の顔を覗き込む卿の言葉に、すっかり忘れていた指輪のことを思い出す。
今、報告してしまっても良いものだろうか。
「はい、実際に彼をこの街まで運んでくれたのは仲間達なんですけど……、あの、実は」
そこまで言って、僕はちらりと卿の様子を窺う。すっかり僕を信頼してくれているその眼差しに心を落ち着かせ、僕は深呼吸を一つすると服の内側にぶら下げたままだった細い鎖を取り出した。
「……こちらを」
一度、掌に握りしめてから、そっと卿に差し出した。夕闇色の指輪は尚も不思議な温もりを湛えている。卿は目を瞠り、息を呑んだまま指を差し出し僕の掌から指輪を摘んだ。卿が覗き込んだ宝石の内側には、きっとあの不思議な炎が揺らめいていたに違いない。
「……こんなに、早く、手に入れるとは」
驚嘆に声を震わせ、卿が呟いた。黙って掌を収めた僕と、指輪を交互に見比べる。その頰がじわじわと紅潮し、卿がこの上なく歓喜に満ちた表情で立ち上がる。
「いや、──天晴れだ! グラン君、いやテュール君と呼ばせてもらおう。君は凄い男だ。これほどの歓びを覚えたのはいつぶりだろうな!」
「本当は、二つとも揃えてお渡ししたかったのですが……申し訳ありません。慌ただしくて、水のリングの方はまだ探しにも行けていなくて」
そんなにも喜ばれてしまうと寧ろ片方しか渡せないことが心苦しく、僕は卿に詫びたが、卿は首を振ると破顔したままいそいそと使用人を呼びつけた。何か囁き、使用人は会釈をするとすぐに応接間を出て行く。そうして僕の方を向き直り、卿はますます興奮した様子で身を乗り出した。
「聞かせてもらわねばならん話が増えてしまったな。どうだった? この指輪を得た時は。死の火山ではどうやって探索したのかね? 以前足を踏み入れた時にはあちこちから溶岩が噴き上がっていて、ろくに進めなかったものだがね」
結局、僕はルドマン卿に捕まったまま、魔物と斬り結びながら洞窟を探索した話、仲間の力を借りて溶岩の沼地を駆け抜けた話、灼熱地獄の中単身で溶岩の魔人と戦った話──途中からホイミンに助けられて全ての魔人を斃した話まで、ほとんど洗いざらい告白させられた。ルドマン卿の輝く瞳はその間ずっと燻ることはなく、僕達は夜が更け切るまで長い長い時間を語り、飲み明かしていたのだった。
恐らくまたも明け方近い頃、僕はやっとルドマン邸から解放されふらふらと宿に戻った。
連日おかしな時間に戻る客に番頭は少しばかり怪訝な顔をしたが、特に何も言わず部屋の鍵をよこしてくれる。
僕はずっと喋っていたのであまり飲まずに済んでいたが、もともとあまり酒には強くないので、部屋に戻りベッドに身体を沈めると酔いとともに急激に重たい疲れが襲ってきた。
──今日はさすがに、湯を使ってから休もうかな。
眩暈のような気持ち悪さを覚えながらも上半身を起こす。外套とターバンを外して棚に置き、身軽にしてから着替えを手に取った。ふと胸許に手をやり、さっきまでそこにあった指輪に思いを馳せた。
ルドマン卿が何かを使用人に言いつけたしばらく後、運ばれてきたのは上品な小箱だった。
白く美しいその小箱は二つあり、一つには赤と金の糸で、一つには青と銀の糸でシンプルな刺繍が施されていた。その、赤の糸の小箱を卿が手に取り、そっと開いて中を見せてくれる。
「君の、結婚指輪を入れてもらおうと思ってね」
それは宝石箱だった。指輪を一つだけ収められるその台座は美しい白い絹で彩られている。優しく囁き、ルドマン卿が僕の炎のリングをそこに収めるよう促した。──わずかに躊躇ったが、僕が持ったままどこかで紛失してしまう心配をするよりは、こうして預かっていただく方がいいのかもしれない。そう思い直し、台座に指輪をそっと差し込んだ。
「二つ揃うのが楽しみだな」
片方に指輪を収めた色違いの宝石箱を隣合わせに並べて眺め、ルドマン卿は嬉しそうに目を細めた。
──その表情は、いつの日か亡き父が僕を見つめてくれた眼差しにとてもよく似ていた。
愛しい娘の幸せをただ希う、父親の顔だった。
炎のリングは炎の火山に。では、水のリングは水の多い場所にあるのかもしれない。そう僕が言うと、ルドマン卿は快く船を貸すと言ってくれた。
「小さな帆船だが、それ故に小回りがきく。この大陸内の水場を探索するなら十分だろう」
馬車はあってもさすがに船までは持たない僕には、有難すぎる申し出だった。
思いがけず、彼女の父親の厚意を……好意を、頂ける結果になった。あとは、────
そうして、僕はふと空を仰ぎ瞼を閉じる。
昨夜、別れ際にフローラが見せた、あの表情が瞼の裏側に浮かび上がる。
ほんのりと目許を染め上げた、あの遠慮がちな眼差しに、
────僕は、恋情を見た気がしたのだ。
(……都合よく、考えすぎ……かな)
吐息を零せば、少しだけこの胸の苦しさが和らぐ気がする。
それでも、あの幻のような一瞬を想うだけで、この胸には甘やかな熱が何度でも甦る。
信じたい。この想いが、僕の独り善がりではないのだと。
僕だけの想いではないのだと。
このまま指輪を二つとも手に入れて、ただ形式的に彼女を妻にできたとしても、きっと心から満たされはしないだろうと、僕はもうなんとなく解っていた。
彼女の気持ちが伴わない結婚など、僕は強要したくない。
でも、易々とその権利を、誰かに渡すこともまた耐えられない。
……だから、僕は指輪を探す。
二つ揃えて、その時はきっと彼女の気持ちを確かめに行く。
指輪でもルドマン卿でもなく、彼女自身に僕を望んで、選んで欲しい。そう思うから。
もしも、選んでもらえなかったら──選んでもらえるよう、努力する。それしかできない。でも、今の僕なら。君が誰かのものにならない限り、僕はきっといつまでだって君の気持ちを待っていられる。……そう、思えるから。
その時のために、もう少しだけ、勇気を育てるから。
────まだ、答えは出さないでください。
そして、いつか、……
どうか、
『僕』を、選んでください。
急いで湯を使ってまたベッドに倒れこんでから、やはり昼も過ぎる頃、僕はやっと目を覚まし次の旅に向けての準備を整えた。
一度ルドマン家を訪問し、昨夜の礼と、船をお借りする件について改めて話を聞いた。
操船はしたことがないので不安があったが、水のリングを探す間は操船できる方に一人ついていて頂けることになり、肩の荷が下りた。
「昨夜あれだけ言ったのに、フローラはまたノルンの息子を見舞っておるらしい。気を悪くしないでくれると良いんだが」
申し訳なさそうにそう言ってくれるルドマン卿に、僕は微笑んで首を振る。彼女の気持ちは痛いほどわかるから──この胸が痛まないといえば嘘にはなるけれど、彼女自身の為にも必要なことだと解っていた。アンディの回復をその目で確かめないと、彼女に安眠できる日は訪れないのだろうから。
「大丈夫です。……少し、彼が羨ましいですけど。それでは、明日から船をお借りしますね」
僕の言葉にルドマン卿は微笑ましげに目を細め、「楽しみにしておるよ」と言い添えてくれた。
宿に戻り、支配人と番頭に明日からまたしばらく部屋を空ける旨を伝えた。どうやら僕が寝ている間に、炎のリングを持ち帰った者がいるらしい、という噂が街中に広がっていたようだった。そういえば先ほどちらりと「無駄に怪我人を出すのも本意ではないからな」とルドマン卿が言っていた気がする。支配人達はどうやら僕がその指輪を持ち帰った張本人だとほとんど確信しているらしく、羨望のような、妙に高揚した熱い視線で以て頷かれた。
──つまり、恐らくはフローラも聞かされた、ということ。
むずむずと腹の奥に湧き上がる気持ちを懸命に抑え、すれ違う人々の好奇に満ちた視線を受け流しながら、僕は馬車で暇を持て余す仲魔達の元へと走った。
「あっ、ごしゅじんさまだー! わーい!」
あまりに暇すぎて馬車の外で遊んでいたらしいスラりんが真っ先に僕に気づき、ぴょんぴょんと跳ね回る。そんなスラりんの周りをふわふわ漂うホイミンは、「でかけるの〜?」とにこにこしながら問いかける。僕は頷き、馬車の幌を開けて頼もしい仲魔達の顔を一人一人、眺め見た。
プックル、ピエール、ガンドフ、マーリン。スラりんにホイミン。みんな、僕をいつでも支えてくれる、大切な大切な仲魔達。
「や、みんな。随分待たせちゃって、ごめんね」
「遅いオハヨウ、ですな? あるじ殿」
なぜかにやにやした声音でまぜ返してくるピエールに苦笑を返し、僕は清々しい気持ちで、みんなに告げる。
「次は船だよ。──水のリングを、探しに行こう!」
意識を取り戻したとはいえ、まだ体調に不安の残るアンディの為に、ホイミンだけこの街に残していくことにした。
アンディの両親を訪ね、治療がてらホイミンを預かってもらいたい旨を伝え、ホイミン本人にも留守の間のことをよくよく頼んで、翌朝僕達はいよいよサラボナを発った。
結局、一昨日家に送ったのを最後にフローラに会うことはなかった。
想いが募るばかりの今、彼女を目にしてしまったら、一層離れ難くなってしまう気がして。
それに、僕が炎のリングを手に入れたことを──婚約者の座に王手をかけたことを彼女にどう思われているのか、知ることがまだ、怖かった。
街を出てしばらく北に進むと、すぐに小規模ながらも見事な船が目に留まる。その船の前で、熟年の男性が待ち構えていた。
船体に刻まれたルドマン家の紋章をちらりと確かめ、彼に深々と頭を下げる。
「初めまして、テュール・グランと申します。この度は大変お世話になります」
「テュールさん、よろしくどうぞ。旦那様から話は聞いております。私も若い頃は旦那様に仕えて世界中を周った身、貴方の働きには大変期待しております。参りましょう!」
僕達は船に乗り込んだ。ポートセルミで見たどの船より小ぶりではあったが、馬車を載せても十分なほどの広さがある。その船の使い勝手の良さに僕は思わず感嘆する。
「よし。行こうか!」
天気も良好、決して大きくはない帆を張って。
僕達は新たな冒険を求め、未開の水辺へと漕ぎ出したのだった。