Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】 作:サクライロ
久々の船旅はとても心地いいものだった。
海とは違い、サラボナを囲む山々を眺めながら、その木々の間を流れる大きな河を上ってゆく。陽射しもちょうど良く、波間から立ち上がる涼しい風に身体が冷えすぎることもない。潮風に髪がべたつくこともなく、爽やかな森の香りを吸い込みながら揺れに身を任せる。
ここ数日の疲れもあってか、揺られているだけでうとうとと気持ちのいい眠気に落ちてしまいそうになる。
「お疲れでしょうから、寝ていてくださって構いませんよ」
クラウスさん──ルドマンさんがつけてくださった帆船の航海士が笑いながらそう言ってくれたが、僕は彼の有難い言葉に苦笑しつつ首を振り返した。
せめて、急な魔物の襲撃には備えていたい。それに、乗り込んで早々に操船を任せきりにして寝てしまうなんて、申し訳なくてさすがにできない。
クラウスさんは、普段からこの川沿いを視察する際、ルドマン卿の供をなさっている方だという。クラウスさんの操船の腕は確かで、絶妙に風を捕まえて帆船は素晴らしいスピードで進んでいく。
ここはルラフェン地方に続く、大きな湖に繋がっている水路らしかった。昔はこの辺にもっと多くの集落があって、この水路が重要な移動手段だったのだろう。魔物が増えたり、人が街に集うようになったりで寂れていってしまった、といったところだろうか。
「あー、きもちいねー」
遊び疲れたらしいスラりんが、舳先に這い上がって風をたっぷりと受け止めながらぷるぷると小さな体を震わせている。
「こーら。落ちるなよ?」
「だいじょぶだもーん」
答えるなり、ぴょこぴょこ跳ねながら僕の肩に戻ってくる。珍しく甘えるように頰に擦り寄ってくるスラりんを、僕は指の背でくすぐるように撫でてやった。
こんなにものどかな時間は本当に久しぶりで、今しなければならないことが何か、ともすれば失念してしまいそうになる、けれど。
──ここに、フローラがいたらいいのに。
思考の空白に、忘れたくても忘れられそうにない僕の想い人を不意に思い出してしまい、つい口許が綻んでしまう。
疲れきったあの人に、こんなにも優しい、穏やかな時間を過ごさせてあげられたなら。
頬を撫でてゆく翠色の風の心地よさに、目の前をあの碧い髪がそよいでいく幻想を視る。
アンディが運び込まれてから一昨夜まで、殆ど寝ずに看病していた彼女。その姿に、何度も直視し難い痛みを味わった。けれどその最後──彼女を屋敷へ送り届けた一昨日の夜、別れ際に彼女が僕にくれた眼差し一つで、迷いも苦しみも吹き飛んだ。
信じてみたい。勇気を、出したい。
僕だけの恋ではないって、思いたい。
僕の思考に同調してくれたみたいに、船の一角に座り込んでいたプックルがのそりと立ち上がり、手の甲にその頭を軽く擦り付けてくれる。
「……うん。そう、まずは水のリングを見つけないとね」
その勇猛な、頼もしい瞳を覗き込み立派な毛並みを撫でれば、プックルは得たりとばかりに嬉しそうな喉声を鳴らしてくれた。
──そう、全ては指輪を揃えてから。
そうしないと、僕達の関係は始まりすらしない。君に想いを伝えることも、君に本当の意味で振り向いてもらうことも。……でも、いつか。
君と、こんな時間を共に過ごすことができたなら。
そんな、幸せな想像に束の間、身を委ねる。
水面に映り煌めく木漏れ日と、さやめく風の音に包まれて、船上の時間は穏やかに流れていった。
サラボナを離れて一日半、時折遭遇する魔物を退けながらも船の上で一夜を明かし北上を続けてきた僕達だったが、辿ってきた水路は山の奥深く、大きな水門を前にして途切れてしまった。
「ああ、忘れていましたよ。この時期は水門が閉まるんだった」
クラウスさんの言葉に僕は振り返り、首を傾げた。
「この時期は突発的に雨量が増えることがありますので、念のため普段は水門を閉じているんです。近くに村がありまして、そこで水門を管理しておりますね」
「なるほど。では、特に水量に問題がなければ開けてもらえる、ということですよね?」
水門を見上げながら僕はクラウスさんに問い返す。ふと、水門の横に粗末な立て札があるのが目についた。立て札にはこんな注意書きが貼り付けられている。
『無用の者 水門を 開けるべからず
用のある者は ここより北東
山奥の村まで』
水飛沫が浸みて文字が些かよれてはいたものの、雄々しい字でそう書かれている。
「そういうことになります。もし、行って管理人を呼んできてくださるのでしたら、私はここで船を見ておりましょう」
「良いのですか? 村があるのでしたら、今夜は宿を取ってクラウスさんにも休んでいただいた方が。まだまだ長丁場になりそうですし」
僕の冒険に付き合わせてしまう負い目があり、せめてもとそう提案してみたが、クラウスさんは穏やかに首を振った。
「私は根っからの船乗りですから、陸より水の上の方が落ち着きます。テュールさんこそ、是非一晩ゆっくり休んでいらしてください。今からでしたら村に着く頃には丁度夕刻ですし、あの村は温泉が評判ですから、きっと疲れもとれると思いますよ」
クラウスさんの勧めに恐縮しつつ頷き、僕達は船を岸に寄せると近くの樹に入念に括り付けた。船に興味があるらしいピエールと船で寝るのが気に入ったらしいガンドフを用心棒として残し、馬車と荷を少しだけ下ろす。
「それでは、明日の昼過ぎに戻ります。よろしくお願いしますね」
残ってくださるクラウスさんと仲魔達に留守を託し、僕は馬車と共に北東の村へ向けて出発した。
ある程度均された地面ではあったものの、やはり山道なのでどうしても足を取られる。
もう少し早く着けるかと思ったが、村が見える頃にはクラウスさんの言った通り夕刻になっていた。
山裾を染める夕日が、どんどん落ちて見えなくなっていく。
「宿を取る前に、水門の管理人の方に話を通した方がいいだろうね。遅くなっては申し訳ないし」
「では、私が聞いて参りましょう」
いち早く進み出てくれたマーリンが、村近くの畑にいた村人に近づき何やら聞き込みを始めてくれる。
魔物だけれど「魔法使い」と呼ばれる種族であるマーリンは、特にこの暗がりでは一見普通の老人に見える。普段でも深くフードを被ったその様は賢者のようにしか見えない為、こうして僕の代わりに見知らぬ土地で立ち回ってくれることが多々あった。
しかし、一度戦闘となればその魔力は絶大で、仲魔の中では随一を誇った。同じ魔法でもマーリンが詠唱するものは威力が違うのだ。さすがに腕力はなかったが、強大な敵と対峙した時こそ後方から放たれる強力な魔法は何度も僕達の切り札となってくれていた。
マーリンが話をしてくれている間、僕も何か情報を得られないかと夕闇に染まり行く村の中を見渡す。……と、視界の端にいくつか並んで建てられた墓石と、そこに跪き祈りを捧げている一人の女性の後ろ姿が目に付いた。
──墓参りかな。
そういえば、父の墓、というものがなかった気がする。亡くなったのは遺跡の中だったし、確かラインハットにもなかった。それに、今やサンタローズは廃墟も同然だったから。
先日、思いがけずルドマン卿とサンタローズの話をしてしまったからか、唐突にそんな思考が頭をよぎっていった。──いや、そんなことも考える余裕がないくらい、僕が今まで遺言のことで頭がいっぱいだっただけなのかもしれない。
今度、サンタローズに寄ったら、粗末でいいから墓を作ろう。家のあった場所でもいい。
そんなことをぼんやり考えていたら、いつの間にかマーリンがすぐ側に戻ってきていた。
「お待たせしました。この村の一番奥に、ダンカンという者が住んでおるそうです。その家の者に言えば水門を開けてくれるだろうと」
「ダンカン?」
聞き覚えのある響きに、思わず聞き返す。
「──ええ、左様です。身体を壊して療養しているそうですが、娘がおるので水門を開ける分には問題なかろうと。……いかがなされた? ご主人」
淡々と報告しながらも、本題とは違うところに食いついた僕にマーリンが若干怪訝な視線を寄越す。
「ダンカン、って言ってた? 本当に?」
「左様でございますが」
重ねて聞いた僕に、駄目押しとばかりにやはり淡々とマーリンが答える。
──ダンカン。アルカパで再会できなかった、幼馴染みの苗字だ。あの宿屋を買い取ったという夫妻がそう言っていた。もちろん、人違いかもしれないけれど、でも。
「あ、……ごめん。じゃ、早速その、ダンカンって人の家に行ってみるね。マーリン、ありがとう」
喜ぶのはまだ早い。僕はいつものように微笑みを繕い、マーリンを労った。賢者然した凄腕の魔法使いは、フードの下で澄ました顔をして頷いた。
小さな村なので、奥の家というのはすぐに見当がついた。
村全体が棚田のようになっていて馬車を入れづらかったので、皆には村の入り口付近に留まってもらうことにして、僕は逸る心を抑えつつその一番上、奥まったところに建てられた家の扉を軽く叩いた。
中から幾度か大きく咳き込む声が聞こえ、「はい、ちょっとお待ちくださいよ」と掠れた男性の声が聞こえる。先程、マーリンがダンカン氏は身体を壊して療養していると言っていたから、休んでいるところを起こしてしまったかもしれない。
「あの、ゆっくりで結構ですので。水門のことで伺いたいことがありまして」
扉の向こうに聞こえるよう、ゆっくりと呼びかける。──呼びかけながら、僕は奇妙な既視感の理由を紐解こうと懸命に記憶を探っていた。
咳。ダンカン。療養。
──風邪をひいて。うつったみたいだね。
唐突に、水の中に放り込んだ記憶の扉が開くように、映像が雪崩れ込む。宿屋で寝込む父の姿。中々サンタローズに帰れなくて、サンチョが恋しくなった頃いつもビアンカが遊びに誘いにきてくれた。アルカパの、街の中で小さなプックルに出会って、それで──
「すみませんね、お待たせして」
扉を開けたその男性は、記憶の中にある風邪をひいた男性より随分老けて見えた。白髪だらけのその髪はやや長く、寝巻きと思しき格好に肩掛けを載せている。ごほ、ごほ、と何度か咳き込むと、「ちょっと、体調が良くなくてね」と困ったような愛想笑いを浮かべた。
『うつっちゃいかんから、あっちに行っていなさい』
──子供の頃に見た笑顔にそっくりだった。
「おじさん」
思わず、声が出た。取り戻したばかりの記憶に手が震える。それでは、やはりこの家は。
明らかに不審な僕の様子に、ダンカンさんは眉根を寄せ首を傾げる。
「はて、どちら様で……? どこかでお会いしたことがありましたかな?」
「テュール、です。おじさん。パパス・グランの息子の……ビアンカのお父さん、でしょう? ダンカンさん」
畳み掛けるように、そう言った。人違いではないことを祈って。──僕の言葉に、目の前の初老の男性はみるみるうちに顔色を変える。目玉が飛び出そうなほどに目を見開いて、口もあんぐりと開けたまま、僕の顔を懸命に見上げてくれる。
「え? パパスの息子? ──本当に、あの坊主かい⁉︎」
僕も興奮を抑えられず、思わずこくこくと何度も頷く。
「はい。ご無沙汰しています。まさか、こんなところでお会いできるなんて」
本当に、ダンカンさんその人だった。名前を聞いた時にはまさかと思ったが、予期せぬ再会に胸が熱くなるのを感じる。──ということは、娘、というのは。
「いやぁ、驚いた! よく生きていたなぁ。そうそう、昔はよくパパスに連れられてうちの宿屋に遊びに来てくれたなぁ。懐かしいなぁ。あーんなに小さかった坊主が、こんなに大きくなったのかい……」
しみじみと僕を見遣り、ダンカンさんが瞳を潤ませる。「歳をとると涙もろくて、いかんね」と照れ臭そうに笑う彼に、僕は少し切なく笑って頷く。
「パパスはどうしたね? 父さんは。元気でやってるのかい?」
僕を室内に招き入れ、ダンカンさんはそう尋ねてきた。折角喜んでくれているのに水を差したくはなかったけれど、僕は正直に首を振り答える。
「父さんは、あの……サンタローズがなくなった時に……」
恐らく、それは想定内の答えだったのだろう。ダンカンさんは、ああ、と小さく呟くと、悼ましげに目尻を落とし僕を見た。
「──そうか。いや、坊主だけでもよく生き延びたよ。……一人で随分苦労しただろうに。よく頑張ったね」
温かな労いの言葉に、はい、と噛みしめるように答える。
「うちも、母さんが亡くなってね。あんなに元気で丈夫だったのに……わからんもんだよ」
「おばさんが?」
あまりに小さい頃のことはさすがに覚えていないが、父に連れられてサンタローズに帰ったばかりの頃、家にお客としてきていたビアンカの母親を思い出した。確か、その時もおじさんが風邪をひいていて、薬を取りに来たんだよって話してくれたっけ。
その、お見舞いに行った父さんまで風邪を引いてしまって、大の男二人を看病していたのがおばさんだった。
「そう……なんですか。会いたかったな……」
何となく、自分の母親のような喪失感を感じてぽつりと呟くと、ダンカンさんも目許を緩ませて頷いた。
「あとで墓参りでもしてやっておくれ。テュール坊が手を合わせてくれりゃ、母さんも嬉しいさ。──そういや、下の墓地の方でビアンカに会わなかったかい? ついさっき墓に行くって言って出て行ったんだが」
ダンカンさんが言い終わらないうちに、扉の外で物音が聞こえた。咄嗟に立ち上がりそちらを注視する。「父さん? 鍵開いてるけど、またお客さん?」と、快活な声とともに扉が開け放たれ──立っていたのは、眩しいほどの輝きをまとった美しい女性。
およそ十数年ぶりに見る幼馴染を、僕は息を呑んで見つめた。
あの頃、僕をレヌール城へと毎晩連れ出した気の強そうな瞳は芯の強い眼差しへと成長し、二つに分けていた明るい金の髪は編み込まれて右肩に纏められている。僕より少し大きかった背は、今は僕が見下ろす程度で止まっていた。──記憶よりずっと大人びたその姿に、ああ、ビアンカは女の人だったんだ、と間抜けなことを思う。
「ビアンカ! 覚えているかい? パパスおじさんとこのテュール坊だよ。生きていたんだよ! 良かったなぁ!」
ダンカンさんが喜びを滲ませ僕を指し示すと、ビアンカと呼ばれたその女性も目を見開き僕を凝視する。
「──うそ、……テュール? ほんとに?」
けれど、真っ直ぐに僕を見つめるその瞳はほんの少し、あの頃の面影を宿していて。
ずっと大人びた彼女にそんな風に見つめられるのが何だか気恥ずかしくなって、僕は少しだけはにかんだ笑顔で頷いてみせた。
「……本当だよ。久しぶり、ビアンカ」
宿を取るつもりでいたのだけれど、ビアンカとダンカンさんに熱心に引き止められ、僕はそのままダンカン家に一泊させてもらうことになった。
「ここで他の宿を取らせたりしたら母さんに笑われるわ。ダンカン亭の名が泣くよ、って」
ビアンカはそう言って笑い、ダンカンさんも満足そうに何度も頷いていた。
僕も、今夜くらいは二人とゆっくり話したいと思ったから、有り難くその申し出を受けることにした。
仲魔達が待つ馬車へ一度戻り、食事を渡しがてら、ビアンカも連れて行ってプックルに引き合わせた。プックルもすぐに気づいたようで、喉を鳴らしてビアンカの掌に鼻を擦り付ける。件の猫がモンスターであったことにビアンカは少し驚いたようだったが、耳のあたりの鬣に括り付けたリボンに気が付くと「まだ持っててくれたんだ。このリボン、もうボロボロね」と少し涙を滲ませながら微笑み、長いことプックルの背中を撫でていた。
ビアンカが用意してくれた夕食を三人で囲んで、僕達は取り留めなくこれまでの話をした。サンタローズが滅ぼされてから、ダンカン一家がアルカパの宿屋を引き払いこの村に引っ越してくるまでのこと。おばさんが時期外れの流行り病に冒され、治療の甲斐なく永遠の眠りについたこと。
僕の話は、奴隷時代のことなど面白いことはないので言葉を濁しておいたが、父さんの遺言があってそれを果たす為に旅をしていること、実は母さんが生きているらしいことなどを思いつくままに話した。
ダンカンさんは時折僕の話に目を丸くしたり感心したり、ビアンカはレヌール城を探検した時のようにわくわくと目を輝かせて、僕の話に聞き入っていた。
「──あ、父さんはそろそろ寝なきゃ。また体調崩しちゃうわよ」
温かいミルクを三人で頂きながら尚も話に花が咲いていた僕らだったが、ふと時計を見たビアンカがダンカンさんにそう促した。
「うん? もうそんな時間か。すまんね、坊。年寄りは夜も朝も早くてね」
「もう。父さんはここがちょっと弱いのよね。寝不足とか、ちょっと寒い日とかすぐ祟るの。──あ、父さん、私も今日はそっちに寝るね。寝床を用意するからちょっと待ってて」
ビアンカは自分の鎖骨の辺りをトントンと示しながら立ち上がった。咳が頻繁に出るようだから、気管支か肺が辛いのかもしれない。奥の部屋に消えて行ったビアンカを見送り、僕はダンカンさんに向き直った。
「働き者ですね、ビアンカ」
「だろう? この辺でも、気立ても器量もいいって評判なんだぞ。坊はまだ独り身かい? ビアンカもそろそろ身を固めて欲しいんだがねぇ。この田舎じゃ、なかなかいい話もなくてね」
思わぬ方向からまたもやそんな話を繰り出され、僕は飲みかけのミルクをあわや噴き出しそうになる。
「……何か、どこに行ってもそういう話になるんですよ。僕はこういう身の上だから、そういうことはあまり考えたこともないんですけど」
当たり障りなくそう答えると、ダンカンさんは何やら嬉しそうに口角を上げて僕を覗き込んだ。
「そうか、そうか! そりゃあ坊よ、お前さんがいい男に成長したからだよ。坊を見りゃあ婿に欲しいと思う親は多いだろうね。なぁ、もし────」
「ちょっと! もう、父さん。一体何の話をしてるのよ!」
上機嫌で尚も距離を詰めてくるダンカンさんを、ビアンカの大きな声が制した。内心ほっとした僕はビアンカの方を振り返る。当のダンカンさんは、無念というような目で僕と娘をまじまじと見比べ、一つ大きく溜息をついた。
「──ビアンカ、お前だって……」
「はいはい、お床の準備ができましたよー。父さんはとっとと寝なさいな! テュールはまだ起きてられるわよね? もう少しだけ話しましょ! すぐ戻ってくるから、待っててね」
一息にそこまで喋りきりながら、ビアンカはダンカンさんの背後に回りぐいぐいとその背を押す。ダンカンさんは少し咳き込みながらも「おいビアンカ、そう押すんじゃない。じゃあ坊、ゆっくり休んでな」とほとんど流されるように奥の部屋へと消えて行った。
──もう少し、病人は労った方がいいのでは。
余計なことかもしれなかったが、取り残された僕はビアンカの有無を言わせぬ勢いにそんなことを思っていた。
「さ、これで邪魔者はいなくなったわ」
「邪魔者って……」
さっさと戻ってきては何事もなかったかのように木卓に向かい腰掛けるビアンカに、僕は苦笑を返す。こういうところ、変わらないなぁ。
「そういえばさ、テュールはどうしてこの村に来たの? 観光、ってわけじゃないわよね」
それぞれのカップにピッチャーに注がれたミルクを足しながら、ビアンカが首を傾げ僕にそう問いかける。
そういえば、僕も再会の喜びのあまり本来の用件をすっかり忘れてしまっていた。ここから先の目的を達成するには、あの水門を開けてもらわなくてはならないのだ。
「あ、もしかして温泉に入りに来たのかしら? ここの温泉はすっごくいいのよ。それともまさか、私に会いに来たとか! なーんて」
「ああ、それ半分あってるかも。村の外に水門があるだろ? 実はあれを開けて欲しくて」
おどけて言うビアンカに小さく笑いを返しながら、僕はやっと本来の用件を伝える。すると、ビアンカがすぐに怪訝な顔をして首を捻った。
「──ねぇ、水門の先に何かあるの? 何かここ数日、テュールと同じこと言って来る人が多いのよね。こんなに頻繁に開けることってないから、気になってはいたんだけど」
ビアンカの言葉に僕は愕然とする。そうか、水のリングから探す輩がいても何もおかしくはなかった。寧ろ死の火山の危険性を考えれば、どこにあるかも未知数である水のリングから探すことはもしかしたら賢い選択だったのかもしれない。
──ということは、今も相当数の人間が水門の先に進んでいるということで。
いや、今回も火山の時のような魔人が守っているかもしれないし。水場で進みづらい場所かもしれないし、さっき街を出た時点では水のリングが見つかったという噂は露ほども聞かなかった。
まだ大丈夫、間に合ってる。と自分に言い聞かせ、僕は「ねぇってば」と答えをせっつくビアンカに向き直った。
「あ──えっと。実は、水のリングって言う指輪を探しに行きたいんだ。はっきりとは言えないんだけど、水門の先にあるかもしれなくて」
「水のリング? 何それ、素敵!」
僕の説明を聞くや否や、ビアンカの表情が昔レヌール城を目指した時の如く輝きだす。
冒険が好きなのも変わらないんだな、と思わず笑みをこぼしてしまった。
「あ、笑ったわね。仕方ないじゃない、宝探しとか大好きなんだもの。……でも、それを他の人達も探しに行ってるってこと? 見つけたら何かあるの?」
ビアンカの純粋な疑問による追及に、僕はいよいよ答えに窮することとなった。何かある、んだけど。それを彼女に言うのはあまりにも気恥ずかしい。
「……ノーコメントじゃ、だめ?」
「だーめ。水門の鍵は私が持ってるのよ? どう言うことか、わかるでしょ?」
うん、こういうところも本当に変わっていない。この押しの強さで子供の頃はどれだけ振り回されたことか。
──でも、そのお陰でビアンカとの思い出は、忘れられないものになっているんだ。
ほらほら、吐いちゃいな。と言わんばかりのビアンカの好奇の眼に競り負けて、僕はついに本当の目的を白状させられることになった。
「……水のリングを見つけたら、──求婚……できる、ことになってるんだ。……サラボナの、領主のお嬢さんに」