甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

10 / 128
秘匿
秘されるだけでは足りず、隠されるだけでも足りはしない。
秘され隠されてこそ暴く価値が生まれるだろう。
とはいえ、幸があるとは限らないが。



四階の廊下探索

 九月一日に入学して、約二か月が経とうとしている。

 十月三十一日、すなわちハロウィーンが近づいていた。

 上級生によればハロウィーンとは、お祝いの日であると言う。

 ハロウィーン。

 その起源は、古代ケルトまで遡れる。祭りの起源を考えると魔法族がお祝いとすること事態が不思議に思えた。英国が得意とする皮肉なのかと思いきや、そんな様子でもなさそうだ。学生は「いつもよりも豪勢な食事が出るだろう」と期待で胸一杯の様子である。

 祭事の中身を気がかりにして特別な礼装を用意しなければならないのか、と悩むグリフィンドール生はクルックスだけだった。周囲を見回して彼が出した結論は『祝祭本来の宗教的な意味合いは失せ、仮装して食事を楽しむ日になっている』というものだった。

 

 そんなハロウィーンを前日にした、今日。

 ──生徒が浮き足立っていれば、先生の監視の目に変化があるのではないか。隙があるのではないか。

 思い付きを確認するため、クルックスは前向きな計画を立てることにした。

 

 入学以来、夜ごと地道な探索を続けていた彼は、今日はいよいよ四階の廊下へ行ってみようと思った。入学から約二ヶ月も時が経ってしまっていることをやや反省する。しかし、仕方が無かったというものだ。宿題が多いことを言い訳にした。

 さて。

 件の廊下は、日中はもちろん平日・休日の夜間でも先生とフィルチ、ときどきピーブスが徘徊している。ある程度の規則性は把握できているが、祭日の陽気に当てられた生徒が廊下に突撃すれば、今日と明日の監視は変則的になるかもしれない。異常に対し、先生方がどのような対応をするのか気になる。何も起きなければ、それはそれで都合が良い。扉を開けて、秘匿を暴きに行こうと思う。多少の鍵は何とかなる。

 

(……最小の費用で行きたいところだが)

 

 テルミから購入した『青い秘薬』は、衣嚢にしっかりと納められていた。

 青い秘薬。──それは医療教会の成果物のひとつだ。脳を麻痺させることで自身の存在を限りなく薄める効果がある。しかし、狩人は確固とした意志を保つことで副作用のみを得るのだ。啓蒙高い人物が、注意深く観察しなければ彼がそこにいることは見抜けないだろう。

 クルックスは、ハッと息をのみ、首を横に振った。

 

(いけない、いけない。こういう、せせこましい考えの時に限って失敗するものだ。気を付けなければ……)

 

 彼は、数日前のことを思い出していた。

 湖を臨む岸辺で開かれた二度目の『きょうだい会議』のおり、テルミが言ったことだ。

 

「意外だわ。まだ誰も四階の廊下に行っていないのね。『誰も』というのは皆のことよ。生徒のことね」

 

「どういうことか」

 

 ネフライトが「察し悪いぞ」とクルックスを小突いた。

 

「『四階の廊下に近付いた生徒がいない』ということだ。興味本位であれ探索であれ、二か月も経てば興味本位で一人くらい行こうとするだろう。校長が秘したものだ。実に気になる。だから、もし、誰かが挑んだとしたら成功しても失敗しても、多少の噂になるに違いない。けれど、情報通のテルミでさえ、そんな噂を聞いたことが無いという。だから、本当に誰も行っていないと思われる。──ということだ」

 

 彼の解説は分かりやすかった。

 なるほど。クルックスは頷いた。

 

「ならば最初からそう言ってくれ、テルミ。適切な情報伝達を求める」

 

「あらあら。これくらい察してちょうだいな……。理解力が足りないのなら、お父様にお願いして瞳をおねだりしてみたらどうかしら」

 

 冗談めかしてテルミが言う。

 蛇が囁く様が思い起こされた。

 

「無茶言うな。お父様は瞳を授けるなんてしな──あ、あ、あまり、しない」

 

 あまり?

 耳ざといネフライトが聞き咎めて何かを言おうとしたが、遮った。

 

「気にするな! さて、各々探索の際は特にも気をつけるとしよう。まっとうな狩人を慰める程度の秘匿があると信じたいところだな。では、テルミ。青い秘薬をダースでくれ」

 

「はい。どうぞ。けれど、お支払いは結構よ」

 

 同じように彼女に頼もうと思っていたらしいネフライトが「おや」と言う。

 

「む? なぜだ」

 

「代わりにあとで聖杯探索に付き合ってね。人付き合いはお金がかかるのよ」

 

「ああ、そういうことか。了解した」

 

 クルックスは青い秘薬を受け取った。

 ネフライトは、すこし考え込むように視線を逸らし、やや間をおいて彼女を見つめた。

 

「……私は半ダースでいい」

 

「あらそう? 道具を惜しむとしくじるわよ」

 

「そんなヘマはしないっ」

 

 噛みつくようにネフライトは言い、青い秘薬を受け取った。

 青い、怪しげな液体が入る瓶を揺らしながらテルミは、セラフィにも入用か訊ねた。

 

「僕は以前買った物があるから必要ない。しかし、秘薬を使わずともよいのでは? つまりは、先生方がこちらを見た時に誰か分からなければ問題が無いのだ」

 

 セラフィが断言した。

 三人は顔を見合わせ、察しが良すぎたネフライトが彼らの心情を代弁した。

 

「君の発想が……もうカインらしくて聞くのも嫌なのだが……同胞のよしみで一応聞いておこう。何か策があるのか?」

 

「何と都合が良いことに、ここに偶然、カインの兜があるのだが──」

 

 これには他三人が声を合せて「結構」と告げた。

 カインハーストに仕える騎士達が被る兜。それは、銀装甲で頭全体を覆うものである。

 三人は、銀が光を弾くことを嫌がった。明かりを持って歩けば、必ず反射するだろう。それは暗い廊下で避けたい事態だった。

 

「そうか。良い案かと思ったのだが……ふむ」

 

 ちょっぴり残念そうにセラフィは衣嚢に突っ込みつつあった手を戻した。

 

「セラフィも探索の時は青い秘薬を使うことだ。──聞くところによると道具を惜しむとしくじるらしいのでな」

 

「奇遇だな。僕もそう聞いたことがある。テルミ、愛らしい妹。商売上手よ」

 

 からからと笑うクルックス。セラフィは口の端を上げる程度の微笑みを浮かべた。

 頬を紅く染めてテルミは「まあ」と口を押さえた。

 

「んーっもう、心配して言っているのに」

 

 ──分かった分かった。

 クルックスは、彼女をなだめた以上は「油断すまい」と気持ちを決めていた。

 ゆえに。

 青い秘薬をすぐに取り出せるように衣嚢に入れた。

 

 ホグワーツの制服の上から衣嚢を叩き、持ち物を確認する。問題は無い。たいていの問題には対応できるだろう。

 寝室を出て行こうとした時、ベッドの上に放られたままになっていたトリコーンが目に映った。そういえば、とクルックスは父たる狩人と青い秘薬のことに思いを馳せる。「これを飲むと目が醒める」と言い、ちょっとキツめの栄養剤のノリで飲む狩人はどうかしているとクルックスは思う。

 

(意識しかない状態で体を動かしているんですから、そりゃあ醒めるでしょうけれど)

 

 彼の狩人の特性なのか上位者としての肉体の作用なのか。はたまた彼の嗜癖以上の理由は無いのか。判断材料のアテも見つからない規格外だ。クルックスには真似できそうにない。

 父といえば、最後にもうひとつ。ネフライトに聞き忘れていたことを思い出した。

 

(お父様と接触したと言っていたが……?)

 

 基本的に誰かに頭を下げるを良しとしないネフライトが、思わずペコペコとしたのだから彼は怒られたのかもしれない。けれど、落ち込んだ様子も無かった。──ということは、怒られなかったのだろうか。まさか。

 

 クルックスは、すこし迷い、結局、トリコーンを手に取った。

 つい先日、伝統をくだらないと思ったこともあったが、訂正が必要になった。新たな地に赴く時は、伝統が心強いと感じられることもあるようだから。

 彼は、寮を出た。

 

 同じ部屋のハリーとロンがマルフォイが何やらと話し込んでいたが、気に留めなかった。

 彼らの企みが、結果として探索を中止に追い込むことなど考えもしなかったのだ。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

ルーモス 光よ

 

 杖先に光が灯る。

 基本呪文集のなかで最も役に立ちそうな呪文は、このように役に立った。

 携帯ランプより優れていることは、三点ある。燃料を消耗しないこと。松明より周囲への影響が少ないこと。そして何より、明るいこと。

 

 残り火が燃える暖炉を過ぎ、談話室を出ると誰かの気配があった。それはネビルだった。

 午前中の飛行訓練において高所から落下したネビルは午後の授業に出席しなかったのだが、戻ってきたらしい。近寄っても気付かないので寝ているのだろう。騒がれると迷惑なので、このままにしておこう。

 クルックスは、歩き始めた。

 

(絵画の中の人物が動いている……。お父様が見たら何と言うだろうか)

 

 慣れた光景だが、まじまじと見れば未だに驚くことができる。

 階段を昇る。ギシリと鳴った。

 周囲を確認する生きている人間はいなかった。

 死んだ人間ならば、いた。視界の隅を半透明の光るものが過ぎっていった。こちらも慣れた光景だった。

 

「おぉ……グリフィンドールの……」

 

「『ほとんど首無しニック』、いえ、ニコラス卿とお呼びしたほうがよろしいか」

 

 礼儀として簡易な礼をした。

 何も無い空間に浮かぶニックと目が合った。

 

「こんばんは。グリフィンドールの一年生。ミスター・ハント」

 

「ええ。こんばんは。俺は、これから四階の廊下へ向かう予定です。……さて、卿は先生方へ告げ口なさる御仁であるか。ニコラス・ド・ミムジー=ポーピントン卿?」

 

 言いくるめられるか。それともこのまま引き返さなければならないか。殺しきれなくもなさそうではあるが、できる限り手荒な真似は避けたい。

 クルックスは、穏やかに問いかけた。

 

「いつもならば、そうするところです。しかし……」

 

 彼は、クルックスの帽子に目を留めた。

 

「これをご存じですか?」

 

「いえ、ただ、ずいぶん『古いな』と思って見ておりました。お気に障ったら失礼」

 

「古い?」

 

 ニックは小首を傾げ、顎髭を撫でた。

 

「ええ。そのトリコーン、いわゆる三角帽が流行したのは一八〇〇年代でしょう? 今では、そうですね、せいぜいが海賊帽として知名度がある程度でしょうか。それを被って来た生徒は、ここ一〇〇年見たことがありません。……今の時流では、何と言うか……えー……シャレ過ぎるでしょう」

 

 ニックが帽子を被る仕草をする。ひだ襟服の上で首がぐらぐら揺れていた。

 

「なる、ほど。俺の故郷では、一般的な帽子だが……。それで、告げ口するのか? 出直すか強硬するか。さっさと決めたい」

 

 周囲に他の気配は無いが、いつまでも駄弁ってはいられない。

 ニックは半透明の肩を竦めた。階段の手すりを透過し、彼はクルックスの立つ階段の数段下に立った。

 

「今年の一年生は『特別』が多いようですね……。ああ、ハリー・ポッターに限らずですよ。こうして私とばったり出くわしても慌てることなく、怯えることなく、まして悪びれることもない。あなたと同じように挨拶をして見せた子がいます。……何か使命を帯びているのでしょうか。同じ目をしているように見えますが」

 

「俺達は遙か暗澹のヤーナムより来た。血塗れの同士に報いるために俺も歩み続けなければならない。止めないのであれば、世間話は後日にしたい。……が、初めて会った時からうかがいたいことがあった。『ヤーナム』という古都をご存じか?」

 

「ヤーナム……? いいえ。聞いたことがありません」

 

「そうか。しかし、ありがとう。ニコラス卿。宮廷仕えだったという卿が知る由も無い、きっと田舎なのだろう」

 

 クルックスは事実を並べただけだが、ニックは違うとらえ方をしたようだった。

 階段を昇り始めた背に声をかけられた。

 

「以前! 同じことを聞かれたことがあります。普段、誰とも関わらない、檻を被ったレイブンクローの生徒に……」

 

「貴兄が騎士道を重んじるグリフィンドールに相応しいゴーストであると信じている。失礼」

 

 収穫は無かった。

 クルックスは、いよいよ文献の調査をしなければならないだろうか、と宙を見ながら考えていた。

 

 階段を昇り、廊下を渡る。高窓から清々しいほど白い月光が差し込んでいた。

 獣の臭いは無い。香炉の煙も無い。

 それだけでクルックスは、悪い夢のような気分になり頭を振った。

 

 目的の廊下には、すんなり到着した。

 事前に順路をさんざん確認した甲斐があった。

 

(それにしても警戒が緩い気がする……)

 

 右。左。クルックスは頭を巡らせて確認する。辺りに注意しても誰もいないのは確かだった。ハロウィーンを前日に控えた陽気は、禁じられた廊下まで届かなかったようだ。

 運が良い、と思っても良い状況にある。もちろん、油断はならないが。

 クルックスは帽子を目深にかぶり直すと衣嚢から針金を取り出した。

 廊下に面した扉。施錠されていることは分かっていた。解錠の必要がある。

 

「…………」

 

 まずは一本差し込んで状態を確認する。手応えを掴みながら調整した二本目を差し込み、更に感覚を研ぎ澄ませる。

 

(ぐぅ……いっそ壊したいが)

 

 鍵は古風で、ともすれば単純な機構である。開錠について手ほどきを受けたクルックスであれば、何とか突破できる程度だった。

 もっとも、後先考えずに破壊しても良いなら散弾銃を撃ち込んで扉の施錠部を壊したい。それか斧で扉ごと切り倒すほうが簡単だ。爆発金槌という手もある。けれど探索が何らかの理由で中断した場合に、後ほど扉が壊されたことが問題となって秘匿が場所を移動する可能性が排除できない。

 ──今回は運が良い。一度きりの探索で全て明らかにしてしまいたい。

 いくつかのピンが解錠の位置に近付いた。

 あとすこしだ。落ち着かせるように呼吸を繰り返す。

 

(俺はヤマムラさんのように器用ではないから時間がかかる……)

 

『四角の紙で何でも作れる』と言われるほど指先が器用な同士ヤマムラが、クルックスに鍵の開け方を伝授することになった経緯は、実に大したことが無い。

 

『ヘンリックから投げナイフを教わっているのか。そうか。励めよ。──さて、同士ヤマムラよ。手先が器用だったな。何かないのか?』

 

 クルックスは、その言葉を聞いた時、腹の底がヒヤリと冷えた。

 同盟の長、ヴァルトールの暴投気味のリクエストに対し「いいえ」を知らないように言わないサムライは恐らく反射的に「はい」と答えて立ち上がった。……クルックスの言うべきことではないので言う心算は無いが、ヤマムラは「いいえ」を言うべき場面で言うべきだと思う。東邦の男とは、皆こうなのだろうか。心配である。

 連盟の名誉を保全するために思考を逸らせるが、連盟はパワハラ・モラハラ・セクハラの無い、ヤーナム広し深しといえど比較的アットホームな協約だ。

 話を戻そう。

 東方から来た異邦人、ヤマムラが「昔……うん……いろいろあってね……」と語りながら教えてくれた技術は本物であった。鍵とは種類を知り、コツを覚えれば対処は難しいものではない。

 

 カチリ。

 針金とピックが噛み合う、良い手応えがあった。

 クルックスは乾ききった唇を舐める。──もう少しだ。

 

 その時だった。ドタバタと数人の足音が耳に届いた。足音は近い。廊下のどこかにショートカットがあったに違いないと思えるほどに、それは近い。

 クルックスは杖先の灯を消す。そして針金を鍵に差し込んだまま、死角になりそうな壁に張り付いた。そして、衣嚢から青い秘薬の瓶を取り出し、飲み干した。

 

「……っ……」

 

 脳が麻痺し、息が詰まる。次いで意識が遠ざかる感覚に陥りそうになるが、大きな問題にはならない。意識の輪郭を捉え、明晰を保つ。狩人の業である。そして、息を潜め、じっと来訪者を待つ。待った時間は、たったの二秒だった。

 走ってきたのは三人だった。強張った顔をしたハリー・ポッター、ロナルド・ウィーズリー、そして、クルックスはかなり驚いてしまったのだが──ハーマイオニー・グレンジャーがいた。

 クルックスが弄っていた鍵にロンが飛びついた。

 

「ダメだっ! 開かない! もうダメだ! おしまいだ!」

 

 さらに足音が聞こえた。

 生徒なら誰しも一度は聞いたことのある、ズカズカと響く足音──フィルチだ。

 まるで世界の終わりを見ているようにロンは、呻いた。

 

「ちょっとどいて」

 

 騒ぐロンの腕を引いて、ハーマイオニーが杖を持ち、扉に近付いた。

 

アロホモラ

 

 聞いたことのない呪文だ。しかし、効果はハッキリと分かった。

 カチッと軽い音を立てて鍵が開き、ドアがパッと開いたのだ。

 開いた瞬間に三人はなだれをうって扉へ飛びこんだ。同じようにクルックスもするりと中に入り込む。

 

 彼らによって扉が閉められると外では話し声が聞こえた。

 フィルチとピーブズが言い争いをしているようだ。「どうぞ」と言わなければ何も言わない、と言い張るピーブズにフィルチが渋々「どうぞ」と言う。するとピーブズが「なーんにも!」と答えた。クルックスであればノコギリ鉈の錆びにしている問答だった。

 からかい終わったピーブズが消えるとフィルチがミセス・ノリス──猟犬のような猫だ──へ扉を調べようと言いだした。

 

 その時になり、クルックスは自分が鍵に針金を差したままであることを思い出した。

 

(まあ、ただの針金だし……)

 

 何の変哲も無い針金なので問題はないハズであった。誰がやったか、管理人には分かるまい。しかし『扉を開こうとした生徒がいる』という情報を与えてしまうことになるのは、マズイことだろうか。

 クルックスが思案を始めようとした矢先。

 

 ──ウアアアアアアアアアアアア……。

 

 扉の向こう、さらに遠くから声が聞こえた。獣の鳴き声──を揶揄したような人の声だ。

 この声をクルックスは知っている。ネフライトだ。

 彼が「ダミアーンさんが『メンシス学派の忘年会でドッカンドッカンのネタだ』と言っていた。学派で聞いた冗談のなかでもキレキレだ」と言っていたので覚えている。また、それを聞いた狩人も「煽る時にいいと思う!」と青筋を立てながら言ったので、よく覚えていた。

 

「まただ! 夜に! 生徒が! 出歩いている! このっこのっ……!」

 

 怒り狂うフィルチは去ったようだ。

 きっとネフライトは、この辺りの廊下を散歩していたのだろう。彼には後日、礼をしなければなるまい。

 

 スン、と鼻を利かせる。

 どうしてコレまで気付かなかっただろうか。

 一ヶ月以上、嗅いでいなかった。獣の臭いだ。

 クルックスの目は醒めに醒め、右手はノコギリ鉈を探し、左手は散弾銃を求めて宙を掻いた。

 

 四階の廊下の先、閉ざされた部屋は、ただの広い空間の部屋ではなかった。

 

(……彼らを守れるだろうか)

 

 クルックスは飛ぶようにステップして、それと対峙した。

 これまでに倒した獣で最も姿が似ているのは、旧主の番犬だ。あれは強靱な顎を持ち、何より巨体な犬だった。だが、目の前のこれらと似ているのは図体だけだ。なぜなら、目の前の怪物の首は三つある。各々が黄色い牙を剥き出し、口の端からはよだれが垂れていた。

 襲って来ないのは、突然現れた姿に彼らも戸惑っているからのようだった。

 

 クルックスが衣嚢から武器を引きずり出す前に、緊張の糸は限界を迎えた。

 背後にいる三人が大きな悲鳴を上げ、弾かれるように部屋の外へ転がり出た。

 犬は消えた三人を目で追い、やがて、鼻をひくつかせてクルックスへ顔を向けた。青い秘薬は存在を薄れさせるとはいえ、まったく違和感無く存在を消す便利な物ではない。

 クルックスは、そろりそろり、と動く。犬は匂いがある姿の見えないものに困惑しているらしい、攻撃してくる様子は無い。それに乗じて、そっと退室した。

 

 三頭犬の足下に仕掛け扉があることを確認できた。

 それだけが収穫になってしまった。

 

(騒ぎすぎる……)

 

 クルックスは、扉の針金を回収すると来た廊下を歩き、談話室に戻った。

 談話室の塔を昇ると興奮した様子の三人が話し込んでいた。

 暖炉の火は、すっかり失せている。

 

「──仕掛け扉の上に立っていたの。何かを守っているに違いないわ」

 

 ハーマイオニーの言葉に、ハリーは閃いた顔をして、目を見開いた。

 

「ハグリッドが言っていたんだ。グリンゴッツは何かを隠すのには世界で一番安全な場所だって。ただし、ホグワーツ以外ではね……」

 

「隠し物? なんだってホグワーツに隠すんだい。グリンゴッツなら分かるよ。銀行だからね。でも、ホグワーツであんな怪物を閉じ込めておくなんて、連中はいったい何を考えているんだろう」

 

「──貴公ら」

 

 声を発したことで秘薬の効果が薄れ、彼らはクルックスの姿を認識できるようになった。

 突然、現れたように見えるクルックスに彼らは大いに驚いた。

 

「わっ。ハント、寝てなかったの? ……?」

 

「騒いで悪かったよ。……?」

 

 三人の意識は、クルックスの帽子に注がれていた。

 

「えっと。素敵な帽子ね。帽子を被って寝る癖が……あるのかしら」

 

 取り繕うとしたハーマイオニーを意に介せず、問いかけた。

 

「なぜ、四階の廊下にいたんだ?」

 

 帽子を小脇に挟み、質問すると三人は分かりやすく狼狽した。

 

「ずっと見ていた。四階の廊下。鍵のかかった扉を開けたのは、ハーマイオニーだったな。いや、別に告げ口などしないが。……情報交換だ。ポッター、貴公はあの部屋に何があるか、知っているのか?」

 

「──君は、どうしてそんなことを聞くんだい」

 

 知らない、と言いかけたロンを遮り、ハリーが尋ねてきた。

 

「秘匿は破らなければならない。秘されているのならば、暴くまでだ」

 

 クルックスは、そう告げてから、考え直した。

 三人の理解が追いついていない、ポカンとした顔を見てしまったからだ。

 

「言い直す。──俺は、あの部屋の中に、具体的に言えば犬の下にあった仕掛け扉の中に、何が入っているのか気になるのだ」

 

「か、怪物を見なかったのか? 頭がみっつ! あんなの敵うわけないだろ!」

 

「俺は強いので頭が三つあろうが、大きな問題ではない。……今日のように邪魔をしてくれるな。では、俺は休む」

 

 ひとこと言ったら、ささくれていた心が穏やかになった。忠告もできたので自分にしては、よく話した方だと思う。

 後ろで彼らが話す声が聞こえるが、螺旋状の階段を昇ると聞こえなくなった。

 制服を脱ぎ、軽装になると寮のベッドに身を横たえて目を閉じる。

 

 仕掛け扉の先を考えていた思考は、いつの間にか穏やかになっていた。

 今日の眠りは珍しく、這い寄るようにクルックスの意識を浸していった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 最初は、夢を見ていたのだと思う。

 夢。

 睡眠中に見る何らかの視覚像をそう呼ぶ。

 物知りなネフライト曰く悪夢とは異なる。ただ、自分の頭が見せる幻だという。

 

 青と灰と黒で満たされた空間に漂うクルックスの意識は、しばらくぼんやりとしていた。自分の輪郭を辿っては、集中が途切れて解けていく。観測する者がいなければ、穏やかに眠ることも出来る場所だった。

 しかし、ある時。クルックスの意識は、何かに見つめられたことで覚醒した。

 

 その瞳は万象を見通すことができる。

 けれど、普段は用が無いので閉ざされているはずだった。

 

 体に重力を感じて目を開く。

 暖炉の奥で生木の爆ぜる音が聞こえた。

 

「ハッ!」

 

 ビクッと体を震わせる。

 気付けば、狩人の夢のなか。椅子に座っていた。

 対面には父たる狩人がいる。

 

「あ? お、お父様? あれ……俺は眠っていた、ような……?」

 

「ああ、都合良く寝ていたな。俺が呼んだ」

 

 何も不思議は無いように狩人は答えた。

 彼は手紙を書いているようだった。几帳面な文字で細々と綴られていく様子をクルックスは事情が飲み込めないまま見ていた。

 

「小さな狩人様」

 

 人形がクルックスにお茶を運んできた。

 受け取る。それは仄に香る。これが夢では無く、現実であると告げていた。

 周囲を見る。同じ枝葉の存在の気配は無い。どうやらクルックスだけが呼ばれたようだ。

 

「あ、ありがとう、人形ちゃん。お父様が俺に用事とは──ヤーナムで何か緊急事態がっ!? 上位者襲来とか!?」

 

「ヤーナムは今日も平常通りだ。夜な夜な獣は出ているが……まあ、いつものことだな。医療教会の祈りを放置しているが、何か来ている感覚は無い。つまり俺の用事はヤーナムのことではないことが分かったな。用件は、大したことじゃない。実は、ホグワーツに手紙を届けて欲しいんだ」

 

「お、お手紙?」

 

 意外な用事だと思った。

 クルックスは、喉を潤すために茶を一口飲んだ。

 

「校長──ダンブルドア校長とか言ったか。彼宛の物だ。彼は、得体の知れない街から得体の知れない生徒を受け入れているからな」

 

 ずいぶんと手の込んだ。しかも普通の手段を使うのだな、とも思った。

 クルックスの夢に侵入して意識を引き寄せたように、彼がちょっと足を伸ばせば校長の夢に出現することは、きっと難しいことではない。

 

「入学して約二ヶ月だろう? 追い出される気配も無いのならば、俺からひとこと『お礼』申し上げねばなるまい──と思いついた。ちょうどネフの交信でホグワーツの場所も特定できたことだ」

 

「ああ、あの時。ネフの近くに俺もいました。お忙しい時間ではなかったですか。あの日は、そう、満月で」

 

「連盟の会合中だった」

 

「あ~」

 

「長に話しかけられている間にネフと会話したんだが、狩りの合間の休み時に『今、忙しいんだ』とか言ったから長に怒られて市街を駆け回るハメになった。間は、悪かったな」

 

「あっ」

 

「しかし、良い試みだった。夢を見る狩人である限り、皆の居場所を俺が特定することは容易いが……それにしても方向のアテが無いのでは手間がかかる。神秘が違うせいか、使者達の追跡も時間がかかりそうだった。後回しにしていたことがネフのおかげで片付いた」

 

「……場所の特定ができても直接伺わないのですね。いえ、行かないほうがいいと思うんですが、意外です」

 

 言葉がまとまらず、クルックスは手を振って「気にしないでください」とだけ言った。しかし、狩人はクルックスの言いたいことを察したようだった。

 

「ああ。俺が直接行かないのかと言いたいのか。外に出るのは億劫ではないさ。夢を経由して行けるだろうが、配慮も注意も払い過ぎるに越したことは無い。悪夢と上位者について向こうがどれほど理解しているかも分からないのだ。不用意に接触しすぎることもないだろう。発狂されても反応に困るし」

 

 彼の言うことは、もっともだった。

 ひとつ頷いてから、質問した。

 

「……お父様は、魔法界に対してどう思っているのですか?」

 

 手紙は、礼儀以上の意味を持つことになるだろう。クルックスに訪れた直感は、恐らく正しい。

 狩人はインクの裏うつりを確認しつつ「ふむ」と言った。

 

「ネフの報告を読む限り、彼らはヤーナムとは全く別種の神秘に触れたのだろうな。……それについて、思うことは特にない。あちらがヤーナムを放っておけば、こちらからあちらを構うことも無い。なんせ全く別物だからな」

 

「なるほど……」

 

 狩人は手紙を書き終えると封筒に入れた。封筒には『月の香りの狩人』と名が記されていた。

 蝋燭を小さなナイフで削り、スプーンの上に集める。彼は、それからしばらく暖炉の傍にいた。

 

「ええと……仮にですが、あちらが、その、好ましくない対応をした場合は?」

 

「ふわふわした質問だな」

 

 狩人が声をあげて笑った。

 言われてみれば『らしく』ない質問だったように思えて、クルックスは「いえ」と言葉を濁した。

 

「まあいいさ。好意には好意をもって応え、悪意には悪意をもって応えるべきだ。──とはいえ、原始的な疎通に次元を下げたくはないものだがな」

 

 温めたスプーンの上で蝋がとろけた。それを封筒のフラップに垂らし、スタンプを押し付ける。狩人の徴が、くっきりと刻まれた。

 

「これでよし」

 

「どんな内容が書いてあるか、教えていただいても?」

 

 受け取る段になり、クルックスは尋ねた。

 狩人は衣服に溢れた蝋の屑を払い落としながら言う。

 

「ああ、そうだな。ざっくり言うと『突然の申し出だったが子供を受け入れてくれてありがとう』と『ヤーナムは魔法界に対し、基本的に接触しない』という内容だ」

 

「了解しました。たしかにお届けします。あと、もうひとつだけ」

 

「ん? 何か?」

 

「ここに来るのが、どうして俺だったんでしょう。テルミのほうが人付き合いが良いし、ネフのほうが交信も容易でしょうし、セラフィのほうが礼儀をわきまえているでしょう……」

 

 狩人は、やはり『大した問題ではないのだ』という風に手をひらひらさせた。

 

「君がちょうどいい。あまり賢しい真似をして警戒されても面倒だ。テルミなど歳の割に頭も口も回りすぎるだろう」

 

「……そう、ですか」

 

「では、頼む。引き続き学校生活とか頑張りたまえ!」

 

 クルックスは茶を飲み干すと工房を出た。しかし、すぐに戻ってきた。

 困った顔をする彼を見て、狩人は「あっ」と声を漏らした。

 

「交信して意識だけ引っ張ってきたんだった。ちょっと待ってね。戻すから。──交信中──。ホグワーツはともかく、悪夢は不定形だからなかなか安定しないんだよな……。目指せバリ4交信!」

 

 狩人がわたわたと交信のポーズを取った。

 果たして。悪夢は遥か遠方のホグワーツとの接触を果たしたようだった。次第にクルックスの視界は歪み、揺れた。

 次に彼が気付いた時、ホグワーツのベッドで朝陽に照らされていた。

 

(あれは……夢だったのだろうか)

 

 平衡感覚のズレが落ち着くまで彼は横になっていた。

 不意に手に握っている物が目に入る。

 それは、狩人の徴──まだ封蝋やわらかな手紙があった。

 

 




【解説】
 きょうだい会議は、空き教室でやることもあります。涼し気な秋を満喫したいので今回は外でした。
 セラフィは、カインハーストで貢献することを最大の誉だと思っているのでぜひ同胞にも名鑑に名を記して欲しいと思っています。──同盟より、聖歌隊より、メンシス学派より、これは絶対的に有意であるから。

三頭犬について
 描写は、映画より若干原作寄りとしています。原作だと急に入って来た四人に対し驚いてしまい、すぐには襲い掛からないんですよね。番犬としてその辺、どうなんだ? 聖杯の番人の猟犬を見習ってほしい。2匹とブリーダーがセットで近付くとオートで襲い掛かってくるぞ。やめて……
 もしも、犬の頭がカラスであったのならネフライトは杭を持って出動しましたが、犬だったのでそうはならなかった。だからこの話はこれでおしまいなんだ。ブラボを知らない方々に解説するとブラボにはイヌヌカァ(頭部:犬、胴体:カラス)とカァワン(頭部:カラス、胴体:犬)が登場するんです。とっても憎たらしく、けれどメンシス学派が求めたものを示唆する悪夢的生物でした。

筆まめな狩人について
『基本的』など便利な言葉です。前例が無い現状に『基本』などない(せめて書くのであれば『これまでのように』や『従前』)でしょう。言葉の揚げ足取りを気を付けるようになったのは、女王様の教育の賜物です。クルックスの直感は正しい。
 女王様とは文通しているので、とても筆まめです。さすが女王様、便箋まで良い匂い(血)がします。カインハーストは辺境の地です。郵便が無いので彼自身が歩いてお届けにあがります。玉座の間で直接訪問することは礼儀に反するでしょう。ちゃんと欠けた橋から歩いて登城します。……その間に某鴉の奇襲に遭わなければの話ですが。

【あとがき】
ここ数日で評価・ご感想・誤字脱字修正をたくさんいただき、ありがとうございます。ひとまず書き溜め分は頑張って投稿して参ります。
ご感想はとても刺激になっています。やはりひとりで書くだけだと分からなくなってきますね。反応いただけてとても嬉しいです。補足的に付け足す本文や会話をよく見直すようになりました。
というわけで引き続きご感想お待ちしています。
ブラボのことをたくさん語りたい方。──さぁ、舌を噛んで、どうぞ(交信ポーズ)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。