『必要の部屋』
あったりなかったり部屋とも呼称される。
使用者が必要とする物を揃えるが、食料など『ガンプの元素変容の法則』の例外とされるものは現れない。
部屋が物質を新たに作り出すことはない。
かつて誰かがここに置いたのだろう。
翌日。
グリフィンドール対ハッフルパフは、最悪のコンディションと言うべき雷雨のなかで行われることになった。
対戦カードではない寮生徒の行動はさまざまだ。クィディッチは、学校生活で数少ない娯楽である。雷雨など何のその。そんな心意気で寮を出て行く者がいる。
「ダフネの妹君、アストリア。君も行くのか」
「ええ、そうよ」
青いレインコートを着込み、姉と一緒に寮を出ようとしているアストリアを見て、セラフィは腕を組んだ。
「風邪を引いてしまうぞ」
「余計なお世話です」
彼女はサッとコートを翻すと寮を出た。ダフネは彼女が出ていった途端に困り顔だ。
「行くつもりはなかったのよ。今日は本でも読んでゆっくりしていたかったわ。わたしはね。でもアストリアが心配だから……」
「雷には気を付けたまえ。……僕にとっては天敵なのだよ」
「だから、あなたは行かないの?」
「……そういうワケではない。先約があるだけだ」
二人は別れた。セラフィは懐中時計を見る。ネフライトが示した集合時間には、やや早い。
立っているのも不自然なので談話室の空いているソファーに座る。
「すこし早いのだ」
セラフィは懐中時計を閉じた。
テーブルを挟んで座っているのは、セオドールだった。
彼は『実戦魔法薬』──魔法薬の学術書だ──から、目を上げた。その視線の先をセラフィはさり気なく確認した。いつもの大柄な取り巻きを二人揃えて彼は出ていった。
「ハリー・ポッターの一挙手一投足が気になって仕方がないらしい。スリザリンにコリン・クリービーのようなファンがいるとは驚きだ」
ファンとは熱心な信仰者に対して使う言葉だ。視線の先にいた人物にはそぐわない。そのためセラフィは同意を求めるようなセオドールの目を見て、トンチンカンなことを言った。
「誰のことか。アストリア?」
「アストリア? ダフネの妹か。いいや、彼女はどちらかというとドラコに──あ、答えを言ってしまった。つ、つまらんことをするなよ」
「よく言われる。僕は間が悪いのだ。しかし、ドラコがハリー・ポッターのファンだとは初めて聞いたな。粗探しのためだと思っていたが、物は言いようだ」
「お貴族様が何かに固執して身持を崩すのを我が家はずっと見てきた。ドラコは、もうすこし賢い奴だと思っていたがな。御当主様も教育の匙加減を間違えることがあるらしい。マルフォイ家なんて『ブランド』があるのにポッターにこだわるのは意外だ」
「僕の見るところ。君のように欲しがらない人は珍しいと思う」
「歴史を反面教師にしているからな。手に入らないモノは何であれ最初から縁がなかったと思うべきだ。欲を掻くとたいていのことが裏目に出る。……『生き残った男の子』なんて今さらどうしようもないものにこだわるなど時間の無駄だ」
「なるほど。……ああ、ああ、けれど……尊い方は、満ち足りているからこそ他方が気になるのかもしれない……」
「おい。いま、ドラコが尊い方と言ったか? 聞き間違いだろうな。純血の度合いだって俺の方が──」
「僕と女王様の関係のことだ。尊い方の考えることは理解が難しい。けれど、足りないものはあっても心が満ちているから刺激が欲しくなるのかもしれない。愛すべき女王様……。ところで『純血の度合い』という考え方はすこし面白い。君達の言葉で言うところの……ええと……『六つと半ダース』。そんな言葉の使い時なのだろうね」
「六つと半ダース?」
「ああ、ちょうどいい時間になったようだ。それでは失礼するよ。──佳い日を」
セラフィは立ち上がり、手をヒラヒラ振って去って行った。
六つと半ダース。
一ダースとは十二である。六は半ダースで、半ダースは六だ。
「『どちらを選んでも変わらない』。いや。『選ぶ価値はない』。違うか。『僕は選ぶ価値を見出さない』か。……相変わらず血に疎い女だ。いったいどんな泥から這い出てきたのやら……」
暗澹たるヤーナム。
彼女が故郷を語る時に謳うように出てくる言葉。その地名は、気がかりだ。
■ ■ ■
八階までの廊下はすっかり歩き慣れてしまった。
『必要の部屋』までの道中でバッタリ出会ったテルミと窓から外の荒れ模様を見たクルックスは「中止にならないとは驚きだな」や「ねー、ヒドい天気よねー」と言い合いつつ八階の廊下にやって来た。間もなくネフライトとセラフィもやって来た。
「諸賢、定刻前に参集するのは善い習慣だと俺は思う。さて、生徒や先生の目がクィディッチに向いている間に片を付けてしまいたい。クィディッチは、あと一週間ほど続いてほしいものだ。金のスニッチを取るまでは終わらないという不自由な遊戯のようだからな。この天気ではきっと俺でも見つけるのに苦労する。──おっと。話が逸れてしまった。では、ネフ。作業手順の説明をしてくれ」
「承ろう。では手短に。──まず、目的は『必要の部屋』の調査だ。何が可能で何が不可能なのか。これを調べることが主題だ。次に安全性だ。各々よろしいか?」
彼らは口々に了解を告げた。
ネフライトは手帳を掲げた。
「では手段の話をしよう。私はこれから『必要の部屋』に対し、さまざまなことを要請する。テルミは記録係として私の助手を勤めたまえ。セラフィとクルックスには周辺の哨戒を行ってもらう。何かあれば鐘を鳴らしてくれ」
「意見あり。記録係は俺がやろう」
クルックスは、テルミとネフライトの相性があまり良くないことを危惧した為、提案を行った。しかし当のネフライトがすげなく却下した。
「私達のなかで最も目がいいのはテルミだ。『発見力』という意味で、だがね。彼女には部屋を確認する作業をしてもらう。……案じることは何もない。今日は、私から仕掛けることはないとお父様に誓おう」
「求められるのであれば応えましょう。ええ、もちろん。喧嘩なんてしませんわ。お父様に誓って、ね」
「本当に?」
「ホントホント」
テルミがニッコリ笑って言うのでクルックスは意見を取り下げた。
「哨戒を行うことは了解だ。通行人がいたら鐘を鳴らせばよいのかな?」
「生徒ならば鳴らす必要は無い。先生が来た時だけ鳴らしてくれ。何も咎められることはしていないが、ここにいる理由をいちいち話すことは煩わしい。鐘を合図に私とテルミは青い秘薬を飲んで姿を隠すだろう。そして私達から君達を召集する時も鐘を鳴らす。君達の警告は二度鳴らしてくれ。私達は三度鳴らそう」
「了解した」
「──試行をはじめる前に、よろしくて?」
テルミの涼やかな声が、六角柱の檻の中にいるネフライトを振り向かせる。彼は、白い手袋に包まれた手を挙げる彼女を指名した。
「『必要の部屋』についての予想が聞きたいわ。貴方は、何か予測できることがあって部屋を試そうとしている。無作為に願いをぶつけ続けるわけではないでしょう?」
「答えよう。私は、この部屋がホグワーツの創設者ロウェナ・レイブンクローによって作られたものだと思っている。根拠は、いろいろと考えている。ホグワーツはさまざまな防護がされているのは知っているな? 知らないのならば『ホグワーツの歴史』を三回声に出して読むことだ。ともかく。城は勝手に改竄改築されないように魔法が掛けられている。最も分かりやすいのは城全体に防火の魔法が掛けられていることだろう。たまに生徒の不始末で小火が起きるのは、厳密には城の内部に存在する本の問題なので省略する。外からやって来た不逞の輩が放火しようとしても防護魔法に阻まれて『出来ない』という結果になる。延焼による城構造の改竄を防御の魔法が許さないワケだ。そして内部に至っても──」
ネフライトは『必要の部屋』が存在する壁面を指差した。
「勝手に『部屋を作る』ということが出来ないようになっていると思われる。……もっとも校長の権限があれば違うのだろうが、それはそれとしてな。『必要の部屋』が作られた理由だが、本当は何かを隠すための部屋なのではないかと思っている」
「それにしては用途が広い。便利すぎないか?」
セラフィが訊ねる。ネフライトは否定しなかった。
「よい着眼点だ。だが、多機能性を持たせることで『隠す』という目的自体を隠しているのかもしれない。つまり、この部屋の真の目的が隠し部屋であることを悟られないようにするための機能かもしれないということだ。多くの人は、この部屋を必要に迫られて、あるいは、ただ便利だからという理由で使うだろう。やがて、この部屋が作られた目的だと誤認する」
「美味しい話には裏がある……とかそういう類いの勘ぐりか?」
「そこまで疑ってはいない。あくまで予想だ。レイブンクローが作ったという予想にしてもそう。私がレイブンクローの遺した言葉『知は力なり』を体現する部屋だと思っているだけだ。この部屋の使い方を知っていることは、他者にはない強みになる。これもまた知るが故の力と言えるだろう。とはいえ、真相は不明だ。お人よしのハッフルパフが作った究極の善意かもしれないし、はたまたグリフィンドールの遊び心かもしれない。スリザリンではなさそうだ。地下に大きな空間をこしらえていたのだからな。こんな廊下の一角を陣取った程度で満足するまい。──予想はこんなところだ。満足したかな?」
「すごく満足よ」
「質問は以上だな。では各自、持ち場へ。散会」
調査はクルックスの号令で始まった。
雨が、外の窓には激しく打ち付ける音が妙に大きく聞こえた。
■ ■ ■
「く、ぁ……」
クルックスは、大きく口を開けて欠伸をした。
雨の音ばかりが響く廊下は、人っ子ひとり、猫一匹、ゴーストの一体もいない。
手すりに寄りかかり、遠くの足音に耳を澄ませている。
見張りを疎かにするワケにもいかないのでこうして時間を浪費しているが、きっと反対側の廊下を見張っているセラフィも似たような時間の使い方をしていることだろう。
(土砂降りだな。屋根の下にいる観客は大丈夫だろうが、選手達はこの嵐のなかを飛んでいるのか)
平日は学業に忙しい生徒の学校生活の息抜きとして、目まぐるしく攻防が入れ替わるクィディッチの刺激は楽しいものだと昨年度観戦したので知っている。しかし、もうすこし天候は選ぶべきだと思う。風邪をひく生徒がいなければよいのだが。
暇を持て余すのは落ち着かない気分になる。何か有意義なことがしたい。
思いついたことがあり、クルックスは手記を開いた。
ヤーナムから持ち込んだ数少ない私物である手記にはクルックスが生まれてから現在までの間で学んだことを書き留めてある。ちょっとした走り書きから、父たる狩人の言葉までさまざまだ。
最も新しい出来事は、満月の後にセラフィと休日前の勉強会をした時のことだ。
満月。それは、セラフィがヤーナムで窶しの古狩人と会う約束をしていると言った日だ。
クルックスは、手記をめくる。
結果として、彼らの約束は果たされたそうだ。
窶しの古狩人──手記を開いたところでクルックスは棚上げにしていた悩み事を思い出してしまった。
彼が探しているという医療教会の狩人、ピグマリオンの行方をクルックスは知っている。
医療教会の古工房を下りた先、捨てられた古工房にいるのだとテルミが言っていた。クルックスはテルミの言う古工房に行ったことはなかったが、父たる狩人が「あの辺にある」と市街を歩いているなかで指差したことがあるため、おおよその方角を知っていた。彼が指差した先は、谷だ。恐らく底にある。さして探す手間はかからないだろう。
教えることは簡単だ。クルックスがセラフィにそれを話してしまえばいいのだ。
だが、クルックスはどうしてもその気分になれず、『きょうだい』で写真を撮った日から今まで誰にもそのことを話していなかった。
古狩人、シモンがなぜ月の香りの狩人を探しているのか分からない。ピグマリオンと会って彼は何をするつもりなのか。なぜ月の香りの狩人はピグマリオンを幽閉しているのか。テルミにだけそのことを明かした理由もクルックスにはさっぱり分からない。シモンは同じ医療教会の獣の皮を被った暗殺者にも追われている。いったいどういう立場の狩人なのか。
父たる狩人も彼のことを放置しているようだ。いよいよ触れてはいけない問題なのかもしれないとクルックスは慣れない弱気に冒されている。
もし、彼のことを狩人に尋ねるとしたらセラフィの用事が粗方済んでからの方がよいだろう。そうしてクルックスは問題を先送りにしていた。
何かを『しない』ということは、『する』ことによって発生する問題が一切起きない、ということである。
クルックスは当然のことに気付くのに三年半も掛かってしまった。そして、狩人が問題を棚に挙げて先送りし続ける理由にも。
なるほど。何かをすることで「悪くなるかもしれない」と思えば、何をするにも億劫になる。それが善意や『よかれ』と思ったことであれば尚のことだ。
しかし、永遠に先送りというワケにはいかないだろう。……人間を逸脱してしまった狩人ならば出来るのかもしれないが、クルックスはしないつもりだ。クリスマスまでに事態が動いていなければ、覚悟を決めて狩人にお伺いを立ててみようと思う。その先で彼がどんな判断をしても従おうと思う。
(……狩人同士で争わなければ、俺は、それだけでいいのだが)
幼年期の上位者の揺籃の街において、全ての生死は些末な現象に成り果てている。かつて夢を見る狩人の死が、些末な問題であったように。そんな世界で命のやり取りほど不毛なものは無い──のかもしれない。それでもクルックスは獣狩りを続けることでいつか世界が好転することを夢見ている。狩人とてそうだろう。穏やかなヤーナムを見るための試行ならば、流される血は少なければ少ないだけ善い。
(信条の違いで、人はどうしても容易く殺し合ってしまうから……)
それを防ぐための手段として、昨日、自分が言った「隔離」という言葉が思い浮かぶ。
──いいや。いいや。
クルックスは緩く頭を振った。
(そんな……傷つける獣のような手段ではなくて、もっと人間らしく品位のある方法で……狩人らしく信条ある様式で……)
この考え事も堂々巡りだ。
そもそも狩人や学徒でさえ頭を悩ませ、現状維持に努めている問題を一気に解決できる策が浮かぶハズがない。
自分にガッカリすることも、もう何回目か分からない。狩人の気持ちがクルックスにはよく分かる気がした。焦って手を誤るならば──とまた先送り。
この先のクリスマスでは、いろいろと話すことがありそうだ。
クルックスは手記に話すべきことの整理をしようと思った。
──セラフィ。満月。隔離。狼人間。ルーピン先生のお休み。
細やかに綴った文章のなかで、いくつかの単語が妙にハッキリと見えた。そのため一瞬だけ目を留めたが、なぜこの文字に惹かれるのか、彼にはまだ分からなかった。
■ ■ ■
テルミの見るところ。
恐らくここ十年で最も『必要の部屋』の検証が行われていることだろう。
たとえば、ここからキングスクロス駅に繋いで欲しいと願っても『必要の部屋』は応えることがない。これは、遠方に繋ぐことが出来ないことを意味するだろう。──実験するより前に結果が分かりきったものであっても確認作業は必要だ。お手洗いを願った場合、男女で部屋の内容は変わるのか。ネフライトとテルミが試したところ、部屋は変わっていた。そんな確認さえした。
単純な作業の繰り返しだが『必要の部屋』がどこまで応えてくれるだろうかとネフライトとテルミは、お互いに好奇心で弾む胸の内を感じていた。
(ネフがわたしと一緒にいて機嫌が良いなんて、悪い夢みたい)
後付けの知識であるメンシス学派や聖歌隊の宗教や信条どうこう以前に、二人は生まれた時からどうにもソリが合わない。
テルミはソリの合わないところこそがネフライトの美点であり、お気に入りの由縁なのだが、ネフライトはそう思ってくれない。テルミが稀に見せる気まぐれで──「遊び心がある」と言って欲しい──薄情で──「気負わない」と言って欲しい──何より失敗を悪びれない性根──「前向きな性格」と言って欲しい──が許せないのだそうだ。そんなネフライトこそ、テルミにとっては小さなことばかり気にする可愛い性格だと思っているが、そういう評価の仕方も彼は嫌いなのだ。
けれどテルミは気にしたことはなかった。これからも気にすることはないだろう。なんせネフライトが嫌いなものは好きなものよりずっと多く、彼は世の中のほとんどのことが気に食わないヘソ曲がりの『困ったさん』なのだ。
互いに持ち得た性質のせいで反発しがちな二人だが、こうして目的に向かって淡々と作業をこなすときだけは良い関係を築けることを学びつつあった。共同作業をすることは昨年度のバジリスク騒動の時以来だ。あの時は『きょうだい』総出の戦いだったが。
「──現れないな。テルミ、『自殺したい』に適う部屋はないようだ。思想的な限界はこの辺りだな。『拷問したい』にも適う部屋はなかった。次『医療を受けたい』だ」
「はいはーい」
ネフライトに渡された手帳には、すでにどんな願いをするつもりなのかは書き込まれており、テルミはチェックするだけで良かった。
彼が気に食わない相手をわざわざ助手に選んだのは、発見力の話も本当だろうが、恐らく──。
「ネフ、鐘が鳴ったわ」
『きょうだい』のなかで最も聴覚に優れているからだろう。
「むぅ……貴方はわたしを呼び鈴代わりに使うつもりだったのね?」
ツンと口を尖らせたのを見てネフライトは薄く笑った。
「君を顎で使う機会を私がどうして見逃すと思ったのかね。君は、私とはまた違った目立ち方をするんだ。特に今日はハッフルパフのクィディッチ戦でもある。薬で隠れている方が怪しまれずに済むだろう」
「ええ。お気遣いありがとう。わたしはバタービールの飲み過ぎで、お腹を壊して寝ていることになっていますから」
二人は各々衣嚢から青い秘薬を取り出した。
ネフライトは、テルミが瓶に口を付けたところでまた衣嚢をあさった。
「実は下剤を持っているのだが。ここで使うか? それとも大広間で?」
「社会的に抹殺したいのね。必死すぎて面白いわ。だって、貴方なりの冗談だとわかるもの」
テルミは両手をそろえて手を叩いた。黒い手袋に包まれたそれは音こそ鳴らなかったが、ネフライトは不愉快そうに眉を寄せて、衣嚢から手を出した。
「やはり君で試すのはやめよう。体重の差がありすぎて参考にならない」
「提案する前に気付くべきでしたね。それ、クルックスに頼めばよろしいのに」
やがて予想通りに青い秘薬を服用した二人の前をフィルチがブツブツと言いながら通り過ぎた。
すっかり通り過ぎた後で。
「私は……いや、クルックスには、そういうことをしたくないのだ。……お父様と諍いになりたくないので……」
「ええ、そうね。お父様と争うのは悲しいことよね」
ネフライトの思いつきで付け足された言葉に浅い同意をしつつ、テルミは手帳を見た。次に行う作業を確認していると視線を感じた。この廊下には二人しかない。もちろん彼だった。
「クルックスとずいぶん仲がいいよな、君は」
「あらあら、嫉妬かしら?」
人の心に聡いテルミは、ネフライトの寄せる感情が嫉妬だけではないことを知っている。むしろ嫉妬など爪の欠けらほどで、感情の大きな割合を占めるのは強い好奇心だ。
「何か彼にやらせたいことがあるのか?」
「いいえ? ありませんわ」
「甲斐甲斐しく世話を焼いているから見返りに、何かしてもらいたいことがあるのかと思っていたのだが……」
「わたしはクルックスのことが好きですし、クルックスもわたしのことが好きですから」
ネフライトから首を突っ込んだ話題のハズが、彼は「ゲッ」と心底嫌そうな顔をした。
「我々は誠に遺憾なことながら『きょうだい』だぞ。血は繋がっていないが、たしかに同じ夢の樹から生じた枝葉だ。節度ある関係を求めたいものだな」
「羨ましいのなら羨ましいと言うことも必要だと思うわ、ネフ。お父様と同じでクルックスは敵意と殺意以外に鈍感なんですから」
「ハァ。君というヤツは……そんな……はしたないことを言うものではない」
ネフライトは呆れ果てた、と言いたげに肩をすくめた。
内心に秘めたことを話すのは、ネフライトにとって難しいことなのだ。
「誰も咎めたりしません」
「お父様の瞳が見ている。……私は、いつでも恥じない姿を見せていたいのだよ」
──君とは違って。
言外の言葉まで聞き取り、テルミは「ふぅん」と鼻を鳴らした。
ネフライトの厳格さは、一般的に好ましい性格と評価される類いのものだ。けれど『きょうだい』としては、その心根がいつか折れてしまいそうでクルックスに向ける心配とは別の気がかりでもあった。
「作業再開だ。次は──」
「『最も価値のあるモノが必要』? あら。これまでの願い事に比べるとずいぶん抽象的な願いですね?」
「ああ、この部屋に判断を委ねる裁量が大きいだろう。あるいは私の頭の中を読み取るのかな。──『最も価値のあるモノ』について」
「貴方の場合、主宰でしょう。ミコラーシュ主宰」
「そうだな。その場合、次に価値あるモノを『最も価値あるモノ』として判定するのだろうか。それとも魔法に関することで……」
思索の海に沈んでいくネフライトは『必要の部屋』が現れる廊下を往復し始めた。
テルミは現れないだろうと予想していた。これまで部屋が応えた傾向を見るに『○○が必要』や『○○をしたい』という願いにはよく応えるが、この願いは抽象的過ぎるからだ。また、その時彼女の耳は、更に勢いが増す雨音に気を取られていた。
「アッ」
「なぁに? 可愛い声、が──」
テルミは笑いながら振り返った。予想は裏切られた。ネフライトの驚いた顔を見るに彼も裏切られたのだろう。
『必要の部屋』は曖昧な願いに応えたのだ。
テルミはネフライトのそばに立った。ネフライトもテルミの顔をジッと見つめていた。
「まさかと思っていたが、まさかな」
石の中から姿を現しつつある、樫のどっしりした造りのドアを見て二人は顔を合わせた。
「そのまさかね。どうしましょう。召集をかけましょうか?」
「現れた物は危険物とは限らないだろう。それに危険物だとしたら尚更だ。四人まとめて夢に直葬されるワケにはいかない。まず私と君で現状を確認する。いつでも鐘を鳴らせるようにしておいてくれ」
「え、ええ。……ネフ、開ける前に心の準備をしましょう」
ネフライトは、空気を噛むように「なに?」と言った。檻の中の顔は『扉を開けたいのに邪魔をされた』と言いたげだ。
「そんな顔してもダメです。予想することは、この扉を開けてしまえば出来なくなる楽しみです。聖杯で宝箱を開けるときに何が入っているか予想してワクワクしなかった者だけがわたしを押しのけて扉を開けなさい」
ネフライトはほんの数秒間、テルミを脇に退けてから扉を開けようと思ったようだが、会話を選んだ。
「思えば目の前に興味深いものがあったから飛びつくなど、墓暴き時代のビルゲンワースの学徒に等しい暴挙に出るところだった。反省。予想か。そう、だな。魔法界基準で発生した『最も価値のあるモノ』の部屋と思われる。だから魔法に関する貴金属ではないだろうか? いや、学舎にそんな高価な品を持ってくる生徒がいるだろうか……? 創設者の縁の物という線もあり得るか……? ──ハッ、ところで今日はなぜ予想を聞きたがるんだ?」
「ネフがわたしと一緒にいても楽しそうにしているから、たくさんお話をしたいと思ったの。貴方のお話は、いつも難しいですが興味深いものですから」
ネフライトはまた心底嫌そうな顔をした。しかし。
「昨年も言ったことだが、私は、別に、君のことが憎いワケではない」
「ええ、知ってます」
「それはそれとして。君は『きょうだい』であることが疑わしいほどに性格が悪く──」
「えっ?」
「性根は腐っているし──」
「えッ?」
「優しげに見えて私達のなかで最も残酷なので──」
「エッ?」
「目を合わせたくないほど、私は君のことが嫌いなのだが」
「んっん~っ! 人のこと言えない貴方が言うと最高に面白いわ。神秘99のガラシャでぶん殴るわよ」
鉄の塊の気配を感じたワケではあるまいに。
ネフライトは嫌そうな顔をあらため、背筋を正し、檻の目を掻いた。
「君とて私のことが好きではないだろう。わざわざ話したいなど、とんだ物好きだ」
「訂正してもいいかしら。わたしは貴方のことが好きですよ。嫌いだなんてとんでもない。大切な貴方、自分を遠ざけないで。貴方が思うよりずっとわたし達は近く、親しくあるべきなのです」
「ハァ? 遠慮する」
「だから『きょうだい』ならば、そういう遠慮が要らないと言っているんですっ!」
ネフライトは、小汚い猫が足下に寄ってきたのを見たように顔を顰めた。
「私に向かって磨いた林檎を投げつける暇があるのなら、お父様の聖杯のことでも考えておくんだな。バターをべたべた塗ったパンが好きなのはクルックスくらいだろうさ。……まあ、話ならいくらでもネタがあるのだ。君が伏して請うなら話してやらんこともないかもしれないな」
「──ねぇ、早く扉を開けてみましょう? 何が入っているか気になってきました」
頭を下げるのは『きょうだい』に対する親愛の情とは根本が異なる問題である。それは誰かの世話を焼くのが好きという嗜癖と持ち前の矜持に何ら矛盾を生じさせなかった。
お喋りもそこそこに二人は互いに教会の連装銃を抜くと目を合わせ、頷く。
事前の取り決め通りにネフライトの前に立つと彼は右手をピクリと動かした。彼は、さり気なく体の前で指を組み、考え込むようにテルミを見つめた。その後、取り決めを覆す言い訳を思いつかなかったようだ
「いいだろう。いいだろう。君の役目だったな。……念のため青い秘薬を飲んでくれ。それから何があっても、まず反応するようにしてくれ。たとえば私が『呼んだら応える』とか。それから、どんな些細なことでも異常を感じたらそう伝えてくれ。すぐに君を連れ出して扉を閉める」
テルミは、了解を告げて扉に両手を掛ける。扉は、軽々に開いた。
最初に思いついたのは『闇の魔術に対する防衛術』の教室だ。
壁面の高所に取りつけられた採光窓から入った光が幾筋も注いでいる。部屋の中央に佇むのは四本足の小さな丸テーブルだ。その上に濃紺の箱が置いてあった。
「テルミ、進捗は」
「あ、報告ですね。ええと、小さな箱が置いてあるわ。箱……小物入れのような……?」
「分かった。手で触れずに開けてくれ。くれぐれも教会手袋の呪いを過信するなよ」
「はぁい。開けるのは構いませんが、このまま部屋で開けますか? 部屋から取り出してもよいでしょう」
ネフライトは、物品が見つかったことで少々冷静さを欠いていたようだ。
「……そう、だな。ふむ。……ここまで来てくれ。何かあれば部屋の中に投げ入れて、扉を閉める。どうかな」
「賛成です」
テルミは杖を振り、箱を宙に浮かべると箱を伴い、部屋の出入り口に立った。テルミは一歩で部屋に出ることができ、ネフライトは一歩で部屋に入ることができる。そんな距離だった。
「神秘について、何か感じるか? 私には何も見えないが」
「医療者としてのわたしは、貴方と同じ意見です」
ネフライトは物欲しそうな顔をしていたがテルミの気になる言い方を質した。
「何だ」
「異常は無いように見えます。見えるだけ、ですが。……でも狩人としてのわたしはセラフィとクルックスを呼ぶべきだと思っているわ」
「異常があるのか? 分かるのか?」
「直感です」
ネフライトはテルミが何を言い始めたのかと疑い、不理解という顔を惜しまなかった。
「ちょ、直感?」
「弱気だと責めてくれて結構です。けれどせめてクルックスを呼ぶべきだと思っているわ」
「……なぜクルックスを?」
「彼がわたし達のなかで最も敵意に敏感ですから」
「出来る限りの言語化を試みてくれ。その箱の何が危険なのか? 君の『瞳』のカレル文字は蠢いているか?」
質問をしながら彼はローブの袖から鐘を出して、三度鳴らした。
テルミの優れた耳は、彼らの足音をとらえた。
「うーん。カレル文字の反応はないようです。危険は無いと見えるわ。ええ。何も。本当ですよ? けれど、まったく安全と言い切ることはできないような気がしています。そして、わたしの直感を貴方には軽視してほしくないわ」
テルミは杖を動かしてネフライトの手の届かない距離に箱を動かした。彼は今にも手を伸ばしそうだったからだ。すると彼は傷ついた顔をした。
「私は君を見くびりこそすれ、軽んじたことは一度もない。お父様に誓ってもいい言葉だ」
「あらあら、まあまあ。次のお茶会が楽しみになりましたね?」
二つの足音が到着した。
「何かあったのか?」
「ああ、実験中だ。ここに箱があるだろう。……クルックス、何か分かるか? 中身ではない。神秘の話だ」
クルックスは、父そっくりの銀灰の瞳で箱をじっと見た。
「虫の気配はしない。だが、あまり良い気分ではないな。何と言うべきか。ただ……良くない感覚がある。殺意ほど鋭くなければ、敵意ほど棘もないが」
続いてクルックスがどんな条件の部屋を作って出てきたものなのかと質問をしている間にセラフィが宙に浮いている箱を指先で突いた。厚手の皮の手袋なので問題は少ないだろうが、テルミは「ちょ、ちょっと待ってね」と早口でセラフィに伝えた。
「曰く付きなのか? これが?」
テルミが「ええ、恐らく」と告げる。
そのうちセラフィが衣嚢から取り出した落葉の先で突いた。
「えい」
「え? ウ、ワァアアアアアアア! セラフィ!? な、なんっ、なんで!? 何をするんだ!?」
ネフライトが素っ頓狂な声を上げて、隣に立つセラフィの腕を両手で押さえた。
「危険物ならば、ただちに破壊すべきだ。お誂え向きに箱の形をしているのだから、箱ごと壊してなかったことにしよう。目撃者もいない」
「何か宣言してから壊してくれ! いえ、壊して欲しいワケではないが!」
「──セラフィ、浅慮なことをするものではない。迂闊に箱を壊したら呪いが噴出するとか、そういう罠の可能性を考慮すべきだ」
クルックスが至極もっともなことを言ったが、セラフィはネフライトの腕を振り払って今にも箱を串刺し刑を再開しそうだった。
「『だからこそ』だ。僕らが揃っていて対処できないことがあるだろうか?」
「むむ、ああ、それもそうか」
一旦はセラフィの浅慮を諫めたクルックスが納得して引き下がってしまったのでネフライトはギョッとした顔をした。
テルミは二人を制するように杖を持たない左手を挙げた。
「『待て』ですよ、ふたりとも。壊して証拠隠滅するのは穏当な手段ではないでしょう。中身をお父様とビルゲンワースの学徒に見せるまでに廃品にしてしまってはいけません。昨年の日記帳のことをコッペリアお兄様は嘆いていましたわ」
「──セラフィ、やめよう。すぐやめよう。やめよう。ダメ、絶対」
クルックスは、素早く意見を翻しセラフィの押さえに回った。ネフライトが「よくやった」とテルミに視線を送った。
「でも危険物なのだろう? 神秘の根は深く、殺意も敵意もうまく隠している。君がすぐに判断できないということは、そういうことだ。危険度が高いと判断した。僕は壊したい」
「今回に限っては危険物と貴重品は両立してしまうようだ。まあ、なんにせよ俺が見てみよう。万が一、俺に何かあったら全て頼む。ネフもテルミもそれでいいな?」
「ええ」
「もちろんだ」
セラフィは、意見が三対一になってしまったので落葉を引いた。しかし。
「……君が言うから僕は剣を収めるのだ」
「ありがとう。それで十分だ。今はな」
クルックスの答えでセラフィが落葉を納めたが、ネフライトはまだ不意打ち気味に斬りかかるのではないかと気が気ではなさそうに彼女をチラチラと見ていた。
「──それで話の途中だったが、何の部屋を作ったのか。ヤーナムに関係のある条件を試してみると言っていたが、それか?」
「今は違う。ここは『最も価値あるモノ』の部屋だ」
「価値のあるモノ、か。最も大きい物。最も小さい物。最も多い物。最も少ない物。何が出てきてもおかしくない。それに善悪も勘定に入っていないだろうな。ネフとセラフィはすこし離れていてくれ。テルミは万が一の時、俺と一緒に死んでくれ。では始めるぞ」
セラフィとネフライトが廊下の端まで距離をとったのをテルミ達は見届けた。
クルックスは、床に置かれた箱を持ち上げた。
「重くはないな。……いや待て、俺は筋力が高いからテルミには重いかもしれない。それから、うーん……?」
彼は持ち上げた箱を上下左右に振った。それはカラコロと音を立てることはなかった。
「重さが……? 重心が偏る感覚がない。恐らく固定されているか嵌まっているか。そういう代物なのだろうな。……ところでテルミ」
「はぁい。なぁに?」
「コ、コッペリア様が日記帳のことを言っていたのは、具体的に何ておっしゃっていたか教えてほしい。俺に幻滅されただろうか。俺は役立たずだと思われていないだろうか……?」
「あらあら。貴方が弱気なことを言うなんて珍しいことですね。あれはお父様も興味が惹かれたようです。だからコッペリアお兄様も興味を持ったみたい。冒涜の気配がするとおっしゃっていたけれど、廃品なので分かったのは気配だけです。再現は勿論、用途の予想もままならない状態でした。今はお父様の保管庫にありますね」
「お父様の保管庫なんて物品の墓場だろう。俺達の正しき居場所かもしれないが……。しかし、あれは価値のある物だったのか? トム・リドルの日記帳、あれには虫が……虫が蔓延っていたのに……!」
「クルックス? 今は目の前に集中してね?」
暗い情動が過るクルックスの瞳をテルミは自分に向けさせた。
「あの時の貴方は最善を尽くしたわ。ですから、ほら、誰も咎めなかったでしょう? むしろ賞賛を受けたハズです。日記帳は、次に似たようなものを見つけたら、出来るだけ完品でお父様に届けるよう努力しましょう。その時は、わたしも手伝いを惜しみませんから。けれど、今のお父様のお心は、わたし達が楽しい学校生活を送ることが何よりの喜びでしょう。ですから、気負わずに楽しみましょうね。…………?」
テルミは「あら」と小さく呟いた。とても珍しいことが起きていると気付いたからだ。
いつもの彼ならば人の淀みの根源たる虫のことで興奮しても、事実の確認と次回の行動計画、そして狩人の意向を言い聞かせれば落ち着かせることができる。同じ医療者のネフライトであっても同じことをしただろう。そして、テルミには彼以上の実績と理解があった。
連盟員としての彼は、使命に輝く明るい瞳をしているか堕ち淀んだ暗い瞳をしているかのどちらかで、どちらか一方になれば激しい気分の浮沈は起きないハズだが、今は高揚したり消沈したり、異様に感情的が荒んでいるようだった。
「クルックス? クルックス? どうしたの? 何か嫌なことがあったの?」
「あ、ああ……すまない。すこし感情的になってしまった。彼方の同士に報いるためには、これではいけない。自分を律しなければ、連盟の長のように、俺は律しなければ……」
言葉は、平素でも話しそうなものが出てきたが目のうろうろとした動きや体の緊張は常のものではない。どうにも様子がおかしい。
変化はいつから始まったか。テルミは最初の質問を思い出していた。思えば「幻滅されたか」とか「俺は役立たず」と言うのは、いつものクルックスらしくない。心の中で思っていたとして、それを話すタイミングとして適切ではない。二人きりの静かな夜の淵でようやく話してくれそうなことだ。
「クルックス、それを渡してください。気になることがあるので」
「ん、ああ。君の方がよく見えるだろうか。俺は瞳が昏いからな」
「ええ。任せてください」
クルックスは、あっさり箱を渡してきた。
──重い。
最初に思ったことはそれだ。テルミには「んっ」と唸る重さがある。けれど、それは感覚的なものだ。
「あら。奇妙ね……?」
箱を軽く振る。やはりクルックスの言ったとおり重心の偏りはない。彼がなぜ箱を開く手段を経ずに、内容を気にし始めたのだろうと不思議に思っていたが、今ならば分かる。感覚の重さと筋肉への負荷が一致しないのだ。まとわりつくような重さがあった。
「クルックス?」
「む、何か」
もっと不思議なことが起きた。
テルミは、クルックスを見つめた。
突然、彼は平静に戻っているようだった。どうして見つめてくるのか分からない顔をしていた。
「……? あ、いえ。男前だと思いましてね。素敵よ、貴方」
「ありがとう。お父様にも伝えておこう。そのまま持っていてくれ。俺が開く」
「気をつけてね」
クルックスの気分が好転した。あまりに分かりやすい変化だ。テルミは自分の持つ小さな箱を見つめ、すぐに目を逸らした。あまりにおかしな空想だと自覚しているが、この箱に関心があることをこの箱自身に悟らせてはいけない気がした。箱に人格があるように考えている自分に少々の驚きを感じる。
テルミは目を背けたまま、クルックスが箱を開けるのを待った。
「開けた。宝石が入っている。鳥の意匠がある。猛禽類だな。それから中央に大きな青い宝石だ。この形状の貴金属は、頭に付ける、女性の、何と言ったか……」
「リボン?」
「さ、さすがに俺だってリボンかそうでないかくらい分かる……。形状は冠のようだ」
「冠? 女性のティアラ? それは『髪飾り』ということかしら。ともあれ目視の危険は、ないようですね。確認はもうよいでしょう」
クルックスも同意した。
射し込んだ陽に反射して銀翼と中央にある大ぶりなサファイアが輝いている。テルミは杖を出して箱に向けて振り、服さえ直接触れないように宙に浮かべた。
途端に、テルミは体が軽くなったように感じられた。
「……妙ね。クルックス、さっき気持ちがとても落ち込んだでしょう? どうして?」
「分からない。ああいうことは、普段からあまり考えないようにしていることなのだが……ふむ? なぜだろう?」
「わかりました」
「何がわかったんだ?」
そんな話をしているとセラフィとネフライトがやって来た。
「進捗は?」
「結論から話しますが、この髪飾りは精神に影響する作用があります。善くないものです。だからこそ高い価値がある物のようですが……。あ、壊しちゃダメよ? 目で見る分に危険はありませんが、直接触れることは避けたほうがよいでしょう。クルックスが不調になりました」
「本当か? 不調とはどういうことだ?」
「気分が落ち込む感じだな」
「吸魂鬼の影響と似ているか?」
「いいや、違う……もっと自然に落ち込むような感じだ。悪い方向に順調に進む気分……。うまく言えない」
ネフライトがクルックスの目を覗き込んだ。
ほとんど同じ身長である二人なのでネフライトはつま先立ちになっていた。
その隣でセラフィは身を屈めて髪飾りを見た。
「綺麗なティアラだ。カインハーストには相応しくないが」
髪飾りに伸ばしかけたセラフィの手を止めたのはテルミだった。
「だーめー。です。めっ。『めっ』ですったら。『待て』ですよ」
「え? あ、ああ、すまない。なぜか触れてみたくなったんだ。どうしてだろうね?」
二人が不可解に顔を見合わせる隣で。ネフライトは、クルックスに異常が無いことを確認した。
それからようやく宙に浮かぶ髪飾りを見つめ──凝視したまま身を固くした。
「えっ……?」
「どうした、ネフ。……おい、君?」
「これは……これは、ここにあってはいけない物だろう……」
「知っているのか? さすが博識だな」
ネフライトの反応は、驚きより呆然が勝った。
傍からは突然のことにどうしていいか分からなくなった様子に見えた。
「知っている。知っているとも。レイブンクローの生徒ならば、皆知っている。これは創設者の一人、ロウェナ・レイブンクローの所有物だ。レイブンクローの失われた髪飾りだ」
セラフィとテルミ、そしてクルックスは「失われた?」と言葉を繰り返した。
「『失われた』のになぜ形を知っているのか」
「レイブンクローの談話室にロウェナ像がある。髪飾りには刻まれているハズだ。亡きレイブンクローの言葉が、レイブンクローの誇る心が──『計り知れぬ叡智こそ、われらが最大の宝なり』」
クルックスが浮かぶ髪飾りに目を近付けて文字を確認した。
「あ、本当だ。……なるほど。創設者の持ち物であれば、たしかに『最も価値のあるモノ』と言える、かも、しれない」
四人が価値を認め合ったところで、沈黙が起きた。
創設者の持ち物の一つをクルックスとテルミ、セラフィは見たことがあった。グリフィンドールの剣だ。まず煌びやかで刃はゴブリンが鍛えた優れた鋼で出来ているという。同じ創設者の宝物ならば、きっとこの髪飾りも歴史に愛され、栄誉に彩られた品である──ハズだった。
「精神の不調。それが偶然ではないのなら『呪いの品』と見るべきではないだろうか? 悪霊が憑いているのかな。血塗れの舞踏が見られるのなら僕が欲しいけれど」
「悪霊。呪いにはそんな形式もあるのですね。けれどわたし達では、何が善くないかまではわかりません。そもそも呪いかどうかも定かでは……お父様ならばわかるかしら……?」
「お父様に渡すのならば、俺が持って行こう」
再び箱に手を伸ばそうとするクルックスの手をテルミが止めた。
「『待て』ですよ。わたしが持ちましょう。医療教会の手袋の呪いには実益があるようですから。ネフ、これはお父様に持って行きます。よろしくて?」
「それも『待て』だ。これは……しかし、今は……」
彼にしては珍しく曖昧な顔だ。
「問題があるのか?」
「持ち主に関連する人物が、まだこのホグワーツ城に存在する。──『灰色のレディ』だ」
「ネフ、君は持ち主に返すべきだと言いたいのかな? 灰色の彼女に、あるいは創設者の子孫を探して返すべきだと」
セラフィが腕を組み、不可解そうに眉を上げた。ネフライトにしては感情的な意見だと思えたらしい。彼はすぐに手を振った。
「君達が私を勘違いすることに、私は耐えきれない。いいか。私はヤーナムに持って行くことに反対しているワケではない。ただ、私達は狩人で、その狩人はビルゲンワースの墓暴きの末裔に起源を持つものだ。その旧神と呼ばれるものやトゥメル人にとっては私達、狩人は盗人同然だろう。……持ち主の関連する人物が存在し、私達と共通した言語を有するのだ。私達まで盗人の歴史をなぞることはない。ヤーナムでは今さらだとしても、ここホグワーツでは……。それに、彼女はここに納められていることを知っているだろうか。なぜここにあるのか。その質問のためにも『灰色のレディ』と話をすべきではないだろうか?」
テルミは「ええ」と頷き、まっすぐにネフライトを見た。
「わたしは反対です。彼女の肉体は、すでに死んでいます。在りし日の意識ばかりが地上に焼き付いた影法師。虚像に話をして何の益になるのでしょう。鏡に向かって話した方が建設的だわ。『何も面倒が起きないから』という意味ですけれど。──そもそも何を話すというつもりかしら? 『これからお前の目の前で祖先の髪飾りを盗む。冒涜にまみれ、永遠に呪われるであろう』とでも? ……ゴーストをからかうのはつまらないわ。生きていないものはつまらないの」
ネフライトとテルミが互いの意見を主張している間、クルックスは考え込むようにうつむきがちになった。それから、彼は話を始めた。
「昨年、ヤーナムにスネイプ先生が来た時の話だ。お父様は彼のことを『ヤーナムに何も与えない盗人だ』と言った。その時は、単純にヤーナムのことを知り得たまま去ったから、そう評しただけだと思っていたのだが……お父様は『聖杯にとっての我々』とも言った。墓暴きの過去は、末裔の仔である我々も忘れてはいけないのだと思う。現状、最新の墓暴きである自覚くらいはある。しかも墓の中身に一喜一憂する質の悪い狩人だ。……ここではそういう振る舞いをしたくない、というネフの意見には賛成だ。そもそも人間は他者に対し誠実であるべきなのだ」
「それはお父様の感傷と言葉遊びだ。僕はテルミに賛成だよ。話してどうする。灰色のレディが『この城に置いておけ!』と言ったら? 元通りに収めるのか? 盗人の汚名など僕らが頓着することはないだろう。ホグワーツで清廉潔白を主張するのならば、僕らはホグワーツにやって来たその日のうちに自首しに行かなければならなかった。夜歩きの罰を償うために」
セラフィの指摘を受け、クルックスは淀みなく答えた。
「決定は変わらない。これはヤーナムに持ち帰る。だが、我々は灰色のレディと話す。我々が魔法界と魔法を解するために必要な物だと言うつもりだ。──魔法界の呪いの正体について上位者の瞳ならば何か得ることもあるだろう。ただ、どのような物に成り果ててもいつか返却することだけは約束したいと思う。諸賢、どうか?」
「……『いつか』とはいい。お父様の気分次第だからな」
「……お人好しですこと。今回は、素直に折れてあげましょう」
そう言いながらセラフィとテルミは了解を告げた。
「理解に感謝する。──ネフ、君も構わないか」
「ああ……構わない。私も君に賛成だ……」
じっとネフライトは髪飾りを見ていた。
彼は一瞥で全てを覚えていられる。それなのにしばらくの間、彼は見ていた。
まるで目に焼き付けるように。
嵐のクィディッチ戦の裏側で(上)
皆楽しいクィディッチ。目が少なくなるタイミングで調査が実行されました。お目当ての品は見つかったようです。
墓暴き
ヤーナムの地下空間にて、地下墓地や遺跡と呼ばれるものを作成しているトゥメル人にとって墓暴き、そして狩人は歓迎したい人種ではありません。盗人はトゥメル人ひいては寝所としている旧神から見た感想となります。一般狩人は思いついても気にも留めないでしょう。──これは窃盗ではない。これは「拝領」だから。
ネフライトと髪飾り
彼にとって髪飾りはすでに偉人の所有物の認識はなくなっています。『互助拝領機構』の参加者が学習のテーマに考えている物でもあります。じっくり見ていたのは、彼女への思惑もあるのかもしれません。
ご感想お待ちしています(交信ポーズ)