盾
手に持つ防御具。
ヤーナムにおいて盾を持つ者は、嘲笑される。
獣の膂力に対し、それはあまりにも無力なのだ。
魔法界においても『盾』は主流な存在ではない。
強力な呪いの前では役に立たず、ゆえに淘汰されたのだろう。
盾はよい。だが、過信することなかれ。
幸いなことだ。
ヤーナムの常識が、魔法界にも通じるとは。
休日の大広間は私服の生徒が多いため、彩り豊かな景色となっている。
空間は、言葉として聞き取れない声から誰かが走る足音までさまざまな響きで満ちている。決闘大会の熱気に当てられて城全体が沸き立っているような印象だ。立っているとその熱に伝染しそうになる。落ち着かない気分に飲み込まれる前にセオドール・ノットは観客席の椅子を目指した。空いている席を探していると同じ年頃の少女にしては背の高いセラフィがヒラヒラと右手を挙げて手招きをした。
「待っていたよ、君。……テルミ、すこし席を空けてくれるかい」
セラフィの隣に座っていた小さな彼女のことは知っている。
『双子の妹』だと他でもないセラフィ自身から聞いた。顔はもちろん髪や目の色、姓まで違うので真偽は分からないが、彼女との距離感は誰よりも近い。
たとえば。
「そこでいいのかい?」
「ええ。貴女のそばにいたいですから」
「そう。座り心地は良くないと思うけど君がそれでよいのなら」
テルミは躊躇いなくセラフィの膝の上に座り、彼女の長い髪を弄び始めた。
見渡す限り他に座れそうな椅子がなかったので仕方なくセオドールは彼女の隣に座った。
「お疲れさま、と言うべきなのだろう。お疲れさまだね」
「負けた。終了。気が楽になった」
「残念でしたね。ペアはチョウ・チャン。レイブンクローのクィディッチのシーカーですね。けれど相手が悪かったのでしょう」
テルミが形の良い眉をシュンと下げて、セラフィの胸を撫でた。
セラフィは琥珀色の瞳を舞台から外し、セオドールを真っ直ぐに見た。
「僕とクルックスが相手なのだから君は善戦したと思う」
「お褒めいただき感謝だ。まったく。とにかく手早くやってくれて助かった。……人の前に立つのは嫌いだからな」
「そうなのか。ではどうして参加を?」
「政治力学の問題だ。ドラコを焚きつけた手前、こちらが出ないワケにはいかない。対等でありたいからな」
テルミは「むっ」と目を見開いた。お腹に力を入れなければ吹き出してしまいそうだったからだ。
「あちらも一回戦で落ちるだろう。ペアがウィーズリーでドラコは俺より早く舞台から降りたいだろうからな。そうすれば結果は横並び、トントンだ」
「男の子なのに控えめなのだね」
妙な言い方だ。
セラフィの膝の上でテルミがクスクスと笑った。何かと思って見ていると彼女が答えた。
「ウフフ、ごめんなさいね。この人の周りでは控えめな男の子がいないから、きっと意外に思っているのですよ」
「そうなのか?」
「謙虚さは美徳であると僕はきちんと心得ている。だから君のそれは恐らく美徳なのだ」
セラフィの言葉はしばしば回答として要領を得ないことがあるが、今回はまさにそれだった。
端正な顔のせいで何を考えているか分からない。それでも答えを探そうとすれば、その整いすぎた顔は見る者にとって都合の良い顔に見える。セオドールは目を逸らして舞台を見つめた。
何となく会話を反芻していると別の考えが胸中をもたげた。セオドールもセラフィに出会うまでは彼女のような女性が存在するとは考えたこともなかった。身の回りに存在しない人格に対する想像力とは実のところ大したことがないのかもしれない。
「あら、次はマルフォイさんですよ。これはこれは。見物ですね? セラフィ」
「ウィーズリーでもある。さて、グリフィンドールとスリザリンの組み合わせは他にもあるが、ここまで険悪な二人が組むのは最初で最後だろうね」
もしもウィーズリーだけならば、あるいは、マルフォイだけならば対抗する各寮生から野次が飛んでもおかしくないものだったが、ざわざわとした好奇のさざめきが両者の関係性を知る生徒から起きるだけで声を荒げる者は誰一人としていなかった。前列に座るグリフィンドールの生徒の何人かがロンに応援をしているが、髪の毛と同じくらい真っ赤な顔になってしまっているロンには、どれほど届いているか怪しいものだ。セオドールは彼を見ていた。
「前々から気になっていたのだけど。どうして彼らは仲が悪いのだろうか?」
「マルフォイ家は由緒正しい純血の家系だ」
「それはウィーズリーも同じでしょう?」
テルミが小さなクスクス笑いをしながら言った。小馬鹿にしているのかと再び舞台から目を離す。しかし、テルミの笑みとは、深い理由なく他者に振る舞われる無差別な親しみであるらしい。特段に貶す目的はないようだった。セラフィも特に気にしていないようだった。
「ウィーズリー家は──実際には本家と称した方がよいのかしら?──純血の名家とされる家と婚姻関係を多く結んでいます。彼らに『非魔法族の血が流れている』と仮定して家系図を遡れば、英国魔法界の純血はほとんど存在していないことになってしまう程度に純血なのだとか。ウフフ、おかしい話ですね?」
テルミの言うことは、ほとんど真実であることを純血を自称する人々は知っている。ゆえにウィーズリーの血筋は、純血一族が口を噤む話題でもあった。
「『マグル贔屓』と言いつつ実に上手く世の中を漂っている。それも処世術なのだろうな」
「純血家系が辿れる範囲だとすれば……するとセオドール、たとえば君の婚姻の相手は決まっているのか?」
セラフィの質問は、テルミさえ目を瞬かせる真っ正直さでセオドールを驚かせた。
普通のスリザリン生ならばこんな質問の仕方はしない。婉曲に婉曲を重ね、間接的にさりげなく、物のついでに聞くものだ。いいや、それでも本人に直接尋ねるなんて彼女はあまりに常識を知らない。知識不足も度が過ぎる。
「────」
何を、とか、馬鹿なことを、とか。セオドールは言いかけ、実際に息まで吸い込んだが言葉が出てくることはなかった。首の付け根からこみ上げた知らない熱がみるみるうちに頭まで昇ったことが一因だ。だが、最たる原因は『たいていのことがどうでもよい』と憚らない彼女がなぜわざわざそれを問うのか考えてしまったからだ。
純血や半純血という血統にはこだわらないクセに血に関することに彼女は敏感だ。
「セラフィ、貴女、失礼なことを訊ねるものではないわ。『いる』と答えるのも『いない』と答えるのも、どちらも気まずいことです。まして相手のある話なのですから……」
テルミがやんわりとセラフィの興味の矛先を収めた。彼女はあっさりと引き下がった。
「そう。貴い血の人々にとって気にすることではないと思ったのだけど。それとも、ああ、これから選定するのかな。それなら決まっていないのだろうか。仕方のないことだ」
「……君は……?」
「僕は女王様に仕える従僕なのだから生まれた時から用途として想定されていない。縁のない話だ」
──女王様。従僕。
およそ聞き慣れない言葉の群れにセオドールは、しばし戸惑う。やがて思い出したことがあった。
「そういえばダフネが言っていたな、君の妄想癖。設定を貫徹できる君はなかなか見所がある。……俺もそう思うぞ。ホントにな」
「……? よく分からない言葉だ。しかし、純血の保全を行うなら純血の一家は努力すべきだと思う。減らすことは出来ても増やすことは難しい。けれど魔法界のことだから一人でも増えることが出来る魔法があるのだろうね?」
「一人でも増えることが出来る魔法? あるのだろうって何だ。ないぞ。何を言っているんだ?」
怪訝な顔をして二人は見つめ合い、やがてセラフィが困惑した顔でテルミに「そう?」と訊ねた。テルミはプルプル震えて頬が風船のようになっていた。ほんのすこしでもつついたら今にも吹き出しそうだ。セラフィはテルミの両頬を指で挟んだ。ぷふゅ、と空気の抜けてしまったテルミは失笑した。
「ふむ。そう……そうか。ではもっと真剣になった方がいいと思う。純血と言えば、そうそう、裕福なものだと思っていた。血が長く続くということは、それだけ一族に属する人数が多いということだ。彼らには財があるだろう。一族の末は富みそうなものだが……ウィーズリー家はいつかの時代で淘汰されてしまったのかな?」
「彼らの持ち物が古そうなのは単純に子供が多いからだろう。七人だぞ、七人。俺の家でもそれだけ人数がいれば、このナリでいられるとは思わない。マルフォイ家ほど大きければ別だろうが」
「そういうものか。人間をひとり育てるのは、大変なのだね」
「衣食住に教育費。本だって冊数が増えればバカにならない額になる。これはマグル社会でも同じ──……いいや、待てよ。世間知らずの君でもそれくらいは分かるだろう?」
「ああ、とても大変だということが分かるよ」
セオドールは彼女が「分かっていない」と確信した。しかし、すぐに(あり得るだろうか)とも考えた。これまで十三、四年生きてきたなかで生活に関わる出費をまったく把握せず、人間一人を養うのにどれほどの労力と金が掛かるか。そんなことが想像できないらしいセラフィの人生は、何なのだろうか。セオドールの知る限りセラフィは決して頭は悪くない。だが、金の使い方は分かっていないようだ。
セラフィは膝の上に乗せたテルミの頬を手の甲でスリスリと撫でていた。
いよいよ登場したマルフォイは尖った顎をすこし上げて大広間をぐるりと見た。一方、彼の後ろを歩くロンは何もないところでつまずいた。
「あっ。そろそろ始まるわ。レイブンクローのスーザンが出るの。応援してね」
「敵じゃないか! 普段ならそう言って笑うところだが、ドラコのために応援するかしないか迷うな。ウィーズリーと肩を並べて競ったとマルフォイ氏が聞いたら嫌な顔をするのだろうな。あの御仁は……」
「ドラコの父親がウィーズリーを嫌っているから、ドラコも嫌っているのだろうか。けれどウィーズリーの方も元々マルフォイ家に対して良い印象を持っていないような口ぶりをする。人を嫌うには強い動機が必要だろう。過去に何か……ああ、『例のあの人』絡みの出来事か。なるほど。因縁には事欠かないようだ」
「……。他家の繊細な事情に首を突っ込んだ経緯を持つノット家出身の俺がわざわざ忠告してやるが、他家のいざこざに興味を持つものではないぞ。当時のことは伝聞でしか知らないが、プルウェット家のことは両陣営にとって大きな出来事だったんだ……」
セラフィは「ふむ」とひとつ頷いた。
「君の助言だ。聞くことにしよう。……ひとまずはね」
決闘が始まる声が聞こえて、セオドールは舞台に集中した。
そのためテルミの可憐な大きな瞳がキラキラとした好奇に光ったのを誰もが見落とした。
解説席の声が聞こえる。
「──さて、ミスター・ロングボトムとミス・ボーンズはともかく、ミスター・ウィーズリーとミスター・マルフォイとは意外なペアとなりましたね。フリットウィック先生の厳正かつ公平な組分けによるものですが」
「『互助拝領機構杯』の開催における精神性に賛同してくれた、ということで前向きに見ていますよ、私は」
「なるほど。私もそろそろ口先だけではないところを見てみたいところですよ。せいぜいカッコイイところを見せてほしいですね。お菓子でもつまみながら見ていましょう。お手並み拝見ということで」
ネフライトは懐から板チョコを出し、小さなハンマーでガンガンと割り出した。
セオドールはそれを見てかなり驚いた。
「──待て、さっきからあいつ何か態度悪いな? 悪すぎるだろう。学年首席の姿か? あれが」
「ネフは鏡であり、天秤なのだよ。ドラコは日頃の態度が悪いから彼の態度も悪いのだろう。礼節を持って対すれば彼も応える。君には普通に接するだろう?」
セオドールは『互助拝領機構』において丁寧な会釈をして穏やかに話しかけてくる彼の印象が強いが、どうやらお互いに稀な対応であったらしい。
「おかしいだろう」
セオドールの呆然と出た嘆きは、ネフライトを軽んじる全てに向けられた。
三年間学年主席を維持し続けているだけでも彼が秀才であることは明白だというのに。なぜ他者は不利を招きかねないことを平気でしてしまうのだろうか。自分が出来ないことでも彼は出来てしまうという嫉妬のせいだろうか。いいや、嫉妬があったとして──セオドールも教科においては多少妬むところがある──しかし、利用できるかもしれないのに、どうして表向きだけでもとり繕うことが出来ないのだろう。
「ウフフ、打算で仲良くできる人は素晴らしいわ。何でもかんでも曝け出してしまうなんて裸で歩くようなものだもの。それに気付いていないのなら、もうすこし楽園で林檎を囓っておくべきでした」
テルミはくすぐる声音で小さく笑みを溢したが、セラフィは取り合わなかった。
「僕に言わせてもらえば、礼を欠く人に対して同じ態度を取るのはかえって品を落とす行為だと思う。彼の価値観では『釣り合っている』として気にしていないようだが。……僕らと違い、見下されることが嫌いなのだろうね」
セオドールはセラフィに「見下されること」が分かる感性があることを意外に思った。
そんな解説が流れるなか、舞台の上で四人は杖を構える。
礼。そして、開始の号令。
先に仕掛けたのはマルフォイだ。
「エクスペリアームス! 武器よ去れ!」
だが、素早くスーザンが『盾の呪文』を唱え、どの杖も飛ばなかった。
そこからは激しい攻防戦が始まった。生徒は口々に声援を送り、テルミも「いっけー! スーザン! やっつけちゃえー!」と小さな手を挙げる。声援で大広間が震えるようだ。
「──ウィーズリー! このっ! 何とかしろ!」
ロンはジッと杖を握ったまま堅く口を閉じていた。緊張で呪文はおろか喋ることが出来なかったのだ。その彼に叱咤したのは誰であろう、ペアのマルフォイだ。『盾の呪文』を唱える合間に、マルフォイが叫ぶ。ネビルとスーザンの二人はマルフォイに対し集中的に呪文を浴びせかけていたのでロンは舞台の上で何もしてなかった。
しかし、マルフォイの声でようやくロンは決闘に参加しなければならないことを思い出したようだ。
ネビルの『武装解除呪文』はだいたいが不完全で、当たっても杖がピクピクと手の中で動くか怯ませるだけだったが、当たれば数秒身動きが止まる。そうすればスーザンが完璧な『武装解除呪文』を放ってくるだろう。
前列に座るハリーとハーマイオニーが「ロン! 杖を使うんだ!」とか「ロン、魔法を使うのよ! ロン、魔法よ、あなたは魔法使いなの、わかる!?」とか声を掛けている。
急かされた顔でロンは振った。
「ウィンガーディアム・レビオーサ 浮遊せよ!」
この呪文に。
最も早く反応したのは決闘を見守る小さな背丈の一年生たちだ。ワァッと黄色い声をあげ、顔を明るくした。
杖をヒューン、ヒョイと振る挙動には皆、覚えがあった。『呪文学』で習う印象的な呪文と共に誰もが練習したことだろう。そして魔法使いらしい魔法に胸躍らせたに違いない。『浮遊呪文』だ。
魔法は的中し、まるで杖だけを空中にピン刺したように制止させた。
手の中から杖が突然消えたように感じられたネビルが慌てて辺りを見回した。周りの生徒が指差す場所、ちょうど自分の頭の上に浮かぶ杖に気付き、ネビルが腕を伸ばしピョンピョン跳び上がった。大広間の多くの観客の目には、やや滑稽に映ったようでドッと笑いが起きた。
杖はネビルがギリギリ届かない宙に浮かんでいる。必死で跳び上がるネビルは焦りと恥ずかしさで顔が真っ赤になっていた。
「うわぁ」
ネビルが必死になればなるほどセオドールは見ていられなくなり、目を閉じて心の底から「早く終われ」と思った。
「どうしたのか」
「共感性羞恥心というものですよ、人の心を知らない貴女。恥ずかしい目に合っている人を見ると我が事のように恥ずかしくなってしまうの」
「なるほど。想像力が豊かなのだね」
「場合による。──どうだ。終わったか?」
「もうすこしで終わりそうです。──マルフォイさんは普通の学生以上の腕前のように見えますね。自宅で練習しているのかしら?」
「おや。未成年は魔法を使ってはいけないのでは?」
「魔法使いの大人の監督があれば良いとか何とか。それも何か特別な条件があるらしいですが……」
スーザンとドラコの攻防は、なかなか良い勝負でお互いに狙い澄ました呪文がバチバチと音を立てていた。やがて鋭い閃光が奔り、ドラコの呪文がスーザンの杖を飛ばした。
ワァッと今日何度目かの喝采が上がった。
「終わったよ。マルフォイ・ウィーズリーペアの勝ちだ」
「はあ。先を越されてしまったな。……悔しくはないが」
目を開いたセオドールは、彼らの次の対戦相手を確認して何でもないことのように言ってのけた。
ハーマイオニーとアンソニー・ゴールドスタインだ。
彼らならば遅れは取らないだろう。
「おめでとうのスピーチを考えておくべきかな?」
「たかが一勝です。貴女から話すには気が早いでしょう。さて、わたしはスーザンに会いに行きます。あとはお菓子でもつまみながら観戦しているわ」
「君の勝負はまだ終わっていないだろう。君も頑張るといい」
「ウフフ、フフ、フフフ。皆が必死になっている様子を見るのは楽しいわ。その渦中にいて逆にかき混ぜるのが楽しいの。それがネフの企みならば尚のことね」
セラフィはテルミの手を取り、膝の上から彼女を下ろした。
「誰も困らせない範囲ならば全て余興だ。君も好きなように遊ぶといい。僕の可愛い君」
「ええ。貴女も」
テルミはそう言って人混みのなかに去って行った。
「君の妹、さてはアレだな?」
「何だろう?」
「小さく可愛い顔をしているが、君と同じくらい、何もかもどうでもいいな?」
「どうだろう?」
質問する相手を間違えたセオドールは、彼女の内側に回答が存在しないことに気付いた。
■ ■ ■
ロンは舞台を降りるなり、反対側に駆けていってネビルに平謝りしてからハリーとハーマイオニーの隣に戻ってきた。
何キロも全力で走ってきた後のように息が切れて、顔はそばかすまで真っ赤に染まっていた。
「笑い者にするつもりなんてなかったんだよ。ホントだぜ。でもすぐに思いつく呪文があれしかなくって……」
ハーマイオニーは歯が痒くなった顔をしながら「まあ」と言って視線をたっぷり泳がせた後に。
「呪文の出来は良かったと思う。──今回はトロールじゃなかったけど」
そう言って、控えめに笑った。ハリーもつられて笑った。どうして目が泳いだのかハリーはようやくわかった。ネビルがいないかどうか探していたのだ。
自信を取り戻したロンがようやく勝利を味わっていると勢いよく背中を叩いたグリフィンドール生が二人いた。ロンの兄、フレッドとジョージだ。
「よくやった! まずは一勝だな!」
「ああ、ひょっとしたら俺達生き別れた兄弟だったかもしれないぜ!」
ロンが「なに言っているんだ」と言い返したが、その顔はどうみても嬉しさを隠せていなかった。
二人が気合いを入れるようにロンの肩を叩いた。
「次も頑張れよ!」
「山分けだからな!」
ハリーは、双子の激励でまたロンの不安定な神経質がぶり返すのではないかと思ったが、そんな素振りは見せなかった。
次にやって来たのはクルックスだった。
いつもの暗い目で周囲を警戒していた彼はロンを見つけて手を挙げた。
「ん、お疲れさまだ。ああいう呪文の使い方は意外だった。単純な魔法に見えて奥が深いな」
「まあね」
ロンはすこし得意な顔で笑った。
「次はハーマイオニーとゴールドスタインだ。手強そうだな」
ロンの笑った顔が凍り付き、ハーマイオニーを見つめた。
ハリーはいまロンが思っていることがはっきりわかった。
──次があることをすっかり忘れていた。
しかし、ハリーもそれは同じだった。
「俺だ。……俺とセラフィだ。手加減はしない。存分に戦おう」
ハリーに向かい合い、クルックスは挑戦的に薄く微笑んだ。
クルックスが去った後、ハリーはハーマイオニーに声を掛けた。
「どうなの?」
「何が?」
「クルックスって強いの? 鉄の棒を握らせたらトロールはミンチだけど」
「あと馬車で庭小人を轢くよ」
「冗談でもそういうこと言うのは……冗談ではないからやめて。──ロン、庭小人の話は何?」
「夏休みに馬車でウチに来たんだ。庭にドリフトした跡があったよ」
「……? 私の知っている限りでは、そうね、『互助拝領機構』の活動だと『闇の魔術に対する防衛術』で学ぶような呪文を自分たちで試しているみたいよ。だから、そうね、手強いでしょうね」
ハリーはピンと閃いたことがあった。
クルックスが毎週金曜日の深夜は必ず、そして休日の夜でもしばしば出掛ける理由だ。
「待って。自分たち?」
「『互助拝領機構』ではクルックスはセラフィ・ナイトといつも一緒なのよ」
その言葉に感じたことは、ロンが代弁してくれた。
ハリーとロンは解説席の頭上、空中に浮かぶ対戦表を見た。
「じゃあ、ねえ、このペアってインチキ──」
「フリットウィック先生の組分けよ。滅多なことを言うものじゃないわ」
ハーマイオニーがロンに全てを言わせないように早口で言った。
「でも、そんな活動をしているなら明らかに有利じゃないか。誰だって考えればわかるだろ。あの檻頭は金まで出して優勝トロフィーが欲しいんだ!」
金を出さずとも優勝トロフィーを回収する機会があれば、それに全力を傾ける方が安上がりだ。
ネフライトが同郷の──ひょっとしたらテルミも噛んでいるのかもしれない──彼らを勝たせたいと思うのは自然な流れのように見える。
「そうとなりゃ、僕がマルフォイと組んだのもやっぱりインチキ──」
「もし、彼が真剣にインチキするなら僕とセドリックは組ませなかったと思う」
「あ……まあ、うん……そうだろうな……そうか……」
ロンは静かになった。しかし、ハリーはそうは言ったものの、たとえば一組くらい──まさにクルックスとセラフィを──ネフライトがフリットウィック先生に嘆願して組ませてもらったのではないかという疑いは抱いた。
「でも、あなたとセドリックは強いペアよ。他のペアを見ていたけれど優勝候補だと思うわ。インチキするならもっと別のところでしょ」
「君とゴールドスタインほどではないよ。僕ならブルストロードのフライングの呪文をあんなにうまく防げなかった」
ハリーは謙遜ではなく心から思ったことを言った。
参加する生徒は誰であれ、号令を聞くまでは呪文が飛んでこないと思っている。その前提を覆すような場面で適切な反応が出来たハーマイオニーをもっと賞賛すべきだとさえ思った。
「そんなことないわよ。あの人、目がぎらぎらしていたんだから。そのうち号令がなくてもヘッドロックをかけられそうってくらいにはね」
三人はすこし笑って解散した。
それぞれのペアのもとで作戦を練ったり確かめたりするためだ。
■ ■ ■
決闘の二回戦、すなわち二巡目がやって来た。
ハリーは待機している間に舞台の向こう側の袖にいる人物に目を留めた。三年生になってから初めてまじまじとセラフィを見たのだ。
きりっとした顔だが表情が硬く、恐らく最も気心知れている仲であろうクルックスに対する顔であっても冷え冷えとしたもののように見える。そして、彼女を遠目で見ていると不安定な印象を受けた。
彼女の立ち方は堂々として「我が身に何も恥じることはない」と言いたげなものなのに、なぜそんな印象を抱いてしまうのか。ハリーはしばらくダフネ・グリーングラスと会話する彼女を眺めて気付いた。
体が奇妙なのだ。
背丈ばかりが高く、体の成長と共に備えそうな胸の膨らみがない。隣に立つクルックスと同じくらい平らな胸をしている。腰のくびれと大腿から辛うじて女性らしい柔らかさが想像できた。だが、それもズボンを履いているからだ。もしも、制服であるローブとスカートを履いていたらそれにも気付かなかった。きっと肩と喉と服で隠せば男性のように見えることだろう。
「あの子、どんな人なんだ?」
「えっ」
あまりに熱心に見ていたようだ。
セドリックに訊ねられてハリーは言葉に迷う。
「えーと、たぶん強いよ」
「そうなのか。意外だな。それに背が高い。とても三年生には見えないよ」
先の決闘であるアンジェリーナ──グリフィンドールのクィディッチのチェイサーだ──とハンナ・アボットのペアがパーシーとアストリア・グリーングラスのペアに敗れ、二本の杖が飛んだところで終了した。
健闘を讃える喝采と解説が入り、それらが済んだ時、セドリックとハリーは再び壇上に立った。
「──さて、これから二回戦となります。出たとこ勝負だった一回戦が終わり、各々勝利のためには戦法や癖といった分析が必須になってくるでしょう。フリットウィック先生、どう見られますか?」
「決闘には多くの場合、心理戦が絡みますね。これは必ずしも『言葉で挑発する』という意味ではありませんが、自分がいかに強いか。それを誇示していくのも相手へのプレッシャーとなるでしょう。うまくすれば、あらぬ方向に警戒させて意表を突くことが出来るかもしれません」
「高度な話です。とはいえ何度も同じ手を使うなんて安直なことはしないと期待させていただきたいところですね」
舞台に上がったハリーは初戦ほど緊張しなかった。
相手が油断ならない力量だと知っているので観客の生徒がぺちゃくちゃ話す声も気にならないくらいに集中できていた。
ネフライトが拡声器で号令を掛けた。
「一、二、三!」
三の声と同時に、セドリックとハリーは打ち合わせ通り「エクスペリアームス! 武器よ去れ!」と唱えた。
ネフライトが軽視した「何度も同じ手」は、実のところ有効な場合がある。
セドリックとハリーが実戦する開幕直後に呪文を唱えるこの戦法は、必ず一度は相手を防戦に追い込むことが出来る。決闘開始から早々に『盾の呪文』で防がなければならなくなった相手は、攻撃に転じる前に気が挫かれるだろう。杖が一本でも飛んだら、かなり幸先がいい。もし、飛ばなくとも、うまくいけばこれをきっかけに攻め続けられるかもしれない。
もっとも、この戦法が有効なのは相手が『盾の呪文』で防御することが前提の場合に限られる。
そのため。
クルックスとセラフィの並外れた視力と反射神経、そして狩人的思考は勝利への道筋に対し『盾の呪文』で時間を浪費することを良しとしなかった。彼らは、歴史的に無力な盾を信用していないのだ。
それが仇になった。
クルックスとセラフィは同時に避けようとして隣に立つ互いにぶつかった。悪いことはまだ続く。体格の良さで弾かれてしまったクルックスがハリーの放った呪文にあたり、杖を取りこぼした。
「あッ。すまない、セラフ──」
通常、杖を失った決闘者は舞台の邪魔にならないところに立っているのが慣例となっている。それに則り、退こうとしたクルックスの胸倉を掴み、セラフィが挑んだ。
「そのままだよ、君」
「な、何を──!?」
誰よりも早くセラフィの意図を掴んだのは解説席のネフライトだ。
「肉の盾の作戦のようですね」
「肉の盾」
一人頷くネフライトの隣でフリットウィック先生は、ただ言葉を繰り返しただけだった。
「ル、ルール上は大丈夫なのかね?」
「ルール上は何の問題もありません。人道的な問題はよく分かりません。しかし、グリフィンドールには思いのほか有効ですね。これは決闘の定石を変えるかも──」
「こんな戦術で変わっちゃたまりませんよ!」
フリットウィック先生が驚きのあまり制止もできないでいる。
その間に舞台は混乱した。
「おい、セラフィ、俺達は『きょうだい』だぞ──!」
セラフィにだけ聞こえる声でクルックスは苦言を漏らした。
「ネフの依頼を完璧に果たそうと決めただろう。なら黙って盾になりたまえよ」
「そ、それは……そう、だが……ぐうぅ……」
クルックスの胸倉を掴んだままセラフィも声を潜めた。
お互いに納得し合った目的を引き合いに出されるとクルックスは黙らざるを得ない。
『肉の盾』とはよく言ったものだ。
ハリーは呪文を撃てるが、クルックスを傷つける可能性が頭をよぎり呪文を唱えるのを躊躇した。
「──っ──」
「ハリー、僕が引き剥がす。その隙に杖を取り上げてくれ。卑怯な手を使う彼らに僕らは絶対に負けちゃいけないんだ」
ハリーは頷き、杖を構えた。
その光景を見て。
「──もういい。やめろ」
解説席のネフライトが呟いた言葉は拡声器を使わないものだったが、常より低い声はセラフィに届いた。
「君がそれでよいのなら、僕もそれでいいのだよ」
セラフィが左手で掴んでいたクルックスの服を離した。
その時。
「タラントアレグラ 踊れ!」
セドリックの呪文が放たれ、クルックスがセラフィを庇った。
「ク──」
「セラフィ、君はせめて戦ってから負けろ! おうッ!?」
足が勝手に踊り出したクルックスは大きな音を立てて舞台から落下した。そんな彼を見てネフライトが慌てて席を立った。
「エクスペリアームス! 武器よ去れ」
「プロテゴ! 護れ!」
ハリーとセラフィの呪文が激突した。
セラフィは怯みを見せることなく連続で呪文を使った。
「グリセオ 滑れ!」
ハリーは、その呪文の効果を知らなかったがセラフィの杖先がハリーとセドリックの足下を差していたのを見て咄嗟にジャンプした。
突然、ハリー達が立っていた舞台が滑り台のように変化した。反応しきれなかったセドリックが後ろ向きに尻もちをついて転び、床までの数メートルを下っていく。
危機一髪でそれを避けたハリーは、前方のセラフィに杖を向けた。空中に跳んでいたハリーには世界がスローモーションになったように感じた。
そして。
「エクスペリアームス! 武器よ去れ!」
カウンターで放たれた呪文はセラフィの杖を弾き飛ばした。杖は、きりきり舞いをして遙か後方に落下した。
大広間を埋め尽くしたのは、まるで寮対抗杯で優勝した時のような爆発的な喝采だ。なかでもハッフルパフの生徒が見せる歓喜とは凄まじかった。
「やった! やったぞ!」
「またセドリックとハリーが勝った!」
「セドリックが勝った!」
そんな声があちこちから聞こえてきた。
セドリックが滑り台の下で何とか立ち上がった。腰を打ってしまったのか、ちょっとヨロヨロしていたが顔は紅潮して喜色満面だった。
「大丈夫?」
「平気さ! よくやった、ハリー!」
礼もそこそこに舞台を降りるとセドリックと握手をした。ハーマイオニーとロンもやって来てハリーに「やった!」と声を掛けた。フレッドとジョージはもっと嬉しそうだった。パーシーは腕を組んで深く頷いていた。
ハリーは、何となく視線を感じて教職テーブルを見た。
マクゴナガル先生とダンブルドア校長。それから、いつの間に来たのだろう。ルーピン先生とハッフルパフの寮監、スプラウト先生が座っていてハリーを見ていた。彼らは手元で小さく拍手をしながら、ニッコリと笑いかけた。
これが決勝戦でも惜しくないとハリーは心の底から思った。
■ ■ ■
解説席から駆けてきたネフライトに踊り続ける足を止めてもらい、クルックスはようやく立ち上がることが出来た。
一メートル下の床に落下したとして、いつもであれば体はビクともしないが、今回は頭から落下してしまったので後頭がズキズキと痛みを訴えており、触れると腫れているらしく熱っぽい感じがした。
「クルックス、念のため医務室に行った方がいい。単なる打撲だと思うが、私はまだ仕事があるから……。他のトラブルがあった生徒もそうしている」
「うん? うーん?」
クルックスは「問題ない」と言いたかったが、物が二重に見えており、彼の言葉に従うべきだという思いが強くなっていた。
「頭の調子が悪いのか。うぅ、開きたいが時間がない。──セラフィ、クルックスを医務室へ連れて行ってくれ」
ちょうど杖を拾って戻ってきたセラフィが「分かったよ」とネフライトに伝え、クルックスを支えた。
「ああ、クルックス。歩けそう? 僕が抱えてもいいけれど」
「肩を貸してくれ。……うぅ」
歩くと視界がぐるぐる回るようで気持ち悪くなった。
二人は雑踏をかき分けるように大広間を出た。
「すまなかった。クルックス」
喧噪から離れ、人の声も薄くなった頃。セラフィが告げた。
「ネフの願いを叶えてあげたかったのだけど。さすがの僕も二対一では分が悪くてね。手段を選び間違えてしまったようだ」
「謝るほどではない。もし、逆の立場で俺がもう少し冷静なら、同じことをしていたかもしれない。それよりも俺達は防御よりは回避を選ぶ癖があるから、お互いの回避行動についてよく相談し合うべきだった。俺の失態でもある。反省会をしなければな。……それにしても、ああ、また間の悪い存在になるところだった。危ない危ない……」
夏休みにカインハーストと処刑隊の抗争に巻き込まれ、高い勉強代──具体的には命──を払ったばかりだ。あの時は本当に運が悪かったと思う。そして自分の運が悪いと悟ったのならば、それなりの身の振り方がある。たとえばカインハーストの教導を受けているセラフィと一緒に何かに取り組むときは、もっと慎重であるべきなのだとクルックスは自戒した。
「また、とは?」
セラフィの質問には、うまく答えられない。
「あ、いいや、何でもない。ただ……ふむ……すこしだけ意識が混濁しているようだ。変なことを言ったかもしれないが、気にしないでくれ……」
視界は明瞭になりつつあり、頭のぼんやりも薄らいできたがクルックスは大人しく医務室に行こうと思った。
「クルックス」
セラフィは立ち止まった。
何か、とクルックスが問う前に止めようのない速さで膝裏に腕を通し、セラフィは彼を持ち上げた。
「お、い! お、下ろせ……歩ける……!」
「ぼんやりしているんだろう。ダメだ。医務室まで連れて行く。大丈夫、落とさないよ。僕は市街からヘムウィックまでレオー様を担いで走ったことがあるんだ。君くらい何てことはない」
「俺は元気! 元気になった! 大丈夫だ!」
「無理をしないでほしい。ネフから頼まれたことでもある」
「……うーん……」
仕方なくクルックスはセラフィの腕のなかで揺られた。彼女が歩き続ける間、懐から時計を取り出した。決闘大会はトーナメント制だ。医務室から行って戻ってくる頃には決勝戦になっているかもしれない。
自分たちを下したハリーとセドリックが負けていたら嫌だな、とクルックスは考えた。
処世術
ウィーズリー家の実態を知らない人から見ると後世のウィーズリー家は、不死鳥の騎士団として第一戦で戦い、ホグワーツの戦いで戦死者1名を出しつつもほとんどが生還し、英雄と後の魔法大臣と婚姻関係を結ぶことに成功する──そんな計略高い一家に見える、かも、しれません。
セオドールがついウィーズリー家のことをついつい気になってしまうのは、純血家系的に目障りな存在であると同時に「なぜ、そうもうまく……?」という興味があるのでしょう。
用途
セラフィは先達から「目的外用途の性能については求めないこと」を予め伝達されています。
心身の発達が歪であるため実態として適さないことを差し引いても、明言しておくことは彼らにとって重要なことでした。
すでに女王が存在する場所に別の女性を送り込むのは、無神経すぎる行為だったからです。
それはそれとして。レオーは鴉に宛がおうと画策したこともありましたが、断念しました。その結果、彼らを師弟や兄妹のような関係に落ち着かせています。その方がレオーも自分の精神が安定すると気付いたので、何も起きなければこのままなのでしょう。
肉の盾
人質とも言い換えられます。クルックスはセラフィを気遣って「俺もやっていたかもしれない」と言いましたが、実のところ、その発想はありませんでした。彼の敵は、ほとんど獣で人と戦うことを想定していないからです。獣に人質が通用するか。答えは否でしょう。四仔のなかで、この発想に辿り着けるのはレオーの語る、処刑隊とカインハーストの血生臭い寝物語を知るセラフィと人の歴史を学んでいるネフライトの二人だけでした。盾を壊すためには石化させてからボンバーダしないと──!
鴉への指示をミスったレオーのようにセラフィとクルックスへの要望をミスったネフライトは反省会の材料が増えました。こうして思考課題が増えていく。
さて。卑劣な対抗に淀まず、ハリーを導こうとしたセドリックが輝く場面でもありました。踊らせて舞台から退場させる引き剥がし方は、『武装解除呪文』をぶち当てて吹っ飛ばす(原作スネイプ先生参照)より穏当な手段でしょう。