甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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忘却
忘れ去ること。
ネフライト・メンシスは四仔のなかで唯一、忘却を知らない。
忘却により時間の経過を測ることは出来ず、誕生してから現在までの記憶は全て関連している。
何もかも必然だ。



第1回互助拝領機構杯(終結)

 クリスマスも近付く十二月中旬の医務室。

 城のなかでも石造りの部屋であるため、クルックスにはやけに冷え冷えとして感じられた。そのため勢いよく打ち付けた後頭がジンジンと熱を持っているのが理解できた。

 そのことを伝えると校医、マダム・ポンフリーはクルックスの頭の様子を確認し、打撲と軽い脳震盪と診断した。

 

「はい。もう退室してよいですよ」

 

 ツンとする薬を飲んだクルックスの頭に向かい、彼女が杖を一振りすると治った。

 

「頭の具合はどうかな」

 

 セラフィが隣で目を覗き込んだ。

 

「いつになくスッキリしている。はっきり言って最高だ」

 

 クルックスは、かなり頭の調子がよくなっていた。ヤーナムの深夜の体調に等しい感覚だった。

 しかし。

 

「気付けの『頭冴え薬』のせいですよ。少量なので三〇分くらいで効果は切れますからね」

 

「はぃ。……なんだ(ヤク)のせいか……」

 

 マダム・ポンフリーはテキパキと動きながら「退室してよい」と告げた。

 クルックスは退室するなり、背伸びしながら首を回した。

 

「ふむ。元気になったぞ。心配をかけたな」

 

「よかった。では大広間に戻ろう。ええと。僕らが出てから二〇分経っているから……。決勝戦に間に合うかな。終わっているかもしれない」

 

「そうだな。テルミが決闘する様子を見たかった。テルミは俺達と違ってネフの次に成績がよいのだろう? 優等生の戦いというものを見てみたかった」

 

「えっ。ふむ。うん」

 

 セラフィはクルックスが参考にするべき戦いは行われていないと思っていたが、それを言うべきかどうか迷った。案の定、大広間に戻り、彼女とペアを組んでいたジョージの話を聞くと。

 

 ──アハハハ! 踊る? 踊るのね!?

 

 踊らせた相手に合わせてピョンピョン飛び跳ねて遊んでいるうちに、遊びすぎて負けたらしい。

 

「申し訳ない」

 

「なんでハントが謝るんだ」

 

「『きょう──い、いいや、何か、とても、いたたまれなくなって。気にしないでくれ」

 

「…………」

 

 彼女のなけなしの名誉のため、そして助言した真犯人であるセラフィはせめてもの補足を試みた。

 

「余興だ。クルックス。余興だ」

 

「だから?」

 

「余興なのだよ……?」

 

「他人に迷惑を掛ける余興などすべきではない。気分に任せて遊びすぎるのはテルミの悪い癖だ。ノクターン横丁でしっかりと言い聞かせたつもりだったが……。俺は、どうにもテルミを叱りきれないようだ。困る」

 

 クルックスは、顔を顰めた。

 

「……君はときどき反論が難しい正論を言う」

 

「正論とはそういうものだ。でも俺は正論を述べているつもりはない。事実だ」

 

 クルックスはテルミがギリギリやりそうなことだと思いつくと大して怒りも浮かばなかった。とはいえ、呆れてしまう。そして、ペアを組んでいたジョージには申し訳ない。

 

「だが、まだパーフェクト・パーシーとハリーが残っている。どっちが勝ってもいただきだぜ」

 

「パーシーとハリーが? ……ということは、ロンは負けた?」

 

「ああ、残念ながら負けた。ハリーとセドリックにね」

 

 フレッドとジョージは、しかし嬉しそうだ。

 

「これより最終戦、決勝を執り行うのでミスター・ディゴリーとミスター・ポッター、ミスター・ウィーズリー、ミス・グリーングラスは舞台のそでに集合してください」

 

 ネフライトが拡声器で話す内容を聞き、宙に浮かぶトーナメント表を見上げる。

 クルックスが不在の間の試合を見るとハーマイオニーとゴールドスタインのペアはロンとマルフォイのペアに負けたということが分かった。

 

「ハリーとセドリック。やはり強いペアだったのだな。しかし、ロンとマルフォイのペアがハーマイオニー達に勝ったのは驚きだ。いったいどうやって……?」

 

「おっと、それには宇宙の成り立ちから話さなきゃならなくなる」

 

 フレッドの冗談めかした言葉を真に受けてしまったセラフィが「そこまで遡る話にはならないと思う」と言ってしまった。

 

「セラフィ、頼むからしばらく黙っていてくれ。それでどうやって」

 

「ゴールドスタインの呪文を唱えるスピードが遅くなったの」

 

 答えはジニーが教えてくれた。

 

「呪文を噛まないように気を付けていたら、まずマルフォイの呪文が当たって」

 

「ふむふむ……」

 

「それからマルフォイがハーマイオニーに杖を向けたから、ロンの手が滑ってマルフォイに呪文を──」

 

「待て待て」

 

「『マルフォイがハーマイオニーに杖を向けているのを見たら体が勝手に動いた』って。それにハーマイオニーがマルフォイに呪文を当てるのが早かったから結局ロンの呪文は当たらなかったわ」

 

「背後から強襲されたらマルフォイもビックリしただろうな。俺でもビックリする。ハーマイオニーとロンの一騎打ちは?」

 

 双子は口を押さえて笑ったが、ジニーは苦々しい顔をした。

 

「……からかったりしない?」

 

「俺はハーマイオニーを尊敬している。彼女は、グリフィンドールのなかでもパーシーと同じくらい勤勉で、誠実な人だからな」

 

「じゃあ言うけど。……最後の最後で、あがっちゃって。ハーマイオニーが呪文を失敗したの」

 

「ハーマイオニーが? ほう。珍しいこともあるのだな」

 

 クルックスは、二人の間に存在する細やかな情緒を理解していなかった。

 そのため。

 

「知っている顔が杖の先にいると普段の調子も出ないのだろうか。生死を懸けた争いではないとはいえ……躊躇いとは、とても健全な精神の在り方なのかもしれないな」

 

「……。ハーマイオニー達は本番に弱いだけだろう。一回戦でも舌を噛んでいた」

 

 ジニーは、セラフィを見上げた。彼女は、じっと見つめてくるジニーの真意が分からなかった。

 ──スリザリンでも親切だったセラフィが、なぜ犠牲を省みない強硬策に出たのか。

 

「何かな」

 

「勝負を途中で諦めたみたいだから……」

 

「諦めたワケではない。ただ、勝つ必要がなくなりそうになっただけだ」

 

「あんなに勝とうとしたのに?」

 

「僕は、勝つために戦うのではない。いつだって得るために戦うのだ。そのためならば、すこし見境をなくしてしまうようだが……。おや。僕は、いまとてもスリザリンらしいことを言った気がする」

 

 セラフィはそう言って、クルックスと目を合わせた。

 

「せめて事前に相談してほしい。努力する」

 

「ありがとう。機会があれば」

 

「ジニー、いろいろと聞かせてくれてありがとう。──さて、もうこの段階になれば主宰に手伝いは不要だろう。観客席に行こう」

 

 そうして二人は長椅子に向かった。

 その途中ではハリーとすれ違った。目が合う。クルックスは右手の拳を上げて「頑張れ」と告げた。

 

 ──気付いているだろうか。

 

 クルックスは微かに笑っている。

 それを見るとセラフィは、すこしだけ落ち着かない気分になった。チリリ、と心の端が焦げるような感覚がある。何のことはない動作、そして表情であるのに。

 不明な感情を忘れたくなり、セラフィはクルックスの腕を掴んで引いた。

 

「どうした?」

 

「……僕は……。向こうに。空いている席を見つけた。行こう」

 

 セラフィはそう言って人混みを分けて歩いた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「どう? 緊張しているか?」

 

 ハリーはセドリックに初戦と同じ声を掛けられた。あの時は、どう答えようか迷った。セドリックに弱いところを見せたくなかったし、頼りないと思われたくなかった。何よりクィディッチで負けている以上、他のどんなことでも負けたくなかった。

 それでも。

 

「すこしね。でも、動けなくなるほどじゃない。集中できていると思う」

 

 今のハリーは素直に話すことが出来た。誠実に接しようとする彼に対し、真摯に向き合わないのはまさに誠実さに欠けると思ったからだ。

 ロンとマルフォイのやりとりを聞いてしまったこともハリーの誠実さを試した。

 ──あいつ、全然僕と話さないんだぜ。作戦ゼロ。きっと負けるよ。

 ぶつくさ言うロンの話を聞いて、ハリーは決心した。ペアと話さなければマルフォイと同じになってしまう。その事実がハリーの意識を変えた。

 

「セドリックは?」

 

「僕は……。僕もすこし緊張している。グリーングラスは、大したことがないだろう。問題はパーシー・ウィーズリーだ。七年生の『首席』ってことをみんなは軽く考えているようだ」

 

 ハリーも軽く考えているうちの一人なのでセドリックの神妙な顔は意外だった。これまでの三試合でセドリックが深刻に悩んだ顔は見たことがなかったのだ。

 

「首席は、えーと、ダンブルドア校長が『お行儀の良い生徒』を選ぶ……とか」

 

「みんなそんなことを考えているんだろう。間違いじゃない。でも、それだけじゃない。選考の基準は学業成績はもちろん、勤勉さ、学生の評判も参考になる。そして何より七年生の代表はホグワーツの代表でもある」

 

 ハリーにとってパーシーとは『フレッドやジョージのようなユーモアがなくてちょっと口うるさいロンの兄で監督生』という印象だったが、他寮の生徒からの評価はこんなに高いものだったのだ。ハリーは衝撃を受けた。それが過ぎ去った後、ロンのことを考えた。彼はあまり言葉にしないが、ときおり嫉妬深い顔をすることがある。それもこれも優秀な兄がいるせいだろう。家族が多いのも大変なのだな、とハリーは他人事に思った。

 ハリーは首を振って、目の前に集中した。

 

「じゃあ、ひょっとして、とても強い?」

 

「ああ」

 

 ──勝てないかもしれない。

 ハリーの胸に初戦と同じ思いがやってきた。ハリーに初めて敗北をもたらしたセドリックがそれを言うと他の誰が言うよりも確かな未来のような気がした。ハッとして杖を握り直す。杖がこんなに細く感じられたのは初めてのことだった。

 手足が遠くにある。長いトンネルの向こうで舞台に昇るように指示する声が聞こえる。ハリーはぼんやりとそれを聞いていた。

 セドリックは、ハリーの肩に手を置いた。

 

「でも、きっと僕らほどじゃない。勝ってきた数は変わらないんだ。自信を持って行こう」

 

 彼は明るく言った。

 ──勝ってきた数は変わらない。

 同じことは今、対峙する彼らにも言える。それでもハリーを励まそうとしてくれた彼に応えたかった。

 舞台に上がると身がビリビリと震えるほどの拍手が起きた。

 

「──いよいよ最終戦、決勝ですが両ペアの調子はいかがでしょう?」

 

「調子はお互い右肩上がりにも見えますね! 難しいことですが、緊張せず、のびのびと戦って欲しいと思いますよ!」

 

 ハリーはチラと教職員用テーブルを見た。

 マクゴナガル先生とスプラウト先生が楽しそうに舞台を見ているし、ルーピン先生は──ハリーはかなり驚いてしまった。どうしていなかったことに気付かなかっただろうか。──ハグリッドと話している。ハリーに気付くと二人は「頑張れ」と言うように軽く右手を挙げた。

 自信と勇気が出てきて、ハリーは背筋を正した。対峙する二人、アストリアはハリーをツンとした澄まし顔で見つめた。パーシーは礼儀正しいが、やや大袈裟な礼をした。

 

「各々ご準備はよろしいか?」

 

 解説者で進行役のネフライトが立ち上がり、両手を広げて二組を窺った。全員が頷きを返したところで彼は拡声器を手に取った。

 

「それでは。決勝戦を始めます! ご照覧あれ! 一、二、三!」

 

「三」のカウントと同時にハリーとセドリックは『武装解除呪文』を唱えたが、それよりパーシーが飛ばした無言呪文の方が早く、二人は初めて開始と同時にほとんど防戦に回った。

 無言呪文の利点をハリーは身に染みて理解した。

 ほんのすこしパーシーの杖が動くだけでそれが単なる杖の移動なのか、あるいは、呪文なのか、その判断をしなければならない。頭で考える時間がないので二人とも反射と持ち前の勘で杖を振るっていた。もしペアがセドリックでなければ、開始十秒で三、四本の杖が飛んでいたことだろう。

 どちらかの集中が途切れたらパーシーひとりに負けてしまう。予感は確実さを伴い、『盾の呪文』の手応えとしてやって来た。

 

「──ハリー、あとは、頼んだぞ」

 

 セドリックが息継ぎの途中でぽつりと言った。

 その時だ。セドリックは半身になり、呪文を受ける面積を最大限に減らし、勝負を懸けた。

 その間、ハリーが聞いたのは、ただ「フッ」という呼気だけだ。

 これまでの決闘でセドリックが一度も使うことのなかった無言呪文に意表を突かれ、パーシーの杖先が乱れた。ハリーは、パーシーの目が素早くセドリックとアストリアの間で左右に動いたのを見た。彼は、セドリックに杖を向けながら身を傾け、パーシーは本来アストリアの杖を飛ばす『武装解除呪文』を受けてしまい、杖を飛ばした。

 グリフィンドールとスリザリンから歓声が上がり、ハッフルパフからは爆発的な声が上がった。

 

エクスペリアームス! 武器よ去れ!

 

 しかし、『勝った』と思った瞬間が危険なのだ。パーシーの陰になったアストリアが、彼と立ち位置を入れ替わるように素早く杖を向け、カウンターでセドリックの杖を飛ばした。

 解説席でチョコレート板を囓っていたネフライトは、銀紙に食べかけのチョコレートを包み直した。

 

「ん、おやおや、これは──?」

 

「一騎打ち! 一騎打ちです! 決闘の花ですよ!」

 

 今日、最も楽しげなキーキー声が、解説席から上がった

 

 ハリーは杖の先、その向こうに見える一年生のアストリアを見つめた。アストリアは、ハリーの予想に反して、もう様子を窺うことはしていなかった。

 杖を振る。その動きまでハッキリ見える。

 

 彼女は決して弱くない。

 ハリーが一年生の頃よりしっかり呪文を使えている。

 けれど、この『武装解除呪文』に親しんでいた時間はハリーの方がずっと長いのだ。

 彼女が口を開いた瞬間。

 ──今だ。

 そう思うとハリーの口と腕は自然に動いていた。

 

エクスペリアームス! 武器よ去れ!

 

「あッ!」

 

 アストリアが息を飲み込む。

 杖が彼女の小さな手を離れていく。

 瞬間、耳をつんざく声に頭の中がいっぱいになった。

 そのなかで。

 

「ミス・グリーングラス」

 

 パーシーが彼女の肩に手を置いた。そして彼女の前を導くように歩いた。

 

「いい決闘だった」

 

「あなたと戦えて良かったよ」

 

 そう言い合って歩み寄ったセドリックとパーシーはお互いに堅く握手した。

 ハリーはアストリアと目が合った。握手をしなければならない。杖を握っていた手は、汗でいっぱいだ。歩きながら慌てて手をズボンに拭いた。

 

「君──」

 

「思ったより強かったわ。想像より、ずっとね」

 

 緊張で赤くなったアストリアが顎を上げてハリーを見上げ、腕を突き出した。

 きっとハリーも同じような顔をしていた。

 

「君も。強かった。一年生の僕より、ずっとね」

 

 ハリーは、ようやく言った。それ以外に何を言えば良いのかさっぱり分からなかった。けれど、アストリアが目を丸くして、もにょもにょと口を動かした。

 照れて、笑っている。

 そう気付いたのは健闘を讃える喝采が、大広間を埋め尽くした後だった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 もしも、祝福の言葉に形があったのならば。

 ハリーもセドリックも小山が出来るほどもらった頃。

 落ち着いた呼吸がしたくて大広間の外を出たところで六角形の檻を被った彼と出会った。──彼は、今を待っていたのだ。

 

「貴公とは良い取引が出来ると思っているが……。どうかね」

 

 ハリーは、そう言われて決闘大会の名称にもなっている互助拝領機構杯こと檻型トロフィーが換金できることを思い出した。他方でセドリックは怪訝な顔をした。

 

「なんだって?」

 

「おや。ご存じではない? では、これを」

 

『互助拝領機構』の主宰、ネフライト・メンシスは持っていた紙をセドリックに放った。それはヒラヒラとセドリックの手の中に舞い降りた。

 

「…………」

 

 ハリーもセドリックの読んでいる紙は知っていた。

 

 

 匿名希望の檻頭からの依頼

 人生にチェスのルークが足りていないようだ。

 解決すべくチェスのルークを緊急買い取りする。

 金50ガリオン即金可(グリンゴッツ魔法銀行振込対応可。同額物品引替可。要相談)

 

 

「──賞金なんて絡ませるべきイベントではないと思うけどね」

 

 セドリックは、不快そうに紙を握りつぶした。

 それを見ているだろうにネフライトは顔色を変えなかった。むしろ。

 

「それは万事、恙なく終わったから言えることだ。今回の決闘大会は、正式な決闘クラブを差し置いての開催となった。その提案がなければいったい何人が一見して怪しげな『互助拝領機構』のイベントに参加してくれただろう? いったい何人が見学に来てくれただろうか? ……とはいえ、私は今回の一件で思考を修正した。貴公らの活躍のお陰で次回はこんな動機付けの必要はないだろう。その点には、深く感謝をしている」

 

 彼は一度言葉を切り、催促するように左手を差し出した。

 

「取引するのか。しないのか」

 

 セドリックがハリーを見た。

 

「君は知っていたのか?」

 

「ああ、うん。僕、ホグズミードに行けないんだ。だから、友達にお菓子を買ってきてもらいたくて……。もし、優勝したら、その代金に使おうと……」

 

 ハリーは、視線よりほんのすこし高いところにあるセドリックの目を見ることが出来なかった。彼は軽蔑した顔をしていたら、これまで築いた信頼が全て壊れるような気がした。だが、あるときハリーは顔を上げた。セドリックは驚いた顔をしていた。

 

「でも、僕、忘れてた」

 

 セドリックの向こうに立つネフライトが初めて顔色を変えた。

 

「『忘れる』?」

 

 まるで初めて言葉を知った子供のように。

 単語の発音が怪しいネフライトは言った。

 

「勝つことに必死で忘れていたんだ。優勝トロフィーを受け取った時も思い出さなかった。……だから、僕にとってあまり重要なことじゃなかったみたいだ」

 

 ハリーの言葉は、本当のことだった。そんなことがどうでもよくなるくらいに他の決闘の様子を見るのは楽しかったし、過ぎてしまえば自分の試合も楽しかったように思う。

 セドリックは手の中で重い優勝トロフィーを撫でた。

 

「──いいよ、メンシス。うん。取引しよう」

 

 求めていた反応を得たというのに、ネフライトはもう嬉しそうな顔をしていなかった。

 

「メンシスの名を冠する私は学徒の研鑽を奨励し、かつ有意になるよう努力する。よって運営側に一切の不正はなかったと断言する。ただし、このような形で勝利の証を取り上げる形となったことには謝罪する」

 

 ハリーは、かなり驚いた。

 彼の言うことが真実だとすれば、クルックスとセラフィがペアを組んだことはただの偶然ということになる。

 

「でも……なぜ、こんな回りくどいことを? 買い取るくらいなら何人かの参加者を買収した方が早かっただろう?」

 

「誤解があるようだ。この買い取り行為は『互助拝領機構』のイベントとは何ら関係のない、極めて私的な売買と理解してほしい」

 

「よく分からないが……。でも、君。こんな物がなくても僕らは得るものがあったよ」

 

「それは……光栄だな」

 

 毛ほども思っていない声で彼は言ってセドリックに金貨の詰まった革袋を渡し、代わりに檻型優勝トロフィーを受け取った。

 

「では、私はこれで失礼。来年の参加もお待ちしている」

 

 ネフライトはトロフィーを片手に誰もいない廊下を去って行った。

 誰もいないことを確認して、ハリーはセドリックに声をかけた。

 

「セドリック、あの、ごめんなさい。先に話しておくべきだった。……途中で忘れていたけど」

 

「構わないよ。実は僕もちょっと小耳に挟んでいた。まさか本当だとは思わなかったけどね」

 

 セドリックは革袋のなかを揉んだ。

 ネフライトに数え間違えがなければ五〇ガリオンが入っているだろう。重量は見るからにズッシリしている。

 しかし。

 

「僕はお金が欲しいワケじゃない」

 

 革袋を見ていたハリーは、セドリックを見つめた。

 ──では、どうして取引に応じたのだろう。

 ハリーの疑問に彼は、ほんのすこし嬉しそうに答えた。

 

「ずっと考えていたんだ。トロフィーは半分に出来ないからどうしようって。でもガリオン金貨なら分ける方法もあるだろう? さあ、栄光を山分けしようか」

 

 ──負けた。

 ハリーの頭のなかにポンとそんな言葉が浮かんだ。

 もしもハリーがセドリックの立場なら、どうしていま清々しく笑うことが出来るだろう。ハリーがすっかり忘れていたとはいえ、彼はハリーのことを『金に釣られた卑しいヤツだ』と思っても仕方のない立場だと思う。そして、そんな考えがちょっとでもあれば、こうしてハリーに笑いかけることはしないだろう。

 

「……セドリックと組めてよかったよ」

 

「え?」

 

「優勝したからじゃなくて、こうして、普通に、話すことが出来て嬉しいって意味なんだけど……」

 

 ハリーは、これ以上はうまく言えない。

 セドリックは、ハリーの顔をまじまじと見た。

 それから。

 

「僕も嬉しいよ。……こんなことを言うのは、おかしなことだと思うけど……君は、怖がったり緊張したりしない人だと思っていた。でも違ったからね。何だか、安心した気分だ。うん。よかったよ」

 

 彼は、ハリーの手が緊張で震えているのを見たハーマイオニーと同じように、ニッコリ笑った。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

(手に入れてしまえば何のことはない。ただの鉄のトロフィーだ)

 

 ネフライトは買い取った互助拝領機構杯のトロフィーを眺めていた。

 初めて見たときの凶暴で破壊的な衝動は起きなかった。

 

 代わりに空虚さがあった。

 何をしても埋まることのない虚ろだ。

 檻のように肝心なものは通さないのに、大事なものばかりが檻の目をかいくぐって出て行ってしまう。ばかげた空想だ。常ならばそう思って切り捨てる思考が今日ばかりは振り払いきれない。時間が経って冷静になったからだろうか。まさか、そんなハズはない。もし、これが誰かの手に渡ることを考えだけで今も新鮮な怒りとも憎しみとも言えない感情が起こるのだ。

 

 とはいえ、実際にはもう起こりえない仮定だ。

 ──何を苛立つことがある。落ち着くべきだ、ネフライト。

 自分自身の空虚に言い聞かせ、彼はそれを衣嚢にしまいこんだ。

 日常に戻るためタイプライターを叩いていると向かいの席に誰かがやって来た。ルーナ・ラブグッドだ。

 

「デザート食べてきた。あんた、食べないの?」

 

「夜食が来る。それでいい。──今日の互助拝領機構杯決闘大会は楽しかっただろうか?」

 

 今日の出来事を反芻するための言葉であり、彼女の行った提案に対し反応を求めるための問いだった。

 

「楽しかったよ」

 

 ルーナは簡単に答えた。

 

「そうか」

 

 ネフライトは自然に応じた。

 ──私は。

 

「ならば良い試みだったのだろう」

 

 目を伏せてタイプライターで打ち出した文字を眺めるフリをした。

 

(どうして、君に『なぜ』を聞いてしまえないのだろうか?)

 

 ──分かっている。

 ──彼女を理解しきれないことを私自身が、認められないのだ。

 それでも。

 

「運営として幾ばくかの改善の余地があると感じる」

 

 想像していたよりも心は穏やかだ。

 薄く口を開き、小さく息を吐いた。彼と親しい人がいれば、それが彼なりの笑みだと分かるだろう。

 

 ルーナ・ラブグッドの存在とは。

 ネフライトが当初期待した通りのレイブンクローの平均的な生徒ではなかったが、彼女の突飛で想像の付かない『不可解さ』はネフライトにとって不明瞭を受容する必要性を強く意識させた。

 何もかもを解体できると自負していた。覚悟もあった。異常と冒涜の末子には相応しい道だろうと思う。なのに、彼女と話していると『そこにあるだけの不思議』が存在しても「まぁ、いいか」。そう思うことがある。ネフライトは自分の心に発生したこの奇妙な許容範囲に未だ戸惑うことがある。

 

「しかし、全て未来の話だ。……そちらの段取りは、ゆっくりやろう」

 

「そうだね」

 

「ああ、君の依頼は明日には提出できる。互助拝領機構杯決闘大会の詳細と雑誌の表紙用の舞台スケッチだ。朝一で父君にふくろうを送るといい」

 

「──ネフのパパってどんな人?」

 

「どうした、急に」

 

 ネフライトは家族の話をほとんどしない。

 彼と会話が成立する人が少ないという前提を置いても彼は、自分のことを極端に語らない性質だった。人の心の機微に聡いルーナは、自分が嫌う話題をわきまえているように見えていた。そのため彼女の唐突な、しかも私事に踏み込んだ質問にネフライトは少々面食らった。

 

「自分のパパが嫌いなの? 父親の話になると声が低くなるもン」

 

「嫌いではない」

 

 誤解されることは耐えられないため、ネフライトは答えた。

 

「大切な、とても大切な、私の父だ」

 

「じゃあ仲が良くないの?」

 

「『きょうだい』がいる。私より可愛げのある者の方が多い。それでも私が一番優秀だから」

 

 整理されていない言葉を発してしまったことに気付き、ネフライトは「失言」と呟いた。

 

「仲は良い。君の心配することは何もない」

 

「会ってみたいな」

 

「会わないことで充実する人生がある。……忘れることだ」

 

 ネフライトは、父たる狩人のことが大切で好きだったが、『きょうだい』の誰よりも大きな恐れを抱いていた。その『恐れ』とは、恐れ敬う、いわゆる畏敬の念を越えた恐怖を感じてしまうのだ。

 

(しかし、私の前に立った『まね妖怪』はお父様には変わらなかった。私の恐怖は、お父様よりも学派の未来にあるのは……なぜ)

 

 ネフライトは、それから無心に手を動かした。

 もしも、彼がルーナと同じように夜の校庭を眺めていれば、あるいは、気付けただろうか。闇のなか闊歩する黒い犬の存在に。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 一週間後の夕方。

 イギリス某所。

 魔法省にもホグワーツには及ばないものの赤と緑の色が増え、空間全体にクリスマスのムードが漂っていた。省庁内のあちこちで光り輝いているのは温度のない雪だ。賃上げ要求のためここ数日間大雪が降り続いており、早めの連休を取った魔法使いや魔女の席にはこんもりとした山が出来上がっている。その上には何通かの庁内連絡用の紙飛行機が不時着しており、ときおり寒さに身震いするようにそれらはカサカサと音を立てている。

 

 さて。そんな魔法省は就業時間が終了した。

 ぞろぞろと定時で帰って行く魔女や魔法使いの群れに逆行する男性がいる。樫の木で作られた『魔法生物規制管理部』の案内板──それは組木で作られた精巧な火蟹だ──の下の通路を闊歩しているのは、ロンの父親、ウィーズリー氏だ。小脇には一冊のタブロイド判の雑誌を抱えている。

 

「エイモス。──やぁ、いまちょっといいかな」

 

 二人の同僚とコーヒー片手に談笑していた褐色のゴワゴワした顎髭の男性が「やぁやぁ、アーサー!」と気の良い返事をした。彼はセドリックの父、エイモス・ディゴリーだった。

 

「わたしもちょうどアーサーと話したいところだったんだ。──来年のアレ。いよいよ席数の計算が済んだそうでね。ルドビッチ・バグマンがあちこちで『お漏らし』をしている。ああ、もちろん情報をね」

 

「なんだって? 勝負は春だと思っていたが、まさか……」

 

「年始にも情報戦が始まりそうだ。相場はペアチケットで金貨一袋はカタいぞ! しかし穴場は最上階だとか」

 

「最上階? 真っ先になくなりそうな席が、そりゃまたどうして穴場に?」

 

「昨年、国際クィディッチ協会が競技場の規格を改正したらしい。それで今回は天井を作らない設計になっている。つまり──」

 

「雨が降ればびしょ濡れということか。……なるほど。見晴らしは最高だが穴場になるワケだ。来年の天気なんて神秘部の予測も外しがちだし……でも好機なのかもしれないな」

 

「検討の価値は大アリだ。もっとも、まだ争奪戦は始まったばかりだ。雨に当たらない席を先に相談してみてもいいと思うがね。わたしの用件はこのくらいだ。それで、アーサーは? また違法に改造された火を吹くアカギツネが山火事を起こしたとか、マグルが魔法のかかった水玉模様の傘を開いたら大嵐が起きたとか、フランスから輸入された違法トースターがエスカルゴの養殖器になっていたとか……そんな事件絡みかね?」

 

 まだオフィスに留まっていた同僚二人がギクリとして身動きを止めた。もし、厄介事がやって来たのなら彼らは対処する必要がある。それにエイモスがまだいるのに部下の彼らが率先して帰ることは難しいのだ。

 ウィーズリー氏は安心させるように「やや、違うよ」と手を振り、抱えていたタブロイド判の雑誌を見せた。

 

「ぜひ、見たがるんじゃないかと思ってね。──あっ。ひょっとして、見たかね? 今月の『ザ・クィブラー』」

 

「『ザ・クィブラー』? しわしわ角スノーカックの目撃情報でも? 『ザ・クィブラー』を真に受けた読者からの手紙で春先は対応に追われたものだ。もっとも、あれの特徴はどこからどう見てもアフリカに生息する大型魔法生物のエルンペントの角だと全部に返信してやったがね」

 

「しわしわ角スノーカックのことではないさ。あなたの息子、セドリックのことが書いてあってね──」

 

「『ザ・クィブラー』に!? なんてこった!? ──アッ!」

 

 エイモスが慌ててカップを置いたので溢れたコーヒーが、机上の書類を焦げ茶色に染めた。同僚の一人が心配と好奇心のある半々な顔で寄ってきた。もう一人は奥から濡らした布巾を持ってやって来た。

 

「ジョゼフ、ありがとう。うっかり勢いを付けすぎた。……アーサー! セ、セドが載ってるって?」

 

「そのセドリックから聞いてご存じかもしれないが、クリスマス休暇に入る二週間ほど前にホグワーツで決闘大会があったらしくてね。これはその特集号だ。ウチの子が知り合いから仕入れて送ってくれたんだが、あなたも見たがるんじゃないかと──」

 

 アーサーは、コーヒーを片付け終わったエイモスの机に『ザ・クィブラー』を広げた。表紙は、ホグワーツに通っていた生徒ならば何度も見た大広間、そして見慣れない決闘用の舞台が設置されている風景画だ。その絵の上には、可愛げのないブロック体で『ザ・クィブラー12月号~ホグワーツ大決闘大会開催特集!~』と書いている。

 

「ホグワーツだ! おお、懐かしいな!」

 

 ジョゼフと呼ばれた若い部下もウンウンと頷いた。

 

「これまでに見かけた『ザ・クィブラー』のなかで最もまともな表紙だ……」

 

「表紙デザインは生徒の寄稿だと裏表紙に書いてあった。──おっと、本題はこっち。優勝者インタビューの記事だ」

 

 インタビューは写真付きだった。セドリックとハリーが肩を組んで杖を掲げている。そしてカメラの向こうにポーズを決めたかと思うと二人は向き合って固い握手を交わした。

 

「なになに? 互助拝領機構杯決闘大会とは十六チーム、三十二人が争う決闘大会である。セドリック・ディゴリーとハリー・ポッターペアは決勝戦でパーシー・ウィーズリーとアストリア・グリーングラスペアに打ち勝ち、初優勝!?」

 

「エイモスの息子がハリー・ポッターと優勝!? おお、スゴいじゃないか! めでたい!」

 

 同僚とアーサーの目は、エイモスの机の上で辛うじてコーヒーの被害を免れた彼の家族写真を見ていた。精悍な顔付きの青年こそがセドリックだろう。動く写真のなかで両親の間に立ち、はにかんだ笑顔を浮かべている。

 それ以上に嬉しそうに体を揺すり笑ったのはエイモスだ。

 

「ウチの息子……! 本当に自慢でね。わたしにとっては宝物みたいなものさ……! この前のクィディッチでハリー・ポッターを負かしたと思ったら、今度は一緒に優勝だなんて!」

 

「あ、ここ! 先生、フリットウィック先生のインタビューが載ってますよ! 優勝ペアの評価と講評……なになに……。『これまでの成績や授業でも明白でしたが、ミスター・ディゴリーの堅実な杖さばきには多くの生徒が見習うことがあるでしょう。やや守りに入る癖があります。ともすれば防戦一方に追い込まれやすいでしょう。思い切って踏み込んでも負けない実力があるハズです。ミスター・ポッターはムラがありますが、ここぞというときの勇気、そして好機をモノにできる能力は希有なものです。「武装解除呪文」だけでなく他の呪文を使いこなせるようになれば更に手強くなるでしょう。』──おお! 大絶賛じゃあないですか!」

 

「アーサー、この雑誌、譲ってくれないかね? 妻にも見せたくて。今回はどうやら不適切な魔法を掛けられた『ぱふぱふ・パフスケイン』なんて載っていないようだし……」

 

「ああ、構わないよ。きっとまだ残部があるだろう」

 

「ホグワーツか。いいよなぁ。そういえば来年の例のアレの件で『国際魔法協力部』が動いているんでしょう? ダンブルドア校長がしょっちゅう魔法省に出入りしていてバーティ・クラウチとバグマンと話をしているとか──」

 

「公式発表はまだだろう?」

 

「そうですが、是非見に行きたいものですね。──もし、復活したら伝説的なイベントになるでしょう?」

 

 未来のイベントで盛り上がる同僚二人のそばでウィーズリー氏は「さて」と手のひらをすりあわせた。

 

「私はこれで。奥様によろしく」

 

「アーサー、ありがとう。あとでお礼をするとも」 

 

 ウィーズリー氏が立ち去るとエイモスと同僚達は腰を据えて特集ページを読み始めた。

 

 




忘却
忘れ去ること。
ネフライト・メンシスは四仔のなかで唯一、忘却を知らない。
忘却により時間の経過を測ることは出来ず、誕生してから現在までの記憶は全て関連している。
何もかも必然だ。

──遠い未来の君は私と出会った日のことを思い出すかもしれない。
──君が私を忘れることはどうとも思わないのに。
──私にそんな瞬間が訪れないことを思えば不思議と苛立たしい気分になるのだ。

それでも「まぁ、いいか」と受け入れることが出来たのならば。
彼の父はそれを祝福するだろう。


決勝戦
 ここを決勝戦とする──!
 パーシーの首席は、輝く場面があれば、輝く実力があるのではないかと常々筆者は思っています。他寮の生徒で首席を警戒するセドリックは正しい反応だったのでしょう。セドリックとハリーは仲良くなりました。──いいね!


チョコレートむしゃむしゃネフライト
 生まれてこの方約三年分くらいの発語を数時間で行ったので、やや精神的に疲れてきました。また、「お父様、決闘大会でヤーナム勢は全滅しましたが私は元気です」という状況なのでどうやって(テルミ以外の)落ち度の少ない作文をするかも考えています。明日の彼は顔面筋肉痛。特効薬はバタービールだそうです。
 忘却テキストは、彼の繊細で情熱的な一面が書けたので好きな文章になりました。昨年、「手に入らないのならめちゃくちゃにしてやりたい。くらえ、ほうずき」と言っていた人物と同一人物です。「まぁ、いいか」の精神は大事だとSF・ゲールマンの幽霊を見たり見なかったりするピグマリオンも鎮静剤と同じくらい大事だと言っていました。──まぁ、いいか。肩の力が抜ける言葉です。


ザ・クィブラー
 セドリックのパパことエイモス・ディゴリー。愛する息子が魔法界でも信憑性が……その……うん……という雑誌に載ったことで口から胃袋が出るところでした。内容は、何だかまともっぽいインタビュー記事が載っていたので彼らは二重に驚きました。
 大広間スケッチはネフライト。写真はコリン・クリービー。記事作成はネフライトでお送りします。コリン・クリービーのお財布がバイト代で温かくなりました。クルックスに頼んで家にいる弟に送る用のお菓子を買って来てもらうことでしょう。
 ぱふぱふ・パフスケインって何だよ(発狂)
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