甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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風聞
ほのかに伝え聞き、かすかに聞こえる噂。
一律そして一斉に情報を伝える機会が少ない魔法界において、風聞は多く囁かれる。


しかし、忘れてはいけない。
本当に大切なことは言葉の外にある。
せいぜい踊らされぬことだ。



風聞は歌う

 

 第一回互助拝領機構杯決闘大会は幕を閉じ、クリスマス休暇までの数週間が始まった。

 

 冬の寒さもシリウス・ブラックの不穏な事件も陰を潜める、明るく楽しい日々だった。こうした日々のなかにいるクルックスは、しばしば父の望んだ平穏を考えた。視界のどこかに笑っている人がいる。それは彼にとって概ね理想的な世界だと考えたからだ。

 クルックスは、行く先々の教室で決闘大会の結果を話している生徒に出会ったし、何人かはハリーやセドリックを見ては興味を惹かれた顔で会話内容に耳を澄ませていた。彼らにとってお互いに関心を抱く出来事となり、楽しく、そして有意な体験となったことに違いない。

 主宰、ネフライト・メンシスの評判は開催前と比べてほんのすこしだけ良くなった。『勉強が出来るだけの頭がおかしい奴』と思われていたが、最近では『勉強が出来て決闘も出来るが、それ以外はおかしい奴』という認識がされているようだった。当の本人は、そんな評判をちっとも気に懸けていないだろうけれど。

 

 

 学期の最後の週末にホグズミード行が許された。

 グリフィンドールにおいてハリー以外の学生は大喜びした。ホグズミードは、クリスマス・ショッピングを済ませるには十分であったし、学期末における自分へのご褒美として大いに歓迎されたのだ。

 ホグズミード行きの土曜日の朝、クルックスはゆっくりと朝食を摂っているセラフィのもとにやって来た。

 

「おはよう、セラフィ」

 

「おはよう、クルックス」

 

 ぎこちない挨拶を交わす。

『おはよう』とは。

 彼らにとってまだ親しみが薄く言い慣れない言葉だった。

 

「これから俺はホグズミードに行くが、何か欲しい物はあるか?」

 

「特にないな。楽しんでくるといい」

 

「ああ。今日の君は急ぎの用事もない。休むといい」

 

「そうだね。お茶会の段取りも考えなければならないし」

 

「お、おお、そう、だな」

 

 セラフィのお茶会の話は出来るだけ避けたいクルックスは、頷きながら素早く後退し、やがてその場を後にした。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 数日前、クルックスはふくろう便で初めて手紙を受け取った。

 差出人は、ハニーデュークスだ。

 彼が求めたのは、ハニーデュークスにおいて日頃は取り扱いのない、非魔法族用の『ごく普通の蜂蜜』だった。十月三十一日、ハロウィーンの日に初めてハニーデュークスの店を訪れた際に交渉し、取り寄せてもらえることになった。

 クリスマス前に届いたのは幸いなことだ。

 クルックスは、夏休みにレオーに蜂蜜を送る約束をしたことを忘れてはいなかった。以前、セラフィに話した時は「君からの贈り物ならばとても大切に楽しみ下さるだろう」と言っていた。

 

 狩人の外套を着込み、首には一昨年クリスマス・プレゼントとしてもらったマフラーを巻いてクルックスは、ホグズミード、そしてハニーデュークスにやって来た。

 

「──はいはい、ハントさん。注文の蜂蜜ね。これと、ああ、そうそうヌガーも併せていかが? 新製品よ」

 

「ではそれも付けてくれ。……ふふ」

 

 会計を行うテーブルに置かれた蜂蜜入りの大瓶は、クルックスが片腕で抱えるほどの大瓶だった。一〇キロはあるだろう。自然の甘味は、彼にとっても好ましい味覚の一つだ。甘味の重量は幸福に比例する。自分で消費する分ではないが、思わず顔がにやけてしまった。

 

「んんっ、すまない」

 

 笑っている場合ではないと思い出し、ガリオン金貨を納めている皮の巾着を取り出して支払いを済ませた。

 

「ありがとう。きっと来年も頼むことになるだろう。よろしくお願いする」

 

 店員から快い返事をもらったクルックスは、店の出口に向かった。

 両手で蜂蜜の大瓶を抱える今は、たとえ吸魂鬼の間近を歩いても精神の不調が起きることはないだろうと思えた。

 

(レオー様は喜んで下さるだろうか)

 

 父たる狩人には、一足先に『レイブンクローの髪飾り』を送ったので、クリスマスにはヌガーを贈ろうと思う。

 幸せな空想に耽りながら『異常な味』と書かれた看板の下を通ったところでロンとハーマイオニーを見かけた。挨拶をしようと足を向けたときだ。彼らは何かに熱中しているようだった。

 

「──、──!」

 

 クルックスは、その場で縫い付けられたかのように足を止めた。

 

(いま、ハリーの声が聞こえた)

 

 人混みに紛れる、似た人の声ではない。ハリー・ポッターの声だった。

 クルックスは、よく観察した。端から見ればロンとハーマイオニーが熱心に商品について話し込んでいる様子に見える。だが、よくよく見れば、そこにはちょうど人が一人存在できる空間があった。

 

(透明マントか。……しかし、どうやって。ホグズミードまでの道は全て吸魂鬼が見張っているのでは……? いいや、そもそも、俺が口出しすべきことではないが……)

 

 今日この頃、人々のなかで話題の大きなタネであるシリウス・ブラック脱獄事件においてハリー・ポッターとの因縁は公然の秘密と呼べる状態である。

 そのことを知ったのは、テルミが仕入れてきた噂話だった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ある夜に行われた学習会と『きょうだい』会議において。

 

「嗚呼、シリウス・ブラック!」

 

 テルミは、歌うように声を弾ませ、細くしなやかな指を伸ばした。

 

「その男の正体は、ハリー・ポッターの両親に最も近しい人物の一人!」

 

 大袈裟で仰々しく、そして感情的にテルミは続ける。

 小さな劇を見入るようにクルックスとセラフィが彼女を眺める傍ら、ネフライトは「磯臭い演技だ」と愚痴って舌打ちをした。

 

「恐怖を前にした時の友情とは、なんと浅く、脆く、悍ましいことでしょう!? 決して秘密を口外しない限り、破れないハズのポッター夫妻の秘密は、なんとブラック自身の手によってヴォルデモートに渡ってしまったのでした!」

 

「それは大変だ」

 

 セラフィはあっさり言うが、実際に大変な出来事であっただろう。

 ヴォルデモートが何のためにポッター夫妻を付け狙っていたのか知らないが、この情報が夫妻の致命となり、更にはハリーの不運が決定づけられた出来事となったことは想像に難くない。

 

「ヴォルデモートは、ウキウキの足取りでさっそく情報のあったポッター夫妻のお宅へ杖を片手に突撃アバダケダブラ! そしてポッター夫妻をあっさり殺害することに成功し、悪の趨勢は最早とまることなしと思われました。嗚呼、魔法界の未来の明るいことこの上なし!」

 

「でも、ハリーに返り討ちにあったのだろう?」

 

 クルックスの声にテルミはくるりと体の向きを変えた。

 

「──ねぇ、お話のネタを奪わないで下さる?」

 

「むむ、すまない。無粋な真似をしてしまった。続けて欲しい」

 

「ええ。そう、貴方の言うとおり。なぜか結果は返り討ち! 哀れヴォルデモートは滅ぼされ、歴史の闇に沈んだのでありました。ヴォルデモート亡き後、世間は事後処理が始まります。──さぁ、飲めや歌え騒げや楽し、粛正のお時間です」

 

 意味が分からずクルックスはセラフィとそろって顔を顰めた。

 

「『アイツはオレの娘を殺したぞ!』、『いいや、私は操られていただけだ!』──金貨が飛び交い、有罪を無罪に塗り替える! いまや司法は無法と手を組んだ! 家財の全てを質に入れろ! 娘は底値で売り飛ばせ! もう金が出せないヤツの杖を折れ! 死人に口なし、生者は語る! 紙面一覧の死喰い人! 無罪と無知を切に訴え、語る言葉は『実は私も被害者だ!』 透明な無実だけが墓の下!」

 

 テルミは声音を高く低く変え、早口でまくし立てた。

 勢いに呑まれクルックスは固唾を飲んで見つめた。

 

「さぁさぁ、弾劾だ! 指を差される前に、指を差せ! 不都合はもみ消せ、取り消せ、許されざる呪文の味はいかがか! 恥をかかせて貶めろ! 勢い余って殺してしまえ! 裏切り者なら草の根分けて探し出せ! 探し出したら殺してしまえ! 釈明の語彙が尽きた者からアズカバンに放り込めよ! 悪党に裁判をかける慈悲などあるものか! 女はやれんが、吸魂鬼の『キス』がお前を絶頂に連れて逝くぞ!」

 

 狂乱の時代があったのだとクルックスは呆気にとられて小歌を受け止めた。

 

「そんなこんなのお調子で。復讐の大義に限りはなく、無論、ブラックにも捜索の手が伸びました。しかし、そこは栄えある純血ブラック家の長男、狂信的なヴォルデモート信者の彼は、追い詰められたことを悟り、最後の足掻きとばかりに周辺を爆破! 魔法使い一人と十二人の非魔法族の尊い命を奪い、結局、お縄になったのです。そして、十二年後の今、彼は脱獄してきたのでした。彼は『ハリー・ポッターさえ殺せば』、その一念でしょうか。あぁ、狂信者って怖いですね。戸締まりしないと。……そして、現在に至るのです」

 

 嵐のような情報を受け止め、クルックスはそれからしばしば考え込んだ。

 

「ふむ。……たいていのことには対処できるから特に情報収集をしていなかったけれど、いきなり爆殺されるのは困るな」

 

「セラフィ、過信癖はいつか君自身を陥れるぞ。……情報を思考の机上から捨てることは簡単だ。しかし、得るのは難しい。機会があるのならば私達は常に目を向け、耳を澄ますべきだ。だいたい──今さら言うべきことではないが、君のために言うとしよう──私の記憶が正しければ、君は女王様に奏上する役割を持っていた気がするがね?」

 

「魔法界の汚点を話したくない気持ちが……驚くべきことに多少ある。『裏切り者』と言う言葉は、カインハーストにとって敏感な話題を触発してしまうかもしれない。判断が難しい」

 

 ネフライトは「ふーん」と鼻を鳴らした。

 クルックスは皮肉が飛んできたら止めようと考えていたが、意外なことに彼は頷いた。

 

「使用人としては良い気遣いだと思う。敏感な話題は、相手が触れない限り避けた方が無難だろう」

 

「ああ、僕にも痛覚がある」

 

「何の話をしているんだ?」

 

「心遣いと敏感な話題の話は、僕の痛覚と近い場所に存在する」

 

 ネフライトの目が「カインハーストは野蛮」と言っていた。

 実際、口のあたりがもごもごと動いたが、結局、音になって出てくることはなかった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 物思いから返ってきたクルックスは、気付かなかったフリをすべきかどうか迷った末、気付いたことにした。

 ロンとハーマイオニーに声を掛け、不自然に開いた空間に向かって声を掛けた。

 

「誰にも口外しないが、気付く者はこうして気付くのだ。ならば、気を付けるべきではないのか? 誰よりも君自身が」

 

 ああ、言ってしまった。

 内心がジリジリと焦げ付くような感覚に急かされて、クルックスは彼らの反応を待たずにハニーデュークスを飛び出した。

 ──言えば少々の後悔がつきまとうが、言わずに後悔するよりはマシだろう。

 ハリー・ポッターの安全を天秤にかければ、自分が感じる後悔などたかが知れているのだと彼は何度も言い聞かせた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 白く吹雪く世界は、あっという間に真っ黒な姿を斑に染めてしまった。

 今回ばかりは、ロンも「なに言ってんだ? あいつ」なんてことは言わなかった。誰のために厳重な警備が敷かれているのか彼らはもう知っていたからだ。しばしの沈黙を挟み、彼は鼻の上を掻いた。そして。

 

「あれを見ろよ」

 

『魔法省よりのお達し』と書かれた紙が、ドアの内側に貼り付けてあった。

 内容は、吸魂鬼が毎晩ホグズミードをパトロールするという内容だった。文書の最後の言葉は『メリー・クリスマス!』で締められているが、ホグズミードの住民にとってはこんなに胸の悪くなるプレゼントもないだろう。

 しかし、ハリー達にとって特別な意味を持つものだった。

 

「吸魂鬼がこの村にわんさか集まるんだぜ。ハニーデュークス店の床下に秘密の通路があるからって押し入るなんてできるもんか。夜に来たってハニーデュークスのオーナーは物音に気付くだろう。だってみんな、この店の上に住んでいるんだ!」

 

 反論を考えているハーマイオニーにロンは窓の外を指して見せた。

 

「こんな時にハリーを見つけるのはブラックも大仕事だろうさ」

 

 外は、大雪が吹き荒れている。ハーマイオニーは曖昧に唸って唇を噛んだ。

 もう一押し、とばかりにハリーがマントをするりと脱いで笑いかけた。

 

「僕のこと、言いつける?」

 

「まあ──そんなことしないわよ。──でも、ハリー──」

 

 心配でどうしようもないが、彼女はそれ以上強硬に反対することはしなかった。

 ハーマイオニーが折れたので、ロンは勢いを取り戻した。

 

「いいじゃないか、ハーマイオニー。そろそろクリスマスだぜ。ハリーだって楽しまなきゃ! 賞金だってちょっとはあるんだ」

 

 さっそくハリーの腕を取って『フィフィ・フィズビー』の樽を見に行く二人をハーマイオニーは追いかけた。

 なんとなく振り返った先、猛吹雪のなかトリコーンを被った黒い人影がまだ見えるような気がした。

 

 それから間もなく彼らは、観光がてら暖を取るために立ち寄った『三本の箒』にて、クルックスがテルミから聞いた噂話より少々詳しく正確な話を聞くことになる。それは、テルミならば情報の重要性が低いと判断し他の『きょうだい』に十分に伝えなかった事柄であり、ハリーならば自分の人生の指針に影響を及ぼしかねない事実だった。

 

 ──シリウス・ブラックは、ハリーの父ジェームズ・ポッターの親友だが、夫妻を裏切り、ヴォルデモートに加担した。

 

 ハリーは知った。

『三本の箒』で魔法省大臣、ファッジとマクゴナガル、そしてハグリッドにより語られた、シリウス・ブラックと両親、そしてピーター・ペティグリューの存在を。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「セオドール、ぜひ君に聞きたいことがある。……出来れば、二人きりで」

 

 夕方、ホグズミードから帰って来るなり、こんなことを耳元で囁かれながら「では、そこの空き教室で待っているよ。来てくれるね、貴公」と念押しされて出向かないのは、いっそ不義理というものだろう。

 セオドールは、考えた。

 セラフィは、出来る限り使える駒として信頼関係を築いていかなければならない。そのために、これは必要なことなのだから。

 しかし、頭のどこかでは違うことも考えていて首のあたりがやけに熱かった。

 セラフィに限って、パンジー・パーキンソンがキャアキャアむせぶような色恋沙汰なんて起きようがないし、セオドールは自分の身の上に何事かが起きるとは考えられなかったし、そもそも彼女の言う『自分の設定』的にも矛盾した代物であるからして──ぐだぐだした思考をしつつ、何も整理がつかないうちに足は進み、空き教室は向こうからやって来たと思い違いしてしまうほどにあっさり到着してしまった。

 そこで。

 

「純血主義から見た、シリウス・ブラックが知りたい?」

 

 興味関心の全てが吹っ飛んでしまう話題を投げかけられたのでセオドールは、よろけながら椅子に座った。

 

「大広間で話す事柄ではないこと程度は、僕も理解が出来るのでこっそり空き教室で話そうと思ってね」

 

 セラフィも目線を合わせるために座った。

 ランタンに魔法の炎を閉じ込めて、お行儀良く手記まで開いている。白紙を見やり、セオドールはセラフィに向き直った。

 

「君は純血主義に賛同していなければ興味もないと思っていたが……宗旨替えでもしたのか?」

 

「まさか、僕は女王様一筋だ。先達のことも愛しているけれど」

 

「数秒で設定を矛盾するな。いいや、俺は別に、君の女王様とか先達とかどうでもいいが。……どうして知りたいんだ? 君が知りたがる情報には思えないが?」

 

「そんなことはない。むしろ君に聞くのは遅すぎるくらいだった。決闘大会ですっかり霞んでしまったが、ハロウィーンにシリウス・ブラックが校内をうろうろしていたのは確実な話だ。夜歩きで出会ったことはないが、念のためにもっと情報を仕入れておくべきだと思っている。──学び舎に狂人は必要ない。排除にあたり万全であるべきだと思い直した」

 

「断る」

 

 すぐに言葉が口を突いた理由を説明することは、難しい。

 

「なぜ? 対価が必要なのか?」

 

 必ず聞かれるであろう質問のため、セオドールはテーブルの上で指を組んだ。

 

「シリウス・ブラックの処分は魔法省が行うしホグワーツの守護はダンブルドアが行う。君は夜警らしいが、ここでも夜警することはないだろう」

 

「僕の仕事は場所を選ばない。夜警は、父から託された夜の安寧の祈り。そして、女王様が任じた名誉ある役目だ」

 

「設定の過信にも程がある。シリウス・ブラックがイカれているのは本当だろう。どんな手を使っているか分からないが、侵入してきたこと一つとっても君の手に余るだろう」

 

「…………」

 

 セラフィが黙り込んだ。

 しかし、この沈黙は納得した雰囲気のものではない。

 ランタンの炎に照らされたセラフィの横顔は、薄暗い視界のなかでぼんやりと白く見えた。

 

「大人しくしているんだ。じきに片付く」

 

 言い聞かせるためにセオドールは言った。

 

「…………」

 

 琥珀色の目が、静かに自分を見ていた。

 それは。

 視線の熱心さにも関わらず透明な壁の向こうに存在するかのように温度を感じさせないものだった。

 

「すこし良い心がけだと思う」

 

「なんだと?」

 

 何が彼女の心の琴線に触れたのか分からない。

 それでも『決定的にわかり合えないことが起きた』という実感があった。違和感の正体が知りたくてセオドールは「何が?」と質問を重ねた。

 

「今までの僕は使命で歩いていたが……この学校においては、守りたいものを守っていいことを思い出せた」

 

「は?」

 

「ありがとう。君と話せてよかった。情報は、やはり足で集めることにしよう──」

 

「待て、出歩くなと言っているんだ! どうして分からないんだ?」

 

「守ることは、必ずしも鍵の掛かった部屋にいることではない」

 

 話が通じていない、気がする。

 セオドールは、セラフィが手記を閉じ、ランタンを手に取ったのを見て「待て」と声を掛けた。

 

「寮へ戻って休むといい。夕食が終われば皆戻ってくる。──おやすみ。佳い夢を」

 

 セラフィはランタンの炎を消した。途端に視界は真っ暗になった。

 

「おいっ、待て、先生に言いつけるぞ」

 

 手記を抱えていた腕を取ろうと手を伸ばす。手は宙を掻いた。セオドールは驚いた。まだ、すぐそこにいるハズなのに。もう人の気配がしない。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 深夜の廊下を歩むセラフィは、ずっと考えていた。

 

 ──彼らにとって危険とは、必ずしも自分の頭上に降りかかってくるものではない。

 ──彼らにとって危険とは、大人が対処すべきものである。

 

 人々の間に揺蕩う共通認識とは素晴らしい。

 昨年のバジリスク騒動の時も感じていた疑問が氷解した。

 

 なぜ隣人は怯えるだけで抗おうとしないのか。

 解決の術を探さないのか。原因の排除を実施しないのか。

 

 全ての答えは『彼らは守られるべき子供であり、守る役割を負う大人が存在する』からだ。

 どの寮にとっても危険な不審者が現れて、ようやく得た気付きはセラフィの認識を劇的に変えた。

 

「そうか。ここはずっと昔から、とても幸せな時間に満ちていたのだね」

 

 誰かに、何かに、甘えられることは、幸せだ。

 何もかも委ねて、寄りかかることが出来るのは幸せだ。

 それを許してくれる人がいることが、何よりの幸せだ。

 その幸せを人は愛とも呼ぶだろう。

 

(どうして我が身から遠い幸せばかり綺麗に思えるのだろう)

 

 しかし、セラフィにはその『遠さ』を幸いに思った。

 彼らの幸福な時間を出来る限り大切にしたい、と心から思うのだ。

 ──たいていのことはどうでもいい。

 かつて言った言葉は、今日も変わらない。

 それでも、この日々がずっと続けばいいと思う。

 狩人の技術が彼らの平穏の役に立つのならば幸いだ。女王様も先達もセラフィに学徒であることを望むのならば、その平穏のために仕掛け武器をすこしばかり振るうことを咎めはしないだろう。学舎が血に塗れることも些細な問題だ。

 

 ここは、ホグワーツ。

 幸せの城。

 

 今夜の成果は何もない。それでも徒労だとは思わなかった。つまり、何も問題が起きていない。これはこれで幸せなことだろう。幸せな空間に自分が存在することが、セラフィにはすこし嬉しかった。

 





箸休め回
 いくつか重要そうな情報があった気もしますが、箸休め回です。


テルミの小歌
 風聞と脚色を含んだ内容です。
 せいぜい踊らされぬことだ。


守るよ
 家の中にいて震えて過ごす。そんな時間の過ごし方をセラフィは知らないため、有事があればいつも夜の見回りをしていました。けれど、それは異常な過ごし方であることにようやく気付くことが出来たようです。
「大人しくてしていれば、そのうち大人が片付けるから」と信じて委ねる。それは素敵な信頼の在り方で、理想的な社会の構造で、ひとつの愛の形なのでしょう。
 ──それでも僕は遠慮するよ。
 彼らの在り方を理解したからこそ、セラフィは夜に出掛けました。
 ほんのすこし前のセラフィであれば、出掛ける理由は「弱い彼らの仲間として存在する自分に耐えられなかった」からもしれません。ヤーナムに心を置いてきた彼女が「素敵で幸せな彼らを変えることはしたくなかったから」と思えたことは良い変化でしょう。とはいえ「自らに使われない優しさなど先達が聞けば快く思わないだろうか」とは狩人の言葉です。どこもかしこもまともな大人は希少なのだ……。
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