甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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お茶の葉占い
占いの手法の一種。
飲み干した茶の残り物に魔法族は価値を見出した。
すなわち自らが為したことを占うのだ。



クリスマス休暇(上)

 クリスマス休暇の前日、宿題のレポートに着手したクルックスはそのまま『必要の部屋』の寝袋で短い仮眠をとった。

 夜明けの時刻が近付くとネフライトは早々に起き出し学派の装束に身を包み、昨夜まで使っていたポットを覗いては杖で叩いて温めた。

 

「休暇なのでヤハグルに戻る。その前にお茶を一杯。……ああ、朝食には間に合うように帰ってくるつもりだ。その後は図書館にいるだろう。宿題が終わったら内容を見てあげよう。指示したとおりに書いていけば、そうそうおかしなことにはならないだろうが……一応、な」

 

 彼は出涸らしの薄いお茶を一杯飲むと温かさに身震いした。彼の光に弱い目は眼鏡の奥でショボショボしていたが、ともかく彼はメンシスの檻を片手に『必要の部屋』を出ていった。

 続いて出ていったのはテルミだ。

 

「明日のお茶会の準備がありますので、わたしもそろそろ。ふあふあ~。失礼、欠伸が出ちゃったわ。お父様が気がかりにしている病み人の診察も今日したいところです。お先に失礼しますね」

 

 テルミは、医療教会の黒装束に着替えると眠そうな足取りで出ていった。

 クルックスは、次はセラフィだろうかと眠い目をこすり寝返りをうった。しかし、やがてクルックスは思い出す。セラフィは朝に弱いのだ。

 

「うーん……うーん……カインハーストに帰らないといけないのに……眠い……眠い……」

 

 彼女は寝袋のなかで丸くなっているらしい。

 クルックスも気分は分かるので無理に起こすことはしなかった。

 ネフライトが飲んだお茶の香りが、ゆっくりと時間をかけて部屋に満ちていく。茶の香りとは不思議なものだ。次第にクルックスも目が覚めてきた。

 

「休日の初日だ。カインハーストに帰るのは明日でもいいだろう。異教の祭日は、明日が本番なのだし……」

 

「でも、クルックスが用意してくれた、レオー様への贈り物を……それに明日は満月だ。シモンに会う、時間を作らないと……だから今日、カインハーストに行くよ……」

 

 明日は、満月なのか。

 クルックスは毎週一回の授業『天文学』を思い出した。二年生と三年生は天文のうち星座について学ぶため、授業では月にほとんど注意を払っていなかったのだが、クルックスは満月までの日数を数えていた。休暇前の騒ぎで浮かれてしまい、肝心の日数を忘れていたが、その日数はあと一日までカウントが進んでいたらしい。

 クルックスは気合いを入れて体を起こすとネフライトが置いていったポットを手に取った。幸い人肌の温度でちょうどいい。そのまま出涸らしを更に薄くしたお茶を淹れ、セラフィのそばに持っていった。

 

「ほら、飲むんだ」

 

「同じことを言った鴉羽の騎士様に雪や氷塊を食べさせられたのは、本当に身の凍るような思い出だよ。……グゥ」

 

 セラフィの上体を支えてカップを持たせた。首を傾げたまま眠そうに目を蕩けさせている。

 

「寝るな、寝るな、しっかりしろ」

 

「うん……これ、味が薄いね。そういうお茶なのかな」

 

「三度目か四度目のお茶だな。お茶会で素敵なお茶が出てくることを期待しよう」

 

「そうだね。うん……」

 

 眠気覚ましのハーブティーは、氷より効果があったようだ。セラフィは、カップを空けると寝袋から這い出ていた。

 

「眠いが……大丈夫だ」

 

「白湯ならある。温かいものを飲んで目を覚ますといい」

 

「ありがとう……。……。君、ときどきでも髪を下ろせばいいのに」

 

「え?」

 

 クルックスは、テーブルにカップを置いたままの姿勢で聞き返した。

 

「髪までお父様を真似することはないだろう。寝起きで髪を下ろしている君も素敵だ」

 

「あ、ああ……君にそんなことを言われるとは、何というか意外だ……」

 

 何と返答すべきか分からず、伝えた内心にクルックスは自分自身が戸惑った。

 セラフィはむにゃむにゃと口を動かしながら白湯を一口飲んだ。

 

「意外とは失言だろうね。僕は美と力を尊ぶカインハーストの騎士だ。身なりには気を遣っている。もっとも美とは、必ずしも外見の美しさとは限らない。しかし不思議なことに心の美しさとは、外見や仕草によく現れる。決して不可分ではないのだよ」

 

 クルックスは、寝癖で跳ねる髪を手櫛で後ろになで上げた。

 

「助言と受け取ろう。これはお父様の真似をしているのもあるが、一番は実用だな。トリコーンを被るときに髪が乱れると煩わしい」

 

「実用ならば仕方ない。僕も髪を二つに結んでみないかとレオー様によく勧められるのだが、重心が微妙に変わるとどうにも……」

 

 セラフィが白湯の水面をみて温かい思い出に浸っている間。

 クルックスは、辺りをみてどこからどうみても自分たち二人しかいないことを確認した。そしてセラフィは寝袋にいたときよりも目がしっかり開いていた。

 

「セラフィ、君がいる間に確認しておきたいことがある。俺もお父様に会いに行く予定だ。──シモンさんとは、あと何回会う予定だ?」

 

「……え? ああ、そうだな……」

 

 クルックスは、衝撃を受けた。

 セラフィは考え込んでいるが、その実、クルックスに質問されるまでまったく考えていなかったように見えたからだ。セラフィは、彼と会うのが楽しく思えているのではないだろうか。

 内臓に冷たい手が差し込まれたかのように腹の心地が悪くなった。何が悪いかは分からないが、何かが致命的によくない。そんな直感をした。そして不運なことにクルックスは、この種の勘がよく当たることを短い人生の間で知っていた。

 

「ふむ、今年度中は必要だろう」

 

「俺は今日、お父様に会ったら医療教会の窶しであるシモンさんが戻ってきていることをハッキリと伝えるつもりだ。もっとも、お父様はお気付きかもしれないが……念のため、念のためにな」

 

「……お父様は、シモンを排除するだろうか?」

 

「しないだろう。恐らく敵にさえならなければ。この場合、悪夢を暴こうとしなければ、という意味だが。──彼は、まだ『夢を見る狩人』を追っているのか?」

 

「そのようだ」

 

 クルックスは自分のカップに注いだ白湯を飲みながら、慎重にセラフィを窺った。顔色は、平時よりわずかに暗い。シモンの目的が見えた気がした。

 

「自らの死の原因となった謎を解いてしまいたいのか? それとも、今は彼こそが医療教会の刺客なのか? お父様が話をして白黒つけてしまうのが一番手っ取り早い。でも、ブラドーが殺してしまうのが先か……?」

 

 古狩人が戻ってくる状況は、狩人にとって幸いなこと──らしい。クルックスとて狩人の秘密を分かち合う人が増えればよいと思う。しかし、信条上の理由で敵になった場合、狩人はどうするのだろう。『殺さない』と言い切れないことがクルックスの決断を鈍らせた。

 

「……ダメだ。分からん。お父様に聞いてみよう」

 

「なんて?」

 

「『もし、夢から還った古狩人が敵対した場合、お父様はどうされますか』と」

 

「ほう。……返事は僕も知りたいところだ。しかし、まぁ、どんな返事だとしても僕の大切なものはカインハーストとお父様と君達だ。そのことは知っていてほしい」

 

 セラフィは、クルックスがシモンのことを狩人に伝えることに最後まで反対しなかった。

 奇妙な心細さにつきまとわれ、彼は朝食を待たずして狩人の夢に去った。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 狩人の徴たる吊り下げられた逆さまのルーンを思い浮かべ、クルックスは狩人の夢へと還った。

 狩人の夢。そこは、クルックスが生まれたときと何ら変わりのない静かな空間だ。白い花に囲われた小さな庭園に無数の墓碑が立ち並んでいた。

 父たる狩人は不在のように見える。聖杯の儀式を行う祭壇を横目に彼は古工房を目指した。

 

「人形ちゃん、クルックスだ。いま帰った──」

 

 念のため、大きな声を上げて古工房の小屋に入ったクルックスは、そこに人形がいるのを見た。

 セラフィと同じ顔をした、彼女より背が高い人形は彼の足音を聞いて振り返った。

 

「小さな狩人様、お帰りなさいませ」

 

 陶器の体を微かに軋ませ、人形はゆらりゆらりと上体を傾げながら小屋のなかを歩いているようだった。両手に黒くて細長い軟体生物を抱えている。その軟体生物はクルックスの姿を捉えるなり、伸ばしていた触手をキュッと縮めた。

 

「ああ、お父様がいらっしゃるのなら話が早い」

 

 クルックスの認識は、正しい。

 細長く、しかもぬめりけのありそうな地球上に存在し得ない軟体生物こそ「お父様」と慕う狩人の、もう一つの姿である。長い夜の末、遂に夜を明かした者は人間のままではいられなかったのだろう。クルックスにとっては自分の存在を生み出した不思議な存在であり、正直に語るならば、やや恐れていている。人間の姿の狩人の方が好きだった。

 

「人形ちゃん、お父様にお話があるのですが……」

 

「あ。狩人様は、留守、です」

 

 人形が自己主張少なげに言った言葉にクルックスは繰り返してしまった。

 

「る、留守!?」

 

 クルックスは人形の端正な顔と彼女の腕のなかの上位者を交互に見た。

 では、人形の腕に抱かれている軟体生物もとい上位者は何だというのか。ネフライトであれば淡々と問い詰めていただろう。しかし、クルックスは人形の美しい輝きを持つ目が日頃にない動きで左右に彷徨う様子を見た。それを見てしまったら、どうしても問いかけることは出来なかった。

 

「狩人様は、留守、です」

 

 人形は繰り返した。

 

「え……え……?」

 

「これは……ただの……そう……ナメクジ……ナメクジです……」

 

 ──人形ちゃんがそんなに大切そうに抱きしめているのに?

 テルミならそう指摘しただろう。クルックスには、やはりとても出来なかった。

 

「……お、俺は、俺は何も見なかったのでもう一度ここに来る。一分もかからずに来るのでお父様にちゃんとお話しておいてくれ。人形ちゃん、猶予は一分だ。一分だからね?」

 

「はい」

 

 人形は平坦に答えた。クルックスは後退りして小屋を出て、一度ビルゲンワースの自室に現れ、そして再度狩人の夢に現れた。その途中で「ああ、俺は何をしているんだ」という気分になったが、父の行動に理由を求めてはいけないと自分に言い聞かせた。

 そしてやって来た狩人の夢、なるたけゆっくりと階段を登り、古工房の扉を叩くと「いいぞ」という狩人の聞き慣れた声が入室を許可した。

 

「失礼します。……お久しぶりです、お父様」

 

「ああ、クルックス。そうか、もうクリスマス休暇だったのか。うっかりしていた!」

 

 狩人は『ずっとこうしていました』とばかりに書きかけの手記を開いていた。そのためクルックスも『たった今、到着しました』とばかりに振る舞った。少なくとも所作はそうした。顔は取り繕えている自信がなかった。

 

「お父様は、お元気にされて……いたようで」

 

「私はいつでも好調だ。狩人はかくあるべきだからな。さて、学校はどうかな? ん? 今年くらいは何もない平穏な学校生活をしているのだろう」

 

 狩人はクルックスよりも楽しそうに微笑み、クルックスに椅子を勧めた。

 

「概ね順調です。学業は何とか、友人関係も……俺にしては、きっと、うまくいっていると思います。学校は一度、シリウス・ブラックの来訪を受けたようですが実害はなかったそうです」

 

「シリ……ブラ……? ああ、殺人鬼? まだ捕まっていないのか。しかし、なぜホグワーツに?」

 

「話すと長くなります。そのことは後でお話させてください」

 

「おや、君は俺に何か込み入った話があるらしい」

 

「はい。お父様の知るべきことを──」

 

 その時、小屋の奥で人形が狩人を呼ぶ声が聞こえた。

 クルックスは、きっとお茶を淹れる準備をしているのだろうと思い込んでいたが、何かを地面に落としてしまった音が聞こえた。

 

「狩人様、これはどちらに仕舞いますか」

 

「ん? アーッ! 持って来ちゃダメ!」

 

 クルックスは声に惹かれて視線を奥に向けたことを後悔した。目に飛び込んできたのは、ガトリングが両脇に設置された乳母車だった。狩人の手により改造された乳母車のなれの果てとも言えた。

 

「……お父様、お父様の工作を俺は何とも思いませんが、全然何とも思わないですが、カインハーストの納税は大丈夫なんですよね? 滞納した場合、俺がカインハーストに納品されるのを『まさか』とは思いますが、お忘れではないですよね?」

 

「忘れていない。忘れていないぞ。忘れるワケないだろう。だから人形ちゃん、あっち! あっちに仕舞おうね! 車椅子も!」

 

 狩人は手記を開いたまま、席を立ち、小屋の奥へ行ってしまった。待つ間、彼が細々した文字で綴っている手記をつい見ようとしてしまう自分を恥じた。クルックスは頭を振り、衣嚢から自分の手記を取り出した。

 

(お父様には、俺の話と合わせて、シモンさんのことを知っているブラドーからも聴取を促すべきだろう。あちらが秘匿している可能性がある──)

 

 もう何十回と繰り返した話の段取りを再度確認し、シモンの記述を追って手記をめくった。

 セラフィが『満月の日に会う約束をしている』と言ったのでクルックスの手記には満月の日付が書かれていた。そして、その日にあった出来事や課題の内容、締め切りが並ぶ。

 満月の日付を追っているとセラフィの用件とは異なる、けれど同じ内容が書かれていることに気付いた。

 

『ルーピン先生、授業を休む。代理スネイプ先生』

『ルーピン先生、授業を休む。自習のため宿題レポート作成』

『ルーピン先生、授業を休む。自習のため寝る』

 

 約一ヶ月に一度、ルーピン先生が丸一日授業を休み、学校でも見かけない日があることはクルックスも気付いていた。だが、それが──ひょっとしたら規則的なものかもしれないとは考えていなかった。彼は手記の今年の項から探した。

 

「満月の日と一致……して、いる……?」

 

『闇の魔術に対する防衛術』を欠席したルーピン先生の代わりにやって来たスネイプは、課題を出した。その課題には真剣に取り組んだ彼には、もう真実が見えていた。口にするには憚られ、認めるには時が足りない。だが、もう知っている。満月が影響する病があることを。──その病の罹患者は、魔法界に置いて『人狼』と呼ばれることを。

 

 ぐるぐると思考と一緒に体まで揺らいでいる感覚があった。

 なぜか。自分の大切な根幹が、ひどく脅かされている感覚に襲われている。

 言葉にするためには、時間が足りない。幼すぎるのだ。

 

 人狼、人狼、人狼──それは獣だろう。いいや、違う。人狼とは、人間と狼を行き来する存在だと聞く。

 ならばそれは人か、獣か。クルックスは自分の書いたレポートを必死で思い出した。そういえば、脱狼薬なるものがあると聞いた。スネイプ先生が言っていた。もし症状の発現を管理できるのならば、それは人間の病気の範疇としてもよいかもしれない。レポートでは未来の被害を防止するという観点で根絶やしを支持したが、ヤーナムとは違う。ヤーナムにおける罹患者の獣は今のところ不可逆な現象だが、魔法界の人狼は違う。ヤーナムとは違う。満月が終われば獣は人に戻る。ヤーナムとは違う。違う。違う。違う。違うのだ!

 気付くと息が苦しいほどに歯を食いしばっていた。

 

(同じ結果に見える似た症状だというのになぜ不可逆と可逆が、分かれてしまうのだろう? 何が違う? 人心が汚れているからか? ヤーナムが汚物だと? 人の淀みがより深く汚れているとでも?)

 

 どの理由も腹立たしく、認めがたい。正しい回答はこれから先、長い間、誰からも得られないだろうことが分かってしまった。そして、何よりも彼を苦しめたのはルーピンの人柄だった。ルーピンに虫の気配はない。むしろ病んで見える外見を除けば、連盟の見出す『虫』から縁遠い人物だと言えた。彼の人柄が善良であると自信を持って言えるからこそ、対するヤーナムの闇はいっそう際立つものだった。

 

(なぜ。どこから……。起源を。起源! そうだ、起源を知らなければ──)

 

 ヤーナムはその点、獣の病の原因が分かっている。

 実に簡単に言ってしまえば、上位者に由来する血を医療行為として人々に輸血したからだ。

 では、魔法界の人狼はなぜ発生したのだろうか。そこにもヤーナムと同じように上位者の影がちらついているのだろうか。

 

(いいや、そんな分析はネフやテルミに任せておくべきで……ルーピン先生が獣なんて、こんなことあってはならないのに……!)

 

 ネビルが言っていた名誉の負傷者だろうか。それとも生まれつきの……あるいは、あるいは……、

 いてもたってもいられなくなり、クルックスは立ち上がった。しかし一方で、シモンのことを狩人に伝えることは重大なことだった。突然に発生した重要な情報を二つ抱え、彼はその場で部屋を右往左往した。

 

「すまない。片付けに手間取ってしまった。車椅子が幅を取っている。収納箱に入れることも出来ない。格納方法を後で考えなければな。折りたたみとかどうだろう。検討だな。だが今は、さぁ、座りたまえ。お茶を淹れてあげよう。せっかく来たんだ。ビルゲンワースに行く前にゆっくり話をしよう」

 

 狩人が穏やかに笑う。

 クルックスは、どうしてゆっくりしていられるのか分からないくらいに焦っていた。小刻みに体を揺すり、手は一秒とて静止していない。常に曲げて伸ばしてを繰り返した。

 

「お父様、獣の病が管理できるものであれば狩人が狩りをする必要はあるのでしょうか?」

 

「君からその質問を受けるとは。最初にその質問をするのは、ネフだと思っていた。その答えを君は夏休みに見た。そして、俺はここにいる」

 

 狩人は、静かに述べた。

 その静けさにクルックスは耐えきれなかった。

 

「でも……でも獣は汚れています。連盟の使命は、汚物の内に隠れ蠢く虫を踏み潰すことです。俺は、いつでもそうありたいのです」

 

「連盟の長を思い出すことだ。旧市街が存命である状態にデュラさん達が存在する理由は実のところ薄い。連盟にとっては、だが。君が魔法界よりヤーナムの虫潰しを優先する理由と同じだ。管理されている獣がいるとして、野放しにされている獣よりどうして脅威になるだろう」

 

「……っ……」

 

 息を詰まらせたクルックスは、のろのろと椅子に座った。

 

「潔癖だな。俺の鼻は高くてこれ以上高くならないよ。誇らしい」

 

「誇らしい……? いいえ、俺は、ただの、中途半端なヤーナム野郎ではないですか……」

 

 捨て鉢に放った言葉を狩人は目を細めて拾い上げた。

 

「『中途半端なヤーナム野郎』ねえ。なかなかいい台詞だ。『間が悪い』と同じくらい俺はよく使いたい。俺自身にな」

 

「あっいえ、俺はっ、そんなつもりじゃ……」

 

 狩人は『全て分かっている』とでも言うように右手を挙げた。

 

「俺の助言に耳を傾けられるくらい知性があるのだ。何も悲しむべきではない。連盟の使命は、君の心の支えのひとつであるべきなのだ。それのみを信じて狂信に陥ることはないだろう。熱心なのは良いことだが」

 

「連盟の使命は、信じるに値するものです。それは、いつ、いかなる時も、どんな夜でも。しかし、俺はお父様のことも連盟と同じかそれ以上に信じているのです。だから、お父様が『まだ脅威ではない』と言うのであれば俺もそう思いたい……。管理されている脅威を今、狩るべきではないのなら、そう、することにします」

 

「それでいい。尽きぬ使命にも慈悲はある。ならば猶予もあるのだろう。そのうち君自身の答えが得られる時がくる。その時、いつか信じるものを狩りたまえ。……さて、これからは当分の話だ。私達の手足の数は限られている。向けるべきところに目を向け、振るべき場所で仕掛け武器を振るうべきだ。それが出来ていない俺が忙しくしているのを見れば、この言葉の正しさをきっと分かってくれるだろう」

 

 クルックスの目は、つい彼が先ほどまでゴソゴソしていた小屋の奥へと向かった。狩人が咳払いをしたのでクルックスは狩人を見つめた。

 

「ええ、はい、おっしゃるとおりです」

 

「それに今さらデュラさんと諍いになりたくないからな。古狩人だ。君も尊ぶといい」

 

 古狩人という言葉にクルックスは、大切な用事を思い出した。

 

「人狼の件は、お父様のおっしゃるとおりにします。──俺の別件なのですが、ブラドーさんとはお話していますか?」

 

「ブラドー? ああ、週に一度は必ず会っている。彼が何か?」

 

「では彼の獲物が誰なのか。ご存じですね?」

 

 ──ああ、もちろん。

 狩人の自信に満ちた返答を待つクルックスの頭上を──なぜか狩人は凝視していた。

 それから。

 

「…………いや?」

 

 振り絞った声で小さく呟いた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 二人の間に──クルックスにとっては生まれて初めて──重々しく気まずい沈黙が発生した。

 狩人の視線は次第にテーブルの焦げ付きに着地した。電光石火、彼はクルックスを見つめた。

 

「待て待て。俺にその質問をするということは、クルックスはブラドーが追っている人物を知っている、ということだな?」

 

「確証はありません。お父様がいない場において、俺はどちらにも会ったことがありません。そのため『本人確認をしていない』という意味ですが」

 

 頑なに古狩人の名前を言わないクルックスに対し、狩人はハッと息を呑んだ。

 

「ブラドーが追う人物なら心あたりがある。いいや、ブラドーがいる時点でもっと早くに気付いてもよかったのか。ああ、うっかりしていた。──シモンだな?」

 

 クルックスは、一度だけ首肯した。

 

「ああ、シモンが……そうか……そうか。だから君は市街をよく見るようにと俺に助言をして、今はブラドーのことを話したのか。……いやいや、俺が迂闊だったのか。もっと真面目に市街の再探索を行うべきだったな。見慣れた風景だから、きっと見落としてしまったのだろうな。ブラドーが追っているのなら、シモンも一カ所に定住していないだろう。すれ違いになったのか。その可能性もあるな……。情報ありがとう」

 

「それで……処遇は、どうするおつもりなのですか?」

 

「彼の目的次第だ。シモンは、また悪夢を終わらせようとしているのだろうか。争いたくはないが、私の都合もある。まだまだ夢は終わらない。終わらせない。もはや俺のヤーナムだ。さんざん振り回されたんだ。誰にも手出しはさせない」

 

 父の珍しい顔をクルックスは見つめた。縄張り意識にしては、爽やかで穏やかな剣呑だった。けれど問題だとは思わなかった。クルックスが大切に思うヤーナムをクルックス以上に大切に考えている狩人のことが、どうして問題に思えるだろう。

 

「それでも彼が悪夢を終わらせようとする場合は、どう、されるのですか。彼は、お父様を害することになるでしょう」

 

 この質問のためにクルックスが全身を緊張させているのを狩人は悟ったようだ。再びヒラヒラと右手を振り、『案じることはない』と伝えた。

 

「会ったら、話をしてみよう。ヤーナムがより良い状態になるための試行だ。理解してもらう。理解してもらえない場合は、私がブラドーの仕事を邪魔する理由が特になくなるな」

 

「それは……とても、お父様にとって悲しいことではないですか」

 

「そうだな。あんなに優しく、慈悲深い人を手にかけたくはない。狩人を哀れんでくれたのは、あの人だけだったからな」

 

 狩人はしみじみと言い、遠くを見つめた。

 

「……俺は、本当は、皆が……ただ生きていてくれたのなら、それだけでいいのだが……。きっと、そうはいかないのだろうな。あの人は正しく高潔だ。ああ、でも……」

 

 クルックスは狩人の顔が、うっそり綻ぶのを見た。

 

「追われるのも暴かれるのも久しぶりで、何だかゾクゾクする」

 

「お父様、遊ばないでください。シモンさんはきっと真剣ですよ」

 

「分かっている。分かっている」

 

「ホントかなぁ」

 

「ホント、ホント」

 

 軽く笑ってみせた狩人は、クルックスには存在しない奇妙な明るさがあった。

『楽観的』と呼ぶに相応しいそれは、狩人の素の性格に近いものだった。その楽観を何度うち砕かれたのか、クルックスはまだ知らない。しかし、その楽観がなければ気の滅入るようなヤーナムの歴史を血で編み直す作業は、到底なし得ないのだろう。狩人は、前向きだった。そう出来なければ生きていられなかったからだ。

 やがて楽しそうな雰囲気の何割かが感染したのだろう。

 

「お父様」

 

 クルックスも慎ましい微笑みを浮かべた。

 

「学校の話をしてくれ。そのシリウス・ブラックとやらがどうやって脱獄したのか、そろそろ分かった頃だろう。俺も成果を話そうと準備をしていてな」

 

 狩人がテーブルの上に置いてある紙の束をガサガサと探す間にクルックスはお茶を一口飲んだ。

 

「あ、そうだ。『レイブンクローの髪飾り』がありましたね。お父様の瞳ならば見えるものもあるのではないかと俺達はお送りしたワケですが、進捗いかがですか?」

 

「ダメかもだな」

 

「なるぼぶふっ? ダメ……かも? 『ダメかも』とは……なんです?」

 

「俺から最初に聞いておきたいんだが、あれって壊すとマズいものかな?」

 

 クルックスは、薄く口を開いたまま盛大にお茶を溢した。

 

「もう壊したんですか? も、もう?」

 

「いやいや、まだ壊れてないぞ?」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。俺が墓碑に全力投球しても壊れなかった。見かけ以上に頑丈だな、あれは。呪いのせいかな」

 

 呪い。

 やっぱりあれは呪われていたのだ。

 クルックスは、自分の陥った不調を思い出した。

 

「お父様は何ともありませんか? 俺は、気分が悪くなりました」

 

「何ともないな。ああ、そうそう。ネフが髪飾りの由来を送ってくれた。……それからずっと『呪い』を掛けた主のあることを考えていた」

 

 呪いを掛けた者のことをヘレナ・レイブンクローは知っていた。

 なぜ知っていたのだろうか。

 最も簡単な推理をしてしまえば、ヘレナが手放した後、秘匿された髪飾りの在処を彼に教えた、ということが考えられた。

 しかし、宝物に呪いを掛けるだろうか。そう考えるとこれは間違っているのだろう。クルックスも考えたことだ。

 

「彼は、英知が必要なかったのだろう」

 

「それは『自分の方が賢いから』?」

 

「伝承のとおり賢くなれる代物ならば、自分に匹敵するかもしれない物を残そうとは思わないだろうな」

 

「賢さを求める人を欺こうとしたのかもしれません。次に被ろうとした人を罠にかけようと」

 

「それは効果的かもしれない。しかし、一方で自らを上回る魔法使いや魔女ならば呪いを解いてしまうかもしれない。その人物が髪飾りを被れば賢さではもう敵わないだろうな」

 

「あ、そうか。そんなことになるくらいならば壊してしまった方が確実ですね。では……ええと……髪飾りは、創設者の遺物です。恐らく魔法族には歴史的な価値がある物です」

 

「それに呪いを掛けてやろう、と思う人の動機は何か?」

 

「はい……だから……ええと……」

 

 クルックスが思いついたのは、二つの理由だ。

 ひとつ、歴史的遺物を穢してやろうという性格の悪いヤツ。

 ふたつ、遺物を冒涜することに快感を覚えるヤツ。

 二つの理由をひとつにまとめた結果。

 

「『見つけた記念に呪ってみた!』ですね?」

 

「君には俺と同じくらい墓暴きの才能がある」

 

 ヤーナムの歴史に詳しければ最大級の侮辱と捉えられる言葉だったが、クルックスは狩人の言葉を素直に受けとめ、照れた。

 

「そんな、いえ、お父様くらいなんて……! 俺は連盟がありますから……才能があるとしても……そんな……」

 

「同士が真面目で俺は鼻が高すぎるよ。──俺も真相は分からないが、いい考えだと思う。つまり彼は『自分のことしか考えていない』ということだからな。ある意味で分かりやすい存在だな」

 

 ふたりはお茶を一口飲んだ。

 カップの縁を指でなぞる狩人は、紅茶の水面を見ていた。

 

「壊すのはきっと簡単だ。けれど出来る限りの情報が欲しい。……髪飾りは上位者が呪ったワケではない。呪ったのも呪われるのも人間。人間の理解力の範囲の呪詛だ。俺達にも理解できるものだろう。何とか話すことができないかと思っている」

 

「話す? 自壊を促すおつもりですか?」

 

「まさか。呪いが最期に何を言い残すのか。そこから知ることのできる人格もあるだろう。……それに向こうも俺に興味があるような気がする。いったい何年放置されていたのか分からないが人肌、いいや、髪恋しくなっている頃だと思わないか」

 

「俺はお父様の髪がなくなるのは嫌ですよ」

 

「髪は、ものの喩えだ。呪いに実体を与えるようなものが必要だ。悪夢……空っぽの肉体……虚……。髪飾りに死体を与えても動かなかった。『生きている』ことが重要なのだ。空っぽの肉体。ヤーナムでも珍しい代物だ。……まぁ、こういうワケで壊すに壊せず収納庫に置いてある」

 

 空っぽの肉体。

 その言葉に思うことがあり、クルックスは椅子の上で佇まいを直した。

 

「そういえばお父様、俺達に魂はあるのですか?」

 

 クルックスは、マズいことを聞いたと直感した。

 なぜなら。

 

「……魂?」

 

 狩人は、まじまじとクルックスを見た。顔から指先まで舐めるように見つめた。

 

「魂があるのか?」

 

「あ、お父様が知らなければないのだと思います。ないとします。はい」

 

「待て待て。どうしたんだ? 魂? 魂!」

 

 キラキラした宝物を見つけたかのように狩人は目を輝かせた。

 

「学徒の方々と一緒に、お、俺の内臓をひっくり返しても見つからないと思いますよ」

 

「『魂はある』──信じることはよいことだ。そうか。それはいい。きっと匂い立つ魂なのだろうな。血の遺志ばかりではすこし寂しい。魂があるのならば、血に塗れていようとそれは素敵だ」

 

「俺は、お父様にもあると思います」

 

「俺にも?」

 

「俺にあるのなら、きっとお父様にもあると思いますから。それにあったら……素敵だと思うのです」

 

「素敵か。……そうだな」

 

 狩人は目を細めて笑った。

 それからは他愛ない話をした。

 ──新しい科目が始まった。授業の宿題が多い。『必要の部屋』という変わった部屋を見つけた。ホグズミードは素晴らしい村だ。

 

「『占い学』は面白そうだな」

 

「お茶の葉を習ったところです。見てみましょうか。ちょうど飲み終えましたようですね。左手でカップを持って三回ほど回して下さい」

 

「こうかな?」

 

 狩人は、くるくると回した。

 

「次は、たしかソーサーの上に伏せて水を切るんですよ」

 

「了解だ」

 

 カチャンと彼は勢いよくカップを伏せた。

 

「何だかスゴい。こんなお手軽な神秘があるなんてワクワクするな」

 

 クルックスは、狩人のニコニコした笑顔につられて思わずニコニコした。

 開いたカップを見て狩人は「茶色のふやけたのがいっぱいあるな」と言ったが、ニコニコは消えることはなかった。

 

「俺が、見てみましょう。これは、お父様は──」

 

 歪んだ十字架が大量に存在した。

 歪んだ十字架。お茶の葉の占いにおいて『試練と苦難が待ち受ける』という意味だ。

 それを正直に伝えてもいいものかどうか迷い、クルックスはたっぷり「うぅ」と唸った後で、お茶の葉の占いの授業の日、シビル・トレローニー先生が彼に伝えた内容と一句違わず同じことを言ってしまった。

 

「お父様は死ぬような目に何度も遭ったと思います。これからも大変なことになりますよ」

 

「なんだって!?」

 

 クリスマス休暇は、まだ始まったばかりだった。





ネフライトは早起き
 使用人生活が染み付いているので規則正しい生活をしています。誰よりも早く起きて暖炉を掃除し、火を入れ、水を汲み、お湯をわかして白湯をダミアーンの寝所に持っていくのが彼のヤーナムでの日常です。ホグワーツではそんなことをする必要がないため、時間ぎりぎりまで寝ています。誰の面倒もみなくてもいい生活は、自堕落を引き起こしつつあります。……どうせ私だけだし……。
 テルミとクルックスは、むにゃむにゃ言いながら周囲の生徒に併せて生活しています。食事は彼らにとって楽しみでもあります。それにしてもクルックスはときどき人相が悪くなりますが。セラフィはしばしば朝食を抜いて生活しています。……ねむ……。


アケチャン
 人形ちゃんの腕に抱かれてあやされていたのかもしれません。──俺は何も見ていないので。見ていないので分かりませんが。
 当初、狩人は「誰か来たら『これはクソザコナメクジで、お父様じゃありません』って言ってくれ」と人形ちゃんに頼んでいたのですがよくよく考えれば人形に「クソザコナメクジ」と言われるのは致命傷だったため、ただのナメクジになりました。バブー!(迫真)
 彼らは重要なことを話すことができました。獣のこと。使命のこと。シモンのこと。髪飾りのこと。戸惑うクルックスに指針を与えるのは、助言者のなせることなのでしょう。たとえそれが『待て』であったとしても


お茶の葉占い
 何一つ安心させることを占うことは出来ませんでした。
 しかし。狩人は思います。──何てこった。でもまあ騒ぐほどでもないか。
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