月の御使い
ピグマリオンの信じる上位存在の使者。
人の形ならば、血を定義するより先に、そう扱われるべくでしょう。
血の詳細を知る由もない彼は、そう信じている。
ヤーナムの外の世界がマグルも魔法族もクリスマスに歓喜する頃。
クィリナス・クィレルが、ビルゲンワースの自室に戻った時、赤と緑に彩られた箱がテーブル上に鎮座していた。
ただの箱であれば驚かなかった。実際、彼は一瞬の思考停止の後で「ああ、クリスマス……そういうものもありましたね……」と呟きを溢し、お茶を淹れる余裕があった。しかし、次の瞬間、それはガサゴソ、ゴソゾゾと音を立て始めた。
自分はクリスマス・プレゼントなんてもらう年齢ではないのだし、これは誰かのイタズラだろう。それもヤーナム外の習慣を知る人物によるものだ。
テーブルの上をよく見れば、クリスマス・カードがあった。出来る限り箱に近付かないように『呼び寄せ呪文』を使ってカードを回収した。
中身の見たくない贈り物を送りそうな知人は、一人しか心あたりがない。
クィレル先生、こんにちは!
テルミから素敵なプレゼントです!
喜んでいただけたかしら? そのうち夕食にしましょう!
追伸:名前は『ヴォルデモート』なんていかがかしら?
クィレルは「うわっ」と思わず声を出した。彼女は、猫が小ネズミをいたぶるような──可愛い顔に似合わない趣味の悪さを持っているようだ。
カードの裏に文字がないか、魔法は掛かっていないか、悪戯の有無をチェックしていると突然箱が揺れ、横倒しになった。ついでに謀ったように箱に緩く結ばれていたリボンが落ちる。クリスマス・カラーの箱から転がり出たのは黒と赤が印象的な鳥、七面鳥だった。
「ワっ!?」
生きている七面鳥は、箱に閉じ込めたのがクィレルだと非難しているようにしきりに鳴いて羽ばたいた。
クィレルは、何度も杖を振り、七面鳥を箱に押しやり蓋を閉じた。それからしばらく蓋を開けたり閉めたりしたが、その度に七面鳥が消えることはなかった。夢でも幻でも、もちろん魔法でもなかった。
「なんだい? 賑やかだね~! なんだい? なんだい?」
どう始末をつけようかと考えていると騒ぎを聞きつけて学徒、コッペリアがやって来た。
「ワァッ……!?」
さらに厄介事が飛び込んできてクィレルは七面鳥入りのプレゼント箱を抱え、事情説明の言葉を考えるのだった。
■ ■ ■
クルックスがビルゲンワースへと去った後。
月の香りの狩人は、ヤーナムの市街へ訪れていた。彼が見ているのは、おおよそ人っ子ひとりいない路地だ。割れた石畳の隙間から雑草が生え、靴裏に感じる歩き心地は、もこもことしており決して良いものではない。
朝や昼間は、人の往来がある大きな通りも午後に傾きはじめた今、足早に用事を済ませる人が何人かいるだけだ。気の早い家は、もうカーテンを引いて夜に備えている。
「ふむ……。やはりダメだな。当てずっぽうでは……」
深く広いヤーナム市街における人探しは、難航している。
探し人であるシモンが行きそうな場所はオドン教会だが、そこにも姿はなかった。オドン教会の住人である赤いローブを来た盲人──狩人の友人でもある──に聞いても心当たりはないと教えてくれた。
そうなれば、最も難解で最も聞きたくない相手に話を聞きにいかなければならない。
狩人の姿は、暗い路地に消えた。
そして再び現れた時、そこは花咲き乱れる捨てられた工房だった。
二人住んでいるハズなのにいつもひっそりと静まりかえっている工房からは、話し声が聞こえた。テルミが来ているようだ。
回れ右したくなる気持ちを堪え、扉をノックした。
「ああ、月の香りの狩人さん。こんにちは。ちょうどお茶を淹れたところなのですよ。さぁさ、おかけになって下さい」
出迎えたのは住人のひとり。医療教会の黒、ピグマリオンだった。相変わらず青白く、頬はこけて死にそうな顔をしている。そんな彼は痛々しいほどの笑顔で狩人を招き入れた。
「まあ、お父様! いらしたのね? ピグマリオンさん、お菓子も出しましょう! 楽しいお話もしましょう! 座ってくださいな!」
ピグマリオンとお茶の用意をしていたテルミはパタパタと軽快な足取りで狩人のために椅子を引いた。
「悪いがテルミ、それはまた今度だ。今日は彼と話がしたくてな。……ピグマリオン、すまないがテルミと一緒に席を外してくれるか?」
「ああ、ええ、はい、分かりました。──さぁ、テルミさん。お邪魔になってはいけません」
テルミは眉を下げた。しかし、次の瞬間には「あら残念」と明るく言い、菓子の入った籠とソーサーに乗ったお茶を宙に浮かせて小屋を出て行った。
さて。
狩人は、トリコーンを軽く上げてブラドーに挨拶した。彼は見もしなかった。
「──シモンのことで話に来た」
「ほう?」
「会いたいのだが、どこにいるか教えてほしい」
「教える義務はない」
「『普段とは違うものを見たら、いつでも鐘を鳴らす』という約束を結んでいた気がするが、それはどうなっているのか伺ってもいいだろうか?」
「私がシモンを追い始めたのは、その約束を交わす前のことであるから答える義理はないな」
白い獣の皮の下でブラドーは──珍しいことに──愉快そうに笑った。
「おっと。……それが真実であれば、してやられたな」
狩人は久しぶりに腹の底が煮える気配を感じていたが、今さら血相を変えるほどではない。
「なるほど。契約書をすみずみまで読まない性質が災いしたらしい。貴公に過失はなさそうだ。俺に起こる不利益を見過ごした点で不誠実と言えそうではあるが」
今さら彼の『誠実さ』に期待してみても事態は好転しない。しかし、言うだけ言ってみよう。そんな気分で狩人は伝えた。とはいえ今回の物事の『筋』はブラドーの方が通っている。そして、彼と現状の関係を続ける以上、獲物について彼から聞き出せることはないだろう。
「邪魔をしてしまったな。失礼」
「汚物のなかを這いまわるといい。窶しなどそれが似合いだ」
「……あ? ……ふむ」
ただの侮辱であれば相応の言葉を考えていたが、ブラドーの声には嘲笑う色が少ない。
「英雄しかり。いつの世も目的の崇高さに救われるのは己だけだ。それをあの男は知らぬようだからな」
「ああ、なるほど。なるほど。ありがとう」
狩人は、また姿を消した。シモンの居場所について、その言葉がブラドーなりのヒントだと察したからだ。
ブラドーは大きな手に隠していた割れ鐘を振った。
不吉な鐘の暗い情念は、窶しを苛むだろう。安全だと思い込んでいる暗渠を捨て去るほどに。
■ ■ ■
「お父様ったら。てっきりわたしに会いに来たのかと思ったのに」
ピグマリオンは、テルミが狩人に避けられているのを知っているため「絶対にそれはないですよね」と心の中で思ったが、当然言わなかった。テルミの機嫌を損ねるタイミングは、まだほんのすこしだけ先だったからだ。
テルミは唇を尖らせて「仕方のないお父様」と可愛くムクれて見せる。ピグマリオンが慰めるのを待っているようだった。
「お忙しいのでしょう。裏の治安維持とでも言いましょうか。そうでなくとも、狩人さんはお忙しそうです。ええと、さまざまありまして」
──詳細はいつものお手紙に。
階段に腰掛けたピグマリオンは膝の上にテルミを乗せていた。彼女にしか聞こえない小さな声でそう付け足した。
テルミが学業のため──ピグマリオンは大いに驚いた──ヤーナムを離れた後、休暇以外では戻らないと聞いて、うちひしがれていたピグマリオンのもとに手紙が届いたのは九月の末だ。古工房の敷地にいつの間にか現れた夜を照らす小さな灯り──彼の便宜上の上司であるブラドーは『使者の灯り』と呼んでいた──のそばに手紙は現れた。
テルミからのピグマリオンに宛てた手紙であり、平日は五日に一度、休日だという週末の二日間は手紙が日に二度もやって来た。これがどんなにピグマリオンの心を慰め、ブラドーの暇つぶしになったか。テルミへの手紙を考える時間は、彼にとって生き甲斐さえ覚えるほどに充実したものだった。
とはいえ、こうして会話が出来ることは、ピグマリオンにとってとても楽しい。テルミは可愛いし、表情をころころと変える。飽きることは何もなかった。
「うー。けれど、まあ、いいでしょう。お父様は、今度一緒にお食事会をすると約束したの。ほかの『きょうだい』と一緒にね」
「それは喜ばしいことですね。そういえば『きょうだい』がいらっしゃるのですね。これまで何度かお話を聞いて……ああ、お手紙にもありましたね」
ピグマリオンはポケットのなかにあるテルミからの手紙を取り出せなかったが、内容を思い浮かべた。
「たしか、お姉様がいらっしゃるのだとか……」
「そうそう。あ、思い出したわ。お父様に会った喜びで忘れていました。ピグマリオンに見せたい物があるの。今年の写真が出来たのよ」
「しゃし、しゃしん?」
「ええ、写真。それは光を受けると変化する物に光の像を焼き付けた物だとか何とか、うーん、細かい化学的反応の理屈があるらしいのだけど、わたしも詳しくはわからないですね。見てみて。──わたしの弟、とっても可愛いでしょう?」
「おとうと?」
ピグマリオンの脳は勢いよく破壊されていた。
見せられた写真にいるのは、彼女の父たる狩人とそっくりの少年だ。生き写しのような存在だと思う。違うのは背の高さだけだ。少年は写真のなかで控えめに笑っているように見える。
しかし、テルミの言葉が気になる。彼は、遠近法で誤魔化せないほど彼女より背が高いのだ。
「おと……おとうと……? 彼は、あー、兄、ではなく?」
「弟よ。わたしの方が立派だもの。弟です。みんな生まれた日が一緒なの。そのなかで、わたしが一番のお姉様です」
「な、る、ほど……はい、なるほど……このピグマリオン、完全に理解しました……」
世間が何と言おうとピグマリオンにとってテルミが正しかった。そのため彼女が「カラスは白いわ」と言えば白だったので、彼は納得した。
「学校だとセラフィはわたしのお姉様なのだけど」
「早くも設定が瓦解しましたよ? もう一度、打ち合わせが必要なのでは?」
「学校では便宜上そうなっているだけです。わたしの体は小さいので……。ですが! 本当はわたしがお姉様なのです!」
「複雑なご家庭なんですね。おや……?」
セラフィと呼んで彼女が指差した女性は、ピグマリオンにとって見覚えがある顔だ。この工房に初めて踏み入った時にうち捨てられていた人形にそっくりなのだ。その人形は、今は小屋の物置のなかで埃から守るための布を被せ、安置している。
ピグマリオンは眼鏡に触れて角度を調節すると写真をよく見た。
(人形の原型、モデルとなった女性が彼女なのだろうか。いいや、それでは物事の順序がおかしい……?)
彼は白い手袋に包まれた指を唇に当て、細く息を吸い込んだ。
物置に置いている人形の痛み具合を見るに数ヶ月や数年の経過には見えない。そしてテルミの『生まれた日が一緒』という言が正しいのならば、人形が作られた時点で彼女は存在していないハズである。なんせ写真に写る四仔は──狩人の言葉が全て真実であれば──今から約三年前に突然発生した人間らしき生き物なのだ。
ピグマリオンが浮かべた多くの疑問をテルミは見逃した。そんなことよりも『きょうだい』のことを話したかったのだ。
「クルックスは、連盟員よ。いつもあれこれ心配しちゃって可愛いの」
「は、はあ」
「セラフィは、カインハーストの騎士様なの」
続いてテルミが指差したのは銀色の長髪を結わえた女性だ。セラフィと呼んだ。人形そっくりの人物。テルミとはもう頭一個分以上背の高さが違う。他の三人に比べると狩装束が古く、金や銀の糸が襟や袖に使われているのが見える。豪奢な装束の印象を受けた。きっと印象の通り、生地は厚手で丈夫なものだろうと思える。
(人形とカインハーストに関連が……?)
顔が似ている、というだけでそう考えるのは突飛な発想だろうか。しかし、赤の他人で顔が似ることは、血縁で顔が似ることよりも少ない可能性だ。
ピグマリオンには『遺伝』や『遺伝子』といった知識はなかったが、市井で「あの家の人は早死にする」と噂される情報を信じる程度には、血により受け継がれるものの存在を知っていた。また、受け継がれるのは病という負荷だけではない。時には優れた容姿が受け継がれることもあるだろう。
(人形の原型になった人物はカインハーストの出身者? しかし、何のために……?)
人形を作る理由に心当たりのないピグマリオンの思考は行き詰まり、一旦、中断した。
「そして、こちらの檻頭はネフ。ネフライト。見てのとおりメンシス学派ね」
「本当に複雑なご家庭なんですね。敵対組織の名前が挙がっていますよ。メンシス学派。市街の人攫い達の元締めでしょう。そんな噂を聞いたことがあります。しかし、カインハーストなんてとんでもない。医療教会の敵、罪の一族ですよ。市街には処刑隊の信奉者、血族狩りもいることです。どうか市街では関わり合いにならないでくださいね。テルミさんに何かあったら私は……とても……耐えられません」
「貴方の心配することにはなりませんわ。大丈夫です。わたしは今のところ上層とここ以外には下りませんから。ああ、でも。『きょうだい』がいつかここに訪れるかもしれません。彼らのこと覚えていて下さいね?」
「はい。もちろん」
──ところでテルミさんの『きょうだい』ということは、同じように月の御使い様なのでしょうか?
ピグマリオンは、頭のどこかがおかしくなりそうな空想を止めた。
口にクッキーを突きつけられたからだ。
「クッキーを焼いてきたので食べてくださいな! クリスマス・プレゼントです!」
「クリスマス。それは、たしか異教の祭日ですね。ああ、記憶にあるような、ないような。ああ、そうそう。私からもテルミさんにプレゼントをご用意していたのです」
「なぁに?」
テルミが驚いた顔をした。
いつも手に負えぬものはないとばかりに振る舞う彼女の驚く顔は、この古工房に存在しない栄養のような気がしてピグマリオンは気分が良かった。
「こちら贈与契約書です。ブラドー氏に伺って作成したんですよ。生前贈与の契約書」
「まあ! 嬉し──えっ。ん? うん? なんて?」
テルミの戸惑いと驚きに満ちた顔を見たかったピグマリオンの好奇心は、大いに満たされた。ブラドーにネチネチとした小言で突かれながら貴重な紙を使って作成した甲斐があったというものだ。たとえ受け取ってもらえなくともクリスマス・プレゼントとしては十分なものだった。
「まあ、これは冗談ではない冗談なのですが」
テルミはクスクスとおかしそうに笑い、証書を眺めてからポケットに片付けた。
「ありがとう。ときどき面白いことをしますね」
「ええ、まあ」
それからピグマリオンはテルミの学校生活についてしばらく耳を傾けた。好きなもの。嫌いなもの。彼女の話は見たものを全て話尽くそうとするほど止まらない。
それらを全て聞き終えた後で。
彼は、やはり話さなければならないことであると再確認し、息を整えた。
「概ね楽しく過ごされているようで何より。そんなテルミさんには、私からいくつかお話をしたいと思いましてね」
「なぁに。あらたまって……? どこか痛いのかしら?」
「体はいつもどこか痛いので、ええ。私の話は、テルミさんのことですよ」
「わたしの? まぁ何かしら?」
ピグマリオンは緊張した心持ちでひとつ呼吸をした。
「貴女は──私の、やや正直な感想を述べさせていただくと──残酷で横暴な性質をお持ちです。ヤーナムの外の人々にも同じように接しているのではないかと……私は手紙を見て、そして、お話を聞いては不安を感じているのですよ」
「あら。わたしにお説教をするつもり?」
テルミは、気分を害するどころか、おかしそうに笑った。
その笑みを止めさせるため、ピグマリオンは告げた。
「『お説教をするつもり』ではなく、私は説教をしているのです」
「えっ?」
テルミは簡単な音の繋がりを発音した。それしか声が出なかった。
衝撃の度合いで言えば、今年に起きた出来事で最も衝撃を受けていることだろう。目をパチパチと瞬きしてピグマリオンを見つめた。
「…………」
「貴女のお父様をはじめ、学徒の方々、そして『きょうだい』の誰からも言われていないようなので、せめて私が伝えおこうと思い……思い……思い上がってしまったんですよ……」
ピグマリオンは「心苦しい限りです」と述べた。テルミはまだ驚いた顔をしている。彼女をここまで驚かせることが出来るのは、父たる狩人が彼女の横面を張った時だけだろう。──そんなことは起こり得ない事態だろうけれど。
やがて衝撃をどうにか消化したらしい。テルミは「むっ」と唇を尖らせた。
「……貴方ってときどき思い切ったことをしてしまうわよね。その調子で突っ走って死んでしまわないか心配だわ」
「私は貴女以外に失うものがありません。ですから、貴女のためになることならば何もかも惜しみたくないのです。なので、貴女の欠点をちゃんと教えてしまおうと思います」
「それが突っ走っているって言っているのですよ。わたしがご忠告をありがたがるとでも?」
「良薬は口に苦く、忠言は耳に逆らう、とは昔人がよく言ったものです」
テルミは苦い顔をして、そっぽを向いた。
「ぜひ心して聞いていただきたいものです。──貴女は聡い。心を読むまでもなく、その人にとっての善悪を分かっているのでしょう。……あまり他人を惨く扱うものではありませんよ」
「『都合のいい女でいろ』って言ってしまいたいのかしら? ウフフ、惨いのはどちら様?」
「貴女は、誰かのために血を流せるほど優しい人だということを私は理解しています。その優しさを万人に配れなど大それたことを言う心算はありません。ただ……私は貴女に他人を惨く扱うことに慣れてほしくないのです。その行いは、いつか自分に返ってくるものですよ」
「なんてありがたいお話でしょう! 市街で心をすり減らしていた人が言うと重みが違いますね? わたしがどうなろうと構いません。お父様だって構いはしなかった。それより生きていることは楽しいのですから──」
立ち上がろうとしたテルミの体をピグマリオンは押さえ、再び膝の上に乗せた。
「そうして、しまいには自分まで惨く扱ってしまうのでしょう。私は、テルミさんに幸せになってほしいのです。ずっとずっと幸せになってほしいのです。ですから、身の回りにいる人を大切にして下さい。貴女自身のためにも」
「つまらないでしょう。そんな『まとも』なんて」
「貴女の全ては、お父様に見せても恥ずかしくない行いだと胸を張って言えますか?」
テルミの蒼い瞳が震えた。
「……それは……でも、だって、お父様は……」
「ご自分がどう振る舞うべきか。テルミさんには分かっているでしょう。気の向くまま遊ぶ貴女は可愛い。けれど、人間関係で許容される個人には限度があります。貴女が誰かを害することはいけないことなんです。これはバレなければいい、という話ではありません。──貴女の品性の問題です」
「ひ、品性……?」
「貴女は、他愛ない意地悪や悪戯のつもりだとおっしゃるかもしれません。ええ。事実、そうなのでしょう。貴女は大した考えなしに物事を決めすぎる。私の可愛い人。──けれど、それではいけない」
テルミの髪を撫でて、ピグマリオンは言い聞かせた。
「自分を傷つかない場所に置くのは貴女にとって正しい行いですが、それは時に相手にとっては卑怯な行いですよ」
「卑怯……?」
「貴女が誰かを傷つけて、相手がそれを返さなければ、貴女は『許されて、愛されている』と感じるのでしょう。もし、相手が報復すれば、貴女は『傷つけたのだから当然だ』と考える」
「へえ。ずいぶん、わたしの知らないわたしを知っているのね?」
「ええ。ずっと貴女のことを考えていました。貴女の幸せのことを考えていました。それが私の望みなのです。──月の御使いの貴女、私の願いを叶えて下さいますか?」
ピグマリオンの腕の中で。
テルミは顔を伏せて、うつむいていた。
唇を痛いほど噛みしめることを彼は、まだ知らない。
■ ■ ■
テルミは『悔しい』という感情を再学習していた。
(ああ、悔しい。──悔しい! 悔しい!)
病み人に心の裡を読まれていることが、自分でも見つめないようにしていた澱を直視されたことが、何よりも恥ずかしくて堪らないのだ。
いったい、いつからだろう。
(わたしが、このテルミが、貴方の心を読めないなんて!)
テルミは、ピグマリオンの心の裡が読めなくなっていた。
愚かしさにも程がある。なんとテルミは、それをたった今、気付いた。
自分の能力に陰りが出来たワケではない。ならば変化とは、全てピグマリオンの身の上に起きたことだ。
いったい何が変わってしまったというのだろう。テルミは必死で頭を働かせた。そして思い出す。心あたりは、たったひとつだけだった。
──私は『役者』だった、ようです。
──記憶は相変わらず曖昧なのですが……。
──必要な時は『そう』なるのですよ。
──もう舞台には二度と戻れないのに。
──もう故郷さえ、覚えていないのに。
──不思議なものですね。
──まだ貴女の役に立つ『役』があるなんて。
ある日、聞き流した言葉をどうしてこれまで軽んじ、侮ることが出来ただろう。
決まっている。病み人が、医療者に口答えすると想定しなかったからだ。自分自身の病で手一杯の病み人が、他人の幸福を願うなんて思いもしなかったからだ。彼の全てを手に入れたと驕ったからだ。
その結果。
彼の言葉は、テルミが自覚を避けていたこと全てを明らかにしてしまった。
テルミは。
(どうしようもなく。誰かのことを愛して、誰かに愛されたい)
彼には、そう願ってやまないテルミの『底』が見えたハズだ。未熟で卑怯で弱い心の根を。
いまや立場は完全に逆転した。
(やっぱり、お父様以外の大人は嫌いだわ)
テルミは冷めた思考を奔らせた。口ではどう取り繕うとも考えていることは同じだ。──どうやって優位に立とうか。どうやって貶めてやろうか。テルミを見た大人が考えそうなことを彼も考えているのだろう。
ピグマリオンのことは大切だ。ヤーナムに多く存在し、取り立て珍しくもない病み人だ。好きだし愛してもいたが、彼には心ないことを言った気がする。やった気がする。
『大切であること』と『気まぐれに取り扱うこと』は、社会的に最低なことながら、テルミのなかで矛盾する行為ではないのだ。
それでも。
ピグマリオンは、そっとテルミの体を戒めていた腕を解いた。
「え?」
このまま崖下に放り投げられることまで覚悟していたテルミは、思いがけない行動をとるピグマリオンを見上げた。
彼は、相変わらず血の気の薄い顔でテルミを見ていた。
「何度だって伝えましょう。私は貴女のことが大切です。何よりも大切なのです。だから、私にはどれほどの理不尽や我が儘をおっしゃっていただいても構いません。……月の御使いの貴女、難しいのであれば私は願いを取り下げましょう。でも、せめてご自愛していただけますか?」
「貴方……あの……怒っていないの?」
「怒るなんて。とんでもない。私が貴女を咎めることは……ふむ……『ありません』と言いたいところですが、私以外の人に迷惑を掛けるのであれば咎めましょう。けれど、私に関することは何も怒っていませんよ」
ざわつくテルミの心を宥めるようにピグマリオンは、手を取り優しく撫でた。引き留めることのない、ただの愛撫だった。
「本当?」
「意地悪なことを仰ると私は困ります。多少の我が儘は……まあ……『可愛い』で流せるのですよ、私は。きっと貴女のお父様もそうでしょう。大切に想っているのですから」
ピグマリオンが父たる狩人を語る言葉をテルミは嫌った。
──わたしの知らない顔を彼には見せるのだ。
そんな嫉妬をしてしまう自分を自覚することが苦痛だった。
「……お父様は貴方のようにわたしを想ってはくれないわ。わたしが死んだって何ともなかったでしょう? ならば、ですから、次は、もう、どうすればいいのか……わたしが分からないのですから」
「おや。狩人さんを困らせたくて、頭空っぽで遊んでいたのですか?」
「『頭空っぽ』とは失礼ですね。ちゃんと考えていました。その時なりに」
「…………」
いまのピグマリオンの顔ならばテルミにも分かる。ホントかなぁ。そんな顔だ。
ツンと唇を尖らせてテルミは再びそっぽを向いた。
「『愛してほしい』なんて言わないわ。ちゃんと……わたしのことを見てほしいだけなの。わたしのことをほんのすこしでいいから考えてほしい。ああ、嘘。息を吐くように嘘を混ぜ込んでしまうの。本当は……本当はね。ときどきでいいから『愛しているよ』って言ってほしい。そうしたら、わたしは安心して息が出来ると思うの」
「狩人さんに私から口添えしておきましょうか?」
「嫌よ。そんなの嫌! 我が儘で手の掛かる邪魔な仔だと思われたくないの! いいの。放っておいて。──貴方の願いは叶えます。皆に優しい、いい子にしているわ」
捨て鉢にテルミは言った。
今日はもう、調子の悪い時のクルックスがそうするように寝床で小さく丸くなっていたかった。
それなのに。
「分かりました。口添えしておきます。来年の夏休みの休暇は充実して楽しくなるでしょうね」
「貴方は『やめて』って言わないと止まらないのかしら?」
「テルミさんの攻撃」
テルミはピグマリオンの胸をポカポカと叩いた。
「ああ、咳が出ちゃいますから、お控えになっていただいて。……貴女は嘘を仰ることもあるのでしょう。私なりに気を利かせているのです」
「それはねぇ、世間では『余計なお世話』って言うのですよ。……むぅ。でも。はぁ……。どうでもいいです。お好きになさって。貴方の言葉でお父様が動くとは思えません。そんなもので動いたら、今までのことなんか、全部、何の意味も……」
「大丈夫ですよ、テルミさん。月の御使いの貴女。……貴女がこんなに好きなのです。きっと狩人さんは応えてくれますよ」
ピグマリオンは、テルミが口を開く気分になるまでいつまでも寄り添ってくれた。
寂しい思考が「これがお父様だったらよかったのに」と呟く。ピグマリオンの優しさは、こうして誰も幸せにしない。彼は、もっと自分のために願うべきだと思う。もっと自分のことを考えて、もっと自分のために世界を使うべきだと思う。
そうすれば、そうすれば、そうすれば。
(幸せに、なれるのでしょうか?)
生まれてから今まで自分の気の向くままに生きてきたテルミは考える。自分の存在、そのものが信じていた幸せの反証である気がした。
「……ピグマリオン、ごめんね。貴方はわたしのことを大切に思ってくれているのに……心配をたくさんかけているわ。わたしが貴方を幸せにするハズだったのに」
「貴女の人生が充実するのなら、私など腐葉土になるくらいがちょうど良いのです。お気になさらず」
「わかったわ。貴方にもしものことがあったなら花壇の肥やしにしておくわね」
「やっぱり嘘です。骨の一欠片くらい空の見えるところにお願いします。シモンさんも『空見えないのやっぱ辛ぇわ』って言っていたので……」
テルミは、いつものように笑った。
誰に対しても薄く微笑みかけていた顔の内側では、これまでにない価値が生まれようとしていた。
「ウフフ、冗談です。お父様のヤーナムでは、死んだままになることの方が少ないのですから心配していません。……でもピグマリオン。あのね。ありがとうね。わたしのこと、考えてくれて……」
「貴女のために祈るのが私です。どうか健やかに生きて……生きて下さい。お願いです、月の御使いの貴女」
「貴方の願いを叶えましょう。でもときどきは貴方を忘れて遊んでいるかもしれません。まだ幼いのです。……その時は、また叱ってくれますか?」
ピグマリオンはテルミの小さい手を取り、そっと額に寄せた。
「貴女が望むのならば、私は果たしてご覧に入れましょう」
■ ■ ■
禁域の森の奥、ビルゲンワースの学舎の一室にて。
七面鳥を入れる檻がようやく見つかり、クィレルは一息ついていた。
飲みかけのお茶の存在を思い出し、部屋に戻るとテーブルに一枚の手紙が置いてあった。
クィレルは杖を振って警戒したが、丁寧にたたまれた手紙は爆発することなくテーブルの上に存在した。
恐る恐る手紙を手に取る。差出人は、やはりテルミだった。
クィレル先生、こんばんは。
テルミです。朝に浮かれて失礼なクリスマス・カードを送ってしまいました。
ごめんなさい。今は海より深く反省しています。
夏休みにヤーナムに戻りましたら、お詫びのお茶会をさせていただきたいです。
あなたのご迷惑でなければ、ですが。どうかご検討くださいな。
本日は聖夜。異教の信徒ではありますが、あなたの佳い夜を祈っています。
クィレルは、手紙を持ったまま学徒のいる部屋へ飛び込んだ。なかでは学徒、コッペリアが本を書架に戻しているところだった。
「おっと。慌ててどうしたんだい、クィレル先生。ターキー=チキン君の餌の時間には早いぜ」
「こ、これを見て下さい! テルミさん、何か悪いものでも食べたんじゃ……!?」
本を脇に挟み、彼は手紙を受け取った。
目隠し帽子越しに──クィレルにはどうやって金属を透かして見ているか分からないが──彼は、手紙を確認したようだった。
「これは重傷だなぁ。テルミは頭を下げるくらいなら死を選ぶくらい我が儘なんだけど。ハッ。誰かに脅されているのかな。先生、何かした?」
「し、して、ないです!」
「そう? それじゃあ……テルミの心が、変わったのかな」
「心?」
「先生はご存じだろう。たくさんの可愛い子供に囲まれていた先生なら」
クィレルは「可愛い子供」の心当たりは数えるほどしかなかったが、コッペリアの言葉を待った。
「子供は可能性の塊だ。何かに触れて変わることがあるだろう。誰かと関わって変わることもあるだろう。──テルミにも他の三人に訪れた変化が兆しているのかもしれない」
「ああ、なるほど……。それは良いこと、なのでしょうね。きっと良い変化なのだと思いますよ」
クィレルの言葉にコッペリアは答えなかった。
その代わり。
「でも、やっぱり何か悪いもの食べたんじゃない? 誰かの心臓とか」
コッペリアはニヤッと笑った。
──ご冗談を。
そう言いかけたクィレルは、自分が想像していたよりも小さい声が漏れ出したことに驚く。そのため。
「ハハハ、冗談。冗談さ、先生。そう緊張しないでくれたまえよ。心臓をどうこうなんて儀式の様式はヤーナムには無いよ。残念なことにね。──いいじゃないか、テルミとのお茶会。楽しいお茶会。素敵なお茶会。時間が止まれば僕も行ってみたいよ。『三月ウサギ』はいないけれど九月七面鳥はいる庭だ。まだ食べ終えていなければ。──フフ、楽しんでおくれ、先生。狩人君も禁じることはしないだろう」
クィレルは、小さく肩を叩かれて学徒の部屋から閉め出された。
自室に戻る廊下を歩きながら考える。
四人のうち最も性格の捉えどころのないテルミに何が起きたのだろう。とても気になる。
好奇心は、取り扱いが難しい。特に、このヤーナムでは。
しかし。
クィレルは、不安で彷徨っていた視線を廊下の板目に沿って上げた。
(もしも、良い変化があったのならば……何であれ見たい)
クィレルは久しぶりに自分の心の中で強く浮かんだ思いに戸惑った。
久しぶり。ヤーナムに来て初めてのことだった。
(ああ、なんてことだろう。まだ。今さらになって……!)
そんな感情を抱いた自分に驚く。
クィレルは約二年前から突如始まってしまった何も変わらないヤーナムの日常に満足していた。愛すべき停滞は、確実な平穏を彼に約束した。不足はあれど埋め合わせは出来る。人は争わず、競わず、また、比べることがない。
満足していた。穏やかだった。
それなのに自分はそれを願っていることを知ってしまった。かつてアルバニアの森へ足を向けた時と同じ願いをまだ抱いていることが分かってしまった。
(どうして、私にも何か変化が訪れたらよいのに、なんて考えてしまうのだろう?)
なぜ人間は、ただ生きていることに満足していられないのか。
クィレルは、そろそろ理解に辿り着こうとしていた。
プロフィールが更新されました
名前:テルミ・コーラス=ビルゲンワース
性別:女性
所属:医療教会(聖歌隊所属孤児院)
一人称:わたし
得意武器:仕込み杖、ルドウイークの聖剣、月光
苦手武器:獣狩りの斧、獣肉断ち、回転ノコギリ、寄生虫
趣味:お喋り、料理、採血、お散歩
好きなもの:お父様、家族、病み人
嫌いなもの:退屈、海、動かないもの、星、方角
夢:愛すること/愛されること
まね妖怪:大量の水。深海
みぞの鏡:狩人から愛される自分
ピグマリオンとテルミ
本話のとおり実のところ相性が良くない二人です。
テルミが信頼するのは心が透けて見える人だけ。つまり自分が完全に上位存在として有利に振る舞える人/時だけです。
彼女の存在性は強靱ですが身体的に弱いため、心を開示させる特技は残酷な仕打ちと誹られようと身を守る術でもありました。(それはそうと他人の取り扱いが残酷なのは彼女の性格が悪いところで、クルックスが指摘を逃していた点でもあります)
そんなテルミに対し、自己暗示をキメている時のピグマリオンは役を被り、本性が見えなくなるため相性のよくない人物です。だからこそ心が見えずとも真摯な彼の声は、彼女に届いたようですが。
クィレル先生、気付いてしまう
好奇心の取り扱い要注意地帯にいることはご存じなので、悪くはならないでしょう。周囲の人々も『よかれ』と思っていろいろ手助けしてくれるでしょうから、ヨシッ!