お茶会
広く、茶を飲みながら話を交わすのを愉しむ集まり。
狩人の仔ら、特にテルミは人と話すことを好む。
星の徴を得ようとした瞳の系譜は、人界において、よく見える瞳でしかない。
しかし人の顔から心まで見通すことは、彼女にとって本を開くことより容易い。
秘密を持つ者ならば、注意すべきだろう。
最も彼から遠い──それは、本質的なところ、正しき心からも遠いことを指すのだから。
しかし、懇願により微かに生まれた良心は、この在り方を善いものとはしないだろうか。
クルックスは、日頃より軽い足取りでホグワーツへ帰還した。
ビルゲンワースの学徒は、いつものとおり研究室にこもっていたようだが来訪を告げる鐘ですぐに現れた。
九月に学舎を離れた時に比べ、自分はまた背が高くなったらしい。目に見える成長は貴重だ。血の遺志を力の糧にすることとは、根本が異なることだと感じる。
(血の遺志で成長することが異常なのだと忘れそうになる。人は、成長する。時間と共に、変化する。……あたりまえのことだが、それがあたりまえではないお父様と話した後では、とても貴重なことに思えるな)
こうした確認作業は、何度やってもよいものだ。クルックスはホグワーツで賑やかな学生が去った後の寝室を眺めた。
まだ休暇は存在する。
起きだしてからぼんやりと二年間の思い出に浸かっていたが、階下から大きな声が聞こえた。誰かが叫んだようだ。それは『楽しくて大声が出た』という楽しげな声ではない。
ちらりとシリウス・ブラックのことを考えたが、耳を澄ましても争う物音は聞こえない。
足音を立てないように階段を降りるといつもの三人、ハリーとロン、ハーマイオニーが顔を突き合わせていた。いつになく真剣で、ただならない出来事が彼らの身の上に起きているのだと察した。
階段を数段登り、彼らから見えない場所に立った。
「──吸魂鬼がブラックを捕まえるし、アズカバンに連れ戻すわ。それが当然の報いなのよ。だからいま大切なのは、あなたが軽はずみな行動をしちゃいけないってことよ」
「ファッジが言ったことを君も聞いただろう! あいつはアズカバンでも平気なんだ! 他の人には刑罰になってもあいつには効かないんだ!」
「じゃ、何が言いたいんだい? まさか、ブラックを殺したいとか、そんな?」
突然飛び込んできた剣呑な言葉の群れにクルックスは驚いた。 最悪の言葉が飛んでくることを覚悟した声でロンが訊ねた。
ハリーは何かを話しかけたのかもしれない。遮るように悲鳴を上げたのはハーマイオニーだ。
「バカなこと言わないで! ハリーが誰かを殺したいなんて思うワケないじゃない。そうよね? ハリー」
ハリー・ポッターとシリウス・ブラックに接点があるとはテルミの情報から知っている。夫妻の隠れ家の秘密を持っていたとか、名付け親だとか。しかし、その接点をこれまでハリー自身が知らなかったというのは意外な話だ。クルックスは突然、顎の下が痒くなった。
さて。この事実からわかることは、隠した者がいるということだ。その隠した意図は、何だろうか。
「ああ、そうか。マルフォイは知っているんだ。だから『魔法薬学』のクラスで『僕なら、自分で追い詰める。復讐するんだ』なんて言ったんだ。ブラックはヴォルデモートの手下だった。マルフォイの父親が話したに違いない──」
「『例のあの人』って言えよ。頼むから!」
とうとうロンが怒ったように口を挟む。
「お願いだから冷静になって!」
ハーマイオニーが懇願した。声は、奇妙に上ずりときおりヒッと息を飲む音が聞こえた。もしかしたら泣いているのかもしれない。
それからしばらく三人の言い争う声が聞こえた。
シリウス・ブラックに暗いの感情を募らせるハリーと思い留めさせたいロンとハーマイオニー。
クルックスは階段に座り石造りの壁を眺めた。らせん状のそこでは、視線を彷徨わせていると次第に天井へ上っていくことを自覚した。彼には、ロンとハーマイオニーの論が正しいように聞こえる。しかし、一方で納得を優先したいハリーの気持ちも分かる。
「あなたのご両親は、あなたが怪我することを望んでいらっしゃらないわよ!」
『ハリーの両親は、ハリーを生かすために自らを犠牲にした』とは初めて聞く情報のように思う。どのような理屈なのだろうか。いや、どんな理屈にしろ、もしそうなのだとしたらハリーが危険を冒し、みすみす死ぬことはないだろう。
「──父さんと母さんが何を望んだかなんて、僕は一生知ることはないんだ!」
これも一つの正当な主張に聞こえる。
ハリーの両親が、自らの死の間際に『息子よ、自分を殺したコイツを殺せ!』と願わなかったことを誰が立証できるだろう。ハリーが復讐の道を選ぶならば、亡き彼らは仇を取るために挑むことを喜ぶかもしれない。
今のところ三人に存在を悟られていないクルックスが、意見を求められることはないのだが。
もし、クルックスが助言するとすれば「やめておくことだ」と止めてしまうだろう。
一度しか死ねない人間が、いなくなった人間のために命を使うことはない。まして、いなくなった人間は、ここにいるハリーのために命を使ったのだ。
異常が常である人間にとって、積み重ねた奇跡の有り難さを認識することは難しい。その難しさをクルックスは身に染みて知っている。未だ正しく『喪失』を理解できない自分が、意見を求めらないことを幸いに思った。また『よかれ』と思って背中を押しても引き留めても、今度は『本当にそれでよかったのか』と思い悩むことになるだろう。
とはいえ。
言わないならばそれはそれで、思い悩んでしまうのだが。
(『何もしない』は、それはそれで心が苦しいものだ。何もしなければ何も起きないワケではない。なるようになるだけだ。……お父様も、お悩みなのだろうな)
クルックスは考える。──ハリーより先にシリウス・ブラックを見つけることは出来るだろうか。
もし、見つけたら、その時はどう振る舞うべきだろうか。彼は、その可能性を考えずにはいられなかった。
(『取らぬタヌキの皮算用』とはヤマムラさんが言っていたな。タヌキが何なのか分からないが……。そして、連盟の長風に言えば『獣が死ぬ前に虫を数えるな』というヤツだ。……俺が考えても仕方がないことだ。談話室前でばったりブラックに出くわすでもなければな……)
直接手を下しても、下さなくとも、ハリーの気持ちは晴れないだろう。彼への憎しみは、両親への愛の裏返しだ。愛に囚われる場合、一五〇年以上の憎悪を保ち続けることを覚悟しなければならない。
そこまで考えが至ったところでクルックスは、隠した意図が分かった気がした。
──ハリーが悩まないように。苦しまないように。真実で傷つくことがないように。
もし、そんな思いがあったとしたらハリーにとって幸いだろうと思う。
今も彼は大切に温かい感情によって守られている。その証明になるからだ。
■ ■ ■
テルミは、温室周辺の雪かきを条件に温室の使用許可を得たのだという。
そのため。
「雪かき終わったぞ」
「ありがとう、クルックス。わたしの杖は、そういう仕事に向かないから助かります」
クルックスはテルミから仕事を承り、朝食後からセラフィと作業をし続け、途中でセラフィが厨房へ食料を取りに行くため離脱した後、ようやく作業を終えた。
頭に積もった雪を払い、外套を脱ぎバサバサと振るうと雪の水気を払った。
「君の杖は、シカモア、不死鳥の尾羽、ぴったり二〇センチ」
「あら、覚えていてくれたのね」
「俺はシカモアという木を知らない。そして不死鳥の尾羽の杖を『きょうだい』で持つのは君だけだ。ネフほどではないが、俺もちゃんと覚えている。珍しいからな」
テルミは、クリーム色の明るい杖を手に取る。
木目は表面の光沢のため、いつも微かに輝いているように見えた。
「シカモアの木材は、よく乾き、狂いがなく、重さもやや均等。まっすぐなシカモアの杖は、すこし脆いのが難点。そして『不死鳥の尾羽』を使っているせいか、この杖は気位が高いの。わたしと調子を合わせてくれるよい杖ではあるのだけど、仕事を選り好みする傾向があるの。雪かきなんて任せたら燃えそうね」
「燃える? 杖が?」
「ええ、そう。誰かに似て、退屈が嫌いなのですよ。オリバンダーさんは『新しい経験や刺激ある仕事を好む杖ですよ』と言っていました」
「君は、ハッフルパフ生に選ばれる忍耐力があるが、どうにも気まぐれなところもある。俺は悪癖だと思っているんだが」
「へえ、クルックスはわたしのことそう思っていたの。へー、そー、へー」
外套を椅子の背に掛けたクルックスは、目の前に滑るようにやって来たコップを取る。そのためテルミが不機嫌に半目になったことに気付かなかった。
「ありがとう。喉が乾いていた。ん、うまい。──新しい経験を求めることは良いことだと思う。狩人は何も恐れるべきではないのだが、よくない方向に転ぶことばかり考えてしまって俺は最近臆病風に吹かれている……」
テルミは、丸く大きな目をパチパチと瞬かせた。
それからふわりと柔らかく微笑んだ。
「まあっ。弱気な貴方は珍しい。お父様と同じで慎重なのは良いことですわ。それに慎重な貴方と気まぐれなわたしと、二人で一緒にいればちょうどいいでしょう?」
「……そうかもな……」
乾いた喉を潤しながら、クルックスは考える。作業に集中している時は考えなかったことが頭に次々と浮かんだ。
「またお悩みなのね。今度は何の悩み事かしら。尽きませんね」
「取り返しのつかないものを失ったとき、人はどうするべきなのか。考えさせられることが、このところ多くある」
ふぅん、とテルミは鼻を鳴らした。
結局のところ、クルックスはハリー達に何も告げなかった。望まれなかったからだが、そもそも言うべきことがまとまらなかったのだ。
「貴方が何もかもに関わることはないでしょう。彼も彼女も自分で選んだことを正しいと信じてやるだけです。だって、彼らはそうしたいのですから」
「『そうしたい』? 本当にそうだろうか。状況に選ばされているような時がないか?」
「そう見えたとしても目の前にある結果は、いつも小さな選択の積み重ねです。選択の誤りを知っている人は、自らの選択の責任から逃避するために『運命』と言葉を弄することでしょう」
「運命……。なぜだろう。そう説明されるとうんざりする響きだな」
「ウフフ、真に運命と呼ぶべき存在が魔法界にはあるのかもしれません。それを予め誰かに告げたものを予言と呼びますが、ホグワーツの予言者は……あんまりそれらしくないですね。……さて、それで貴方の悩み事はまたハリー・ポッター? 今頃『復讐するぞー!』とやる気になっているのかしら?」
「まさに今、悩んでいるところだな。今日はハグリッドの小屋に行くようだが」
「踏みとどまるとよいですね。やってしまうとよいですね」
「どっちだ」
「フフ、吸魂鬼にうろうろされて不調になっているのはセラフィだけだと思いまして? わたしのイライラもそろそろ限界ですから、もうこの辺でハリーには生きたり死んだりして片を付けて欲しいというのが本音で──あ」
「どうした。『あ』って」
テルミは歯がムズムズするような顔をして手を額に当てた。
「ああ、もう、わたしったら……。こういう、心あることや心ないことを言わないようにしようと約束したのですよ、ピグマリオンに。……気を抜くとすぐに話してしまうの」
「それは俺と君が気の置けない関係だからこそだろう。君が本心から『ハリーが片付けられる』ことを望んでいるとは思わない。性質の悪い冗談の類いと聞き分けている」
「聞く者に配慮を求める話者ほど厄介なものはありません。それは聞く者の心をいたずらに惑わしているのですから」
「どういう意味か」
「聞く者は自分に都合の良い言葉の理解をするでしょう、ということ。占い学の先生のようにね」
クルックスは、その言葉を聞いて父たる狩人に行った『お茶の葉占い』でとても曖昧なことを言ってしまったことを思い出した。
「……しかし、その後『でも騒ぐほどでもないかぁ』と気にしていらっしゃらない風だったから……ふむ、まぁいいか……」
「何の話かしら?」
「お父様への説明を誤ったかもしれない、という話だ」
「あら。後で釈明に伺うべきですね。……ええ、それで話を戻すけれど、ハリーはやるだけやるべきでしょう。復讐が出来たらスッキリするわ」
「本当か? 本当にスッキリするか?」
「すると思うわ。やるだけやれば後悔が少ないでしょうから」
「そうだろうか……? 復讐なんて暗い業だ。スッキリなんてあり得ない。スッキリするのは連盟の虫潰し以外ないのに」
クルックスは水を飲み干した。
薪ストーブの上に置かれた鍋の様子を見て、テルミはまたクスクスと笑った。
「彼がどう選択するのか。貴方は、見守る必要があるのかもしれません。自分の選んだことで破滅するでしょう。栄えることでしょう。それも彼の人生です」
「心配を煽らないでくれ。何も起きないかもしれない。いやでもな」
テルミはテーブルにカップとソーサーを配しながら、急にテキパキした口調で告げた。
「他人の人生にまで責任を負って、やり直しの作り直しなんてお父様のような考えは早すぎます。よって、クルックスが気にすることはありません。この話はお終いです」
「それは……そうかもしれないが……」
「かもではなく、そうなのです」
「そう、うん」
クルックスは、テルミの切り替えの速さについて行けないときがある。ひとまず頷いた。
「貴方のお節介な優しさは、今日のお茶会では忘れてほしいものですね」
「お、お節介?」
「あら? 『でしゃばり』とか『差し出がましい』とか言った方がよかったかしら?」
「でしゃっ……さしっ……」
余計なことをしたり、考えていたりする自覚はあるため、クルックスはテルミと見つめ合っていられなくなった。
「わ、忘れることにする。君の助言を俺は真摯に受け止めて……受け止めて……うぅ……うぅ……」
お節介。でしゃばり。差し出がましい。
テルミにこういうことを言われるのは、胸の奥がシクシクと痛んだ。
「はい、結構です。では、何か役立つことをしましょう。お茶の淹れ方を教えてあげますね」
「お、おお。俺はユリエ様に教えてもらって、すこし知っている」
「お茶の種類によって淹れ方がちょっと違うのよ。すこしだけ美味しく飲めるわ。知っておいてもよいでしょう」
「ああ、最近は占いも覚えたからな」
テルミは、茶漉しを用意していたがそれを聞いて茶漉しをわきに避けた。
■ ■ ■
「やぁ、待たせてしまったかな」
セラフィとネフライトが厨房からサンドウィッチやスコーンをどっさり持ってやって来た時、温室には柔らかな茶の葉の匂いが広がっていた。
「私を顎に使う機会を逃さないな、君は」
ネフライトが嫌そうな顔をしてテーブルにスコーンの入った籠を置いた。
「単純な役割分担です。ウフフ、わたしの差配を聞いて、いちいち『テルミは私のことが嫌いだ』や『私への嫌がらせだ』と意識しているの? いっぱいわたしのことを考えていて可愛いですね?」
「吐きそうだ。発想が病的。吐瀉物」
「ネフ、君はテルミのことが気に食わないのにわざわざ食ってかかる癖がある」
セラフィが、髪に付いてしまった雪を払い除けながら言った。
「やられたままが嫌なだけだ」
「僕には君から喧嘩を売っているように見えるが、まあ、いつものじゃれ合いなのだろうね。口を挟むのも野暮だったかな。二人とも可愛いね」
「吐きそう。発想が血族並。食べる前に戻しそうだ」
ネフライトは、ローブの雪を払うと席に座った。
テルミは細長い箱を取り出した。赤いリボンが付いている。
「貴方のために、ちょっとしたプレゼントを用意していたの」
「私に施しをして君に利などないぞ」
「どうして親愛に見返りを求めるでしょう。実用的なものですから是非使って下さいね」
彼は仕方なしに箱を受け取った。受け取らなければ話が進みそうにないと見たようだ。
「…………」
クルックスとセラフィはネフライトの後ろで箱の中身を見た。
「細長い金属棒だな」
クルックスは「見覚えはない」と告げた。
「医療器具かな」
「拷問器具かも。カインハーストで、こういう棒を見たことがあるよ。使い方はまだ教えてもらっていない」
ニコニコ笑って聞いていたテルミが、一向に回答に辿り着かない三人の言葉を聞いて「違います」と手を振った
「ストローですっ! 檻の中でも飲めるようにストローを買ってみました。貴方に使って欲しくて」
「食事中はメンシスの檻を外すので要らぬ節介だが、まあ、もらっておいてやろう。君の消費を浪費と呼ばないために」
「嬉しいことです」
ネフライトは、プレゼントの箱ごと衣嚢に納めた。
「えっ。使わないのか?」
「クルックス、そろそろ君は私より豊かな想像力を持っていると気付いてもよい頃だ。──熱い飲み物をストローで飲んだらどうなると思う?」
「熱い飲み物を……? ……? あ、火傷するのか……」
「自分で気付いてくれて嬉しいものだな。君達も座りたまえ」
クルックスをさりげなく自分の隣の席に促し、ネフライトは自分のソーサーを引き寄せた。
「……君の優しいところ、もっと素直に表現すればよいのに。可愛いね」
セラフィは、ネフライトの肩を小さく叩いた。彼は鼻を鳴らして何も応えなかった。
──可愛い。
その言葉の意味をクルックスは、知らない。辞書的な意味は知っている。しかし、覚える感覚のうちどれが可愛いの感情の発露なのか、彼はまだ分からなかった。生活に伴って発生する感情は雑多だ。本来の生き物ならば、成長に伴って快と不快という単純なものから憐憫や哀惜という複雑な感情を経験により学んでいくのだと思う。そういった段階を踏まずに生まれた仔のうち、特に自分は感情の分別に鈍いようだった。
お茶とお菓子の設置を終えて席に座ったテルミを眺めていると、クルックスは隣に座るネフライトに声を掛けられた。
「クルックス、歯を見せてくれ」
「何?」
「さっきから顎に力が入っている。どこか痛いのかと思っているのだが、違うのか?」
「どこも痛くない」
「自覚がないだけかもしれない。見せてくれ」
彼は杖を抜き「ルーモス 光よ」と呟いた。心当たりはなかったが、いざ指摘されると顎が疲れているような気がした。
次に彼が取り出したのは丸い鏡が付いている細長い棒だった。
「小さな鏡だな」
「これは、歯鏡と言うのだよ」
衣嚢から取り出した小さな箱には、歯科の道具が入っているようだった。
口を開けてジッとしている間、クルックスはテーブルに広げられた道具を観察した。ピンセット、探針、抜歯鉗子、脱脂綿まで備えている。
「ふむ。異常はないようだ。歯も歯茎も異常なし。……君はストレスを感じていると歯を噛みしめる癖があるのかもしれないな」
「ん……。気を付ける。この道具の世話にはなりたくない」
クルックスはネフライトの歯科道具を見て言った。彼は、清潔な白い布で歯鏡を包むと箱の中に入れて衣嚢へ納めた。
「何か困っていることがあるのか? 悩み事などは?」
ネフライトの言葉に、これまた隣のテルミの視線がチクリと刺さる。けれどハリーの事を考えてはいなかった。直前まで考えていたのは『可愛い』のことだ。
「『可愛い』とは、テルミやセラフィはしばしば口にするが……俺は、初めてその言葉を聞いたときから理解に努めてきたのだが……それはつまり『噛みつきたい』?」
「私には君の言葉が理解できない」
「クルックス、やっぱり悩み事のほかに嫌なことがあったわね? 違うと思うわ。何もないのなら獣性高すぎる発言は控えましょうね? わたし達やここでは構わないけれど、でも社会的に……。ねぇ、セラフィ?」
即座に否定したネフライトとテルミ。これはクルックスの想像の範囲内だ。セラフィもネフライトとテルミに同調することまでクルックスの予想をしていたが、彼女は宙に何かを探す目の動きをしてすぐに答えなかった。
「セラフィ?」
「え、僕……ぁ、んっ……どうなのだろう……そう、かも、しれない……いえ、僕が『可愛い』に相応しいハズは無いのだけど、でもこの体に恥じるところはひとつもないから……」
「何だ何だ、何が始まってしまったと言うんだ。君の言葉も理解できないぞ!」
ネフライトはセラフィとクルックスを交互に見た。
「どうしちゃったの? セラフィ」
「な──でもない。ぼ、僕と先達の問題だから、今は関係ないんだ。でも『可愛い』で噛みつきたいこともある、かも、しれないと思う」
セラフィがごく自然な動きで右手で首に触れた。休日は高襟シャツとベストを来ているセラフィの首筋は、ほんのわずかしか見えない。この発言でネフライトとテルミはセラフィの身に起きた何かを察したが、埋まっている地雷をわざわざ爆発金槌で殴り付ける趣味はなかったので暗黙のうちに『今は関係ない』ものとした。
三人に起きる変化を感知できなかったクルックスは、笑顔で手を叩いた。
「『噛みつきたい』は、あるだろう? そうだろう、そうだろう、『可愛い』の感情に近い行動だと思っている」
「ええと、クルックスはわたしを見て噛みつきたいと思うの?」
「心外だ。俺が、君を傷つけることはしない」
この発言にテルミはなぜか唇を尖らせた。
「ではお聞きしますが、どんな時に?」
「たとえば……猫が──グリフィンドールにはクルックシャンクスという猫がいるのだが──顔を両手でくしゃくしゃ掻いているときだな」
今年の一年生から入学後の数ヶ月間、寮監であるマクゴナガル先生だと勘違いされていた猫ことクルックシャンクスはクルックスにとってヤーナムの外で初めて見る『普通』の生き物だった。もっともクルックシャンクスは彼のことが嫌いだった。彼が入ってくると素早く女子寮に駆け込んでしまう。
けれど。
「欠伸をして陽の当たるところでクゥクゥ寝ているのは、きっと『可愛い』なのだと思った」
「──ネフ、診断は?」
「一般論として猫のそれは『可愛い』仕草と言えるのではないか? 私はたまたま読んだことのある小説内でそういう描写を見かけたことがあるため、そう判断するだけなのだが……。あ、いいえ? そういえば、内科の診断は君の領分ではないか。怠慢だ。私に聞くなよ」
「他は……猫が、ソファーからソファーに飛び移ろうとして失敗して、床に伸びたときだな」
「……うーん……」
テルミは、曖昧に小首を傾げた。
「猫を見て『噛みつきたい』と感じたときに唾液の量が増えていなければ、君は『可愛い』を感じている、としてもいいのではないか。専門家ではない意見だが」
「そんなぁっ、わたしはお父様が生み出した最高に可愛い仔なのに!」
テーブルの下でテルミが袖を引いた。
「おや、反論しないのだね?」
面白がるようにセラフィがネフライトに訊ねた。
「『最高に可愛い』と自分で言うのはおおよそ品位が試される行為なのだが、お父様のことに言及されると私でも詭弁を作るのに苦労する。君や彼女の容姿が整っているのは、私にも分かるからな。完全な左右対称の顔の造形とは存外少ない。……お父様関連のあれこれに私は出来るだけ関わりたくない」
セラフィとネフライトがボソボソ言い合う話は、二人に聞こえていなかった。
「テルミに感じるのは親愛や友愛の感情であって、噛みつきたくなる可愛さではないようだ。俺はそれでよいと思っている」
「でも『可愛い』ってときどきでいいから……言ってほしいですね」
「俺は君に心ないことを言えない。いいや、誰にも言うべきではないのだろう。……けれど、いつか分かったら君にも伝えたい」
「なら、貴方の不理解を許します。……絶対ですよ? いつかちゃんと『可愛い』って言ってね?」
「分かった」
テルミは、そっと袖を離した。
クルックスは、話題を切り替えるように一度手を叩いた。
「さて。俺の情動の理解が多少進んだところで本日の主題は、お茶会である。年の暮れでもある。余興だが、ささやかな占いをするにはよいかもしれないと茶の葉で紅茶を作っている。復習にもなるだろう。……とにかく穏やかで楽しい時間を過ごしたい。昨年ほどではないが、シリウス・ブラックのことで落ち着かない出来事が多いからな」
クルックスの一声で、お茶会が始まった。それはサンドウィッチなどの軽食を含む昼食を兼ねたものである。夜にはクリスマス・パーティーが控えているが、構わず量が多かった。クルックスとセラフィが多く食べるからだ。
ティースタンドに満載されたサンドウィッチやスコーン、クッキーに各々が手を伸ばした。
「美味いな。チキン。かなり美味しい」
「うん。いいね。僕も好きな味だ。ハーブと塩があれば、たいていのものは食べることが出来そうだ。──お茶のお代わりがほしいな」
「占いするのにお茶を継ぎ足して良いのかしら?」
「ハァ、ダメだろうな」
スコーンにバターを塗りながらネフライトが低い声で言った。──良いワケないだろう。
「でも足しちゃいましょう。占いは、余興ですから」
「ありがとう。ところで『占い』というものは、興味深い。茶の葉の占いを僕もしてみたが、滓は人によって鳥にも犬にも見えるだろう。そんなものが占いの学問として成立することは、とても不思議だ。人々は、本当にそれを信じているのだろうか? 授業を受けているとどうにも皆本気で信じているのだろうかと疑わしいことがある」
「占いは、偶然の連続性を受けとめるための手段だ。そのため個と世界への付き合い方と言うべきか。理解の仕方と言うべきか。有史以前より人間は、己の知の先を知りたがった。農夫に明日の天気が分かれば、今日の仕事をより良くこなせるだろう?」
ネフライトは、スコーンを食べ終えると紅茶を飲んだ。
セラフィが再び空いたカップをテルミに渡した。紅茶の継ぎ足し催促ではない。占いを求めているのだ。
新しいスコーンに手を伸ばしながらネフライトは続けた。
「占いを知ったとき、人はいかに言葉と自分のおかれた現実の状況を結びつけるだろうか? 思う強さ。自分に関連することだと思い込む強さが、占いひいては予言の実効性を保証する。そのため不吉な占い結果が出たが『それは私のことではない』と思い忘れた場合、その占いはただの言葉で終わる。囚われてしまえば、それはいつか本当の予言になってしまうのかもしれない。実証不能。試算が必要な実験であるから、これはただの私の推察だが」
「興味深いものだね。予言、ヤーナムにもあるのだろうか? 『赤子の赤子、ずっと先の赤子まで』という上位者の言葉がある。これも一種の予言なのだろうか?」
「それは、正しく呪いだろう」
口を挟んだのはクルックスだ。ネフライトはスコーンに齧り付くと話を譲り、静かに指を組んで聞いている。
「うまく言えないが、呪いも予言も結局は同じことなのかもしれない。呪いとは、ひとつになろうとする力のことだ。言葉によって定めた結果に引き寄せようとする予言も同じ。言葉によって予言を現実という『ひとつ』にしようしている。俺はそう考える」
「では、お父様は『呪い』をどうにかしてしまいたいのだから『予言』に抗っているという見方も出来るかもしれませんね」
「言葉遊びが好きなお父様だ。事態を悪くしているのならば、呪いでも予言でも構わないのかもしれないな。それで、何が見える?」
「茶色いふやけたのがいっぱい。冗談です。うーん。これは……マストですね」
クルックスは、誰の目にも不自然ではないようにサンドウィッチを一口囓り、紅茶のカップを持った。なみなみ注がれた水面を微かに傾ける。水面に映るセラフィは、顔色こそ変えなかったが「ほう」と相槌をうつのに一拍の奇妙な空白があった。
「マストという物を思い出すのに時間がかかってしまったよ。突飛なものだ。マストとは? フネの帆柱のことかな?」
「それと歪んだ十字架。むむ? 海かフネに関連することで貴女には、試練と苦難があるでしょう、という占いになるのかしら……?」
「君の紅茶、さっき継ぎ足しただろう。私ならまともな占いとして取り扱わないね」
ネフライトが小馬鹿にしたように笑う。恐らく、こういう態度が占いに対しては必要なのだ。クルックスは自分に言い聞かせるように何度か頷き、温い紅茶を飲み干した。話題を変える必要があった。
「……。僕もそうしようかな。フネやマストのことは、よく分からない。……ああ、夏休みに行った海岸はとても楽しいものだったが、帆船は見かけなかった。いつか動いている帆船を見てみたいものだね。でも帆船とは、今となってはずいぶん時代遅れとなっていると聞いたが」
「お茶の葉ならば俺のも見てくれ」
「クルックスのは……むぅ……月ですね」
「む? それだけ?」
「それだけです」
「占いの結果は?」
「『俺が見守っているので大丈夫!』ということでしょう。お父様への交信、わたしは全然うまくいかないのに」
「お父様の頑張り次第で俺はカインハーストに出荷されることになる。見守って下さるのはとてもありがたいが、出荷は避けてほしいので、どちらかといえば血族のお仕事を優先してほしいのだが……」
「カインハーストは良いところだよ。クルックス。君は僕の先達を誤解している。カインハーストは良いところだよ」
「そ、そうだな。俺もそう思う。思いたい。うん。でもまだ俺には早いんじゃないかと思う。そうだ。君からカインの先達に口添えしてもらえないか?」
「君を騎士にするようにだね。任されたとも」
「いえ、俺はカインハーストに行きたくないので気が進まないとかそういう話をして欲しいんだが……」
「……? 世界で最も素晴らしいカインハーストに招待されるのにどうして気が進まないと言うのか?」
ネフライトは、茶を噎せた。セラフィはほんのすこしネフライトに注目したが、クルックスの咳払いに再び注意を彼に向けた。
「連盟員だからな。連盟の活動があるので無理だ。俺がお父様のように両者の活動を頑張れる器用だと思っているのか? 無理だ」
「君はもっと技量を高めた方がいい。君の内臓攻撃は力任せで雑だ」
「忘れず貯血を崩したら高めておく。君の助言を俺は真摯に受け止めて……受け止めて……ぐぅ……なんだろうな、この屈辱感……」
ともあれ、話はマストから逸れた。占いの内容は気になるが、話題の転換としては十分だろう。
チョコクッキーを囓り、テルミが「ねぇ」と新しい話題を切り出した。
「クルックス、お父様に会ったのでしょう? 例の『髪飾り』はどうしたのかしら」
「あ、ああ、興味深いと言って弄くり回していた。壊していない。壊していないぞ」
クルックスは、自分も勘違いしてしまったことだったので二回言った。
その結果。
「壊したの?」
「壊したのか」
「壊したんだな。お父様に学び得るものがあれば、私はそれでよいのだが」
やっぱり他の三人も狩人に預けた結果『もう壊した』という感想に至ったらしい。
「こ、壊していないと言っているだろう。まだ。解明するまでは……。人形ちゃんはあれを『生きている遺志の塊』と言っていた。新鮮な呪いなのだろうな。いつからこの学校にあったのだろう? 『灰色のレディ』、彼女は知らなかったようだ」
クルックスの疑問にテルミはもちろんネフライトも答えを持ち合わせなかった。
「ヴォルデモートの正体、トム・リドルのことを考えれば約五十年前から現在までの間と考えられる。トム・リドルが在籍中に置いた説を支持したいところだが……もしも、そうではないと考えると昨年度のバジリスク騒動を引き起こした日記のように外部の協力者ないし髪飾りの呪いを知らない者により持ち込まれた、と考えるのが妥当だろう。もっとも卒業後にホグワーツに訪れた経緯が無ければ、の話だ」
「とにかく今年度の夏休みは、お父様の自由研究の結果が聞けるのね。とっても楽しみですね」
「あ、あまり期待しない方がいいだろう。虚な生きている肉体の確保が必要だとおっしゃっていたし……。お父様へのプレッシャーになるかもしれない」
「内容は二の次です。お父様がわたしに向かって挨拶以上の長い言葉を喋るだけで満足ですから」
それは期待しなさすぎるとも思ったが、微妙な差異を説明できる気分にならなかったので発言を控えた。
しばらく他愛のない日々の話題が続いた。授業を最も多く取っているネフライトの宿題は毎日多忙であるとか、セラフィは互助拝領機構で話せる人が増えているとか、テルミの交友関係は相変わらず優秀だが一年生とよく間違われるとか。
「わたしはだいたいの人と仲良くしていますが、ルーピン先生はとても言葉がお上手ね。いつもするりと逃げられてしまいますわ」
「ほう。どうして話を?」
「ルーピン先生には、ヤーナムに来ていただきたくて」
テルミが、他愛のない話題にさらりと流し込んだ言葉にクルックスを含む他の二人が緊張しているのが分かった。セラフィは片方の頬を膨らませままスコーンを眺めているし、ネフライトは「ハァ?」と煽り出した。
「ええ? ウフフ、皆さん、ご存じでしょう? だって授業で習いましたものね?」
「……君が思わせぶりなことを話しているワケではないことの証明に、全て話してくれ」
「ひと言で済みますわ。──だって。ルーピン先生は、人狼でしょう?」
テルミが、蒼い瞳を細めて三人を見回した。
誰も「そんなハズはない」と反論しなかった。
「あらあら、皆さん、おわかりのことをわざわざ説明させたのですね? いいえ、いいえ、困りません。共通理解は必要ですから。今年は、ホグワーツでの収穫が多くて嬉しいものです」
「人狼だが、先生だ。よって、かの先生はヤーナムとは関わり合いにならない」
「そう頑なにならないで、クルックス。強硬手段ばかりが最初で最後の手段のように語ってほしくありません。丁寧に、それはそれはもう丁寧に。お手紙から対面の交渉まで手を尽しています。──だって、とっても気になるでしょう? 人狼は、魔法界においてありふれた存在ではありません。こんなところで出会えるとは思っていませんでした。夏休みに旅行に行く予定がなくなってしまいますね」
「俺は、反対だ。スネイプ先生が代理で教鞭を取った時に説明していたが、人狼は薬である程度の自我を保ったまま存在できるのだろう。ならばヤーナムの獣の病と同等に取り扱うべきではない」
「テルミに同意することは信条に悖るのだが医療教会関係者の立場としては賛成だ。完全に同じ病状ではない、類似の症例から見えることもあるだろう。──私は夏休み直後、彼の私宅で誘拐を計画していたが君の交渉で済めば私の旅行予定もなくなる。せいぜい励みたまえ」
「おい」
クルックスは、テルミとネフライトに反論しかけた。しかし、その前にスコーンをようやく流し込んだセラフィが話し始めた。
「僕はどちらでもよい。獣の病についてはどうでもよいからね。ただ、ルーピン先生の授業は面白いのでそれを取り上げられるのは不愉快だ。よって邪魔をする君達を湖に沈めなければならない。そのあたりはどう考えているのかな?」
琥珀色の瞳が鋭い光を宿した。
心の準備がなければクルックスであっても思わず怯むものだったが、テルミは物怖じしなかった。
「はい。湖のイカとまで交友関係を深める必要は特に感じていませんから、ルーピン先生には今年一年は勤めていただくのがよいと考えています。学期末のテストが終わった頃にもう一度、最後の交渉をしてみようと考えています。受け入れていただけたのならば、それで丸く収まります。受け入れられなかった時は、わたしとネフで身柄収奪旅行に行く必要があるでしょうね」
「意見は賛否、二対二で割れている。君達が強行した場合、どうなるか分かっているのだろうな?」
クルックスは、どうしてもテルミに「では、やめます」という言葉を言わせたかった。
魔法界の人物を暗澹のヤーナムに招くのは、望ましい出来事ではない。彼らが生きて帰ればヤーナムの好ましくない情報が溢れるかもしれない。死んで帰らなければ、それはそれで悪評に繋がるかもしれない。父たる狩人の揺籃にして故郷のことを悪く言われる事態を避けたい気持ちは『きょうだい』共通のものだとクルックスは今まで思い込んでいた。しかし、どうやら他の三人にはさして大きな問題ではなかったらしい。
「セラフィは中庸を選びました。貴方こそ、一対二で勝てる見込みがあるのかしら?」
「意見が分かれるということは俺達が争うということだ。狩人としての能力をもって傷つけ合うということだ。それを分かっているのか?」
「ええ、あらゆる手段をもって抗する貴方を排除するでしょう。だって仕方ないわ。『お父様のため』だもの。お父様よりルーピン先生を優先するなんてしないでしょう?」
「当然だ。だが時と場合がある。類似の症例の価値ならばルーピン先生でなくともいいだろう。もっと、他の、別の人狼の……」
「──見ず知らずの人狼ならばよいの?」
さらりと聞き返された言葉を受けて、クルックスの喉の奥で空気が詰まった。
「むっ、いや、違う、俺は、そうではなく、ただヤーナムは他より淀んでいるようだから誰であれ招くのは良くないことだと思っている。いいえ、お父様やユリエ様が汚れているワケがないが……しかし、虫の数はヤーナムが圧倒的に……」
「ウフフ。ごめんなさいね、クルックス。貴方がたじたじしているのは見ていて、とても気分がよくていけませんね。──ヤーナムのためになるのに何を躊躇うことがあるでしょう?」
クルックスは、必死で頭を動かしたが『きょうだい』のなかで最も弁が立つテルミとネフライトの二人を納得させられる言葉は出てこなかった。連盟の活動は、連盟員以外には理解を得られないものであることをクルックスは痛感した。
「……。学期末テスト後の交渉には、俺も同行する」
「ええ、構いません。一緒に行きましょうね? ネフはどうしますか?」
「君に任せる。そして、君──セラフィ、『どちらでもよい』は困る。どちらかに意思表示してくれ。君を敵に回したくない。回すのであれば対策を練りたい」
「難しいことを言う。どうでもよいことに価値を付けるのは、とても難しい。なんせカインハーストは獣の病に困っていないから」
「あ、そう。聞いたのが間違っていた」
ネフライトは息切れのような言葉を投げつけた。短いが辛辣な言葉だった。
「まったくお茶会だというのに話題はいつも獣臭くてたまらない。口直しだ」
ネフライトは、テーブルの下に屈み込むとテーブルに瓶を並べた。
「これは?」
「バタービール。とても美味しい。私は毎日飲みたい。メンシス学派の完全栄養食料の味を改善しようと決心した」
「わたしも好き。ふわふわ甘くて美味しいわ。──ねぇ、どうしてわたしが好きだと言うと貴方は嫌な顔をするのかしら?」
「心外だ。そんな顔はしていない。私は君が嫌いだが」
「まあ。そろそろわたしの気を惹きたくて意地悪しているのだと感じられるようになってきました」
ネフライトが栓抜きを取り出して四本を開けた。
嬉しそうに受け取ったのはセラフィだ。
「僕は、ホグズミードでほとんど飲めなかったのでこれが初めてだよ。バタービール。うん。……。……。美味しいね。でも、すこし血酒入れようか。これでさらに良くなる気がするよ。ああ、物足りなさが改善され──」
「しない! タバスコでも入れていろ!」
「君達といると、ついヤーナム基準のお話をしてしまう。血酒はカインハーストの食卓において必須だから……皆もそうなのかと……」
セラフィは、しょんぼり肩を落とした。しかし、それも数秒、彼女は背筋を正した。
「タバスコ。知っている。それは辛い調味料のことだ。そうそう、辛いものと言えばホグズミードで唐辛子が売っていてね。大陸からの舶来品のようだが、食べると温まるらしい。すこし買ってみたので夏休みにビルゲンワースで調理をしてみようと思う。クィレル先生には先に送ったよ」
「わたしもクリスマスなのでクィレル先生に七面鳥を送りました」
「ああ、それはいいことだな」
──俺は菓子を少々。それからポリジュース薬に必要な品々で手に入るものをひとまず。
そう言いかけたクルックスは、続いたテルミの言葉に困った。
「立派に育てて食べて欲しいですね。わたしは近代の『食育』という考え方に感銘を受けたわ……」
「えっ。生きている七面鳥を送ったのか? 今度帰ったら二メートル近くになっていても知らないぞ」
「餌も一緒に送りましたので大丈夫でしょう。水は井戸の水を使えばよいのです」
「クィレル先生、一気に多忙になったな。……まぁ、シメるのは俺がやってもいい」
「獣臭い話はやめだと言っただろう……!」
ネフライトが手を叩き、仕切り直した。
ヤーナムの裏路地で交わされる策謀の雰囲気が霧散すると四人で囲むお茶会は、再び楽しいものになった。
■ ■ ■
クリスマス・ディナーは、昨年までの例に漏れず輝かんばかりの氷の彫像が立ち並び、本物のモミの木に装飾がかけてあった。
四寮のテーブルは中央の一つのテーブル以外が壁に立てかけられ、居残った二〇名に満たない生徒とダンブルドア校長をはじめ各寮の寮監と諸先生が並び管理人のフィルチも小綺麗に身を整えて座っていた。
最後にやって来たのは五年生のスリザリン生でテーブルが一つであることに気付くとなぜだかムスッとした顔をした。
「メリークリスマス! さぁ、どんどん食べましょうぞ!」
ダンブルドアがクラッカーを鳴らし、にっこり笑いかけながら宴の開始を告げた。
「ぐぅ……うまい……うまい……」
クルックスは、七面鳥──もちろん、調理済みである──に飛びつくように食べ始めた。
奥歯で骨を噛み砕いたところで、ロンがこちらを見てちょっと笑った。
「ハッ。去年も『やめろ』と言われていたのだった。は、反省……」
クルックスは、折れた骨をテーブルの皿に置いた。隣に座るネフライトがロースト・ポテトを食べつつ頷いた。
「いつ注意しようかと思っていた。思い出してくれて嬉しい」
「しかし、抗い難い。それに、ああ、もったいない……」
クルックスは、さっさと口に入れることで解決した。口の中のあちこちに刺さるが、痛みより鳥を一羽丸ごと食べた充実感が勝った。
「食べるなと言っているだろうが。悪食だぞ、それは。肉を食べなさい、肉を」
「し、しかし、鳥は植物と違って土に埋めても生えてこないのだ。だから全部食べてやるのがいいだろう」
「君は無茶苦茶なことを言っていることを自覚してくれ。骨は食べ物ではない」
「ぐぅ……」
クルックスは、骨を調理して食べる方法を探そうと思った。
ネフライトがクルックスへチポラータ・ソーセージを取り分けた皿を渡しながら、耳元で囁いた。
「ルーピン先生がいない。満月だからな」
「……ああ」
無論、クルックスも気付いていた。
チポラータ・ソーセージは、ベーコンに巻かれた薄皮の短いソーセージで噛んだ途端、口のなかで弾ける肉汁が魅力的だった。そのため、それが豚肉であることをクルックスは食後に思い出した。
充実の夜。
クルックスがグリフィンドール談話室の暖炉の前で体を伸ばして寛いでいるとマクゴナガル先生の声が飛び込んできた。
「──これが、そうなのですね?」
そう言って先生はハリーとロンの前に立った。彼らはハリーのクリスマス・プレゼントに箒が送られてきたとかでかなり盛り上がっていたのだが、マクゴナガル先生の一声が響くとそれから何も聞こえなくなった。
何事か気になったクルックスがソファーから身を起こす頃、彼からすこし離れたところでハーマイオニーが座っていた。彼女は本を開くと陰に顔を隠した。
結果として、マクゴナガル先生はハリーへ贈られた箒を持って寮を去った。
ロンが爆発的な勢いでハーマイオニーに食ってかかった。ハーマイオニーも同じように真っ赤になり、本を捨てて立ち上がった。高ぶった感情だけではない。瞳には理知の光があった。そのため彼女は敢然と告げた。
「私に考えがあったからよ。──マクゴナガル先生も私と同じご意見だったわ。──その箒は、シリウス・ブラックからハリーに送られたものだわ!」
彼女の言葉をクルックスは驚きをもって受けとめた。
この時までクルックスは、知らなかったのだ。
彼らが持っていた箒が宛先不明の何者かから送られたものだとは。そして、彼らが無警戒にそれを受け取って喜んでいたとは。
だが、頭上で交わされる話を聞いていると「怪しむな」とは無理な話ばかりだった。
「ファイアボルトは高級品だろう? それが送られてきて『おかしい』とか『怖い』とか思わなかったのか? 非魔法族で言うと、分かりやすい例では、八頭立六頭曳の船底型の四人乗り馬車とか六頭立四頭曳の船底型割幌の四人乗りとか──」
ハーマイオニーはクルックスを無視した。
「ハリー、落ち着いて考えてちょうだい。クリスマス・プレゼントで誰か知らない人から、スポーツカーとか高級腕時計がポンと送られてきたらあなた、どう思う? たぶんクルックスはそういうことを言いたかったのだと思うけど、ねぇ、おかしいでしょ? それと同じことなのよ!?」
「あの箒はどこも変じゃなかった! ダイアゴン横丁で見ただろう? 店にあったのと同じだ。ずっと通い詰めたんだ。分かるんだ僕には!」
「じゃあ、もっと簡単なことを分かってよ! 今年誰があなたを狙っているのか分かってよ!」
ハーマイオニーの最後の言葉は、涙になっていた。ロンがフンと鼻を鳴らした。それを合図にしたようにハーマイオニーは、ワッと泣き出すと談話室の穴を出ていった。
クルックスはどう行動すべきか分からず、暖炉のそばに立ったまま灰になっていく薪を見ていた。
ハーマイオニーはそれから新年が明けて学期が始まるまで、ほとんど談話室に寄りつかなかった。