犬
イヌ科の家畜。
家畜となった歴史は最古であり、最も賢く、人に忠実である。
犬とは、まったくそれでよいのだ。
年が明け、学期が始まった。
クリスマス休暇の間、クルックスは何度か図書館へ通う足でハーマイオニーの席を訪れた。
「なに? あの人たちに頼まれたの?」
クルックス『あの人たち』という言葉が誰を指すのか分からず、五秒考え込んだ。ハーマイオニーがハリーとロンを他人行儀に──実際、彼らは血縁のない他人ではあるのだが──「あの人」という呼び方をするとは思わなかったのだ。
「違うが。図書館は、談話室に比べるとやや寒いだろう」
「ええ、人が少なくていいわ」
「体を冷やすのは善くないと思って……思って……だな」
「課題があるの。マグル学のレポート羊皮紙二巻! ネジの仕組みのレポート……!」
ピリピリした雰囲気のハーマイオニーは、クルックスが何を言っても怒りそうだったので彼はすごすごとセラフィのもとへ帰った。
クリスマス休暇の課題を片付けた後は、セラフィと『互助拝領機構』のための呪文を練習する時間としていた。『必要の部屋』を使うこともあれば、フリットウィック先生へお願いして『呪文学』の教室を貸してもらうこともあった。今日は『呪文学』の教室だった。
「高級箒、ね。僕にはハーマイオニーの主張が正しいように聞こえるが……。けれどハリーの気持ちもすこし分かるよ。フフ、自分の所有物だと思った物が取り上げられるのは、とても不愉快だろうね。分かるよ。だからこそ、その手の行為を楽しみにする人もいるのだ。いえ、僕の先達には二分の一の確率で関係のない話であるのだけど」
『呪文学』の教室の床に這いつくばったセラフィがのんびりと言った。
「すまない。『くらげ足の呪い』の呪文の反対呪文を調べていなかった。ああ、もう。すこし考え事をすると途端にしくじるのだ、俺は……」
「構わないよ。どれくらいで呪いが解けるのか計測してみよう」
脚に力が入らず、くにゃくにゃになったセラフィの体を椅子に引き上げ、クルックスは壁に掛けられた時計の時刻を羊皮紙に書き付けた。
「失神呪文の『失神呪文』は三〇分ほどで効果が切れたが、こちらはどうかな」
「本当にすまない。俺がやるべきだった」
「君は『スラグラス エルクト』、ナメクジげっぷの呪いの実験台になってくれただろう」
「うぅ、その話はやめてくれ。連盟の使命に悖る……! 君と一緒でなければ、そしてネフの主宰する『互助拝領機構』のためでなければやらなかったことだ……!」
思い出すと気分が悪くなり、クルックスは身震いした。それをセラフィはおかしそうに見て、微笑んだ。
■ ■ ■
次学期が始まった。
クリスマス休暇ではハーマイオニーのことを気にかけて何度か話に行ったクルックスだったが、今日の出来事を鑑みるとクリスマス休暇で何を伝えても無駄だったな、と思い直していた。
グリフィンドールでも大いに話題となったハリーの箒、ファイアボルトがマクゴナガル先生により回収された数週間後の今日。ファイアボルトは複数の先生から「異常なし」の太鼓判を押され、ハリーの手へ返却された。それにより彼らの仲が修復されたと見えたのもつかの間だった。 今度はロンのネズミのペット、スキャバーズが血痕を残して姿を消すという事態が起こり、彼ら三人の友人関係には一月の寒波にも優る寒々さを迎えることになった。
(……『口出ししなくてよかった』と思うことがあるとは……人間関係は本当に難しい)
クルックスにとって、ハリーやロン、ハーマイオニーは話す頻度こそ高くないが同じ寮生としてごく普通に会話できる仲である。彼らが仲違いしている状態は見ていて悲しいような、もどかしいような気分になる。これはクルックスだけではない。彼らのぎくしゃくしている様子を見る他のグリフィンドール生も不思議なことにぎくしゃくし始めるのだ。グリフィンドール全体で見れば、彼らの人間関係はごく小さい。しかし、小さな人間関係が密接した構造体がグリフィンドールを形作っているのだと彼によく感じさせる出来事だった。
だからといって改善のために何をするべきか分からないので何も出来る状態にないのだが。
クルックスが慣れない難しいことを考えているうちに夜は更けた。
再びホグワーツを揺るがす大事件が起きたのは、それから約一ヶ月後のグリフィンドール対レイブンクローのクィディッチ戦において大勝した日だった。
真夜中に近い頃。
クルックスは、目が覚めた。
狩人のお下がりである、くたびれたシャツをパジャマとする彼は、浅い眠りのなか、何となく痒い気持ちになって袖で鼻の上を掻いた。ついで頬骨のあたりをゴシゴシと擦る。それからしばらく動かしていなかった口をむにむにと動かした。
ところで。
ヤーナムの狩人は夜の時間感覚として『夜になってから今は何時間』という考え方をしない。日が暮れ、地平線の先へ沈んだ瞬間から『次の夜明けまであと何時間』を常に考える。
よって、いまやホグワーツに在住する彼もその伝統的感覚に則り、およそ夜明けまで三時間の見当をつけた。
暗闇に阻まれて時計の針は見えないが、おおよそ間違ってはいないハズだ。
だが万が一、あまりに深く寝入ってしまって寝過ごして生活の調子を崩してしまわないように、そして目が覚めてしまったついでに時計を確認しようと枕から頭を上げ、時計を探した。
彼はすぐに異常に気付いた。
生徒が使うベッドにはそれぞれカーテンが掛けてある。理由は防音や遮光、視線を避けるためだった。今、そのカーテンは揺れていた。しかもそれだけではない。
視界がぼんやりとオレンジ色に明るい。──寝室の外、階段に取り付けられた炎の光が入ってきているのだ。
風が、流れている。
クルックスは瞬きを忘れて目を見開き、息を殺して再び枕に頭を置いた。ベッドの外に意識を向けながら、杖とヤーナムの狩人服の場所を確認した。杖は枕の下、仕掛け武器を収納している狩人服は洋箪笥のなかにある。
ゆっくりうつぶせになり、身構えた。
流れてくる風のなか、匂いを嗅いだ。──濡れた獣の匂いがする。
足音は、ひとり分。誰か歩いている。床の軋み具合の音から判断するに体重は大人だ。探るような足音だ。順々にベッドを巡っているようだ。
──もし、この部屋に特異なものがあるとすればハリー・ポッターだ。
そう考えるのは、あまりに突飛な発想だろうか。
円形状に設置された生徒のベッドのうちハリーのベッドは、ちょうどクルックスのベッドがある部屋の正反対にある。
カーテンが揺れる気配。足音は、そこで一度止まった。
たった今、飛び出すかどうかクルックスは迷った。衣擦れの音は聞こえない。
再び足音は歩き出した。
同時にクルックスも動き出し、ベッドの上で洋箪笥に近付いた。
足音は、ロンのベッドのそばで立ち止まった。この時クルックスは、二秒あれば銃が抜ける状態まで来ていた。
あとはどうやってベッドから下りて洋箪笥に手を伸ばすかだ。
呼気さえ聞き取れるほど集中していたクルックスは、次の瞬間、慎重さをかなぐり捨てて洋箪笥の扉を開いた。
ハリーのベッドの隣、ロンの眠るベッドのカーテンが裂かれる音が聞こえたからだ。
クルックスが突然動き出したことは何の問題にもならなくなっていた。
異変は眠りの国にも訪れたらしい。
ロンが目覚めるなり、声の限り叫んだ。
「ああああああああああああァァァっ! やめてえええええええええぇえぇ!」
彼の絶叫にハリーやネビル、シェーマス、ディーンの全員が起き出し、自分のベッドのカーテンを闇雲に引いた。
クルックスは洋箪笥から狩人服を引っ張り出し、銃を抜いた。
「何事だ?」
半分眠ったようなシェーマスの声が聞こえる。彼は手当たり次第にカーテンを揺らしていた。
クルックスは、塔の下や上の階でバタンバタンと寝室の扉が開く音と複数人の生徒の足音を聞いた。
ロンがベッドから出ようとジタバタと手足を動かしている。
「動くなっ! こちらは銃を構えている!」
足音に相応しい一人の男が立っていた。右手にナイフを持っている。
クルックスの言葉は、ただの脅しだ。射線上にはロンがいるし、屋内で撃てば跳弾がどう跳ぶか検討もつかない。
男はクルックスには一目もよこさず、ロンのベッドを離れ塔の窓を蹴破った。装飾ガラスが高い音を立てて割れ、男は窓の外へ飛び出していった。
クルックスは銃を咥えると素早く狩人服に腕を通し、靴を履いた。
寮の塔は、高い。そして、クルックス達の寝室がある階は、非魔法族の建物で言うところの三階か四階相当。地上から約十メートルにあたる。命にかかわる落下距離ギリギリだ。だが、ここから飛び降りたとして打ち所が悪くなければ生存する確率が高いだろう。
しかしクルックスなら火の手が迫っている等の緊急事態でない限りは飛び降りない高さだ。
まして今は夜。外は、暗い。受け身を取るタイミングを誤れば、そのまま動けなくなる可能性が高く、運が悪ければ──クルックスは自分の幸運というものをまったく信じていなかった──死んでしまうだろう。夢に還ってしまい、現実のホグワーツで死体が消えるのは好ましい事態ではない。
「ブラックだ! ブラック! シリウス・ブラックだ! ナイフを持ってた!」
ロンが恐怖で引き攣った顔をしてハリーやシェーマスに必死に訴えている。
──もし、あれが件のシリウス・ブラックならば幸運だ。ここで捕縛できれば、今年度の憂いは断たれたと思って良いだろう。
クルックスは衣嚢にロープがないことに気付き、自分のベッドのカーテンをナイフで切り裂いた。いくつかの束に割いてそれぞれを固く結びつけた。
せめて落下を始める距離は地面から五メートル以内の高さに収めたい。
「──夢でも見たんじゃないのか?」
「──本当だ! ブラックがいたんだ! ほら、カーテンを切られた!」
「──ねぇ、なんのはなし?」
ネビルがようやくカーテンの端を見つけて顔を出し、ディーンはランプに光を点した。
まだ彼らは窓が割られたことに気付いていない。
窓に一番近いロンのベッドの支柱に切ったカーテンの端を括り付け、クルックスは端を持った。
「俺はこれからシリウス・ブラックを追跡する。成果がなければ明け方には戻る。時間がない。誰か、光を空にうってくれ。頼んだぞ」
クルックスは、銃把でさらに窓を割り命綱代わりのカーテンを持つと外に飛び出し、塔の壁に膝をついた。塔のなかではベッドがギシギシと音を立てて揺れているが、構わずクルックスは肩や尻、背中を地面に打ち付けながら着地した。
衣嚢に手を突っ込み、貫通銃を取り出した。銃を構え、弾を込める。
その時だ。
雲に隠れていた月が、気まぐれに顔をのぞかせた。
暗闇に塗りつぶされていた校庭が、にわかに物の輪郭を浮かび上がらせる。
開けた視界の先、人が走っていた。──シリウス・ブラックだ。
「照明!」
クルックスは吠えた。
間もなくグリフィンドール塔に残る誰かの声が聞こえた。「ルーモス・マキシマ!」の呪文と共に、空に光の弾が放たれる。
視界は真昼のように明るさを取り戻した。
クルックスはうつ伏せになり、両腕を立てて銃を構えた。
スコープなどという便利なものは存在しない。クルックスの銃の腕前とは、二〇メートル以内で静止するならば獣の目玉をも射抜ける程度の平均的な狩人だった。今は目測、三〇メートル。目標は直進している。だが射線上には存在するため、体のどこかには当たるだろう。ヤーナムにおける銃火器のうち最も飛距離があるとされる貫通銃は、五〇メートル程度先の標的にも当たるとされている。
クルックスは、慎重に角度を調整した。
(頭……狙えるが……どうやって入り込んだのか尋問する必要がある。腹も……狙える。的が大きいが、治療できなければ苦しませた挙げ句、失血死させる危険が高い。脚……大腿部に当たらなければ致命傷にはならないだろう)
呪文で発生した光の弾が、かすかに光を陰らせた。呪文が切れてしまう。
息を止め、三秒。クルックスは、引き金を引いた。
夜の静寂に銃声が響き、目標が姿勢を崩し倒れた。
「命中確認。標的を確認する」
クルックスは、立ち上がり銃を肩に担いだ。
歩数を数えながら標的を追う。
呪文で作られた光が途切れ、月も雲に隠れた。再び静かで暗い夜が訪れる。光に慣れていた目が、しばし暗闇に戸惑う。衣嚢から携帯ランタンを取り出し、短く刈られた芝の上を歩く──しかし、近付くにつれてクルックスの頭からは数字が抜け落ちていった。
目標が倒れたと思しき地点からクルックスは射撃後に一度も目を離さなかった。そして、歩数でおおよその距離を換算するとすでに五〇メートルを越えている。それにも関わらず右を見ても左を見ても、目標だったブラックは地面に倒れていないのだ。
「は……?」
ブラックは一度も立ち上がっていない。這いずって逃げた可能性はある。しかし、彼が匍匐前進で十メートル進むまでにクルックスは五〇メートルを歩けるのだ。見落とす可能性もなければ、見つけられない可能性もなかった。
視界の端で携帯ランタンのオレンジ色の光を反射して何かが光った。
「──!」
思わず銃を向ける。
芝生の上で黒い目をクリクリさせているのは、犬だった。
──殺すか。
腰のベルトに差した短銃を向けるが、間もなく下ろした。猫をペットとして持ち込むことが可能なのだ。犬も同じなのだろう。
「ただの犬だ。見逃してやる。──獣め。あっちへ行け。獣というだけで俺が殺すには十分な理由となるが、ここではそうもいかない。獣でも他人の財産であるようだからな……」
犬は、もぞもぞと動き始めた。行き先には森がある。
クルックスは、すぐに辺りを歩き始めた。もう一度、三〇メートルから探し直すつもりだった。
もしも。
クルックスがヤーナム外で一般的な犬の大きさについて知っていれば見逃した犬を不審に思ったかもしれない。だが彼はヤーナムに存在する犬しか知らなかった。彼にとって全ての犬は、まず大きく、目が赤く、常に狂っており、たまに火を吐く存在だった。
そのため、たかが小山のような犬が存在したところで驚くべきことではなく、もちろん、脅威ともなり得なかった。
「いない……? いないなんてことがあり得るのか? 消えた? いや、俺の弾は命中した……。校内『姿くらまし』は出来ないと聞く。シリウス・ブラックの『とっておき』がこれなのか……? しかし、ここに存在する。存在する。消える。存在する」
クルックスは発砲後、姿勢を崩すブラックを見ている。
風が吹き、再び校庭を月が照らした。
見上げた先で、首を傾げた。
──どうにも辻褄が合わない。
存在するモノが跡形もなく消えることについて、クルックスは既知の情報しか持ち得なかった。
そのため。
「まさか──っ!」
かつて思索を求めた彼らと等しく、気付きは唐突に訪れた。
すなわち、魔法界にあるホグワーツの城にこそまさに上位者がいるのではないか?
■ ■ ■
「何の騒ぎです!」
ホグワーツ城、グリフィンドール塔の内部は上から下の大騒ぎだった。
ようやく騒動が落ち着いたのは寮生のほとんどが起き出して騒いでいることに気付いた、寮監であるマクゴナガル先生が来てからのことだった。
そこで騒動の発端が『シリウス・ブラックが侵入した』との一報を受けたマクゴナガル先生は、怖い顔を引っ込めた。
談話室がシーンと静まりかえるなか、ロンは必死で言葉を繰り返した。
「僕たちの寝室に! シリウス・ブラックがいたんだ! 僕は見たんだ! 僕のベッドの上にいて、ナイフを持って! ハントが今、追っています──」
マクゴナガル先生は、生徒に退くように指示をして寮の塔の外の窓を見た。ハリーも背伸びをして、窓の外を見た。オレンジ色の小さな光が行ったり来たりしている。
発砲後、ハリーも誰かが倒れ込むのを見た。そして、今まで立ち上がるのを見ていない。だが、クルックスが「ここにいるぞ!」と叫ぶことはなかったので彼は今も見つけていないのだと思われた。
マクゴナガル先生は、サッと振り返りロンを真っ直ぐに見た。
「いいですか。ウィーズリー、落ち着いて話を聞きなさい。肖像画の穴をどうやって通過できたと言うんです? 合言葉を知らない者を『カドガン卿』は通さないでしょう?」
「あの人に聞いてください! あの人が見たかどうか!」
ハリーもロンほどではなかったが気が動転してしまっていて、マクゴナガル先生の当然の指摘を思いつかなかった。他の生徒のほとんどもそうだったらしい。「あ!」と気付きの声を上げたり、コクコクと頷く姿が多数見受けられた。
マクゴナガル先生は、まだロンを疑わしげに見ていたが肖像画を裏から押して外に出て行った。談話室にいた全員が息を殺して耳を澄ました。
──カドガン卿、いましがたグリフィンドール塔に男を一人通しましたか?
──もちろん通しましたぞ、ご婦人!
談話室の中は全員がハッと息を飲み込み、顔を合わせた。
──と、通した? あ、合言葉は?
ハリーは、マクゴナガル先生の目が驚愕に見開かれていることが苦もなく想像できた。
──持っておりましたぞ! ご婦人、一週間分全部持っておりました。小さな紙切れを読み上げておりました!
カドガン卿の誇らしげな声と鎧をガシャガサと揺らす音が、痛いほどの沈黙のなかで高らかに響いた。
マクゴナガル先生は再び談話室に戻ってきた。そして、驚き、声も身動ぎもできない生徒達の前に立った。それから血の気が引いた顔で訊ねた。
「誰ですか? 今週の合言葉を書き出して、その辺に放っておいた底抜けの愚か者は、誰です?」
ハリーの頭には、二人の候補が浮かんでいた。
カドガン卿の合言葉について覚えられなくて困っていた二人の友人だ。だが、一方は決して手放さない手記に書いていたのをハリーは目撃している。
ということは。
咳払いひとつない静けさのなか、『彼』の周りの人が、じりじりと離れていった。
息を呑み、ようやく震える手を挙げたのは──ああ、やはり。 ハリーは、分かっていた気がした。ミスを冒したのは、ネビル・ロングボトムだった。
■ ■ ■
携帯ランタンと杖を光源に校庭を隅から隅まで探していたクルックスは、深夜に叩き起こされた教師陣と交代するように校舎に戻った。
樫の門を開いたマクゴナガル先生が、クルックスの名前を呼んだ。
「ウィーズリーと部屋の者から、シリウス・ブラックを追ったと聞きました。しかし……」
目だけで暗い校庭を探していたクルックスは、初めてマクゴナガル先生を見た。タータン・チェックの部屋着に頭にはヘア・ネットという姿だった。他の女性教師陣も似たような格好でスプラウト先生は、花柄のパジャマを着て校庭を小走りで駆けていった。温室を見回るのだろう。唯一、平時と同じ格好で現れたのはスネイプ先生だけだった。彼は起きていたのかもしれない。他の先生よりも動きが機敏で活力的に見えた。
「ミスター・ハント、報告を」
「見失いました。俺が発砲して被弾したように見えたのですが、体がどこにもありません」
背中に貫通銃を背負い、クルックスはホグワーツに存在するかも知れない上位者の存在をどう切り出そうかと惑う。こういう時こそテルミがいてくれたのなら、さらりと話して情報を引き出せるのに彼女は──そんなことを考えていたが、よくよく考えればこの機に乗じて『面白いこと』を引き起こす可能性が高いように思えた。ここにいなくて幸いだったかもしれない。
「ルーピン、ブラックが消えたことに何か心当たりはないかな? あー、『闇の魔術に対する防衛術』の教授として、だが」
ルーピン先生は、クルックスと同じように使い古しのシャツを寝間着に着るタイプの人間らしい。よれよれのシャツで腕組みをして、校庭の闇を見つめていた。
「周知のことだが『姿くらまし』は出来ない。……。だから『見失った』以外のことが言えそうにないがね。ハントの視力にもよるだろうが」
「閃光が消えた直後からの数秒、暗闇に目が慣れていないので見失いました。それでも怪我は負わせたと確信しています」
「だが、いないのだな?」
「そうです。とても不思議なことです。ヤーナムにいらっしゃった先生ならば、何か心当たりはないでしょうか?」
「…………」
偶然、雲間からのぞいた月明かりを受け、逆光となったスネイプの顔を暗く塗り潰した。彼は両手を広げて「無い」と言いたいようだった。
「……。では、そのように。あ、そうだ。血の臭いが辿れるかもしれません。もし、追跡の手段があれば試してみることを提案します。クルックス・ハント、報告は以上です。これより学徒に戻ります」
「寮生が一カ所に集まっています。監督生の指示に従いなさい。スネイプ先生、ルーピン先生、では分担のとおりに。私は森番を起こして──」
三人は走り出し、散会した。
クルックスは、貫通銃を衣嚢に格納すると狩人服に両手を突っ込んで空を見上げた。
雲は再び月を隠してしまった。
「『淀み』のカレル文字は、まだ蠢かない。連盟の長、俺はまだどうしようもなく未熟なのです。貴方なら見えるのかもしれませんが……」
情けなさに床を向いて歩いていると不意に考えた。
──お父様は、外にも上位者がいると知ったら狩りに出掛けられるのだろうか。
いつか聞いてみたい質問は、ヤーナムから父が不在になる心細さにも繋がり、これもまたクルックスを惑わせた。
翌日。
シリウス・ブラック来襲の噂は、全校に広まった。