ネズミ
ネズミ科に属する哺乳類の総称。体長5~35センチメートル。
尾は魔法薬の原料になり、肉は食用に向く。
古くから多産の象徴であり、ゆえに短命だ。
ホグワーツ城の警備はいっそう厳しくなった。
(二度も侵入を許したのだ。当然だ。そろそろ責任者は責任を問われそうなものだが……。今世紀最大の魔法使いが相手では世論であっても強硬出来ない、ということかな)
こういう時。
ネフライトは、逆転時計の存在を考えた。逆転時計を持って『必要の部屋』に行き、未来の自分にも過去の自分にも合わないように十時間ほど時間を遡り、ぐっすり眠れたらどんなに気分がいいだろう? しかし、現実はそんな物が手元にないため、ただの使い道のない空想だった。せいぜいネフライトに出来るのは、セラフィが夏休み中に「十日間、二四〇時間活動します」のスローガンで実施していた現実と夢を往復することで肉体を最善の状態に保つことだった。──彼女のように自分の頭を撃ち抜きこそしないものの、そうしたくなる気分は辛いほどに分かった。
現実と夢を移動すると肉体的疲労がなくなるが、精神的疲労は消えない。そのため集中力の欠如はこうして現れた。
学校の課題や父たる狩人への調査レポートの作成など、ただでさえやることがたくさんあるというのにクルックスが「ホグワーツ城に上位者がいるかもしれない」なんてネタを持ち込んでくれたので最優先の課題として取り組むことになった。
──俺が撃ったのに消えた。たしかに命中したのに。
朝食の席でクルックスに事情を説明されたネフライトは、彼が嘘を吐いているとは思わなかった。
しかし。
──虫が、虫が、醜い虫がいるに違いないのに……。
──虫がいる獣は、どこにもいなかった。
ネフライトは、頭が痛んだ。
連盟員の──ネフライトはハッキリと断定するが──『頭がおかしい』部分が出てしまったクルックスの証言は、やや信憑性に欠けると考える。
ネフライトはそんな彼に尋ねた。
──他に何か見たものは?
──俺の脅威となるものは何もない。だが絶対に虫がいたハズで──
──その話はしてくれるな。
──いやでも虫がいて……。
──わかったわかった、はいはい。
ネフライトはクルックスの話を強制的に終わらせた。
ネフライトは彼の信じる虫の存在を信じていない。父たる狩人も存在すると信じているが──そして否定するつもりはないが──その正体は虫の姿を借りた別の存在だろうと考えている。『存在しないものを在る』と言い張るのは一端の狂人の言動だと説明する役割は、不名誉なだけではなく、病み人に正しい病識を与える事と同じくらいに愚かしいことだ。ネフライトは彼らの信仰について一切の責任を負いたくなかった。
そろそろ課題以外の作業の一部をテルミに投げたい気分になっているが、彼女はルーピンへの渉外に集中してもらわなければ困る。そして何より上位者が本当にいるとすれば、最初から最後まで自分が関わっていないとネフライト自身が納得できない。そのため、投げたい気分はいつまでも投げたい気分のまま進展は望めない状態だ。
『数占い』の教室で、誰もが分厚い参考書を読み耽っている頃。
ネフライトは、授業の予習に取り組む気分にならない──記憶力に絶対の自信のある彼は授業が始まってから頭の中の教科書を開けば良いと思っている──ため、厚さ五ミリの雑誌をテーブルに置いて、鞄から手紙を出していた。雑誌の極彩色の表紙には、ネコとふくろうが両手を広げ太陽を崇めるポーズをしている。太陽と同じ位置にある金色の文字は流暢に『ザ・クィブラー』と書かれていた。
「今日発売なんだよ。パパから二部送られてきたんだ。あんたにもあげる」
そう言われてルーナ押しつけられること毎月。
ネフライトは、ついに突っ返し、財布を取り出した。
「私は施しは受けない。欲しければ自分で買うからな。もっとも払う価値があればの話だ。しかし、君と私の仲だ。君の思考を理解する上で必要という意味だが……それで? いくらかな?」
「お金より記事が欲しいかな」
「記事を? ほお? 私の記事を?」
「あんたの話、もっといろんな人に聞かせたいな。『ヤ』の字の地名とか『メ』の字の学派とか」
これがクリスマス休暇前の話。
これまで受け取った『ザ・クィブラー』の数だけ記事を書くことを約束したネフライトは、その後、「反響があるんだよ。次回もよろしく」とルーナに請われ、いつの間にか連載記事の一枠をズルズル書き続けることになっていた。
そして現在。
ルーナから朝届いたという『ザ・クィブラー』の読者からの感想を受け取っていた。
『イギリス魔法社会における未発見集落の可能性』
ネフライトにとっては、かなり挑戦的な小論文となった掲載号の感想だ。
茶封筒をバリバリ開くと一枚の羊皮紙が出てきた。
──あなたの危惧していることは、起こりえないことです。全ての魔法使いの村落はイギリス魔法省に登録されており、未成年魔法使いの存在は常に認知されています。これがもうイギリス魔法界において数世紀続く常識です。ところで、前回の『変身術における変身過程時の解剖方法論』は、載せる雑誌を間違えていませんか?
──非常識な記事です。いったいどうして魔法使いの街が未発見でいられるでしょう。ましてマグルが一緒に住んでいるのであればなおのことです。ところで、前々回の『ふくろうの郵便能力について帰巣本能を改良する交配方法の提案(優生学に則る机上計算)』は載せる雑誌を間違えていませんか?
──未発見集落が存在する確率は、今年チャンドリー・キャノンズが優勝するくらいにありえない。(私はバンコリー・バンガーズの熱狂的ファンです!)ところで前々々回の『皮膚の厚さ三センチ以内且つモース硬度五以下のドラゴンを効率的に圧殺する方法(理論値を用いた机上計算)』は載せる雑誌を間違っていませんか?
残りの三通も同じようなものだった。開く価値はなかったようだ。
ネフライトは手紙をたたみ、代わりに今月の『ザ・クィブラー』を開いた。
その時、『数占い』の教室に嵐のようにやって来た者がいた。ハーマイオニーだ。いつになくギラギラした目をしている。怒っているようだった。
『ザ・クィブラー』の奥付を見ていたネフライトは、ふと顔を上げた。隣で大きな音を立てて教科書の山を置いたハーマイオニーは、怒りながら笑いかけてきた。
「マルフォイの横面を張ってやったわ! あと三〇分後! あの悪党、いい気味よ! これから『呪文学』をサボって! さ、さっき『占い学』をやめてきたわ!」
「あ、そ、え? ハァ……?」
彼女は極度の疲労状態にあるとネフライトは思った。誰か宥めてくれないかと周囲を見渡すが生徒の誰も目を合わせず、彼らは示し合わせたように数表を見つめ続けていた。
「それ!」
ハーマイオニーが突如、叫び出し極彩色の表紙を指差した。
あまりのヒステリーさに生徒の何人かは驚き、わざわざ背伸びをして彼女の席を見た。もちろん、山積みになった教科書と参考書があるだけだ。ネフライトが彼らに視線を向けると彼らは元通り数表に目を落とす作業に戻った。
「『ザ・クィブラー』ってクズよ! みんな知ってるわ! 私の前でそんな本読むなんて! あなた、まだ本を読み足りないっていうの!?」
「お、落ち着きたまえよ。君は、いま冷静ではないぞ。医務室に行きたまえ」
「『呪文学』をサボったのよ!? 一度も休んだことなかったのに! しかも『元気の出る呪文』の練習だったのよ!? 絶対テストに出るところだわ! もう休めるワケないじゃないっ!」
今にも泣きそうに叫んだ彼女は、長椅子に座ると猛烈な勢いで参考書を整列し直し羊皮紙を広げ、インク壺を置き、羽根ペンを構えた。
「ダメだ、休みたまえ。君はとても無理をしている」
「無理なんてしてないわ!」
世界には、触れると爆発する卵があると聞く。
ネフライトは使い道のない空想をやめ、出来るだけ刺激しないように『ザ・クィブラー』を閉じた。
■ ■ ■
やがてイースター休暇がやって来た。
学期末の試験はまだ先だったが先生達はどっさり宿題を出した。クルックスは、このところ日課となっている図書館通いのため廊下を歩いた。相変わらずシリウス・ブラックの手がかりはない。深夜の夜警をしているセラフィにも情報はないようだった。
──おかしなことだね。こうも足跡が見つからないのは……。シリウス・ブラックには『足がない』のかもしれないな。
──足がない、とはどういう意味だ。
──『文字通り』と『手がかりを残すような未熟な足がない』という意味だよ。
──未熟な足……? 足……か……。
──僕らの思考は、僕らの想像以上にあまりにも非魔法族的なのかもしれない。相手は魔法使いだ。もっと魔法の使用を前提として発想を飛躍させる必要があるだろう。
──けれど杖があるのならナイフ……包丁……を持ってグリフィンドールに押し入りすることはないハズだ。それに彼はハリーのベッドを素通りした。ロンを襲う必要は……。
──爆発四散させるより血が見たくなることもあるだろう。僕には、ある。
彼女と交わした会話を思い出しながら、いくつかの課題を抱えて図書館へ向かった。朝食後、すぐにやって来たがそこにはすでにハーマイオニーがいた。
宿題の合間に『互助拝領機構』で発表する課題に取り組むのは、ちょうどいい息抜きだった。セラフィと約束している明日の予定まで、彼は図書館で宿題をして過ごすつもりだった。この息抜きである『互助拝領機構』もイースター休暇明けには発表会があって今年度の活動には一旦の終わりが来る。『互助拝領機構』が学期の中途半端な時期である、イースター休暇明けに終わってしまうのは、学年末は皆が宿題や試験に向けてとても忙しくなるからだ。
「あ、パーシー。互助拝領機構で発表する資料はいかがですか?」
今朝の『日刊予言者新聞』を読んでいた彼は、何だか待ちかねていたように答えた。
「もちろん完璧だ。日頃のレポート課題に比べれば、ちょっとした書き物程度だったよ。一年生から七年生まで所属する互助拝領機構においては、分かりやすい例を選んだつもりだ。他国との交易に関連するものでね。イギリスのマグルの場合、輸出相手国はアメリカが一番だが、魔法使いの交易の場合はドイツが一番でね。これにかかる関税の話なんだが──」
「じゅ、順調そうで何よりです」
クルックスは、長くなりそうな話の気配を覚えて割り込んだ。
「だが、資料があっても発表の時間がたった三分しかないのは遺憾だね。話の冒頭で終わってしまいそうだよ」
「要点を絞って説明する力を養う、という目的もあるそうです」
「君はどうだい。スリザリンの彼女と一緒にやっているんだろう? セラフィ・ナイトだったか」
「ええ。『防衛術の効果を実証する』です。ナメクジを吐いたり、足がくにゃくにゃになったり、まぁいろいろとやっていますよ」
「体を張っているな。……生徒同士の決闘なんて、先生達にはいい顔をされないんじゃないか? こっそりやってくれよ」
「フリットウィック先生は分かってくれているので大丈夫だと思います。主に『呪文学』の教室を借りています」
「おっと。そうだったかい。それなら安心だ。頑張りたまえよ。あ、ペネロピーがいる……!」
パーシーは新聞を慌てて畳むと明るい顔で去って行った。
彼はNEWT──通称「イモリ」と呼ばれるホグワーツの七年次生徒が受ける試験を控えている身と聞くが、宿題にいちいちあくせくとしていないようだった。
「俺も頑張らねばな……」
書架を歩いているとロンに出会った。
「珍し……くもないな。最近は。何か探しものか?」
「ああ、バックビークの控訴の準備さ」
分厚い本の上で彼は羊皮紙と内容をにらめっこしているようだった。
「控訴。それは再審査を上位の裁判所などに願い出ることだな。うまくいくように願っている」
「『ヒッポグリフの心理』……この本もダメだな。ああ、うん。ありがとう」
クルックスは、四苦八苦して苦い顔をするロンに訊ねた。
「俺は、法に反すると分かっていて提案するのだが……どうしてもバックビークを逃がすことは出来ないのか?」
「ハグリッドに言ったよ。でもダメだ。ハグリッドはバックビークがマルフォイを怪我させた責任はないけど、もし、逃がしたら、今度は『バックビークを逃がした責任』を負わないといけなくなる。そしたらハグリッドにとっては最悪さ。アズカバンに逆戻りだ」
「……刑死なら、死んだとしても肉も骨も遺る。その点、獣に食い荒らされるよりマシな死に方だと俺は思う」
「おいおい、マルフォイが『まとも』だと思っているワケじゃないよな? バックビークが死ぬほど悪いことをしたとは思わないよ。ハグリッドはあらかじめ危ないことを説明していたしね」
「それもそうだった。しかし、こうなると法律が誤っているのか? そんなことがあり得るのか……」
「法律が間違っているかどうかは分からないけど、自分のバカが原因なのに裁判起こすマルフォイが恥知らずってだけだよ。それから委員会の魔法使いを金で買収したり脅したりするなんて親まで恥知らずだ」
「恥知らず。なるほど。自分の『愚かさ』というものは、一般的に隠しておきたいものだが……彼らにとってはそうでもないのかな……それともハグリッドを貶めることに熱を上げているのか……」
「貶められるのはバックビークだけどね」
「ああ、ハグリッドは『被告人の弁護人』だったな。……では、俺が逃がす、という手もあるか……」
「ダメだと思う。絶対ダメ、ダメだよ」
「バレないことには自信がある。そういうことならば俺はとても自信に満ちている」
「いや、君の自信がどうこうじゃなくて……。ハグリッドがますます管理の責任を問われちゃうだろ」
「そ、そうか。これもダメか……。では俺に出来ることはなさそうだ」
「気持ちだけ受け取っておくよ。ハグリッドにも伝えておく。……でも、バックビークを逃がすなんて本当にやめてくれよ。アズカバンには君とハグリッドがらくらく入る独房だってありそうだけど」
ロンは、アズカバンの話になると沈鬱な顔になった。たとえ未成年魔法使いが投獄されることはないとしても、口に出すだけで暗く沈むのだった。
それを見てクルックスは(軽率な真似はすまい)と心に決めた。
「アズカバンは嫌なところなのだな。話にはいろいろと聞いている。吸魂鬼が跋扈している、とか。そういえばハリーはルーピン先生と吸魂鬼に対する防衛術を始めたと聞いた。彼らは何をしているか、知っているか? ハリー本人に聞くのは……やや気が引ける」
「うん。順調みたいだよ。五年生で受けるOWL、『普通魔法レベル』なんて目じゃない難しさなんだって。『守護霊の呪文』だ」
「『守護霊の呪文』、パトローナス・チャーム? 初めて聞いたな……。あっ?」
ネフライトが言っていた吸魂鬼に対抗するための呪文をクルックスはまだ見つけられていなかった。ロンの言う『守護霊の呪文』がまさに対抗の呪文なのだろう。
名前が分かれば調べることも出来る。クルックスは礼を述べて呪文集の書架へ行き、厚い本を手に取った。
吸魂鬼が深い闇の生物ならば対抗することは難しい。ならば抗う術も高度な呪文が必要だ。これまで見つからなかったのは、高度な呪文集まで調べていなかったからだ。そのことに気付かなかった自分をクルックスは意外に思った。
一度気付いてしまえば簡単に思えることでも、最初に気付くことは難しい。
ネフライトが答えを明示してしまわなかったのは、この体験をさせたかったからだろう。
「ロン、これだろう、このエクスペクト・パトローナムという呪文だ」
クルックスは、すぐにロンのいる書架に戻って本を開いた。
「ああ、うん、ハリーもそんなことを言っていたよ。吸魂鬼の代わりにまね妖怪で練習しているんだって。興味あるの?」
「吸魂鬼に抗うのは手段が限られる。知っておきたいだろう」
しかし、ロンは吸魂鬼について考えるのも嫌だ、という風な顔をした。その顔を見てクルックスは思い出したことがある。つい最近の人間関係において彼はその顔をしなくなったのだ。その理由は。
「そういえば、貴公はまたハーマイオニーと話すようになったな。仲直りしたようだ」
「ああ、うん、まあ」
ロンは鼻の上を掻いた。
「スキャバーズのこと……謝ってくれたからね。それにスキャバーズも年寄りだった。仕方ないことだったって話を付けたよ。パパやママが、今度はふくろうを買ってくれるかもしれない」
「そうか。ネズミによい思い出はないが……長いことペットだったんだろう。愛着もあるだろうが、心に整理を付けられたのは幸いだったな」
「十二年にもなるかな。ずっと僕が小さい時から一緒で……。でも、ペットより友達を大事にしないといけないって思ったんだ」
「そうか。きっと善いことだと信じたいな」
クルックスは、頷いて再び彼と別れ、図書館の司書兼管理人のイルマ・ピンスのもとへ持って行き、本を借りる手続きをした。
彼は常識に欠けていることもあるが、生まれた時からすでに存在している知識もある。その頭がロンの述べた「十二年」を気にしていた。
「……ピンス先生、質問があるのですが。ネズミとは十二年も生きるものですか?」
「動物図鑑は、九の棚です。けれど、一般論で言うならば……」
ピンス女史は、椅子に座ったままクルックスを見上げた。その時、三角帽子から長い黒髪が頬に落ちた。それを耳に掛け直し、遠くを見て何かを思い出すような目つきになった。
「野生のネズミの寿命はせいぜい一、二年。飼育下ならば三年ですね」
「お詳しいのですね」
クルックスの知る知識と違わない答えが返ってきた。
しかし、何より彼を驚かせたのはピンス女史が答えてくれたことだった。彼女は物思いに耽るように話を続けた。
「このところ……二十年ほど……でしょうかね。時代遅れと言われ、ペットとしての人気がないネズミですが、昔はふくろうと同じくらい人気だった時代があったのですよ。尻尾はいくつかの魔法薬の材料として使えます。家庭でも増やしやすい多産の生態系も概ね歓迎されていました。種類によっては、特別な能力があると注目されたこともありましたね。そういうものは、長生きで体が丈夫です。そういったネズミの正体は、たいてい何らかの魔法生物とネズミの掛け合わせだったのですけれど。……十五世代ほど作ったところで、ただのネズミが変異することはないと気付きました。もちろん、作り続けていれば万にひとつ、一匹作れたのかもしれません」
「ああ、だからお詳しいのですか。……飼育下で三年ならば、十二年時点では第一世代は死んでいる。そう捉えてよろしいか?」
「ええ。五年生存したものが私の最長記録です。小さなネズミがそれくらい生きた例も少ないでしょう。先に言った特別な能力を持っていれば別ですが」
「なるほど。教えていただき、ありがとうございます」
クルックスは頭を下げた。
「私自身……もう忘れかけていたことです。ずいぶん懐かしい話をしました。あの時は、本に書かれていることが真実だと信じて確かめたかったのですよ。代わりに、本は時に真実ではないことを書いていると知りましたが……」
ピンス女史は、話しすぎた自覚があったのだろう、ハッとしていつも通りの厳格な司書の顔に戻り、図書室のある方向を指差した。
「自分の目で見、耳で聞き、手足で学ぶことが大切です。九の棚ですよ」
クルックスは、余計に本を一冊借りた。
■ ■ ■
──足。ネズミ。能力。犬。ブラック。
何ら不思議でも何でもない言葉が単調なリズムをもってクルックスの頭のなかをグルグルと回った。
こういう時にクルックスはしばしば考えた。
(俺は、そろそろ自分の能力や性分について認めざるを得ないことがある)
それは、さほど賢くない、ということだ。
学徒が期待する『賢さ』に数値があるとすれば、遙かに下回る数値を現在進行形で叩きだしているに違いない。
ほんのすこし不幸なことは、彼には自分の賢さについて『賢くないよな、俺は』という自覚があることだ。
見聞した情報から得られるものが他の三人よりも少なく、考察は浅く、詰めも甘い。
いつも何かを見落とし、忘れ物をしている気分が抜けない。そして事実、見落として忘れているのだろう。
そんな確信だけが着々と積み上がっている──気がする。こうした『気がする』という曖昧な感覚だけが積み重なっている。生まれてこの方、漠然として不安感が消えたことは一度もない。……もっとも、それさえ忘れていることは多々あるけれど。
(俺は、また何か余計なことをしているのか……? いいや、今回は余計なことをしなかったのか……? どっちだ? 何を忘れているんだ? 何か、肝心なことを忘れて、気付いていない気がする……)
クルックスは手記を開き、白紙の項を開いた。
ずっと前にビルゲンワースの学徒、コッペリアから言われたことだ。
──僕の可愛い子、君は頭が弱いねえ。
──『思考』を使い慣れていない。そんな感じだ。
──他の三人は多寡こそあれ『もともと備わっていた』風に見える。
──それはそれで思考の癖が強くて大変そうだけどね。
──悲観することはないよ。頭の弱い子も可愛いものだ。
──何より教え甲斐がある。手取り足取りね。
──さぁ、白紙より始めよう!
──知識の少ない君に帰納的思考は難しそうだ。
──演繹法から始めたほうがよいだろうか。
「ええと。たしか……。知っていることを枝葉を伸ばすように広げ、関連を探して、結論を出す、だったな……」
かつてコッペリアから学んだことは、哺乳類と鳥類の分類方法だった。
クルックスは彼から学ぶまで地上に存在し体毛を持つ生き物が全て哺乳類だと考えており『鳥類』が分類される概念が分からなかった。また、狩人達は皆、ヤーナムにいる珍しくもないカラスのことを総じて「あれは獣」と断じていた。……獣の分類も間違ってはいないが、あくまで『狩人』という仕事上、分類されている存在に過ぎない。
生まれてからしばらくの間──そして厳密には現在も──クルックスは一般教養としての知識と狩人の知識が混然となっており、どれがどこの常識なのか分からなくなることがあった。
彼が見落としが多い性質を持っているのは覆せない事実だったが、持ち得た認識のズレも彼がさまざまなものを「異常なし!」として見逃す一因になっていた。
そんなことをクルックスはうっすらと理解しており、苦しんでいた。
「ええと……。まずはネズミの寿命は飼育下の環境で平均三年。最長五年だとピンス女史は言っていた。そしてロンのネズミは十二年、生きていた。……。……。ちょっと待て、いきなりおかしいじゃないか? おかしいよな? おかしいだろう」
クルックスは、小さな声で自問自答した。明らかに『おかしい』事態を知ってしまったような気がするが、魔法界の一部にあるネズミ愛好家の間では「常識よ」なんて言われるかも知れない。そんなことを考えると途端に自信をなくしてしまうのだった。
必死でロンが持っていたネズミを思い出した。
「ただの肥満なネズミだった、ような、気がする。特別な能力を見せたことは俺の記憶ではないが……」
クルックスは振り返って書架を眺めた。書架の隙間からロンの赤毛が見えた。
「いや、待て。すぐ人に聞いて解決をしようとするのは俺の悪い癖だ。……だから……ええと……つまり……」
寿命から考えると、ロンのネズミは、常識的なネズミではない。
この事実を出発点として考える。
すると『長生きすること』に特化した能力のネズミだったのかもしれない、と思い至った。
「そんなこと、あるのだろうか」
常識知らずのため、また行き詰まってしまった。だが、ネズミを育てていたピンス女史の常識の方がより常識的だろう。つまり『長生きネズミ』でなければ、ロンのネズミは異常なネズミだ。
とはいえ。
(何の異常なのかまでは分からないな……)
クルックスは、窓を見た。太陽は傾きつつある。
時間さえあれば、クルックスは図書室に納められた本をひっくり返して答えを探すことだろう。
(時間。時間とは貴重だ)
父たる狩人ほどではないがクルックスは自分の悠長な節を自覚していた。そのため、誰か詳しい人に聞きに行こうと思い立った。誰かに聞くのは悪い癖だが、知らずに足踏みしていたのでは何も始まらない。そして、この疑問は早めに解決した方が良いような気がした。
シリウス・ブラックの来襲が発生したことにより、学校の敷地内であっても城外へ出ることは禁じられていた。
本を鞄に入れてクルックスは立ち上がる。そして衣嚢から鐘を取り出した。
鐘を鳴らしながら図書室を出た。目指すは、魔法生物に詳しいハグリッドだった。
■ ■ ■
「なるほど。そういう経緯で僕を呼んだのか」
クルックスの疑問をセラフィは受け入れてくれた。彼を何より安心させたのは話を聞いても彼女が「おかしい」とか「間違っている」とか言わなかったことだ。
「最近のテルミは『ピグマリオンさんとの約束がある』と言って大人しくしているが、あの性格ではいつまで保つものか。最悪のタイミングで事態を引っかき回しそうだし、ネフはずっと頭が痛そうな顔をしている。相談するとしたら君しかいない」
「ありがとう。君の役に立つよう努力する。なんせ君に頼られるのは気分がいい。だから……もう一度、言ってくれないか。『君にしか救えない』とか『君のお陰で生きている』とか『君だけが俺を生かしている』とか」
「それほど壮大な話ではなかったハズだが」
二人は『青い秘薬』を飲んで午後二時の校庭を闊歩した。校庭を突っ切り、かぼちゃ畑のあるハグリッドの小屋を目指す。畑にはバックビークがいた。
「そういえば、セラフィはマルフォイの裁判のことは知っているな? スリザリンではどう話されているんだ?」
「『どう』とは。難しいな。……ドラコは自分のことを被害者だと言っている。野蛮な獣に怪我を負わされた、と」
「俺の認識している事実とは異なるようだ。君との認識とも異なるだろう」
「ああ。だから言ったとも。『貴公は自分が弱いことを知りながら丸腰で挑む愚を冒した。せめて武装すべきだった』と」
「いや、俺は、そういう認識をしているワケではいない。むむ……。それでマルフォイは?」
「『何を言っているんだ?』と」
「それは、そう言うだろうな」
「遺憾だ。僕が助言してあげたというのに」
「ああ、うん、そうだな」
クルックスは、内心でセラフィも生活には苦労していそうだと思った。その苦労感が見えないのは、お互いに持ち得た性質の差だろう。
ハグリッドの小屋に辿り着いた。小屋から伸びる煙突は、薄く煙を吹いている。
クルックスは、鞄から『怪物的な怪物の本』──ハグリッドが教科を教えている『魔法動物飼育学』の教科書だ──を取り出した。表紙には小さな穴が空いている。人の手に噛みついたり、他の本に齧りつきそうになったりするこの教科書を鎮めるためには、背表紙を撫でて落ち着かせる方法があるのだが、彼はホグワーツで『魔法動物飼育学』の授業を受けるまでその方法を知らなかった。そのため、彼は教科書と戦い「どちらが上か」を分からせることで教科書を開くに至った。そんな激闘の経過はさておき。
「──ハグリッド先生」
堅く握った拳で扉を叩いた。中の人物は、やや驚いたようだ。扉越しに動揺が伝わってきた。
誰だ、と低く問いかける声が聞こえた。
「警戒心があるのはよいことだ」
「セラフィ、ちょっと黙っていてくれ。──グリフィンドールのクルックス・ハントです。先生、レタス食い虫のことで質問があり、参りました。ほんのすこし、お時間いただけませんか?」
扉はパッと開いたが、ハグリッドのコガネムシのような黒い瞳は驚きに満ちていた。
「城には鍵が掛かっとったハズだが、おまえさんどうやって来たんだ?」
「開いていました。フィルチさんが掛け忘れたんでしょう」
クルックスとセラフィは一階の窓から飛び降りたのだが、この言い訳はかなり信憑性があったらしい。ハグリッドがブツブツとフィルチのことを言いながら、入るように促した。
ただし。
「マクゴナガル先生とスネイプ先生から──嫌というほど聞いたと思うが──今回限りだ。勝手に来ちゃなんねえ。シリウス・ブラックのことがあってから城は吸魂鬼こそ入らねえものの厳戒態勢だ」
「次からはふくろう便を出しましょうか。……城のなかで手紙を出すのは、すこし変な感じがしますが」
「んにゃ。授業中に聞いてくれりゃそれが一番手っ取り早い。それで? 何が聞きてえんだ?」
クルックスは、小屋の隅で低い鼾をかいて寝ている黒い物体を見つめていた。
犬だ。授業で何度か見かけたことがあるハグリッドが飼っている、グレートデーン種の大きな黒い犬で『ファング』と言う。
「あっ」
シリウス・ブラックの来襲事件において大して重要ではなく、そして脅威でもないため忘れていたことをクルックスは思い出した。
黒い大きな犬、という共通点が気がかりだった。
「──ハグリッド、シリウス・ブラックが来た日にあの犬はどこにいましたか」
「そりゃ夜だからここにいたぞ。夜はいっつもここにいる」
「そうですか……」
「なんだ、おまえさんそんなことを聞きに来たのか」
「いえ、俺はレタス食い虫の味についてお伺いに」
「……おまえさん、そりゃどうしても俺に聞かなきゃならんことか?」
ハグリッドは、かなりガックリと肩を落とした。
真面目くさる顔付きでクルックスは臨んだ。
「レタス食い虫は、その粘液を魔法薬に使いますが、それ以外の用途では食用になると授業で習いました。図書館で食用としての生育方法の本を読んだのですが……肝心の『長生きさせる方法』が分からなかったので聞きに来たんです。魔法生物飼育においてホグワーツでハグリッド先生の右に出る人はいないでしょう」
「……。うちのレタス食い虫が全滅したのは知っちょるか?」
「いいえ。最近、姿が見えないので誰かが食べたのかと思っていましたが、全滅していたんですか。それは知りませんでした」
「死因はレタスの食い過ぎだ。何事も越えちゃあなんねえ。ほどほどってこったな。あとはほっといても大丈夫なくらい元気だ」
それから、レタス食い虫の講釈が始まった。
最近ではレタスに多少のナメクジ除去剤が付いていても腹を壊さずに消化できる個体がいるらしい。
クルックスにとって、かなり興味深いことだったが今は詳しく聞いている余裕はなかった。
「なるほど。分かりました。──ああ、話のついでに、もうひとつ。教えていただきたいのですが」
「何だ?」
「俺の友人のロンのネズミのことで」
その言葉を聞くとハグリッドは「ウンウン」と頷いた。
「ハーマイオニーの猫か。ありゃ猫が猫らしく振る舞ったからっちゅうて──」
「いえ、猫が死んだとか殺したとかはどうでもいいんです。……俺は魔法界の常識について詳しくないが、ネズミが十二年も生きるのは異常だと思っています。司書のピンス女史も魔法使いや魔女が飼うネズミの寿命は三年、ペットとして適切な環境でも長くて五年と言っていた」
「ネズミ? おまえさん、なんでそんなこと聞く?」
「気になると夜も眠れない。それに、出来る限り異常を見過ごしたくない。十二年も生きるネズミがいるとして専門家はどう見るのか。お聞かせいただきたい」
ハグリッドはもじゃもじゃの髭を撫でた。
「十二年……? そりゃおかしい。本当に同じネズミか?」
「同じネズミ?」
「──襲名制という意味ではないかな」
セラフィの言葉は当たらずも遠からずだったようでハグリッドは頷いた。
「ネズミみたいにいっぺえ生まれてくると名前を付けるのが面倒だっていう魔法使いや魔女がいる。だから全部同じ名前にしているってな」
「……ロンの話では、その線はないようだ。以前はパーシーのネズミだったと聞く」
「そうか……」
「他の魔法生物との交配させたネズミなら長命になることがあるだろうか?」
「うんにゃ魔法生物と掛け合わせたネズミなら、もっとでっかくなるハズだ。それくれえ寿命が長ければ、きっと体は──こんな、こんなだ」
ハグリッドは手を大きく広げた。
クルックスはヤーナムのネズミを思い出して「うぐぅ」と唸った。ハグリッドの図体で大きく手を広げると約三メートルになる。ヤーナムのネズミ以上の化け物ネズミがいることをクルックスはどうしても喜べなかった。
考え込むために黙ったクルックスに代わり、セラフィは訊ねた。
「魔法生物との掛け合わせ以外で『十二年間も生きるネズミ』がいるとすれば、それは何でしょうか」
「俺の知る限りじゃ、それはネズミとは呼ばねぇな。たぶん……ネズミそっくりか、ネズミそっくりに化けた……新種の魔法生物、ネズミそっくりネズミ──」
クルックスにはハグリッドが言った『化けた』という言葉が引っかかった。
■ ■ ■
クルックスとセラフィは、ハグリッドに付き添われ夕暮れ前に城に戻ってきた。
そんな彼らには驚くべきことがいくつかった。
「本当に鍵が開いているとはね……」
「フィルチさんは忙しいのだろう。今日も隙間という隙間に板を打ち付けていた。そう隙間に……」
クルックスの頭の中には再び単調なリズムで単語が巡る。
その中に『隙間』という言葉が新しく仲間に加わった。
図書室までの道を歩きながら二人は情報を整理した。
「さて、クルックス。新種の魔法生物という専門家の意見が出てきたが、君は納得していないようだ」
「ああ、うん、そうだ、そう、俺は納得していない」
「ふむ。君の意志は尊重したい。しかし、これ以上は難しい。なぜなら──」
廊下の角を曲がったところ、誰かにぶつかりそうになった。
クルックスとその人は、お互いに「おっと」と小さく声を漏らした。
「やあ、君達」
「あ、ルーピン先生、こんにちは」
彼は軽く手を挙げた。
その姿に思うことがあり、クルックスは「あの」と引き留めた。
「先生、俺のテルミ、あ、いえ、ハッフルパフのテルミ・コーラス=Bが、先生にご迷惑を掛けているのではないですか。彼女と俺は遠い親戚で……すこし行動力が空回ることがある人なんです。……ですから、彼女に何かを提案されていて気が進まないのであれば、断っていただいて結構ですよ。むしろそうした方が身のためというか」
「ああ、あとできちんと伝えるよ。けれど興味深い話でもあったね。いまだ魔法界にもマグルにもほとんど伝わっていない秘境がイギリスにあるなんて。スネイプ先生から君達のヤーナムのことをすこし聞いている」
「ああっと。それは」
クルックスは、スネイプ先生がどこまで何を話したのか、とても気になった。ルーピン先生からどう聞き出そうかと言葉を選んでいるうちに彼はニコリと笑った。
「かの先生は『イギリスで永住したい街百選のうち一位にランクインしている街だ』と言っていたよ」
「ふあ? あ、ああ、そうですか。ワハハハ……ハハハ……?」
クルックスは、スネイプ先生がヤーナムに好感を持つ理由に特に心当たりがなかったので大いに困惑した。セラフィを見ると彼女は肩をすくめた。わからない。そうだろうな、と彼も思った。
「ミス・コーラスから街に出没する獣のことで苦労しているとも聞いている。君の人狼のレポートが、とても熱が入っていたのはそういう背景があるからなのだろうね」
クルックスは軽く頷きながら『人狼』という言葉に胸がドキリとした。
──いざという時、自分はこの人を狩るのだ。
手足がしっかり動くかどうか、今は自信がなかった。
「──クルックス、せっかくだから先生にも聞いてみてはどうだろう?」
「え?」
「ほら、例のネズミのことだ」
不自然でぎくしゃくとしたクルックスを庇うようにセラフィが話題を変えて、促した。
意外なことにルーピン先生も興味深そうに訊ねてきた。
「ネズミ? ほう。何の話だい?」
「あ、ああ……ええと……ロンのネズミが最近、猫に食われて死んだのですが、そのネズミは十二年間も生きたネズミだったんです」
「……。珍しいね」
「ええ、ハグリッドもピンス女史にも聞きましたが、そこまで長生きのネズミは常識的にあり得ないという返事をもらいました。けれど、あくまで普通の動物と魔法生物の観点からです。おかしなネズミについて『闇の魔術に対する防衛術』の観点からは、どのように正体を推理できるのでしょうか?」
ルーピン先生のこれまでの授業からクルックスが受ける印象とは、彼は素晴らしく真っ当で理路整然とした論を好む人だと感じていた。
そのため。
「──ネズミは行方不明ではなく『死んだ』?」
彼が問いかけたことが、推理の判断材料にならない事実確認であることをクルックスは不思議に思った。
「はい。ベッドシーツに血痕があったそうです。俺も死体は見ていませんが、飼い主のロンは死んだと判断したようです。それが……何か?」
「いいや、何でもない。けれどもし、ただの『行方不明』であったのなら、そのネズミを一目見てみたくてね。……。話を聞くに私も不思議なネズミだと思う。だが推理は難しい。情報が足りないからね。……もう死んだのだろう? ならば正体はわからずじまいだな」
ルーピン先生は、腕を組んで「ふーむ」と唸った。彼の言葉が異常を解明しようとする全ての障害だった。
「ああ、惜しいな。クルックシャンクスに先を越されてしまった……しかし、クルックシャンクスが殺さずにいれば俺はネズミなんぞ気にも掛けなかったのが、何ともな……」
「そうだね。──クルックス、これからロンのベッド周りをもう一度、捜索してくるのはどうだろう? ネズミの指一本でも落ちていれば先生の推理が聞けるかもしれない」
「そうだな。ああ、もうひとつ。あの時の報告を仕損じておりました」
「あの時?」
「シリウス・ブラックがグリフィンドール塔に出没した時のことです。俺は追撃を敢行しましたが、シリウス・ブラックを見失いました。その先で犬を見かけました。黒い犬です。噛みついてくる様子がなく、誰かのペットの可能性を考えたので殺さず捜索に戻りました。……あの時は報告を省いてしまいましたが、ここで念のためにご報告を」
「……。ああ、ダンブルドア校長には私から伝えておこう。思い出してくれてありがとう」
そうしてルーピン先生は去った。
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「分からないことばかりだ」
しかし、専門家の意見を聞いてかなりスッキリした気持ちがある。テルミは以前「やるだけやった方がスッキリする」と言ったが、復讐以外おいては正しい意見だったのかもしれない。クルックスは考えを改めた。
それに脅威ではないため報告していなかった出来事について思い出し、ルーピン先生に報告できたのは善いことだった。何かを忘れかけていたと思っていたが、その一つはあの出来事であったに違いないと確信した。
「セラフィ、付き合ってくれてありがとう」
「大したことではないよ。それに僕にもすこし分かったことがある。無駄ではなかったよ」
「……俺は賢さが足りない……。ぐぅ。何が分かったんだ?」
「ルーピン先生はネズミがお嫌いなのかな。ネズミの言葉が出た途端にやや顔が強ばった」
「はあ。そうか?」
「──君は鴉羽の騎士様と十日ほど親睦を深めた方がいい。視線の動き、歩幅と表情の作り方で気分を察することが出来るようになるよ。それに優れた人と一緒にいるのは勉強になる」
「ぐ、ぐぅ」
クルックスは、鉄兜──それはバケツを逆さまにした様である──を被った連盟の長に対し一切必要のない対応能力であることに気付き、自分の弱点に気付いてしまった。
「そういうことは、あ、あとで勉強させてもらうとして……。ネズミが嫌いだから何だというんだ?」
「そこまでは分からない」
「そこが肝心なところだろう」
「肝心だからこそ語らないのだろうね。そういえば彼の『まね妖怪』は満月なのだと聞く。──恐怖の対象ではないことは確かだ」
謎ばかりを抱え、やがて二人は大広間へ向かった。
この謎は。
彼らが再びヤーナムに辿り着くまで解けることのない課題となり、クルックスの思考力を苛む由縁となるのだが、全て未来の話だった。
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イースター休暇明けの最初の土曜日を目前にスリザリン寮は、大いに盛り上がっていた。
それもそのはず明日には、寮対決クィディッチ決勝戦であるスリザリン対グリフィンドールが行われる。スリザリン選手に対する激励にも熱が入った。わざわざスネイプ先生が来て簡潔な応援──「諸君らの健闘を祈る」──を述べるほどだった。
選手で不安そうな顔をしている者は誰もいない。緊張とプレッシャーをはねのけるように皆が騒いでいた。そのため、穏やかな時間を過ごす者が逆に浮いてしまうものだった。
「君は、勝てると思うかな?」
「うーん。ハリー・ポッターにはファイアボルトがあるのでしょう? 眼鏡を掛けているけど、彼は目が良い。スニッチを逃したことは、吸魂鬼が出てきた時だけでしょう。……本物の」
セラフィの問いにダフネが付け加えたのは、前回のグリフィンドール対レイブンクロー戦において吸魂鬼の格好をして試合に乱入して返り討ちになった件を思い出したからだろう。思い出したついでにセラフィが思うことはクルックスが言っていた「あれが守護霊の呪文だったのだ」ということだ。
「勝ってほしいけれど。勝てないのなら、あまり点差が離れないうちに試合を終了させることが戦略的には勝ちよね。五〇点差が決め手になるわ」
「なるほど」
セラフィは、果物を食べながらクルックスから送られた羊皮紙に目を通していた。
実のところ、彼女はクィディッチへの興味関心は皆無だった。そんなことより『互助拝領機構』で発表する内容のことが大切だった。同じような人物はいる。
「セラフィ、興味がないのにダフネ姉さんに無駄な質問するのはやめなさいよ。アストリアだってクィディッチのことは……だけど、わたしはダフネ姉さんの手を煩わせていないのに」
三分間、話し続けるために必要な文字数は九〇〇字だとされている。
同じテーブルに座るアストリアは原稿の要点の全てを九〇〇字に納めようと何度も書き直していた。ダフネが隣で「うーん、ここ要らないと思うわ」と言う度に「ここは後の説明に対応する部分だから必要だもの」と言うやり取りをセラフィは、すでに五回見た。
「クィディッチは魔法族がこぞって熱中する話題と聞いた。興味はないが、負けてもいいと思っているワケではない。勝つために戦うのだ。ならば勝たなければ。……それに僕が今さらマルフォイを応援することはないだろう。もうそろそろノイローゼになっているのではないかな。彼は意外と繊細なところがある」
「よく見てるじゃない?」
アストリアが、原稿を持ち上げる。出来具合を見るような目をしているが、セラフィには羊皮紙を向けた先にいるマルフォイを見ているのだと分かっていた。なぜならば。
「夜警だからね。妹君はクィディッチに熱心ではないがユニフォームを着たマルフォイのファンだということを、僕はちゃんと知っている」
ダフネは「あら~そうなの~」と至極どうでもよさそうに言ったが、アストリアは羊皮紙をギュッと握りしめて「ま!」と唸った。尻尾を踏まれた猫のようだとダフネは感心した。
「憧れは良いことだ。僕も憧れる人がいる。何も恥じることはない」
「不思議ね。あなたと同じと考えると途端に不安になるわ」
「憧れは人生を充実させてくれる。分かるとも」
セラフィは、髪飾りである鴉羽に触れて深く頷いた。セラフィの反対側のソファーに座る頭が大きく傾いだ。
「セオドール、もう寝た方がいい」
「ぐぅ……俺は一日に十時間寝ないとダメらしい……」
「疲れているだけだ。明日、観戦している間に寝てしまってスニッチを見逃したら悔しいと思う。寝た方がいい」
もそもそ動いてセオドールは、男子寮に帰っていった。
アストリアもぱたぱたと動き出した。
「ア、アストリアも眠くなってきちゃった、かも。ね、寝るわね、お姉様」
「眠くても歯を磨いてから寝るのよ」
「わかってるわよ……!?」
ダフネは、クスクスと笑った。
「アストリアは、同じ年の友達が何人か出来たの。あなたと話して自信も付いてきたみたいだし、良いことだわ」
「君達が生きる手助けができるのであれば幸いだ。君達の充実した人生は、僕の喜びでもある」
「大袈裟なことを言うのね。いつも」
「僕なりに君達のことは大切に思っているのだよ。健康で長生きをする。それに代わる幸せは少ない」
「それはそうだけど。話が壮大なのよ。よく聞けば小さいけれど」
「僕はその小さな幸せがあれば、それでいい。皆にもそう思ってほしい。しかし、人は向上思考というものがあり、加えて競争の本能もある。……難しいものだね。僕も競う以上は勝ちたいと思う。なので明日は頑張ってほしいものだ」
セラフィは、葡萄を一粒千切って食べた。彼女は、マルフォイを見ていた。誰かと話している間は楽しげにしているが、ふとした瞬間にまるで彼は曇り空のなかにいるように陰が差す。試合には不安がつきまとう。なぜなら、彼は一度もハリーより先にスニッチを取ったことがないからだ。
──誰かの不安が想像できるなんて。
セラフィは、理由もなく笑ってしまった。生まれた時に、こんなことが出来るようになると考えたことがなかった。
「どうしたの? ああ、そうそう、明日は応援に行くでしょう?」
「僕は遠慮するよ。……。『互助拝領機構』の事前準備で忙しいからね」
セラフィは、羊皮紙をヒラヒラさせた。
「まあそう。応援に行かないのはあなただけよ、きっと」
「では聞かなかったことにしてくれ。その代わり、僕は葡萄の食べ過ぎで腹を壊す予定だ」
「そういうことにしておくわ」
「お気遣いありがとう。だが便利に使ってくれ。僕はいつでもそれを望んでいるのだ」
「食べるのは、これで終わりにすることね。わたしも、もう寝るわ」
セラフィの手に赤い林檎を押しつけて、ダフネは去った。
葡萄を食べ終えたが、まだ食べることができる。しかし、手の中の林檎は食べる気が起きなかった。その理由を考えるためセラフィはハンカチで林檎を磨いた。
アストリアが座っていた、セラフィと対峙する空席に誰かが座った。ドラコ・マルフォイだった。
「すこし静かなところで、優勝のスピーチでも考えようかと思ってね」
セラフィが口を開くより先に彼は早口で喧噪から逃れてきた理由を述べた。それから窓の外、広がるホグワーツの湖を見た。暗い硝子にマルフォイの顔がハッキリと映った。
「健闘を祈る。誇るべき勝利を目指したまえ。──ポッターから学ぶことがあるだろう」
「何を? あんなヤツから何を学ぶことがあるって言うんだ」
鼻で笑ったマルフォイに、セラフィは薄く微笑んだ。
「危機への身構えには、目を見張るものがあると聞く。──ただの幸運で、たかが偶然で、バジリスクを殺せるハズないだろう?」
セラフィの言葉にマルフォイはギョッとしたように湖の暗がりから彼女の顔へ目を移した。
「彼は、常人には得難い経験をしている。その言動は、繕いようのない咄嗟の行動に現れるものだ。けれど、普段の彼は平凡に見える。君はそれがどうにも許しがたいようだ」
「何が言いたいんだ? 僕がアイツを羨ましいと思っているとでも?」
鋭い問いかけがあった。
セラフィは「まさか」と一笑した。
「平凡に見えて得難い経験をしているのは君も同じだ。君は、ご両親に慈しまれ同胞に恵まれた。なんと得難く、素晴らしい体験だろう。──短慮な勝利にこだわることなかれ。自信を持って戦ってほしい。スリザリンが練習に懸ける熱量は、決して彼らに劣るものではない」
セラフィは、磨いていた林檎を彼の顔に投げた。
出し抜けで投げられた林檎をマルフォイは咄嗟に両手で掴んだ。
「調子が良いね。……人は勝つために戦うのだが、負けても得るものがある。蓄積は大切なものだよ。次の勝利のためにね」
「そんなものは敗者の言葉だ。──明日、僕は勝つ。スリザリンが優勝する」
「その意気だ。明日もその調子で頼むよ。……僕も寝ようかな。君も休んだ方がいい。明日、寝不足でスニッチが見えなかったら辛いだろう」
セラフィは「おやすみね」と告げて女子寮へ歩いた。
ベッドはほとんどが空だ。先に戻ったダフネは長い髪がくしゃくしゃになってしまわないように三つ編みにしていた。
「あら、今晩は早いのね。夜歩きに出るかと思っていたわ」
「すこし仮眠を取ろうと思ってね。……みんなのお祭り気分に中てられてしまったのかもしれない」
夜、セラフィのベッドが空であることは珍しいことではない。
そのため彼女が消灯の時間までにベッドに入ることは、とても珍しいことだった。
自分の心情の変化を不思議に思いながら着古したシャツを被り、眠りについた。
信頼できない語り手
ネフライトにとってクルックスは(すでに忠告をしているにも関わらず)自分を信頼しすぎるきらいのある『きょうだい』です。そのため彼の発言はほとんど信頼に値すると考えています。しかし、連盟の活動が彼の行動規範に絡むと途端に彼の信頼度は下がります。病み人が真実を話すという性善説によってのみ医療者は正しい治療を行えるように。報告者が幻覚を語っていると適切な判断を下せなくなるからです。犯罪者には虫がいるかもしれない。クルックスのこの思い込みは、ネフライトにとってイライラする想像でした。
ネフライト、雑誌の連載枠を持つ
気ままに書いています。
読者はほんのちょっぴり増えたそうです。
クルックス、賢くない
準備はいいのに詰めが甘く、敵意には敏感なのに足下の罠には気付かない。『脅威ではない』と見なしたものについて認識が弱く、虫に固執すると一気に視野が狭くなり、常識も足りない。欠点をまとめると彼は自分自身を「他の三人に比べて俺は賢くない」と自嘲します。
自覚したからと言って直すことは難しいため彼の当分の解決方法は──今回、セラフィに頼ったように──誰か隣にいてもらい指針を確認しながら歩くことでした。
狩人の相棒になりたいと思っているのは、孤独な狩人のためもあるでしょう。けれど、それだけなのかと問われたら彼は何を答えるのか、注目すべきことでもあります。
狩人の『視界で動くもの全て鏖殺することで安全を確保する精神』を見習うべきなのかもしれません。──外の社会的に生きていけない精神。