甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

124 / 128

汽笛
蒸気を噴出することで音を鳴らす仕組み。

待つ者も乗る者もそれが鳴るのを待っている。





プラットホームにて

 三度目の学期末は、あっけなく閉じようとしていた。

 

 学期の最後の日に、試験の結果が発表された。

 翌日。

 荷物の整理をしたハリーは明日からの二ヶ月の夏休みが明けるまで戻ってこない寝室を眺めた。

 もうロンとクルックスしか残っていない場所だった。そのうちロンは重い鞄を引きずって階段をドシンドシン音を立てて下がって行った。

 クルックスは、自分の使っている洋箪笥を三度も開けたり閉めたりして忘れ物がないことを確認していた。

 

「クルックス、ちょっと待って」

 

 ハリーは、古くさい外套を腕に抱えた友人を呼び止めた。

 

「何か」

 

「……この前の満月の日、君も校庭にいた?」

 

「ああ。ルーピン先生に用事があった。結局、会うことは出来なかったが……。それが何か?」

 

「お願いがある。つまり『黙っていて欲しい』とか『狩らないで欲しい』って話なんだけど」

 

 クルックスは、人差し指を唇に当てて「静かに」と合図した。

 ハリーは言いたい言葉が次から次に浮かび、じれったい気分になっていた。

 周囲に音がしないことを確かめたのだろう。彼はハリーに対し、一歩、歩を進め小声で言った。

 

「それはシリウス・ブラックのことか? ……ネフから聞いている。『動物もどき』だったとな。先に君の懸念を消したい。俺達は吹聴するつもりはない。狩る予定もな。……彼と君の関係は、どうやら世間で騒がれているほど厄介なものではなかったようだ」

 

 ハリーは、ネフライトが彼にここまで情報共有していたことに驚いた。

 クルックスは、穏やかな顔をしていた。ハリーはそれが彼の幸福を願っている顔だとは分からなかった。

 一転。

 輪郭のある声で彼は続けた。

 

「──夏休みの間、俺達は基本的にヤーナムから出ない。彼に会うことはないだろう。とはいえ、気を付ける。犬であれ獣は獣。見ていて気分の良いものではない。機会があれば、そして誰かの財産でなければ狩ってしまいたいものだからな」

 

「頼むよ。本当に。……僕の名付け親なんだ」

 

「大人は大切な先達だ。俺も知っている。それは、とても得難い存在だ。大事にするといい」

 

 ──言われなくても分かっている。

 そんな顔をクルックスは見て笑った。

 

「そうだろうな。失礼。テルミから言われたのだが、俺はどうもお節介なのだという。気に触ったらすまないな」

 

「そんなことないよ」

 

 テルミの人物評価は正しいとハリーは思ったが、素振りにも出さずそう言って彼を励ました。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「ネフ!」

 

 ネフライトは、ホームをぼんやり歩いていた時に呼び止められた。

 列車に荷物を載せる生徒で盛り上がるホームの雑踏は見ていて頭が痛くなる情報量だというのになぜか目が離せず、頭痛を求めているような気さえした。

 

「何かな。ラブグッド」

 

「これ、手紙。返信してね」

 

 薄緑色の封筒を受け取ったネフライトは、昨年呼び止められた時も同じような話をことを思い出していた。そのため。

 

「むむ。宿題か?」

 

「ううん。宿題はいいんだ」

 

「いや、よくはないだろう」

 

「夏休みに家に遊びに来てよ。編集長、お父さんが会いたがっているンだ。ワールド・カップもあるし」

 

「ワールド・カップ? ああ、クィディッチワールド・カップのことか。私は人が多いところは好かない……。君の父君である編集長と話をすることは興味深いが、ワールド・カップは──」

 

「じゃあね。頼んだよ」

 

「ちょ、待て! 頼まれないぞっ!」

 

 ルーナは、ふら~と歩いて行ってしまった。

 ネフライトは、受け取ってしまった手紙を持ってしばし戸惑う。この一年でルーナは、お願いすればたいてい約束を守ってもらえるという事実──彼に言わせれば『誤った認識』──を得たようだ。

 

「あぁ、どうしようか。ヤハグルを離れるワケには……」

 

 ホームに背中を向けて封筒の中身を確認する。

 訪問してもよい日取りについて書いてあった。ワールド・カップの日程と予定席まで書いてある。

 

「ぐぅ……」

 

「行けばいいだろう」

 

「ヒッ、キャアッ!」

 

 ネフライトは素っ頓狂な声を上げた。

 振り返ればセラフィが背伸びをして手紙を見ていた。

 

「盗み見など、し、失礼なっ! どういう教育を受けているんだ!?」

 

「スカートを下着ごと脱がされた女子生徒でも出さない悲鳴で叫ばないでくれ。悩んでいるようだから解決してあげようと思ってね。行けばいいだろう。きっと彼女も喜ぶ。君もヤーナムの外を知るべきだ」

 

「それは……そう、だが……しかし、使用人の私が学派を離れるワケには……。むむ。君、それは……?」

 

 ネフライトは、セラフィが広げた手の先。彼女は青い封筒を持っていることに気付いた。封蝋として何らかの紋章が押されていたのだろう。今は破られているが、蝋の跡が見えた。

 

「ドラコからもらった。ドラコ・マルフォイ。パーティーの招待状だと書いてあった。『純血パーティー』だそうだよ」

 

「魔法族に王族も貴族もいないハズだが、敢えて言わせてもらおうかな。──お貴族様かよ」

 

「『純血』ではない僕が──ああ、でも。ある意味で最も純血と言えるかもしれないが──参加するのはすこし面白い趣向だと思ってね。前向きに検討している。一人だと寂しいからテルミを連れて行こうかと」

 

「構わないが、ボロを出してくれるなよ」

 

 ネフライトは眼鏡のブリッジに触れてから、彼女を見た。

 

「僕のような明らかな『非純血』まで招くのだ。純血お貴族様はボロさえ使いこなす気なのかもしれない。蛇の打算力には期待をしている」

 

「……フン。誰も君を使いこなせるものか。刃物とは使い手を選ぶようだ。他人の慣れないメスでは手を切るなんて話もあるものでね」

 

「気を付けるとしよう。……ところで君、列車で帰るのかな?」

 

「先に帰る。学徒に会う前にお父様に会いたいからな」

 

「分かった。僕はクルックスと魔女鍋スポンジケーキを買ってから帰る。お父様はあれがすっかりお気に入りになったようだから」

 

 セラフィは封筒をしまうと列車に乗り込む人々の雑踏に消えていく。その背中をネフライトは未練がましい目で見送った。

 

「くぅ……勝者とは嫌味なほどに余裕だな。嫌味のつもりがないのが、なおのこと嫌味らしい。恨めしい。実に恨めしい。ああ、いけない。いけない。ネフライト。お前はこんなことを考えている場合ではないのだ。切り替えていこう。何事も切り替えが大切だ」

 

 そうは言いつつもネフライトの思考は、電気のスイッチを切り替えるように変わることはない。──気付くとセラフィのことを考えてしまうのだ。

 

「敗者とはこのように惨めなのだ。惨め。おぉ、惨め。……嘆くことさえ憚れ、恨む言葉すら取り上げられる。弱者であるために。テルミ、君が私の情緒の一端を理解することがあるだろうかね? 最もお父様から遠い君」

 

 気落ちしたように頭を振り、彼はホームを歩く。

 やがて誰にも気を留められることなくネフライトは姿を消した。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 狩人の夢、その工房にて。

 父たる狩人と二人きりで話をしたいと望んだのは、ネフライトだ。

 彼にとって学徒に聞かせたくない話は多くあり、父たる狩人だけに話したい気持ちが多分にある。自らの失敗を早く許されたい、という下心もあったが、そんな思惑は見透かされているようだ。席を勧め、茶を淹れた狩人は気楽そうに笑った。

 

「おや。君は俺と話すことに気が引けているようだ」

 

「腰は引けているかもしれません。しかし、気持ちまで引いているつもりはありません。はい、お父様。私は元気なので」

 

「そうか。ところで学舎に行かず、ここに来たということは……また事前報告があるのだろう。聞かせてくれ。手紙より、感情が分かりやすい。顔を合わせて話すのは好きだ」

 

 ネフライトが語るのは、たいての場合、事実だ。

 一年間の報告のうち特に学期末に起きた事件の報告を終えた時、狩人の目はしばらく宙を泳いでいた。恐らく宇宙悪夢的思索をしているのだろう。当分は戻ってこないと見当を付けたネフライトは、ふう、とひとつ息を吐き、お茶を飲んだ。眠気覚ましのハーブティーは妙に青臭い。

 

「待て? クルックスと争った?」

 

「えっ。はい。そうです。……持ち得た信条ゆえに」

 

「そ、そう。そうなんだ。ああ、ふむふむ、なるほどなるほど?」

 

 ネフライトは不思議なものを見た。狩人は「納得した!」という風に頷こうとしているが、動揺が見て取れる。

 

「それについて何か?」

 

「セラフィから件の速達について受けていた」

 

「ああ、そうだったのですか。珍しいですね」

 

「クルックスとの争いについては書いていなかったな。ちなみに聞くんだが……大したことない質問なんだが……クルックスの主張は?」

 

「『虫がいるヤーナムにルーピン先生を近付けさせたくない』でしょうか」

 

「あー」

 

 狩人は右斜め上に視線を飛ばした。──彼ならそう言うよね。

 

「素手で血に触れなければ、そう滅多なことは起きない。そして満月が危険だというのならそれも遠ざけよう。まぁ元々、完全な満月は湖の下で秘匿しているから新しい方策をしたワケではないが……。先生の話を聞くのは俺が楽しいし、個人教授は君達の糧になるだろう。人狼のことで当事者から詳しい話が出来るのは何よりも得難い経験だ」

 

「おっしゃるとおりです」

 

 ネフライトは「それみたことか」と心の裡でクルックスに言い放った。狩人がヤーナムの利となる存在を放っておくワケがなかったのだ。

 

「クルックスの考えは甘いものだとお父様はお考えになるのですか」

 

「まさか。まず獣を狩らずに済むのなら、それは善いことだ。彼は俺と同じように物事が上手く転ぶことに慣れていないから、発生する危険を最大限に考えて行動しようとする。間違いなく善いことだ」

 

「お父様とクルックスは連盟の同士でありますが、危険に対する見方について差があるように思います。そこについてはいかがお考えなのでしょう」

 

「そこは単純な能力、つまり『出来ること』と『出来ないこと』の差だ。あるいは『やりたいこと』と『やりたくないこと』の差だな。クルックスは万一にも自分が人狼を狩る事態になるのを恐れたのだろう。正しい恐怖だ。……ルーピン先生は、彼にとっても善い先生だったのだな」

 

「善い……。まぁ……一般的にはそう言えるかもしれません」

 

 ネフライトの苦い顔を見て狩人はお茶を飲んだ。

 

「魔法界において薬という叡智は彼らの獣性を抑える一助になっているようだ。うっかり飲み忘れたのはいただけないが人間なのだ。忘れることもあるだろう。……それが君には赦しがたいようだな」

 

「ええ、まあ。彼の授業は好ましいものでした。テルミをなだめすかして学期末試験終了後に捕獲作戦を実施する程度には……いいえ……隙がなければ私だって彼をわざわざ捕らえようとは……」

 

 何だかんだと理由を付けて『きょうだい』を腑分けしてしまわないようにルーピンも逃がしていたかもしれない。その程度にはネフライトにも情があった。そのため彼の声は尻すぼみになり消えていった。

 

「フフ。物事はどうにもうまく立ちゆかないものだ。間の悪い話だな」

 

「『間の悪い』? ハァ。クルックスは、しばしばその言葉を使いますが、全ては必然ではないですか。間の悪い、という言葉は運命に左右されている言葉です」

 

「とはいえだ。物事というものは、誰かが悪いことになれば人間関係がうまくいかなくなる。折り合いを付ける言葉として必要なのだ。『誰も悪くない。ただ運が悪い』とな」

 

「……そう理解します」

 

「そんなものだ。君も学舎へ行きたまえ。君とテルミが急いたことを俺は咎めない」

 

「また咎めないのですか」

 

「ああ、全て終わった話だからな。それに君達を咎めるのは俺もクルックスを思えば……いろいろと都合が悪い状況になっている」

 

「理解しました。ビルゲンワースに戻ります。お父様もあまり遅れすぎないように。遅れたらテルミを送りますよ」

 

「ああ、キングス・クロス駅に行ってから行く。学徒にそう伝えておいてくれ」

 

 ネフライトは狩人の顔に普段にはない焦りのような色を見つけていたが、彼から話さないうちは聞かないほうが良いのだと深入りはしなかった。

 

「……ああ、最後に」

 

 狩人は、工房を出ようとするネフライトを引き留めた。

 

「君はクルックス……それからセラフィと話をして折り合いをつけたまえ。『きょうだい』の間に禍根が残るのは好ましくない」

 

「彼らはもう理解しています。問題ないと思いますが」

 

「では一緒に眠れるな?」

 

 思いがけない言葉に「あぐっ」と呻き、ネフライトは戸惑った。

 

「昨年の夏休み最終日に皆で寝ただろう? あの日のクルックスはポカポカで充実した顔をしていた。仲直りの印に親睦を深めるといい」

 

「そ、そんなことしなくても我々の仲は良好……です……とても」

 

「せめて俺の目を見て言おうな。では、ネフには諸々の段取りを命じよう。頑張ってくれたまえよ」

 

「承りました……」

 

 のろのろと動き続け、やがて彼は夢を去って行った。

 ネフライトはクルックスならば言いくるめる自信があったが、セラフィの扱いを真剣に考えなければならない時期に来ていることをいよいよ認めざるを得なかった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ハリーは、明るい気持ちでホグワーツ特急から降りた。恐らくこれまでで最も明るい帰宅となることだろう。

 道中、名付け親のシリウスからふくろう便が来たのだ。

 それには彼の無事を伝える話とホグズミード行の許可を与える言葉が書いてあった。ついでにファイアボルトを送ったのもシリウスだったらしい。それにはハーマイオニーが「わたしの言ったとおりでしょ!」と推理の正解を大いに喜び、ハリーとロンに向かって勝ち誇った顔をした。

 明るくした要因は他にもある。ロンが提案したクィディッチワールド・カップにかこつけてウィーズリー家に夏休みの半分もの間、宿泊できるかもしれない。その予想は彼を明るくした。

 キングス・クロス駅のプラットホームに降り立ったハリーは、いくつか離れた場所に影のように立っている黒ずくめの人に見覚えがあった。

 

「ロン、ハーマイオニー。あの人」

 

 荷物の確認をするように動きながらハリーは二人にその人を指し示した。

 

「誰?」

 

 ハーマイオニーが小さい声で二人に尋ねた。

 

「クルックスのお父さん。うちに夏休みに手紙を受け取りに来たんだ」

 

「まぁ。でもお若い、ような……?」

 

 まさか、この会話が聞こえたのだろうか。

 上品そうなトップハットを被った当の本人、ハント氏がツカツカと歩いてきた。

 

「ご機嫌よう。君は。たぶん。ハリー・ポッター?」

 

 隣でロンが「ぷっ」と吹き出した。

 ハリーにとって。

 まったく自慢ではなく、むしろ遠慮願いたいことだったが、魔法界において彼は超がつくほど有名人だった。

 その人物に対して「たぶん」なんて言葉を付けて訊ねたのは、彼が最初の人物だろう。冗談なら別だが目の前の彼に揶揄する意図はなさそうで、ロンの反応を見て「あれ。間違っちゃったかな?」と呟き、不安そうにした。

 

「夏休みにフォーテスキューでお会いしたハリー・ポッターです」

 

「ああ、よかった。そうだろうと思った。おや。前に会ったときより背が伸びたようだ。健やかに育っているな。素晴らしい。そして、君はロン・ウィーズリー。今年の夏休みもポストの役目をお願いする。今年は何度か伺うことになりそうだ。何でも楽しげな催しがあるとか何とか。うんうん。娯楽があることは良いことだ。私も参考にしたい。そして、君は」

 

「ハーマイオニー・グレンジャーです」

 

 ハーマイオニーはいつもより早口で言った。

 ハント氏は手にしたステッキでトップハットのつばを持ち上げた。

 

「ああ、クルックスとネフから聞いたことがある名前だ。とても優秀で素晴らしい魔女だとね。そう。君のことは彼らからよく聞いたよ。ネフが誰かを褒めるのは初めてのことだ」

 

「それは、とっても嬉しいです」

 

 ハーマイオニーの声は緊張と喜びに弾んだ。ハリーはハーマイオニーが今年度はいくつかの教科でネフライトに勝ったのだろうと思った。

 ハント氏はクルックスによく似た銀灰の瞳でハーマイオニーを見つめた。

 

「彼に競い合える人物がいることを私は嬉しく思う。今年はネフが主宰する『互助拝領機構』にも参加してくれたのだと聞いた。あの子に付き合ってくれてありがとう。この調子で外のことにも興味を持ってくれるといいのだが……」

 

「今日も馬車で来たんですか?」

 

 ロンの話を聞くと彼は郵便を受け取りにオッタリー・セント・キャッチポールに馬車で来たのだという。

 ハリーは『漏れ鍋』の外に馬車を駐車している様子を想像した。それと同じようにキングス・クロス駅の駐車場に馬車があったら、帰宅する生徒が籠に入れたふくろうを持ち歩いているよりも目立つだろうと思った。

 ハント氏は、質問に気恥ずかしそうに答えた。

 

「答えは『いいえ』だ。馬車は運賃が……高くてね。うむ。今日は徒歩で来たとも」

 

「魔法使いって馬車もお使いになるんですか?」

 

「他の魔法使いのことは分からないな。私達は……あー……ちょっぴり特殊だからね。けれど行き先が分かっていれば使える手段なので私にとっては便利なのだよ」

 

 その時、ロンを呼ぶ声があった。

 振り返ればウィーズリー氏と夫人が笑顔で手を振っていた。

 

「おぉ、これはこれは」

 

 ハント氏はトップハットを持ち上げて挨拶した。

 

「さぁ、諸君。引き留めて悪かったね。これからも私のこども達と仲良くしてくれると嬉しい。……よい夏休みを!」

 

 彼との話は、いくつか疑問が生まれるものだった。

 けれど、いつしかハリーはそれを忘れていった。

 

「ああ、ハリー!」

 

 ウィーズリー夫人がハリーを「お帰りなさい」と抱きしめた時、何だか鼻先がツンとした。

 それだけで些細な疑問など霧散してしまったのだ。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「今年は……学徒の方々はいないようだ。良かったような。寂しいような」

 

 列車がホームプラットに入った頃から窓に顔を押しつけるように外を見ていたクルックスはそう言った。

 テルミはそんな彼を見上げた。

 

「いいや、気にすることはない。魔女鍋スポンジケーキも買ったことだ。帰ろう。ネフが叱られてしおしおになっているかもしれない」

 

「お父様がわたし達を叱るなんて想像できないわ。それに意外とケロリとしているかもしれません。だってわたしと同じで悪いことをしたと思っていないのですから」

 

「でも、僕らに負けたことには落ち込んでいたようだね」

 

 荷物を肩に掛けたセラフィはうっすらと笑った。

 

「やめないか。勝敗など。俺達にあるべきではないのだ」

 

 クルックスが父たる狩人そっくりの顔で咎める。

 これにはセラフィも口を噤み、テルミを見ては「気にするかい」と訊ねた。

 

「まさか。小さな小さなことだもの。気にしないわ」

 

 セラフィが何かを言いかけたその時だ。

 

「あ。お父様だ」

 

「セラフィ、つまらない冗談はやめてくれ。灯りはホームの外だ。帰るぞ」

 

 クルックスは、振り返ることもしなかったがテルミは素早く彼の外套を引っ張った。

 

「もう。お父様がいるワケないだろう。だってあの人は乳母車がなくても目立つんだから」

 

「乳母車?」

 

「何でもない! 何でもないぞ!」

 

 クルックスは車窓を覗き込んだ。

 彼が見逃してしまったのは単純なことで、真紅のホグワーツ特急がもうもうと吐き出す蒸気に黒い姿が見えなくなってしまっていたのだ。蒸気の切れ間に見慣れた顔の紳士がいた。

 

「わ。……本当にいた……」

 

 三人は汽車を飛び出すとホームを先頭車両に向かって歩いた。

 狩人は、ちょうど特急列車を降りた魔女と話しているようだった。三人は狩人の視界に入らない場所で足を止めた。彼が話している魔女のことは、三人ともよく知っている。生徒から「車両販売の魔女」とか「ワゴンのおばあさん」と呼ばれている魔女だった。

 

「貴女のような存在がいるとは。この鉄馬車は『すこし』狭いのではないですか?」

 

 狩人は魔女のためにやや身を屈めて目線を合わせて話をしていた。

 テルミは父がこうして誰かに対して丁寧に話す言葉を初めて聞いた。

 

「いやいや。私はここでいいのさ。このホグワーツ特急が出来たとき──オッタライン・ギャンボル校長が直々にこの仕事をくれてね。以来、私はこの仕事を気に入っている」

 

「そうですか。俺も似たようなものだ。俺の場合、誰から受けた仕事というワケではないが同じように気に入っている」

 

「そりゃいいことだ。仕事ってのは、やっぱりこういうモンじゃなきゃならないねぇ……」

 

 狩人と魔女は驚くべきことに親しそうに話をしている。柔らかい雰囲気なのに近寄りがたかった。

 

「ギャンボル校長は私に仕事をくれた。けれど『辞めたかったらいつでも辞めていい。貴女は私と同じだ。本当に自由なのだよ』とも言ってくれた。優しい人でね。校長を退任した後も老いて歩けなくなるまで何度も会いに来てくれた。私を任命したという責任感が強かったから来ていただけかもしれないけど……。どうしても嬉しくてねぇ。ずっとずっと嬉しくてねぇ。あの時のことを思うと、私は、何もかもちっとも苦じゃないのさ」

 

「それは素晴らしいことだ」

 

 テルミは耳が良い。四仔のなかで最も戦闘の才に恵まれなかった自分には、どんな声でも覚え、聞き分け、感情を読み取る能力があった。それなのに狩人の声音がどんな顔で伝えたものなのか分からなかった。

 

「お話をありがとう、貴女。……やはり時おり這い出ると良いことがあるようだ」

 

「あなたはずいぶん遠くから来たのねぇ。もうずっとずっとずっとあなたのような人は見ていない」

 

「うーん。そうか。貴女のようなモノがいるのなら珍しいことでもないのかと思ったが、そうでもないのだな。悲しいことだ。それとも喜ばしいことなのだろうか?」

 

「わからなくなっちゃったねぇ」

 

「わからなくなっちゃったかぁ。それはそれでよいのかもしれないな。答えは自分で探すとしよう。ありがとう。貴女に夜明けを……。いいえ、貴女は俺が祈るべき夜明けを迎えているようだ。どうかこれからも幸せでありますように。暗澹たる地より祈っている。名前の無い貴女」

 

「あなたもね。仕事は、ほどほどにするんだよ。あなたも私も、きっと自由なんだから」

 

 記録する限り最悪の夜を越えた狩人は返事をせず、ただ、手を振り、トップハットを軽く上げてお別れをした。

 振り返った先。

 テルミはクルックスとセラフィの陰にヒュッと隠れた。隠れる意味はほとんどないが、なんとなく父は自分に今の姿を見られたくないのではないかと思ったのだ。この種の勘はよく当たることをテルミは悲しいほどに知っていた。

 

「おっと。──君達、おかえり。出迎えに来たつもりだったのに、ついうろうろしてしまった。すまない」

 

 狩人が落ち込んだ顔をする前に答えるのは、いつもクルックスだ。

 

「いいえ。お父様もいろいろなものを見て、知るべきです。……とても大切なお話をしていたのでしょう。お父様なら、俺達が見るよりずっといろいろなものが見えるのでしょう。それが善いものであれば俺達も嬉しいのです」

 

「そうか……気を遣わせてばかりですまないな」

 

 狩人は首を回しながら蒸気の白い煙の向こうに消えていくお菓子カートの魔女を見送った。

 

「今の魔女のおばあさんは、どういった存在なのですか?」

 

「さあ。俺もハッキリとしたことは分からないな」

 

 狩人は右手で顎の下を撫でながら言った。

 

「今は人間ではないことは確かだな」

 

「では……上位者?」

 

 セラフィは予め周囲に気を配り、言葉を低めた。

 

「さて、それもどうだろう。生き物として『まとも』ではない。分かるのはそれだけだ。しかし、見てのとおり。俺ほど性質の悪い感じではなさそうだな。列車で大暴れとか途中下車とか。そんなことをしなければ敵にはならない気がする。怪物に、成り上がったか。成り下がったか。いいや、これはただの言葉遊びだな」

 

 狩人はクルックスから魔女鍋スポンジケーキを受け取った。

 

「ギャンボル校長。彼女が言っていたな。どこかで見た名前だと思っていたが思い出したぞ。『ホグワーツの歴史』に書いてあった。歴代校長の一人で、このホグワーツ特急を作った女性校長だ。一八二七年のことだ」

 

「まぁ。お若い」

 

 テルミがセラフィの陰からヒョイと顔を出すと狩人は「オウ」と海獣のように小さく吠えて身を縮めた。

 

「お、お、おかえり、テルミ。すまないな。いつもこんな感じで……」

 

「いいえ。何も気にしませんわ。お父様がお出迎えしてくれるなんて思いませんでしたから、とっても嬉しい!」

 

「う、うん」

 

 狩人はジリジリとテルミから遠ざかるように離れ、終いにはホームに転落しかけた。

 

「お父様……!」

 

 間一髪のところで狩人の腕を掴んだクルックスが、狩人をホームに引き戻した。

 

「おぉ、すこし驚いたぞ。クルックス、筋力に振りすぎてないか?」

 

「この日のための筋力だったかもしれません」

 

「フフ。面白いことを言う。いいな。今度、俺も使ってみよう。──さて。ネフが待っている。では帰ろうか」

 

 狩人は、そう言ってニッコリ笑った。

 ホグワーツ特急があるべき場所へ帰っていく。

 緩くピストンが動き始め、もうもうとした蒸気を吹き出す頃、彼らの姿も消えた。

 





毎年恒例行事
 報告会は反省会にもなりかねないものでしたが狩人のリスク管理的には大丈夫の範疇だったので特に問題になりませんでした。
 それよりクルックスと争った? そっかぁ……そっかぁ……。
 仔らの間で激しく争った、という事実を今さら知る狩人。仔らの間で何とか折り合いを付けて収めた件を掘り返して生き返らせたようなものなので間の悪い状況は続きそうです。


カートのおばあさん
 戦闘力については『呪いの子』で見ることが出来るぞ!
 ……もう全部この人だけでいいんじゃないかな。
 長い仕事をしている者同士、思うところがあったのでしょう。
 個人的には、ずっとずっとずっと仕事を続けている存在が本当は自由で、今は好きで仕事をしているだけ、という展開が嬉しいな、と思います。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。