客人
客としてやって来る人。
ヤーナムには、ごく少ない。
ヤーナムを訪れる多くの人は、輸血により記憶が曖昧になるからだ。
いったいヤーナムの外に誰がいただろうか。
まして、客として招くとは。
ここはヤーナム。学舎、ビルゲンワース。
大講堂に集った狩人と仔ら、そしてクィレルに向かい、口火を切ったのは学徒、コッペリアだった。
「超常の出自。不死に近い肉体。上位者との縁。ヤーナムの誰もが得難いものを全て、しかも深く、その身に宿しながら、やっていることが内ゲバ! 内ゲバ! 内ゲバ! もー! 何だってんだよ、もー! もー!」
クルックスは、帰着早々にしていきなり分からない言葉をぶつけられてしまい戸惑った。
困ってしまい、先に学舎に戻っていたネフライトに解説を求めると彼は目の前の一九〇センチ近い大の大人が床を転がる様子を見たくないのだろう。目を閉じて眉を寄せていた。
「君の聞きたいことは分かる。『内ゲバ』とは要するに『仲間割れ』や『暴力闘争』の意味だ。我々には当てはまらないものだがね」
「それは、しかし……」
では、ホグワーツにおいてルーピンの処遇で争ったことは何だと言うのか。
クルックスが訊ねることを待たず、ネフライトは告げた。
「我々はお互いに説得をしていただけだ。ときどき仕掛け武器が『ちょっと』出たかもしれないが、概ね言葉による交渉を行っていた。そうだな?」
「それは……うーむ……『ちょっと』の感覚は人によるからな……俺には判断が出来ない……。でも君が言うからにはやっぱりそうなんだろう」
「そうそう」
ネフライトの言うことは今回に限り、詭弁と言えそうだったが、クルックスはネフライトの言うことはたいてい正しいと思っているため彼の判断を尊重した結果、自分の判断を後回しにした。
その間、コッペリアは危うく目隠し帽子を落としそうになるまで床をポカポカと叩いていた。
「限りなく不死の領域に近く、限りなく上位者の胎内に存在する君達が! もー! なんで内ゲバしちゃうかなぁ!? どうして仲良く出来ないんだい?」
「お言葉ですが、ネフもテルミもそれぞれの主張に基づくヤーナムに資するものと信じて行っていたことです。俺もそう。決定的かつ不可逆的な内ゲバとやらではなかったと思います」
「そりゃあそうだろう。死んでも死にきれない君達を殺すのは君達同士でも大変なことだ。むしろ同じ枝葉の存在だからこそ出来ないのかもね。だから、だからこそ、君達が争うのは本当に不毛なんだよ。これはヤーナム市街の各陣営の狩人達の比ではない。お互いの不理解のために殺し合いする段階は、もう二〇〇年以上前に終わったんだ。君達には協調の精神を持って、次の段階の人間として生きて欲しいのに。──どうして内ゲバしちゃったかなぁッ!?」
「コッペリア様は内ゲバという言葉が使いたいだけでしょう。それと、わざわざ明言するほどでもないと思っていたので言いませんでしたが──学徒が私に命令するな」
「ネフ!?」
突然の発言にクルックスは驚いて彼を見た。
ネフライトは緑色の瞳を細め、不快そうに言った。
「私は学徒の駒ではない。自分で考え、自分で行動し、責を負う。そして全ての裁定はお父様にある。……お父様、私とテルミから釈明することはありません。敗者でありますから。どうぞ存分にお咎め下さい」
狩人は椅子に腰掛けたまま彼らの一連のやりとりを見ていたが、自分が話しかけられたことで何かを話さなければならないことに気付いたようだった。
コッペリアに比べると彼に浮かぶ感情は薄い。つまりはいつもと変わらない顔だった。
「咎めることは何もない。ヤーナムのことを慮ってくれたのだろう。ありがとう。優しいな、君達も。咎められるべきは俺だろう。俺が悠々自適な赤ちゃん生活に──」
「アーッ! 難聴かなぁッ!? 配慮、配慮が足りない言葉が聞こえた気がするぜ!?」
コッペリアが今日一番の声で叫んだ。
狩人は、咳払いをした。
「えー、聖杯探索に一生懸命、勤しんでいたせいで君達に要らぬ諍いを生んでしまった。停滞を疎んじてのことだろうな。先の見えない獣狩りと神秘の探求。ネフの気が滅入るのも無理はない」
「いえ、私は……そんな……べ、別にお父様のためを思って行ったワケではありませんので、思い違いなさらないようにしていただければ……」
「じゃあ何のためなのさ?」
コッペリアが椅子に座り直して足を組んだ。
ネフライトはスッと背筋を正した。
「獣の病を解明するためです。他の地域の類似症例を得て啓ける知見もあるでしょう。かつて獣の病に冒された地、ローランの先例さえ我々には曖昧な知見に留まります。ならば今こそ魔法界という新しい切り口が必要です。現状の方法では手詰まりに思えますから。──しかし、クルックスの説得のお陰で浅慮な行動を慎むことが出来ました。頭を下げてお願いされたら感謝をしてやってもいいと思っています」
「ん? 頭を下げるのは俺? おかしくないか? おかしいだろう?」
クルックスは異を唱えてみたがネフライトに「何を言っているんだ?」と言いたげな顔をされたので自信がなくなってきた。ネフライトに続けとばかりにテルミが挙手した。
「はーい、テルミもー、とてもー、はんせー、してまーすかもでーす」
「してないだろうが」
噛みついてみたもののやはり「何を言っているのかしら」という顔をされてしまいクルックスは困った。そんな彼の隣でセラフィが「分かるよ」と言ったが絶対に何も分かっていないと彼は何度目かの確信を得た。
「ふむ。君達にはいつも心配をかけてすまないと思っている。クルックスに市街を留守にし過ぎるのはよくないとも忠告されたことだ。そう。俺は宇宙とか深海とか考えすぎて大事にするべきものが疎かになっていたのかもしれない。そのため、今回からは俺も積極的に動くことにした。たとえば件のルーピン先生だ」
クルックスは言いようのない嫌な予感がした。
予感の原因は何なのか。それを探して辺りを見回したが何も無い。
──気のせいだろう。
そう思い込む努力をして四仔は学徒に勧められた椅子に座った。
代わりに狩人が立ち上がった。
「『彼』の話を聞いたとき、会って話をしてみたいと思った。獣の病に関わらずな。人間と獣を行き来する存在に君達は、まだ出会ったことがない。彼の話は聞くだけでも貴重な知見となるだろう。そう思ったのでちょっとした交渉と説得でお越しいただくことになった。──あらためてご紹介しよう。ルーピン先生だ」
パッと扉が開き、ここ一年ですっかり見慣れてしまった姿が現れた。くたびれたローブ。白髪交じりの鳶色の髪。傷のある顔。紛れもない。ホグワーツに存在したルーピンだった。
「やぁ、みんな。久しぶりだね」
その姿を認めた瞬間。クルックスは自分でもワケが分からないことを叫び、立ち上がって隣に座っていたネフライトの胸ぐらを掴み上げた。
「ネフッ! 君は──君というヤツは──こンの、ネフライトォーッ!」
「ヒッ!? な、なに!? なんだ、なんだっていうんだ!?」
揺さぶられ眼鏡を床に落としたネフライトが緑色の瞳で見上げてきた。白を切る心算だろうか。首を絞める勢いで首を揺らした。
「もはや決着が付いた話だろう! どうして! こんなことを! なんでルーピン先生が──!」
「私には関係のない件だ! 離せっ!」
「ならばテルミかッ!?」
ネフライトを捨て、テルミに掴みかかろうと迫った先。
「僕だよ」
涼やかな声がクルックスの理性を無理やりに引き戻した。熱かった頭から急に血の気が引いた。ようやく出てきた言葉は「あ?」という間抜けなものだった。
「ルーピン先生のことをお父様に伝えたのは僕だよ。お父様が興味を持たれるだろうかと思って」
「そ、それが、それだけで……? き、君は自分が何をしたか分かっているのか? いいや、違う、違う、君がこんなことをするハズがない……! 君が……そんな。君を、テルミが唆したのだろう!?」
クルックスの怒鳴り声にセラフィは肩をすくめ、テルミは「まあ破廉恥な」という目で彼を見上げた。
「わたしがお父様に縋りつくワケないでしょう。見誤らないで下さる? 信仰と陳情は違うものです」
「そんな──」
ヤーナムにルーピン先生がいる現実が受け入れられず、クルックスは立ち尽くした。
その時だ。
「──いいねぇ。少年の甘い、甘ぁい声が聞こえたぜ。もっと聞かせておくれよ。黄昏の夜の淵。温い酒があれば、さらに佳い」
聞いたことのある声にクルックスは再び目を扉に向けた。
現れたのは──ああ、やはり、クルックスは胸がジリジリと焦げるような喜びと困惑に陥った。アルスターを着込み、厚手のケープコートを腕に抱えたレオーが扉に寄りかかって立っていた。彼はつい「こんな時に」と口の中で呟いた。
「ご機嫌よう。学徒、月の仔ら、それから異邦の魔法使いとやら。──カインハーストのレオー様だぜ。一年ぶりだ。久しぶりだな」
「わぁ、レオー様! いらっしゃっていたのですね! 僕は会えて嬉しいです!」
「休暇でもないし来たくなかったがね。それに、ここは暑いからな。でも女王様が『御者やれ』って言うもんだから仕方なくさァ」
彼は抱きついてきたセラフィをあやしながら片手で乗馬用の鞭を弄んでいた。それからクルックスを見て「よぅ」と気さくな挨拶をした。昨年、自分を殺したとは思えない気安さだ。そのため彼と出会った時に何を言うべきか考えていた思考は、全て無意味になった。
「レ、レオー様……」
「まさか学校のセンセーがやって来るとは思わなかったって面だな。──文句なら早めに狩人に言った方がいいぜ。俺はてっきり織り込み済みかと思っていたが、いやはや、パパの考えることは分からないものだな?」
レオーの言葉にハッとした。そうだ。文句、文句を言うべきなのだ。少なくとも善い行いではないと伝えなければならない。
そのことを思い出しクルックスは口を開きかけた。
「ああ、クルックスは外から人を招くのに不安があるようだな。そうか。事前に話をしていなかった。驚かせてすまない。だが、いつか役に立つことだ。予防策は学徒と相談して万全に整えた。問題は少ない。よって彼には当分ここにいてもらう。詳細は後ほどだ」
「は、はぃ……」
狩人がそう言うので、クルックスは頷いた。
内心は何も納得していなかったが、狩人の決定を今さら覆すのは不可能だと頭のどこかが悟っていた。
「す、すみません……大声を出して……俺は……あ、頭を……冷やしてきます……」
椅子に座る気分になれず、クルックスはふらふらと外を目指して歩き出した。
どこよりも心のより所にすべきヤーナムに帰ってきたというのに性質の悪い悪夢を見ているような気分になった。
■ ■ ■
(頭がどうにかなってしまいそうだ)
怒り。悲しみ。困惑。驚き。
色とりどりさまざまな感情がクルックスをいちいち揺さぶり、ほんの数秒も落ち着いていられない気分にさせた。
(お父様は何を考えているのだ)
そんなものは決まっている。ヤーナムのことだ。
彼の揺籃にして大切に思っている街のことだ。そして獣の病のことだ。
(連盟員として俺は間違っていないハズなのに。どうして……どうして……お父様は……)
自室に戻る気分になれず、廊下を長く歩き続けるほどの気力さえない。そのため彼が辿り着いたのは、学舎二階の月見台だった。
既に言葉を失った学長、ウィレームが安楽椅子に座って存在するだけの屋上は微かに椅子を軋ませる音が聞こえるだけの異様なまでの静けさがあった。
クルックスは湖に突き出した月見台に座った。
足音が聞こえた。
それが狩人のものだとクルックスは、分かっていた。彼が最初に言葉を話し、それに納得してしまわないようにクルックスから話しかけた。
「お父様……どうして……。俺は……魔法界の人々をヤーナムに招くのは善くないことだと思うのです。淀み、虫がいるヤーナムに……虫の少ない魔法界にいる彼らを招くなど……」
──賛同しかねます。
顔を合わせずに伝える無礼を今だけは許して欲しかった。
クルックスの背中に狩人は決まったことを伝えた。
「そう言うと思っていた。ルーピン先生は学舎にいれば問題ないだろう。そして彼が滞在するのは一年と決めている」
「外からの人が……ヤーナムに来ること、そもそもが俺は嫌なのです」
「ほう。ほほう」
狩人は歩いてきて身を屈め、クルックスを見つめた。
逆さまに現れた父の顔をクルックスは見つめ、目を逸らした。何もかも見透かしてしまいそうな宇宙の色の瞳は今は見つめていたいものではなかった。だって。
「驚いたな。君は『恥ずかしい』のか」
目を見るまでもなく彼には分かっていたのだろう。
クルックスは目を閉じた。
「もっと虫を殺し、綺麗にした後のヤーナムであれば……俺は取り乱すことはしませんでした。ヤーナムが危険な土地だということを俺はここ三年で理解しました。魔法界は夜に出歩いても背中を刺される危険は、ごく少ないのです……」
「しかし、時間は有限だ。セラフィに話を聞いた時に彼とは今のうちに話しておくべきだと思ったのだ。……クルックス、彼らの時間は私達ほど永いものではない。狩人ならば機は逃さないことだ」
「……お父様、それは……その言葉は……ここ数年、あるいは数十年の間にルーピン先生が死ぬということですか?」
目を開いたとき。狩人は背を伸ばしてクルックスの視界からいなくなっていた。彼は振り返ることもできた。だが、どうしても振り返る勇気が持てなかった。狩人が確信的な顔を、目を、していたらこれからルーピンにどんな顔をすればよいか分からなくなることをクルックスは恐れた。
「……。ヤーナムの外からやって来た人の人生は、俺には分からない。私は君や学徒が期待するほど万能ではないのだ。そもそも上位者が万能だったらお好みの赤子を見出していただろう」
「あっ。ごめんなさい……お父様……」
彼は決して口にしないが。
人から寄せられる期待に彼は倦んでいるようだった。クルックスは何となく彼のそうした嫌気を知っていた。ヤーナムに蔓延る神への祈りが、ひょっとして彼にも届いているのかもしれない。
「現在のヤーナムは……お父様でも不本意な形なのだと俺は思っています。だから……その……俺は、もうすこしお父様の望むようなヤーナムになってから、という意味で……あの……」
「君は大切な俺の息子だ。気にしないさ。それに今回は俺の好奇心が勝ってしまって手際が悪かった。すまない。もっと話をしていればよかった。それに説明も疎かだった。……俺はやるべきことがしばしば前後してしまうようだ。いろいろと考え事をしていてね。たとえば、これ」
クルックスは振り返った。
いつもと変わらない狩人が懐から取り出したのは、誰かの手帳のようだ。
「全てはこれから始まった」
──ヤーナム。
──その名は、現在、わずかな書籍の中に数行存在するのみである。
この書き出しから始まった手記をクルックスは受け取った。
「これは手記。そしていまや導きとなった」
「手記が導き? どういう意味ですか?」
「言葉にするのは難しいことだ。けれど、君の理解のためにちょっとした例え話をしてみようか。──『ヤーナムは存在しない』。そう考える者がいったい何人ヤーナムに辿り着けるだろう」
クルックスは彼の話を聞いて、頭に閃いた考えがあった。
「まさか……。カインハーストの馬車と同じ理屈なのですか?」
『そこにある』と信じるから辿り着ける。
病も幸運も結果を左右する一要因に過ぎない。
狩人はそう言いたいのだろうか。しかし。
「でも、でも、その理屈は……完全ではないでしょう? 連盟の長は、かつて都の官憲であり、獣を追ってヤーナムに辿り着いた官憲隊の唯一の生き残りだと聞きます。彼らはヤーナムがあることを知っていたのでしょうか?」
「必要なのは言葉ではない。敵が、獣が、そこに『在る』ことを知っていれば、それだけでいいのだ。なぜ私がヤーナムの物を外に出したくないか。分かってくれただろうか」
釈然としない気持ちが体の中で渦を巻いているが、具体的な言葉にならないためクルックスはひとまず頷いた。
「ええ、はい。……これの持ち主はクィレル先生? これは元々ヤーナムにあったものではないのに」
「筆まめな旅行者は、ちょっと困る存在だな」
「お父様の推察が正しいとすると本心のところ、俺達を外に出したくなかったのではないですか?」
「いいや、後悔はしていない。今後も『好きに遊んでおいで』と俺は背中を押すだろう。なぜならヤーナムに訪れる人の流れは細く、けれど途切れることはない。君達に触れて多少の訪問者が増えたところで何も変わらない。具体的には、彼らがヤーナムの神秘を探らなければ問題はないのだ。せいぜい観光していくといい。治安が最悪らしいので『出来るものならば』という前置きが必要な環境になっているが」
「……分かりました。これは……」
「君が持っていてほしい」
「倉庫に入れておきます。それでもいいですか?」
「構わない。いつか使い時があるだろう。──ヤーナムを必要とする人がいたら、渡しなさい」
クルックスは、言葉を作るために息を飲み込んだ。
──未来に、そんな人がいるのですか?
言いたい。クルックスにはどうすることもできないほど遠く、不透明な先の時間のことを訊ねてしまいたい。だが、声を出すことはやはり出来なかった。そのことを訊ねて、答えを聞いて、その時に手記を正しく渡すことが出来るとして、果たして、善い行いだろうか。すこしでも考えてしまったからだ。
「神秘の知恵は人には過ぎたものだ。だが、狼人間のことを知って思ったのだ。異なる神秘の根を持つ彼らならば、もしや、とね?」
「魔法族がヤーナムの神秘を扱えるとは思いません」
クルックスは断言した。そうだと思っていたいのは、もしも、彼らがヤーナムの神秘を扱えてしまえば、ヤーナムの秀でた点──医療者たる狩人が積み上げた神秘の知識──が大きく失われるからだ。
クルックスの焦りを見透かして狩人は小さく笑った。
「フフ、君はヤーナムが劣ることを認めたくないのだな。そういう気持ちを抱くと言うことは、ヤーナムに愛着を持ってくれているということだろうか。そうであれば、とても嬉しい」
「お父様のヤーナムを俺が大切に思うのは当然のことです。──魔法族の脳に瞳を与えるつもりですか? コッペリア様にそうしたように」
──いつも頭痛に苦しんでいるのに。
クルックスは伏せた言葉を知ってか知らず。狩人は静かな顔をして手を伸ばし、クルックスの髪を梳いた。
「それもよい試行かもしれない。求める限り与えてみようか……」
狩人は簡単に言うが、自分たちのやることなすことが善いことに転ぶことが少ないことを今年度で嫌というほど知ってしまったクルックスは、やはりすぐに答えることが出来なかった。
「かつて上位者に届いたメンシスの願いが歪んだように、きっと望みの形では叶えられない。それでも望むのならば呪いと腐臭に満ちた祝福を得るだろう。『必ず滅ぶ』なんて呪いをひっくり返すのは上位者であっても大事だ。それが人間の身に起ころうものなら、さて、どうなるものか。けれど望む者はいるかもしれない。滅んでこそ見える景色もあるだろう。比較は大事だ。新しい思索のきっかけになるかもしれないな」
「お父様は魔法界を食い物にするおつもりですか? それは善い行いではないと思います」
「そう荒ぶるな。戦争をふっかけようという話ではない。食い散らかすこともない。神秘に
「自然?」
「ここに私がいて、そこに君がいる。それと同じくらいの自然で、ヤーナムが神の墓地の上に立つ事と同じくらいの自然だ」
「自然……」
「しかし、俺が人の心を失っていないのは神秘の探求者にとって不幸なことだろうな。誰が最初に訪れるだろうか。どうやって訪れるだろうか。目的は何だろうか。とてもワクワクしている」
「お父様!」
「ハハハ。──冗談ではないが、冗談にはしない。軽率なことはしないとも。君達から嫌われるのは嫌な気分になるからな」
クルックスの髪をたどり、耳を指で擦った後で狩人は微笑んだ。
「本当は……訊ねるのが恐ろしい質問なのですが……」
「ん?」
「お父様は人間の味方、なのですよね?」
「当然! 俺はヤーナムの味方だ。──さぁ、行こう! 『一年間お疲れさま会』の準備を手伝わなければ。今年は血の酒は禁止だ。我慢できるだろうか?」
「もちろんです」
クルックスは月見台を訪れる風に誘われ、一度だけ湖を振り返った。
ビルゲンワースの学徒、コッペリアが話してくれたことがある。
かつて獣狩りの夜にて月の香りの狩人は、言葉を失った学長ウィレームから何事か指示を受け、湖に飛び込んだのだという。彼の行動力はクルックスの想像を絶することがある。
その行動力の化身に対し、今年度のさまざまな出来事は結果として『けしかけた』と言えるのではないか。
(違う……! 断じて、俺は、そんなつもりはなかった。全て善いことだと思って果たしたのに! そうあるように努力したのに!)
それなのに。
──誰かを陥れる落とし穴ばかり作っていないだろうか。
恐ろしい空想ばかりが浮かび、しかも現実は凄惨な死の幻想を拭いきれない。
失意と絶望を乗り越えた先に得た狩人の楽観をクルックスの認知が共有できないことは、二人にとって不幸な出来事だった。
そのため彼は今さらながら過去が恐ろしく、未来が想像もつかないことに気付き、愕然とした。