クリスマスの贈り物。
善良な者にこそ、幸は与えられるべきだろう。
……拝領の歴史は、物を替え続いている……
クリスマス。
十二月下旬の行事である。
待ち遠しい休暇のせいか。数人の先生を除く教師と生徒以外は、勉強に身が入らないようだ。
ヤーナム内には無い行事だ。
いや、探せばあるのかもしれない。けれど、異邦の病人が街に来てまず最初に捨てる物(医療教会調べ)の第一位が異教の聖書であるという話を聞いたことがある。異教のことは詳しくなかったが、ヤーナムにおいてクリスマスの知識がありそうな人物はガスコイン神父しか思いつかなかった。残念ながら、クルックスは彼と話したことが無いけれど。
さて、行事を調べてみたところ、調べれば調べるほどハロウィーン同様に魔法族が祝う行事として不適切に思われたが、ホグワーツひいては魔法族は気にしていない様子だった。そしてやはり皮肉では無さそうだ。さては、鈍感なのだろうか。実に不思議である。
そんなクリスマス休暇は、自宅に戻っても良い期間となっているらしい。
クルックスは戻るかどうか迷い、父たる狩人に伺うため狩人の夢に一通の手記を放った。返事は翌朝、使者がクルックスの寝床に手記を運んできた。曰く『ヤーナムのことは気にするな。引き続き、勉学など頑張りたまえよ。風邪をひかないように』。憂いが無くなった彼は、ホグワーツに残ることにした。ほかのきょうだい達もそうするらしい。
クルックスの周囲に馴染めないという悩みは、少々薄れていた。
彼自身の努力も少々あるが、周囲の生徒が比較的素直であり、その性質に助けられていることが多々あった。また、数か月経ったことで「あいつはそういうヤツ」という理解が互いに浸透したことも彼を助けた。以前、ハーマイオニーが言った「生活に慣れれば、きっと大丈夫よ」という言葉は確かにその通りだった。
唯一、交流に壁を感じるといえば、ハリーやロンだった。目の前でトロールを狩ってしまったことが影響していた。やや警戒されているが、クルックスは気に留めなかった。たとえ彼らが自分を忌避しようと彼らがクルックスにとって愛すべき日常にいることは変わらない。
忌まわしき虫がその身のうちに見えるまでは、誰であれそこそこの付き合いをしてもよいと思うのだ。
ところで。最近のハリー、ロン、ハーマイオニーといえば図書館に通い詰めている。ハリーやロンはともかくとしてハーマイオニーまでがそれに付き添うように歩くのは意外である。授業が難解で困っているのかと問えば、違うと言う。彼らは何らかの課題に取り組んでいるらしい。クルックスは、その課題を四階の廊下にいる三頭犬の出し抜き方ではないかと見当をつけていた。
三頭犬の出し抜き方といえば。
クルックスは『きょうだい集会』の度に話題に出して助言を求めたが、同じ枝葉の存在である三人は飽きたらしい。
「殺してしまったら? ほら、虫がいるかもしれないし?」とはテルミの弁。
「現行犯で捕まらなければ問題は無いだろう。殺したまえよ」とはセラフィの弁。
「このような思考に費やす労力がもう無駄で無駄。殺せ」とはネフライトの弁。
三人の意見が一致してしまったが「じゃあ、殺そうか」となるクルックスではなかった。
苦い顔をしている自覚があった。
「俺でさえ思いつく安直なことを言うんじゃあない。あれはきっと魔法生物だ。何か制御する術があるハズなのだ。たぶん。あと、テルミは虫のことを軽々と言うな」
「あら、連盟の狩人ったら恐いわ。お姉様」
きゃあ、と可愛げな悲鳴をあげてセラフィにとびつくテルミ。
セラフィは猫を撫でるようにテルミを抱きとめた。
「よしよし」
「教会の人間にとって血の狩人のほうが、よほど恐ろしいと思うがね。……。テルミ、君も聖職者の端くれなら振る舞いに気を付けたまえよ」
ネフライトは、女子ふたりのやりとりを視界に入れないように明後日を向いていた。
「まぁ。お気に障ったら、ごめんなさいね? でも、真面目な提案をしている心算なの。貴公が本当に秘奥を見たいのならば、ね?」
テルミがクスクスと笑う。相も変わらず感情をくすぐる声だった。今度はセラフィもネフライトも何も言わない。
入学初日の自分であったら、その日のうちに殺しにいったかもしれない。だが、手早く凶行したとして、咎められなかったとして、校長と先生には誰の仕業か分かるだろう。その後の生活を彼らの監視のうちに過ごすのは、楽しいことではない。
ネフライトの手助けを受けながら、調べ物をしてみよう。クリスマス休暇の過ごし方は決まった。
■ ■ ■
「やあ! 同じ居残り組だぜ」
休暇前、最後の授業が終わった夕方。
トランクを持った生徒でごった返す談話室の隅で、ネフライトの資料を読み疲れてぼんやり人混みを見ていると声をかけられた。
見れば同じ顔が二つある。これらは幻覚ではなかった。双子と呼ばれるものだと知ったのは、入学した次の日だった。
「ジョージ先輩、フレッド先輩。ええ。まあ。……。家人が忙しくしているもので」
先日、マクゴナガル先生がクリスマスに居残る生徒のリストを掲示した際、最後に名前を書いたのがクルックスであったため、彼らウィーズリー三兄弟とハリー・ポッターが今回の休暇でホグワーツに残ることを知っていた。
「そうかい! ウチもそうさ」
「パパもママも旅行でね! ルーマニアに行くんだ。君は、行ったことある?」
クルックスが、ホグワーツで一番最初に行ったことは世界地図を頭に叩きこむことだった。ひとまずヨーロッパ諸国程度は覚えることができた。そのなかにルーマニアもあった。
「いいえ。ルーマニアは……たしか……バルカン半島東部の国家、でしたか。外国はとんと行ったことがありません。どんなところなんでしょう?」
「トウモロコシが主食だな、あそこは」
「あとドラキュラだぜ、ドラキュラ。でも、ルーマニアで話す時は気を付けろよ。あそこで『この国の有名人は誰?』って聞いたらマグルでも十人に十人が『どうせドラキュラって言ってほしいんだろ!』ってキレるからね」
「トランシルヴァニアじゃなくてもキレるのかい!?」
ふたりは大爆笑した。
笑いどころが分からず、クルックスは「は、はあ」と曖昧に笑った。
「楽しい休暇にしようぜ!」
「お気遣い、ありがとうございます」
彼らは、誰かを見ると構わずにはいられないということは、この数か月でも身に染みている。
まどろみから醒めたクルックスは、ドラキュラ──ヴァンパイアのことを考えていた。
三頭犬について調べている時に読み飛ばした記憶がある。
人血を啜る、脆い生物だ。日光を浴びることができないとは、すこしばかり寂しい生態をしている。けれど、彼は輸血液をもって生の感覚を得るヤーナムの民のほうが、生物として上等だと考えているワケでもなかった。獣性を克服した結果、夜しか歩けなくなった──などの事実があったら、お父様も目の色を変えるだろうか、などと考える。
「うーむ……」
どこもかしこも分からないことばかりだ。
クルックスは、ネフライトの資料に赤を入れ終わるとわきに抱えて立ち上がった。ネフライトは疲れているようだ。今回は、誤字脱字が多かった。ひょっとするとメンシス学派製の栄養剤をキメていないのかもしれない。
談話室を出ようとしたところで、ハーマイオニーを見かけた。
「あら。クルックスは、帰らないのね」
「……。家人が多忙でな。君は帰るのだな。良いクリスマス休暇となりますように。この城で祈っていよう」
「『祈る』は、ちょっと大げさだと思うけど」
「む。そうなのか。では、良い休暇を過ごしたまえ。風邪などひかないように」
「ありがとう。あなたもよいクリスマスを」
彼女と別れると男子生徒の個室へ向かう。ネビルとばったり出くわした。
「ロングボトム、今度こそカエルは持ったか?」
「カエルじゃなくてガマガエルだよ! だ、大丈夫、ちゃんと持った……」
「では、良い休暇を」
「あぁ、うん……」
妙に元気が無いが、家族に問題があるのだろうか。
しかし、クルックスに気の利く言葉がかけられるワケもなく、励ますように軽く肩を叩くだけに終わった。
■ ■ ■
クリスマス休暇が訪れた。
当然のことながら、人が少なくなるだけで学校の機能としては何も失われていない。
談話室の暖炉は赤々と尽きぬ火を継いでおり、そこでゆるりと眠ることが出来たら上等な平穏の過ごし方だろう、とクルックスは考えることがあった。今はそこで、ハリーとロンが大広間から持ってきた食材を串に差して炙って食べていた。
「──夕食は豪勢な物が出ると双子の兄君がおっしゃっていた。あまり食べ過ぎると悔しい思いをすることになるぞ」
精一杯の軽口を叩いてみる。
反応は良好で「大丈夫、大丈夫」と二人は口を揃えて言った。休暇の楽しみがクルックスへの警戒心を緩めたようだった。
グリフィンドール寮を出ると図書館へ向かう。
空き教室で誰かの話し声が聞こえた。
テルミとセラフィだった。
ハッフルパフとスリザリンが話し合っている様子を一般の学生が見れば「そそのかされている!」と思うだろうか。あるいは、都会の狩装束──屋内なので外套は脱いでいる──が、教会の狩装束──帽子とウィンプルは外している──から血の施しを受けているように見えるだろうか。
そんな空想を描きながら、声をかけた。
「あら。クルックス。お元気かしら?」
「何も問題は無いが……何をしているんだ?」
二人の間には、何かのカタログと氏名の書いた羊皮紙があった。
羊皮紙は、スリザリンの学生達の一覧のようだった。
「セラフィに社交というものを教えているの」
「なるほど?」
そのような座学があったら是非受講したいところであるクルックスは、食いついた。
「んー。たいていはお金で解決できるから、理屈が分かってしまえば簡単なのだけど……セラフィには細やかな対応が難しいから助言をしていたのね」
「まったくだ。人付合いなどくだらない」
憮然とした顔で腕を組み、彼女は面倒くさそうに言った。
「まぁ! セラフィは分かっていると思うけれど、そんなことは心で思っても絶対に言わないでね。けれど、繋ぐべきパイプをちゃんと持っているから、セラフィはよくやっているわ」
「君の言葉に慰められるよ」
「あら。口説いてくれるの? 嬉しいっ」
「フフフ、心にも無い言葉など石ころの価値も無い。こんなもの欲しければいくらでもくれてやる。妹よ」
「サイコパスかしら。うふふ」
「君だけが特別だとも」
「あっ。せ、聖職者の端くれとはいえ、こんなことするなんて、いけない人だわ……」
セラフィがテルミの腰に手を回した。
何だか見てはいけない気分になったクルックスは、廊下に先生がいないかどうか気になった。
「……内臓攻撃ならよそでしろ、よそで」
「まあ、くだらない茶番は置いておいて」
「わたしは結構楽しいわ! でも、急ぐ仕事がありますからね。それでは、セラフィ。ご要望のとおりに処理を進めるわ。明日までには間に合うでしょう。ただし、特急便になるから金額はかさみます。……ひとまず、わたしが負ってあげますね。後で請求することでよろしくて?」
「『感覚麻痺の霧』をダースでくれてやる。だから少々まけたまえ」
「おあいにく。わたし、孤児院にいる間は狩りに出ていないから使い道のない物としてそれ、貯まっているの。わたしの代わりに赤蜘蛛の相手をしてくれる程度でいいわ。聖杯に付き合ってちょうだいね」
「……よかろう。今後も頼む」
「はぁい。同胞の頼みならば、いつだって粉骨砕身よ。では、わたしは失礼。フクロウ小屋に急がなきゃ」
テルミは短く別れを告げると去って行った。
セラフィが溜息を吐いた。とても珍しい。「してやられた」という顔をしている。
「何やら急ぎの取引だったのか。テルミに転がされたようだな?」
「まあ、な。けれど金額的にも妥当な取引だ。公明正大でもある。もっとも、我々の間で騙し合っても無意味ということもあるだろうが……ふむ」
「何だ」
「借り貸しを作るという点でテルミはうまくやっているな」
それはクルックスも同意できる。
テルミの手の平で転がされているとも思うが、こちらも便利に使っているのでお互い様だった。
「俺もネフも聖杯探索の手伝いを約束させられたからな。あいや、それくらいの働きをしているので不満は無いが」
青い秘薬は校内外の探索において、念には念を押すためにどうしても欲しかった物だ。
だから、彼女の提示した条件に文句は無い。
セラフィは、彼女の去った後を眺めているようだった。
「機会があったら僕もやってみようか」
「手伝ってほしいのなら、素直に頼めばいいだろう。テルミにしてもそうだ。俺は助力を惜しまない」
「…………」
セラフィの琥珀色の瞳が、ジッと見つめてきた。
彼女の次の言葉には、長い時間を要した。
言うか言わないか迷うような時間だった。
「セラフィ?」
「その優しさは身を滅ぼすだろう。クルックス。『我々は、常に打算で物を見、公算で動くべきなのだ』」
「しかし」
「では、お父様があちらこちらの組織に顔が出せる程度に知人がいるのはなぜだ? どこにも属さない連盟はよいとして、血族に名を連ねておきながら、処刑隊の一員と親しくできるのは何だというのか」
クルックスは、何も言えなくなり口を噤んだ。
彼女の言葉は真実で、彼の疑問でもあったからだ。
彼女は、眉を寄せた。
「我々は、常に利用できるものを利用すべきなのだ。ただ、それだけではいけない……。ああ、貴公の考えも間違いではない。そう、間違いではないのだ……」
「セラフィ?」
矛盾したことを言う彼女は、言葉を探すように教室の外を見た。
「先の言葉は受け売りだ」
彼女は、無表情と見紛う薄い笑みを浮かべた。
瞬きのうちに消えてしまいそうなそれは、今朝降った初雪のように儚い。
「鴉羽の騎士様の言葉だ。その信条に殉じていたのなら、ヤーナムの目障りな鴉は一匹になっていたハズなのに。あの御仁は、なぜ迷ってしまったのだろうな。……けれど、そこにクルックスと同じ思いがあったのならば……僕は、その心情が嫌いではない。優しさが身を滅ぼすならば、滅びてもいいと思う。そのために滅ぶ価値がある。お父様が尊ぶ人間性とは、きっと、そのようなものだろう」
「俺にどうしろと」
クルックスは、自分の行動指針を見失ってしまった気分になり、咄嗟に問いかけた。
「僕の話は、聞き逃して忘れてしまえ。だが、ただ働きは気まぐれにしろ。優しさなど所詮は人間性の上澄みだ。何もしなくとも消耗するものを安売りすることはない。これは同胞の話だけではない。ホグワーツの誰に対してもだ。──では、失礼。夕食に会おう」
「俺もここに用はない」
セラフィも去って行った。
図書館に行くと奥まった席にいるネフライトがテーブルに突っ伏していた。
クルックスは知らなかったが、メンシスの檻は即席の枕にもなったらしい。気配に気づいた彼がハッと顔を上げる。頬には格子の痕がついていた。
「あぁ……クルックス……おどかすんじゃあない……」
「寝るならベッドで寝ろ。書類を持ってきた。赤を直したほうがいいだろう」
羊皮紙を置くと彼は眠そうな目をこすり、背伸びをした。
「ありがとう。私は、誰もいないと安心感から寝てしまうらしい……ふぁあ……」
「イルマ・ピンス司書はどこに?」
「彼女とて人間だ。生活に必須な時間は存在する」
「ああ、そういう」
クルックスが、ネフライトに会いに来たのは書類を渡すためだ。
よって、もうここに用事は無いと言える。
「なぁ、三頭犬のことだが」
「うるさいから本を探してやったぞ」
「さすがだ、弟よ」
「誰が弟だ。頭に爆発金槌食らわすぞ」
「え。すまん」
彼は軽口として「お兄様」とか言うクセに、クルックスが「弟よ」と言うと怒るらしい。今日の凍った湖もかくやという冷たさが刺さって痛い。
そんなことよりも。
クルックスは思い返す。
彼が爆発金鎚を使う姿を見たことが無い。ネフライトは常々「火薬庫の武器は、やかましくていけない。私の趣味に合わない」と言っていたのに。脅し言葉に使うということは、実は使っていたのだろうか。
問いかけの機会を失ってしまったのは、その後、彼が三頭犬の話を続けたからだった。
「……こうして本を借りてきたワケだが」
まだ眠そうにしているネフライトは、羽ペンを手の中で弄びながらぼんやりと言った。
「ああ、礼は後で。何だ?」
「解決策というか、妥協点を思いついたんだ。誰かが三頭犬を出し抜いたら、その後に忍び込めばよいのではないかと。……ああ、怒ってくれるな。いつも正面から堂々と獣に立ち向かう貴公が、好まない策だと私は知っていて、敢えて言っている自覚がある」
クルックスが黙り込んでしまったのでネフライトが慌てて言葉を付け足した。
しかし、彼が沈黙した理由は怒りではなかった。
「……ああ、気付かなかった。そうだ。その手があったな……」
開きかけた本を閉じ、クルックスは頭の中で言葉と事実が繋がる先触れを感じていた。
「クルックス……?」
「ああ。そうだ。そうだ。なぜ俺は……ククク……。中に入ろうとした人物ならばいるじゃないか!」
ハロウィーン。トロール。脚に怪我を負った寮監。
思えば、ずいぶん作為的だったではないか。
ハロウィーンという祭日に、見るからに知能の低いトロールが入って来た理由は何だ?
スリザリンの寮監、スネイプ先生は脚に怪我を負った理由は何だ?
負わせたのは誰か。何か?
秘匿を暴こうとしている者は、誰か?
閃きが訪れて、クルックスは目を輝かせた。
「ハロウィーンの日に、トロールが入ったのは誰かが手引きをしたからだ。その日、スネイプ先生は脚に怪我を負った。三頭犬にやられたに違いない。つまり、スネイプ先生こそがトロールを招き、秘匿を破ろうとしているのだ!」
「へえ。ふーん」
ネフライトは興味無さそうにクルックスの回答に応じた。
「貴公、反応悪くない? 冷たくない? 衝撃的事実バァーンってしたのに驚かないの?」
「私には関係無いことなので特段……。分かった、分かった。拗ねるなよ。それで?」
「それで? とは?」
「告発でもする心算か?」
「俺は狩人だぞ。狩人は警邏ではない。ヤーナムには掃いて捨てるほどいるコソ泥の相手なぞしていられるか。けれど、犬を出し抜くのならば俺の役に立つコソ泥だ。生かしてやろう。授業も面白いからな」
授業の後に「頑張ってくださいっ!」と一声かける必要があるだろうか。
そんなことを考えるクルックスにネフライトは素早く釘を刺した。
「その思い込みで行動するなよ」
「なぜ? 俺は、犯人だと確信している」
「では聞くが、その情報をよこしたのは誰だ?」
「テルミだが」
ハロウィーンの夜。
女子トイレから出てきたテルミがそっと囁いたのだ。
それを伝えたところ、ネフライトは険しい顔をした。
「却下だ!」
彼は、読みかけの本を閉じてテーブルに指を立てた。
研ぎたてのナイフのような鋭さで彼は告げた。
「彼女の証言は検討材料にすべきではない。せめて別の証拠で判断しろ。これは忠告だ。正しく、忠告してみせよう。クルックス。テルミの言葉を真に受けすぎるな」
「だが、彼女は確かに見たと。それに、俺に嘘を吐いたって仕方が無いだろう?」
なぜネフライトが強硬に反対するのかクルックスは分からない。
険しい顔のまま、しかし、ネフライトは痛いところを突かれたように目を逸らした。
「……正直に言えば『嘘ではない』と私も思う。貴公の言う通り、我々の間で『嘘を吐いたって仕方が無い』からな。互助の精神的にも間違った行動ではない。だからこそ、問題だ」
「すまない。本当に分からないから、教えてほしいんだが……どこが問題なんだ?」
ネフライトが言葉を重ねる以上、彼なりの心配があり、読み切った思惑があるのだろう。
そのいくつかもつかめないクルックスは首を傾げた。
「私の見るところ。テルミは、この学校において狩人であるよりも学徒であることを選んでいる。ハロウィーンの日、グレンジャーと一緒に女子トイレで会敵したのだろう? トロールを殺さなかったことが証拠だ。狩人ならばグレンジャーの退避より、何が何でも殺すことを優先するべきだった。我々の戦い方は、誰かを守りながら戦うには不向きだ。そして、攻撃は最大の防御でもある。だが、彼女はそうしなかった」
「攻撃はしていたが……ロスマリヌスで……」
「おぉ、そうか。だが、成果は上がらなかったようだな! 聖歌隊お得意の聖剣はどこに置いて来たのだろうか!? なあ、メンシスの徒に教えてくれまいか?」
「…………」
「では、さらに聞こうか。彼女が、きょうだい会議においてハロウィーンの日の顛末を君にだけ説明をさせて、寮監の脚の件に一言も触れなかった理由は何だと考えている?」
「……それは……何で、だろうな……」
ネフライトは、瞬きの後でさらに声をひそめた。
「彼女が御しやすいと目をつけている同胞はクルックス、君だぞ」
「ほお」
「『ほお』じゃないが。『テルミにいいように使われている』と言っているんだぞ。分かっているのか?」
「いま完全に理解した」
本当かなぁ……?
ネフライトは、訝しそうにクルックスを見た。
しかし。
クルックスは、興醒めた顔でネフライトを見返した。
──誰かが三頭犬を出し抜いたら、その後に忍び込めばよい。
ネフライトの案は、真っ先に思いついても良い出来のものだった。けれど、クルックスは思いつかなかった。無効化する方法ばかり考えていた。誰かが──同胞が、三頭犬に傷つけられる可能性を無意識で恐れたのだ。結果として、視界の狭窄を招き、彼に指摘されるまでそのことに気付かなかった。
「先ほどセラフィに忠告された。……俺が身を滅ぼすとしたら、優しさゆえなのだと」
同胞に対する無条件の優しさが悪意の無理解を呼ぶのならば、たしかに、身を滅ぼすことになる。
セラフィの言うとおり、優しさなど所詮は人間性の上澄みなのだから、有限のものを安易に使うべきではなかった。
「セラフィか。その忠告は恐らく、正しい。君は我々のなかで最も……いいえ、いいえ。そもそも君は、こういうことを誰かに話すべきではないのだ。そう。私にだって言ってはいけない。私が、君をそそのかして、何かをさせようなんて思う日が来てしまうだろう」
そんなことはない。
言いかけたクルックスを彼は右手を挙げて制した。
「自己理解が済んでしまったんだよ、クルックス・ハント。私は、骨の髄まで学徒なんだ。お父様の持つ、堅実性の一端を色濃く反映している。同胞のなかで最も信用ならないのは『最も遠い可能性』のテルミかもしれないが、最も信頼してはいけないのは、きっと私だ。──手段を得たらそれ以外の何もかも費やしてしまえる私を、君はあまり頼りにするべきではない」
「生まれは環境で変わると言ったことがあるだろう、ネフライト・メンシス。どうだ、矛盾したぞ」
噛みつくようにクルックスは言う。
狂犬になった気分だった。
「ああ、矛盾している。ひどい矛盾だ。けれど、私にとっては矛盾しないのだ。全て打算あってのことだ。君とは永く付き合いたいと思っている。君の本質は、お父様の理念に近い。君を理解することが、私の理解の次元を引き上げてくれるだろう。脳に瞳を得るために、ひとつ、こういう思索も必要だろうと思っているんだ……」
ネフライトは、正体不明の笑みを浮かべてメンシスの檻を撫でた。
『骨の髄まで学徒』である彼は、普段人との関りを拒絶しているが、決して弁で劣るわけではなかった。むしろ、誰よりも巧みに言葉を弄することもできる能力があった。そそのかすこともできるだろう。その必要性があれば、だが。
クルックスは、彼の『優しさ』によって拒絶されてしまったことを知った。
今日は、もう彼と健全な話はできないだろう。
クルックスは、一歩退いた。
「忘れてくれ。俺もそうする」
「忘れるとも。最も親しき同胞。最も親しき同じ枝葉の隣人よ」
「ありがとう」
「だから……君が、私に礼などすべきではないんだよ」
かすれた声が聞こえた。
悲し気に聞こえたそれは、メンシス学派の徒が吐くには人情があり過ぎるように思えた。
もっとも、聞く者の心の問題だったのかもしれない。
■ ■ ■
クリスマス・イブの夜。
クルックスは、ベッドの上でぼんやりとしていた。
互いに協力すべき同胞が、実のところ、互いに反目まではいかないものの警戒し合っていたことが衝撃で眠気が訪れないのだ。
「…………」
ヤーナムの悪しき風習をギュッと濃縮したような状況だ。
いいや、訂正が必要だった。
積極的な敵対心と悪意が無いだけマシだ。
悲しい。
虚しい。
そのような感情が去来したが、クルックスは感情の名前を知らなかったので、自分の胸に穴が空いたような気分になった。
(──自立しなければならない)
その穴を埋めるために漠然とした目的意識が芽生えていた。
彼らの決めたことに口を出す権利は、クルックスには無い。
全ての決定権は、父たる狩人とその本人にある。
クルックスにできることは、彼らとの適切な距離を知り、そして道を違えた時は立ち向かう心構えをしておくことだけだった。
「……はぁ……」
探索の準備でさえクルックスを慰めることはなかった。
このような調子では、何をやっても裏目に出るような気がした。
彼は、怪我を負った動物がそうするように寝床でジッとしていた。
(明日は……暖炉のそばで寝ていよう……)
眠りが心を癒すと信じて彼は、目を閉じた。
■ ■ ■
クリスマスの朝。
クルックスが起きるとベッドのわきに小包が置いてあった。届け先を誤った誰かの荷物だろうか。
辺りを見回していると離れたベッドで、もぞもぞとハリーが動き出した。
「クリスマス・プレゼントだ!」
彼は飛び起きると足元にあった同じような小包を開けた。そして、ロンがすでにいないことに気付くと階段を下りて行った。談話室へ行くのだろう。
ベッドのわきにあった小包は、ひょっとすると自分の物だろうか。
クルックスは警戒しつつ、ナイフで結び目を切った。
「……?」
それは、真紅のマフラーだった。端には狩人の徴があしらわれている。
開封して間もなく、足元に使者が現れた。
小さな手に、手記を握っている。
『クリスマスとは、親から子へプレゼントを贈る物だとテルミより聞いた。人形ちゃんに特別に作ってもらったマフラーを拝領したまえ』
そして、白煙をまとう幻影が現れた。人形にマフラーを巻いてもらった狩人が喜んでいる。
テルミからクリスマス・プレゼントの知識を得た狩人は、仔らに作るマフラーの『ついで』に自分のマフラーも作ってもらったのだろう。もちろん、彼にとってはついでが大本命であるに違いない。
ともあれ、彼が珍しく嬉しそうなのでクルックスも嬉しい。クルックスにとって彼は、いつも気怠い顔をしているか、うつらうつらと船をこいでいるか。あるいは聖杯から帰ってくるなり「ちあきら! ちあきら! 温めるんじゃあない!」と叫んでいる奇行の印象が強すぎるのだ。
「ありがたくいただきます」
クルックスは、丁寧にたたむと大切にベッドのわきのスペースに安置する。
そして、異邦の狩装束に着替えてから首に巻いてみた。多少寒くても、これは仄かに温かい。
階段を降りるとハリーとロンが、プレゼントの開封をしていた。
「おはよう。それは似合っているな」
クルックスは、ロンの着ている栗色のセーターを指した。
「これ……『ウィーズリー家特製セーター』なんだ。僕はいつも栗色。今回はハリーもね。ハリーは、エメラルドグリーンだ。君のプレゼントは、マフラー?」
「ああ。家人がね。コートしか持っていなかったから、とてもありがたいものだよ」
「君も似合っているよ」
ハリーが言った。
クルックスは、何となく気恥ずかしい気分になって「ありがとう」と小さく言って鼻先を隠した。
それからクルックスは、ハーマイオニーからハリー宛に来たと言う『蛙チョコレートの大箱』を開ける作業を見ていた。
「そういえば、この菓子の付録を集めている人が多いな。談話室の壁にも、たしか、交換会の案内が出ていた」
「愛好家が多いんだよ。ハリー、アグリッパが出たら僕と交換しよう。魔女モルガナなんかもう七枚も持っているんだ」
「これだけあるんだ。きっと、あるさ。最後の包みだ。……? 何だろう。すごく軽い」
ハリーが開けると、そこには銀ねず色の液体のような布が出てきた。
クルックスはケープのようなものだろうかと想像を巡らせていたが、ロンは違う物と見たようだ。大きく目を見開き、ハッと息を呑み込んだ。
「僕、これが何なのか聞いたことがある。もし、僕の考えているものなら──とても珍しくて、とっても貴重なものなんだ」
「何だい?」
ハリーが包みから滑り落ちた布を拾い上げた。はたからは水のような手触りに見えた。
「これは透明マントだ」
「姿を隠すマントというワケか。しかし、どうして貴重なんだ?」
クルックスにとって、姿を消すということは狩人である限り難しいことではない。したがって、魔法族にも似て非なる同じ効果の飲み薬や道具があると考えていた。それが目の前にあるマントのような物とは思わなかったが。
「普通は、効き目がイマイチになってくるんだ。ところどころ透けたり、ときどき透けなくなったりして……でも、これはそんじょそこらの透明マントとは違う気がする。だってほら、こんな水みたいなマント見たことない……! ハリー、ちょっと着てみてよ!」
請われるままにハリーは鏡の前でマントを来た。
すると驚くことにハリーの首だけが宙に浮いた。体が消えている。
ロンが大興奮で何事か叫んだ。
クルックスは、同じように感心した。
しかし。
足先をつついた紙片に、やがて心奪われていた。それには風変わりな細長い字で、こう書かれてあった。
君のお父さんが亡くなる前にこれを私に預けた。
君に返す時が来たようだ。
上手に使いなさい。
メリークリスマス
なぜか、ひどく喉が渇いた。
不意にセラフィの声が耳元で蘇る。
『──誰が望まれているのだろうな? 校長は誰に期待しているのだろうな? 哀れな生徒にどんな責務を括りつけて湖に突き落とす心算なのだろうな?』
クリスマス・プレゼントが誰によってもたらされた物か分からない。魔法がある限り、筆跡鑑定は役には立たないだろう。口頭で問いただしても真実を見抜けないクルックスには無意味だ。何も証拠はない。けれど、彼は確信した。
秘匿を破るため、校長から期待されている人物は、存在する。ハリー・ポッターだ。
『上手に使いなさい』
今年の今。
在校生がほとんどいない機会にそんな物を渡す動機は、クルックスにさえ分かる。
それを察した瞬間に体を沸騰させる怒りが、視界を赤くした。
豊かな白い髭をたくわえた贈り主は「心ゆくまで探索するんじゃよ」とハリー達の好奇心を焚きつけたのだ。
【解説】
仔らはそれぞれ『最も新しき夜明け』を求める方法が違うため、利用したり、利用されたり、そんな関係があります。しかし、誤った情報を伝えることはしません。ただし黙っていることはあります。「だって聞かれなかったからね?」
互助の精神は、とても素晴らしいものです。──各々、互助として許容する認識の範囲が異なるため、どこまで無償で行うのかは差があります。
信じられるのは狩人と人形ちゃんだけってハッキリ分かりますね。
『透明マント』……ちょうどハーマイオニーから「禁書の棚を調べてね」と言われている頃に渡す理由は、クリスマス・プレゼントとしてのサプライズのみだったのでしょうか。ダンブルドア校長は、良いことをしたと思っていそうなのが、考察の余地を生みます。
え? 自分の力を試したいと思っているのは、ハリー自身だからOK?
それって帽子が勝手に言ってるだけですよね?
開心術使える帽子だから、ほぼ本音? そっかぁ。
【あとがき】
賢者の石も後半戦になってきました。
もうちょっとだけお楽しみいただければ幸いです。