甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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星幽、時計塔の貴婦人マリア
実験棟に繋がる時計塔に存在する狩人。
いまや狩人の悪夢は閉鎖されて久しい。
狩人ならば知るだろう。
漂う甘い血の匂いだけが彼女の存在した証だと。



聖なる日、夜警紀行

 セラフィ・ナイト。

 カインハーストの夜警を名乗る美しい銀髪の少女は、校内の探検をしていた。

 昼夜問わず行われるそれは、例えば四階の廊下の秘匿を暴こうという好奇心に依存する──ものではなかった。

 

 ごく単純な目的だ。

 広い場所を探しているのである。

 具体的には、愛すべき剣を振り回せる場所を探している。

 

 セラフィの上司であり、血族に名を連ねた先達である『鴉羽の騎士』──狩人間での通称を『カインの流血鴉』と言う──から与えられた『落葉』という異邦の武器は、取り扱いに高い技量を必要とした。

 数日握っていないだけで落葉の機嫌を損ねたような気分になるというのに、数か月触れていない現在、セラフィの心配事とは三頭犬でも寮監の怪我でもなく、自分の技量がいかほど落ちているかという点にあった。

 

(今の僕では、鴉羽の騎士様に三〇秒も持つまい)

 

 きょうだい達がこれまでに経た死因とは、たいてい聖杯の中での出来事だったが、セラフィだけは違った。死因のほとんどを占めるのは、カインの流血鴉の殺傷によるものだった。常に真剣で行われる訓練は、瞬きの暇で容易く死をもたらした。

 

 他のきょうだいは、成り行きや性質によって所属が割り振られたが、セラフィは異なる経緯を辿った。

 カインハーストに行くことを選んだのは、自分自身なのだ。

 

「お父様。最も過酷な運命だけを僕に与えてください。『人間』の可能性が僕である。その完全なる証明をご照覧あれ」

 

 狩人は、面白いと笑った。

 ──良いセンスがある。俺が気まぐれにしか持ち得ないセンスだ。

 そして、問うた。

 

「狩人を、教会を、仇にする覚悟はあるか。全てに追われ、全てに拒まれ、全てに憎まれる覚悟があるか? ──最も俺に近しく、時計塔の番人に似ている君よ」

 

「僕は辛苦を母。苦難を友といたしましょう」

 

「その願い、叶えよう。上位者とはそういうものだからな。さて、お前のために井戸を塞いでおこうかね」

 

 狩人は、楽しそうに言った。何が彼の琴線に触れたのか。セラフィには、よく分からない。けれど、彼に期待されていることは理解した。

 同じ種類の期待は、流血鴉もセラフィに寄せていた。

 ヤーナムの地を離れると言ったところ、彼は遂に旅立ちまで言葉を交わすことは無かった。

 それを見た流血鴉と同じ先達で、彼よりも年嵩の騎士──レオーは、流血鴉のことを笑った。

 

「ククク、鴉め。アイツ、拗ねているんだよ。見込みのある新しい血族が、さっさと自分の手を離れていくことが気に喰わなくて仕方が無いのさ。帰ってくる頃には機嫌も治っているだろう。……そうでなきゃ俺が困るんだぜ……。まァ、だからつまりお前は気にしなさんな」

 

 でも。ちゃんと帰ってくるんだぞ……。

 レオーは、セラフィの冷たい兜を一度だけ撫でた。

 女王に連なる血族は、ほとんどが医療教会の処刑隊の粛清により絶えた。

 だから、騎士の数は少ない。

 狩人を除き、セラフィを含め三人しかいない。

 

 だが、カインハーストの首魁、血の女王アンナリーゼと親しい上位者がいる。

 カインハースト史上、もっとも恵まれた時間に相当するだろう。彼らの好ましい関係は、もうしばらく続く。つまりは、好機だ。

 

 人数。時間。どちらも貴重である。

 セラフィを含む騎士は、女王の求める『穢れ』を集めるため、そして限られた時間の限り、技術を高め続けなければならなかった。

 

 だが、お優しい女王は言った。

 鉄仮面の下、柔らかな女声で囁く。

 

「……学校……。いまや遥か昔となったが、私にも覚えがあるのだ。ヤーナムの外で、そうか、機会を得たのか。月の香りの狩人。今は、月の狩人か。よい。セラフィ、我が最も新しき騎士。よく見、よく聞き、よく学びたまえ。若き芽は陽の下でこそ育つものだ。しかし、いずれ戻りたまえ。カインハーストの名誉あらんことを」

 

 理解に難のある一部上司を除く先達と優しい主君に背を押され、セラフィは魔境たる魔法界へやって来たのだった。

 

 ふと満腹感に由来する物思いから醒めた。

 右手には落葉が握られている。殺しの業とは思えない、精緻な紋が這う刃は今日も綺麗だった。

 無人の、とある広い部屋に大きな姿見が鎮座していた。

 ──ここならばよいだろう。

 長剣を手に、型を確認する。

 

 カインハーストに見られる剣は、現代において遙か極東の刀とよく似た形をしている。いかな縁でカインハーストに流れ着いたのか、家系が求める必要性で招いた代物だったのか。それはセラフィにも先達にも分からない。

 これを忘れた弊害は、少々あった。

 騎士として最初に叩き込まれた型が果たして何のためのものだったのか、彼ら騎士達は理解が足りないのだ。

 

 内実を失い、辛うじて形ばかり残る型は、けれど、無心になるには良い扶けとなるものだった。

 

 礼節。儀礼。様式。──狩人が最も尊ぶべきそれらは、血を狩る騎士にとっても重要だ。彼らと等しく騎士もまた獣に近しい存在であるからだ。

 

 研鑽の果てに得られるものが、果たして、何なのか。

 セラフィは、女王を思い浮かべる。

 彼女だけではない。先達の騎士達も知りたいのだ。血を狩る度に得る『血の歓び』としか形容できない情感。いずれ訪れる絶頂は、女王の成果と共にあるのだと故も無く理解している。

 

 額に汗を浮かべる程度に動き、型を終える。

 同時にすり足でステップを踏み終え、鏡の前に立ってみた。

 

「……マリア様」

 

 名を呟いてみる。

 セラフィの顔の造形は、人形に似ている。

 人形の基となったマリアという女性に似ている。

 その指摘をしたのは父たる狩人だった。

 

「さて。何と言うべきか。何を言うべきか。どう説明すべきだろうな。……マリア。星幽、時計塔の貴婦人マリア。一応の敬意を払い、俺もマリア様と呼ぶことにしよう。恐らくヤーナム史上で指折りの優れた狩人、だった、だろう」

 

 狩人は、彼にしては珍しいことに言葉を濁した。

 その理由について彼は遠くを見る目をして言った。

 

「あの女性に何が起こったのか、俺は知らない。『こうじゃないか』と思うことはあっても真実はとっくに闇の中だ。セラフィが知る必要は無い。……だが、そんな狩人がいたことを覚えていてくれるのなら、嬉しいものだ」

 

 狩人の指は、セラフィの細い銀髪をするりと撫でた。

 彼の複雑な感情をセラフィは察することができなかった。

 それは海よりも深く、浅瀬に寄せる白い波よりも複雑で、砂のように脆い情感だったからだ。

 

 この顔について。

 妙な反応をした狩人は、もう一人いる。

 カインの流血鴉だ。

 

 それはセラフィがカインハーストに来て、数日での出来事だった。

 流血鴉は、ふらりと気まぐれに訪れていた狩人を見つけた途端に稽古を中止した。

 

 彼らは長い時間、言い争っていたように思う。

 

 セラフィの剣を納めさせたレオーは、彼女をそっと彼らから遠ざけた。

 その時になり、初めてセラフィは彼らの話題が自分であることを知ったのだ。

 

「……レオー様は、マリアという女性をご存じですか?」

 

 年中冬の景観であるカインハーストの城前、焚き火の前でセラフィは質問した。

 凍てついた兜を外した騎士は、思い巡らすように宙を見た。

 

「マリア? 知らんな。知らんが、恐らく俺より前の時代の狩人だろう。カインハーストの女騎士と言えば、俺の場合、エヴェリンだからな。今では銃の名前になっているらしいが、たしかに血の質に優れた甘い女であった。──マリアもその類いだろう。何だ、気になるのか?」

 

 ニヤリ。年嵩の騎士は、騎士らしくない笑みを浮かべた。

 これは人々の浮いた話が好きな、彼の好みの話題となるだろう。セラフィは首肯した。

 

「僕の顔は、その御方に似ているらしいのです」

 

 流血鴉はマリアを知っているのだろう。

 だからこそ、狩人と言い争いになるのだ。

 レオーは手を伸ばし、うつむくセラフィの顎を上げた。

 

「う」

 

「へえ。別嬪だろうな。お前もいい女になる。得をしたと思えばいい」

 

「得ですか?」

 

 レオーは、古い騎士だった。

 ヤーナム市街では、長く狩人をしている者のことを『古狩人』と呼ぶ風習があるが、彼もそれに該当するだろう。ゆえに物事をよく知っていた。

 処刑隊がカインハーストに連なる系譜を滅ぼす以前。貴族達の懐古主義と耽美、そして栄華に彩られた時代を生きた騎士は、セラフィが抱く負の感情を笑い飛ばした。

 

「おぉ、セラフィ。血族の新しい、可愛い夜警ちゃんよ。ククク、俺様がカインの騎士が最も尊ぶべき『価値』を教えてやろう。それは、強く美しくあることだ」

 

「強く美しく……?」

 

 彼の言葉を繰り返したセラフィは、落葉を握った。

 本来、刃を振るう域に達していないと思えてしまったのだ。落葉の美しさにセラフィの技術は追いついていない。

 しかし。──そうではないのだ。彼は丁寧に言葉を重ねた。

 

「ああ、力はよい。素性の差こそあれ、鍛えれば得られるのだから。だが美だけは、天恵だ」

 

「天恵?」

 

 セラフィの目の前には、兜を外したレオーの顔がある。顔の半分が焼けた男だ。彼が女王の御前であっても決して兜を外さない理由は、顔面に負った怪我にある。もとは精悍な顔立ちの男であったのだろう。──しかし、カインハーストの在りし日の栄華は遥か彼方。同じように彼のケロイドの半面は歪に引き攣っている。

 

「お前は美しい。自信を持て。そして励むがいい。女王のために。お前自身のためにも」

 

 霜に焼けたセラフィの頬を手甲が撫でた。

 

(冷気をまとう薄い銀小手が、その日、特に冷たく思えたのはなぜだろう)

 

 柔らかにレオーは、笑った。

 そう今、鏡に見える穏やかな顔で笑ったのだ。

 思考を過ぎる感想と目の前の光景が、奇妙な一致をみせた。

 

(? いま何かおかしくなかったか?)

 

 違和感を覚えて鏡をよく見る。

 巨大な姿見だと思ったそれは、しかし、異常なものだった。

 

「鴉羽の騎士様……!? レオー様!?」

 

 振り返る。セラフィの背後には誰もいない。

 鏡をよく見ればセラフィの姿も現実とは異なっていた。

 成長しているのだ。背丈は特に顕著だった。背は、狩人の夢にいる人形と同じくらい高い。流血鴉と並んでも劣らない。

 

 鏡に映るのは、カインの騎士として列席された自分だった。

 もはやただの鏡ではないことは一目瞭然だった。

 

「まやかしめっ!」

 

 セラフィは落葉を抜いた。

 その時だ。

 

「──やめろ!」

 

 後方からの声に、セラフィは素早く振り返りエヴェリンを構えた。

 声は、少年のものだ。

 クリスマス休暇に学校に残っている誰かの声だとすぐに分かった。

 

「姿を現わせ。五秒以内に現れなければ、カインハーストに対する敵対行為と見なし殺す」

 

 物思いに耽り、人の気配に気づかないとは、迂闊だった。

 セラフィは部屋の隅から銃口をゆっくり巡らせた。

 果たして。

 ちょうどセラフィの背後より後方に人は現れた。何も無い宙から現れたように見えたのは、ハリー・ポッターだった。

 

 セラフィはエヴェリンを下げず、問いかけた。

 

「いつからいた」

 

「つ、ついさっきだよ。君が鏡の前に立った時だ」

 

「……僕に用か? まさか、この鏡に用事とは言わないだろう」

 

 セラフィは、銃と剣を納めた。

 ハリーは彼女の顔と鏡を交互に見た。

 

「君には何が見えたの?」

 

「ハハ、言うと思うか? 児戯にも劣るくだらない幻だ」

 

 苛立ちのあまりセラフィの口は軽くなる。

 ハリーは「くだらない……」と呟いた。

 

「これは、見た者の心を惑わす魔法がかかっているのだろう。まんまと術中にハマっている愚か者がいるようだな」

 

 セラフィは心底くだらないと思いつつ、部屋を後にした。

 追ってくる足音は聞こえない。

 

(──あぁ、これは怒りだ)

 

 たかが鏡に自分の内面を映しとられたことにセラフィは煮えたぎる思いを持て余した。

 

 自分だけならまだ許そう。無礼として叩き割りたいが。

 だが、鴉羽の騎士とレオーを映したのは侮辱だ。自分は、破壊相当の正統性を得ていたと思う。

 

(……騎士は、口汚く罵らないものだが……)

 

 鏡のなかで、鴉羽の騎士は笑っていた。ただ、穏やかに。

 いつもセラフィを見ているようでその実、遠くの誰かに焦点を結んでいる目は鏡越しに、けれど自分を見ていた。

 

「……ッ……」

 

 並びの良い歯が、ギチリと嫌な音を立てた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 すっかり食事が片付けられた大広間にて。

 本や羊皮紙をばらまくように広げているネフライトは、眉を寄せた。

 現れたのはセラフィ。

 しかも不機嫌ときた。

 さっさと寮に帰るべきだったと後悔したが、もう遅い。

 メンシス学派における、さまざまな雑用を押し付けられるネフライトは人の心の機微というものがすぐに分かるのだ。すでにジタバタしても仕方のない状況だった。

 

「……それで私のところへ?」

 

 一方的に事情を話したセラフィの話を総括するとこうだった。

 ──『みぞの鏡』という、まやかしの鏡がある。それには未来らしきものが映った。不快である。

 

 学校にあるということは、学校の備品なのだろう。それを壊すワケにはいかないネフライトには、どうすることもできない事態だった。メンシスの檻をかぶっていても、困惑していることは伝わるだろう。

 

 テルミがいてくれたら、セラフィの世話など任せるのに──と思うが、いないものに乞うたところで無駄だ。それでもクルックスであれば「そうか。だから何だ」と火に油を注いて話題を燃焼させてくれるだろう。

 

「見ての通り、暇ではないのだが……」

 

 お父様のことを引き合いにだせば、引き下がるだろう。そのように目論んで話を切り出したが、セラフィはこちらの事情を頓着しなかった。むしろ。

 

「聞きたまえよ。一言多かったツケだと思えば安いものだろう」

 

「む」

 

 明らかな非を指摘されてしまい、ネフライトは思案した。

 ややあって本を閉じる。丸めていた背筋を伸ばした。

 

「カインハーストに連なる貴公と医療教会に連なる私は、こうして話し合いができるだけありがたいと思わないといけないのだろうな。まして諍いが話し合いだけで片付くのであれば、なおさら『得である』と──」

 

 不思議なことが起きた。

『得』という言葉に反応してセラフィの硬質な雰囲気が和らいだ。

 何が琴線に触ったのか。探り切れずにいると彼女が呼気と紛う微笑を浮かべた。

 

「フフ……。ネフは運が良い」

 

「そのようだ。さて、ご機嫌なセラフィの相談を受けようか。──いいえ、そもそも私は『きょうだい』のお悩み相談箱ではないのだが──ともあれ貴公は、その『みぞの鏡』だとかいう妙な鏡を見て、イラついているんだろう? ちょっと夢に戻って聖杯巡りでもしてきたらどうだ。点呼など取らないだろうからな」

 

「却下だ。八つ当たりで聖杯巡りなど豚の突進さえ見落としそうだ。──その鏡は、心のなかの望みを見せると言う。貴公には何が見えるのだろうな」

 

「ミコラーシュ主宰が瞳を得た光景だろう」

 

「貴公ではなく? 前から気になっていたのだが、瞳も智慧も何もかも、貴公『が』欲しいワケではないな? ゴースあるいはゴスムに瞳を願う言葉も『メンシスの徒』だ」

 

「狩人が上位者になるという可能性は、お父様が証明した。ならば、次は市井の、只人の、病み人の、ただの人間がそれと並び立つための証明をしなければならない。獣の病の根絶を私は願っている」

 

「人の獣性に歯止めが利くと思っているのか? 本当に?」

 

「だから。人間の機能として存在しないのならば『後付け』してしまおうと言っているのだよ。そのためにメンシス学派は瞳を欲している。『できる』『できない』など次元が低い。低すぎる。論外。私は、それ以外でそれ以上の話から始めたい」

 

「フフ、すこし面白い。面白い話ができるではないか、ネフ。きょうだい会議では、いつも眠たげな話ばかり寄こしているのに」

 

「私達は、お互いの持つ知識に差がありすぎるだろう。だから、共通認識の水準を上げようと思っている」

 

「理解が進んだよ」

 

 ネフライトは、喉を潤すためにそばに置いていた紅茶のカップを手に取った。

 彼女は、その間にとある羊皮紙に目を留めた。

 

「カインハーストの情報はあったか?」

 

「今のところ何も。まだ調べが済んでいない。お父様がお持ちの血族名鑑も私はまだ全てに目を通したワケではないから……詳しくは、いずれ。セラフィは引き続き、スリザリンでパイプ作りを励んでくれ」

 

 ネフライトへの依頼は、ホグワーツに来て数日で依頼したことだった。

 今年で調べが済むとは、もちろんセラフィも思っているワケではなかった。ただの話題作りだ。

 とはいえ、まったくの手つかずというワケではないらしい。

 折りたたまれた一枚の羊皮紙がセラフィに放られた。

 

「魔法族で有名な、貴族出身とされている一族の名前だ。カインハーストに戻った後でセラフィも調べてみてくれ。……私は、実のところヤーナムやビルゲンワースよりも個人の軌跡を辿るほうが情報が集まるのではないかと思い始めている」

 

「貴い御方は血筋を重要視するから個人の把握が市井の者に比べて簡単だから?」

 

「そうだ。やみくもに探すよりも『カインハーストに連なる女性が嫁に行った先の家を調べる』ほうが成果が上がる可能性が高い。きっと、一人はいるだろう」

 

 了解を告げながら、セラフィは内心の怒りが鎮まっていく感覚を得ていた。学究のようにある分かりやすい結果があるものは、達成感が得られて良い。

 彼の説明は続いている。何度か相槌を打ちながら話を聞いていた。

 

 ネフライトの整然とした論は、聞いていて心地が良い。

 一枚。羊皮紙を重ねた先をセラフィは見ていた。

 

「これは? お父様に提出している資料か。こちらの神秘は手がかりになっているのか?」

 

「収穫は無い。……いくつかの煎じ薬は、獣性を鎮める可能性がありそうではあるが私達しか作れないのであれば、意味が無いだろう。病に侵されているのは狩人を含むヤーナムの人々なのだから、もっと普遍かつ安易で簡便、なにより安全な方法でなければ」

 

「お父様の機嫌を損ねるだろうな」

 

 言葉を先取りするとネフライトは、渋々といったように頷いた。

 

「その通りだ。……いえ、お父様のご意向は何よりのものだが……私は実験の参加をできる限り控えるように言われているから、実地の知見が足りない。だから、必然と机上での実験となる」

 

「お父様が禁止したのであれば意味がある。恐らく、教会の実験は碌な役に立たなかったのだろう」

 

「多少の役には立ったと思いたいが……。いいえ。私が判断すべきことではない。ええ、きっと、すべきではないのだ」

 

「……続報を待つ。必要な物があれば」

 

「ではバタービールをダースでくれ」

 

「太るぞ」

 

 それでも、セラフィは厨房に向かった。

 酔えはしないが、甘い物は人の心を柔らかく変える。

 ネフライトの話は、もうすこしだけ長く聞いてみたかった。




【解説】
『星幽、時計塔の貴婦人マリア』
「──待て待て、どこにそんな言葉が出てきた?」となった方もいたかもしれませんので、ここで一つ。
 マリア様のエンドロールでの名称とは「Lady Maria of the Astral Clocktower」です。「Astral」は「星の」が一般的のようですが、他にも「星気体」とか「幽界的」あるいは、そのままカナで「アストラル」と訳すことができる言葉のようです。訳を考える時「星の時計塔、貴婦人マリア」とすべきなのかもしれませんが、本作では印象重視で『星幽、時計塔の貴婦人マリア』や日本語版でよく語られる「時計塔のマリア」と表記することにします。聖歌隊と関りがありそうな瞳のペンダントがある時点でシンプルに「星の時計塔、貴婦人マリア」と迷ったのですが「星幽」がカッコいいので、そうしました。

【あとがき】
 自分と同じ姿の誰かが存在して、その人のことを知っている人が何人かいるだけでセラフィの心は、実のところ穏やかではありません。時計塔のマリア……いったい何者なんだ……

 前話のイラストに意外なほどコメントをいただけてビックリしつつ嬉しいです。
 あまり容姿にかかわることを描写してこなかったのですが、すこし見直そうと思いました。ありがとうございます……!
 引き続きご感想お待ちしていますのでお気軽にお願いします(交信のポーズ)

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