甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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予言
未来の出来事を予測して伝えること。
物事の順序は時に逆転する。
聞いたがゆえに全てが始まったのだ。



秘匿に挑む者

 予言というものに、クルックスは馴染みが無い。

 

 ヤーナムで日夜問わず求められている超次元的思索へ至る試行は、人間より遥かな高みを見ようとするものであり、人界の先を見通すことを目的としていないためであろう。

 さて、問題はいつもハリー・ポッターだ。

 彼の結論は『ユニコーン殺しの犯人は、ヴォルデモートであり、スネイプである』というものだ。ロンは身震いして「その名前を言うなよ」と声をひそめるように言った。しかし、ハリーは興奮して彼の言葉を聞き逃したらしい。暖炉の前を往ったり来たりした。

 

「スネイプは、ヴォルデモートのために石が欲しかったんだ……! ハーマイオニー、ベインが怒っているのを見ただろう? 星は、ヴォルデモートが戻ってくることも僕が死ぬことも予言していたんだ……!」

 

「予言。そんなものが存在するのか?」

 

 ハリーが語ることにクルックスは首を傾げた。

 それでも、と言葉を続けようとしたハリーを横目に、ハーマイオニーが予言について教えてくれた。

 

「予言なんて……マクゴナガル先生が魔法のなかでも『とっても不正確な分野だ』とおっしゃっていたでしょう。占いみたいなものだと思うわ」

 

「占い?」

 

 力と技術と血による成果以外に判断の重きを置かないクルックスにとって、占いとは不正確を通り越して迷信の類に思えたが、ハリーは違うようだった。ケンタウルスの証言とは違う根拠、すなわち彼にしか分からない何かによって確信しているようだ。

 確実ではないのなら、判断を惑わせる情報にしかなりえない。

 クルックスは、占いと予言について言い募るハリーとハーマイオニーの議論を終わらせた。

 

「どちらでも構わない。賢者の石を盗もうとする人物が誰であっても同じことだ。今のところ筋の通る目的が判明しただけでも収穫としてはどうか。──しかし、命を永らえる、とは。そう魅力的なものかね」

 

「そりゃ死にたい人はいないからね」

 

 ロンが、初めて真っ直ぐにクルックスを見つめた。

 クルックスも彼を正面から見た。

 

「魔法界では、人が人のまま死んでいくことを幸いと思わないのか?」

 

「は?」

 

「賢者の石を作ったことは偉業であると讃えられているのだろう。知育菓子に資料として載るほどだ。だが、それは命に対する冒涜とは考えられていないのか?」

 

 どうしてクルックスが咎めるのか分からない、という顔が魔法界・非魔法族の価値観を語っていた。

 

「むぅ。度し難いが……まだまだ理解が足りないようだ」

 

「……あなた、賢者の石が欲しいの?」

 

 ハーマイオニーの言葉に、クルックスは仄かな怒りを込めて答えた。

 

「俺は永遠の命なんぞ興味は無い。人は、人のまま生き、そして死ぬべきなのだ。──あぁ、夜が明ける」

 

 クルックスの右目を差した白い朝陽が、やがて談話室に満ちた。

 それからの議論は起きず、三人はそれぞれベッドへ向かった。

 クルックスだけは、窓辺で空を見上げた。空には、未だ白い月が登っていた。血の抜けた骸のような色のようだと思った。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 学校の暗部でどのような企みが蠢いていようと週が明ければ、いよいよ試験シーズンの到来だった。

 クルックスの試験対策は前日までは教科書を眺めることだった。

 談話室ではハーマイオニーが魔法史の年号と事件について覚えた内容を繰り返すので、いちいち試験の不安を刺激されるのだろう、暗い顔をした生徒も多い。

 クルックスは「まあ、何とかなるだろう」という心地で当日までやって来た。実際、知識の詰め込みは最低限されていると思う。実技についても発動しなかった魔法は無いので問題は無いと思われた。

 

 そんなことよりも。

 クルックスの勉強時間の大半を占めているのはネフライトの寄こす、父たる狩人宛て文書の添削だった。クルックスが、うっかり彼に漏らした「お父様はネフの資料を熱心に見ているようだったぞ」との言葉は、彼を大いに喜ばせてしまった。

 

 ──ハハハハ! さすがお父様、分かっていらっしゃる。分かっていらっしゃる。真に忠実な者とは誰か、分かってらっしゃるのだ。

 

 つまり、俺か。クルックスは照れた。

 さて。

 これまでネフが送り続けていた資料について、返事どころか何の反応も無かったらしい。片っ端から暖炉の焚き付けになっていたらどうしよう、と密かに気に病んでいたネフライトだが、クルックスの失言でめでたく全快した。そのため、クルックスの勉強時間はネフライトの作成した資料の読み込みに割かれることになった。

 狩人の名誉のため思考を逸らせるが、彼は無視をしていた訳ではなく「ネフが帰ってきたら、まとめて聞けばいいだろう」と思っていたのだろう。

 

(ネフも気に病むくらいなら、クリスマス休暇に夢に戻れば良かっただろうに)

 

 ネフライトは、探求のためならば自他を省みない癖に、妙に臆病というか、控えめというか。肝心なところで引き下がってしまう、女々しい性質があるようだった。

 試験の待ち時間に杖を弄んでいると、フリットフィック先生に呼ばれた。

 呪文学の試験の内容は、パイナップルをテーブルの端から端までタップダンスさせるというものだった。

 

 クルックスは、タップダンスというものを見たことも聞いたことも無かったので、そのことを質問してしまい余計な時間がかかってしまったうえに、結局、タップダンスを理解できなかったのでパイナップルは兎が飛び跳ねるようにピョンピョンと上下してテーブルの端から端まで移動させた。

 

 次の実技は、マクゴナガル先生の変身術だった。ねずみを「嗅ぎ煙草入れ」に変えることで、美しい箱であればあるほど点数が高く、変身が未熟で髭の生えた箱は減点されるという説明を受けた。

 クルックスの美醜の判定とは、清潔か不潔かという未熟なものであった。けれど、ここで問われている『美しさ』とは、そういう概念ではないことくらい彼にも分かる。

 すこし悩んだ末に、クルックスは聖歌隊のユリエやコッペリアのことを思い浮かべた。彼らが被る『目隠し帽子』、その目を覆う部分は銀製で精緻な装飾が施されている。その文様を思い浮かべながら、杖を振った。ねずみは「きぅ」と小さく鳴いた後で銀色の装飾が施された嗅ぎ煙草入れに変化した。

 それを見て「よろしい」とマクゴナガル先生は言い、羊皮紙に何やら書きつけると退室を促した。

 

 その次の実技は、魔法薬学だ。

 授業で習った「忘れ薬」は入れる手順を少々前後した気がする。けれど、最後は何とか液体状のものができたので問題無いだろう。スネイプ先生は「フン」と鼻を鳴らしただけだったが。

 

 最後の座学は、魔法史だ。これが最も簡単だった。教科書に載っていた内容をさらさらと書きつけて終了した。

 

 初めての試験の感想は「こんなものか」という程度のものだった。

 クルックスは、答案を書き終える。しばらくしてゴーストのビンズ先生が、試験の終了を告げる。彼は欠伸をして、教室を出た。

 

「くぁあ……」

 

 天気が良い。校庭は、さんさんと陽が差していた。

 ベンチに座って、日光浴をしたい。どこか空いているところは、無いだろうか。

 頭を巡らせてみるとすぐに見つけた。

 誰も近寄らないベンチに、ただ一人座って読書している生徒がいる。それは、メンシスの檻を被ったネフライトだった。

 

「珍しいな。図書館にいるとばかり」

 

「失礼なことを言うものではないよ──と思ったが、長居し過ぎた私の行動規範にも問題があるかもしれない。なに、私とて陽に当たりたい時はある」

 

 読書は物のついでだったらしく、ページをめくる動作は鈍い。終いには栞を本に挟んで閉じてしまった。

 メンシスの檻の中で、ネフライトはクルックスを見上げた。そして、クルックスが座れるようにベンチの片側に寄った。

 

「すまんな。それで、本当に気分の問題なのか?」

 

「ああ、気分の問題だけだ。試験が終われば学期末まで、あと二か月。私はヤハグルに戻る。そうなれば自由に陽を浴びることもできない。今のうちに日光浴も良いだろうとね」

 

 ネフライトがヤーナムで居住しているのは、隠れ街と呼ばれるヤハグルだ。谷合にあるヤーナムでもさらに谷底、地下に等しい場所に存在する。そこで学派に所属する信徒の身の回りの世話をしているネフライトは、毎日を忙しく過ごしている──とは彼の申告した生活だ。実態をクルックスは知らない。

 

「そういえば、よくメンシス学派から出てこられたな。どうやって誤魔化したんだ?」

 

 半年とは、ヤーナムに生きる人間の尺度において決して短くない。学派の中で過ごしていたネフライトが、どのように周囲を説得したのか気になった。ただ、同じことはテルミにも言える。孤児院の集団生活でどのような抜け道を使っているのか。実に気になる。

 ネフライトは、やや眠たげにメンシスの檻の中で瞬きをした。

 

「クルックスがいつか話した内容とそう変わらない。メンシス学派の第二席に、ダミアーンという古狩人がいらっしゃる。ミコラーシュ主宰の、広義上のご友人でもある方なのだが……その方に話してご理解をいただいたよ。かつては夢を見ていた狩人で理解の裾野は広い。私が街を出るにあたり、口添えをしてくださった」

 

「へえ。そんな人が……」

 

「我々の思っているよりも、かつて夢を見ていた狩人はいるのだろう。もっとも、啓蒙を得る機会が少ないか、失ってしまったか。現在のヤーナムの異常に気付いている狩人は少ないだろう。気付くとすれば──……ふむ」

 

「何だ?」

 

 考え込むように言葉を切ったネフライトを促す。

 彼は、言葉を選ぶようにゆっくり話し始めた。

 

「私達の存在だ。お父様と我々は本来の時間軸、つまり原点にある過去の『ヤーナムの一年』に存在しない者だ。ある程度の啓蒙を保持する人は、私達との接触で異常ひいては世界の真実を認識するようになるかもしれない。前例があるだろう。既に繰り返しから逸脱している、ビルゲンワースのコッペリウスとか」

 

「『コッペリア様』だ。違えるな。──しかし、その推理はお父様があちこちに出没している時点で破綻していないか? だって二〇〇年以上だぞ。毎日一分話したとして一年で三六五分、二〇〇年で七万三千分だ」

 

「時空が激しく歪んでいるヤーナムにおいて時間の影響とは、我々の想像より小さいような気がしている。もっとも私の所感でしかないが。時間の問題を差し引いても、会話の内容を考慮しなければならないし、もっと別の基準があるのかもしれないからな。それこそ、個人の感性と啓蒙的知識の保持する量とか。こればかりは比較が難しいものだ。だが、お父様は私達に人と交流するように推奨しているのだから、結局のところ、気付いても気付かなくとも大した問題ではないとお考えなのだろう……」

 

「もし、誰かが気付いたらどうされるのだろうか。お父様は」

 

 クルックスの疑問に、ネフライトは欠伸を噛み殺して答えた。

 

「どうもしないのではないかな。学派間の闘争にも干渉なさらない。誰が死んでも一年後には元通りだ」

 

「そうだが、そうだからこそ、目立つだろう。昨年までと違う行動をする者がいたら、お父様には真っ先に分かるに違いない。だとすれば秩序を乱す者を処断されるのだろうか……」

 

 そんなわけがない。

 ネフライトは、すっぱりと切り捨てるように否定した。

 

「お父様が、静かなヤーナムを望むのならば、そもそも最初から人間が存在する揺籃の街など呼び起こさない。気まぐれで作ったとして、夢から引き籠って出てこない。人形ちゃんがいる狩人の夢。あそこがお父様にとって一番安全で安寧の地であるのだから」

 

「じゃあ、どうすると。事情を話しに行くとか?」

 

「そうだろうな。相手が獣ではなく、血に酔っている様子もなければ『狩人』のお父様が、誰かと争う理由が無いだろう?」

 

「そうかぁ……そうかなぁ……そうだといいがなぁ……」

 

 クルックスの見るところ。父たる狩人は、日常生活においては穏当な人物だ。しかし、敵には容赦がない。言葉を尽くして分かり合えないと分かれば、彼の銃は躊躇いなく火を噴き、手指は内臓を引きずり出すことだろう。それが知人ではないことをクルックスは願わずにはいられないのだ。

 

「そう気落ちするな。コッペリ、アとお父様は仲が良いだろう?」

 

「『コッペリア様』だ。次に間違えたら肋骨の順番を入れ替えるぞ。──でも、コッペリア様は変わっていらっしゃる御方だから。神秘に見えなければ生きている価値が無いのだとおっしゃる。……そんなことはないのに。ただ、生きているだけで、それだけで心安らぐ人はいるというのに」

 

「私は、よく分からないな。……悪く言っているワケではない。聖歌隊にしては素直な人物であるとは思うが、どこを見ているか分からない、とでも言うか。いえ、ビルゲンワースの聖歌隊の二人に言えることだが」

 

「だが、お父様は試行の指針を必ずお二人に話している。頼りにしているという点で疑いようのないことだろう」

 

「そう思いたいところだが……」

 

「何だ。物が挟まった物言いをして」

 

 ネフライトは「うーん」と鼻を鳴らし、檻を掻いた。

 

「私は常々なぜあの二人なのだろうか、と考えているんだ」

 

 ヤーナムが揺籃の街になる以前、狩人が獣狩りの夜を終わらせた日。

 何らかの条件を満たした狩人は、ヤーナムの現在の異常すなわち『二〇〇年以上も同じ一年が繰り返されている』という状況を知っている。

 ユリエはその条件を満たし、コッペリアも後天的──言葉の便宜上、人為的に──瞳を得ることで他の人間とは異なる視座を得た。けれど、同じ条件の狩人はいる。例えば、旧市街のデュラだ。

 

「旧市街の灰狼は先達だ。それにセラフィの女王様だっている。なぜだろうな。……とはいえ、お父様のことだ。こうして気分の問題なのかもしれないな。ビルゲンワースは、景観もまぁまぁ良い」

 

 ネフライトは「くあ」と口を開けて欠伸をする。

 そして、ベンチの手すりに身を預けた。

 

「おい、寝るのか?」

 

「すこし休むだけだ。……やかましいのが来そうだからな」

 

 何だと?

 クルックスは、辺りを見回した。

 やや興奮した顔でこちらに全力疾走してくる三人組がいた。

 ハリーは、本を開いたまま寝たふりをするネフライトをチラリと見たが、彼について何も言わなかった。

 

「僕ら、ダンブルドアのところに行くんだ」

 

「言いたいことはいろいろあるが、まずは理由を聞こう。なぜ?」

 

「──フラッフィーの秘密が漏れていたの」

 

 ハーマイオニーは『これだけが重要なのだ』という真剣な顔で言ったが、クルックスには単語の意味が分からなかった。

 

「フラッフィー、とは?」

 

「犬さ、ほら、あの」

 

「あぁ。獣に名前があったのか。不思議な趣味だな」

 

 クルックスは、ふと聖杯の中にいる番犬を思い出した。彼らにも名前があったのだろうか。

 至極どうでもいい思考を断ち切る。

 

「なるほど。警備上の穴は、すでに穿たれていたと」

 

 クルックスの隣で、眠ったフリをしているネフライトが息を詰まらせて身震いした。失笑したのだろう。

 

「彼は、ぐっすり眠っている。試験で疲れたのだろう。幸いなことだ。──さて。それでも、まだ石は盗まれた気配が無い。奪っているのであればユニコーン殺しなどするハズが無いのだから。それで、ハグリッドの失態を告げ口しに行くのか。石のためならばやむを得ないと俺は考えるが」

 

「危険を知らせるだけだよ。ハグリッドのことは言わない。だって友達だもの」

 

 今度こそ、ネフライトが堪えきれなかった失笑で肩を震わせた。

 四人は、彼を見た。

 クルックスは、小さく咳払いをした。

 

「檻の中で楽しい夢を見ているようだ。試験の疲れもあるらしい。まったく幸いなことだな。──さて、俺も付き合おう。官憲の真似事ができる機会など滅多にないからな」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 結果として。

 ダンブルドア校長への告白は、成功しなかった。

 

「留守? お留守? こんな時に!?」

 

 怒り。嘆き。

 混然となった感情でハリーは歩き続けていた。

 校長へ取次ぎをお願いするためにマクゴナガル先生と話したハリー達に待ち受けていたのは、ダンブルドアが魔法省から緊急の用事で外出中であるという知らせであった。

 この知らせは、彼らを動揺させるには十分のようだった。

 

(俺が盗人ならば今日、盗むな)

 

 クルックスは、青い秘薬の在庫と夜明けまでの時間について算段を立てていた。

 出し惜しみをする必要が無いのならば、今日で輸血液も水銀弾も秘薬も使い込むだろう。準備が必要だ。

 

「では」

 

「ハント、どこに行くんだい」

 

 部屋に戻ろうと向きを変えたところでロンに訊ねられた。

 

「秘匿は今日、破られる。成果を横取り、いや、総取りするならば、今日動くべきだろうと思ってな。俺は石など要らないが……」

 

「夜に出歩いたら、罰則よ。……わ、私が言えたことではないかもしれないけど」

 

 クルックスは、ハーマイオニーの目を見つめた。

 しかし、色も判別し終わらないうちに目を逸らされてしまった。

 罰則がグリフィンドールの秀才に与えた心の傷は大きいようだ。

 

「俺には、罰則の重さが分からない。理解していたとしても俺は行くだろう。我々に与えられた時間は短い。人は、そうすべき時にすべきことを成すべきなのだから」

 

 では。

 短く別れの挨拶をするとクルックスは、一足先にグリフィンドール寮へ戻った。

 

 衣服を収納している箱を開ける。

 インバネスコートを外した狩人の装束を着こみ、鏡代わりの窓の前でトリコーンを被った。そこでは父たる狩人に似た、銀の瞳が鋭く見つめ返していた。

 思えば、入学式の最後に秘匿を破ろうと思い立ってから、ずいぶん時間がかかってしまった。だが今日、条件が揃った。

 クルックスは目深に被ると談話室を出た。

 

 四階の廊下へ赴くのは、賢者の石奪取のためではなかった。

 

(──俺が、それを見たいのだ)

 

 父たる狩人がそうであるように、彼もまた探求に命を賭した。

 彼らは、あるいは否定するだろうか。

 その姿勢は、正しくビルゲンワースの末裔であった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 四階の廊下に辿り着くのは、容易である。

 しかし、フラッフィーとかいう三頭犬を殺すことができず、黙らせる方法も知らないクルックスは、侵入者の先回りするワケにはいかなかった。とはいえ、扉の前の前の廊下で突っ立っているワケにもいかない。父たる狩人のように青い秘薬をがぶ飲みしつつケロリとしていられるほど、クルックスの胃は頑丈ではなかったからだ。

 

 廊下の先で夕食へ向かう生徒達の気配を感じる。

 クルックスは、各教室の奥にある職員室のそばで気配を探り、部屋に人がいるかどうかを確認していた。マクゴナガル先生など何名かの先生は、夕食に向かう姿を確認している。犯人が誰であれ、アリバイ作りのために夕食に出席するのだろう。すると犯行時間は、夕食後が最適だ。うかうかしていれば、せっかく遠ざけたダンブルドア校長が戻って来てしまう。夕食後、それも直後に動く人が怪しい。

 

 待ち時間ができてしまった。

 あと十分もすれば、夕食の時間は終わるだろう。

 クルックスは職員室の訪問を止めて、四階の廊下が見える対岸の三階廊下へ向かい始めた。

 コツコツと階段を昇りながら考える。

 

(犯人に興味は無いが、誰だろうか)

 

 答えは、あと数十分もすれば分かることだったが、空白の時間が思いがけない思考をはしらせた。

 ハリーは、スネイプ先生だという。グリフィンドールに手厳しい──というか、八つ当たりの風潮さえある──いかにも怪しげな人物だが、果たしてそれだけで疑ってよいものだろうか。クルックスは、あまりに彼を知らない。

 

(お父様も『いかにも怪しげな人物には、よく気を付けろ』とおっしゃっていたし……)

 

 クルックスは、知らない。

 その忠告は、お父様がいかにも怪しげな風貌の狩人狩り──アイリーンに対し、初対面で斬りかかってしまったことから得たものであるとは。

 彼は、青い秘薬を飲み干しながら考える。

 

(禁域の森に住んでいる『窶し』っぽい男も、なぜかまぁまぁ物知りだからな。けれど、ああいう人こそが、人は見かけによらないという一例なのだろう……)

 

 足音が聞こえる。

 クルックスは、階下から四階の廊下を見上げた。

 

(誰だ)

 

 その姿は、体の線が分からない黒いローブに覆われている。体の動きから判別することは不可能だった。けれど、想定の範囲内ではある。

 彼の武器は、泥棒に振るわれるものではない。

 しかし。

 

(人間が不死を求めることは、頭に虫でも湧いてなければ浮かんでこないだろうよ)

 

 まして生き物を、人間を、害してまで求めることは、病気である。

 それは『普通』ではない。

 普通でなければ、異常である。

 ゆえに、病巣たる血には連盟員だけが見る『虫』がいるかもしれない。

 

 魔法使いの内に虫がいる。それは、悍ましく甘美な想像だった。

 

(ヤーナムが他方に比べて特別に淀んでいると俺は信じたくないのだ。それは、お父様が、ユリエ様が、コッペリア様が、彼らより汚れているという証明になってしまう)

 

 ヤーナムに積み上げられた呪いは、上位者に至った狩人により──ビルゲンワースの学徒達は──祝福に変じたと言う。それでも、獣はとめどなく、虫は生じ、夜は終わらない。

 

「きっと、いえ、必ず! あの薄汚れて濁った血には、虫がいるのだ! 連盟の長は正しい! あぁ、人は、世界は、淀まずにはいられないのだから!」

 

 彼は、父にそう言ってしまいたい。

 ──同じ神秘を宿す人々が、ヤーナムに住まう人々よりも血が綺麗であると誰が証明できるだろう。

 今日で全てが解決できるとは思えない。

 それでも、答えの一片があることを期待してクルックスは、走り始めた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 夕食に、クルックス・ハントの姿がない。

 彼は、あの謎めいた囁きの通り、『すべきことを成す』ために行ったのだろう。

 あの後、作戦を話し合う三人にとってスネイプと出くわしたことは、これまでの人生の中で最悪の思い出の一つとなった。

 

 ハリーは、今思い出しても心臓がバクバクと音を立てていることを感じていた。生徒の席に座っているのに、教員テーブルに座る誰かに聞こえるのではないか。心配するほどに胸の奥で震えていた。夕食の味は、もちろん分からなかった。

 食事を終える。大量に減点されてからハリー達、三人を好んで構いたがる学友はいなかった。

 そんな彼らが足を止めたのは「ポッター」と知らない声に呼び止められたからだ。

 

 頭に檻を被った同じ一年生。ネフライト・メンシスだ。

 その珍妙な姿から、ハリーはその人物の名前を知っていたが、まさか話しかけられるとは思わず、他に誰かがいるのではないかと辺りを見回した。

 だが、彼はハリーに話しかけていた。

 ニコリともしない顔。緑色の目は冷え冷えとしていた。

 

「クルックス──ハントはどこか。知っているか」

 

 たった今まで気がかりだった人について訊ねられて、ハリーは首を振った。

 

「さあ、知らない」

 

「どうして探しているんだ?」

 

 ロンがじろじろと彼を見て言った。

 六角柱の檻の中でネフライトは、目を細めた。

 

「……。彼にノートを貸している。テストが終わっただろう? だから返して欲しかったのだが……。貴公らが知らないならば仕方が無い。もし、会ったら『私が会いたがっていた』と伝えてほしい」

 

 伝えることを約束すると彼は去って行った。

 ハリーは、ハーマイオニーと目が合った。

 

「……ハントが、本当にノートを借りていたと思う?」

 

 ハーマイオニーもロンも『思わない』という顔で首を横に振った。

 

「探りを入れられたんじゃないかしら」

 

「探りって?」

 

 授業中の先生に対する受け答え以外は、挨拶程度の意思疎通さえ難しいと噂されるネフライトだが、例外があった。

 その例外こそ、ハーマイオニーの知る限りはハッフルパフのテルミ、そしてクルックスだった。

 

「彼は、その、クルックスの友達だから。……フラッフィーのことを話したのかも」

 

「話したって何もできやしないよ」

 

 ロンの言葉にハリーは頷いた。その通りだ。クルックスを含めて彼もフラッフィーの対処の仕方を知らないだろう。ならば近づこうとはしないはずだ。誰だって死にたくは無いのだから。──彼が『普通』であれば。

 

 談話室に戻り、三人はグリフィンドール寮生が寝室へ移動し、眠りにつくのを待った。

 やはり、クルックスは現れなかった。ひょっとして、石を盗りにきたスネイプと出くわしたのだろうか。そんなことを考えては、今すぐマントを被って駆け付けたい気分になった。

 談話室を最後に出たのは、リー・ジョーダンだった。彼が欠伸をして出ていくのを見送るとハリーは階段を駆け上がり、寝室の透明マントを回収した。

 

「ここでマントを着てみた方がいいな。三人全員隠れるかどうか確かめよう……もしも足が一本だけはみ出だして歩き回っているのをフィルチにでも見つかったら」

 

「──君達、何しているの?」

 

 部屋の隅から声が聞こえた。ネビルが、大きな肘掛け椅子の陰から現れた。

 三人は、とても驚いた顔をしてしまった。

 

「なんでもないよ、ネビル。なんでもない」

 

「また外に出るんだろ。ダメだよ。またグリフィンドールの点が減らされちゃう。もっと大変なことになるんだよ」

 

「ネビル、聞くんだ。君には分からないことだけど、これは、とっても重要なことなんだ」

 

 事情なら、後で話すから。

 ハリーの言葉を遮り、ネビルは道を譲ろうとしなかった。

 

「い、行かせるもんか。ぼ、僕、君たちと戦うよ!」

 

「そこをどけよ。バカな真似はよせ──」

 

 ロンがムキになって言葉を荒げる。

 その隙に、ハーマイオニーが杖を抜いた。

 

「ネビル、ごめんなさい。本当はこんなことしたくないけど……ペトリフィカス トタルス、石になれ!」

 

 その呪文をハリーは知らなかったが、劇的であることが分かった。

 ネビルの両腕が体の脇にピチッと張り付き、両足がパチッと閉じた。体が固くなり、その場でバッタリと後ろに倒れた。

 その様子をロンが、ショックを受けた顔をして見ていた。

 

「君って時々怖いって知ってた? すごいよ、でも怖い」

 

 じゃあ、他に方法があったかしら。

 ハーマイオニーが、今にも飛び出しそうな言葉を伏せた。

 

「ネビル、ほんとうにごめん。あとでちゃんと説明するから。──さあ、行こう」

 

 三人はマントを被った。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 四階の廊下に辿り着くまでに、ピーブスと出会ったがハリーが演じる『血みどろ男爵』の声に驚き、そのポルターガイストは姿を消した。

 あとはフィルチやミセス・ノリスと出くわさなければいい。

 祈りながら進む先で、彼らは思いもよらない人物に遭遇することになった。

 

 転落防止のために作られたであろう廊下の柵に腰かけているのは、ネフライト・メンシスだった。

 数時間前に別れた時のように奇妙な檻を被っている。すこし違うのは、彼が身にまとっているローブがホグワーツの制服ではないという点だろう。

 学徒の正装に身を包む彼は、ある時、うつむき気味だった頭をゆっくりと上げた。

 

「誰か来るぞ」

 

 三人は透明マントをしっかりと握りしめて壁際に寄った。

 

「──ククク、夜歩きとはね。好奇心とは、やはり収まらぬものであるらしい」

 

 闇の中から、ひとり分の足音が聞こえる。やがて窓から差し込む月光が横顔を照らした。

 トリコーンを被り古風なマントを肩に負う、歳の割に背が高い女子生徒だった。

 時代遅れの姿は、ハリーにとって演劇の役者のようにも見えた。

 深紅の皮手袋が、わずかにトリコーンをずらし彼女の琥珀色の瞳を露わにした。それは猫のように細められて──楽しげに見えた。

 

「スリザリンのセラフィ・ナイトだわ」

 

 透明マントのなかでハーマイオニーが、ほとんど声を出さずに言った。

 どうしてここに。

 三人の爆発しそうな疑問は、誰も答えてくれなかった。

 手すりに座っていたネフライトが、ゆっくりと檻を被ったままの頭を傾けた。

 

「考えることは同じらしいな。我々は、遺憾の意を示すべきだろうか?」

 

 頭を動かしたのは、セラフィを見つめるためではなかった。

 ネフライトは懐から取り出した、歪なナイフを月光に照らす。

 宙に投げては落ちてきたところを掴まえる。物騒な手慰みだった。

 

「いいや、その必要は無いだろう。狩人の勘は誰一人鈍っていないと誇るべきだ。何分前に来たのか」

 

「三十分前だ。フィルチが一度、ここを通った」

 

「ほう」

 

「あと二時間は来ない。薬はいい。無駄にすることはない」

 

 ドン、と低い音がした。

 重く細長い金属の何かが床を突いた音だ。ハリーは見る。それは、鞘付きの剣であった。

 セラフィは、剣の柄を握り、辺りを見回しながら憮然と言った。

 

「コソコソできない性分の僕は、この学校にとことん向かないな。僕は夜警だ。夜歩きが仕事ゆえ咎められても困惑ばかりだというのに。しかし、今日の夜は短い。無駄口はこのくらいにしておこう。──テルミはどこだ?」

 

「知らないな。私が来た時には誰もいなかった。てっきり貴公と一緒だと……そうでは、ないのだな」

 

 ハリーは、ネフライトと目が合ったような気がした。気のせいだろうか。夕食直後に話した彼の目は、どこか遠くに焦点が結ばれている不思議な目だったが、今は確かにハリーの顔を見たような気がしたのだ。

 やがて檻の中で、彼は視線をセラフィに向けた。

 

「僕はテルミに『秘匿破りに失敗したら後を頼む』と言われた。今夜、ここから出てきた者を捕縛する」

 

「何を見返りに受けたのか聞いてもよいかな?」

 

「特別な輸血液をくれるらしい」

 

「……そう」

 

 ネフライトが、不機嫌そうに唸った。

 その理由は何か。彼女は訊ねた。

 

「たとえセラフィがしくじってもネチネチと嫌みを言われないのだろうなと思ったのだ」

 

「おや。貴公、何やらしくじったのか?」

 

「ユニコーンの血の採取を依頼されていたが、横やり──矢で邪魔されたので撤退した。私は挽回のために森中を走り回る羽目になった。鬣で何とか及第点だそうだ」

 

「テルミらしいな。では、貴公が今ここにいるのはクルックスからの依頼か?」

 

「私は、ただの興味だよ。しかし、こんな情勢であれば私も備えよう」

 

「では、加勢に?」

 

「いいえ。貴公と同じく、ここに控えている。一般論として戦力の逐次投入は愚策だが、狩人であれば乱戦は避けるべきだ。クルックスとテルミが先行しているのならば、なおのこと。あのバカげた回転ノコギリで削られるのも聖剣の錆にされるのも愉快なことでは無い」

 

「賢明な判断だ。では、狩りの成就を祈っておこうか」

 

 ネフライトはナイフを掴むと手すりから降りた。

 そうして、セラフィとネフライトは、扉から離れて、廊下を歩いて別れた。

 

「今だ」

 

 二人の注意が扉から途切れた瞬間に三人は息を合せて禁じられた扉を開けた。

 それが、すっかりパタンと閉じてしまった後で。

 セラフィが首だけで振り返った。

 

「──おや。ネフ、気付いていたのか?」

 

 長い廊下の先に立つネフライトは、腕組みをして言った。

 

「聖歌隊のロスマリヌスは、よく匂うからな」

 

 ──僕は、気付かなかったな。

 セラフィの言葉は独り言のように聞き流されて終わった。




【解説】
 ヤーナムに予言は予言として存在しませんが、先まで続く呪いを受けたことを一種の予言として見ることもできるかもしれません。
 ハリポタ世界の予言は、とても確度が高いものとして描かれています。ただし、その役割を受ける者は複数いる場合もあるようですね(ハリーとネビルの例)。確度が高いとは書きましたが、実際、確度を高めるためにダンブルドア校長はハリーを導いているので、予言の信憑性はどの程度のものなのか、これは大いに考察されるべき内容ではあるのでしょう。「闇の帝王が滅びる」という予言がなされたとしても、不老不死ではない限りいつか滅びるので、的中率100%となってしまう。だからこそヴォルデモートは支配と不老不死を求めたのですね(ろくろ回し)
 筆者が興味深いのは、予言に規定されていない第三者なりの介入があった場合はどのようになるかという問題ですね。二次創作でなくとも最終決戦でロンやハーマイオニーが飛び込んできたらどうなっていたのか。たとえばアバダをゼロ距離で撃っていたとしても闇の帝王にスパアマがつくことになっていたのでしょうか。Fateにおける人理定礎的考え方のように「それでもハリー・ポッターが闇の帝王を打ち倒した」という処理がされるのか。つまりハリーは石ころで闇の帝王を打ち倒すことができた可能性があります。次の周回では頑張ってほしいですね。杖縛り
 とまあ。これほど極端ではないにしろ、大きく既定の路線を外れると(外そうとすると)何が起こるのか。実に、興味深いところです。
 その博打をしなかったのがダンブルドア校長ですね。おかげさまでハリーは英雄ですが…………誰もが人の幸せというものについて、よく考えるべき事態であることは免れないでしょう。

 ヤーナムの民の血は汚れているのか問題
「こちとら古式ゆかしき聖体拝領だぞ」と医療教会は怒るかもしれませんが、実際、多くの人々が獣性を抑えきれず右回りに変態しているので──という理由もありますが「それってそもそも人間の血じゃないですよね?」と言われるとグゥの音も出ない大問題があります。しかし、多くの病人にとって(恐らくは、一定時間)生命力を与える点で、たしかに救いとなる面もあったのでしょう。ローランがそうであったようにヤーナムにおいても破滅の呼び水ともなりましたが、今回は、さて、どうなるのか。狩人がくしゃみをしそうな話題です。
 ネフライト曰く「ヤーナムの内部に起きている抗争などに狩人は介入していない」が、接触はしているのでいつかは誰かが気付いてしまいそうな状況ではあります。ひょっとして誰かもう気付いているのかもしれませんね。探求者にとって自分の寿命ほど強大な敵はいないですから『たかが、一年が二〇〇年以上続いている程度』の問題など放置している、とか。誰が最初に気付くのでしょうね。とても興味深いです。


【あとがき】
 ヤーナムへの貢献とユリエやコッペリアの血の清潔の証明と淀みを根絶する連盟の理念がぐちゃぐちゃになりがちなクルックスは、頑張り屋さんです。これからも頑張ってほしいですね。

【あとがきのおまけ】
──あんた最強の血晶石に、最高の火力に興味があるんだろう?
──だったらひとつ、忠告だ
──全ての血晶マラソンを再走したまえ
──その先にこそ、(ほぼ)ノーマイオプ血晶石が隠されている…

 ところで、書いておきながら疑問を思いついたのですが、やはり本物の地底人先輩らはテルミ案の魔法界産新素材聖杯が儀式として成立した場合、血晶石マラソンを再走するんですよね? ヒヒッ……

【あとがきのおまけ2】
──「筆者」の気付きは、かつて突然に訪れたという
──すなわち、賢者の石編が終わりそうということは
──そろそろ投稿分ストックが尽きるのではないか?


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