甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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狩人
明かすために夜を駆けた。
星幽、時計塔の麗人が願う恐ろしい死は、長い夜にあって、ただの友であった。



幼年期の揺籃

 夜が明けた。

 長い夜だった。

 長い、長い、長すぎる夜だった。

 最初に照らされたのは、高所にある聖堂街上層の尖塔だった。

 

 暗澹の空、一点に光が生まれる。

 一見して、悪夢的思索に囚われた者の見る幻かと思われたそれは、しかし幻覚ではなかった。

 

 焼き捨てられて久しい旧市街が照らされた時。

 隻眼の狩人の目にとって朝日の存在とは、新しい凶事の前触れに思えてしまった。

 けれど。

 次に『あの夜』が訪れることはない。やがて降り注いだのは、白く清らな──まごうことなき朝日だった。

 

 夜は、たしかに終わったのだ。

 

 ガトリング銃に腕を預けながら、来訪者を待つ。

 体はひどく疲れ切っていたが、梯子が軋む音が聞こえていたのだ。

 

「デュラさん」

 

 来訪者の顔よりも先に、枯れた羽根を模したトリコーンが見えた。

 最後の一段を上がった青年は、デュラの顔を見つけるなり血除けマスクを引き下げる。引き攣った顔で笑った。

 そして。

 

「おはよう、ございます」

 

「ああ、おはよう……」

 

 習慣とは素晴らしい。拙い抑揚で告げられた言葉に、隻眼の狩人も答える。そうしてありふれた挨拶を交わした。

 これが確認であることを彼らは言外のうちに理解していた。

 

「あぁ、ああ、あぁぁぁ、おはようございます……。おはようございます。おはよう、と……」

 

 ふらつく脚でデュラの前に立った青年は、膝を折ると屈んで我が身を抱いた。

 

「私は、私は……あぁ、俺は、この言葉が言いたくて、言いたくて、人を……生きている人を探して、ここまで……」

 

 彼の肩を叩いた。強すぎず、弱すぎず、労うように。

 彼の努力を認めるのに、言葉はあまりに無力だった。

 

 身を震わせる狩人が、すがるように石畳を掻いた。

 

 秘匿されていた赤い月は昇りあるいは降り、青ざめた血の空は破却した。

 記録される限りのヤーナム史において、最悪の獣狩りの夜は、とうとう明けたのだ。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ガトリングが設置された高層で三人の男が石畳に座っている。

 最も年若く見える狩人は、しきりに鼻先に触れていた。

 鼻の奥が痛い。こすり過ぎた目が霞む。

 行儀悪くズビズビと鼻を鳴らしていると見かねたデュラの盟友が布をくれた。

 

「ありがとうございます」

 

 黴臭いが、土や血やらで凝り固まっている手袋でこすり続けるよりマシだった。汗や涙でぐだぐだになっている顔を拭く。布巾の返却は拒否された。その間、デュラは朝靄が流れていく眼下の旧市街を見ていた。

 狩人が落ち着いて佇まいを直したところで、デュラがこちらを向いた。

 

「……結局のところ、何人、生き残ったかね」

 

「街の人は、片手で数える程度が正解に近いと思います。『生きている』だけならば、もうすこし多いかもしれません。両手くらい」

 

「旧市街と同じだな。赤い月になった途端、獣になるか狂ってしまっただろう」

 

 デュラの盟友は、俯いてフードを目深に被り直す。

 狩人は、頷いた。

 

「お察しの通りです。門扉が固くて、反応があった家の捜索もまだ」

 

「狩人は誰が残っているかね。捜索するならば……朝になったとはいえ単独行動は避けるべきだろう。これから先が長いのだから」

 

 すぐに答えられなかった狩人の反応が、彼らに全てを悟らせた。

 ただ「あぁ」とさまざまな感情が混ざり合った溜息が、古狩人から漏れた。

 

「全くいないワケではないです。鴉羽の狩人、アイリーンさんがいるハズです。大聖堂の近くで怪我をしていたので輸血液をありったけ置いて……でも、いなくなってしまいました。あの方、いったいどこに……」

 

「……鴉羽……彼女ならば、身を休める場所くらい把握しているだろう。そのうちひょっこり出てくるさ。他には心当たりないかね」

 

「説明省きますが、連盟のヴァルトールさんがいたハズなんですけど、彼もちょっと行方不明です」

 

 ちょっと、とは?

 デュラは聞き返した。

 衣嚢の中を探りながら、狩人は答えた。

 

「悪夢の中で鐘を鳴らしたら会えました。でも、悪夢の中は、もう死んだ人にも会えるところでした。だから……その……ここでは、あの人は、もう……心残りを無くしてしまったのかもしれません。張り切って虫潰さなきゃ良かった」

 

 狩人が腕に抱えたのは、連盟の長が被っていたバケツ──ではなく鉄兜だ。

 哀悼を示すかのように狩人は、しばしうつむいた後で左目だけが空いた鉄兜を被った。

 

「視界狭……。え。これで醜い獣討伐って……長、凄っ……恐っ……」

 

 いろいろと規格外だったヴァルトールを惜しみながら、狩人は兜を衣嚢にしまった。

 盟友と目が合った。

 

「医療教会はどうなっている? 奴ら、真っ先に動きそうなものだが」

 

 今日も今日とて、惨事など知らぬとばかりに鎮座する教会は、旧市街の谷合からよく見えた。

 

「教会を二分するひとつ。聖歌隊は、ほぼ全滅です。予防の狩人達もそこいらで死んでいます。確認できた生き残りはひとり、ビルゲンワースにいます。彼女は、まともでした。でも、街の掃除には手を貸してくれないでしょう。彼女は学舎の守り手ですから」

 

『全滅』という言葉の重さは、彼らにとって特別な意味を持つ。だから敢えて使った。

 実際のところ、街の現状を最も正しく伝えるために必要であり、最短の言葉でもあった。

 

「ヤハグルの気狂い共は?」

 

「獣狩りの夜が始まる前に全滅していました。今回の赤い月の『きっかけ』でもあります。──でも、近寄らない方がいいです。掃除も最後がいいと思います。だいぶ殺しまわってきましたが、まだ棺がうろうろしているかもしれません」

 

「──念のため聞くんだが、教区長は?」

 

 ヤーナムを統制する医療教会、そのトップとは──実態がどうであれ──教区長という地位が一般的らしい。

 狩人は、古い記憶を思い起こしていた。

 

「狩長共々獣になったので、私が狩りました。赤い月が訪れる前の話です」

 

 笑うことのない狩人の目が、まっすぐ盟友を見つめた。

 

「平たく言うと医療教会は組織として動くことができない程度に、何というか、全体的にもうダメです」

 

 盟友は、とうとう溜息を吐いた。感慨も意見も感想も何も無い。溜息しか出てこないのだ。

 話をまとめるように、デュラが手を一回叩いた。

 

「家の中に閉じこもっている民草でさえ生き残りがほとんどいないような夜だ。中途半端に神秘に傾いていた彼らなど真っ先に発狂したのだろうよ。──では、現状、この三人が狩人か」

 

「…………」

 

 否定したいが、否定できる根拠も何も無くしてしまった。

 街が、人が、夜で失ったものは多く大きい。

 考え込みそうになる頭を振り、狩人は立ち上がった。

 

「……私が来たのは、ただ人と話したかったからです。もう行きます」

 

「君、ヤーナムを去るのか?」

 

 狩人は首を横に振った。

 

「私は、どこにも行くところが無いんです。自分の病気が何だったのかも分からない。本当に治ったのかも分かりません。それどころか、この姿だって……。……ああ、いえ、関係ないですね。だから、ええ、つまり、結局のところ俺はヤーナムにいますよ、ずっと。……でも、まずは、街中の死体を片付けないと」

 

 デュラと盟友は、一度視線を交わした後で、立ち上がった。

 

「我々も手伝おう」

 

「いいんですか……? でも街は」

 

 旧市街の守人は、すっかり朝靄が消え失せた市街を見下ろした。

 

「……どうせ誰もここに来ない。また血の匂いでいたずらに刺激したくもないからな。作業するならば、早ければ早いほど良い」

 

「時間はかかるだろうが、夜に作業はできない。……急ぐべきだ」

 

 狩人は、デュラとその盟友に丁寧にお礼を言った。

 

「……しかし、休んでいてもいいのだよ」

 

「いえ。動いていた方が気がまぎれるので」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 それから三人で道順を確認した。

 夜の狂乱が嘘のような静かな日になりそうな予感があった。

 盟友に続き、鉄梯子を数段下がったところでデュラは狩人の呟きを聞いた。

 

「デュラさんは、街を出ようと……やはり思わないんですね」

 

 何を言うのか。

 デュラは彼がどんな顔でそんなことを言ったのか気になった。

 背筋を伸ばし高台にいる狩人の姿を見つめる。彼の顔は、逆光で見えなかった。

 

 だが、瞳が見えた。

 

 彼の銀灰の瞳は、深い海のように揺れていた。

 はて。

 デュラは、記憶を探った。知らない色だ。彼の目は、あんな色をしていただろうか。

 

「人間が、人間のまま生き、死ぬことのなんと幸いなことか」

 

 感情の宿らない声で彼は言った。大きな独り言だった。

 その声を聴いた時、デュラは、思い出したことがあった。ここへ辿り着いた彼が、あまりに悲しく哀れに泣いたから忘れていたのだ。

 何らかの感触を思い出すように、彼は右手を握っては開いてを繰り返した。

 

「鴉羽の狩人、アイリーン。あの狩人狩りは正しい。あれは確かな、あの夜で信じられる慈悲だった。……彼女自身が救われないと知っていただろうに。慈悲を施していた。彼女は正しい」

 

 狩人の腰にはノコギリ鉈があり、獣狩りの散弾銃が提げられている。

 彼が『その気』になってしまえば、一方的にデュラと盟友を殺せる状態にあるのだ。

 

「連盟の長、ヴァルトール。彼もまた正しかった。あれこそ長い夜を越えるための慈悲だ。たとえ同士以外に理解されなくとも、いつか夜は明けるのだと思わせてくれる。夜に月は要らない、だが、目指す光は必要だった」

 

「貴公、正気かね」

 

「私は正気です」

 

 夜は明けたのですから。

 狩人は、二、三の瞬きをした。

 

「貴方は良い人です。デュラさん。とても優しい人でもある。だから普通に生きて死んでほしいな、と思っているのです。普通というのは齢をとって老人になって……という意味ですけれど」

 

「……。貴公は知らんかもしれんがね。私はすでにそこそこの歳なのだよ」

 

 嘯く。冗談の類であると狩人は知っているだろう。

 ヤーナムにおいて狩人の願望を果たすことのなんと難しいことか。果たした時は、なんと幸いであることか。

 

「そうだ。そうですね。そうでしたね」

 

「……疲れているのなら本当に休むべきだぞ、君。これからが長いのだから」

 

「いえ、大丈夫です。ホントですよ。……人と話せることが嬉しくて、すこし気が高ぶっているのだと思います」

 

 その気持ちは、デュラにも思い当たりが多少ある。──同調などしなかったが。

 デュラは、疲れはじめた手を動かして梯子を昇った。

 

「……気に病むな、と言っても無駄だろうが、言っておく。君はヤーナムがまるで終わるようなことを考えているようだが」

 

「え、違うんですか」

 

「いずれ、人が来るだろう」

 

 狩人の顔が、ようやく見えた。

 ああ、そうだ。

 彼は実のところ、ただの人間だった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「人? どこから」

 

「どこからでもだろう。今なら入居し放題だ」

 

「あぁ……そうか」

 

 デュラが投げやりに言ったので狩人は深く俯いた。

 今は廃墟同然のヤーナムであるが、人は集まってくることを思い出したのだ。かつての自分のように血の医療を求める巡礼者は至るだろう。新天地を目指す人も至るだろう。あるいは、上位者の噂が他方にも伝播していれば記録を辿り、至るかもしれない。忘れ去られた古都のはずが、呪われた町として知られていたように。これまでと同じように。

 

「そのうち新しい街ができる。下が見捨てられたようにな」

 

「…………」

 

 狩人は、唇を噛んだ。

 手足にはひどい疲労があった。今さらだった。

 

「また繰り返すのか」

 

 朝の風が攫っていった言葉は、誰にも届かなかった。だが、その感想は、上位者となったゆえの予知であったのだろうか。ともあれ狩人の漠然と頭に浮かんだ未来、しかもそう遠くないものを見て、失望に等しい感情を持てあました。

 

 謎を探り、明かし、解くのは人の業だ。それ自体は、進歩だ。否定されるべきではないのだろう。

 だが、ヤーナムは解くべきではない謎に触れた。上位者との出会いは、恐らく、人間には早すぎる邂逅であった。それは人間に上位者に過ぎた不幸を招き、ずっと先の赤子まで至る呪いを受けた。

 

「デュラさんは、これから──」

 

「弔わねばなるまい。人を」

 

「そうですよね……そう、なりますよね……」

 

 狩人は、それを手伝おうと思う。

 まずは手伝って、手伝って、それから──。

 気付いたら街中を歩いていた。

 夜のうちに殺せるものは殺しておいたのでノコギリ鉈と銃火器の出番は無かった。狩人は死体を拾い歩きながら、考える。

 かつて人だったことが伺い知れるのは分厚い毛皮の上に纏う、服の残骸だけだ。腕の長さが違う。人としての尊厳は、無残に引き裂かれている。

 街を歩き回り、数えられないほど見開かれた目を閉ざした。祈るように握られた堅い手を握った。

 

 デュラと分かれてから数時間後。

 死体を集めている広場の隅に、何体かの身体や部分を集めて整列させているとデュラと盟友が戻ってきた。破壊を免れた四輪車には、狩人が拾ったものより多くの残骸が積まれていた。

 

「……彼らの死に意味はあるんでしょうか」

 

 祈るように手を合わせる。作法など知らない。だから、かつて見たことがある処刑隊のアルフレートを真似た。

 デュラに溢した言葉について、返事はなかなかいただけない。狩人は、彼の気分を害してしまったことに気付き、しどろもどろな謝罪をした。朝日を見て考える余裕ができてしまったから、こんなことを考えてしまうのだ。

 隻眼の灰狼は、若者の肩を叩いた。殴るような所作だった。

 

「貴公、立て、歩け。死に意味を与えられるのは、生きている者だけだ」

 

 狩人は、血で濡れた手袋の中で手を握る。彼の言葉は狩人にとって一種、救済の標となった。

 彼らの死に意味を与えることができるのは、自分だけだ。

 ヤーナムに巣くう上位者を殺し、眷属を殺し、獣となった住民を殺し、狂人を殺し尽くした。死者という意味では、彼らも同じ位相に存在する。

 これは、彼らの死に意味を与えたいだけの意地だった。事実は、側面に弔いの色をまとっている。

 

「デュラさん、ありがとうございます。……どうか長生きしてください。ずっと。ずっと。いつか旧市街を訪れます」

 

 旧市街の住人は、ひらりと手を挙げた。

 

 顔を上げた狩人には、すでに悲嘆の色は無い。

 死を糧にするのは、これまでと同じことだ。

 これから目標へ歩くことも。

 きっと、長い道のりになるだろう。それでも決めたのだ。ならば、この試みが正しいことを信じて歩き続けるだけだった。

 

 

 ここは古都ヤーナム。

 遥か東、人里離れた山間にある街は呪われ、病が蔓延していた。

 病は、呪いと友であり、血は全ての母だった。

 悍ましき古都は、血を血で興し清め穢し廃れ、けれど途切れず続くのだろう。

 

 

 だからこそ。

 

 

「血がヤーナムの歴史であるならば、ヤーナムの歴史とは血によって作られるべきだ。ゆえに、血の遺志に依ってだけ」

 

 灰降りしきる街を歩む、感応した上位者の視界は鮮やかに色づいた。

 

 この日よりヤーナムの時間は止まり、昔日の一年を繰り返すことになる。

 また幼年期の上位者が棲まう揺籃となり、そして、現在まで二〇〇年以上、夢を見続けている。

 

 




【解説】
本話は、現在の時間軸に対して約二〇〇年以上前の話であり、ゲーム本編直後の話でもあります。
しかし、本作のヤーナムにおいて時間は大した問題ではありません。少なくとも狩人はそのように考えているようです。

【あとがき】
更 新 :ゴールデンウィーク中は毎日更新ができる見通しが立ちました。外にも出られないし新生活にブラボするのがお薦めの過ごし方ですね。ハリポタ要素は、もうすこし待ってください……。
誤字脱字:頑張っているんだけど無くなりませんね。ご指摘ありがとうございます。
交 信 :本作は、ブラボ本編の出来事について自己解釈を多分に含む予定です。話が見えてきたら、お気軽に感想ください(交信ポーズ)

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