甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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狩人の悪夢
狩人の行き着く最後の地。
存在は罪の証であり、住民は罪人である。
戒める場所ではない。
ただ、罰する場所なのだ。



最も新しき獣狩りの夜(狩人の悪夢─地下牢)

 狩人の悪夢。

 実験棟へ繋がる地下牢。その最下層にて。

 足音が響いていた。

 規則正しく階段を下る音だった。

 

 やがて足音が止まる。

 牢の覗き窓からは、枯れた羽を模したトリコーンが見えた。

 

「…………」

 

 最初に鍵を掛けられて以来働きづめであった牢の錠は、とうとう役割を終えた。

 

「……ほう、これはこれは……」

 

 思わず、牢の主は呟く。

 声は低く、そして嗄れている。

 

 現れた男を、彼は知っていた。

 地下死体溜りと呼ばれる血に溢れた大聖堂、そこで正気を失った獣憑きを打ち倒した後で、彼はこの地下牢を訪れたのだ。

 

『もし。そこに誰かいるのか? 生きているのか?』

 

 そこでは短い会話を交わした。

 牢の主が握る鐘の音は聞こえていなかった。だから、互いに敵でもなければ、味方でも無かった。

 だが、いまや敵同士だ。

 ほんの数分前は剣戟の音が鳴り響いていたのが嘘のような静寂の後で、狩人は然りと標的を認めた。

 

「獣の皮の殺し屋。シモンを殺したな」

 

 窶しのことならば然り。

 獣の皮を被った牢の主はそう告げようとしたところ、敵対者はルドウイークの聖剣──細身の銀の剣を握る右手を挙げた。

 

「返事は要らない。私は分かっていて、知ってもいる。教会の刺客、ブラドー。このやりとりも何百回目か何千回目だ。そして、私はあなたを殺す心算も無い。──あなたを殺したところでシモンは戻ってこない。そして、彼の願いを果たすこともできないだろう」

 

 不可解なことを言う狩人を彼、ブラドーはわずかに笑んで見ていた。狂気に中てられたか、正気を失いつつあるのだろう。気に留める必要が無いと知れたからだ。

 しかし。

 

「──願い? あの救世主気取りの下賎が、お主に何を願ったのかね」

 

「『あんまりにも狩人が憐れだから、悪夢を終わらせてくれ』と」

 

 聞くなり呵々大笑した。被る獣の皮がぶるりと震えた。

 

「狩人の悪夢に存在する狩人は、もうあなたしかいない。悪夢を終わらせることは……分からないが、ひとまず悪夢から目覚めることはできる。私は実験棟の先を見た。あなたの役目は、失敗という形で終わった」

 

「いいや。終わらぬよ。まだ。まだだ。何も終わってはいないのだ。その秘密、持ち帰ることあたわず。刺客はどこまでも、お主を追っていくぞ」

 

 ブラドーはそばに置いてある『瀉血の槌』を握る。狩人は剣を向けた。

 医療教会が作った武器だというのに、その性格は異なる性質を示した。同じものを見て、異なる感想を抱いた者がいるように。

 

「それは叶わない誓いだ。医療教会の鳴らぬ鐘の暗殺者。あなたが私を仕留めるより、私が悪夢を廻すほうが速い。何より、私のほうがあなたより強い」

 

「試してみるかね」

 

「それには及ばない」

 

 再び、狩人は右手を挙げて制した。

 それに従う理由も無かったが、彼の瞳を見て、動きを止めた。

 銀灰の瞳は、暗く輝き、深い海のように揺れていた。

 

「狩人の悪夢には、もう誰もいない。表のヤーナムにもほとんど人がいない。あなたは知らないだろうが、今回の獣狩りの夜は大きな赤い月が昇った。聖職者はことごとくが右に左に変態するか、医療者は血に溶けて久しい。……狩人は、私を含めて数人と市井の人々が辛うじて生きながらえている程度だ。そして、私を除く狩人は、悪夢に興味が無い。あなたは獲物を永遠に失した」

 

「信に値するものは?」

 

「何も無い。強いて言うならば私の言葉。そして、あなたが腸と一緒にぶちまけた、シモンの慈悲に誓おう。ヤーナムに戻るつもりはないか? 殺し合いはいつでもできるが、今はとかく手が足りない。使えるものは何でも使いたい」

 

 ブラドーは動かなかった。

 狩人は、入ってきてから今まで冷静のように見える。

 だが、語気はわずかに荒れた。

 

「もうじき狩人の悪夢は閉じられる。ここにいては取り残されるぞ。それとも。あなたの友が、ローレンスが、あなたの死を望むのか?」

 

「その名で騙ることを私は許さぬ」

 

 音の鳴らない割れた鐘が、手の中で強く軋んだ。

 狩人は、サッと頭を下げた。

 

「それは失礼を。罪人の最古参殿。……私は、ヤーナムの平穏を望んでいる。だから、もし、ローレンス教区長が人を越えた先、同じ平穏を見つめていたのならば……あなたが私に協賛する理由になりはしないか」

 

「ヤーナムが、狩人が、どうなろうと知ったことではない。私が私に課した役目は変わらぬよ。……鐘の音に怯えるがよい。秘密を暴いた愚か者」

 

 音が、彼には届いただろう。

 ゆるりと頭を上げて帽子を被り直しながら、目を細めた。至極、残念そうに。

 

「そうか。こんな問いかけは、初めてだったが、その答えを知っていた気がする。けれど、忘れないでくれ。次に会う時は、ゆっくりと話したい。友の罪を被る古狩人。異邦人同士、仲良くできると思うが……その時は、礼に彼の頭蓋をお返ししよう。ゲールマンには断られてしまった」

 

「ゲールマン? まだ、生きているのか……?」

 

 思わず問いかけてしまった。

 ハッとして口を噤むが遅すぎた。

 狩人は返事があったことを嬉しそうにした。

 

「生きているのか。生かされているのか。少々微妙なところだが、まぁ、いることには、いる。ただし、こことは違う、夢の中だが……あなたのことを聞いても答えてはくれなかった」

 

「…………」

 

「暗殺以外のことに興味を持っていただけて嬉しい。私は、多くの人々の幸せを願っているだけなので……ああ、そうだ。こういう状況のための、良い言葉があったな」

 

 そして。

 わずかな思案の果てに出てきた言葉は。

 

「大いなる善のために!」

 

「嘘にしても、もうすこしマシなことが言えないのか。最近の狩人は」

 

 殺傷力を持つ言葉の鋭さに狩人は、突然、帽子のほつれが気になってしまったようで枯れた羽を指でいじっていた。

 

「どこから受信してしまったか分からないが、やはりヤーナムには馴染まない言葉だよな。俺も常々そう思っていた」

 

 狩人は、外套を翻した。

 

「では、最も新しき夜明けが見たくはないか? 俺は見たいぞ。是非にな」

 

 階段を昇る足音は、途中で途切れた。

 ここは、狩人の悪夢。

 古い遺志の漂いの彼方に狩人は消えたのだろう。

 

「くだらん。くだらぬよ。夢を見る狩人。人の性を変えることが、できるものか」

 

 ──彼さえ、ついに果たせなかったというのに。

 

 ブラドーは被っている獣の皮を探った。

 ごわついた繊維が手袋に絡みついく。

 

「…………」

 

 音の鳴らない割れた鐘を揺らす。

 反響は、二度と返ることはなかった。




【解説】
 最も新しい獣狩りの夜とは、本作でしばしば語られる『最後の周回』のことです。これは、繰り返しの一年には、赤い月及び獣狩りの夜が含まれていないためです。
 狩人にとって、この時点で一年を二〇〇年以上繰り返すことは想定外でしたが、それにしても未来志向が前提にあったのは確かな様子。「使えるものは何だって使いたい」とは本音であり、勝算の見込みが薄い賭けであり、分かりきっていた結果を招いただけでした。
 しかし、夜は(ひとまず)明け、朝は来た。
 ダンブルドア校長は「朝陽はあまねくを照らしてくれない」と言ってはいましたが、まさかヤーナムにまでそれが適用されるとは、狩人も考えていないことでしょう。狩人達には、穏やかな夜も朝陽も必要です。
 そのため、彼が望まなくとも夜は日常を内包し、朝は全てを照らしてしまうのかもしれません。現在の、上位者の揺籃となっているヤーナムでは。

【あとがき】
 漁村ガイド兼脱衣系激重感情一方通行鉛ガブ飲み瀉血ブン回し属性過多おじさんことブラドーさんをよろしくお願いいたします。一言目から言いがかりです。しかし、獣になった友人の皮を剥いで被って腸ベルトしている人のなかだと一番カッコイイという言葉には、とても頷けるものがあります。暗殺者ですよ。怖いですね。戸締りしましょう。シモン君は間に合わなかった? うーん、でも無限リスポン相手じゃ仕方ないですよ。なお鍵。
 さて、巷のブラドーおじさん考察班ではよく知られた話なのですが、寝室で暗殺業に勤しむブラドーさんと狩人の悪夢のあちこちで襲ってくるブラドーさんは、被っている獣の皮の角の形状が異なるだけではなく、幻影の方が若いという特徴があります。どれくらい若いかと言うと白髭(寝室)→黒髭(幻影)くらいです。これが何を意味するかと言うと筆者は何かを意味していることが分かったのです。ついでの根も葉もない話ですが、ブラドーとシモンは同僚だったと思います。俺には特別な知恵があるから分かっているんですよね(ろくろ回し)

【次話投稿について】
 賢者の石編が終了しました。多くの評価、ご感想、啓蒙をいただいてしまいました。ありがとうございます。すごく嬉しくて毎日の活力になっています。
 さて。記録のある限りにおいて、本作を書き始めたのが今年(2021年)の1月からのようなので次回投稿までしばらく間が空くと思います。
 進捗についてはツイッターで進捗報告ノートを使ってお知らせを行っております。(筆者ページにあります)
 気長にお待ちいただければ、とても幸いに思います。
 みんなも! ブラボやろう! やって! お願い! そして小説を書こう!
 ……どこもかしこもブラボ2やブラボカートをやっている狂人ばかりだ……

 次回予告
 
【挿絵表示】


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