甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

26 / 128
窶し
全てに見過ごされるように古狩人は身を市井に堕とした。
誰もが見落としたものを探り、見つけるために。


『カインハーストの夜』編は3話構成でお送りします。


悪夢より這い出でる

 ──時計塔のマリアを殺したまえ──

 

 告げた時、対峙する狩人は、俺の目を見ようとしたようだった。

 生憎と包帯に阻まれて彼は捉えきれなかっただろうが、俺からはよく見えた。

 探るような、確かめるような──俺の中の何かを見つめたがっているようだった。

 

 星幽、時計塔の貴婦人マリア。

 

 悍ましい実験棟の患者達は言う。

 ──マリア様、手を握って。

 ──マリア様、助けて。

 ──マリア様、マリア様、マリア様。

 医療教会が見捨て、忘れ、その果てに打ち捨てた実験棟の残骸に存在する何者か。

 そんな場所に存在する以上、友好的な関係は結べないとは分かりきっていたのだろう。

 

 彼は視線を切り、実験棟を登っていった。

 そして、忠告のとおり。彼は、時計塔のマリアを殺した。

 

 扉の陰で一連の戦闘を見ていた俺は、その先へ進まない彼に声をかけた。

 そこで彼の顔を初めて見た。

 血除けのマスクを外し、深く呼吸をした。

 

「ひどく甘いな」

 

 思いがけない言葉に、俺は問いかけた。

 

「マリア、彼女の血の溶けた匂いがする。カインハーストに連なる一族は、血が甘いらしいな。……空気さえ甘い」

 

 深く息を吐いて、吸う。

 胸を切り裂かれ、内臓をまさぐり取られ、白昼夢のように消えたマリアの痕跡は、今や血の残滓である匂いしかなくなっていた。

 狩人の目は、その漂いを見ていた。

 その視線の先、黄昏の光が差し込む時計塔の一室は、舞い上がった埃が光っている。剣戟が遠ざかれば、不気味なほどの静けさがやってきた。

 

「……あんた、酔っているのか?」

 

 不意に危惧が思い浮かび尋ねた。

 彼は、ゆるく首を振った。

 

「とてもそんな気分にはなれない。──実験棟。ここは、医療教会の血の聖女を使った実験場なのだろう」

 

 狩人の話の着地点が見えない。

 黙っていると狩人は、何度か頭を振った後でマリアが座っていた椅子に触れた。

 

「私には、よく分からない。上位者だの血の赤子だの、さっぱりだ。だが、全ての鍵はカインハーストの血なのだろう? なら……マリア、時計塔の貴婦人には、ここがどう見えていたのだろうな……。自分の代わりの女。偽物の女。贋作。出来損ない。挙句の失敗作ときたものだ」

 

「ほう。冷血だと?」

 

「自ら望み、この悪夢に囚われたのであれば……そう断じるべきなのかもしれない」

 

 狩人は、マスクを元通りに着け直す。

 そして、シモンに顔を向けた。

 銀灰の瞳は、曇っても蕩けてもいなかった。

 

「彼女は熱い女性だ。血さえ燃えるほどだった」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 その男が、確かな記憶を辿り思い出せる最期とは、教会の暗殺者が振るった瀉血の槌により抉り取られた内腑が、漁村の湿り朽ちた床板に点々と散らばっていく光景だった。

 ──どうして殺されたか。

 その理由については、身に染みるほど理解していた。医療教会の恥部、隠匿された罪の核心に近付いたから追手が差し向けられたのだ。

 漁村での攻防は、悪夢に身を投じてから動き詰めであった心身の限界が訪れた瞬間だった。

 

 矢筒が空になり、彼はわずかに集中を乱した。

 

 常人であれば数度絶命に値する矢を受けた暗殺者は、心臓を射抜かれながらいつもより長く動き、目的を果たした。瀉血の槌は、遂に獲物の臓腑を抉り取ったのだ。暗殺者の執念が、彼の抱く慈悲に勝った瞬間でもあった。

 内臓をぶちまけてしまっては血の医療さえ追いつかない。手持ちの輸血液は、流し込むだけ無駄だった。

 

 死の淵での出来事は、思い出せないことが多い。

 記憶の混濁。

 拡散する思考。

 そして、鐘の音。

 彼が最期まで知覚できていたのは、潮騒の香りに混ざる月の香り、そして、誰かが左手を握っていたことだけだった。

 だが。

 

「……なぜ、俺は……ここに」

 

 彼は、節くれて『たこ』のある両手を開いた。

 たしかに腹を裂かれた経験も記憶もあるのに現在転がっているのは漁村の朽ちかけた家屋ではなく、ヤーナム市街の外れの路地裏なのだ。

 ──これまでの全ては夢である。

 そう言い切るには、確かな質量と記憶を保ち続けてしまっている。実は、自分が既に狂っていて妄想を事実と思い込んでいるという可能性も無きにしも非ずだが、こればかりは検証できない。

 やがて彼は、冷たい石畳を知覚した。

 

「どうなって……」

 

 街中から離れた路地裏。

 汚れた襤褸を纏う男の名は、シモンと言った。

 医療教会の初期からの狩人であり──かつて、医療教会がひた隠しにする罪を追うために身を窶した男だった。

 気付いたらここにいた。背中には負った弓剣がある。矢筒には銀の矢があった。

 窶しらしく誰からも見咎められることも、気にされることもなく路地裏に転がっていた彼は、何とか身を起こし、路地裏から這い出てきた。

 

「朝……? いや、夕か……?」

 

 厚く巻いた包帯越しに見える赤い日差しに驚く。

 ここは、ヤーナムだ。

 それも狩人の悪夢のヤーナムではない。

 ──いったい何十年ぶりだろうか。

 シモンは、現実世界のヤーナムに立脚していた。

 

「そこのお前、そんなところで何をしている?」

 

 カツカツと革靴が音を立てて医療教会、黒服の二人組が現れた。

 見るからに正気であるため、シモンは戸惑った。

 

「あ、ああ、どうもご苦労さま。休憩していたんだよ」

 

「休憩だと?」

 

 怪訝そうな顔をする。

 ランタンを持つ彼は、シモンの頭から足先まで見て顔を顰めた。

 汚れている自覚はあるが、近寄ることまで拒否されるのは衝撃だ。狩人の悪夢では、まったく気に留めもしていなかったことだ。人間社会をヒシヒシと感じた。

 

「あぁ何だ、連絡が滞っているのか? 『墓暴きの数が足りん』ってな、聖歌隊様直々のご命令で、ずーっと地下にもぐっていたんだよ。で、今日戻って来たんだ」

 

「は? イカれてるのか?」

 

 どうやら信用していただけないようだ。

 咄嗟の思い付きにしては良いことを話したと思っているのでシモンは貫き通すことにした。 

 

「何でそうなるんだよ……。俺だって狩人だってのに。ちょっと待ってろよ」

 

 シモンはうんざりした風を装いながら背中の荷をごそごそ探り、ある物を取り出した。

 そして、差し出した。聖布の切れ端だ。

 

「本物か?」

 

「本物に決まってるだろ。教会の黒服様に向かって偽物出すなんて恐れ多いことしないさ」

 

「あ。先輩、もしかして、これが『窶し』ってヤツじゃないですか」

 

 ヒソヒソと──ひそめる意味は特に無い──シモンに聞こえる声で黒服の一人が言う。

 ピンと来た風で先輩の黒服も頷き、聖布を返却した。

 

「そうか。……ところでお前、磯臭いな」

 

 二人はそこで息を合わせたように「あ。休憩ってそういう」と何かを察した顔をしたが、シモンにとってはどうでもいいことだった。

 

「磯臭い!? 本当か!?」

 

「うわっこっち来るな! お前、危ない奴だな!?」

 

 すまん、と言いつつ服をつまんで嗅いでみる。

 自分の臭いとすっかり同化しているらしい。残念ながら、シモンの鼻では嗅ぎ分けることができなかった。彼らは協力してくれないだろう。

 後輩らしき黒服の男が、辺りを見回しながら言った。

 

「……なぁ、あんた。予防の狩人で手持ちの輸血液が無ければ、急いだほうがいい。三つ街道を挟んだ向こうに小さな古教会があるのは知っているか? ああ、それだ。裏手に血の聖女がいて、今夜分の拝領を行っている」

 

「何だ、今日は『獣狩りの夜』だって言うのか?」

 

 獣狩りの夜。

 その言葉を聞いた瞬間、二人が「滅多なことを言うもんじゃない」と声をひそませつつ、しかし、強い口調でシモンを制した。

 ヤーナム一般において、獣が多く出現し特別に長い夜を意味する言葉は、たとえ狩人であっても不吉なものだ。

 だが、シモンがそう考えた理由もある。

 

「いや、しかし、血の聖女が、わざわざ? こんな街外れに? どういうことだ?」

 

 もう夕方、しかも夜が近いというのに火の灯らない家が多い。これは空き家が多いことを意味した。

 狩人は基本的に市街を巡回する。そのため、輸血液の需要も市街に集中する。供給もまた然り。

 血の医療、それを配布しているのは『血の聖女』と呼ばれる教会が抱える特別な尼僧達だ。人員と聖血は限りがある。獣狩りの夜ではなくとも、忙しい夜に市街外れのここにいるべき存在ではなかった。

 

「ああ。最近、出るんだよ」

 

「出るって何が? 獣が出るなんて今さらだろう?」

 

 シモンの疑問を答えようとした黒服の後輩が、先輩の溜息に反応して口を閉じた。

 

「……あんた、ホントに地下から戻って来たばかりなんだな。えぇ……墓暴きってそんなことばっかりなのか? ……どうしよ、異動届下げて来ようかな……」

 

「え。下げるなんてできるんですか?」

 

 後輩が思わず先輩を見た。彼はウィンクをした。

 

「ちょっと伝手があるんだ。差し替える程度なら血の酒一本でやってくれる程度の仲のな」

 

 彼らは夢を見ない狩人なのだろう。

 シモンは、小さくフゥと息を吐き出した。ひとまず誤魔化しきれそうだ。

 

「墓暴きは、間違いなく外れクジだ。ここだけの話。まともでいる自信がないならやめたほうがいいだろうさ。断言できるが、絶対に後悔する。最期に空が見えるかどうかは大切な問題だからな」

 

 実感のこもる言葉であることを彼らは知らないだろう。

 しかし、彼らは顔を恐怖で強張らせた。

 

「でも最近、市街もヤバイんだよ。まだ遺跡の中のほうが安全かも……」

 

「何が出るんだ?」

 

「カラスだよ」

 

 カラス?

 街中にいる太り切って飛べない屍肉カラスのことだろうか。

 追及しようとした、そのとき。

 

「お、遅れました。す、すみ、すみません……」

 

 教会の黒服を身に着け、丸眼鏡をかけた白い髪の男が駆け寄って来た。

 彼はゼイゼイと息を吐き、ゴクリと喉を鳴らした。夕暮れでも分かるほど血色が悪い男だった。

 彼は、先輩後輩コンビしか目に入っていなかったようだ。ようやく息を整えて顔を上げ、ようやくシモンがいることに気付いた。彼は飛び上がって驚いた。

 

「ひ、磯臭ッ! び、びっくりした! 先輩、この人誰ですか?」

 

 白髪なので年寄りかと思ったら、思いのほか若い男だった。

 三十の峠を越えるか越えないかという男は、シモンを見てじりじりと距離を取った。

 

「こちら、墓暴きをクビになって路上で身を窶すしかなくなった先輩だ」

 

「なんか情報増えたな。いやまあ、間違っていないが」

 

「あぁ、窶し、というヤツですね。そうなのですか。では、ちょうどよかった」

 

 そう言われて振られる仕事に良いものがあった経験がないシモンは、喉を詰まらせた。

 しかし、できるだけ情報は欲しい。さりげなく話を促した。

 

「懺悔室の密告箱がもう五箱目です。早く内容をあらためて始末してほしいです」

 

「それも窶しの仕事? そっかぁ」

 

 シモンが悪夢に身を投じて久しい。

 知らぬ間に医療教会の窶し達が抱えるべき仕事は増えた。医療教会には『仕事を減らす』という機能がまるでないようだ。

 

「我々は予防の狩人ですからね」

 

「……りょ、了解だ」

 

 それも心が死ぬタイプの仕事が山積みになっていた。相も変わらず、ヤーナムは気分が落ち込むネタに事欠かない。

 しかし、意外な言葉もかけられた。

 

「あなたが不在だったので、これまでは私が担当していました。今後も兼任させていただければ幸いです」

 

 耳を疑った。素直に「ありがとう」と言えない理由は、たくさんある。

 

「あんた、それ意味が分かって言っているんだよな……?」

 

 窶しそして黒服が司るのは、予防の役割だ。

 人の形をしたままの獣を狩ることもある。『瞳が蕩けているように見えた』──その主張だけで命を刈り取る役割だ。狩人は皆、己が獣と信じる者を狩る。たとえ、どれほど人間に見えたとしても。

 ピグマリオンからすぐに言葉を聞くことはできなかった。

 

「窶し、そいつのことなら心配しなくてもいい。──お仲間さ。窶しなんてやってるからには、殺しが得意なんだろ。似たようなもんさね」

 

 どこか蔑みを含んだ声音だった。

 黒服の先輩が口を歪ませて言う。後輩は、気まずそうに目を逸らした。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 黒服の先輩後輩コンビから別れた後。

 シモンは遅れてやって来た黒服と同行することになった。全て流れで決定したことだったが、情報収集も行いたい。今のところ幸いだと言えた。

 

(やはり悪夢のヤーナムではない。どこからどう見ても、表の、外の、現実のヤーナムだが……)

 

 周囲を見回して市街の様子を確認する。

 ──なぜ、ここにいるのか。

 シモンの疑問とは、そこに帰結した。

 夢を見る狩人ではない自分は、死ねばそこで終わりの存在だ。だから、自分はあの漁村で教会の刺客に殺されて、終わってしまったハズなのだ。

 

 だが、現実はその認識と異なった。

 

『死ねば終わり』という前提が間違っていたのか。

 前提は正しいが、それを覆す何かがヤーナムの新たな異常として起きているのか。

 

(探さなければならない)

 

 先ほど荷物を探ったところ狩人の悪夢に入り込む時に使った『血に酔った狩人の瞳』は消えていた。今すぐに再び狩人の悪夢に行くことは難しい。

 ならば、今は目の前の異常を解明することから始めるべきだろう。

 そして、手がかりとなりそうな存在に心当たりがあった。

 

(──夢を見る狩人。あの月の香りの狩人を)

 

 シモンは、狩人の姿を思い浮かべた。

 銀灰の瞳の色ばかりが鮮やかに思い出すことができた。

 だが、背丈や相貌は特筆すべきことのない男だったとも記憶している。

 

 広い市街では、探し出すに時間がかかるかもしれない。

 インバネスの付いた狩人シリーズの狩装束など巷に溢れている。

 手がかりは、目の色とマスクを外した時の顔だけだった。

 それでも。

 

(悪夢を終わらせるために、まだ俺は戦える)

 

 シモンは、固く手を握った。

 松明を左手に持つ彼の数歩後を歩む。

 教会の石槌を持つ彼の歩みは、遅い。シモンは追い越さないように気を付けた。

 少ない相槌をうちながら、あれこれと話していた彼は話題が一周して別れた先輩達の話になった。

 

「先輩達の言うことは、ちょっと言い過ぎです。あなたも気を悪くしないでくださいね。我々は、きっと、殺しが得意なワケではありません。ただ、他人よりすこし手際が良すぎたのでしょう。気付けば、こんな仕事ばかりで……」

 

 見かけより若い声だと思ったが、顔の皺を見るに実際の歳にはそぐわない仕事をし過ぎたようだ。

 目に浮かぶクマは濃い。

 それでも、淡褐色の瞳は教会への失望に曇りきっていなかった。

 

「けれど、私はよいのです。私が、苦しい仕事をすることで救われる人もいるのでしょう。これでより多くの狩人が長持ちするのであれば、それはヤーナムにとって善いことだとも思いたいのです」

 

 その手の自己犠牲は報われないぞ。

 シモンは、よっぽど言ってやろうかと思ったが、やめた。

 彼の人となりを知ってからでも遅くは無いだろう。そう思い直した。

 

「ああ、そうだ。お名前をお聞きしてもよいですか?」

 

「あー……シモンだ」

 

 かつて医療教会の古い人間であれば、その名前にピンと来るだろう。

 だが、外の聖書から名に引用されることもある。ありふれた名前だ。

 そもそも医療教会初期の狩人がまだ生きているとは一部の事情を知る者以外は思わないだろう。

 

「シモンさんですね。分かりました。私のことは、どうかピグマリオンとお呼びください」

 

 了解を伝えながら、シモンはひどく戸惑う。

 

「……あんた、誰にもそうなのか? ずいぶん丁寧だな」

 

 シモンの記憶する限り。

 教会の黒服は、予防の狩人という点で窶しの狩人と役割・立場とも同等であったが、当人らの意識として、黒服は窶しを見下していた。こうして並んで歩くなどもっての外であり、かつて仕事を押し付けられた経験も一度や二度ではなかった。

 ピグマリオンは、慌てたようにシモンを振り返った。

 

「お気に障ったら失礼。……私は、実のところ、余所から来て日の浅い異邦人なのです。だから、ヤーナムの勝手が分からないということもあります。しかし、同じ仕事を頂く以上は身分のことなど気にしても仕方がないと思うのですよね。けれど、仕事の邪魔ということであれば、密告箱の任を解くように申し出てみますが──」

 

「い、いや、助かる。ただ、俺が、何というか慣れなくてな」

 

 淡褐色の瞳が、シモンを見た。

 好奇にキラリと光ったのを彼は見逃さなかった。

 

「ところで! 遺跡の調査をしていたと聞いていましたが、それは──」

 

「その話は後で気が済むまでしてやるから。あの先輩方が言っていたカラスについて教えてくれよ。何でカラスなんだ?」

 

「あぁ、カラス……。だいぶ前から噂になっていたと記憶していましたが、ご存じではないのですね。ええと、どこから話したらよいものか……」

 

 彼は、話を遮ったことについて気を害さなかったようだ。

 ヤーナムの黒服では通常、考えられないくらい心が広い。外から来た異邦人だという話は本当のようだ。

 

「『はじまり』が何年前なのか。私にも分からないのですが……医療教会の敵、罪人の一族、カインハーストについてはご存じですよね?」

 

「ああ」

 

 言葉少なにシモンは答えた。よく知っていた。

 後に血族抹殺の任を受けることになる処刑隊、先導したローゲリウスが教会の中で頭角を現したこと。処刑隊の設立から、栄光に彩られた出征。そして、孤児となったカインの末裔を家畜の檻に入れて持ち帰ったこと。そして聖歌隊が設立され──末路の果てまで知っていた。

 

 だが、なぜカインハーストが話題になるのだろうか。シモンには分からなかった。ひとことで言ってしまえば医療教会にとってカインハーストとの因縁は、さまざまあれど全ては過去の『終わった話』なのだ。

 

 カインハーストに由来する狩人がヤーナム市街で狩人を狩り殺していた時期は、確かに存在する。しかし、それはシモンが身を窶す前、医療教会に属するただの狩人であった時分、すなわち大昔の話であった。

 

「カインハーストは、滅ぼされて久しい──ハズだったのですが、ある時、カインの鎧を着た狩人が現れたのです」

 

「は?」

 

 間の抜けた声が出た。

 こんな反応に対してもピグマリオンは気を害した様子はなかった。

 むしろ「やはり、古い狩人の方々はそのような反応をなさるのですね」と言い、ぼんやり嘆くのだった。

 

 カインハーストの鎧とは、アレだろう。シモンは何度か狩人の悪夢で見たことがある姿を思い出す。

 カインハーストでは、銀は悪い血を弾くと信じられているため、全身を薄い銀で覆った狩人服が好まれた。顔まで覆う銀の兜、そして精緻な意匠が施された薄い銀鎧だ。

 狩人の悪夢の昼とも夕とも知らぬ黄昏に照らされた時、ギラギラと金に似て輝くのは、実に分かりやすい標的だった。だから、よく覚えている。

 

 だが、数が少ないはずだ。

 血の酔った狩人が最後に辿り着く悪夢であっても、カインハースト系の狩人服を来た者が現れたのは片手の指で済む程度の数だ。その遭遇数ゆえにシモンは「処刑隊は、確かに任を果たしたのだな」と独りごちたことがある。

 

 ピグマリオンは続けた。

 

「これが一度や二度であれば、大きな問題にはならなかったでしょう。酔狂な狩人の命がけの悪戯で済んだのかもしれません。無論、教会的には笑えない悪戯ではあるのですが。……しかし、彼らは何度も姿を現わし、その度に教会の狩人が犠牲になっています。彼らは過去の亡霊ではありません。確かに存在し、害を及ぼす存在なのです」

 

「それとカラスに何の関係が?」

 

「カインの狩人は何人かいるようなのですが、一番腕の立つと思われる騎士が鴉羽の装束をまとっているのです」

 

「鴉羽……」

 

 鴉羽といえば、真っ先に思い浮かぶ狩人狩りの姿だ。

 血に酔った狩人を殺めるため存在する狩人。その狩りは鳥葬を模しているのだという。

 ──何か関係があるのだろうか。

 問うと気の毒そうに彼は言った。

 

「無関係を装ってはいますが、姿が姿なので無関係にさせてはもらえないようですよ。教会から相当の圧力がかかっているようです。『どうにかしろ』とね。もっとも、医療教会もカインの狩人を『騎士』と呼称しても問題は無いハズですが、敵に対して『騎士』なんて肩書を与えたくないのでしょうね。あぁ、ちなみに教会での鴉羽を纏った狩人の通り名は『カインの流血鴉』なのだとか。だから皆、カラス──『鴉』と呼ぶのです」

 

「カイン系のセンスは、よく分からんな。なんだよ、流血鴉って。恥ずかしい奴だな」

 

 鴉と呼ばれる流血鴉が自ら名乗った二つ名でないことをこっそり祈りつつ、ピグマリオンの話の続きを促した。

 

「カインの狩人が現れるということで、この市街の区画は最近、危険地帯なのです」

 

 シモンは「そ、そうなのか」と言い切るのが精いっぱいだった。

 ──危ない。なんで俺はこんなところに寝ていたんだ。

 ピグマリオンが足を止めて、松明を寄こした。

 

「さて。我々も勤めを果たしましょう」

 

 彼は、右手で石槌に収められていた銀の剣を抜いた。

 そして、左手で明かりのついていない扉を叩いた。叩き慣れた鋭い音であった。

 

「おい。そこは……」

 

 ──空き家ではないのか。

 そう声をかけようとした瞬間、家の中から「ヒッ」と息をのむ音が聞こえてきた。

 

「さぁ、慈悲の時間ですよ。クランツさん」

 

 囁くような小さな声だった。

 それでも、家のなかの誰かには聞こえているようだ。今頃扉をしっかりと押さえ、閉ざしているのだろう。

 

「一度しか言いませんよ。子供が獣の病を発現している可能性があります。今すぐ家から、お出しなさい」

 

 懺悔室に置かれた密告箱──その情報だろう。

 滑らかに出てきた言葉に扉の向こうの人は「なぜ」も言い出せないようだった。ただ、混乱し泣き出した声を必死に押し殺す音だけが漏れ聞こえていた。気付いていながら、優し気に、けれど有無を言わせない声で彼は言った。

 

「──私は、明日の昼間にもう一度来ても良いのですよ。ええ、そう、明日の真昼間に磔刑の用意をして家の前でお迎えしたほうがよろしいか? 油と火を持ってきましょう。その時には『聖血の拝領証』も回収させていただきますが、いかが?」

 

 血の常習者であるヤーナムの民にとって『血の拝領証』を没収することは、医療教会が直接的に「死ね」と言うことに等しい。そして、ヤーナムを血の医療で牛耳る医療教会に背いた市井の人間は、まともに生きてはいけないだろう。

 時間にして数分しか待たなかった。だが、その時間は引き伸ばされたように長く、苦痛に感じた。

 

 突き飛ばされるように家の中から放られた少年は、すでに獣の兆候が見えた。

 瞳を確認するまでもない。皮膚は出来損ないの毛皮となり、左腕は歪み伸びきっていた。

 それでも。

 

「まって──」

 

 抑止を求める知性は、あったのだ。

 不退転の剣は、月の光を弾いた。

 

「アンバサ」

 

 剣は二度振るわれた。一度目で首を。二度目で腕を。

 

「あんた、死体を切り刻む趣味でもあるのかい」

 

「いいえ。……しかし、これでヤーナム葬を免れるでしょう」

 

 彼は扉の奥にひそむ家族に向かって言った。それから「ハァ」と息を吐き出す。彼のギラついた瞳は、陰を取り戻した。自分を落ち着かせるような呼吸だった。

 異邦者は、ヤーナム葬のことを冒涜的だと言う。

 獣を磔にして火をつけて燃やす。

 たとえそれが、かつて人であったものであったとしても。

 けれど、人であれば話は別だ。

 磔も火も使わない。

 ただ、土葬されるだけである。

 姿形が人間のままであれば、そうしたヤーナム葬を免れる。もっとも片腕がないことを指摘する聖職者がいなければ──という状況だ。

 

「それでもこれが……私のできる、せいぜいの慈悲なのです」

 

 絶命した、少年だったものの亡骸は、その家の裏に置かれた。

 ピグマリオンは胴体を丁寧に置いて、顔に飛び散った血を拭い、最後に頭を置いて目を閉ざした。

 手を組んで祈りを捧げる。

 やがて立ち上がり、シモンを見つめた。

 

「窶しの古狩人、私は善いことをしました。善いことをしましたね? 神の名の下、医療教会の剣は正しく振るわれましたね?」

 

「……ああ、そうだな」

 

 安心したようにピグマリオンが、頬を緩ませる。

 シモンは、ただ肯定した。

 彼ならば、そうすると思ったからだ。聖剣の英雄、ルドウイーク。

 ピグマリオンに松明を返すと彼は辺りを見回した。

 

「一度、大きな通りに戻りましょう。巡回の順路がありますから、今日はその道順を確認して仕事の勘を戻してくださ──」

 

 彼の言葉は、突如、闇夜に響いた警笛に遮られた。

 ピグマリオンが眼鏡の向こうで大きく目を見開いて、空を仰ぐ。

 

「ああ! そんな! いつもは、もっと夜が更けてからなのに……!」

 

 規則に従って笛は鳴り続けていた。

 音の信号は最初に方角と番地を告げ、それから助けを求めるものに変わった。

 

「シモンさん、行きましょう──」

 

 ピグマリオンは、かすかに笑っていた。なぜ笑うのか。予防の狩人はよく知っていたが、すぐに動くことができなかった。

 

 鳴りやまない。

 鳴りやまない。

 鳴りやまない。

 

 似つかない音は、シモンに鐘と漁村の波音を思い出させたからだ。

 




窶しのシモン;
ヤーナム編で登場する、ヤーナムの謎を追う人物。
どうやら過去に月の香りの狩人と面識があり、非業の死を遂げた経験がある様子。
獣狩りの夜の有無に関わらず、夜には獣が出るヤーナムにおいて野外生活をする人物が、まさか常人のワケがない。
ボロボロの服を着た、どこからどう見てもプロ窶しです。
なお、窶(やつ)しとは「見すぼらしく、目立たないように、姿を変えること」や「やつれて見えるほど思い悩む」とか「なりふり構わず、何かに熱中する」という意味があります。……なるほどね。


2年生までヤーナム編 登場人物一覧;
【挿絵表示】

Bloodborneに詳しくない方でも分かりやすいように、Bloodborneに詳しい方であれば更にお楽しみいただけるように、挿絵を作成いたしました。
筆者は、二次創作に筆者が書いたイラストがあることは健康に良いと信じているので、これからもいくつか掲載していく予定です。ご興味ありましたら、見ていただければ幸いです。メンシス学派のせいで画像を大きくする必要がありました。……ちょっと悔しかったです。


投稿を再開いたしました;
体力とストックの続く限り、投稿します。予定では「ヤーナム編15話」「ホグワーツ編24話」です。筆者は「一ヶ月間投稿してやるぜぇえ」と言うのが夢だったのですが、ちょっと間があく場合があるかもしれません。また休日の投稿は、0時投稿ではなくなるかもしれません。ご了承ください。
なお、本話投稿時点で話自体はホグワーツ編の24話以外の執筆を終了しています。


感想お待ちしています(交信ポーズ)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。