ヤーナムの地下に広がる神の墓地。それに繋がる聖杯ダンジョンを生成する際に、特定の儀式素材を使い作成するオプション「死臭」「腐臭」「呪い」「不吉」のうち、「死臭」「腐臭」「呪い」を選択したもの
呪われてこそ生きる力もある
──がんばれ!──
セラフィが狩人の夢に帰還したとき。
父たる狩人は不在だった。
人形が花壇の石積みに腰掛けてうつらうつらと眠っている。彼女にも用事があったが、急ぎではなかったので素通りして古工房の扉を開く。そして床に置かれた大きな木箱に寄った。
父たる狩人とそれに連なる仔らの荷物を収納している大きな箱は、夢に存在する物らしく現実の物理法則を歪めて存在していた。
(教会武器の区分に弓剣──これだ。たくさんあるな)
蓋を開き、武器が収納されている箇所をあさる。
父が集めた武器が数多収納されており、弓剣は数え切れないほど収納されていた。葬送の刃は特に顕著だ。クルックスの分も加えれば、文字どおりの山になっている。
(これほどたくさんあるのだ。使うのに高い技量が必要とはいえ、珍しい武器ではないのだろう)
セラフィは、ひとつ自分なりの納得を得て格納庫の蓋を閉じた。
そして。
工房を出ると墓石に生えている小人、悪夢の住人である使者達に話しかけた。
「お父様はどちらへ? 知っているか?」
使者達の細い腕がわらわらと一つの墓石を指した。
その先には儀式祭壇があり、ひとつの聖杯が置かれている。
「トゥメル聖杯? 『死臭』、『腐臭』に『呪い』? なんだいつもの全盛ではないか」
聖杯の中身は、固まらない血やカビや手首や頭蓋でひしめいている。
聖杯に手をかざそうとすると使者達が手記を広げた。
「なになに。『ただ今、テルミのお使いで探索中。鐘を鳴らす女、殺すべからず』……ははぁ、なるほど」
使者達に了解を告げ、セラフィは聖杯に身を投じた。
聖杯。
それは、ヤーナムの地下に広がる神の墓地。
滞留した空気に満たされ血とカビが溢れる地下世界は、悪夢の領域である。
セラフィは左手に松明を持ち、右手で落葉を握り聖杯を歩き出した。
(教会が使役しているのは、トゥメル人だろうか。……似ているが)
おとぎ話を思い出した。
彼女はパン屑代わりの死体を辿った。
生白い肌、立ち上がれば見上げるほど背の高い異形の人。
古に神秘の時代を築き、今も墓を守るトゥメル人だ。
歩いていると香が充満する部屋に出た。
遠くから聞こえた鐘は、部屋の中央から聞こえる。
「ん、セラフィではないか」
松明を揺らして出入り口に敵がいないかどうかを確認していると、ネフライトの声が香炉の奥から聞こえた。
両手で教会の杭を持つ彼は「待て」とセラフィが口を開くより先に注意した。
「足下に罠がある。気をつけてくれ」
「壊せばいいだろう」
「いや、でも、しかし……」
ネフライトにしては歯切れの悪い言葉である。
理由は、煙の奥から狩人が答えた。
「『敵が殺到した時、すこしでも足止めになればいいなぁ』と残している」
「ああ、お父様の発案ですか」
ネフライトが言葉を濁した理由も分かる。
鐘を鳴らす女が、また赤蜘蛛を召喚した。
すぐさまネフライトは教会の杭の四角錐で潰した。あの厄介な蜘蛛が「ピギュ」という断末魔を上げて死んでいく。いつ聞いても気分が良いものだった。
「セラフィがわざわざ聖杯まで来るとは珍しい。急ぎの用事か?」
回転ノコギリの駆動を止めたクルックスが、尋ねた。
「お父様にご報告があります。──昨夜のことですが、いろいろありまして」
いろいろ、とは。
クルックスとネフライトがそろって呟く。そこは重要なところではないのでセラフィは気にせず省略した。
「獣の皮をまとった御仁に助けられました。礼をしたいのですが、お父様はその方をご存じですか?」
ヤーナムにおいて獣は害であり、罪である。
それを望んで被る者は、ハッキリ言って狂人の類いだ。
しかし、真っ先にそれを口に出しそうな狩人が息を呑む音が聞こえた。
「獣の? っ! セラフィ! どこで見た!?」
「聖堂街外れ。ヘムウィックへ続く路地です。二言、三言の言葉を交わして追手を引き受けてくださった。教会の人間に借りを作ったままではいけない。……僕は報いなければ」
セラフィは言葉を切った。マリアのことを話すのは憚られた。
叶うならば、セラフィはもう一度、直接あの男に会いたかった。──彼は、マリアにつながる新しい手がかりだ。
「はははっ、素晴らしい知らせだ。セラフィ、ご苦労だったな」
セラフィの肩を軽く叩き、彼は鐘を鳴らす女を囲む部屋から出ようとした。
振り返り、その手を──彼女は掴んだ。
「お待ちください。あの男は誰? 名前は、せめて名前を教えてください」
「ああ、彼は──…………何か気になることでも?」
一報で占められていた狩人の思考は、現実に戻ってきたようだ。静かな声音だったが、試すような質問だ。
セラフィの頭を多くの言葉が過ぎる。
嘘を吐くか。真実を話すか。あるいは核心を隠すか。
──いいや、無駄だ。
恐らく、狩人は獣の皮をまとった人物に心当たりがあるのだ。
「なぜ獣の皮をまとっているのか知りたいと思ったのです」
「そういうことが気になる年頃なのか? では鴉の鴉羽装束の中身も気になるのか?」
「いえ見慣れているので特には」
クルックスは何のことか分からずに首を傾げ、ネフライトは呪詛を吐きながら新たにやって来た赤蜘蛛を執拗に叩き潰した。
狩人は、彼らをチラと見た。
「いま深刻な問題が発生した気がする。しかし、新しい試みということにしよう。その男には市街にいれば会えるだろうさ。その時によろしくすればいい」
「ご助言感謝いたします。……では、そのように」
狩人は、数秒の時間も惜しいと回廊へ駆け出した。
その背を何とはなしに見送っていたネフライトが鋭く息を呑んだ。
「お父様、足下っ!」
「え」
重々しい仕掛けが作動する音が聞こえた。
皆がその音を聞き届けた時は、もう遅かった。
「ああああぁッ! すまんっ!」
火矢を発射する罠の射線上にいたネフライトが「だから私は壊すべきだとご忠告を申し上──!」と言い残し、側頭を撃ち抜かれた。墓を生やして消えた彼を横目にクルックスが回転ノコギリを駆動させた。
鐘を鳴らす女が好機とばかりに握った鐘を打ち鳴らす。途端に地面を埋め尽くすほどの赤蜘蛛の大群が現れたのだ。
「セラフィ、来るぞ。剣を抜け!」
「抜いている。もう鐘女を殺してもよいのだな?」
「もう十二時間以上稼いだ。学費には十分。テルミも満足するだろう」
獣狩りの短銃の発砲音を合図に、二人は駆けだした。
赤蜘蛛と鐘を鳴らす女を一掃した後で。
「はぁ……」
普段はため息の一つ吐かず、猫背にならない彼女が手に持つ落葉の重さに耐えきれないように背を丸めたのでクルックスが「何か」と尋ねた。
「君に僕の気持ちは分かるまい」
「突然だな。……分からないが、分からないなりに理解しようとしている。何があった? 獣の皮をまとった男とは何の話だ?」
「──クルックス、教会の人間が、同じ教会の狩人と争いになる理由は何だと思う?」
唐突な質問にも彼は眉一つ動かさず、代わりに思考を動かした。
「む。信仰の方向性の違いではないか?」
「そうか。では、教会側の狩人が、教会の狩人と争いになる理由は何だと思う?」
「……いろいろ聞きたいことが多いのだが、まずは前提として教会『側』とは、どういう立場の狩人だ?」
「僕にも分からない」
「分からない?」
「獣の皮を被る御仁がそう言っていた。自分は教会側の人間だと。その御仁に会いたいのだ。もう一度……会いたいのだ」
「…………」
クルックスが、考え込むようにうつむき──ある時、回転ノコギリの変形を解除した。長柄の鎚となった武器を手に狩人が去った後の廊下を確認する。そしてセラフィは、彼の振り返った顔に焦りを見つけた。
「……セラフィ、その狩人はお父様の反応を見るに夢から戻ってきた古狩人なのだろう」
「僕にもそれくらいは分かる」
セラフィは噛みつくように言った。
彼は懸命に言葉を考えているようだった。
「だから問題だ。探るべきではない。絶対に良いことにならない」
「ヤーナムで良いことのほうが少ないだろうよ。……君に、この気持ちは分かるまい」
「分からん。だが、案じている」
心配する心から発せられた言葉が、いまはなぜか耳障りだった。
余計な世話だ。セラフィは吠えた。
誰にも譲れぬ一線というものが存在する。
それは。
狩人の場合、誇りであろう。クルックスの場合、連盟や学徒達の名誉であろう。そして、セラフィにおいては、己の探求に関わる全てだった。
「僕は、この顔をした女性が何なのか知りたいだけだ! レオー様にはエヴェリンに間違われ、鴉羽の騎士様は僕の向こうにマリアを見ている! この顔は、いったい誰で何なのか!? もし、お父様に獣の皮を被る御仁のことを聞いたのがクルックス、君であったのならお父様は話していたと思わないか!? 僕だから口を噤んだのだ!」
クルックスは、口を閉じた。
彼も思い当たることがあったのだろう。目を逸らした。
「この顔を火で炙ったなら! 僕は、今よりきっときっと幸せに生きられるだろう! 何もかも、この顔だ! この顔のせいで僕の人生が始まらない! けれど、あぁ、あぁ……僕がこの顔であるだけで先達の心が安らぐのであれば、それでもいいと……心から思っているんだ……」
白い顔に赤い線を引いてセラフィの指先は頬から離れた。
他者への善意が、心に無理を強いる。
この顔が彼らの温かい思い出の何かであるならば、そうありたいと思う。
未だ報われぬ彼らの献身が慰められるのであれば、個人の抱く不満は感傷に値しない。
同胞に対する慈しみに限りはない。労りの情は真実だ。だからこそ、セラフィは息苦しい。
「君は分かるまい。分かるまいね。……僕の気持ちを分かってしまっては、あぁ、たまらないよ」
聖杯を去ろうとするセラフィの背に思いがけない言葉がかけられた。
「お父様は、いずれヤーナムの過去を開示する。それまで待てないか」
──なに。
セラフィは、空気を噛んだ。
彼が言ったのはビルゲンワースで狩人と交わした言葉だった。
特別な機会さえあれば、口達より確実な情報の伝授ができるという。
嘘を吐く理由はないように思える。だが、真実であるという確証もなかった。
「真実を開示すると思うか? 本当に?」
「……俺はお父様を信じている」
クルックスの返答は苦い。
それしか言えない、という響きがあった。
「そうだ。教会側の人間が、教会の人間と争う理由について僕の考察を述べていなかった。──恥のためだと思わないか」
「教会は一枚岩ではない。ネフとテルミを見ればよく分かるだろう」
「そのとおり。一枚岩どころか、血の紐帯も怪しいところだ。そんな教会内で『恥』とは、どうしても殺さなければならない理由になると思わないか。『知られたら生きていけない』から殺すのだ」
「……俺にはよく分からない」
「僕にも分からない。だが、貴人はその節がある。誇りのためと言い換えてもいい。恥を知られ、誇りを失う。失ったものは二度と戻らない。固まった血が二度溶けてしまわないように。──僕は待たない。自分の目で確かめる。お父様の瞳も権能も頼らない。最も過酷な運命だけが僕に相応しいのだから」
「それもいい選択だとおっしゃるだろう」
「そして君が敵になるのか? 僕に勝てると思っているのか? 君ごときが本当に?」
挑発のため二刀に分離した落葉が、青い蝋燭の光を反射した。
彼は、悩ましげに唸った。
「俺の立場を明示しよう。俺はヤーナムの過去より現在を大切に思っている。つまり、連盟を、お父様を、ビルゲンワースのお二人を、客人を大切に思っている。秘匿された真実があることも、まぁ、気付いている。それらを知りたいと思う。狩人の最も新しい後継として知るべきだとも思う。だが……俺には彼らが何よりも大切なのだ。過去を知ることが現在のヤーナムの基盤を揺るがすことになるのならば、敵になる。そうなることもあるだろう。そうなってほしくないと思っているが」
「僕だって女王様や騎士の先達が大切だ。ヤーナムの治安を、拝命した任を越えて乱そうとは思わない」
「分かった」
「何が?」
「セラフィはセラフィで『時計塔のマリア』を追うのだろう。動機は何であれ好奇、そして探求には違いない。俺にそれを止めることは難しい。……お父様は、今のところヤーナムの過去を探ってほしくなさそうだ。意向に逆らう以上はテルミもネフもこの件に関して君の味方をしないだろう。だから、俺が味方になろう」
「……?」
具体的に彼が何をするのか想像がつかない。
しかし、セラフィの剣の切っ先は、地面を向いた。
「といっても俺にできることなど、たかがしれている。……苦しいことがあれば話せばいい。辛いことも聞こう。誰かに話して楽になることもあるからな。特に、その顔のことは誰にでも話せることではない。君の、甘い秘密のいくつかを俺に預からせてはくれないか?」
「……考えておく」
取るべき選択肢は、多ければ多いほど良い。
そう考えたセラフィの思考は彼にも察することができたようだ。
──それでいい。
クルックスは頷き、血除けマスクの下で微かに笑いかけた。
「俺は黄昏のヤーナムに朝が来ればよいと思う。だが誰もいない街を照らす朝は要らない。俺はそんなものを朝と呼ばない。彼らがいなければ、俺の朝には何の意味もないからだ。誰も欠けてほしくはない。……君もそのなかにいる。くれぐれも忘れないでくれ」
「何度でも言うが、君の優しさは必ず破滅を呼び込むぞ」
「何度も聞いた。その度に君は『滅びる価値がある』とも言った。けれど滅びた程度で終わらない。ヤーナムが終わらないように。諦めない限り、人の意志は終わらない。終わることはないのだ。人は、だからこそ上位者の思惑を越えていけるのだから」
クルックスは、潔い。こんなことを言う彼が滅びる時は、ほんの瞬きの間に消えてしまうのだろう。
あまりにも断定した口調で述べるから、予感を覚えてしまうのだ。
どうしても否定したい感情が止められず、セラフィは一歩を踏み出した。
「君」
「どうした?」
「いや……」
予感を言葉にすれば、いずれ形を得て、現実に不吉を呼び込むかもしれない。
漠然とした危惧が、セラフィから言葉を奪い去っていった。
伸ばしかけた指先を熱いものに触れたかのように引っ込めながら、視線を迷わせることしかできなかった。
「? 自分自身を大切にな。奥を始末してくる。外で会おう」
クルックスは、背中を向けると歩きながら水銀弾を装填し、煙るダンジョンの奥へ消えてしまった。
(僕は……)
恐怖を知らないだけの自分が、彼のようになれるだろうか。心強く在れるだろうか。
──もはや落葉を捨てる井戸は存在しないというのに。
狩人の帽子を目深に被る。
考えても、考えても、何も浮かんでこなかったので、やがてセラフィも姿を消した。
セラフィの願い:
マリアではない自分が欲しい。
けれどカインハーストの先達が自分のことを大切に思ってくれているのは、9割ほど顔のせいだと思っている。カインハーストは排他的だ。カインの血を引く者以外は、さほど重要視されない。本来であれば。
セラフィは、父たる狩人の企てが成功して、古い狩人が早く帰ってくればいいと思っている。マリアも、エヴェリンも、皆帰ってくればいい。本物が帰ってくれば、きっと、いつかただのセラフィになれる。この、もう一つの願いを言い出せないのは、セラフィが注ぐ慈しみが真実であるように、彼らの慈しみもまた真実であるからだ。
……鴉羽の下で雨宿りした温もりは忘れがたく、失いがたい……
1P漫画(セラフィとテルミ)
死因「引き抜くタイミングが分からなかったので」
【挿絵表示】
筆者は最近ようやくトゥメル=イルに辿り着きました。
──テーマパークに来たみたいだぜ(暗黒視界数メートル先にデブ)
ご感想をお待ちしています(交信ポーズ)