甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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聖杯探索
聖杯とは、一般に奇跡が収束した器のこと。
聖なる者が使用者に選ばれる。だからこそ医療者は聖職者を兼ねるのだ。
ヤーナムの聖杯は、神の墓地たる地下から持ち出された。
旧市街では、聖杯を祀り、身を逆さまに吊り下げることで、悪夢に触れようとしたのだ


『学徒紀行~聖杯探索~』は2話、上下構成でお送りします。


聖杯探索(上)

 ネフライトが、数日ぶりにビルゲンワースに訪れた理由はいくつかある。

 父たる狩人のご機嫌うかがいだとか、テルミに頼まれた聖杯金策の息抜きだとか、クルックスの話し相手のためだとか、まあ、さまざまである。だが、身長一九〇センチの成人男性が小さな駄々っ子のように喚いている場面に出くわすとは思っていなかった。

 

「うぉおん……! 僕もヤーナムの外に行ってみたい! 行ってみたいんだよ!」

 

「はあ」

 

「クィレル君がずいぶんとお話してくれた。やっぱり外来の神秘をよく知りたい! 新しい思索になるに違いない!」

 

「はあ」

 

「反応が薄いぞ、クルックス!」

 

「え。そう、そうか……ううん……コッペリア様、お見苦しい真似はよしていただきたい……」

 

「ああああ! 新しい神秘に見える機会だというのに! なぜそうも淡泊でいられるのか!? 僕は神秘に見えなければ、生きている価値がないのに……!」

 

 学徒の部屋には、学徒であるユリエも異邦からの客人であるクィレルの姿も無い。

 だからこそ、コッペリアが安心して大声で泣き喚いているワケだが、クルックスは困り顔だ。

 

「あ。ネフではないか。おかえり」

 

「取り込み中のようだ。帰る。定刻に聖杯に集合せよ」

 

「そう急ぐな。お父様を説得する知恵を貸してくれないか?」

 

 ネフライトは、やはり飛んできた質問に苦い顔をした。

 知恵を貸す必要はなかった。当の本人が、すこし遅れて長い廊下を歩いて来たからだ。

 

「やあ、私が何だって?」

 

 父たる月の香りの狩人が、ひょっこりと顔を出した。

 弾かれたようにゴロ寝していたソファーから立ち上がったコッペリアが両手を広げた。

 

「狩人君! 僕は、ヤーナムの外に行ってみたい! 手を貸してくれないか!?」

 

「はあ」

 

 奇しくもクルックスと同じ反応をした狩人にコッペリアは詰め寄った。

 

「ユリエは外に出たじゃないか! 僕も行ってみたいんだ! なあなあ、狩人君いいだろう?」

 

「私は構わないが……同伴が必要だろう。道のりも分からないのだから。しかし、クルックスとネフはこれから聖杯に用事がある」

 

 素早くクルックスが挙手し、狩人が指名した。

 

「ネフにやらせます!」

 

「──やらないからな」

 

 そうなのか?と不思議そうな顔をされてしまった。

 なぜ聖歌隊の利となる物事をメンシス学派が引き受けると思っているのだろうか。クルックスは教会の対立に鈍い時があった。

 狩人もクルックスの提案を却下した。

 

「テルミとクルックスの約束だろう。君が果たすべきことだ。しかしだ。学業の資金でもあるから金策には私も手伝おう。時間が許す限りだが──というワケで、コッペリア。悪いが後日だ」

 

「そんなぁ……。まあ、仕方ないか……」

 

 ソファーに横になった彼がこれからの予定を読み上げた。

 いくつかの日に目星をつけてクルックスが同行を希望する。

 ビルゲンワースで学徒生活を謳歌する聖歌隊を野放しにする危険性を誰も考えていないようだったのでネフライトだけは考えていた。イギリス魔法界でヤーナムの民が目撃されるのは問題ではないだろうか。マグルの変わった人という認識で済むだろうか。

 

「お父様、私も本が欲しいので」

 

 聖歌隊に出し抜かれている気分になってきた。

 同行を申し出た、その時、一室の扉が開いた。

 

「──失礼、ノックを忘れた」

 

 セラフィだった。

 貴族の狩人服に身を包む彼女は仄かに血生臭い。

 まっすぐに狩人のところまで歩いてきた彼女は手紙を差し出した。

 

「女王様よりお手紙です」

 

「ありがとう。──ええと、女王様は何か言っていた?」

 

「『また戻りたまえ』と」

 

「お、おお……」

 

 受け取った手紙を狩人は眩しい物を見るように目を細め、あるいは腫れ物のように腕を伸ばして遠ざけた。

 

「お父様、連盟だけではなくカインハーストにも出向いていないのですか? ご事情如何によっては怠慢と捉えられかねないのでは?」

 

 ──やめてやれ、クルックス。

 ネフライトが制止するより先に彼は切れ味の良いナイフのような質問をした。聞いているこちらの腹が痛くなるような質問だった。

 

「いろいろあるんだ……いろいろ……。女王様に会いに行こうとすると鴉が……。いや、言い訳は見苦しいな。はあ、セラフィ。ご苦労だったな。返答は自分で届ける」

 

「女王様は、お待ちしていることでしょう」

 

 ソファーで猫のように伸びていたコッペリアが立ち上がった。

 

「セラフィ、貴い御方の剣の君! 今日、これからの予定は何かあるかね!?」

 

「特に急ぎの用事はありませんが……」

 

「狩人君! セラフィに同行を頼むよ! いいだろう? いいだろう?」

 

 コッペリアがセラフィを担いで外出の用意を調える。

 セラフィは何事か頼まれ事の気配を感じているのか父の言葉を待っている。

 

「セラフィの都合次第だ。──セラフィ、これからコッペリアがダイアゴン横町とやらに行きたいらしい。同行してくれるか?」

 

 コッペリアとセラフィの組み合わせは意外なほど見かけない。

 セラフィは自分よりもビルゲンワースに滞在する時間が少ないのだ。

 果たして。

 

「ティースプーンのひと匙、カインの血に由縁があれば僕は従う価値を見出すでしょう。拝命させていだきます」

 

 セラフィが微かに身を傾けた。

 彼女を知る人ならばそれが礼であると分かった。

 

「頼むぞ。セラフィ、見てのとおりの彼は暴れ馬だ。あまり目立ちすぎないようにな」

 

 了解を告げるセラフィへ、クルックスが声をかけた。

 

「俺の鞄を買ってきてくれないか。こう、羊皮紙が入るサイズの……」

 

「分かった。ネフは、必要な物はないのか?」

 

「……君に頼むことはない。あとで自分で行く」

 

 セラフィは了解を告げた。

 狩人が思い出したようにポケットを探った。

 

「あ。これはレッドゼリーだ。瞳のヒモでもなくて……ええと……ああ、これこれ」

 

 狩人は懐から手記を取り出すと紙片をセラフィに渡した。

 

「テルミからの要望を預かっていた。グリンゴッツ銀行の開設だ。銀行に口座があったほうがいろいろと都合が良いらしい。四人分開設するのは手間だから、代表としてコーラス=B家として開設してほしい。手続きが円滑に進むのならば、代理人としてコッペリアが手続きしてくれ」

 

「任されたとも! ああ、それと例の件、僕も探してみていいかな?」

 

「……そうだな。魔法界で探すという手があったか。ふむ。いいだろう。めぼしいものがあれば頼む」

 

 ──例の件とは何だろうか。

 クルックスが質問しないところを見ると彼は知っているのだろうか。

 セラフィが、懐中時計を確認した。現在の時刻は午前十時だ。

 

「コッペリア様、お手を拝借」

 

「ありがとう。夢を見る狩人って便利だよねぇ。──じゃあね、狩人君! お先に失礼!」

 

「気をつけてな」

 

 狩人とクルックスが手を振る。

 セラフィとコッペリアの姿がすっかり消えた後で。

 

「あの姿、目立つのでは?」

 

 セラフィは貴族の狩人服だ。これは、やや華美である。

 コッペリアは聖歌隊の白装束と目隠し帽子を着けていったが、これは魔法界においてどんな扱いになるのか分からない。マグルの変わった服だろうか。そんな疑問を口にしてみた。すると。

 

「あっ」

 

「あっ」

 

 そっくりの顔で狩人とクルックスは顔を見合わせた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 彼の名前は、コッペリア。

 ビルゲンワースの学徒にして、聖歌隊を除名された医療者である。

 ヤーナムの民らしく姓は存在しない。

 イギリス魔法界の風習にならい強いて名乗るのならば、コッペリア・コーラス=ビルゲンワースとなるだろう。

 

 いずれ月の香りの狩人と呼ばれる失名の青年がヤーナムを訪れる以前、コッペリアはビルゲンワースに存在していた。しかし『いつの間にか』としか形容ができないほど脈絡なく、唐突に彼は姿を消した。

 果たして彼は生きていたのか。死んでいたのか。

 コッペリアは自らの顛末を語らず、ユリエも黙していることから、月の香りの狩人とその仔らには『碌な最期は遂げなかったのだろう』と思われている。

 彼と最も親しく、可愛がられているクルックスでさえ彼の生死について深く問いただそうとはしない。

 

 ともあれコッペリアは、ヤーナムが夢を見始めて間もなくビルゲンワースに還ってきた。

 そして、上位者に見えて瞳を願った。

 かつて聖歌隊に所属していた身でありながら、その姿勢は袂を分かったハズのビルゲンワース的であり、対局に位置するメンシス学派的行動であったと言える。

 

 聖歌隊を除隊された理由は、動機にある。

 

 ──血の医療は頭打ちだ。行き着いた先は、左回りの変態。異形の星の子か? 奇形の星海からの使者か? どちらであれ、くだらない。

 ──神の墓地を荒らす教会の墓暴き達が、たった今! 神秘の礎たる次の上位者に見えなければ、血の医療の最終答案とは『人間が左回りの変態が可能である』という程度のハナシだ。

 ──星の娘と共に星の徴を見つける我らの道は、間違いではないのだろう。それはウィレーム学長から続く正しき探索の道だ。

 ──しかし、遅すぎる!

 ──そして、僕には絶対に間に合わないのだ! 僕の体は、君たちのように次の世代を作れないのだからね!

 ──我ら聖歌の鐘音は、遂に次元を越えることは叶わなかった。ならば、役立たずはお役御免なのさ!

 ──声変わりしたカストラートなんて肉球のない猫! 牙の無い狼! メスの無い医療者! ここに至って新たな神秘に見えなければ、生きている価値が無い!

 ──さらばだよ。妬ましき我がきょうだい達。そして呪わしき我らに血の加護があらんことを!

 

 彼は、聖堂街上層を去った。

 そして、今。

 イギリス魔法界、ダイアゴン横町の裏路地に存在した。

 

「さぁ、来たぞ。イギリス魔法界。ダイアゴン横町さ! いやー、ヤーナムの『ヤ』の字も知らない人々がいるとは……! 僕は、ちょっと感動しているよ」

 

「なぜ?」

 

「ヤーナムの医療者は、どいつもこいつもヤーナムが医療の最先端だと思っているからね。世界が広くて深いってことが嬉しいのさ。僕はヤーナムから出たことがなかったからね」

 

「…………」

 

「道案内をしてくれ、セラフィ。まずは銀行とやらに行こうじゃあないか!」

 

 ぐいぐいとセラフィの背を押す。

 コッペリアは、楽しげだった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 セラフィ・ナイトとコッペリア・コーラス=ビルゲンワース。

 彼らは、狩人の仔らと学徒の組み合わせのうち、最も問題が無さそうに見えて実のところ大きな問題を抱えている一組であった。

 二人とも周囲に頓着しないからである。

 また、セラフィはコッペリアに対し、お目付役として機能しないからである。

 

 さて。

 聖歌隊にはカインハーストの血を引く者が存在する。

 いかな奇縁か。

 現在、ビルゲンワースに存在する学徒なりし聖歌隊の二人はカインハーストの血をわずかながら引いている。そして、セラフィはカインハーストの従僕である。その強すぎる帰属意識のためカインハーストの血を引く者には、よく従う性質を持ち合わせていた。

 

 グリンゴッツ銀行の開設を速やかに終えた彼らは、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に向かっていた。昼食を摂る間も惜しいコッペリアが、特に書籍を欲したためである。

 通りすがりの耳目を彼らはよく集めた。

 クルックスであれば群衆に馴染めないことを自覚し最初から地味な服装をするだろう。ネフライトでさえ道端で祈るようなことはしない。テルミは地元住民かのごとく振る舞えるだろう。だが、セラフィは周囲に向ける注意というものが著しく低かった。カインハーストの女王と連なる彼らを認識の最上に置いた弊害だった。

 彼女の認識上、人間は三種類しか存在しない。

『カインハーストに連なる者』と『月の香りの狩人に連なる者』と『それら以外』である。

 

 セラフィが身にまとう貴族の狩装束は、魔法界においても時代遅れの華美な装束はマグルが嗜む時代劇ドラマの演者のようであった。コッペリアが着こなしている聖歌隊の装束は、ぎりぎり宗教者ということが察せられる。しかし、目隠し帽子は異様だった。そして、魔法界においても長身のコッペリアは、群衆から頭一つほど抜けていた。こればかりは服装に関係がなかった。背が高く、目立つのである。

 唯一、幸いがあるとすれば、セラフィはヤーナムで常に帯びているレイテルパラッシュも落葉も今は衣嚢に収納しており、コッペリアも仕込み杖を手に持っていないことだろう。

 

 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店はコッペリアにとって宝の山のようだった。

 騒ぐことこそしなかったが、声にならない声で「~っ! ~っ!」とセラフィと書店を交互に見ていた。彼の興奮は極まっていた。 

 天井までギッシリと詰まった本棚を物色するコッペリアの後に続くセラフィは、左肩のマントがいくつかの本を崩しそうになっていることに気付いた。

 サッとマントを払う。

 ふと視線を感じて壁を見ると広告が貼り付けてあった。それは、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の上階の窓に掛かった大きな横断幕と同じ文言である。

 

  サイン会

  ギルデロイ・ロックハート

  自伝「私はマジックだ」

 

 ぼんやりと文字を見る。

 セラフィは数週間後にホグワーツ魔法魔術学校で当の本人と出会うのだが、その頃にはすっかり彼の存在を忘れていた。

『きょうだい』であるネフライトは記憶に関して凄まじい能力を発揮することがあるが、セラフィは自分に関係する特定のものしか覚えていられない性質でもあった。

 

「ああ、これ全集だって。面白いね。そっかぁ。ここからここまで買ってしまおうねぇ」

 

「分かりました」

 

「あ、こっちは詩集だよ。はあぁぁ。文学は良い。心が豊かになる。狩人君の情操教育のために買っておこうねぇ」

 

「分かりました」

 

「わわっ。譜面まである。ユリエにソプラノを歌ってもらおうねぇ。きっと素敵な子守歌になるだろう。おっふ。面白い曲作りをするなぁ……!」

 

「分かりました」

 

 カインハーストの末裔が望むのならばセラフィは『きょうだい』の共有資産を湯水のように使うことに何の抵抗も無かった。せいぜい「後で充当分を魔法界の通貨であるガリオン金貨に換金しておこう」と思う程度であった。

 もしもテルミが見れば、複雑な顔をしただろう。

 この調子でフローリシュ・アンド・ブロッツ書店の本棚のいくつかを空にしたコッペリアは、ご満悦だった。

 

「僕、宵越しの本を持ったことがなかったのだけど……今日は……ふふふふっ夜更かししてしまおうか……!」

 

「知恵は貴人にとってこの上ない享楽なのでしょう。僕には、よく分からないけれど。どうかご自愛ください。コッペリア様。貴方の不調はクルックスが悲しみます」

 

 セラフィは、購入した本を全て衣嚢に収めた。

 ビルゲンワースに戻ったら一室は本で埋まることは確実だった。

 コッペリアは、目隠し帽子を被っていても分かる上機嫌だ。

 先ほどからしまらない笑みを浮かべている。

 

「気をつけるとしよう。うふふふ……! あぁ、そうだ。お昼がまだだったね。どこかいいところ知っているかい?」

 

「昨年、クルックス達と行った喫茶があります。軽食ならばそこで」

 

「よし、行こう。すぐ行こう。例の件の買い物もしてみたいからね」

 

 ──例の件。

 ネフライトが疑問に思ったことは、もちろんセラフィも気がかりにしていた。

 

 ダイアゴン横町の雑踏を抜け、フロッグという喫茶店でようやく席を得た。

 注文するためには何事か話さなければならない。そのことにセラフィが気付く頃、コッペリアが気を回してくれた。

 店員に「お腹が空いていてね、おすすめを頼むよ」と二人分の注文をし終えた。

 

「なるほど。そのように注文すれば良いのか。勉強になる」

 

「食べるものが決まっているのなら、メニュー表を見ればいいだろうさ。──と言いたいところだけど、君はヤーナムでも店に入ったことがないのかぁ」

 

「我々は教会の仇。お尋ね者なのであるから。……しかし、かつては先達が遊びに行っていたとも聞きました」

 

「ああ、そうだろうね。カインハーストと言ってもピンキリだったんだろう。貴族として羽振りの良い生活ができる者ばかりではない。男ならば、従僕くずれもいるだろう。女ならば市井に身を窶すのも悪いハナシではない。カインの女性、特に血の濃い者とは、すれ違うだけでハッとさせられる甘さが漂うものだ。うーん、モテるだろうね~」

 

 ──だからこそ、娼婦としての使い道もあったのだ。

 コッペリアはうっそり笑う。セラフィは察しなかった。

 

「そのようで。僕はカインハースト系の顔と言われているが、本当にカインの血を引いているワケではない」

 

「そりゃあね。君のママとパパは、狩人君だ」

 

「いつか『本物』に見えたいものです。先達の血もたしかに熱く、甘い。これ以上があるのか。僕は興味がある」

 

 にんまりとコッペリアは笑った。

 ──何か?

 問いただす前に彼は口を開いた。テーブルに腕を乗せ、身を乗り出した。

 

「そんな君に朗報だ。狩人君と話していた例の件でね。──まぁ、学者らしく結論から述べれば『空白の聖杯』を欲しているのさ」

 

「空白の、聖杯?」

 

 聞き慣れない単語と聞き慣れた単語の組み合わせは、セラフィを困惑させた。

 

「狩人君は、君たちにいろいろと教えたいと思っている。でも、言葉での伝達では不都合が多いと考えているようだ。そこで聖杯だ」

 

「……どこの悪夢に繋げようとしているのですか?」

 

「良い着眼点だ。けれど悪夢に往くための聖杯ではない。だからこそ、素材の選定が難しいのだよ。彼が作ろうとしている聖杯は、悪夢を形作るモノではなく、彼の記憶を再現したモノであるからね」

 

「…………」

 

 もしも、血を介して彼の記憶を見ることが出来るのならば追体験となる。

 これ以上ないと思える伝達の方法だ。しかし、前例はない。

 コッペリアは、やりがいのある仕事だと感じているようだった。

 

「触媒は狩人君の血と決まっている。これは決定事項だ。というかそれがないとハナシが始まらないからね。だから、問題は聖杯。その器となるモノなのさ」

 

「ただの聖杯に血を注いでも、意味がない……? 器そのものが、特別なモノでなければ……。……ふむ。コッペリア様、僕よりネフに聞くべき事柄だ」

 

 彼は口の端をヒクリと震わせた。

 

「そりゃあ分かっているさ。でも、メンシス学派を頼りたくないんだよ」

 

「僕から聞いておこうか?」

 

「いいや、そのうち狩人君が話すだろうさ。でもまあ、見てなよ。今日中にそれらしいものを見つけてやるさ。──魔法界に『記憶を再現する器』なんてモノがあったら放っておかないからね」

 

 コッペリアは、運ばれてきたパンケーキを前に手慣れたナイフを握った。

 

「そうそう。昼食を食べ終えたら、あっちの通りにも行ってみようか。ノクターン横町だってさ! ちょっと治安が悪そうなだけで大袈裟な名前じゃあないか!」

 

「お心のままに」

 

 セラフィは、一度だけ通りの向こうを見た。

 毒蝋燭の店の軒先に掛かった木の看板が『夜の闇横町』と古ぼけた名を示していた。

 

 

 




コッペリアが、コッペリアであり、コッペリウスではない理由:
脳に瞳を得る手法もさまざまなことが試され、ほぼ全てが失敗に終わった。音による上位者との交感実験もその一つだった。(メンシスのダミアーン『悪夢からの使者』より)

 コッペリアは、音による交感実験のため『少年の出す少女の美しい声』を望まれた。たとえ血族の血を引くとしても男性機能は求められず、女性でなければならなかった。そのために施された幼少期の教育は、彼の心身を歪めてしまった。
 また、カストラートならば変声期が訪れない──そんなことはなかった。
 実験の材料にもなりきれず、後継を遺すこともできなくなった彼が、それでも聖歌隊に留まる道とは神秘の探究しかなかった。それも限界が訪れる。星からの徴を探すため祈りを捧げる。素晴らしい。実にビルゲンワース、ウィレーム学長より続く思索探究の道だ。正しいのかもしれない。……それでも僕は、遠慮しよう。
 彼は月へ祈った。陰の太陽たる月へ祈りを捧げた。その祈りがどこへ届くか考えもしなかったのだ。



 コッペリアは、あまり認めたくないので口に出さないが「星海からの使者って上位者なんだよなぁ」と思っている。(トロフィー情報)


 Bloodborne DLCで聖歌隊を出してくれよ。
 勝利ボイスでクスクスと嗤って死体蹴する聖歌隊しか得られない啓蒙がそこにはある。

ピグマリオンの言葉:
ほとんどの教会の黒服は上層のことを知りません。……『聖歌隊』という名前すら知らない黒服も少なくないでしょう。けれど何者かによって秘匿されているのではありません。外に漏れないほど彼ら自身が秘し、情報が漏れ出さないだけなのです。私の記憶が正しければ、一度だけ、聖歌隊の人物とすれ違ったことがあります。うなじから思わず振り返りたくなるほど甘い香りがしました。微かに、ですが、目を見開く香りがあったものです。私は辛うじて耐えきれましたが、素早く振り返ってしまった同期は、声をかけられて帰ってきませんでした。ところで世には香で虫を引き寄せて食べてしまう花があるのだとか。ああ、関係のない話をして申し訳ありません……。

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