甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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ガリオン金貨
魔法界に広く流通している通貨。
硬貨はヤーナムにおいて道標に過ぎないものだったが、ひとまず夜は明け、貯められた硬貨は日の目を見、輝いた。月の香りの狩人の仔らは、ガリオン金貨にも等しく価値を見出すだろう。
……大切に使うことだ……



聖杯探索(下)

 イギリス魔法界に『世渡り上手』は多い。

 

 代表的な一族としてマルフォイ家は、五本の指に入るだろう。

 そして魔法界の中枢にいる者ならば、まっさきにその名を上げる点でも代表格だ。

 

 時には、自分自身、そして家までも駒にして常に時勢の優位に立ち回り続けている。

 血を枯らし、才を薄れさせる一族も多いなか、かの家は成功を収め続けていると言える。

 

 もし、この一族の玉に瑕があるとすれば『世渡り上手ゆえに己の才覚以上の地位を得てしまう』ことだ。とはいえ、家を傾ける危機にはなったことはなかった。時の権力者とのコネクションは、いつでも身を救うものだった。

 成果に紐付けられた不幸に出くわしながらも時代の荒波を乗りこなし、影の権力者として杖を振り続けた。一族の才覚には歴史に裏打ちされたモノが、たしかに存在する。

 

 当代、ルシウス・マルフォイも、虱ったかりのマグル贔屓ことアーサー・ウィーズリーを小うるさいと思っている以外には概ね順風満帆といえる人生を謳歌している。マルフォイ家の才覚は彼にも受け継がれ、目には光るものが存在している。──ひとまず、今は。

 そんな彼が息子のドラコと共にノクターン横町を歩いているのは、所用のためだ。

 

「──先にこちらを片付けてからだ。それから教科書を買いに行く」

 

「書店に行くのは早いほうが良いよ。あのバカげたロックハートのサイン会があるんだ」

 

「ドラコ、たしかにあの男はバカげているように見える。実際そうなのだろうが。人の心を集めている。おおっぴらにするものではない。言わずとも分かるだろう」

 

 マルフォイ家が目立つのは、まったく本意ではない。

 たしなめるように言い聞かせるとドラコは黙ったが、内心は穏やかではないようだった。

 ドラコ・マルフォイは、特別に目立ちたがり──ではない。人並みの自己顕示欲と承認欲求があるだけなのだ。

 

 お目当てのボージン・アンド・バークスの通りまで行くと先客が店の前にいた。

 暗幕のかかるショーケースを見ている。

 

「──面白い街だねぇ。さっきすれ違った女性を見たかい? 生爪だってさ。まるで魔女のようじゃあないか」

 

「──魔女です」

 

「──そう! まさしく魔女的、いや魔女だ。僕、感動しちゃったよ。──ん?」

 

 そこにいたのは、真っ白なローブに黒の聖布を巻いた長身の仮面男と時代遅れのトリコーンを被った少女だった。

 この時点では素通りできる雰囲気だったが、ルシウスの隣に立つドラコが「あ」と声を漏らした。

 

「む。ドラコ・マルフォイか」

 

 少女は目深に被った帽子をわずかにズラした。

 猫のような琥珀色の瞳が、ルシウスとドラコの間を往来した。

 

「ああ、そうか。では、こちらが君のお父様か。お話はかねがね。──僕はセラフィ・ナイト。ご子息のドラコさんとは共にスリザリンで学ばせていただいている。僕は世事に疎いので彼の話を聞くのがいつも楽しみなのだ」

 

 少女、セラフィ・ナイトは左手を胸に抱える見慣れぬ礼をした。

 ドラコがじろじろと彼女の隣に立つ人物を見た。

 

「──君の父上かい?」

 

「こちらは親戚のお兄様だ」

 

「はじめまして。ドラコお坊ちゃん。僕はコッペリア・コーラス=Bだよ。セラフィとご学友でいてくれてありがとうねぇ」

 

 ルシウスは、これまでの人生でさまざまな人との交流がある。

 だが、視線を隠す帽子を被っている人物との会話は初めてであった。

 薄い笑みを浮かべるコッペリアは、従容と身を傾げるような礼をした。

 

「父君にもご挨拶をば。マルフォイ氏はホグワーツの理事をお勤めと聞いている。……学年末の出来事には、スリザリンから多くの声が寄せられたのではないかと思う。特に上級生の心中は、本当に胸が痛むことですよ」

 

 彼は本当に辛そうに顔を顰め、肩をすくめた。

 

「──ダンブルドア校長とやらが土壇場で順位をひっくり返すなんて、聞くほどお人柄がよろしくないようで」

 

 これまで異様な人だと警戒していたドラコが尖った顎を上げて彼を見た。

 ルシウスもすこしばかり顎を上げた。コッペリアは背が高いのだ。

 

「僕としては学生の努力を無碍にする事態は、避けるべきだと思うのですがね。あぁ、理事会でもやはり議題に上がるのでしょうか? ──校長が特定の生徒を贔屓することについて」

 

「……学校の新しい秩序について、理事会ではよく検討されているとも。ご心配には及ばない」

 

「ああ、それは実に結構な話です。僕は父兄の立場でもある。こどもの成長には、いっとう気を遣いたいところでね。幼い子供達が、誤った大人の偏った思想の下で不健全な学びをしているのでは、と不安に思っていた。貴公のような人柄が理事にいらっしゃるのであれば、心強いことです。ええ。心強い」

 

 セラフィは静かにコッペリアを見守っていたが、会話が途切れたので口を挟んだ。

 

「──コッペリア様、マルフォイ氏はご用事がある様子。お話は次の機会に」

 

「おぉ、失敬。遠方の田舎者ゆえご無礼をお許しください。……ああ、そうそう。無礼ついでに、ひとつお願いしたいこともある」

 

「あー、なにかな?」

 

 手短にやり過ごそうとしたところ、コッペリアが一歩踏み出した。

 ルシウスが後ずさりそうになる。思いがけないほど近くにコッペリアの顔があった。

 視線の探れない顔で彼は言った。

 

「いやなに、ちょっとした探し物をしてましてね。記憶を留める。そう、いま貴公が懐にお持ちの『日記』のような。どうか見せてくれないかな? それがどうやって作られたのか。僕は、とても興味があるのだ」

 

「日記? 何のことかね?」

 

 ルシウスは、両手を軽く広げて袖にも懐にも何も隠していないことを証明した。

 セラフィの目から見ても物理的には存在しないように見える。ただし魔法を使えば別であろうとも思えた。

 とはいえ、両者とも争いごとにしたくなかった。

 

「コッペリア様」

 

 制するようにセラフィは彼の名を呼んだ。彼は、訝しげに首を傾げた。

 

「おや? 見間違えたかな? 今日は『瞳』の調子がよろしくない。うーん、後先を違えてしまったかも。……平にご容赦くださいな。僕らが求める物を貴方が持っているような気がしたのだが……気のせいだったようだ」

 

「ほう。探し物とは何でしょうかね。まして記憶など。ははは、こんなところにあるとは思えないが」

 

「ええ、お時間、少々よろしいかな?」

 

 ルシウスは頷く。

 闇の帝王より賜った物──学用品、それはまさしく日記帳だ──をルシウスは持ち歩いている。魔法省の抜き打ち検査が行われている昨今、屋敷に置いておくのは不安があったからだ。そして念のために持ち出した。

 だが、それに勘付いた者が目の前にいる。しかも用途である『日記帳』まで言い当てて見せた。すぐに勘違いだと思い直したようだが。

 彼が何を求めて何と見間違えたのか。確かめる必要があった。

 柔らかく問いただすとセラフィが応えた。 

 

「僕らは、記憶を保持するものを探しているのです。あるいは、再現するものを。……。非魔法族には、そのような物が存在しなかった。では、魔法界にはあるだろうか。そう考えてさまざまな店舗を巡っているところなのです。今のところ成果はないのですが……。名高いマルフォイ氏ならばご存じでしょうか? もし、ご存じであれば教えていただきたい。持っているのであれば譲っていただきたい。──無論、対価はそれなりに用意させていただく」

 

 ドラコが閃いた顔でルシウスを見上げた。

 顔に感情が出過ぎる息子を押さえつけるような視線で黙らせる。

 そして、述べた。

 

「ああ、知っているとも。──『憂いの篩』を聞いたことがあるかな?」

 

 憂いの篩とは、石やガラスで作られた浅い皿あるいは盆だ。

 使用者の記憶を再現する機能がある。永く人の記憶を留めることができるのだ。

 それを説明するとセラフィは感心したように「ほぅ」と声を漏らした。

 コッペリアは、うずうずと忙しなく身を揺すった。

 

「ど、どこで手には入るかなぁぁ、そそそ、それ、すごく欲しいなぁ」

 

「ああ、ちょうどいい。馴染みの店は……あー……古物商をしていてね。掘り出し物に目が届く。今すぐは無理だろうが、いつか入手できるだろう。頼んでみる価値はあると思うがね」

 

「ぜひ頼みたいところだ。して、その店はいずこに?」

 

 くるり。

 ルシウスは手にしたステッキを店に向けた。

『ボージン・アンド・バークス』

 隣で誇らしげなドラコが、にんまりと笑った。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 ハリー・ポッター。

 親友、ロン・ウィーズリーと兄弟による劇的な救出劇を経てハリーは、夏休みの後半をウィーズリー家に泊まっていた。そして、教科書を買うために彼は初めて煙突飛行を試みたのである。しかし、初めての煙突飛行は失敗に終わったらしい。暖炉の熱い煤の粉を吸い込んだ口には、ざりざりと不快な感覚があった。

 

「うぅぅ……」

 

 眼鏡が壊れてしまった。ぐらぐらするブリッジをなんとか鼻に乗せることに成功し、ハリーは周囲を見回した。

 マグル育ちのハリーにでもわかる、明らかに闇の魔術の物と思しき魔法道具、また人骨が積み上げられた部屋の一角を見た。

 煤とヤニで汚れた窓から見える薄暗い通路は、ダイアゴン横丁には見えない。

 

 とんでもないところに来てしまった。

 今すぐにでもここを出たほうがいい。

 

 出口に向かおうとしたところ、汚れたガラス戸にいくつかの人影が見えた。

 慌てて身を隠す場所を探す。大きな黒いキャビネット棚を見つけた。彼は慌てて中に飛びこんだ。

 次の瞬間、ガラガラとベルが鳴り、目隠し帽子を被った白装束の男が入ってきた。

 

「やぁやぁ、どうもどうも」

 

 続けて入って来た人には見覚えがあった。

 銀色の長髪を結わえた三角帽子。スリザリンのセラフィ・ナイトだ。彼女は扉に取りつけられている、来客を知らせる鐘が気になっているようだ。琥珀色の瞳は扉の上部につり下がった鐘に釘付けになっている。

 

「入らないのか?」

 

「鐘の音というものに、僕は敏感なのだ」

 

 ややあって入ってきた。彼女の後ろにいる少年にハリーはギョッとした。最も会いたくない人物、ドラコ・マルフォイだった。最後に入ってきたのはドラコによく似た尖った顎、冷たい灰色の目、うり二つの面差しは父親に違いない。

 セラフィが店を見回しているとドラコがあれこれと商品について話を始めた。得意げな顔をしている。

 

「それにしても、君のお兄様は分かっているよ。ハリー・ポッター。依怙贔屓だって皆言っている」

 

「教育に一家言ある御方なのだ。気になってしまうのだろう。しかし……フフフ、僕にはスネイプ先生が君を可愛がっている程度の話だと思うけれどね。先生はずいぶん君に心を砕いているように見える。仲がよいのだね」

 

 ハリーを庇い立てする言葉らしく聞こえるが、彼女の声色はくすぐるような響きがあった。背中を向けているので彼女の目は分からないが、きっと対岸の火事を高層ビルから眺める目をしているとハリーは思った。

 

「校長と先生じゃ立場が違うだろ。学年末の大逆転なんて酷いものだった。上級生が泣いていたのを見ただろう?」

 

「ああ、驚きだった」

 

「もしも、クィレルをスリザリンの誰かがやっつけていたら加点したと思うかい? 思わないね。ハリー・ポッターだから加点されたんだ」

 

「さて、どうだろうね。けれど、あんなものが認められるのならば、次は三〇〇点ほど稼いでおかなければならないだろう。……僕は野心の欠片も持っていないが、スリザリンに配された以上は本気を出してしまおうか。もちろん、君がスネイプ先生から点数を搾り取るほうが簡単かもしれないけれど」

 

「先生に頼らなくたって僕はやれる」

 

「期待しているよ。……おや」

 

 セラフィが、ドラコを見てニコリと微笑んだようだった。ドラコは白い顔だったので、彼の耳の先まで真っ赤になるのがよく見えた。

 セラフィが店の奥から聞こえてくる足音に気付き、白装束をまとう男の隣に立った。

 店主は猫背の脂っこい髪を撫でつけてカウンターの向こうに現れた。

 

「マルフォイ様、ご足労いただきまして……うれしゅうございます。はて、ご友人の御方ですかな?」

 

「そんなところだ。ボージン君、私は売りに来たのだが……彼は遙々遠方から買いに来た。恐らく君のルートでなければ手に入りにくい物だろう。ぜひ相談に乗ってくれたまえよ」

 

 紹介を受け、薄く笑みを貼り付けたように浮かべるその人は、第一声。

 

「やあ、初めまして!」

 

 闇の気配がひしめく店内にそぐわない明るい声で挨拶した。

 

「僕はコッペリア・コーラス=B。東方で声楽の講師をしている者だ。マルフォイ氏から貴方は仕入れに関して目利きと伺っているよ。ぜひ、相談に乗ってほしいことがあるんだ。セラフィ」

 

 躾の良い犬のように控えていたセラフィがカウンターに革袋を置いた。

 

「これは、前金だ。ささやかだがね。……僕の数え間違いでなければ一〇〇ガリオンある。そして、こちら契約書だ。受け取ってくれるかな?」

 

 ボージンは、咄嗟に手を伸ばしそうになったが、寸でのところで手を止めた。そしてカウンターの汚れが気になったから手を伸ばしたのだ、とでも言いたげにカウンターの煤を抓んだ。店主の視線は忙しなく、コッペリアとマルフォイ氏、そしてセラフィを行き来した。

 

「アー、先に、ご用件を伺ってよろしいですかな、先に」

 

「おっと失礼。たしかに品物が分からないのに前金もないよな。僕らは────を探している」

 

 ハリーには肝心の言葉が聞こえなかったが、ボージン氏には分かったらしい。

 

「正確には、記憶を留めるモノを探しているのだが今のところ条件に一致しているものが────だからね」

 

 肝心の名称になると彼は声をひそめた。

 カウンターに腕を預け、ボージン氏の目を覗くように彼は顔を動かした。

 ボージン氏は、考え事をするように「ふぅむ」と唸り、前金を引き寄せた。

 

「心当たりは……ある。だが、そうそう出回る物でもないので……ミスター・コーラス、とてもお時間をいただくことになるでしょう」

 

「あぁ、構わないよ。五〇年程度ならば待とう。……ええと、本当は五年以内が好ましいんだけど」

 

 鋭い目を向けたセラフィに気付き、コッペリアは訂正した。

 

「そうお時間はかけませんよ……。して、納品時は本当にこの額を?」

 

 ボージン氏は、契約書にちらと目を通した。

 

「ああ。品物さえ納めてくれるのならばいいよ。詐欺、強盗、殺人──まぁいろいろあるだろう。手段は問わない。成果を示したまえ! ……ところでガリオン金貨さぁ、次は五〇〇だろう。重くて持ち歩くのが大変だから振り込みは君の銀行直通にしてもいいかな?」

 

「現金でお願いします。その方がアシがつきませんので」

 

「ああそう? 分かった。仕方ないね。では、品物の準備が整ったら、ホグワーツのセラフィ・ナイト宛てに手紙を送ってくれ。現物を確かめた後に金を渡すよ」

 

「……ひとつ、確認を」

 

 ボージン氏は、契約書に名前を書こうとしたその時、手を止めた。

 このまま自分に有利の交渉を進めてもいいが、多額が動く以上、誠意を見せるべきか迷っているような目だった。

 

「例のそれは、前の使用者の記憶が残ったままの物、いわゆる中古品が出回ることがあるのですよ。性質上、親族も処理に困ったものの、適切に処理する前に手放した、とかで。……新品と中古、どちらが都合よろしいので?」

 

「ふむ。そういう問題もあるのかぁ。……貴き剣の君、どちらがいいだろう?」

 

 問いかけた先はセラフィだ。数秒の逡巡なく彼女は答えた。

 

「手つかずのものが好ましい。しかし、中身を駆逐してしまえば新品同様になるのならば、中古でも気にしないだろう」

 

「やっぱりそうだよね。ふむ。ではこうしよう。ボージン氏、できれば中古と新品、二つのルートから探してほしい」

 

 コッペリアがピースするように二本の指を立てた。

 

「前金だ」

 

 セラフィが二つ目の革袋をカウンターに置いた。

 ボージン氏は『してやったり』の顔をしたが、すぐに顔をあらためた。汗でテカつく額は隠しきれていなかった。

 

「は、ははあ。急ぎます」

 

 彼はその後、契約書にサインをした。

 羊皮紙をくるくるとまとめたコッペリアは上機嫌に「ありがとう!」とお礼を言い、握手を求めた。

 そして。

 

「前金を受け取った以上、僕らをくれぐれも客として扱うことだよ。……君に『手段を選ぶな』と告げる僕らは、当然、手段を選ばないのだからね」

 

 凄味のある低い声でコッペリアは言い放った。

 杖を突きつけられたようにボージン氏は顔を強張らせた。

 

「ま、またのご利用をお待ちしてます……」

 

「ありがとう! ちょっと見つけにくいモノがあったら利用させてもらうよ。ああ、こども達が依頼することもあるかも。その時もよろしくね! そして、マルフォイ氏! 素晴らしいお店を紹介してくれてありがとう! とても助かりました!」

 

「……。ああ、ボージン君はいつも最高の仕事をしてくれる。大いに期待して良いと思うよ。……ミス・ナイト。ホグワーツではドラコとよく学んでくれたまえ」

 

「お気遣いありがとうございます。僕からもお願い申し上げます。では、ドラコ。学校で会える日を楽しみにしている」

 

 二人は揃って店を出た。

 その後で。

 

「あの白い旦那は、マルフォイ様の……?」

 

 友人なのかどうか確かめようとするボージン氏に、マルフォイ氏は答えなかった。

 しかし。

 

「彼は、この辺りのことに詳しくない。だから、どこの店に入ろうか迷っていたようなのだが……偶然、そこで出会ってね。それにあの娘はドラコと親友だ。助けないわけにはいかないだろう?」

 

「それはもちろん。もちろんでございます。旦那様」

 

 マルフォイ氏は、口の端で得意げに笑った。

 暗に『上客を紹介してやった』と言いたげなのは明白だった。そして便宜をはかったことで次に行う自分の取引を優位に進めたいと思っているようだった。実際のところ、彼に有利に進んだ。

 だが、多少の不利を呑み込むボージン氏は脂っこい顔でニコニコしていた。たんまりもらった前金の威力は覿面だ。

 ホクホクしているボージン氏はマルフォイ氏の『いわくつきの物品』を買い取る商談を手早くまとめた。一刻も早く金貨を数え直したいと思っているように見えた。

 

 すっかり話が終わるとボージン氏はカウンターから出てきた。不出来なドアマンのように腰を低くしてペコペコと頭を下げた。

 

「本日は、新しいお客様をご紹介いただけて、ええ、ええ、ありがとうございます。けれど旦那様も勿論! 昔からのお客様でありますから、今後も何事か売買のお話があれば、ぜひお勉強させていただいて……」

 

「ああ、頼りにしている。ではボージン君。明日、館のほうに物を取りに来てくれるだろうね」

 

「はっ。午前中に伺わせていただきます」

 

 マルフォイ氏は、ドラコに一言声をかけると店を引き上げた。

 

「ヒヒッ……」

 

 ボージン氏は、マルフォイ氏から受け取ったリストを抱えて店の奥に引っ込んだ。

 

 闇の物品に関わる取引を見てしまった。

 ハリーの頭に漠然とそんな言葉が思い浮かんだ。

 ボージン氏の物音がしなくなった頃、ハリーはキャビネット棚から抜けだし店の外に出た。

 

 

 それから、偶然通りがかったハグリッドに窮地を救われたハリーがウィーズリー一家と、もう一人の親友ハーマイオニー・グレンジャーに出会ったのはボージン・アンド・バークスから十分経った後だった。その間が、ひどく長い時間に感じたことは言うまでもない。

 ハグリッドにお礼を言い、別れるとさっき店で見たことをロンとハーマイオニーに話すべきだと思えた。

 グリンゴッツ銀行の階段を昇りながら言った。

 

「『ボージン・アンド・バークス』で誰に会ったと思う? マルフォイと父親、そしてナイトだった」

 

「ナイトって、あのナイト?」

 

 ロンが、彼女の被る帽子を揶揄するようにトンガリを真似した。

 ハリーが頷くのもそこそこにウィーズリーおじさんが問いかけた。

 

「──ルシウス・マルフォイは、何か買ったのかね?」

 

「いいえ、売っていました」

 

「ははは。やはり心配になったワケだ。しかし、ナイトとは? 聞いたことがないな」

 

「スリザリンのセラフィ・ナイト。すごく田舎の出身だって同郷のハントは言っていたけど。でも一緒にいたのはハッフルパフのコーラス=Bのお兄さんです。その人は、買う約束をして、ナイトに大金を出させていました。数え間違いでなければ二〇〇ガリオンだって」

 

 ──二〇〇ガリオン!

 金額にウィーズリーおじさんは驚いて目を見開き、金額に驚いたウィーズリーおばさんまでもが振り返った。

 ロンが金額に目を輝かせた。ハリーが重要な取引現場を見たと思っているようだった。

 

「去年のクリスマス覚えている? ハントもナイトもコーラス=Bも親戚だって言っていただろ。だから一緒にいるのは怪しくないけど、それにしても二〇〇ガリオンなんて! あいつ、何を買おうとしていたんだろう?」

 

「分からないけど、たぶん入手がすごく難しいものなんだと思う。わざわざ新品と中古を頼んだし店主に『手段は問わない』って言っていたし……」

 

「そんな! ただの珍しい物かもしれないじゃない……」

 

 ハーマイオニーが擁護するのは彼らと同郷のクルックス・ハントまで話が及びそうになっているからだ。しかし、声には威勢がない。

 

「でも、ハーマイオニー、よく考えてみてよ。あいつら、ホグワーツで刃物を持ち出すし銃を向けるちょっと、いや、だいぶ頭がおかしい奴らじゃないか。そんな彼らが今さら宝石だとかユニコーンの角とか、欲しがると思う?」

 

「そ、それは、でも、あの時は緊急事態だったでしょ! フェアな話じゃないわ!」

 

 ウィーズリーおじさんが仰天しているのを見てハーマイオニーは素早く反論した。

 

「──気をつけることだよ。危ない物には近づかないように。人にもね。自分から厄介ごとに突っ込んでいくことはない」

 

「あなたも。首を突っ込みすぎて火傷なさらないように!」

 

 厳しい声が飛んだ。

 ウィーズリーおばさんが、心配そうにウィーズリーおじさんを見つめた。

 

「なんだい、モリー! 私がルシウス・マルフォイに敵わないとでも?」

 

 挑戦的にウィーズリーおじさんは笑った。

 この後、まさか件のルシウス・マルフォイと彼が乱闘になるとは、誰も思わなかったことだろう。

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「いやー、楽しい買い物だった! 実になる買い物だったとも!」

 

 ビルゲンワースの一室には、大量の本が積み上げられていた。

 ユリエは、自身の仮眠中に勝手に外出したコッペリアに対し、怒り心頭で待ち構えていたが、その大量の本を見た瞬間に「も、もう、これっきりなんだからね? ね? いけない人!」と態度を軟化させた。犠牲になったのは月の香りの狩人と仔らが稼いだ大量のガリオン金貨だけだったのだからコッペリアにとっては安い話──どころか痛くも痒くもない話であった。

 月の香りの狩人は、本の山を漁り日刊預言者新聞の叢書を見つけ出していた。小脇に抱えて椅子に戻ろうとしたとき。色とりどりの薄い本を持ち上げた。

 

「お! これは、世界地図! うわ、スゴい。色付きだ。見ろ、クルックス」

 

「世界って丸いんですね」

 

 コッペリアに頼んでいた本や書類を入れる鞄。新品の金具の調子を確認するため開け閉めしていたクルックスは本を覗き込んだ。

 

「そそ、そそそ、そうだな」

 

「どうして動揺しているんですか、お父様」

 

「悪夢の構造というものは『基本的に』物理法則に逆らいやすい性質なのだが、なかでも球体という形は、悪夢には馴染みにくいものであるらしい。だからこそ、血晶石も円形のものは稀少なのだ。濡血晶など、なかなか手に入れたことがないだろう? 円。球体。どちらも悪夢には不慣れなものだ。……実のところ、ヤーナムが外の世界に繋がる地形になっているのか。俺にはどうも自信がない。そもそも悪夢は階層構造をしているようだし……」

 

「は、はあ。俺にはよく分かりません……。いつか外に歩いて行ってみましょうか? 境もハッキリするかもしれません」

 

「興味深い話だが、俺はやめたほうがいいのだろうな。観ることで定まってしまう事象がある。夢を介してイギリスに行くのとは別の危険性だ。俺がヤーナムの果てを見ることで現在のヤーナムの地理に深刻なエラーが発生しかねない。……ん? 深刻なエラーとは何だ?」

 

「あまり深く考えないほうがよいのかもしれません」

 

「ああ、変な交信を受信した気がする。──ええと、そう、だから全然、大丈夫だぞ。うん。ヤーナムが地図に載っていなくとも俺は落ち込んだりしないからな。むしろ詮索などされては、煩わしいことさ。おや。セラフィ、何か本を買ったのか?」

 

 一冊の文庫本を懐に入れて立ち去ろうとするセラフィは頷いた。

 

「極東文化の本を買いました。僕らカインハーストの騎士が忘れた精神が書いてあるかもしれないので……」

 

「あとで聞かせてくれ。極東とはヤマムラさんの母国だったか、母国の近くの話だろう。……あの人との話、いまだに異文化交流の気味があるんだよな」

 

 ──ケジメだとか、チギリだとか、ハラキリとか。

 難しい概念の話だと狩人は言う。

 セラフィは、マントを翻して歩き出した。

 

「僕はカインハーストに戻ります。お父様、女王様へのお返事はくれぐれもお忘れなきように。それからコッペリア様の領収書を確認したほうがよろしい。できるだけ早いうちに。そのまま僕らからお父様宛の請求書になるのですから。ネフやテルミが来る前がよろしいでしょうね」

 

「? ああ、分かった。ありがとうな」

 

 パタン。

 扉が閉まり、夕暮れの彼方にセラフィは去った。

 狩人は、本を開こうとして──妙な言葉を聞いたと思い、本を閉じた。

 

「ん? なんだ待て、おい、待て待て、領収書が請求書? 請求書って何だ!? 今年はカインハーストの納税だってまだなんだぞ!? ブラドーの黒服君に週一で輸血液も持って行かないといけない用事もあるのに──どこだ、コッペリア! 逃がすな、ユリエ!」

 

 コッペリアが一抱えの本を抱え、抜き足差しで部屋を出ようとしていた。

 ユリエが足止めをすると彼はじりじりと壁際に後退した。

 

「いやー! 楽しい買い物だった! 実になる買い物だったとも! だから景気よくお金使っちゃってさぁ! でもでも! 狩人君の聖杯のアテも見つかったし! 無駄遣いじゃないよ! 僕、除隊されたけど心根は聖歌隊だから、成果は出したよ! なんだよぅ、せ、聖杯探索に出費は付きものじゃあないか?」

 

「……いくら?」

 

「……いくらだ」

 

 コッペリアは部屋の隅に追いやられた。

 ユリエと狩人、そして悲しげな目をしたクルックスに追い詰められて、彼はとうとう観念した。

 

「えっと、これくらい」

 

 彼が懐から取り出した領収書は、本当に束になっていた。

 狩人は「ヒョッ」と変な息を吸い込み、ユリエは呆れた声で同胞の名前を呼んだ。

 

「当分、外出禁止よ」

 

「えーっ」

 

「『えーっ』じゃありません! もっと計画的に! そして事前の相談をちゃんとなさい! 狩人君がカインの納税と併せてお先まっくらな顔をしちゃったでしょう」

 

 コッペリアは渋々「ごめんね」と狩人に謝った。狩人は「いいよ」とかすれた声で言った。

 それから狩人は、とりあえず「クルックス」と名前を呼んだ。

 

「俺も夏休み聖杯漬けが決定した」

 

「全盛り一名追加──と。捗りますね」

 

「捗りまくりだ」

 

 クルックスの手記には、予定が書き込まれた。

 

 




マルフォイ家:
 個人的に『世渡り上手』としてのマルフォイ家が抱える問題とは、冒頭のことが挙げられるのではないかと考察しています。
 やはりコネと権力と金! これらは全てを解決する──!
 今のところ、うまく世間の荒波を乗りこなしているマルフォイ・プロサーファーですが、果たして。


共有財産:
 聖杯で得たものを輝く硬貨に変換して、それをさらにガリオン金貨などに交換しています。財産はネフライトが集計して出納簿を付けていますが、どう考えても出納に記録されていないのに物がある。
 ……どうやらテルミには私有財産とも言えるヘソクリがあるようだ。その額をネフライトは知らない。
 ボージン氏に支払った前金と受取金は、コッペリアのあてずっぽうな金額設定です。
 たまに巷で話題になります魔法界物価問題は、本作において、あまり触れないことにします。また金額を出す場合、原作小説の物の値段を指標とします。
 個人的に、本話で出した前金100ガリオンは微妙かもしれないと思っています。
 ボージン・アンド・バークスで売っている死のネックレスが1,500ガリオンなんですよね。これは宝石代金分もあるのかな、と考えると妥当な気もしますので、推測に使う指標としてはちょっとそぐわない感じがします。
 姿くらますキャビネットががいくらかによって物体の大きさによるガリオン推測ができるのでは、と思っていたのですが、キャビネット代金は原作小説に登場しない(ハズ……たぶん)ので、これも難しい。
 今度出るハリー・ポッターのゲームでアイテム物価が分かるかもしれないと筆者は期待しています。



『学徒紀行~聖杯探索~』が終了しました。
 次回より『夜歩き先生』を5話構成でお送りして『2年生まで』章であるヤーナム編が終了となります。今後もお楽しみいただければ幸いです。

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