甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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夜明け
東の空が明るくなり、太陽が昇ること。
闇に深く沈んだヤーナムの民が、震えながら焦がれるものだ。
しかし、知の探求者は背を向け、暗闇を探すのをやめなかった。
最後にして最新に訪れた『獣狩りの夜』では一ヶ月夜が続き、甚大な被害が出た。
……悪夢のような話だろう。これが現実なのだから堪らない……



東の朝焼け(上)

「お父様、怒ってます?」

 

「全然、怒ってないぞ」

 

「怒っているんだ。もうダメだ。おしまいだ。やっぱりヤーナムは遠からず滅ぶんだ。くぅ……せめてもう一度、七面鳥を食べたかった」

 

「怒ってない! 滅びないぞ! ヤーナムは永久に不滅だからな!」

 

「しかし……」

 

 ヤーナム市街。寂れた裏路地の一角。

 たむろする獣狩りの群衆を殺した後でクルックスは、回転ノコギリで狩人の影を差す。

 月に向かって影が伸びていた。

 しかも人の形をしていない。無数の触手が影のなかで月に手を伸ばしている。まるで慕うように。

 

「学舎に飛込んできたテルミが怯えていました。自分が死んでもケロリとしている、あのテルミが。よほどのことです。言い逃れは、俺の贔屓目をして不可避と言いますか……」

 

「ンンっ」

 

 狩人は咳払いをすると仕込み杖で自分の影を小突く。

 影は、素早く人の形を取り戻した。

 

「はい。忘れたな?」

 

「そのうち忘れます。ちょっとグルグルしてきたので」

 

 発狂の高まりを感じたのでクルックスは、鎮静剤を口に含む。

 発狂気味の場合、人血が美味しく感じるという。今日は、味わい深い感覚があった。

 身震いして口を拭い、血除けのマスクを鼻の上まで上げた。

 

「学徒達には内緒にしてくれ。とにかく私は怒ってない。いいや。正直に言えば工房でカレル文字を組み直していた時は怒っていた。ああ、鐘女に挟撃された並にイラッと来た。俺にも人並みの感情はあるからな。しかし市街を歩いているうちに思い直した。矮小の人間のしたことだ。怒っていたらキリがない。そう。私はいつだって話の分かる上位者というテイで生きていきたいのだ」

 

「じゃあ、侵入者に出会ったら?」

 

「命の覚悟をしてほしい」

 

「やっぱり怒っているんだ。もうダメだ。おしまいだ」

 

「だから終わらないって言っているだろう。とにかくだ。前向きに考えるとしよう。私は寝ていても侵入者に気付くということが分かった。これまで眠る日に入ってきた人間はいなかったから知らなかった」

 

「そうなのですか? それでは、これまでの人間はどうやって入ってきたのですか?」

 

「どうって普通だ。門を開けて入ってきたのだろう。ヤーナムは、まったく閉鎖しているワケではないからな」

 

「では、辿り着ける人と辿り着けない人がいる理由は何なのですか?」

 

「単純な運の問題だ。現在のヤーナムは過去のヤーナムと等しく、病を持ち、正しく、そして幸運な人間を迎え入れる。まれに啓蒙高い瞳を得た人もいたが、最近ではとんと見かけないな」

 

 二人は市街の哨戒を続けていた。一時間が経とうとしているが、外からの来訪者は見つかっていない。クルックスは、もう獣の餌になったのではないかと思っていた。

 

「異邦人は、お父様の目でも捉えきれないのですか?」

 

「お父様は市街で禁止だと言っただろう。──私は狩人も住民も監視していない。医療教会のように皆を管理しているつもりはないからな。どこで誰が何をやっているかまで分からない。人々の目的の大筋は変わらないが、行動動機はさまざまな要因で変わる。一概には──ダメだ。この通りにもいない。このままヨセフカの診療所まで行くぞ。南門をくぐってきたのならば、そこに出るからな」

 

「はっ了解!」

 

 今日は、市街のあちこちから銃声が響いている。

 月の明るい夜は、狩人も獣も視界が良好だ。必然、遭遇率も上昇する。

 銃声の一つ。

 甲高く尾を引く音が耳に届いた。

 カインハーストの狩人達が好んで使う、エヴェリンの音だ。

 

「セラフィの銃だ」

 

「だが、一発だ。それらしいものを見つけたら『連続で三発撃て』と言ってある。獣だろうな」

 

「……急がなければ」

 

 二人は、ヨセフカの診療所を目指し駆けた。

 

 ほんの四時間ほど前。

 クルックスは、突然の眠気に驚いたが狩人の影響であると分かっていた。

 意識を委ねて長い時間が経ったように思う。

 

 その間、浅い眠りのなかで波の音を聴いていた。

 寄せては返す、穏やかな浅瀬だった。

 橙色の淡い月が、波を黄金に染める。

 狩人がいつか見た記憶なのだろう。

 綺麗だ。

 

(けれど、いったい、これはヤーナムのどこなのか……?)

 

 そんなことを考えているうちに、意識が揺さぶられ、気付けばビルゲンワースで目を覚ました。

 そして、驚いてしまった。

 まだ夜だったからだ。月の香りの狩人が眠ったら次に目を覚ますのは、朝だと聞いていた。てっきり自分も朝目覚めるものだと思っていたのだ。

 

 ──何か異常があったに違いない。

 

 同じく考えた学徒達が、顔を寄せて相談をはじめた頃、狩人の夢にいたはずのテルミが飛び込んできた。

 そして、すぐに市街へ向かえと言う。

 言葉どおり、回転ノコギリを手に市街へ飛び……今に至る。

 

「──眠っている間、俺は海の記憶を見ました」

 

「海?」

 

「綺麗な、温かい色の月が昇って、波が黄金に輝いて、綺麗だった……でも海は、ヤーナムでは……あれは、いったい、どこの──」

 

 先を走る狩人が、ほんの一瞬、振り返る。

 そして。

 目を見開き、手を伸ばした。

 

「ほう、お主。……懐かしい海を見たのかね?」

 

 背後に広がる闇から聞こえたのは、知らない男の声だった。

 反射的に動いた手が回転ノコギリを駆動させた。応えた機構が火花を散らし、力任せで後方へ振るった。

 

 結果的に命拾いした。

 

 瀉血の槌──肉塊を歪に絡ませた仕掛け武器と激突する。

 弾き飛ばされた先で狩人が背を支えた。

 

「ぐぅっ……何者だっ!」

 

 回転ノコギリの柄を握る手が痺れる。

 対人戦において純粋な力負けをしたのは久しぶりだった。

 

「教会側の人間だ。もっとも、後ろの男が詳しいと思うが」

 

 教会側の人間。

 その言葉が最近、セラフィに聞いた記憶を呼び起こした。

 

 ──獣の皮を被る御仁。

 ──できれば、もう一度……会いたいのだ。

 

 その男は、正気とは思えない装束を身にまとっていた。聖職者の獣の皮だ。歪にねじ曲がった角は、聖職者が獣に変態する際によく見られるものだ。

 セラフィのことを思わず口にしかけた瞬間、狩人が二人の間に立ち入った。

 

「待て待て! 敵ではない! お互いに敵ではない!」

 

「それを決めるのは私だ。お主ではない。……そこを退くがいい、月の香りの狩人」

 

 瀉血の槌を構え直した男が、一歩踏み出した。

 

「──クルックス! 鐘の音は聞こえているか?」

 

「か、鐘? 定刻の鐘は十分前に鳴りました、が……?」

 

「裁判長、鐘の音が聞こえていないので敵ではないということで」

 

「しかし、先ほど『海』と聞こえた」

 

 狩人の強い視線を受け、クルックスは真っ直ぐ獣の皮を被る男を見つめた。

 

「ええと、ほおずきの間違いでした」

 

「ランランだよ、ランラン。ランラーン」

 

 クルックスの無茶苦茶な言い訳を受け、狩人がさらに言い加えた。破綻した援護射撃だった。

 しかし。

 

「ほ、ほお、ず……間違い……?」

 

 瀉血の槌がわずかに逸れた。クルックスは奇跡を目撃した。彼は知るよしもなかったが、悪夢に偏在する邪眼を有す生物『ほおずき』と海は、浅からぬ関係があった。即席の芝居が得意ではないクルックスと狩人の苦し紛れでお粗末な言い訳であったが──発言を深く勘ぐってしまったがゆえの躊躇だった。やはり奇跡だった。

 

 彼が気を取り直し、武器を構え直すまでの隙を見逃さず、狩人が彼の前に立った。

 

「この話は終わりだ、終わり! 閉廷! 散会! そんなことよりちょうどよかった。ブラドー、今日、何か妙な者を見なかったか? 外から来た異邦者だ。ほんの一時間前からヤーナムに立ち入ったと思われるのだが……」

 

「は……、知らぬ。先ほど獣の耳鳴りが消えたから市街に来た。そして『海』について聞こえ──」

 

「ああああ、ありがとうな! では、大聖堂方面はいなかったということだ。やはり、門と出入り口近辺を探したほうがいい」

 

 あらためて問いただされる前に、狩人はクルックスを急かして南へ向かおうとした。

 

「見えることあたわず。──私が殺すとも」

 

「せめて生け捕りにしてくれ。まだ何も探ってはいないと思うが、その人が消えたことで外の面倒な問題に発展しかねない。外から今以上に人が来るのは好ましい事態ではない。貴公も同じだろう?」

 

 獣の皮を被る男──ブラドーは、そのまま闇に身を溶かして消えた。

 その光景に思い当たるものがあったクルックスは喉の奥を詰まらせた。

 

「えっ? え……? そんな、あ、あの人も夢を見る狩人なのですか?」

 

「俺達とは理屈は違うが、ここでは似たようなものだ。そんなことよりマズい事態だ。暗殺者の追手がかかった。侵入者が誰であれ、あの様子では殺される。ヤーナムの外がどうなろうと彼には知ったこっちゃない話だからな」

 

「あの方は、……お父さ、狩人さんのお友達ではないのですか?」

 

「利害の一致で何とか交渉までこぎ着けた仲だ。狩人としては尊敬してもいいが友情を感じるには殺しすぎた。また殺されすぎたな。俺ではなく、シモンが……。急ぐぞ」

 

「は、はいっ」

 

 二人は、より下層の市街へ降りるため鉄梯子まで走った。

 遠くで再びセラフィの銃声が聞こえた。

 一発。

 距離は先ほどより遠い。

 彼女も成果を求めて探しているようだった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 一時間前。

 セラフィがカインハーストで目覚めると騎士の先達が顔を覗き込んでいた。

 

 顔。

 顔だ。──この、顔のせいだ。

 

 騎士達の好む顔は、やはり落ち着かない気分にさせる。

 最悪の目覚めだった。

 

「起床。……あぁ、お恥ずかしい。寝顔など熱心に見つめられては……さしもの僕も、たまらない気分になる……」

 

 レオーが喜びつつ、慌てて顔を背けた。

 

「わ、悪い。鴉もほら、謝って」

 

「夢見が悪かったようだな」

 

「──俺の話聞いて?」

 

「ええ、はい、なにか……悪い夢を見ていた気がします。よく覚えていませんが……」

 

「あぁ、そりゃ幸いだ。忘れたことがな!」

 

 レオーがケロイドだらけの顔を歪めた。

 笑っているのだと分かり、セラフィも安堵する。意識を失う直前に彼が声を荒げているのを聴いたからだ。

 ──いったい何が起きているのか。

 身を起こすと鴉がジッと見つめていた。

 

「鴉羽の騎士様、ご心配をおかけして……? ……おや?」

 

 ベッドから足を下ろすと床から悪夢の小さな住民である使者達がわらわらとわき出た。

 

「…………」

 

「鴉羽の騎士様、使者達をいじめないでください」

 

『部屋に虫が出た』という風に使者達を踏みつける鴉を諫める。彼は小さくて無力なものが嫌いなのだ。

 使者達は、鴉から離れたところで手記を広げた。

 

『侵入者あり。市街哨戒急げ』

 

 セラフィに白湯のグラスを渡した後で。

 レオーが手記を見て「はーあ?」と声を上げた。

 

「つまりさ『月の香りの狩人が寝ている隙を突かれた』って意味だろ、これ」

 

「夜は、まだ明けていない。──時刻は?」

 

 鴉が立ち上がり、窓の外を確認する。

 空はくすみひとつない。

 宝石箱をひっくり返したような星々が輝いていた。

 レオーが首に提げていた懐中時計を開く。

 

「二時を回ったところだ。──鴉、行けるか? 俺は自信が無い」

 

「目的は狩りではない。哨戒だ。セラフィだけでよい。いいや、しかし。待て。これは……」

 

 思案顔でカーテンをゆっくり閉じた鴉は、振り返った先でレオーがニヤリと笑うのを見た。

 

「そうさ。俺の足じゃ市街に行く頃には朝だが、お前なら間に合うだろう。あの狩人に、貸しを作るいい機会じゃあないかと思うワケだよ」

 

「検討の余地がある」

 

 鴉は、テーブルに置かれたカインの兜を迷いなく手に取り、腰に連装銃を差した。

 レオーは手を叩き、いそいそと小屋の壁に吊していた鴉羽の外套を洋服掛けから外した。

 

「そうこなくては! セラフィ、休んでいいぞ。ぜひ休め。寝ろ。むしろ一緒に寝よう。いやぁ~お前のパパと楽しい一年を過ごせそうだぜ。鴉、お前の打算的瞬発力、最高に愛せる」

 

「──いいえ。それに及びません。レオー様、鴉羽の騎士様、僕が仰せつかった仕事です。僕が市街に行きます」

 

 兜を被ろうとした鴉が、眼だけをセラフィに向けた。

 心の奥底まで貫かれてしまいそうな眼光だった。

 だが、それに怯むようではカインハーストの住人は勤まらない。

 セラフィは、ベッドから立ち上がり作業台に置かれていた落葉を手に取った。

 

「ダメダメ。なに言っているんだ。稽古疲れもあるだろう。寝てろって」

 

「僕が行きたいと思っているのだから、どうか止めないでください」

 

「無茶な。市街なら鴉の方が詳しいだろう。大人しくして……」

 

 言葉を尽くそうとするレオーは、鴉が手を上げたので口を閉ざした。

 

「誰が入ったか。心当たりがあるのか?」

 

「はい。そろそろ学校から手紙が届いてもいい頃合いです。先日、すこしお話しましたが、ホグワーツ魔法魔術学──」

 

「セラフィ」

 

 鴉が兜を手放し、セラフィに手を伸ばした。

 男の手は、腕を辿り首に触れた。ほんの一瞬、驚いたセラフィの体が跳ねた。

 

「私の前で『魔法』などとふざけたことを言うのは、やめろ。前にも告げたが?」

 

「あ。そういえばそうでした。いえ、うっかり忘れて。あっ。これはまずい。申し訳あ──」

 

 レオーに、鴉の手元が見えなかったのは本当に幸いなことだった。

 小屋に、教会の連装銃の発砲音が響き渡る。間もなくセラフィの姿は、無数の血の残滓となって消えた。

 ようやくレオーは口を開く決心をした。

 

「あのさぁ。いちいち言いたくないから言わなかったんだが……そろそろノリでセラフィ殺るのやめない? このやりとり数日前も見たぜ」

 

「私はセラフィの口からその言葉を聞きたくないのだ。魔法だの、魔女だのと。我らは教会の仇であれ、民衆に石を持って追われる罪人になった覚えはない」

 

 気が塞いだ声で鴉は言った。

 

「だからって口に銃突っ込んで撃つのは八つ当たりだろ。あー、やだやだ。そのうちセラフィに『鴉羽の騎士様ったら野蛮! 嫌い!』とか言われたりするんだ。俺は忠告したからな? 見てろよ見てろよ」

 

 この顔だけ良い野郎め。

 レオーは彼から連装銃を没収し、鴉羽の装束を壁に掛け直した。

 気にした素振りなく、彼は頬に散った返り血が空気に溶けて消えてゆくのを見ていた。

 

「そんな未来はありえない。今は……ふむ……夢に帰る手間が省けたのだからよいだろう。私はむしろ礼を言われる立場にあるのだが?」

 

「その理由さっき考えただろ! 世の中は、お前の想像以上に過程も大事だからな!?」

 

 鴉は、元通り椅子に座った。

 誰もいなくなったベッドを撫でる。

 わずかな温もりが彼女のいた証だった。

 朝は、まだ遠い。

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 ヤーナムの狩装束に身を包んだセラフィは市街を駆けていた。

 

 流血鴉の琴線に触れてしまったとき。

 セラフィはレオーほど上手く取り繕うことができないため、たいていの場合、死んでしまう。鴉は教育の手法を言葉に求めず、常に暴力的な実行力で示した。カインハーストでは日常茶飯事のありふれたことだ。だから気にしない。セラフィは死を夢にするための意識の断絶を乗り越えつつ、心機一転を心がけた。そして今回は、いつも以上にどうでもよかった。レオーを説得する時間の短縮になった。

 

(どうしても市街に来たかった。こんなに早く来る機会が得られるなんて侵入者、よくやった! いい仕事をしたな! もし、見つけたら最後に殺してやろう!)

 

 セラフィは、走る。

 流血鴉に反発してまでやって来たのは、父たる狩人に命じられた役割──それにかこつけて、教会の射手を、獣の皮を被った男を探すためだ。

 

「射手は──いや、獣の皮を被る御仁を探すほうが先か。彼は、射手は追っていたようだから……?」

 

 路地か。

 ひょい、と路地を覗くと路地をうろつく罹患者の獣と目があった。

 

「たしかに僕は獣らしき男を捜しているが、獣そのものではない」

 

 教会は何をやっているのか。きちんと獣を狩っていないのか。

 辺りを見回しても足音ひとつしない。周囲には、明かりのついた家もあるというのに。

 血族狩りばかりに熱心で獣狩りが疎かになっているのだろうか。

 

(それにしても)

 

 聖堂街への大橋以北に射手や獣の皮を被った男のそれらしい姿は無かった。

 また、侵入者が数時間で聖堂街上層や隠し街ヤハグルまで立ち入ることができるとは思えない。

 ──では、もっと南か。

 下の市街へ行くために、セラフィは落葉を分離させた。

 

「名乗れぬ獣には礼など不要だが、せめて弔いは必要だ」

 

 カインハーストは不死の女王が存在し、血を狩る騎士達がいる。貴族達も亡き今、騎士達の獲物は獣ではなく、もっぱら市街の狩人達だ。

 だが、過去の栄華を知る騎士がいる。

 レオーにとって古くから血を嗜むカインハーストの住人は、獣の病の隣人であり──獣となった貴人を狩るのは従僕たる騎士の役割だった。

 ヤーナムより古く、血に、獣に触れた人々でもある。だからこそ、息づく哲学があった。

 セラフィがカインハーストの騎士に最初に教わったことは、彼らの『慈悲』だった。

 

『獣を狩る時は、常に我が事のように思いたまえよ。そのものになったように。流される血を楽しんではいけない。ただし、悲しんでもいけない。血の温もりを知れ。亡骸の冷たさを知れ。ただ、心を寄せたまえ。それだけを人にとどめる縁とせよ』

 

 獣と対峙する度にレオーの諫言が蘇る。

 未だ手触りも知れぬ慈悲を胸にセラフィは、獣を見据えた。

 

「僕の慈悲は、等しく命を絶つだろう。苦しむ貴方と僕の心が触れる瞬間に。だから──僕の狩りを知るがいい」

 

 すでに間合いの内。剣は月光を弾いた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 夜にヤーナムを訪れる人は、多くない。

 それは単純に『夜は人間が活動する時間ではないから』という理由もある。

 だが、ヤーナムにおいては事情が異なった。

 

 夜は獣が闊歩する時間帯であるため夜ごとやって来た異邦者の末路は──たいていの場合──獣に襲われて丸ごと食われるか、食い散らかされるかして、存在の確かめもできなくなってしまうのだ。

 しかし、偶然に偶然が重なれば、市中の狩人に保護されることもあった。とはいえ稀なことだ。狩人より獣の数が多いため、数えられるほどの幸運な事例に違いない。

 さて、異常続きの夜。

 ここ百年で最も珍しい事例が起きようとしていた。

 

 セブルス・スネイプは、彼自身の努力と幸運により生き延びていた。

 

ステューピファイ! マヒせよ!

 

 狩人の間で『罹患者の獣』と呼ばれる生き物は、四つ脚の大柄な黒毛の獣だ。

 呪文が命中すると獣はわずかに怯むが、街灯を三つも過ぎないうちに再び追ってくる。効き目は薄い。そして無言で放った「アビフォース」。木箱を数羽の鳥に変化させ、気を逸らす作戦も失敗していた。獣は一心に人間を追っていた。

 

 クッと歯噛みをして街灯のある道を駆ける。満点の星空が見守る市街には、あちこちから銃声が響いていた。

 街に着いた最初の数十分は「銃撃だ。治安の悪い街に来てしまったな」と思ったが、この獣に出会ってからは認識が変わった。──こういった獣を殺すために彼らは銃を使っているに違いない。

 

 路地に転がる棺桶に向かい杖を振る。それらは、がちゃがちゃと重々しい鎖を鳴らして獣の進路を妨害した。多少の時間稼ぎになるだろう。

 スネイプは、額の汗を拭う。

 ほんのわずかな休息の間、彼はダンブルドアは放った別れ際の言葉を思い出していた。

 

 ──昨年、トロールを倒した後。クルックス・ハントと話す機会があったのじゃが……『月の香りの狩人』について、狩人とは何を狩るものなのか。聞いたことがある。

 ──何かを探すような目をしていた。開心術ではなかったが、彼は結局「獣」と言ってくれたのじゃよ。

 

 今は亡きニコラス・フラメルが見た獣と官憲隊とのやりとりは、真実だろう。

 そして、これはネフライト・メンシスがクリスマスの会食席で言った「ヤーナムで蔓延する奇病」なのではないか。魔法界においても、マグル世界においても異常な大きさの獣だ。

 

 ふと足下から視線を感じた。闇の中でガラス玉のような瞳が光った。月光に照らされ、羽毛の輪郭が浮かび上がる。思わず後ずさりした。それは、丸々太った烏だった。間もなくギャアギャアと啼き、翼をばたつかせる。去り際に「ラングロック、舌縛り」をかけて烏を静かにさせた。

 

「何なのだ、この街は……!」

 

 どこもかしこも異常な生き物ばかりだ。

 ネフライトの言う『ヤーナムの奇病』とは『野生動物が異常な変化を遂げる』ものではないか。スネイプが思いついた仮定は、ネフライトがヤーナムの奇病について話す数十秒前に話していた内容──古くからの民間療法の弊害で──という言葉を思い出せば、すぐに破綻するものだったが、街に入ってから今まで獣に追われ続けていた彼にとっては何よりの証拠に思えた。

 

 ──とにかく、朝まで逃げ回るワケにはいかない。

 体力を消耗しきる前に安全な場所を探さなければ。

 スネイプは辺りを見回した。

 

 彼は、ヤーナムの街の規模をせいぜいホグズミード村かそれより小さい規模だと想像していた。だが、立ち並ぶ軒並みと建造物の群れを見れば、認識を改めなければならなった。

 クィリナス・クィレルが書いた手記は、真実であった。

 ヤーナムには、激しい高低差を利用して建造された十九世紀程度の建造物がひしめき建ち並んでいた。いま寄りかかる街灯は、時代にすっかり乗り遅れたガス灯である。しかし、当時であれば最新の物であり、街だったに違いない。

 

 街灯のある道を行かなければならない。

 暗がりに獣が潜んでいたら対応できない。対峙した獣の俊敏さには、驚くべきものがあった。 

 視界の端、家から漏れ出る光が揺れた。カーテン越しに誰かがいた。

 

「誰かそこにいるのか?」

 

『おぉぉ、かわいそうに。病気を治しにヤーナムに来たのかい?』

 

「……。ああ、そうだ」

 

 実際は、もちろん違うが、そういうことにした。

 このまま避難所についての情報が欲しい。それか月の香りの狩人の手がかりを。

 会話の糸口をつかもうとして返ってきたのは嘲りであった。

 

『馬鹿め! 夜に教会様が拝領なんてしないよ。お前みたいな間抜けにお似合いの、股のゆるい娼婦なら買えるかもなあ! ヒヒッ、イヒヒッ……!』

 

「……っ!」

 

 およそイギリス魔法界では聞かない侮蔑である。

 頭脳明晰な教授は、理解に数秒を要した。

 ゲラゲラと不幸を笑う声音が耳について離れない。

 怒りよりも奇妙ゆえの畏れを抱き、スネイプは窓から離れた。避難所について聞き出すことなど頭から飛んでいた。

 

 街灯と方角を頼りに街の中心部らしき方角へ進む。

 幸いにして獣の姿はなく、松明を持った数人が道を歩むのを見つけた。

 手には、これまた時代遅れのマスケット銃を持っている。

 

 ようやく、武装をしたまともな人々を見つけスネイプは声をかけた。

 

「もし。そこのミスター」

 

 ところで。

 セブルス・スネイプは、人狼という存在について知っている。未だ身を焼く憎しみを思い出してしまうほど知っている。

 そして生い立ちからマグル世界の常識も知っている。

 だからこそ。

 ヤーナムというマグル世界において、松明を持つ人に話しかけようという選択肢を選ぶに至り、危機に陥った。

 

 毛むくじゃらの顔がこちらを見た。

 輪郭が崩れ、どろりと溶けた瞳孔に自分が映る。その顔は強ばり、声をかけた口のままだった。

 どうして気付かなかったのだろうか。スネイプはわずかに視線を逸らし、彼らの妙に長い腕を見た。

 

 ──人間ではない。

 

 感情のない獣の顔がスネイプを見返していた。

 彼らから離れようとする足が石畳にぶつかり、地面に腰を打ち付けて転がった。

 ハッと息を呑む。

 呪文を唱えるべきだと思った頭とはあべこべに口は、焦がれる女性の名を呼んだ。

 

「リリー」

 

 小さく名を呼んだのは、向けられた銃口の先で死を悟ったからだ。杖を振るには、あまりに遅い。

 しかし、銃声は背後から聞こえた。

 

「貴公。伏せていたまえよ」

 

 咄嗟に頭をかばい、身を丸めた。

 その頭上を無数の散弾が飛び、群衆をよろめかせた。

 間隙を見逃さず、一人の男が音もなく駆けてくる。わずかに鞘鳴りだけが聞こえた。

 

「っ!」

 

 頭上で重々しい鉄塊が振り下ろされ、骨肉が裂かれた。

 悲鳴とも断末魔の声ともつかぬ雄叫びを上げ、群衆が倒れ伏す。

 静かになった頃に頭を上げれば、返り血に汚れた顔の男が立っていた。

 

「異邦の方か?」

 

「……い、今のは……っ……」

 

 帽子を被った東洋人の男は、右手に構えた刀を振るい、血を払った。

 その一滴が、スネイプの靴に飛び散る。彼の足下には銃を向けた獣が、今は温い血肉を晒して転がっていた。

 喉の奥が焼けるように痛む。何とかせり上がる胃酸を飲み下した。

 

「見たところ。たった今、ヤーナムに来たばかりという風に見える。悪いことは言わない。帰り道が分かる間に帰るべきだ」

 

 手にした刀を鞘に収めた男が辺りを見回す。

 コツリ。

 杖を石畳に突く音が聞こえた。

 

「ククク、教会の黒服に見間違えたが。なんと。今さら、ただの異邦者とは……」

 

 その男について、誤解を恐れず言うならば──バケツを被った男だった。

 異様に目を奪われていたスネイプは、彼が身につける装束が現代において官憲に属するものだとは気付かなかった。

 

「行くぞ、ヤマムラ」

 

 青のケープコートを翻した男が背負った物を見てスネイプは口を閉ざした。金属の円盤に生えそろったのはノコギリ状の刃であり、チェーンソーの部類だと察したからだ。

 

 刀を持つ東洋人──ヤマムラは、渋った。遠回しのやや癖の強い口調であったが、この夜に放置は酷な仕打ちだということを言ったらしい。バケツ頭の彼は答えず、ただ杖で路地を差した。

 スネイプもその先を見た。街灯の無い路地から二人分の足音が聞こえる。そして、声。

 

「ヤ、マ、ムラッさーん! その人、殺すのはすこし待ってほしい!」

 

「──こ、殺さないが」

 

「まだ何もしていないからな!」

 

「──だから殺さないって」

 

「みみみ、見てのとおり、普通の人ですので! ですので!」

 

 これだけは聞き覚えのある声だった。

 駆けてきた二人のうち、後を走ってきた小柄な影。

 クルックス・ハントが口を覆う黒いマスクを外し、駆け寄ってきた。

 

「な。あ? もしかして、ス、スネイプ先生……!? な、何をしているんですか!?」

 

 こっちの台詞だ。

 喉まで出かかった言葉を言ってしまえなかったのは、血の臭いに辟易していたからだ。

 

「学校の先生ということか? はあ……何だ……」

 

 もう一人、クルックス・ハントと似た男が近寄ってきた。

 顔は帽子とマスクでよく見えないが、背格好や目つきがよく似ている。

 ──ひょっとすると父親だろうか。では、これが月の香りの狩人だろうか。

 彼は辺りに散らばる獣の残骸を避けて、スネイプに手を差し出した。

 

「ヤマムラさん、彼は私が保護します」

 

「あ、ああ、頼む。……私は、長と狩りに戻る」

 

「お気をつけて」

 

 クルックスが、ヤマムラを見送る。

 バケツ頭の怪人が振り返り、ジッと見つめてくる視線を感じたがヤマムラを伴い歩き始めるとやがて途切れた。

 だが。

 

「──同士よ、夜に戻りたまえ。連盟の狩りは何も終わってはいないぞ」

 

 命じることに慣れた声で男が言う。

 クルックスが不安げに隣に立つ男を見上げた。

 

「いまに戻るでしょう。連盟の誇りと共に」

 

 男の背に対し、彼は胸の前で固く手を握ると何かを掲げるように腕を伸ばした。それは男の姿が街灯の無い暗闇に溶けるまで続いた。

 クルックスが、咳払いをしてマスクを着ける頃。

 月の香りの狩人と思しき男が、振り返り、頭を傾げた。

 

「素晴らしい! 素敵だ! 魔法使いがヤーナムに通用するとは……ふむ……ますます外へ惹かれる!」

 

「月の香りの狩人か?」

 

 帽子を深く被り黒いマスクで顔を隠した彼は、質問を受けて握手のための手をゆっくり引っ込めた。クルックスが様子をうかがうように彼を見ていた。

 

「いかにも。私が狩人。月の香りの狩人とも呼ばれている。クィリナス・クィレルを介しヤーナムをホグワーツ魔法魔術学校に開示した。こども達の保護者だ」

 

 スネイプが懐から手紙を取り出そうとしたところ、二人から制止がかかった。

 

「お父様、避難を先に」

 

「分かっている。話は、全て後だ。これから先生を安全なところに避難させる。離れると命の保証ができない。ここで待て。路地を確認してくる」

 

 スネイプは埃を払い、立ち上がった。

 狩人が松明を片手に細い路地を獣がいないかどうか探りながら駆けていった。

 

「先生、杖をしまってください。お父様に当たると危ない」

 

 ──私の命は危なくないのか?

 よほど言おうかと思ったが、クルックスの瞳が妙に薄暗い。

 

「お早く。このとおりの血の臭いだ。獣が集まってくる」

 

 クルックスは、手にした長柄の鎚で背に負った円盤形のノコギリを駆動させた。

 見つめた先は、地面に転がった死体だった。

 

「前はお父様が、背後は俺が守る。ヤーナムを出るまで護衛しましょう」

 

「──こっちだ。来い」

 

 路地の先で狩人が松明を振って合図をする。

 歩き出した途端、置かれた木箱につまづいているとクルックスが腰に着けていた小さなランタンを渡してきた。

 

「夜目が利かないのか。そうかぁ」

 

 月の香りの狩人が言う。

 ──魔法族は大変なんだなぁ。

 そんな声が聞こえてきそうなほど場違いに驚いている風な声音だった。

 

 月の香りの狩人の先導で人通りの少ない路地を進み、何体かの──二足歩行をしていたが、あえて獣と呼称する──をクルックスが退けて一件の家に辿り着く。

 扉は蝶番が壊れているため開けっ放しだった。

 背中を押されるように中に押し込められる。

 

 腐った食物の臭いが鼻についた。

 つい先日まで誰かが生活をしていた空気があった。

 

「室内の確認をしてきます」

 

「屋上で三発撃て。ネフとセラフィを召集する」

 

「了解」

 

 テキパキとクルックスが室内の扉を蹴り開けて安全確認に行く。

 壊れた扉を持ち上げた狩人と目が合った。

 

「先生、手を貸してくれないか。ちょっと壊れ過ぎている家だ。窓と扉、直してくれるか? 閂があるだろう。私とクルックスは外で哨戒するから、先生は朝までこれをかけておくといい」

 

 望みのとおり杖を振る。

 砕かれた窓は月光に輝きながら窓枠に収まり、蝶番の部品が組み立てられ、扉は一分の狂いなく枠に収まった。

 

「素晴らしい。神秘、いや魔法と呼ぶのだったな。……ああ、面白い。興味深いな」

 

「月の香りの狩人、あなたに話が」

 

「先生にも事情があるだろうが、朝まで待ってほしい。ヤーナムの夜を見ただろう。我々、狩人は忙しい。……魔法界風に言えば『マーリンの箒は早いが、スピードが遅い』というものだ」

 

「初めて聞いたが」

 

「ヤーナム風のジョークだ。笑ってくれたまえ」

 

 彼は懐から鐘を取り出した。

 音の鳴らない、それを揺らしながら言った。

 

「屋内はネフが守り、セラフィは屋上を守るだろう」

 

 狩人が鐘をしまう頃、薄霧じみたぼやりとした煙が起こり、その霧が晴れるといつもの檻を被ったネフライト・メンシスが現れた。

 おかしな事態にスネイプは狩人が持っていた鐘を思い起こした。彼が魔法を使った様子はなかった。もちろん、呪文も唱えていない。

 

「メンシスの徒、まかりこしてございます、が──」

 

 ネフライトは屋内を見回し、スネイプと目が合うとわずかに目を見張った。

 言いたいことは開心術を使うまでもなく分かる。次の瞬間に彼は想定どおり「どうしてここに」と言った。

 

「ネフは屋内で待機だ。任せたぞ」

 

「は、はあ、あ、はい。お心のままに……。あぁ、困る。とても困る……」

 

 独り言にしては大きな声であり、一階の探索を終えたクルックスが隣室から顔を出した。

 

「ネフ。俺は哨戒に戻る。屋上はセラフィに見張らせる」

 

「勝手にしてくれ」

 

 答えるネフライトには、月の香りの狩人に対して見せていた丁寧さが失せていた。至極どうでもよさそうに言い放った。中途半端に開いていたカーテンを締め終わりテーブルに魔法の炎を作り出して照明にした。

 間もなくクルックスが二階に上がり、ガチャンと音がした。窓を壊して屋根の上に出たのだろう。そして、銃声が三発連続で響いた。

 音を追うように天井を見上げていたスネイプは、視線に気付き檻の奥にある緑色の瞳を見た。

 

「立っているのも落ち着かないので座ってください。なぜ今、ヤーナムに?」

 

「話は、父君が帰ってきてからのほうがよいと思うがね」

 

 ネフライトは答えず首に下げていた懐中時計を開き、時刻を確認した。

 スネイプは既に時間の感覚を失っていたが、それは午前三時を指していたらしい。

 ネフライトは先に椅子に座り、数えるように指を折った。

 

「説明は時間の無駄であるから結論から述べると、先生がお父様の機嫌を損ねればヤーナムから生きて帰ることは難しいでしょう。マグル世界では『治外法権』という法があるそうですね。そんな土地だと理解した方が適切です。……もし、先生がホグワーツからの手紙を持って来ていたのだとしても、私達は先生から受け取る必要はないのですから」

 

 スネイプは、無意識に彼の『受け取る必要が無い』という言葉について最悪の想定を避けた。彼らからホグワーツに出向くことを考えていた。まさか「死体を漁ればよい」と同じ事を言われているとは、頭に浮かばなかった。ネフライトの言葉は続いた。

 

「姿くらましやポートキー。移動魔法の行使は、やめたほうがいい。私見だがハナハッカでどうにかなる程度の『ばらけ』では済まないだろう。興味深い症例ではあるが……。いいえ。単なる注意事項ですよ、先生。脅かす心算はないのです」

 

「校長からの指示で教科書リストを届けに来た。ああ、それだけだ」

 

「……。それは、わざわざご足労いただき恐縮でございます」

 

 ネフライトの瞳は、すでにスネイプの嘘を見抜いていた。しかし『そういうこと』として受け取ってくれるようだった。

 ──月の香りの狩人の子供達、少なくともネフライトは、どうやら自分に生きて帰ってもらいたいらしい。

 ひとつの収穫とした。

 

「先生は、月の香りの狩人様が質問することに答えるだけでいいでしょう」

 

「そのつもりだ。しかし、メンシス、この街は」

 

 ──あまりにおかしい。あの獣は何なのか。獣だ。そう。人が、まるで。

 続くはずだった言葉は、彼の小さな笑い声で遮られた。

 スネイプの無理解を祝福するような、穏やかで冷たいものだった。緑色の瞳は魔法の炎の灯りに照らされて輝いて見えた。

 

「この街は、よそ者に語るべき法がないのです。ああ、それとも。──先生は、暗澹たるヤーナムに、魔法界の法を説きに来たのですか?」




東の朝焼け(上)

ヤーナム珍事:
怒ってます? ──怒ってないよ。
クルックスは「本当ですか」は聞けない。冒涜とは、上位者の怒りでもある。新しい災厄を自ら招くことは憚られた。とはいえ、テルミがビックリしている様子を見てクルックスもビックリした。


セラフィの日常茶飯事:
カインハーストに名を連ねなければ、生きていられた人間は多い。
しかし、ごく少数。
カインハーストに名を連ねなければ、生きていけない人間もいる。
カインハースト以外では生きていけない生き物。そう考えれば彼らは、ある意味で、か弱い生き物であるかもしれない。
鴉羽の騎士様の教育の基本は、言葉の通じない生き物を躾けると同じだからね。二度とやらなければよい話だから気にしていないよ。でも、僕だから耐えられるのではないかな。僕は恐怖を感じないからね。他の三人ならもっと酷いことになりそうだ。けれど、まあカインハーストに相応しいのは僕だけだから意味のない仮定だろう。鴉羽の騎士様は僕に期待しているからとても厳しいのだ。本当はお優しい方なのだよ。……それを伝える術が、長い夜のせいだろう、すこし歪んでいるだけで……(カインの夜警、セラフィ)
レオー「ただの趣味って言うとマズイ雰囲気だよな。なんか感銘受けちゃってるし」
流血鴉「実益を兼ねているのだが?」
レオー「お願いだから黙ってお前ホント頼むから」


スネイプ先生、ヤーナムに来たる:
病を持ち、正しく、そして幸運な人間を迎え入れる。(月の香りの狩人)
度の過ぎた執着は自他の認識がどうであれ一種の病である。
──何に対する執着か。
狩人達の首を刎ねる理由が、葬送を担う助言者にとってどうでもよかったように。
ヤーナムの地が病み人を迎え入れる理由もまた、何だってよかったのだ。きっと。
それでも学校の賢人は「愛じゃよ」と言うだろうか。



スネイプ先生、致命的見落としをしてしまう:
 フラメルの証言を知っている彼ならば、そして、ヤーナムにおいて公的な官憲が存在しないことを知る機会があったならば、官憲服の男が現れたことで『時間がおかしなことになっている』事実を察することができたかもしれない。もっとも発言の正誤を確かめることはできず、聖マンゴを受診することになったかもしれない。そもそも彼はサムライとバケツに驚いて、それどころではなかったようだ。


それはそれとして、ダンブルドア校長から課された宿題は果たせるかどうか怪しくなってきたことを賢い彼は察知した。

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