地下遺跡の封印を解く儀式の器となるもの。杯の形より、呼称される。
かつて助言者は狩人に告げた。
聖杯は神の墓を暴き、その血は狩人の糧となる。……聖体を拝領するのだ……
今や遺跡にもぐる者は、その目的の限りでは無いようだが。
半年と三日前。
狩人は分裂した。
もし第三者が聞いたら意味が分からないと思うが、狩人も意味が分からなかった。
事の発端は、いつものことであるが狩人の奇行だった。
「やっぱり相棒がいるといいと思うんだよ」
狩人はしみじみ言った。
そばに控える人形が頷いた。
「狩人様の相棒、ですか?」
「ヘンリックさんとガスコイン神父を見てると『相棒がいるといいなぁ』とね。……俺、赤ちゃんだし」
連盟に名を連ねる古狩人のひとり、ヘンリックが異邦の神父と組んでいるという話はヤーナムの市街の狩人にとって、半ば常識とも言える程度に有名な話だった。
かつての夜でその二人を殺してしまったせいで狩人は未だに彼らの顔をロクに見ることができないのだが、とある夜、遠目で見かけた二人の姿には思うところがあった。
狩人は両手に抱えきれる限界の仕掛け武器を持ち、自分の周りに置く作業をしつつ、続けた。
「陽動と攻撃を分担できるってのは、とても効率的だ」
分散と集合を繰り返しては、獣を追い立て、追い詰め、殺していく。
互いに獣の攻撃が集中しないよう絶妙な加減で放たれる銃器の牽制は、一目で熟練の業と窺えた。「それに二人いれば、ツラいことも少ないだろう。言葉を交わせばどんなことでも過去になる。そして、忘れたままにもならない。覚えていることもできる。選択が出来ることは、それしか選べないよりも善いことだと俺は思う」
「どなたかに交渉されたのですか?」
「していない。だいたい独りで戦ってきたせいだが……。相手に迷惑かけるかもと思うと申し訳ないことだろう。俺、赤ちゃんだし」
狩人の言葉は、人形への応えでありながら独り言のようなものだった。求めるものを鮮明に描きながら、けれど具体的に行動を起こそうという気力もなく、空虚で発展性のないものだ。彼にしては珍しく諦めている風でもある。
人形もそれを分かっているのだろう、静かに頷くだけでこの話題について、それ以上の言葉はない。
しかし。
「狩人様、こちらは何を?」
「聖杯の中だけでも『上位者の姿で武器握れたら強くない?』って思いついたんだが、実際できるかどうか試そうかと。相棒がいなくても手数を多くする方法は、今のところこれしか思いつかない。……俺、赤ちゃんだし」
「はい。なるほど」
突飛な思いつきと行動に人形はさして驚くことなく、再び頷く。 狩人の一見で奇行と思える行動に理由を探すことはない。 狩人が、時として奇怪な行動をするのは珍しくない。 むしろ苗床頭ではないだけ、本日の『まとも加減』は高い。
同じ理由で狩人が上位者になってから度々口にする「俺、赤ちゃんだし」という言葉にも反応はない。それについてだけは、ほんのすこし寂しいと思ったり思わなかったりする狩人だったが、今は目先の興味を見つめていた。
狩人はウキウキと胸を弾ませながら──軟体に似た──上位者の姿になった。
常人であれば、地上のどの生物にも当てはまらない名状し難きそれを見た瞬間、宇宙悪夢的恐慌に陥り矮小な脳髄を飛び散らせたことだろう。しかし、ここには血の無き人形しか存在しなかった。
武器を握ろうとした。そして、握れた。
そう。
ここまでは良かったのだ。
仕掛け武器の所以である『仕掛け』を起動させたところで狩人の悲劇は起きた。
回転ノコギリという武器がある。
工房の異端『火薬庫』産の武器の中でも「絶対に獣の肉を削る」という強い意志を感じさせるものだ。狩人の身近なところでは連盟の長、ヴァルトールの得物でもある。この武器には、先端に取りつけた円盤形の鋸を機構の回転で動かすのだが、伴って柄が激しく振動するという特徴があった。
狩人は回転ノコギリを使ったことがあるので無論そのことを知っていたが、見込みが不十分だった。これは上位者のしっとり濡れた手、触手とも言える、それとの相性が非常に悪かったのである。
その結果。
──おおぉぉぉっとおおっ!?
狩人は声なき声を上げた。
つるりと手──と認識している触手──から滑り落ちた回転ノコギリは、土と石と噛み合い不協和音を上げた。音を立てて回転する刃の先には、ちょうど姿勢制御のために踏ん張っている脚──触手とも言える──それがあった。
さして痛みはない。それでも寸断される光景を見ると、躰がどこか痛むような気がした狩人はすぐに武器を手放すと元の通り、人間の姿に戻った。
「狩人様……!」
そして、すぐさま暴れ回っている回転ノコギリに飛びつき、仕掛けを止める。
時間とすれば数秒に満たない出来事だった。人形は、その端正な顔にハッとした驚きの色を淡く浮かべて、狩人のそばへ早足でやってきた。
「お身体は……」
「大丈夫みたいだ。あー、びっくりした。そういえば、俺、あの姿で怪我したことなかったな」
狩人の手足に異常はなかった。感覚もハッキリと明瞭にある。何度か手を握って開き、まだ心配そうな顔をしている人形に向かって、その場でピョンと跳ねて見せた。
「あまりよい試みでは、ありませんでしたね」
「まだ試していないアイディアのなかでも、いいアイディアだと思ったんだがな。ああ、驚かせてすまない」
この事態を事前に予想できるかできないかと問われたらきっと「できる」と答えるしかないだろう。その点、狩人は反省した。
狩人の周囲には散らばった武器と千切れた触手が転がっていた。
武器は片付けるとして、問題は触手だ。
人形と顔を見合わせて困惑する。手で掴める程度の大きな肉塊が四片ある。
「うん。どうしようね、これ」
聖杯の儀式素材になるだろうか。
一片を掴み、にぎにぎと触れた。
美味しそうには見えない。 けれど、バターで炒めれば多少は味わいが感じられるだろうか? たとえば、そう、魚介のような。 このところ人間が行うような食事に縁のなかった狩人は、手にした重みと質感に久方ぶりの食欲を思い出そうと努力した。 そして、その間、たまたま数十秒の時間を経たので。
「籠を持って参ります」
「ああ、頼むよ」
狩人の外套にはさまざまな物が入っている。
輸血液から口にするのも憚られる物まで何でもござれだ。人形が籠への保管を進言しなければ、これらも狩人の衣嚢行きとなっていたかもしれない。
結果として。
そうはならなかったことで事態は急展開を迎えた。
この三日後、ちょうど今から半年前。
日課的に血晶石を求めて聖杯ダンジョンに立ち寄ったものの、その後、妙にハマってしまい聖杯にもぐりっきりであった狩人が、狩人の夢に三日ぶりに戻った。
「ただいま戻った……が……人形ちゃん?」
狩人は人形の姿を探すがパッと見たところ見当たらない。
工房を模した小屋の中だろうか。脚を向ける。
扉を開こうと小屋の前に立つ。ふと人の気配がした。何なら話し声まで聞こえる。
そして、それは人形のものではなかった。
すぐさま銃を抜き、ノコギリ鉈を構える。そして踏み入った。その間、わずか一秒。
銃口の先に人形はいた。しかし、見慣れぬ顔が四つある。
──狩人が相棒を持つべきではないと考える理由のひとつは、人形に話した通りのことがあるが、実はもうひとつあった。
視界で蠢く全てを殺すことで身の安全を確保してきた狩人にとって、自分以外に動くものは、反射的に狩りの対象と見なしてしまうのである。
殺気を迸らせる狩人は、未だ警戒を解けないままだった。見た目が子供だろうが、老人だろうが、犬だろうが、中身は凶暴な獣ということはよくあることで何度それに泣かされてきたか分からない。悲しく優秀な学習の成果であった。
人形は近付くと彼らの盾のように狩人の前に立った。
「おかえりなさいませ、狩人様」
「退いてくれ。殺す。誰だ」
「小さい狩人様です」
人形の言葉に嘘はないのだろう。
だからこそ、狩人はたっぷり困惑した。
しかし、人形も困惑しているようだった。どうして狩人が理解を示さないのか分からない、という顔をしている。
ぎこちない動きで何とか銃を収めた狩人に、人形はもう一度言った。
「小さい狩人様です」
「意味が……分からないが」
絞り出すように言ってみる。脳が震える。啓蒙の高まりを感じるのは気のせいだと思いたい。
人形は、右手で彼らをさした。
「先日の狩人様の欠片が、このような立派なお姿に」
「……?」
いよいよ本格的に混乱してきた狩人は首を傾げる。今は三六〇度くらい首を傾げてみたい。
人形の指し示す先にいるのは、四人の少年少女だった。
狩人はようやく『狩人様の欠片』とは『四片の肉片』のことを指すのだと理解したが、何の解決にもならず、むしろ謎は更に深まった。
「んんんっ!? ちょっと待て!? おかしくない!? 肉片から生き物ができるって、お、おかしくない?」
待て。例はある。
カインハーストに君臨する女王、アンナリーゼは手の平サイズのプヨプヨしたピンク色の肉塊から人の姿に戻った過去があった。
しかし、これとあれは違う。違うだろう。違ってほしい。狩人は思考を否定した。
「狩人様は、上位者でもありますので」
何が起きても不思議ではないでしょう。
そう言いたげな人形の言葉には、頷かざるを得ない。理性では、頷くべきだと思う。
だが、狩人はスッと体を動かして人形の後ろを見る。そして、頷いた。
「で、でも、でもね、俺から女の子ができるのは、やっぱりおかし──」
「狩人様は、上位者でもありますので」
ぐぅの音も出ないとは、このことだった。
人形がまれにみせる強烈な説得力により、狩人は四人を認知することになった。
■ ■ ■
人形が『小さい狩人』と呼ぶ、四人には数ヶ月名前が無かった。
狩人自身、自分の名前がヤーナムの血に溶けて久しく、自称も他称も『狩人』あるいは『連盟の新人』と名乗り、呼ばれ、それでいて特に困りもしていなかったせいだろう。
その必要に駆られたのは、今から数ヶ月前のことだ。
狩人の夢にいてもやることは特になく、何より「狩りを」と彼らが望んだ為、彼らは各々、聖杯に身を投じていた。狩人も止める必要性をあまり感じていないため、流れ作業のように許可を出した。『狩人』が自力で狩りができなければ、犬の餌以下の存在価値になってしまうからだ。
四人には武器の向き不向きこそあれ、ヤーナム初日の自分より狩りの腕は良かった。「狩人様の仔……のようなものだからでしょうか」との推測は人形の談であり、検証しようもないことだが、これにも妙な説得力があり、狩人は頷くしかなかった。
これまで夢に囚われた狩人がそうであったように、彼らもまた聖杯の中で死を繰り返し、着々と経験を積んでいた。
「あの小さい狩人様は……狩人様と似ているように、見えます」
「そうかな。そうかも。そうだね」
先ほど狩人の回転ノコギリを借りに来た小さな背中を思う。
人形の言う小さい狩人様の一人、黒い短髪で銀灰色の瞳をした少年だ。たしかに彼の容貌は──父と称してよいか不思議な関係であるが──狩人と似た色味をしている。もっとも、狩人の瞳はもう少し色味が濃い銀灰色だった。
「狩人様が若い時分は、あのようなお姿であったかと思うと……すこしだけ不思議な気持ちになります」
「……そうか」
あの四人が来てから、人形はすこし楽しそうである。そのことを付き合いの長い狩人は知っていた。
子供の変化は、目まぐるしい。それが血を血で殺す、狩りの成果であってもだ。
彼らに対し未だに距離感が分からないことだけが、この時分の狩人の悩みであった。特に少女のひとりには、どう接たらよいのか分からない。
軽い足音が聞こえた。狩人は、すぐさま書籍を離し、椅子から立ち上がると身を隠せる場所──即ち、人形の背後に避難した。
扉を軽く開け放ち現れたのは、首元できっちり切り揃えられた金色の髪。藍の瞳の少女だ。ヤーナムでは生息しがたい少女が工房に戻ってきた。その少女には朝露──最近、怠けずに訪れる、まさに朝に見かけるそれだ──をまとう若葉のような瑞々しさがある。
「まぁ、お父様。そんなところにお隠れになって」
おかしそうにクスクスと小さく控えめに笑う。
彼女に対して、狩人はお手上げである。
少女という姿が、そもそもいけない。
かつての夜では終ぞ救えず、非業の死を遂げたガスコイン神父の娘を思い出させるし、リボンを欲し、けれど死んでしまった自称彼女の姉のことも思い出してしまう。
少女という存在は、狩人の後悔を形にして見せつけるようなものだった。
対峙する少女は、果たして、便宜上の父に浮かぶ痛みに気付いていそうではあったが、それを斟酌するほど哀れみ深くないようだった。
「今度、お父様も一緒に聖杯に行きましょう? それとも、もう飽きてしまわれたの?」
「そういうワケではないが……」
今でもボーッとしていると死にかける。鐘を鳴らす女と無尽蔵に涌く赤い蜘蛛は、頼むから死んでくれ、と毎日祈っている。
これは上位者と変わっても変わらなかった摂理だ。最高品質の血晶石を狙う夢も諦めていない。目指せ「物理の攻撃力を高める+27.2%」は初心を忘れないようにスローガンとしてこの小屋の壁に打ち付けてある。だが、死ぬのはもちろん痛くて嫌なことである。
「では、ぜひ一緒に。どこだって構いませんからね」
「相棒は、持たない主義なんだ……あー……当分は」
「そう。では、お気が変わりましたらいつでも。お父様」
彼女には何度か誘われているが、狩人からの返答は同じだ。ちくりと罪悪感が胸を刺す。……ひょっとしたら、この罪悪感に耐えきれずにいつか頷くことを期待しているのかもしれない。彼女は、誘う口調こそ強いものの、引き下がり方は妙にあっさりとしている。
「小さい狩人様、お茶を淹れましょうか」
「ありがとう、人形ちゃん! そういえば喉が渇いていました!」
「私は、お世話をするものですから。さ、こちらに」
ふたりは連れ添って工房の奥に行ってしまった。
狩人にとって、これはちょっぴりショックな光景だ。
「人形ちゃん……俺、赤ちゃんなのに……」
幼年期の上位者は拗ねながら、紅茶を飲んだ。
まだ温かいのが幸いだ。冷たかったら泣きそうになっている。でも温さのなかに渋味が出てきた。
このような日常を送っていた狩人は、ある日、気付いた。
(……彼らの身体は、人間にかなり近いのだな)
すこしずつ彼らと言葉を交わすなかで、狩りや生活の常識は知っていることもあれば、まったく欠けたり、部分的に抜けていることもあった。
普通の人間と同じように学び、記憶する必要がある生き物らしい。まるでかつての自分だ。
だからこそ、目が離せず、つい余計な口まで挟みたくなるのかもしれない。
「諸君、ヤーナムで生きてみる気はないか?」
四人が揃った。
ささやかな茶を配し、卓を囲んだ際に狩人は提案した。
彼の憂慮のなかには「このままでは夢と聖杯の往来を繰り返す悲しい生き物ができてしまうな」という素朴な危機感も多分に含まれていた。
けれど。
もしも、彼らが人間であることを選ぶならば、ヤーナムの街で生きるのもいいだろう。
いまや揺籃の街だとしても、そこには人間の営みと文化がある。
狩人には、小さな願いがあった。
幼年期を終えた遙かな未来、ヤーナムの痕跡を誰かが覚えていることは、好ましいことであると信じたかった。ヤーナムにあったものは、ただ罪と呪いだけではない。そこでの営みは、未来に遺す価値があるのだとも思いたい。
そこにいた人々の姿と記憶を覚えておくことは、有意である。──そう断じてしまいたいのだ。
狩人の言葉に、四人は顔を合わせることなく、選択した。
【解説】
思いがけない仔の誕生に驚愕の狩人ですが、人形ちゃんが喜んでいるので「まぁ……いいか……こういうこともあるだろうし……」とスルーすることに決めました。しかし、幼い自分を見ているようで、なけなしの人間性が疼きが止まらない。そのため、面倒を見ることに決めました。「さすが俺」とでも言うべきか。根が良いうえに物分かりの良い仔達なので、手放しで感心しています。
それはそれとして、たとえ自分から枝分かれした存在であれ、小さな女の子は苦手です。ヤーナム市街に暮らしているガスコイン神父の娘さんのことは、とても遠くから遠眼鏡を使って観察しています。──現在のヤーナムでは、成長はしないのだけど。
【あとがき】
ブラボと言ったら聖杯ダンジョンという風潮もゲームやりこみ界隈には、あるそうですね。ブラボに触れたことない方のためにちょっと砕いた言い方をすると『強い装備が獲得できる小ダンジョン』という括りになるでしょうか。やらなくともストーリーには(あまり)関わってきません。そのため、エンディング後でもダンジョンの進行状態が引き継がれます。しかし、周回を繰り返す度に敵は強化されていきます。その時、初めて聖杯に取り組むか……となるワケですね。
ちょっとブラボのことを聞きかじった人ならば「地底人」という名称を聞いたことがあるでしょうか。その名称は、聖杯の場所が地下遺跡であることから、そのように言われるようになった経緯があるようです。地理を考えれば言い得て妙──むしろ「それしかないな!」というネーミングですね。
ちなみに最高品質を狙う場合、確率上、分母が千万、億になる場合があります。ブラボ界隈において「地底人」とは、確率に負けない勇士の意もあるようです。
筆者は、ライトな地底人なので『妙な地形探索隊』を名乗るのがせいぜいですね。ロ、ロマ……? あンの蜘蛛のことは知りません……知りませんったら知りませんよ。な、何のことか……。
さて、プロローグが終了しました。以降は、主に学校(ハリポタ)、休暇中(ヤーナム)として展開していきます。
聖杯ダンジョンは、地底人の巣窟です
狩人なら知っているでしょう、ヤーナムの地下深くに広がる神の墓地
かつてダンジョンを踏破した何名かが、その墓地からある聖杯文字を持ちかえり
そして9kv8xiyiと、「物理の攻撃力を高める+27.2%」物理血晶石の救いが生まれたのです。──貴既狂の地底人