甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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記憶
過去の経験や覚えた事柄を忘れず、心に留めておくことだ。
こと月の狩人の仔らなかでもネフライトが見せる記憶力は凄まじい。
異常に恵まれた出自であるが、ただ特性だけで学び続けられるほど知の探求は甘くない。生きる限り、研鑽は続く。その軌跡が他者に見えないのは、彼が見せることを望まなかっただけなのだ。



2年生
出立と汽車


 九月一日。

 二〇〇年以上の期間において、ありふれた一日に過ぎない日は、月の香りの狩人の仔らのおかげでヤーナムにおいても特別な日になりつつある。

 朝も早くに召集され、持ち物チェックを無事クリアした四人はビルゲンワースの教室に座っていた。

 

 教壇に立つのは父たる狩人、月の香りの狩人だ。

 

「諸君、昨日まで学用品・教科書等の買い出しご苦労。数日前、私が眠る日に少々のトラブルが発生したが、大勢に影響はない。つまり、君たちに後顧の憂いはないということだ。安心して学んでくるといい」

 

 発言を終了しようとした狩人だったが、ユリエが口を挟んだ。

 

「狩人君、もうちょっと言うことがあるでしょう?」

 

「ンンっ。……大切なことを言い忘れていた。とても大切なことだ。俺は常々、考えていることがあるのだ。例えば、君たちが慕う『お父様』という役割についてだ。この呼び名はユリエやコッペリアが勧めたものだ。特に問題がないものとして今日まで使っていたワケだが……そもそも俺が『お父様』なのか、俺自身が自覚できていないことが実は大きな問題だった」

 

「…………」

 

 誰も呼吸をしていないのではないか。

 凍り付いた空気を変えるように狩人は手を振った。

 

「生産者という意味では、間違いなく俺である。これは間違いない。ただ……ハッキリ言おうか。『お父様』と呼ばれるのは、とても、その、こそばゆい。──どのように振る舞うべきか? それが問題だった。助言者としてあるべきか? 良き隣人としてあるべきか? あるいはヤーナムに棲まう上位者らしく在るべきか? 結論を先延ばしにするのは俺の悪い癖だ。そのくせ忘れそうになるのだから、本当に悪い癖だと思っている。結論は出ていないが、行動の指針を定め、覚悟を決めた」

 

 四人が食い入るように狩人を見つめた。

 

「今後も『お父様』は継続とする。そして、俺も皆の望む限り『お父様』として振る舞おう」

 

 だからこそ。

 言葉を一旦区切った狩人は、両手を広げた。

 

「君たちの存在に感謝をしている。多くの親が子に言うことを、俺も告げよう。ありがとう。最近、地上がとても充実していると感じている。百年ほど地底にばかりこもりきりだったことを反省もした。──さて。ユリエ、例のあれを」

 

 ユリエが小さな木の箱を持ってきた。

 狩人が木箱のなかに収められていた小瓶を四人に渡した。

 

「先日、スネイプ先生が来た時に緊急召集した分の手間賃だ。これは、俺の『特別な輸血液』だ」

 

「えっ!?」

 

 思わず声を重ねたのはネフライトとテルミだった。

 なぜ驚くのか分からないクルックスとセラフィだけが固辞した。

 

「ヤーナムの非常事態で我々が動くのは当然のことです。手間賃は……」

 

「僕など市街捜索は空振りだったのだから当然受け取れません……」

 

 狩人は手を叩いた。

 

「そう言うと思った。実は、誕生日のプレゼントでもある。ヤーナムらしい贈り物を真剣に考えたところ、やっぱり輸血液だろうと思いついた。──というわけで遠慮せず拝領したまえ。なあに、水銀弾五発程度分の小瓶だ」

 

「お父様の血でしょう? わー! おもしろーい! お守りにしましょうね。ところでこれ、血晶石にならないかしら」

 

「いや、これ消費アイテムだから。──はっ、俺はいったい何を」

 

「これをメンシス学派に持ち込んで……! いやいや、ダメだ。学派は学派の思想で辿り着かなければ……うぅ……」

 

「そういうブレイクスルーを進んで起こさないネフを俺は信用しているぞ。──というワケで諸君」

 

 狩人が咳払いをした。

 

「君たちの成す何もかもが、眩しく良い試みに思える。連鎖して起こる試みも俺は歓迎しよう」

 

 狩人は笑う。その瞳は、どこか遠くに焦点があった。

 

「ヤーナムの最も新しき夜明けを共に見よう。狩人に寄り添う助言者として、何より父として、成長を楽しみにしている。──狩りを尊び、慈悲を忘れることなかれ。諸君に青ざめた加護あらんことを」

 

 四人が立ち上がり、所属に拠る思い思いの礼をした。

 ほんの一瞬、遅れて礼をしたのはネフライトだけだった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ネフライト・メンシス。

 ヤーナム、隠し街ヤハグルにて彼は教会を歩いていた。

 メンシス学派の古狩人、ダミアーンから預かっていた『実験日誌』と依頼されていた本を届けるためだ。

 それから彼に暇を告げて、イギリスのロンドンにあるキングスクロス駅へ夢を通って行く予定である。

 

「…………」

 

 彼の頭の中は言葉と音に満たされ、眠りのなかでさえ絶えることがない。

 もし、絶えるとすればそれは彼が夢から醒め、生命が終わる時だろう。

 今日は、父たる狩人の言葉が何度も繰り返し巡っていた。

 

(……夜明け、と言ったが、お父様は本当に目指しているのだろうか?)

 

 ネフライトにとって、彼の言葉はどこまで本気なのか分からない。

 ──もしも、必死に夜明けを目指しているのであれば二〇〇年以上の空白は何だと言うのか。

 彼と学徒の成果をネフライトは見たことがなかった。仔らには全てが秘匿されているのだ。それも疑いを助長させた。

 

(最も新しき夜明けとは……そうだ、お父様の夜明けとは何を指すのだろう? それは私達とどう異なっているのだろう? 定義が違う? ならば、求める結論が違うのかもしれない……)

 

 教会の鐘が鳴った。

 午前九時。

 必須の拝礼ではない。

 半端に開きっぱなしになっている扉を通り過ぎようとして、足を止める。

 礼拝堂には祈り続ける人影があった。

 

 その背は、見慣れたものでありネフライトが、メンシス学派を心を寄せる理由の一つでもあった。

 

 メンシス学派の主宰ミコラーシュ。

 彼はいつも真剣に祈っている。それは、初めて神の名を知った信徒がそうするように。

 何かに祈りを捧げる顔だけが彼の真実だとネフライトは信じている。彼は学徒の間で語られる──既存概念の破壊者でも、悪夢を語る狂人でも、生者をバラす医療者でもない。

 他人の情熱をネフライトは理解しない。

 だが、もし、この信徒が報われないのなら、彼の神など存在する価値がない。

 

 祈りの時間は終わったようだ。

 聖堂街の鐘が遠くで響いていた。

 ミコラーシュは跪いていた床から立ち上がった。

 そして、聖堂の出口にたたずむネフライトを見つけた。

 

「おや。君はダミアーンの……」

 

 名前を探すように彼は視線をさまよわせた。結局、言葉は見つからなかったようだ。

 無理もない。

 ヤーナムを揺籃とする上位者の眠りは、ヤーナム自体を一新させる。

 たとえ訪れたのが死であっても『なかった』ことになる。──悪い夢を見ていたかのように。

 

 ミコラーシュもまた夢を認識しない多くの人々と同じように、異物である月の香りの狩人や仔らのことは、ぼんやりとした記憶でしか残らない。ネフライトの存在は『ダミアーンの何か』という程度にしか認識できていないのだ。

 

「私は、メンシス学派の使用人です。ネフとお呼びください。ダミアーンさんから主宰へお届け物にあがりました。そして、主宰からぜひダミアーンさんへお渡ししていただきたい物があります」

 

 本と実験日誌を差し出す。

 

「ああ、この本、ずっと前に無くしてね。さすがダミアーン、気が利く。これは、実験日誌? 預かるが、君から渡してもいいのではないかね?」

 

「私はこれから別の用事をおおせつかってしまいまして。主宰、ミコラーシュ主宰」

 

 ミコラーシュの陰りのある黒い瞳が、本から移り、ネフライトを見た。

 

「貴方の見る夜明けが、私の夜明けでもあります。……いずれ戻ります」

 

「ああ、君も励みたまえ」

 

 日誌帳でネフライトの肩を軽く叩く。

 ミコラーシュは本を開いて礼拝堂を去った。

 

「……ダミアーンさんの苦労が忍ばれる」

 

 ネフライトは、メンシス学派の孤独な古狩人を思った。

 

(メンシス学派、我らの夜明けは遠い)

 

 やがて、狩人の確かな徴を使い、夢のごとく姿は消えた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 寒風吹き荒ぶカインハーストにて。

 敷地にある小さな工房には出立の準備を整え、都会の狩人服に身を包んだセラフィが立っていた。

 

「それでは、鴉羽の騎士様、レオー様。僕は行く」

 

「あぁ、うん……」

 

 セラフィは、レオーを見つめていた。

 その彼は、部屋の隅に置かれたベッドを占領している鴉を見ていた。

 ここ数日、鴉が不機嫌な理由はセラフィをカインハーストの外に出したくないという、極めて個人的なワガママである。だが、ワガママを唱えているのがカインハーストきっての騎士であるから、取り扱いは火薬より丁重にしなければならなかった。

 いつもならば一にも二にもなく反応するセラフィの声がけにも、今は無反応を貫いている。起きているだろうに、寝たふりを続けているので今日はもう起き上がってこないだろうと思えた。レオーは自分の寝床が勝手に占領された挙げ句、しばらく使えないことが確定したので実に面白くない。

 さて。

 寝るときも連装銃と千景を手放さない鴉の育ちが察せられる光景であったが、今日のセラフィの関心は別のところにあった。

 

「むっ……!」

 

 セラフィは床に落ちていた鴉羽を持ち上げた。

 鴉がまとう外套から落ちた一枚だった。

 珍しくキラキラした目でそれを見つめていたセラフィは、髪を結う革紐に結びつけた。

 

「……似合うだろうか?」

 

「お前は素っ裸だって綺麗だよ」

 

「……レオー様、あまり騎士らしくない発言に思える。訂正を」

 

「褪せた銀の髪に濡れた黒がよく似合ってる。綺麗だよ」

 

「ありがとう。これは鴉羽の騎士様からの誕生日プレゼントということにしよう」

 

「待って。おいおいおい、鴉、起きろ起きろ! お前からの誕生日プレゼントはその辺の落とし物になったぞ! それでいいのか、お前」

 

 鴉は、無反応だった。

 

「いいそうだ。……レオー様、ちょっと立って」

 

「ったく、いい大人がヘソ曲げてんじゃないよ。ええと、うん? ああ、こう?」

 

 よれよれのシャツをズボンに入れた程度のラフな格好のレオーをセラフィはつま先から頭のてっぺんまで見た。

 そして。

 

「抱きしめていただけますか? クルックスが学徒達にされていたのを見かけて、僕も……やって、みたい……ような……」

 

 セラフィは、もごもごと口を動かした。

 照れたのは彼女だけではない。

 

「え。俺? そういうのは若い男がいいだろ。か、鴉! おい、鴉、起きろ起きて! 後悔するぞ! この先、役得の時間だぞ!」

 

 鴉は、ピクリと動いたが不貞寝を続けた。

 レオーは、両手を上げたり下げたり忙しくしながら触れてもいいものか迷っているようだった。

 

「鴉羽の騎士様は、あのとおりなのだ。でも、もし僕が帰ってきたとき、抱きしめてくれたら……嬉しい、ような……」

 

「それは……そう、そうだな」

 

 レオーが覚悟を決めたように両手を広げた。

 そっと身を寄せたセラフィは、レオーの背に腕を回した。

 

「むむ……こう? こうしていたような……?」

 

 セラフィは、もぞもぞとした動きを止めた。

 レオーが抱きしめ返したからだ。

 

「形なんてどうでもいいのさ。体を大事にな。セラフィ……カインハーストの名誉あらんことを」

 

「はい。鴉羽の騎士様もレオー様も、血の女王の加護あらんことを。我が身は遠い地にあるが、お二人と共に夜明けを見たい」

 

 レオーの腕の中でセラフィの姿は、夢のように消えた。

 温もりを追いかけて手を握っては開く。

 そのうち彼は、元通り作業用の丸椅子に座った。

 

「はぁ。不覚にも感動してしまった」

 

「私は不愉快なのだが?」

 

 見れば、ベッドから身を起こした鴉が頬杖をついて連装銃をチラつかせていた。

 形相といい、やっていることがチンピラのそれである。

 セラフィの前では騎士らしく振る舞おうと努力している節があるが、いなくなった途端にこれである。レオーは内心「やだコイツ」と思っていた。

 

「勝手にへそ曲げたヤツが、なーに言ってやがるんだか。……セラフィって柔らかいだろ。……いや、変な意味じゃなくて、普通に年頃の娘なんだなぁと……思ってだな……。自分で気持ち悪いことを言っているのは、ああ、分かっているんだが……」

 

「貴様の顔と頭が残念なのは、今に始まったことではあるまい」

 

「お前に残念呼ばわりされるとは屈辱って思うんだけどなあ。他はダメダメ。顔は良い。だから許しちゃうんだよ。俺だから許せるんだからな? そのあたり分かってる? だが、鴉。分かるだろう。あの子、成長しているんだ。歳も取らず、死んでも死にきれなくなった俺達とは違って……成長しているんだよ」

 

 精神的に歳を取ったせいだろうか。このところ失ったものばかりが眩しいと感じる。

 

 セラフィは可能性の塊だ。

 

 カインハーストでの生き方しか選べないレオーや鴉と違い、彼女はどこにでも行ける。何にだってなれる。

 可能性は未来を感じさせ、レオーに仄暗い幸福をもたらした。セラフィの人生を、最早どうにもならない自分に浪費させるのは貴人に連なる者らしく、最高の娯楽なのだ。

 だが、不意に亡くした面影と重なり、不毛を悟る。それは苦痛だった。

 鴉には、そんな感情が無いのだろうか。返ってきた言葉は冷たいものだった。

 

「当然だ。女王のために狩人が献上したモノだ。──得体の知れぬ人らしきモノ。本人は人間だと思っているらしいが」

 

「あれだけ慕われてるのにツレないのなぁ、お前。ビックリするよ。まあ、だからこそ愛せるワケだが」

 

「何であれ私のものだ」

 

「──許されざる本音が聞こえたぞ、おい」

 

 この鴉という青年。

 実は、他人のものを取り上げることを生き甲斐としている破綻者である。しかもこの種の『難』は性格だけにとどまらない。血筋に由来する衝動性があり、カインハーストの外ではまともな社会生活を営めず、きっと三日と生きていけないだろう。──この対人関係の構築力のなさこそ、いまだにレオーが騎士を引退できない理由だ。ただし、体格も戦闘も言うことなしの優れた狩人だ。実力だけならば、ヤーナム末期のカインハーストが産み出した傑作なのだが。

 

「どうしてこう口を開くと残念なんだ? 今からでも遅くないから努力の配分をもうちょっと人間関係に割り振って欲しいんだが。なぁ、やればできる子なんだからさ。ビルゲンワース学徒達や狩人とだけでもまともな会話ができるなら俺も安心できるんだけど」

 

「不要だ。レオーがいるのになぜ私がやらねばならんのだ?」

 

「仕事なら俺がやる。これは当然さね。でも今は人間として最低限必要とされる能力のことをお話しているわけなんだが、そのあたりはお分かり?」

 

「不要だ。必要ない」

 

「要るって話をしてるだろ!」

 

 返ってきたのは、いつものごとく断りの言葉だ。

 そのうち鴉は白銀の長い髪を掻き上げ、ベッドから降りた。薄銀の脚甲を身につける。そして鴉羽の外套を着込み兜を小脇に抱えた。

 

「行くぞ。刀を持て」

 

「え。なに。急に果たし合いとかやめようぜ。外寒いし、観客もいないし。な? 暴れたいなら、ほら、地下聖杯を用意してやる。血族なら出るまで回せ、納税と同じくらい義務だぞ」

 

「セラフィが旅立った。女王へ奏上を。そのためには我らが仇、処刑隊のローゲリウスを殺さねばなるまい」

 

 処刑隊の長、ローゲリウス。

 彼は、どういう経緯か知らないが──レオーと鴉は『惚れたから』だと思っている──女王のおわす屋上の玉座の前にいるのである。何人も穢れた秘密に触れぬようにと女王の番犬よろしく近付く者を殺しているのだ。

 

 純粋な血族たるレオーと鴉にとっては、女王に謁見する前の邪魔者でしかない。

 

 そのため、月の香りの狩人が世界を塗り替える度、つまりは一年に一度、討伐しているのだが、今年はセラフィがいる。彼女が可愛いのでレオーはすっかり忘れていた。意図的に忘れていたくもあった。レオーは、鴉が悪夢より這い出る数年間、ローゲリウスに挑み破れ続けていた。独りで殺しきったことがない。彼のことはできる限り忘れていたいのだ。……その先にいらっしゃる我らが女王は、死なないので多少退屈が極まったところで大丈夫だろう。

 

「──なあ、来年からセラフィが行く前にやろうぜ、この仕事。毎年思うんだけど屋根の上での戦闘は、やっぱおかしいって」

 

 滑って死にかけたのも二度や三度ではない。

 一応、提案するものの受け入れられないことは明らかだ。

 なんせ、この男。八つ当たりのためだけに今日までローゲリウスを生かしていたのだから。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 クルックス・ハントは、晴れ晴れとした気分だった。

 思わず微笑んでしまうのは、父たる狩人に認められたからだ。

 

 狩人を「お父様」と呼ぶと反応が鈍いのは慣れている。ただ、ほんのすこし悲しいことだった。

 しかし、今後はそんなことを考えなくともよいらしい。

 ユリエは「立派になって……!」と声を潤ませていた。コッペリアだけは「えーっ、僕がお父様の座を狙ってたのになぁ!」と不満の声を漏らしたが、彼には自称兄の座があるのでそれで我慢してほしい。──ともかく、学徒達にも狩人の変化は概ね歓迎して受け入れられた。「俺は万年成長期だからな」とは狩人の独り言だが、事実だったようだ。

 

 ロンドン、キングスクロス駅にて。

 プラットホームを歩きながら、クルックスは隣を歩くテルミに話しかけた。

 

「俺は気分が良い。母なる回転ノコギリを進呈しよう。どうか?」

 

 もちろん、魔法族の前で仕掛け武器をひけらかす真似はしていない。彼の手には鎚ではなく、真新しい鞄が握られていた。

 テルミはいつもの薄い笑みを浮かべていた。

 

「火薬庫くさい武器はやめてくださる? わたし、そんな物を持つくらいなら、両手でガラシャを持つわ」

 

「そ、そんなに嫌なのか? まぁ、冗談だ。笑ってくれ」

 

「アハッ。──ところでネフとセラフィがいないのね。ご存じ?」

 

「学派とカインの先達に顔を出してから行くと聞いている。だから列車にも乗らないのではないか? ホグワーツのホームにも灯があるところだ」

 

「ふぅん。いいですけれど。クルックスはどうするの?」

 

「汽車で行くからここにいるワケだが……」

 

 ホームはすでにトランクを持った生徒や保護者で溢れかえっていた。

 もみくちゃにされない、離れた場所でふたりは立ち止まった。

 

「お父様から依頼されていたことがあるでしょう?」

 

「郵送先を誰かの家に頼むという件だな。もちろん覚えている。誓約書も持っているぞ」

 

 古びた封筒──ヤーナムの物はたいていアンティークの趣がある──を衣嚢から引っ張り出したクルックスは、それをテルミに見せた。

 

「どなたに頼むつもり? ……わたし、非魔法族出身者の家は避けたほうがいいと思うの」

 

「ハーマイオニー・グレンジャーに頼もうと思っていたが、都合が悪いのか?」

 

「この前、ヤーナムに訪れたスネイプ先生のことを聞いて思ったの。ヤーナムは魔法族より非魔法族に親しみがあるのではないかな、と」

 

 それはつまり、どういうことだ。

 すっかり顔に出てしまっていたらしく、テルミはすぐに答えてくれた。

 

「だからね。魔法族はあまりにもヤーナムのことを『知らなすぎる』の。これはネフだって気付いていると思うけれど」

 

「……魔法使いはいないようだからな、ヤーナム」

 

 それは交流がほとんどなかったことを意味する。

 だから書影にも残らなかったのだろう。

 テルミはクルックスが終わらせた思考の先の『だからこそ』を考えているようだった。

 

「非魔法族の方が、ヤーナムに詳しいの可能性があるの。もちろん、ハーマイオニーが知っているとは思わないけれど。……ねぇ」

 

「何だ?」

 

「今さらですけど、ヤーナムのこと、あまり話してはいけないのよ?」

 

 とても心配な顔をされてしまい、クルックスは「うっ」と声を詰まらせた。

 

「そんなに話していない。話していないぞ。……たぶん」

 

「貴公、常識を話しているつもりでヤーナムのことを話してしまうから心配なの。──わたし達の文化が虫だらけと誤解されるのは嫌よ」

 

「虫のことは話していない。話していない……たぶん。俺はヤーナムが特別に淀んでいると認めたくないのだからな」

 

 ──いやまて、本当に話していないよな?

 自分の記憶を疑ってしまったが、やがて手紙のことを思い出した。

 

「分かった。分かった。ではウィーズリーに頼む」

 

「……うーん、彼、大丈夫?」

 

「誓約書には代金の話も書いていると聞く。渋ったら俺から多少金を積んでもいい。ひとまず一年、試してみてもよいだろう」

 

「その程度が妥協点かもしれないわ。それでは、よろしく頼みますね?」

 

「了解だ。──月の香りの加護の下、祝福あらんことを」

 

「貴公にも加護を。今年は、大人しくしていましょうね?」

 

「俺に言うべきことはあるまい。問題はいつもハリー・ポッターだ」

 

 二人は、短く抱擁を交わして別れた。

 汽車に乗る。

 しばらくして。

 非魔法族の世界からの通い路である9と4分の3番線へ至る道が閉ざされたのは、彼らには全く関係のないことだった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは悩んでいた。

 どのコンパートメントを覗いてもハリー・ポッターとロン・ウィーズリーがいないのだ。

 つい先日、ダイアゴン横町で一緒に買い物をした仲だ。まさか突然いなくなるとは思えない。何か事故に遭ったのだろうか。そう思って見るコンパートメントにはロンの兄たちである双子やグリフィンドール監督生のパーシーがいるのだから、おかしな事態だ。

 

「やっぱりいないわ。……どうしたのかしら」

 

 車両を一巡りすると荷物を置いているコンパートメントに戻って来た。

 中では眠そうなクルックス・ハントと顔見知りになったジニー・ウィーズリー──ロンの妹だ──がいた。

 

「すこしくらい遅れても大丈夫だろう。ハリー・ポッターだぞ」

 

「……どういう意味?」

 

 ジニーが恐る恐るクルックスに尋ねた。

 彼女にとって、クルックスは恐ろしく映るらしい。

 彼の第一印象が良くないのはハーマイオニーも擁護できない。……あまり変化しない表情に暗い瞳。ぶっきらぼうな物言いは、簡潔にして明瞭と言い換えることができたが、冷たい物言いにも聞こえる。ジニーに対し「話せば意外と悪い人じゃないのよ」と言ったのが数十分前。彼は「意外と?」と聞き咎めたが、自分の愛想のなさに心当たりがあるのか何も言わなかった。実は気にしていたのかもしれない。

 そして、今。

 彼は眠たげに目を閉じた。

 

「丁重な扱いをされているだろうと思ったまでのことだ。駅には、隠れたつもりらしい魔法省の役人らが張っている。何かあれば助けるだろう」

 

「そうだけど。だって、あたしのすぐ後ろにいたのよ」

 

「前だろうと後ろだろうと間が悪ければ事故は起こりうる。今、ここにいないということはそういうことだろう。今さら騒いでも仕方ない。役人と先生方の仕事だ」

 

「冷たいのね。もうすこし心配してもいいのに」

 

「ぐぅ」

 

 クルックスは、少女の精神構造が分からないようだ。低く唸ったきり、眠れずにいる。

 ジニーはそんな彼を今にも「とんでもない人なのね」と言い出しそうなほど見つめていた。

 コンパートメントが開いた。

 丸い魔女のおばさんが食べ物を積んだカートを押してきたのかと期待したが、思いがけない人物が立っていた。 

 

「──私はネフライト・メンシス。ハーマイオニー・グレンジャー。君と会話をしたい」

 

 たった数秒で名乗りと用件を伝え終わったネフライト・メンシスは、クルックスの隣の空いている席に座った。

 彼を知っているハーマイオニーは名乗り以外の用件が辛うじて聞き取れたが、ジニーには彼の被る六角形の檻に目が奪われて、何の情報も聞き取れなかったに違いない。ポカンと口を開けていた。

 

「ネフ。……何だ、乗っていたのか」

 

「朝食を摂っていなかったからな」

 

 ネフライトはクルックスにビスケットを渡した。

 そして。

 

「課題だ。査読の時間を確保したまえ。締め切りは三日後だ」

 

「お、ぉ……早いな……。頑張るが……うん」

 

 ドサッと束になった羊皮紙を渡されてクルックスが顔を顰めた。

 ネフライトが対峙するハーマイオニーを向いた。

 

 彼と目を合わせて話すのは、初めてのことだ。

 ハリーと同じ緑色の瞳だというのに宿る光は凍てついた氷のように冷ややかだった。

 

「私のことはクルックスから聞いているだろうか?」

 

「え、ええ、親戚だと」

 

 彼はチラリとクルックスを見た。クルックスは『無罪だ』と訴えてビスケットを頬張ったまま首を横に振った。

 

「さて。ひょっとしてご存じかもしれないが、私は学年で最も成績が良かった」

 

 ネフライト・メンシスとは、昨年ほぼ全ての科目で最高点を叩きだし、堂々の学年トップに輝いた秀才である。

 だが、檻を被る姿とほとんどの学生からの交流を絶っており、独りでの奇行が目立つので変人扱いされている。──これが多くの学生に共有されているネフライトの情報である。

 

 その裏の顔をハーマイオニーは知っている。

 クルックスと同じヤーナムの出身で賢者の石の騒動においてはスリザリンのセラフィ・ナイトと共に四階の廊下を見張っていた。目聡く、腕の立つ人物なのだ。

 

「ええ、そうみたいね」

 

 声は自然と素っ気なくなった。

 ハーマイオニーは、トップを取るために勉強を続けていたワケではない。──けれど、ひょっとしたらこの科目は一番かもしれない。そう思う瞬間は何度もあった。だが、試験結果を開いてみたら、どの科目も二番かそれ以下だった。

 

「次の成績優秀者は、きっと貴公なのだろう。だから話しに来た。三年次の選択科目のことだ」

 

「選ぶのは復活祭の休暇だって聞いているわ」

 

「私は何の教科を選ぶのかを聞きに来たのではない。──いくつ選ぶのかを聞きたいのだ」

 

「今年の成績次第だけど……マクゴナガル先生に全科目履修したいと相談してみるつもり。留年しても学ぶ価値があると思うわ」

 

「そうか。私も同じような考えだ。では、頑張ってくれたまえ。優秀な者がいるというのは魔法界にとって良いことだ。私としても心慰められる。──クルックス、夕食会がある。あまり食べ過ぎないことだ」

 

 ネフライトは心にも思っていなさそうなことを言い残し、コンパートメントを去って行った。

 

「あの人、なに? ……なに?」

 

 ジニーは、緊張から解き放たれた。

 コンパートメントを開けて彼の後ろ姿を見ている。その後、彼が瞬きの間に消えてしまったことも大きな疑問になった。

 

「俺の親戚だ。ネフライト・メンシス。ネフと呼ぶといい。……会話になると思わないが」

 

「あ、頭の檻はなに?」

 

「帽子のようなものだ。気にするな。授業や食事では被っていない。代わりに眼鏡をかけているな」

 

「ぼ、ぼうし……? 眼鏡……? なんだか、偉そうな感じ……」

 

「偉そうではない。偉いのだ。賢いから。彼の言葉は傾聴に値する。俺にとっては常にな」

 

 ジニーの疑問に答え続けていたクルックスが、陰りのあるハーマイオニーの表情に気付いた。

 

「ハーマイオニー、彼に負けるのは全く恥ではないぞ」

 

「別に。悔しいなんて思ってないわ。競っていたワケではないから」

 

 クルックスが、拙い言葉で励まそうとしてくれていることをハーマイオニーは理解していた。

 しかし。

 

「彼は元々頭が良い。頭の作りが違うというべきか。出来が違うのだ」

 

 簡潔にして明瞭に伝えられた内容は、ハーマイオニーの頭にガツンとぶつかった。

 そのあとにクルックスが付け足した「俺とは」という言葉を永遠に聞き逃したのでハーマイオニーは、さらに落ち込んだ。




出発式:
 狩人からの挨拶で特別なアイテムが配布されました。内容物は赤です。青ではありません。不思議だね。


あとがき:
 現在パソコンを使える環境にないので、あとがきも短くなりがちです。

 ご感想お待ちしております!(ジェスチャー 更新)

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