月の香りの狩人の仔が四人映っている写真。
それぞれの所属を表わす装束をまとっている。
未来で道が違えようと夢のような日々だけは手に留めようとしたのだろう。
瞬間を切り取ったとして、時が止まるハズもないのだけど。
週末になった。
クルックスは、夜型の生活リズムが抜けず、浅い眠りから起き出してきた。
外では朝を告げる鳥がギャアギャアとやかましい。夢で太った烏が出てきたのは、きっとこの鳥たちのせいだろう。
カーテンを開けると外はぼんやりとした朝焼けの様子だった。地平線が赤に照らされている。だが、空はまだ夜の気配があった。頭上の空の色は青紫だ。
顔を洗って狩人服を着込んでいると螺旋階段を昇ってくる足音が聞こえた。
現れたのはオリバー・ウッド──グリフィンドールのクィディッチのキャプテンである。
「おぉ、早いな!」
「早朝に用事がありまして。……オリバーさんは、まさか、練習?」
「そうだ! だからこそ、起きろハリー! ハリー・アップ! 練習だ! 行くぞぉおお!」
ウッドは、枕に顔を埋めるハリーを叩きのめす勢いで肩を揺すっている。
他の学生は、もちろん眠っていた。
クルックスはクィディッチのことを詳しく知らないが、魔法界が目の色を変えて楽しむ遊戯だとは知っている。ウッドの目には、なるほど、尋常ならざる熱量の輝きがあった。こうなっては最早誰も止めることは出来ないだろう。
クルックスは欠伸をひとつして螺旋階段を降りた。
グリフィンドールの塔を出て歩いていると背後から足音が聞こえた。コリン・クリービーだ。
「ハントさんっ、ハントさんっ」
「おはよう。ちゃんと起きて来たのだな。結構なことだ」
コリンはクルックスの着る狩人の装束を見て、驚いた顔をした。
けれど、好奇心を上回る重要な用事があったようだ。
「おはようございます! さっき、そこでハリー・ポッターに会ったんです! クィディッチ? 練習だとか! あなたの写真を撮ってから、練習を見に行っても間に合うかな!?」
「練習は朝食の時間まで終わらないから大丈夫だ。あの様子では午前中いっぱいかかるかもしれない。……こちらの用事は、寝坊がいなければ数分で済むだろう。行こう。湖畔だ」
「はい! ねえ、その服って何ですか?」
「仕事服だ」
「仕事って何のお仕事なんですか? 学生なのに仕事しているんですか? ここでもお仕事で来たんですか?」
クルックスは一度に質問を投げかけられて「むっ」と唸った。
ハリーが彼を煙たがる理由がよく分かった。
しかも。
「……?」
キラキラした目で見つめられると無下にも出来ない。
「今は、ただの学生だ。夏休みの間、仕事をしている。これは伝統的な作業着だ。魔法界には、いろいろとあるんだ。おいおい学んでいけばいいさ」
実のところ、学んでもヤーナムの『ヤ』の字も分からないだろうが、分からないということは分かるハズだ。つまり哲学だ。
質問を避けて道案内を始めたが、すぐに湖畔が見えてきてしまった。校舎を離れて歩き出した。
「そうだ。──どうして写真を撮りたいんですか?」
湖畔の水辺には、すでにテルミの姿があった。
大樹に寄りかかっているのはセラフィだろう。
「む。……記録だよ、記録」
今回の催しは。
クルックスが、ただ四人の映った写真がほしいと思ったことから始まった。
だから理由を問われたときには「写真がほしい」と言えば良かったのだが、なぜか口にするのは憚られた。恥ずかしいとも違う。もやもやとしてすぐに言葉に変換できない感情だった。
「記録って何の記録ですか? 背丈?」
「……。ああ、それだ」
しっくりこないが悪い回答ではないと思い、頷いた。
テルミがこちらに気付いて白い手袋に包まれた手を振る。白銀の聖布が風に翻った。
セラフィはすでに察していたようだ。トリコーンの先を指先で弾いた。一瞬、琥珀色の瞳がこちらを確認した。
「どっちが彼女ですか?」
「ああ、そうだな。いや、違うぞ」
頭の働かない返事をしかけたところ、とんでもない回答をしてしまうところだった。「彼らは親戚で」と言いかけたところ、すっかり離れた校舎から声が聞こえた。最後にやって来たのは──それでも予定時間より早いが──ネフライトだった。
「あ、四人ですもんね。本命が──来たっ!」
素早くカメラを構えた先には、メンシスの檻を被ったネフライトがいた。
突如、瞬いたフラッシュに彼は驚いてその場で小さく飛び跳ねた。
「な、何の話だッ!?」
「俺にも分からない」
クルックスは「驚かせてすまない」と一言謝った。
四人が揃ったところでクルックスは、ぐるりと三人の顔を見た。
「さて、諸賢。まずは、おはよう」
口々に挨拶が返ってきた。
正装で来るように指示を出したので、セラフィはヤーナムの狩人服を、テルミは教会の黒服を、ネフライトは学徒の正装に身を包んでいた。
徐々に青を失い、白くなる空にヤーナムの服は恐ろしく不似合いだった。夜に馴染んでしまったせいだろう。
「急な呼び出しであったが、定刻前にそろってくれて嬉しい。今日の用事だが、写真を撮る」
「質問」
「何か。セラフィ」
彼女は、挙手した指先をすりあわせた。
「『なぜ』と聞いてもよいかな? ああ、写真を撮ることに異存があるワケではないけれど……」
セラフィは顔色を変えることはなかった。
けれど、彼女が自分の顔の造形に関して悩みを抱えていることをクルックスは知っている。セラフィは、自分の姿が映る鏡も嫌いなのだ。
「……俺は、記録をしたいのだ。できれば、これから毎年撮りたい」
「何のためかしら?」
テルミから質問が出た。
「成長記録」
「ふぅーん」
テルミの蒼い瞳が朝日の湖畔を映すように光った。
「結構。良いことよね。ネフもよろしくて?」
「……私は最初から異存がないから来たのだがね。用件は知らされていたのだから」
ネフライトは「さっさと撮れ」とばかりに急かした。
その様子を見て観念したようにセラフィが肩を落とす。
テルミが、その姿を横目で見ていた。
「皆が良いなら僕だっていいよ。……僕は堪え性がないからね。じっとしているのは、嫌いなんだよ。早く済ませてくれ」
クルックスの予想に反し、撮影には二十分程度かかった。
意外──などと言ったら失礼であるが──コリンは、凝り性だったようだ。
「ナイトさん、メンシスさんが端で。テルミさんとハントさんが並んで……はい、ストップ。そのまま。そのままですよ。そこ、もぞもぞ動かないで。メンシスさん、もうすこし顎引いて!」
「クルックス……」
歯を食いしばった隙間からネフライトが恨みがましく名前を呼んだ。
メンシスの檻は、六角形の鉄製の檻だ。重量もそれなりになる。そのため顎を引いた結果。首に掛かる負荷も、お察しである。
「あら? ひょっとしてわたしとネフなら聖歌隊とメンシス学派のツーショットが撮れてしまうのかしら?」
図らずも隣り合わせになったテルミが、ちらっとネフライトを見た。
クスクス笑いをこぼしたのでコリンが甲高い声でテルミを制した。
そろそろ腹話術の域に到達しそうなネフライトが答えた。
「……ああ、それはいい。聖歌隊の死体の上でピースするメンシス学派のツーショットが撮れるだろうな。額に入れておこう。焼き増しをせねば。永久保存版だ」
「やだぁ、やっぱりメンシス学派は野蛮な会派ですわ。セラフィお姉様」
「それを言うなら僕と君は敵同士だ。困った。どうしようね」
ちっとも困ってなさそうな、そして興味もなさそうにセラフィが言う。
四人のなかで誰よりも背の高い彼女は、クルックスの隣に立っていた。
「過去の遺恨は水に流して新しい次代を築くとかどうでしょう?」
「被害者であるレオー様も女王様も存命中だから、それは難しい話であるな」
「それはカインハースト流の冗談だろうな? 一番の被害者は市街の狩人達だ。血に酔っていないのに通り魔的に殺されるのだから、まったく働き甲斐がある──」
ネフライトが、ボソボソと言った。
至極もっともな意見だ。頷きかけたクルックスはセラフィの目が恐いことに気付き、寸でのところで空咳に切り替えた。
カインハーストが市街で何をしているか。その影響は気付いていて知ってもいたが、敢えて黙っていたことだ。
しかし、この類いの話を聞き逃すセラフィではない。
「ネフ。失言の数だけ学派の首を上から順に飛ばす。愛しの主宰殿の首が惜しくなければ、その調子で話し続けろ。全て長い夜のこと。鴉羽の騎士様も時には遠征したいようだからな。ヤハグルなど夜駆けにちょうどいいと思うのだ。その時は、僕もお供したい。君がどんな顔をするか。僕は、すこし興味があるのだ」
写真用に薄く微笑みながら彼女は言った。ネフライトはそれ以降、沈黙した。
そして、ちょうどよい時にカメラの調整を終えたコリンの声がかかった。
クルックスは素早く話題の転換を試みた。
「諸賢、静粛に」
「はい、撮りますよ! イチ、ニイ、サン!」
バシャリと強いフラッシュが焚かれた。
「はい、お疲れ様でした! もう動いていいですよ! 僕、クィディッチの練習見てきます!」
コリンは腕時計を確認し、クィディッチ練習場に走って行った。
「あぁ、疲れた……」
ネフライトは檻を外すと首を回した。
「休日なのだから私は戻ってしばらく寝る。午後には図書館にいるだろう」
「まぁまぁ、お待ちになって。せっかくですし『きょうだい』会議しましょう? 『闇に対する防衛術』の小テスト満点だったネフさん」
「その話は、心の安寧が乱されるのでやめろ」
クルックスはネフライトがメンシスの檻を掴み直したのを見て、今にもテルミを殴りかかるのではないかと思った。静かな怒りを浮かべる彼は、芝生の上をガツガツと蹴った。
「……本当にあの時間は無駄な時間だ。あんなものを読んでしまったことが悔やまれる。クィレル先生の方がマシだった。ニンニクときつ音がキツいが。あんなのが先生になれるなら、お父様は大先生になれるぞ」
「お父様は、楽しげに読んでいたよ」
セラフィの発言に三人が注目した。
「なんだ。知らなかったのか。お父様は、哲学書のような難解な本も読むが、大衆向けの本も好きだ。『不思議の国のアリス』とか『ドン・キホーテ』とか。ロックハート先生の本も面白そうに読んでいた」
「へぇ。お父様ってそういうの楽しめるのね。『どうして、そこで斧を使わないんだ。回りくどい』とか言って放り投げそうなのに。ちょっと意外ですね」
「うーん」
テルミのお父様像とは、血に酔った狩人の有様なのではないかとクルックスは思う。
お父様は、そこまで血に酔っていない。血に酔っているかのような奇行は多いが。
「ああ、そういえば。授業の前にテルミが助言してくれて助かった。あの先生の前でヤーナムのことを口に出したら『もちろん! 行ったことがありますよ! そう、あれは私がまだ君たちのように若く、未熟な学生であった頃──』など話し始めそうではないか。……クルックス?」
「あの先生は、何なのだろうな? 本を……俺は全て読んだワケではないが……それと本人の印象が違うように感じられるのだが」
「ああ、クルックス。皆が分かってしまったことをあらためて確認するのね? フフフッ!」
テルミは、楽しくて仕方がなさそうだった。
何が楽しいかクルックスにはよく分からなかった。
隣を見ればセラフィも不可解そうに眉を寄せた。
ネフライトだけは「さっさと済ませてしまえ」と鼻を鳴らした。
「ギルデロイ・ロックハート。あんなの、詐欺師に決まっているわ。虚栄もコテコテで見苦しい。嘘つきが最初にしなきゃいけないのは『自分を騙す』ことでしょうに、あの男はたまに素が出るのだから二流、三流よ」
「お手厳しい意見だな。テルミ、可愛い僕の妹君」
「聖歌隊の前で下手な嘘を吐かないことね。五体満足で墓に入れる医療者ばかりではないの」
毒々しい言葉にネフライトが「その辺りは学派も同じようなものだな」と同調する。
──下手な嘘つき。
テルミの評は、初めて聞いたがすんなり頷けるものだった。例えば、ピクシー小妖精が思いがけない乱暴を働いてみせたあの時。驚いた瞬間のハッとした表情。ああいうものが、彼の素の顔なのだろう。
「ホグワーツの『闇に対する防衛術』の先生の職が呪われているって噂があります。誰も一年保ったことがないんですって。ダンブルドア先生も人手不足で困ってしまったのね」
「それでもだ。詐欺師が来たのは、なぜだろうな? 理由如何によってはお父様が乗り気になりそうな話ではないか。『呪い』など」
「お父様は、呪いが好きなワケではないと思う。本当に人手不足なのか? あるいは舌先三寸でダンブルドア校長を丸め込んだのか? ロックハート先生には、校長を騙しきる度胸がある男には見えない。……どう思う?」
クルックスは「なあ」と発言の少ないネフライトに訊ねた。
彼は元通り檻を被った。
「次に私の前でロックハートの名前を出したら挑戦と見なす」
「見なさないでくれ。意見を聞いているだけだ」
とても不機嫌なネフライトは、適切な言葉を並べるために一呼吸置いた。
クルックスは思う。……ひょっとしたら。テルミにからかわれるより前に、彼はさんざん周囲の生徒から声をかけられたのかもしれない。あるいはハーマイオニー・グレンジャーのように授業でロックハート先生から賞賛を受けてしまったのかもしれない。
「なぜロックハートが招かれたのか? ──役目は決まっている。反面教師だろう。一年間、生徒の前に『こんな阿呆でバカになるな』と実例を置いて学ばせるつもりなのだ。一年かけて化けの皮を剥がす。学期末までに名声を失墜させられたら大成功だ。……『そんなワケがない』とでも言いたいか、クルックス。だが、こうでも考えなければ差配をしたダンブルドア校長の瞳は『曇っている』と断じなければならない。ロックハートの虚飾とダンブルドアの慧眼は、絶対に両立するものではないのだから」
「ほお」
「……なんだか前もしたようなやりとりだ。私の説明、分かっているのか?」
「いま完全に理解した」
「不安だ……。とにかく。彼には今後、関わり合いにならないことだけを気を付けるべきだろう。──何か言いたいことがあるならば聞くぞ、テルミ? 遠慮なく言いたまえよ。ええ? 幸い、周囲に耳目は無い。貴公を湖に沈めるまで二分とかからん。大イカと遊んでこい」
「きゃー。メンシス学派ったら学徒とは名ばかりの乱暴者だわ。お姉様、こわーい」
背にテルミを匿いながらセラフィは湖を見た。
大イカが巨大な腕を湖面に叩きつけていた。
「ネフは学者らしく有言実行するタイプの狩人だ。勝算がないなら煽るのはやめることだ。──それはそうと僕なら三十秒で沈める」
「じゃあ、俺は一分半で」
「え。なんでわたしを沈める話で盛り上がっているの? 怖すぎ。なんて血のなき者かしら。……ああ、もう。ちょっとからかっただけじゃない。どうせすぐ皆忘れるわ。来週からクィディッチも始まりますし、ハロウィーンのイベントだってあるのですから。あら。そろそろ朝食の時間。わたし、待ち合わせしているの。ばいばーい」
「そのうち痛い目に合うぞ」
いつもよりトーンの低いネフライトの声は、去り際のテルミに届いたらしい。彼女はサッと黒い法衣を翻して行った。
ネフライトは忠告のつもりで話したようだが、クルックスとセラフィには決意表明に聞こえた。
「そうピリピリしないことだ。ネフ。テルミは長いこと孤児院にいただろう。俺達とじゃれ合いたいだけなのだ」
「では『わざわざ私に構うな』と言っておきたまえ。無価値な諍いにしかならないのだ。──私はこれで失礼。まだ、すこし眠いんだ……」
テルミとネフライトが去った。
セラフィと目が合った。
「その、なんだ。今日は、ありがとうな。気の進むことではなかっただろうに」
「いいや……分かるよ。君は皆を等しく大切にしたいのだ。よく分かるとも。いつか道を違えるのだとしても今だけは共にある……だから写真という形で手に留めておきたくなったのだろうね」
「まあ、そうだな。そうなる」
ようやくしっくりくる感覚があり、クルックスは頷いた。
「……お父様がヤーナムを今の形に留めているのは、あるいは似たような理由かもしれないな。その情が愛であれば嬉しい。僕も同じ気持ちを知っている。戻るよ」
踵を返し、去りかけたセラフィの背に声をかけた。
「一緒に、すこし歩かないか」
■ ■ ■
二人は黙々と歩いた。
誘ったものの話題は乏しく、そして、血生臭い。
「教会の狩人を殺したのか」
獣の皮を被った男の話について。
その夜の出来事を順を追って話すセラフィの話を相槌をうち聞いていたクルックスは、とうとう口を挟んだ。
思わず足を止めてしまった彼は、追いつくために小走りになった。
「ああ。……何だ?」
「いいや。それが君の仕事であり使命なのだから、もちろん理解するが……辛くはないか? 大丈夫か?」
「殺したのは敵だ。……? 何を言っているんだ?」
カインハーストの狩人達の敵は、獣ではない。同じ狩人だ。人間だ。
──知っている。分かっていた。カインハーストに仕えるとは、そういうことだ。それでも、クルックスは頭を殴られたような衝撃があった。
「俺は去年、しばらく落ち着かない気分だった。命は本来取り返しのつかないものだ。俺達は奪う者だ。そうでなければヤーナムでは生きていけない。戦えなければ俺達は犬の餌以下だろう。だが、ここは違う。夜に眠れる人々だ。……そう考えると俺は地に足がつかないと言うべきか。浮いている感覚があった。うまく言えないが……ヤーナムでは血塗れが普通なのに、どうして今は血塗れではないのか考えたり。どうしてここにいるのか、見失いそうになったり……」
「君、それは病気ではないのか? そういうことを考えるのは良くない」
「俺は連盟員だぞ。連盟員は病気にならない。あいや、問題は俺ではなくて。セラフィが殺しているのは人間だ。獣ではない。人間なのだ」
「ああ、だから敵だ。カインハーストの敵だ。クルックス、今さらどうしたんだ?」
逆に心配されてしまい、戸惑った。
──噛み合わない。
重大な、そして根底的な価値観の理解ができない。クルックスは自分の言葉が拙いのか、理解力が低いのか真剣に悩んだ。
迷いに迷い、ようやく言った。
「ヤーナムとホグワーツでの、何というか気持ちの切り替えは……大丈夫なのか?」
「僕は、君が何を心配しているのか分からない。ここには僕の敵はいないのだから、君が血を見る機会はないだろう。僕らの女王様の名誉が穢されない限りは」
「いえ、そういうことを言っているのでは……。俺は、君の心を心配しているのだ」
「僕は、いつでも絶好調だよ」
「……そ、そうか。そうか……。君が苦しくないのなら、俺はそれでいい。強いのだな。俺はどうもホグワーツに来てしばらくは、自分が場違いに感じられて……すこし落ち込む」
セラフィは、進行方向を見つめていた。
きっとクルックスの言うことは解されなかった。
ヤーナムとホグワーツでは、生命の価値が違うのだとクルックスは思っている。
ヤーナムは、ホグワーツでは信じられないくらいに命が軽い。
二つの価値観の落差によって、心が苦しい時がある。……慣れてしまえば大したことはないのだが。
どうやらこの苦しみは自分だけのものらしい。クルックスは、ひとつの学びを得た。
「君の、連盟の使命……虫とやらは?」
セラフィが連盟の使命に言及するのは初めてのことだったのでクルックスは驚いた。
辺りを見回して変調がないかを確認する。見渡す限り、ただの朝だった。
「僕ばかり話すのは公平ではないと思ったのだ。だが君の使命を邪魔するつもりはない。話さなくともいい」
「ああ、そういうことか。大丈夫だ。何も問題はない。連盟の活動は続いている。俺も生徒である以前に狩人で連盟員だ。俺の『淀み』のカレル文字は昨年ぴくりともしなかった。ホグワーツは……概ね安全だ。どこにも虫の気配はない。どこにも」
「お父様はお喜びになるだろう。しかし、君は嬉しくなさそうだ」
「……俺は認めたくないのだ。お父様が大切にしているヤーナムが、ビルゲンワースの学徒達が、数多の狩人が……魔法族よりも血が汚れていることを。なぜだろうな。いつも考えている。同じ神秘なのに」
「その疑問について、ネフに相談したのか? テルミには?」
「伝えていない。学徒のお二方だけだ」
クルックスは、なぜネフに相談しなかったのだろう、と今さら自分の行動に疑問を覚えた。
いいや、彼だけではない。
「お父様に聞けばよいのに、そうはしなかったのだな」
「……臆病だと君は言うのだろうな」
「いいえ」
剣のような鋭さでセラフィは断言した。
「それが君の探究なのだろう。その先の答えを僕も楽しみにしている」
「…………」
「僕は、すこし君が羨ましい」
「連盟員は随時募集中だ。セラフィが望むならば紹介しよう」
「連盟の使命のことは、正直なところ……うーん……君の名誉のためにこれ以上の明言を避ける。そうではなくてね」
風が吹いて二人は帽子を押さえた。
その時だ。
視界で揺れる黒い羽に気付いた。セラフィの髪留めには、いつの間にか羽がついていた。
「セラフィ、それは鴉羽だな」
「ああ、先達がくださった。落とし物を拾ったとも言えるけれど……似合っているかな?」
「……よく分からない。オシャレはテルミの方が詳しいだろう。でも、リボン……白いリボンはどうだろうか……? お父様が大切になさっているような、あれ。ダメだな。君にはきっと地味すぎる」
朝陽に照らされて輝くセラフィの長い銀髪は、クルックスの真っ黒な髪とは質が違った。『リボン』と言ったのは、それしか装飾を知らなかったからだ。
思えばグリフィンドールの女子生徒にはカチューシャをした子もいた。後から思いついた別な提案が、良い案に思えてくるのはなぜだろうか。
あまり真剣に考え込まないでほしい。
クルックスはぼやいたが、セラフィは提案を聞いて「リボンね」と考え事をした。
不意にセラフィが遠くを見つめて「僕はね……」と独り言を呟いた。
「世の中のたいていのことが、どうでもよいのだ。僕の目の届く範囲の、手の届く場所が『いつも通り』にあるのならば……本当は、きっと何も要らないのだと思う。僕は、レオー様と違って繰り返す時間が苦ではない。鴉羽の騎士様のように何かを奪うことに執着ができない。僕は強いのではなく、冷たくて無頓着なだけだ」
「では、どうしてヤーナムの外に出たいと思ったんだ?」
クルックスは、父たる狩人の助言に従って外に出ることを選んだ。
ヤーナムにいるばかりでは、外の世界を知る機会は少ない。得た機会を生かさない手はなかったからだ。
だが、セラフィはどうだろう。
本当は何も要らない彼女は、なぜ出たいと思ったのだろうか。
「好奇心だ。騎士の僕は、何も要らない。でも、私人の僕は見るべきで知るべきなのだ。どうでもいいけれど『どうもいい』と思う理由には『興味が無い』だけでは不十分だ。僕は僕の目で、僕が永遠に捨てる外の世界の価値を見定めなければならない」
「真摯だな。俺には『興味が無い』だけで十分に思える……」
「あらゆる生命に対して慈悲を持ち続ける真摯さを……僕は尊びたい。お父様の瞳は今のところヤーナムに向いているが、これが外に向かったとき。お父様はヤーナムの外の人々を等しく大切に想われるだろうか? スネイプ先生には『勝手に殺し合えばよい』と言ったのだろう。学徒達はともかく。お父様は、外の世界を大皿に乗った食材程度に思っていそうな気がする。書物の知識は前菜だ」
──まさか。
そう言って笑い飛ばすことができないのは、彼が何をしでかすか分からない恐さがあるからだ。
古くはトゥメル。
遠くはローランから。
人間が上位者の思惑を読み切ったことは一度たりともない。
彼が人間を取り繕うのをやめたとき。
誰かが彼に『呼びかける』だけで、あらゆる道理を『しっちゃかめっちゃか』にする危険があった。
「外の世界の価値について僕らは正しくお父様に伝えなければならないと思っている。僕にとってどうでもいいものだとしても、たしかに生きている人はいるのだから。……杞憂であれば、それが一番よいのだが」
「お父様は立派な自制心をお持ちだ。まったくの杞憂だ。それに連盟員だから大丈夫だ。もし違ったら俺を湖に沈めてもいいぞ」
瞬間。
クルックスの脳裏に突如浮かんだ乳母車に乗ってはしゃぐ狩人の姿は、数秒前のいくつかの発言について撤回させかねない威力を持っていたが、努めて忘れるようにした。心の気の迷いだと自分に言い聞かせた。
砂利道が芝生に変わった。乾いている。日差しはやや熱いが、風は冷たい。夏の終わりの気配があった。
「セラフィはセラフィでいろいろと想ってくれていたのだな。……発言を修正した方がよいだろう。君は無頓着かもしれないが、決して冷たくない」
「必要に迫られたら修正する。おっと。クィディッチ競技場に着いてしまった。……僕がいるのはマズいのではないかな。あれはたしか、マーカス・フリント。スリザリンのクィディッチのキャプテンだ」
トリコーンを深く被り、顔を隠しながらヒソヒソとセラフィは言った。
見れば、たしかに緑色のユニフォーム──スリザリンのクィディッチ・ローブだ──を着ているメンバーがぞろぞろとピッチに入ってくるところだった。
「そんなハズは……今日はグリフィンドールの練習時間だ。今朝、オリバー・ウッドがハリー・ポッターを叩き起こしに来たのを見た」
クルックスは衣嚢から遠眼鏡を取り出した。
雲一つない晴れた空では、グリフィンドールのクィディッチ・ローブを来たメンバーが練習していた。観客席にはロンとハーマイオニーがいる。
空で練習していたメンバーは、ピッチに入ってきたスリザリン・チームに気付き、ピッチ入場を阻止するように立ちはだかった。
「行こう」
「行くのか? 僕らには来た道を帰るという選択肢もあるワケだが」
「諍いになった場合、中立な者の存在が重要になるのではないかと思う」
「僕らが中立になり得るのかは、興味深い疑問だ。……ネフならば、そんなことを言いそうである」
クルックスが遠眼鏡を収納したのを合図に二人は歩き出した。
フィールドを歩いているとどよめきの声が聞こえた。
「──見ろ! 『ニンバス2001』だ!」
フリントが高らかに言い、グリフィンドールの選手に見せつけるように自分の箒を突きだした。
「ニンバス・シリーズの最新作だ。先月出たばかりでどこも品薄状態だが──ドラコの父君がスリザリン・チームにくださった」
「ドラコ? クィディッチの選手になったのか」
セラフィが足を止めて呟いた。耳聡く聞き付けたのは当の本人だ。
高学年の選手の中と並ぶとドラコ・マルフォイは頼りないほど小さく見える。いつもの青白い尖った顔は、興奮でやや赤みを帯びていた。
ちょうど観客席からロンとハーマイオニーもやって来た。なぜ練習を中止したのか見に来たのだろう。
「そうだ。僕が、スリザリンの新しいシーカーだ!」
「ほお」
クルックスとセラフィは、声を揃えた。
二人ともシーカーがクィディッチにおける花形であることを知らなかったからだ。
自慢げなマルフォイに対し、ピッチに降りてきたロンは何事か言いたくなったらしい。
だが、その口はあんぐりと開いたままになった。
彼の目はマルフォイの持つニンバス2001に釘付けになってしまったからだ。
時を同じくハーマイオニーも、スリザリン・チームが全員が同じ箒を持っていることに気付いた。
「グリフィンドールの選手は、誰一人としてお金で選ばれたりしていないわ。こっちは純粋に才能で選手になったのよ」
ハーマイオニーの発言は、グリフィンドールの寮の風潮に相応しく勇気ある正論だった。
だからこそ。
マルフォイの顔色が変わった。
「誰もお前の意見なんか求めてない。生まれ損ないの『穢れた血』め!」
何事か侮辱が行われたことだけは理解した。
その次にグリフィンドールの選手が口々に非難する声は、雑音にしか聞こえなかった。
「穢れた血ね」
隣で。
深く被っていた帽子のつばを上げ、セラフィが薄く口を開いた。
何の感情もうかがえない言葉は、クルックスに大きな不安を抱かせるものだった。
記念写真
月の香りの狩人の仔らの○○:
今後、時折前書きに掲載する予定の仔らの名前入りテキストは『彼らを倒すと入手できるアイテム』という想定で書いています。つまり、NPCクルックスをころがした後は写真が手に入るワケです。ネフライトの場合は眼鏡が手に入ります。やったね。
噛み合わないセラフィ:
医療者が「獣と信じて、人の形をした者」を斬ることはありますが、カインハーストは積極的に「人狩り」を行っています。カインハーストの騎士やセラフィがどう言い繕うと──彼らは罪だとも思っていないため、そもそも繕うことをしないけれど──医療教会そして市街の狩人にとって害悪以外の何物でもありません。だからこそ女王の血に執着を寄せるカレル文字『血の歓び』を刻み、儀礼遵守が推奨され、愛を囁く文化が花開いたのです。
伝統による馴致は、騎士を長持ちさせるのに大いに役立ちました。
ネフライトの失言:
朝、やや調子が上がらないのでカインハーストに喧嘩を売る失言をした。彼にも間違える時は多少ある。ただし彼の言うことは概ね正論だ。しかし、相手はその正論が通じない相手なのでこれには正論も分が悪い。……狂人め。
穢れた血:
これを聞いた仔らは総立ちになることでしょう。すぐにニュアンスの違いに気付き、着席するのはテルミとネフですが……果たして。
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