甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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善意
他者のためを想う心。
それは自らが果たす真心であり、彼らの内に秘める良心を信じることである。
彼の善意に果てはなく、容易く彼らを死地に追いやった。
「それでも」を唱えるために、彼は長い時間を要した。



善意の使い道

 クルックスは、言語化できない悩みを抱えていた。

 フィルチの猫が吊された次の日の出来事だ。

 大広間の食事中は「猫は殺されたのではなく、石になった」という衝撃的な知らせと「でも、マンドレイク薬で治るらしい」という知らせが蔓延していた。

 それを聞いたときからクルックスは食事の味が分からなくなった。気になることができてしまったからだ。

 

(石になった。石化。石……。石か……。何か引っかかる。なぜ俺はこんなことを気にしているのだろうか……?)

 

 オートミールの滓を皿からすくいながら、疑問を分解した。

 ──マンドレイク薬を飲ませれば治るということは、生きているということだ。

 ──生きているが、石になっている間は動けない。

 ──動けないが、生きている。死んでいない。

 それは、つまり。

 クルックスは、ミルクのなかにスプーンを落とした。

 

(猫を石にした何者かは俺達、『夢を見ている狩人』の天敵なのではないか?)

 

 悪夢に生まれ、いまは夢を見る狩人であるクルックス達が『夢にできる』ことは『自分が死んだこと』だけだ。

 もし、石にされた状態が死でなければ『石になった』状態で固定化されてしまい、夢に還ることができなくなってしまう。石を砕けば死ぬのだろうか。仮定に意味はあったが、確認は博打だ。

 オートミールからスプーンを救出することを諦めたクルックスは、授業のため談話室へ足を向けた。

 その道中。

 

(あれ? これ。お父様でもマズいんじゃないか?)

 

 石になった状態では自害もできないだろう。

 もし、月の香りの狩人が石に囚われたらヤーナムはどうなるのだろう。

 連盟は──ビルゲンワースの学徒達は──市街の狩人達は──。

 知人の顔が次々と浮かび、消えていった。

 

(お父様が動けなくなったら、どうなるのだろうか?)

 

 クルックスは、黄昏のヤーナムに朝が来れば良いと思っている。

 いくつ屍を積み上げたとしても虫を潰すだろう。そして、最後にはヤーナムの人々が心穏やかに眠れる夜が訪れて、血の臭いがしない朝が来れば良い。

 だが、現在のヤーナムの根幹が揺らぐことを考えたことがなかった。まさか月の香りの狩人が『動けなくなるかも』なんて──彼は、まったく考えたことがなかった。生まれた時から存在する狩人は、クルックスにとって月なのだ。いつでもどこでも優しく見守ってくれる月なのだ。

 

(どうして今まで考えられずにいたのだろう。とても良くないことだ。死ぬよりも悪いことだ。──早く、早く、手を打たなければ、見つけ出さなければ排除しなければ)

 

 テルミの言った「今年も大人しくできないようですからね」との言葉は、クルックスも率先して呟くことになるだろう。──大人しくなどしていられるか。

 

「クソ、何が魔法だ……そんなものを隠し持っているなんて……あぁ、きっと仕掛けたヤツは、血が淀んでいるに違いない……糞袋野郎め……必ず見つけ出して殺さなければならない……」

 

 生物を石に変えてしまう何か。

 それが人であれ動物であれ物であれ、危険なものだ。何としてでも排除しなければならない。

『夢を見る狩人』の仕組み──ひいては上位者の悪夢に抱かれた存在であるという『タネ』が割れてしまえば、石化させる何かは実に有効な手段となってしまう。これは、ヤーナムを揺るがすものになるだろう。

 正体を突き止めなければならない。ヤーナムの安全と、ついでに学業の継続のために。

 

 殺気立てば自然と足は早くなる。談話室に辿り着く頃には全力疾走になっていた。

 生まれて初めて感じる激しい焦りのため、今日は何をしても失敗をする気がした。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 朝に夕に自由時間のほとんどを校内の探索に費やしたが、成果らしい成果はなかった。

 それはきょうだい達も同様だった。真偽不明の噂の確認にテルミは忙しくしている。だが、彼女はこまめに連絡を寄越した。猫が石になってから数日後に使者が手記を持ってきた。曰く『手がかりなし』。夜間、出歩いているセラフィにも有益な情報はない。ネフライトだけは「そう顔色を変えるものではない」と表立つ行動を起こしていなかった。

 

「『脅威である』ことを否定する心算はない。対応策が思いつかない程度には脅威だ。認めよう。しかし、まだタネは割れていない。私達が血眼になってみろ、ヒントをやるようなものではないか。……それでも辿り着けるとは思えないが、探索は慎重にすべきだ。私は動けない。今は、すこし目立ちすぎているからな」

 

 彼と別れた後で「なぜ互助拝領機構を作ったのか」を聞き忘れてしまったことに気付いたが、廊下でスネイプ先生とすれ違ったので戻ることはできなかった。首を傾げるような礼をすると彼は黒々とした髪の隙間から温度の分からない目を向けてきた。ほんの一瞬、彼は獣の皮を被った男に追われたことを訊ねたいのではないかと思ったが何も言葉をかけてくることはなかった。

 

 進展のない平日を送り、休日がやって来た。

 

「写真がもうすぐできますよ! 今日、クィディッチの試合が終わったらまとめて現像を始めるので、明日にはお渡しできます!」

 

 コリンの報せは、クルックスの気分を上向かせた。

 現像が終わったら何枚か焼き増しをしてもらい、一枚の写真は狩人の夢に置こう。そして、いくつかの写真はきょうだい達に渡そう。

 写真の行く先を考えつつ、コリンに礼を述べた。

 土曜日の本日は、今年初のグリフィンドールのクィディッチ戦だ。

 恐らくハリー・ポッターは約束を忘れているだろう。彼はスリザリンの箒のことが気がかりであるようだから。

『賢者の石』騒動の際、機会があればクィディッチを見に行く約束をクルックスは覚えていた。そのため、彼は狩人の徴が刺繍されたマフラーを巻き、やや肌寒い外へ出た。

 

「僕、僕、試合初めて見ます!」

 

「俺もそうだ」

 

「去年は観に行かなかったんですか?」

 

「……まぁ、いろいろあってな」

 

 キラキラと輝く瞳の前で「興味が無かったからな」とは言えず、曖昧な物言いをした。

 でこぼこ道を通り、競技場へ続く道を歩く。隣でちょこまかと動き、写真を撮るコリンは自分の身の上から将来の夢まで一生懸命に語った。

 将来、大人になった自分の在り方を語れるのは、安全である証拠だ。大人になるまでの生存率という言葉が思考をよぎった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 初めて観戦するクィディッチについて。

 クルックスは、感想に苦慮した。

 

「俺は育った環境が環境なので暴力とか横暴とか、慣れている。だが、礼節を守ることに関しては人に留まる縁であるから特に大切に思っているのだ。また、出来る限り尽くしたいとも思っている。その俺が、こんなことを言うのは余程のことだが──クィディッチとは、野蛮な遊戯なのだな」

 

 クルックスは、フィールド上空を飛び回るグリフィンドールのシーカー──ハリーを見て言った。

 ブラッジャーと呼ばれる暴れ玉に追い回されるハリーは、必死の形相だ。なんせこのブラッジャー。激突したら頭蓋は砕け、手足は節を増やすことになる威力だ。風を切り、うなりを上げて追走する。

 

「違うよ! いつもはこんなんじゃないんだ……! 何かおかしいぞ!」

 

「ブラッジャーって皆を箒から叩き落とす役割なんだ。だから、あんなふうに誰か一人を狙い続けるなんてしないハズなんだよ」

 

 ロンは観客席で魔法を使っている人を探して教員席を見た。

 ネビルは見ていられなくなって顔を覆っていた。

 

「ほう。場外妨害。そういう作戦もあるのか」

 

「無いよ!?」

 

 ネビルが、隣で悲鳴を上げた。

 危うくハリーの頭があった場所にブラッジャーが飛んできたのだ。

 

「クィディッチでは選手に魔法を使っちゃダメなんだよ! でも、誰か、誰かが魔法を使っているんだ」

 

「止めなきゃ」

 

「大丈夫。僕が止めるよ!」

 

 ロンがハリーを追うブラッジャーに狙いを定めた。

 その杖を慌てて押さえたハーマイオニーが、声援に負けない声を張り上げた。

 

「あなた、ハリーを粉々にするつもり!?」

 

「あ、うん。僕の杖じゃ無理だ。ハント、どう?」

 

「俺は手先が器用ではない。……この場所からでは無理だ」

 

「場所の問題なの?」

 

「ポッターが挽肉になったあとで手段を選ばなければな。俺は間に合わん」

 

 きょうだいで最も技量が高いのはセラフィだったが、彼女は所属上の事情で弓剣を取り扱わない。彼女の次に技量があるネフライトならば、弓剣で射貫くことができるかもしれない。だが、クルックスは彼の技量の半分も持ち合わせなかった。弓剣を持ったところで矢で殴りつける方が強いし速いのだ。

 

 手をこまねいているうち、誰かが「やった!」と叫び、悲鳴が上がった。

 彼らの見ている先でブラッジャーがとうとうハリーの右腕を捉えた。

 彼はそれでも飛ぶのをやめず、痛みをこらえて伸ばした左手で黄金のスニッチをつかまえた。

 

「ハリー! あれ絶対に折れているわ。ロン、行くわよ!」

 

 ハーマイオニーとロン、そしてなぜかコリンがカメラを担いでピッチへ駆けていった。

 

「これで試合は終了か。ふむ。ポッターが気がかりで他の選手がよく見えなかった。どちらが勝ったんだ?」

 

「グリフィンドールの勝ちだよ。でも──ブラッジャーがまだ動いている!」

 

 ネビルが顔を覆った指の隙間からフィールドを見つめた。

 フィールドの砂地に転がったハリーが、スニッチを見てにっこり笑った。そこに暗い影が落ちた。ブラッジャーだ。

 その時。

 ハーマイオニーがピッチに間に合った。何か呪文を唱え、襲いかかろうとしたブラッジャーが、爆発四散した。

 

「お。凄い」

 

 観客席までブラッジャーの破裂音は聞こえた。

 新しい拍手が巻き起こり、スタンドは揺れた。

 

「命中した! ハーマイオニー、スゴいよ! ……あ、ロックハートだ」

 

 ネビルが、明るい声から一転。顔を曇らせた。

 グリフィンドールの選手達が見守るなか、彼は白い歯を輝かせてピッチに降りてきた。

 それから意識朦朧のハリーと何かを話している。

 場違いな登場で周囲の選手達も戸惑っていた。ビーターの双子は、心配そうな顔を隠さなかった。ウッドでさえにこにこ顔が引き攣っている。

 

「ところでネビル・ロングボトム。俺は人生経験が浅いのでよく分からないのだが……ロックハート先生は、良い先生なのか?」

 

「あー、その、僕からは……ちょっと……言えないっていうか。わからないなぁ。ばあちゃんは『ただの青二才だ』なんて言うけど、本を見たら、スゴいことをした人だと思うし……でも……うーん、あれを見ると……」

 

 あれ、とは。

 クルックスは遠眼鏡を取り出し、ピッチ中央の様子を見た。

 ロックハートがハリーの腕に向かって呪文を唱えている。

 

「ハッキリ言ってしまうが、俺には『役立たず』に見える」

 

「でも先生だから、僕より役に立つとは思うよ……」

 

 呪文を唱えた後、ハリーの腕は骨が消えてしまったように棒状の肉の塊になった。

 

「貴公は、何をどう間違ってもポッターの腕を消したりしないだろう」

 

「そう、だけど。それ何かの例え? それとも冗談?」

 

「事実だ。慎重であることに自信を持つべきだ。迂闊な善意は時としてトドメになることがある。ここでもそうらしい」

 

 クルックスは帽子を取り、髪を掻き上げると再び被った。

 クィディッチは彼の中で物騒な遊戯として記憶されることになった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 グリフィンドール談話室は、今シーズン初勝利に盛り上がっていた。

 金に物を言わせたスリザリンのニンバス2001を破っての大勝利だ。宴会場となった談話室では、勝負の決め手となったシーカーへ医務室の方角を向いて献杯した後、不在を感じさせない盛り上がりを見せていた。

 クルックスも珍しく盛況な談話室にいた。

 夜には重い菓子であるスコーンの皿を確保し、端の席で囓っている。

 

 ヤーナムから這い出て来て数ヶ月は、食事の機会があれば食べるようにしていた。かの地の食文化は、貧相だ。市井であっても「お腹にたまるから」と輸血液が施される街において、やや軽視されている。

 しかし、ネフライトは狩人やビルゲンワースの学徒達に対し、食文化について進言書を渡したらしい。今年は、痩せた土であっても食べられる何かが現れることを期待したい。

 新しいスコーンを手に取り、ネフライトから渡されている書類の添削をした。

 

「素晴らしきかな。バター。油分は富裕層の味がする」

 

「なに言っているの? あなた、そのまま食べているのね。ジャムを付けて食べるのよ。普通はね」

 

 やって来たのはハーマイオニーだった。

 対面の椅子に座った彼女はイチゴジャムの瓶とカボチャジュースを置いた。

 クルックスは眩しいものを見る顔をした。

 

「知っている。それは砂糖の塊。すなわちブルジョアの味だ」

 

「ブルジョワ……? 金持ちって言いたいのかしら。マグルの世界でもスーパーで売っているでしょう?」

 

「そうなのか。安くなったのだな。ああ、ブルジョアとは俺達の長。あ。先だっ、先ぱぃ、じょ、上司が言っていたのだ。バター、金持ちの味。実にブルジョア的だ!」

 

「はあ。歴史的用語よ。使っている人は初めて見た」

 

「ジョークのつもりだったのだが、俺のセンスは数世紀遅れているらしい。気にしないでくれ。それで何か用事か?」

 

 ハーマイオニーが、ネフライトから預かっている書類を見ようとしていたので手早くまとめて遠ざけた。

 かぼちゃジュースを一口飲んでみる。これもまたブルジョア的甘さだ。

 

「あの、互助拝領機構のことなんだけど」

 

「ネフの発案だ。彼の見かけで敬遠する者も多いだろうが、なかなかどうして講義の中身はまともで役に立つ。互助拝領機構の理念に理解を示すならば、参加をオススメするぞ。……何だ、そういう話ではないのか?」

 

 彼女は『それはもう知っている』という顔をしていた。

 得意げに話してしまったことが恥ずかしくなり、スコーンに齧りついた。

 善意の行動を起こそうとした途端にこういう目に合う。

 父たる狩人の気分が、よく分かる気がした。

 

「行ってみたいんだけど、メンバーからの紹介じゃないと入れないの。だから、あなたから紹介してもらえないかなと思って」

 

「ネフに話せばいい。俺を介するのは回りくどいことだ」

 

「言ったわ。でも『私は組織の魁であって長ではないから、加入を認める権限はない』って」

 

「そのような取り決めであれば仕方ない。ふむ。実は俺も加入しているワケではないのだ。スリザリンのセラフィ・ナイトかレイブンクローのルーナ・ラブグッドを頼るといい」

 

「セラフィ・ナイトもメンバーなの?」

 

「そうだが……何か気になることが?」

 

 ハーマイオニーは話をするかどうか迷うように視線をさまよわせた。結局は話すことに意志は傾いた。

 

「去年の『賢者の石』の騒動の時にね」

 

 彼女は声をひそめた。

 クルックスはジャムの蓋を開けた。固いジャムの蓋はバコンと音を立てた。

 

「私達は、あなたより数十分遅れて地下に向かったのだけど四階の廊下で二人が……メンシスとナイトが中から出てきた人を捕まえようとして待っていたの」

 

「ああ。そういえば、そうだったな、うん」

 

 テルミが後詰めとして二人に声をかけたという話を聞いたような、聞いていないような。

 数秒考え込んだが、クルックスには覚えのない話だった。

 しかし、テルミならば次善の策として準備をしそうだとも思ったので納得した。

 

「ジャムはすこしでいいのよ。いえ、好みだけどね。全面に塗る必要はないと思うわ。……ええと、それであなたみたいに武装しているのを見たのよ」

 

 やや恐れた顔をするハーマイオニーを見た。

 釈明するのもおこがましい。

 彼女の危惧は事実だったからだ。

 慣れた異物感をまた感じた。

 クルックスは、せめてもの和睦の印として彼女の前にスコーンを置いた。

 

「今はただの生徒だ。そう気にしてほしくはないのだが」

 

「でも気になるわよ。ふくろうは届かないし、どの本にもヤーナムは見つからないし、魔法界でも不思議な土地だと思っているの」

 

「……いろいろ事情があるのだ」

 

「いろいろね」

 

 じっと見つめられた。

 クルックスは飲みかけのかぼちゃジュースを置いた。

 

「……ふくろうが届かないのは、本当にすまないと思っている。今後、改善する予定だ。ヤーナムの件は聞かないでくれ」

 

「えーと、ヤーナムのことを調べているワケじゃないの。魔法省が突き止めきれないのなら私だって分からないだろうから。……だから、そうじゃなくて、セラフィ・ナイトのことなの。彼女ってマルフォイと親しいかしら?」

 

 マルフォイ。

 口の中で言葉を転がしながら、尖った顎の少年を思い浮かべた。思えば彼との付き合いは、ダイアゴン横町で偶然マダムマルキンの洋装店からはじまる。授業では何度か顔を合わせることがあるものの、クルックスは彼と親しくない。互いに興味がないので印象に残らないのだろう。同じスリザリン寮であるセラフィが彼と親しくしている様子もない。 

 

「セラフィには、特別に親しい友はいない。テルミ、いや、先達、いや、俺が最も詳しい」

 

「そ、そう。あの、フィルチの猫が石になったでしょう? その時にマルフォイが妙なことを言っていた。『次はお前たちの番だぞ、穢れた血め!』って。──この件について、マルフォイが何か知っているんじゃないかって調べようとしているの」

 

「……見て理解ができる分かりやすい苦難だというのに、首を捧げるように進むのだな」

 

 クルックスは咎めた。

 ハーマイオニーが挑もうとしているのは、底の知れない謎だ。

 

 猫が石になった事件の発生から数週間も経つのに、いまだ先生方も犯人を突き止めきれずにいる。

 分野こそ違えど一流の魔法使い達がそろってお手上げ状態だ。この事態は一般生徒にとって好ましいものではない。もし、犯人が魔法使いであれば生徒になりすましているのかもしれないのだ。

 

 すなわち、誰が敵か味方か、分からない。

 今は、そんな状態だ。

 

 異常な事態の真っ最中に得体の知れない地域から這い出てきた自分に対し、事情を打ち明ける行為は勇気がある。

 あるいは、昨年度で築いた信頼の証とも言えるかもしれない。

 しかし、クルックスには蛮行に見えた。

 

「先ほど『不思議な土地だ』と言ったな。とても曖昧な評価をしてくれてありがとう。だが『不気味な土地だ』とも思っているハズだ。魔法省にも見つけられないなど『ありえない』とも思っているだろう。俺が犯人であったらどうする? 探るべきではない。──命知らずの行いだ」

 

 彼の忠告はヤーナム風に歪んでいたが、善意だった。

 普通の人々は、死んでも死にきれない存在である『夢を見る狩人』と存在の根本が異なる。命の脆さを知るクルックスから見て、彼らはあまりにか弱い。それこそ夢のような、儚い存在だ。

 

 だから。

 彼はきょうだいを思った。

 

 彼らは幸いだ。声をかけたのが自分でなければ、不運に出会ったことだろう。

 例えば、テルミがハーマイオニーのような人と出会ったら嬉々として事態を転がすに違いない。

 

 ──貴公らこそ真実の探求者なのね!

 

 そう言って焚きつけるだろう。

 彼女が自ら動くよりも目立たない。

 おだてるだろう。煽るだろう。燃え尽きるまで。

 その先で誰かが失敗しても彼女は痛くないからだ。

 

 クルックスは、彼女のように他人を扱えない。

 扱えなくとも良いと思っている。

 なだめるために告げた。

 

「これは過ぎ去る嵐に見える。待つべきだ」

 

「待てないのよ。だって継承者の敵は『穢れた血』。それってマグル生まれの私みたいな人たちのことよ」

 

「襲われたのは猫だ。人ではない」

 

「ええ、そうね。惜しくも猫で『まだ』人じゃないって言うべきかしら。マルフォイがまったく関係無かったら、どうしてあの場であんなこと言ったのか。説明できる?」

 

「……。物知り顔でいれば、君たちが突っかかってくるからだろう」

 

 苦しい仮定であることは重々承知だ。

 クルックスは、つい視線を逸らした。

 状況だけ考えればマルフォイは、いかにも怪しい。

 しかし。

 

「マルフォイにできると思っているのか? 校長がすぐに治すことのできない魔法を使うなんて」

 

「マルフォイ『が』杖を振らなくたっていいのよ。物でも生き物でも、何だって考えられる。それに何かを知っているハズなのよ。問題の核心に近い何か。強気でいられる何かがあるハズなの」

 

 言葉は想定を並べたものだ。

 だがハーマイオニーにはマルフォイの謎めいた態度を暴くという決心があるようだった。その強い意志は、彼女をいつになく伸び伸びと自由にさせているようにも見える。

 クルックスは首を横に振った。

 

「どのような思惑があるにせよ。探るべきではない。悪意に対して君たちができることは限られている。本当に他者を害そうとする者がいるとして、その時に君は何ができる?」

 

「このままいつ襲われるか心配したくないだけよ。何があったって正当防衛だわ」

 

「ああ、そうだろう。攻撃は最大の防御でもある。襲われる前に襲ってしまえば問題はないだろう。殺せればなおいい。安心して眠れる。けれど、それができないだろう? 君は、君たちは、違う。……俺とは」

 

 ホグワーツへの特急便で伝え損ねた言葉は、いま届いた。

 ジャムが指先についてしまった。

 クルックスは指を舐めた。

 

「その理由を『優しさ』と呼びたい。犯人が誰であろうと望み進んで手を汚すことはない。じき片付くことだ」

 

「……。証拠を見つけて先生に突き出すだけよ。もしマルフォイが犯人ではなかったら、マルフォイの容疑が晴れるだけ」

 

 ハーマイオニーは腕を組んでクルックスを見つめた。

 

「だからあなたに頼みたいの。セラフィ・ナイトにマルフォイのことをコッソリ聞いてもらうように頼めない?」

 

 授業のおりたびたび見せる真剣な顔で、彼女は言った。

 同時にクルックスは気付いた。

 ──これまでの会話の全ては、この『お願い』のための長い前置きだったのだ。

 

「それは……断る。セラフィに密偵はできない」

 

 きっぱりとクルックスは言った。

 セラフィに何か頼み事をすること事態が危ういのだ。

 

 物事を真っ正面から捉えすぎるセラフィは、マルフォイから情報を聞き出す前に物理的に何かを引き出してしまいかねない。二度の誰何に答えなければ弾丸を食らわせようとする過激な教育の結果は、ホグワーツにおいてまったく改まっていないのだ。絡まった糸があれば、銃と剣で寸断して『問題は、最初からなかった』ことにするだろう。

 

「ダメ。……そう、それじゃ別の方法を考えるわ」

 

「深追いするべきではない。昨年の出来事は、何度か幸運に助けられたのではないか? 偶然を過信すべきではない。失敗すれば、敵が何なのか分からないが……きっと無事では済まないだろう」

 

「それは分かっているわよ。だけどマグル生まれの人を脅迫するより悪いことってある? もう片手で数えるくらいしかないと思うわ。それに『人は、そうすべき時にすべきことを成すべきだ』って思わない?」

 

 言うべきと思った言葉はいくつかある。

 それを一瞬にして全て失ったクルックスは、立ち上がったハーマイオニーを見上げていた。

 かつて彼らに投げかけた言葉が、今になって自分に降りかかってくるとは思わなかった。

 

「俺は……力には、なれない」

 

 ようやくそれだけを言った。

 

「そう。ごめんなさい」

 

「……いや、すまない」

 

 クルックスは、スコーンを食べる作業に戻った。

 ハーマイオニーが談話室を去った。ロンと合流したのが視界の端に見えた。

 

「……善意の使い道を、俺も誤ってしまいそうだ。もう誤ったかもな……」

 

 会話は、ハーマイオニーの意志をより強固なものにしてしまったように思う。

 すっかり彼女が去ったあとのことだ。

 

「心配だ。やめたほうがいい」と言えばどうなったのだろうか。

 彼は善意よりも遥かに使い道のない空想をした。

 

(──あぁ、お父様もこんなことを考えたのだろうか)

 

『もし』という仮定を抱え続けるのは、体のどこかが病んでしまいそうだった。

 頭の中からハーマイオニーとの会話を追い出したい。

 クルックスは、ジャムだらけの甘いスコーンを食べ尽くした。

 

 

 

 事態が大きく動き出したのは翌日のことだった。

 盛況な談話室から夜ごと葡萄を一房持ち出したコリン・クリービーが、石になって発見されたという知らせは、ハリーとロン、ハーマイオニーを女子トイレに駆り立てた。




善意の使い道:
 2才ちょっとのクルックスにとって、自分が放った言葉が巡りめぐって返ってくるということは少ない経験です。とても新鮮な経験でもあります。しかし、こんなタイミングで刺されるとは思っていなかったし、刺してほしくもなかったですが、かつて自分が言ったことでもあり納得するしかない言葉です。
 そして、納得してしまったのならば潔く彼女の背中を押すべきですが、それは結局できませんでした。

……しかし、テルミよりはマシな対応をしたハズだ。テルミよりはマシ……うん? 実際には起きなかったことを考えて心慰められた気分になるなんて。俺、最低なのでは?……

 翌日、身に覚えのないことで謝られたテルミは困った。





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