最も強力な魔法薬に属する薬。
望む者の一部を加えることで、一時的に望むそのものになる。
もっとも、人間ではないモノの一部を手に入れた場合は注意することだ。
……好奇は最も慎重に取り扱うべきなのだから……
クリスマス・ディナーは、クルックスにとって数少ない楽しみの一つだ。
豪華絢爛に彩られた霜に輝くクリスマス・ツリーが立ち並び魔法で作られた氷の彫像が輝いている。
重要なことは、七面鳥だ。
「ぐぅ。美味しい」
思うに、鶏の美味しさとはズバリ脂肪にあるだろう。それはそうと叉骨を噛み砕きながらクルックスは唸った。
「十回聞いた。骨まで食べるのはやめないか」
五羽目の七面鳥を解体しているとネフライトが言った。
「あー。なんだ、ダメなのか?」
「隣でバリボリうるさい」
かぼちゃジュースを傾けるネフライトが眉をひそめた。
彼はすでに食事を終えていた。
「クルックス、まだ食べるの?」
「食べる」
「マッシュポテトがあるわ。たくさん食べてね?」
ネフライトと時を同じくして満腹になったテルミが皿を寄せた。
「テルミ、自分の食べないものを押しつけるのはやめたまえ。こんなに美味しい芋なのに」
テルミから皿を取り上げたセラフィは先ほどから梨を食べ続けている。ネフライトは、うんざりしたようだ。
「それも七回聞いたぞ。……いつまで食べる気だ?」
「必要なことなのだ。くれぐれも席を立たないでくれ」
すでに生徒は団欒する四人とデザートを食べ続けているクラッブとゴイルしかいなくなっていた。そのスリザリン二人組も「カップケーキを寮で食べよう」という話になりつつある。
横目で彼らを見ていたネフライトが「『豚どもめ』と言いたいところだが」と小さく呟いた。
「君がそう言うから、ここに留まっているのだ」
「仲良くするのも良いでしょう? アイスなんてどうかしら?」
「見るのも嫌だ。特に歯磨き粉の味がする、それ。正気を疑う」
「歯磨き? チョコミントのこと?」
「薬品臭くていけない」
「まぁ、良いことを聞いたわ。ミント栽培しましょう、ミント」
「冗談でもやめてくれ。あれは繁殖力がスゴいんだ。そこのポットを取ってくれ。冬だというのになぜテルミはアイスを食べているんだ? 体を冷やすのでやめろ。お茶を飲め、お茶を。……クルックス、もう骨を食べるのはやめないか」
スリザリンの二人組がケラケラ笑って去って行く。
ネフライトは手遅れだと知っていたが、注意した。
「あ。うむ。……仕方ない」
噛みつこうとした骨を置いたクルックスはフォークとナイフを持った。
「噛み応えがあって楽しくなってしまった。今年は六羽にとどめておこう。美味しかった。さて、そろそろ事態が動き始めるようだ。」
「事態?」
セラフィが訊ねた。
すぐには答えず「まあ」と曖昧にごまかした。
やがて。
「ポッター達には、マルフォイに仕掛けたいことがあるらしい。俺は三人にそれを邪魔してほしくないのだ」
ほろ酔いの先生方がまばらになった頃合いでクルックスは言った。
すでにテーブルには四人しかいなくなっていた。彼らは口々に「へえ」とか「そう」と言った。
「クルックス。貴公、同じ寮なのに消極的協力姿勢なのはなぜ? セラフィを足止めしておきたいのね。ついでにわたしとネフも。手を貸すにも中途半端ではなくて?」
「俺は君のように上手く立ち回れないからだ。下手にかかわって引き際を間違えたくもない」
「あら。お優しいこと。クルックスは心配なのね。心配で仕方ないのね。お父様のように『うっかり』『善意で』『トドメ』を刺しちゃいそうで怖いのね」
「違う。俺は、そうではなく」
言い訳の暇はなかった。ネフライトが立ち上がり「では、もう済んだろう。済まなくとも勝手にやってろ。私は忙しい」と席を立ったからだ。
セラフィだけが首を傾げた。彼女は、梨のコンポートにシナモンを振りかけ過ぎていた。
「僕らが探しても見つけられないモノをマルフォイが知っているとは思えない。ポッター達が見つけられるとも思えない。先生方でさえ困難だというのに。……君が期待する結果などありえないと思うが」
「だから『放っておけ』と言いたいんだ」
「では、そうしよう。──ところでテルミ。僕の寝室に青い林檎があるんだ」
「そうなのね。食べ物を寝室まで持ち込むのは良くないわ。早めに食べてしまってね? 食べさせて欲しいのならお茶会に持って来てもよいのですけど」
テルミがセラフィの手からフォークを取り上げた。
そして、コンポートを口に運んだ。
「はい、あーん、して?」
「ん。ひとりで食べられるよ。けれど、ありがとう。おいしいね。僕は果物が好きみたいだ」
「お」
セラフィは、テルミが差し出した梨を食べた。
──俺だって出来る。思わずそう言いかけたクルックスは、セラフィが唇を舐めたのを見て目を逸らした。赤い舌が妙に印象に残る。禁忌を垣間見た気分だった。
テルミは上機嫌でセラフィの手を握った。
「あら。去年は何を食べても変わらなかったのに。好きと嫌いが分かるようになったのね?」
「正確には『好き』と『好きではないもの』の違いだよ。僕には『嫌いなもの』がないからね」
「そうなの? わたしは? わたしのことは?」
「好きだよ」
クルックスは喉の奥で何かが詰まる感覚があった。きっと鳥の骨だろう。
「どれくらい?」
「たくさんだね」
「大雑把すぎるわ。もうちょっと具体的に──あ。いえ、そうね。貴女の心を知りたいの。心の裾を慕わせていただけないかしら。夜警さま?」
「ふむ。そうだね。君がくれる洋梨をあと一口、二口、食べたいと……僕からお願いしたくなるくらい、かな」
「まぁ、わたしをくすぐるのがお上手ね。はい、あーん!」
「うん。おいしいね。──それで青い林檎のことだ。そのうち食べたいのだが、たぶん酸味が強くてね。どうしたら甘く食べられるだろうか」
「温めればいいと思うわ。それでも酸味が強いなら、お砂糖を入れたお茶と一緒に飲むといいかしら。そうそう、今日事態が動くなら、お茶会は明日がよいのでしょう」
「了解だ。僕が鐘を鳴らそう」
クラッブとゴイルが大広間を出て約三〇分が経った。
三〇分もあれば、ハリー達の用事も終わるだろう。クルックスは解散を告げた。
「念のため、僕は談話室に直接行く。……要するに今日彼らと出会わなければいいのだろう?」
大広間を出てすぐ。周囲に誰もいないことを確認するとセラフィは夢に姿を溶かした。
ひとつ大きな用事を終えてクルックスは肩が軽かった。対するテルミはクスクスといつものように薄く笑った。
「そうやって油断している時が一番危ないのよ。『ああ、良いことやったなーっ!』って時がね。お父様がおっしゃっていたわ」
「彼らがマルフォイからどうやって聞き出すにしても尋問は三〇秒あれば充分だ。時間稼ぎとしては上等ではないか。三〇分だぞ」
「順調ならね。それにしても、あの三人は思いのほか度胸があるのね。彼らが『グリフィンドール』として配された理由が分かるわ。ちょっと見直しちゃった。ウフフ」
「テルミは、何を知っているんだ?」
彼女は、スリザリン寮がある方角を見つめた。
「あの子達、薬を作っているのよ。名前は聞き取れなかったのですけど、姿を変えるとか何とか? ゴーストが棲みつく女子トイレで。厄介な手順の面白そうな薬。どんな効き目が現れるのかしら? わたし、とっても興味があるの!」
「姿を変える薬……?」
今朝の出来事を思い出した。
──一時間も前から起きて、煎じ薬にクサカゲロウを加えていたの。完成よ。
「薬効が切れる前にぜーんぶ終わっていればいいですね」
途端に不安に陥り、クルックスはテルミと同じようにスリザリン寮がある方角を向いた。
「そ、それは、いや。いいや。時間稼ぎとしては上等だ。上等のハズだ。三〇分だ。俺が七面鳥を二羽食べてデザートを完食する程度の時間だぞ。しかも姿を変えるなんて難しい魔法だ。それに。そうだ。変装した本人に出くわす危険もある。ダラダラしているハズがない」
──だから大丈夫だろう。
そう言ってしまいたいクルックスは、目を細めて楽しげにしているテルミを見てさらに不安が募った。
「わたしも祈っているわ。けれどセラフィって、ほら、間が悪い子ですから。わたしも心配なの。──セラフィは鴉羽の騎士様のことを敬愛してやまないけれど、しょっちゅう斬首されている理由って本当に彼の癇癪が原因なのかしら?」
そこまで運は悪くないだろう。
言えない理由には、いくつか心当たりがある。
クルックスが寮に戻る足は自然と早くなった。
■ ■ ■
時間は、一時間ほど遡る。
「クラッブとゴイルの毛……毛かぁ……」
ロンが一足先にオエッと吐く真似をするが、ハリーも内心は同じ気分だった。
構わずにハーマイオニーは、指先を突きつけて言った。
「これから変身する相手の一部分が必要なの。絶対よ。はい、これ。簡単な眠り薬を仕込んだカップケーキよ。……やるの? やらないの? マルフォイを尋問するんじゃなかったの?」
断固としたハーマイオニーの言葉にロンとハリーは顔を見合わせた。
──これ以上、マルフォイをのさばらせておくワケにはいかない。
これ以上の被害を許してはいけないと思うし、継承者疑惑のヒソヒソ声を気にする生活はもう嫌だった。
『一時間程度クラッブとゴイルに変身すること』と『これから五年間、疑われて生活すること』を天秤にかければ、前者に傾くのは当然のことだった。
「わかった。わかったよ。やる。でも、君のは? 誰の髪の毛を引っこ抜くの?」
「私のは、もうあるの! セラフィ・ナイトの髪の毛よ」
ハーマイオニーは、高らかに言った。
「うわっ。どうやって手に入れたの?」
ハーマイオニーの手のひらにおさまる小さな小瓶には、キラキラ輝く銀の髪の毛があった。
ハリーは禁じられた森の小枝に引っかかったユニコーンの毛を思い出していた。
「この前の決闘クラブの時に少しの間、お話したの。それで『ローブについてますよ』って言って取ってあげたの。そのまま失敬したけどね。──ヤーナムから来た四人組はずっと食事をしていて、食事が終わったあともしばらく懇親会をするとクルックスも言っていたから、鉢合わせる心配もなし。大丈夫よ。クラッブとゴイルが大広間から出てくるほうが早いわ」
ロンにカップケーキを渡したハーマイオニーは、慌ただしげにポリジュース薬の様子を見に行った。
覚悟を決めた顔でロンが頷いた。
「行こう」
その数分後。
クラッブとゴイルの驚くべき食い意地の悪さが二人を助けた。
ホールの反対側にある物置に眠りこける二人を隠した。
靴を抱え、引っこ抜いた髪の毛を握りしめる。
それから「信じられないバカだった!」と二人で言い合いながら「嘆きのマートル」のトイレへ全力疾走した。
「ハーマイオニー、オッケーだ!」
洗面台近くでポリジュース薬をかき混ぜていたハーマイオニーが顔を上げた。
心なしか緊張しているようだった。
「やったのね。結構よ。順調、順調よ。薬の手順も間違っていないし、見た目も本に書いてあるとおり。ここに着替え用のローブをこっそり調達しておいたわ。男性用はこっち。すこし大きめね」
ハーマイオニーが用意したグラスに大鍋の煎じ薬を三等分した。
手渡されたグラスでハリーは始めてまじまじと煎じ薬を見た。
感想は「煮詰められた泥」だった。
顔を顰めたいがここまで来た以上、ジタバタしても仕方がなかった。
「髪の毛を加えてみて。色が変わるはずよ」
煎じ薬は、ハーマイオニーが自分のグラスに髪の毛を加えた瞬間にヤカンが沸騰するようなシューシューという音を立て、激しく泡だった。
次の瞬間、薬は透き通る赤に変わった。
ハリーのゴイルの髪の毛を加えたグラスは、カーキ色。
ロンのクラッブの髪の毛を加えたグラスは濁った暗褐色に変化した。
「おえー……。ねぇ、ハーマイオニー。僕のと交換しない?」
「え。嫌よ! でも、これ見た目は……その、悪くないんだけど……すごく血の匂いがするわ……」
「……おえー……」
ロンはポリジュース薬の交換を諦めた。
三人は顔を見合わせた。
「急ごう。それぞれ個室に入って『せーの』で飲むんだ」
「効果は一時間。きっかりよ。もう急いだほうがいいわ」
三人は洗面台から、個室に入った。
ハリーが呼びかけると二人から返事があった。
「せーの……!」
鼻をつまみ、ハリーは二口で薬を飲み干した。
煮込みすぎたキャベツのような味が口いっぱいに広がった。
途端に体の中が溶けて捩れる感覚に襲われた。
頭痛と吐き気がひどい。
しかし、吐くことはできなかった。
焼ける感覚が胃袋から全身に広がり、手足の指先まで届いた。
骨や肉が音を立てて変化する感覚は、突然治まった。
気付けばハリーは、うつぶせに突っ伏していた。
丸太のように太い腕で体を支えて立ち上がる。
サイズの合わなくなってしまった靴を脱いで個室を出る。そして、ひび割れた鏡の前に進み出た。
ゴイルが見つめ返していた。
冴えない目に見えるのは曇りきった鏡のせいではないだろう。
「二人とも大丈夫?」
自分の喉から出たゴイルの低いしゃがれ声に驚く。
クラッブの唸り声が聞こえた。
「ハ、ハリー? おっどろいたなあ……どこからどうみてもゴイルだよ」
「君こそクラッブだよ……あー、あー、……喉が変な感じだ」
時計を確認していると最後の個室の扉が開いた。
長い銀色の髪をまとめたセラフィ・ナイトが現れた。
クラッブとゴイルより背の高い彼女は、当然ハーマイオニーよりも背が高い。
視線の高さが気になるのかハーマイオニーは辺りを見回した。
「この体、何だかすごく軽いわ。五〇メートル走六秒を切れそうよ」
「それって、アー、すごいの? メートル?」
「マグルなら国の代表になれるわ。いえ、物のたとえだけど……なに?」
ハーマイオニーは、じろじろ見るロン──外見はクラッブだ──に気が引けたように身を遠ざけた。
「……ナイトのこと実は近くでよく見たことがないんだけど、初めて見るんだけど……思っていたより、ずっと綺麗だ。ホグワーツでは見かけないタイプの美人って感じで……」
ハーマイオニーが明らかにムッとした顔でロンを睨んだ。
睨みつける程度の目が普段のナイトらしいとハリーは思った。
「あ、そう! ご存じないかもしれないけどホグワーツにも美人はいますけどね! 見とれている時間はないわ」
「そっちの目つきの方が、普段のナイトらしいよ。ロンは……もうすこしボヤッとした顔の方がクラッブっぽい」
急いでローブに着替えながらあれこれと姿勢や表情を相談した。
もう五分も経ってしまった。
トイレの入り口をそろそろと開け、周囲に誰もいないことを確認して出発した。
「スリザリンの談話室がどこにあるのかわからないの」
「いつもは……あのあたり、地下から出てくる気がするな」
三人は大理石の階段を降りていった。
大広間からは、まだヤーナム四人組の話声が聞こえていた。
あとは一人でもスリザリン生が来れば談話室までついていけばいい。
だが、今年のクリスマス休暇は生徒の数が例年より少ないのだ。
今日に限って誰も来る気配はない。
ハーマイオニーは、ややパニックになり、しきりに時間を確認した。
「大丈夫。まだ薬の時間はあるよ……」
ロンがなだめるが、焦りが滲んでいる。
地下に入ると迷路じみた廊下に出た。奥へ奥へ誘うように学校の地下深くまで繋がるようだ。
十五分も歩き、三人の間に無言の諦めムードが漂い始めた時。前方で誰かが歩いてくる音が聞こえた。
ロンの兄でグリフィンドールの監督生であるパーシーだった。
クリスマス休暇でグリフィンドールに残った数少ない生徒である。そんな兄に対しロンが「困難な時にこそ監督生は先生を支えなければならないと思っているみたいなんだ……」とぼやいたのは休暇に入った初日のことだった。
「こんなところで何をしているんだ?」
ロンが思わず声をかけてしまった。パーシーは、冷たい顔で三人を見た。
「そんなこと、君の知ったことじゃない。クラッブとゴイル、それから……」
「ハー──ナイトで、だ」
自分の名前を口走りそうになったハーマイオニーは、何とか取り繕った。
「それじゃ自分の寮に戻りたまえ。この頃は、暗い廊下をうろうろしていると危ないからな」
「自分はどうなんだ?」
ハリーは「普段のスリザリン生ならば素直に引き下がるハズがない」と思ったので、ふてぶてしい態度で顎を上げた。しかし、ゴイルにしては機転の利きすぎた言葉だったかもしれない。
「僕は監督生だ! 僕を襲うものは何もない」
今度はロンが言い返そうとした、その時。背後から「オイ!」と声がかかった。
初めてハリーはマルフォイに会えて嬉しいと心の底から思った。それは他の二人も一緒に違いない。
「そんなところにいたのか。今まで大広間でバカ食いしていたのか? ナイトまで!」
「あー……帰ろうとしたところを絡まれてしまったの、だ。近頃は物騒だというのに困ったことだよ」
──セラフィは同郷であるクルックスと似たぶっきらぼうな話し方をする。
ハリーの助言を思い出したらしいハーマイオニーが嘆息と共に肩をヒョイと上げた。
「ウィーズリー、こんなところで何の用だ?」
「監督生には敬意を示したらどうだ! 君の態度は気に食わん!」
パーシーは早足で廊下を去ってしまった。それを見てマルフォイは鼻で笑い、ついてくるように合図をした。
「あのピーター・ウィーズリーのやつ、パーシー? なんでもいい。あいつ、どうもこのごろ嗅ぎ回っているようだ。何が目的か、わかってる。スリザリンの継承者を一人で捕まえようと思っているんだ」
マルフォイの嘲笑を曖昧に受け流し、ハリーとロンは目を見交わした。
やがて湿ったむき出しの石が並ぶ壁の前でマルフォイは立ち止まった。行き止まりだ。
──バレたのだろうか。
ヒヤリとしながら黙っているとマルフォイが合言葉をロンに訊ねた。
「あー、えぇーと『穢れた血』? 『スクイブ』だっけ?」
「それは先月と先々月だ。ああ、思い出した。そうそう、純血!」
壁に隠された石の扉がスルスルと開いた。
スリザリンの談話室は、細長い天井の低い地下室にあった。
壁と天井は荒削りの石造りだ。天井から丸い緑がかったランプが鎖で吊してある。
暖炉には獅子と大鷲を絡め取った蛇の彫刻が施されている。すでに談話室に彼ら以外の人はいないが、暖炉は楽しげな火が弾けていた。
「ここで待っていろ。ナイトも。見物だぞ。父上が僕に送ってくれたばかりなんだ」
マルフォイは得意げに言って──たぶん寝室だろう──扉をくぐっていった。
「……マルフォイを待ちましょう。ハリー、ロン、もうちょっとくつろいだ風に座ったほうが良いわ」
「ハーマイオニーは座らない?」
「このまま三人で行動するのは怪しまれるでしょ。だから、ある程度の話をさせて、私が核心を質問をする。その時は、マルフォイが答えても答えなくてもどっちでもいいわ。それから私は『用事を思い出して』先に談話室を出る。私がいなくなったあとで質問のことをもっと聞いて。腰巾着の二人の方が話を聞き出しやすいと思うの」
「それでいこう」
扉がパッと開いた。
三人は「すわマルフォイか」と思ったが、大間違いだった。
「林檎は、焼けばよいのだ。ふむ。たいていの物は焼けば食べられる。燃料の問題が解決すれば向こうでもきっと……」
青い林檎を宙に投げて弄びながら、本物のセラフィ・ナイトが現れた。
落ちてきた林檎をつかみ、手の中でくるりと回す。
ふと彼女が林檎から視線を外す。
その先には、まさにハリー達がいた。
暖炉近くの椅子に向かった足が止まり、琥珀色の瞳が大きく見開かれた。
「父上がさっき送ってくださったんだ!」
最悪のタイミングで現れた。
すこぶる機嫌良さそうなマルフォイだ。
「──っ!」
ハリーの隣ではロンが食いしばった歯の隙間から「もうダメだ。おしまいだ」と漏らした。
ハリーも同じ気分だった。
マルフォイの後方には──結果的に幸運なことに──足を止めてしまった本物のセラフィがいる。
けれど、もし彼が振り向けばセラフィが二人いることがバレてしまう。
「あっ」
取り繕ろうとしたハーマイオニーが思わず声を漏らす。
マルフォイが首を傾げた。
「どうしたんだ? ナイト。『あ』って」
マルフォイが三人の驚いた顔に気付き、視線の先を見るため振り返った。
三人が思い思いに声を上げた瞬間。
ハリーは気付いた。
本物のセラフィの姿は消えていた。
「……? なにを見ているんだ?」
三人はそろって首を横に振った。
「な、な、何でもない」
「は、腹が痛くて……」
「…………」
ハーマイオニーは声を上ずらせた。
ハリーは奇妙な心地のする腹をさすり、ロンはコクコクと頷いた。
「食べ過ぎだ。──見ろ、これは笑えるぞ」
それは日刊予言者新聞の切り抜きだった。
ロンは、マルフォイから記事を渡され、急いで読み、無理に笑って見せる。ハリーは彼の手から記事を取った。
──魔法省での尋問
──マグル製品不正使用取締局、局長のアーサー・ウィーズリー氏、マグル保護法の初適用!
ハリーの肩越しにハーマイオニーが「あぁ……」と呻いた。
「はは、ははは……」
「傑作だろ?」
マルフォイは待ちきれないように言って笑った。
ハリーの気持ちは沈みきっているが、隣のロンの方が深刻だった。笑うしかない心境になっているらしい。最高にクラッブらしく笑っている。
マルフォイは、新聞の切り抜きをポケットに突っ込み、くすくす笑う。
それからテーブルに広がる誰かの日刊予言者新聞を叩いた。
「見ろよ。日刊予言者新聞が、これまでの事件をまだ報道していないのには驚くね。ダンブルドアの口止めだって父上はおっしゃってる。生徒が石になる一連の事件が終わらないとダンブルドアのクビも時間の問題だろうよ」
鼻で笑うマルフォイは、楽しい未来の話をするように語った。
ムカムカと胸の内が騒ぐ。反比例するように彼は楽しそうな顔だった。
「父上は、ダンブルドアがいることがこの学校にとって最悪の事態だっていつもおっしゃ──」
「それは違う!」
マルフォイは目を見開き、ムッと顔を赤らめた。
言葉を遮られた彼はソファーから身を起こした。
「何だい? じゃあ、ダンブルドアより最悪なヤツがこの学校にいるって言うのか?」
「ハリー・ポッターだ」
「たまにはいいこと言うじゃないか」
マルフォイはゴイルを見直したように頷く。
笑いかけた先はハーマイオニーだった。
「あ、ぁ、ああ、そうだな」
「へえ。ボージン・アンド・バークスでは違う意見だったみたいだけど変えたのかい?」
恐るべき質問が来てしまった。
隣でロンが体を強張らせる。
ハリーは横目でチラリとハーマイオニーを見た。
緊張のあまり顔が赤くなっている。
「あ。あぁ、ハリー・ポッターのせいで状況が目まぐるしく、か、変わっているからね」
やや早口だ。
しかし、マルフォイを納得させることができたようだ。
彼の目が、好奇にキラキラ輝いた。
「そうだろうね。みんなハリー・ポッターが継承者だなんて考えている! ナイト、誰もいないんだから、そろそろハッキリ言ってくれてもいいのになあ」
「ほう。何を?」
ハーマイオニーが腕を組み、目を細めた。
その緊張した顔をどう見たのか。
マルフォイはますます顔を輝かせた。
「君が継承者なんじゃないかって僕は出会ったときからずっと思っているんだ」
ハリーはドキリとした。
マルフォイはまさに問題の中核を訊ねた。
しかし、ハーマイオニー=セラフィに質問するということは、つまり──ハリーは、あまりのことに唖然とした。
マルフォイは、継承者ではないのだろうか?
彼は、まったくとぼけているように見えない。まさか本当に知らないのだろうか。
そのことにハーマイオニーも当然、気がついたようだ。
授業中に見せる鋭い光が目に宿ったのが見えた。
「わた──僕こそ君だと思っているのだが? 君は、事件のことにやけに詳しいじゃないか?」
「いや、実は事件のことは僕もよく知らないんだ」
「で、でも誰が糸を引いているか知っているんだろう?」
ハリーはすがるように聞いた。ロンも隣で激しく頷いた。
ハリーはマルフォイが犯人か、その真相を知っていると思っていた。
だが、知らないのであれば一連の事件は誰がやっているのことなのか、まったく分からなくなってしまう。
マルフォイは投げやりに言った。
「だから知らないって言っているだろう。何度も言わせるな」
「父親なら知っているだろ? 聞かなかったのか?」
ロンは言った。
マルフォイは父親そっくりの尖った顎を上げた。
「だ・か・ら、何度も言っただろう。聞いたけど答えてくれなかったんだ。詳しく知っていると疑われるからな。それに父上も好きにやらせておけっておっしゃってる」
ロンの顎がカクンと開いた。
今日で一番クラッブらしい顔だった。
「しかし、ナイトではないのか? 残念だな。継承者が誰なのか知っていたらなあ。手伝ってやるのになあ。本当に残念だよ」
「…………」
三人は素早く目を合わせた。
マルフォイは気付かなかった。
「父上は前回、秘密の部屋が開かれた時のことも、まったく話してくださらない。でも、僕も一つだけ知っている。この前、秘密の部屋が開かれたとき『穢れた血』が一人死んだ。今回も時間の問題だろう。あいつらのうちの誰かが殺される。──グレンジャーだといいのに」
ロンが思わず立ち上がった。
「お前達、どうしたんだ。何かおかしいぞ」
「腹が痛いんだ……」
「あ、えーと、じゃあ前に部屋を開けた者が捕まったかどうか、知っている?」
「ああ、ウン……誰だったにせよ、追放された。まだアズカバンにいるだろう」
「あ、アズカバン?」
「アズカバンだ。魔法使いの牢獄だ。ゴイル、お前……これ以上、うすのろだったら後ろに歩きはじめるだろうよ」
ロンに「こらえて」と小声で言い、共にソファーに座った。
「父上は今、大変なんだ。ほら、魔法省が先週、僕たちの館を立ち入り調査しただろう? ……幸い、大した物は見つからなかったけど。父上は非常に貴重な闇の魔術の道具を持っているんだ。応接間の床下に、我が家の秘密の部屋があってさ……」
「ホ、ホーッ!」
ロンが素っ頓狂な声を上げた。
マルフォイとハリーはロンを見た。髪の毛が赤くなっている。
ハリーも自分の額に触れた。太い指先に傷を感じる。
素早くハーマイオニーが一歩、足を引き、談話室の出口に駆けだした。
ハリーとロンも駆けだした。
背中にマルフォイの声が追ってきたが、もう構いはしなかった。
■ ■ ■
「……何だったんだ?」
それから数分経った後で生木が爆ぜる音が聞こえた。
「さてね」
マルフォイは驚いて立ち上がり、暖炉を見た。
暖炉の前では、セラフィが椅子で寛いでいるらしい。編み上げの革靴が揺れているのが見えた。
「君は、さっき外に……? だが、君はいつも思いがけない場所から現れるからな。どういう魔法なんだい?」
「答える義理はない。しかし、好奇とは、どうして愚かに見えるのだろう? 好奇とは、好奇心とは、きっと人間の輝かしい進歩の先触れであり、篝火だろうに。どうして僕には……。ふむ……」
セラフィは、食べ終えた林檎の芯を暖炉に放り投げた。
「やはり酸味が強いな。僕の好みではない」
■ ■ ■
「マルフォイじゃないなんて! じゃあ、これまでのあいつの態度は全部、知ったかぶりの高慢ちき……だったってコト!? あと、絶対! ナイトは僕らに気付いたよ!」
「大丈夫! 変装は完璧だったもの! それにナイトがどうやって他人に説明するの? 『僕がもうひとり談話室にいました』って?」
「あ、うん、それは」
ロンは、ちらりとハリーを見た。
「他の人には聞こえない声が聞こえるくらい、マズい話だよね……」
三人でダボダボになってしまったスリザリンの制服を脱ぎ捨て、グリフィンドールの制服に着替え直しているとロンが「マルフォイ、あの野郎、信じられない!」と目を丸くした。
トイレではときおりマートルがグズって泣き出す以外の声は聞こえない。消灯時間に間に合わせるため三人は大急ぎで着替えていた。
「むしろマルフォイも私達と同じ立場だったって分かったわ」
「え? 同じ?」
個室で靴下を履き終わったハーマイオニーがようやく出てきた。
「スリザリン寮のマルフォイが『スリザリンの継承者を探している』ということよ。そして、マルフォイはセラフィ・ナイトがそうじゃないかと思っていた。だから……もし、セラフィ・ナイトが継承者じゃなかったら事態は最悪ね。──スリザリンには『継承者がいない』ってことになるわ」
「じゃあ、誰が」
言いかけたハリーの肩をロンがつかんだ。
思いがけない強さに驚く。
振り返るとロンはあらぬ方向を向いていた。
「ノクターン横町!」
「な、なに!?」
「ノクターン横町だよ! ハリー! 夏休み! 一緒に教科書を買いに行った日にノクターン横町でナイトを見たって言ったろう?」
ハリーは、ロンに言われてハッとした。
──そうだ。
ノクターン横町のボージン・アンド・バークスという怪しげな店の中でハリーは彼女を見ていた。そして、彼らの商談はまとまったのだ。
「商品が準備できたら学校に連絡しろって言ってた……」
ロンの閃きは、新しい光明だった。
「それが、学校に届いたら? それが、闇の魔術の品だとしたら?」
テルミの「あーん」:
テルミは意外と──などと言えば失礼なことですが──とことこ歩き回って、いろいろな人のお世話をするのが好きな性格です。同時に医療者として周囲を侮りがちな性質を持ち合わせていますが、その性質も月の香りの狩人の関係者に対しては、すっかりかげをひそめる傾向にあります。
セラフィの画一的な「好き」は、自分の「好き」とは違いますが、それでも温かい感情は彼女にとってもくすぐったい嬉しい感覚のようです。またクルックスがタジタジしている様子を見ているのは、とても愉しいことです。
それ……親和性が高いってコト!?
ご存じの方はいるだろうか。
かつてTwitterで賑わった「ちいかわBloodborne」という恐ろしいタグを──。
セラフィの銀糸:
セラフィの髪を使って変身したハーマイオニー。
猫マイオニーを期待していた方はすみません。映画で補給してください。筆者はコマ送りで見ました。尻尾まである!
果たして他の三人の髪の毛を使っても同じ状態になったのかは不明です。
セラフィは何度か作中でも口にしていますが、彼女の自認は「僕は人間」です。
他の三人はあまり口にしない言葉です。唯一(かもしれない)クルックスは、地の文中の心情で「短い『人』生(略)」などの言葉を使いますが、テルミやネフライトは滅多に口にしません。
存在を定義するのは血ですが、使われたのは髪の毛で厳密には液体の血ではないため、魔法界におけるポリジュース薬では通常処理がされました。これが生き血であったのなら、どうなったのか。その答えを知るべくビルゲンワースに存在するクィリナス・クィレル元教授にポリジュース薬の作成を依頼する学徒は存在することでしょう。
四仔は使われたのが『ポリジュース薬』であるという名称を知りません。もし、知っていたらネフライトあたりは放っておかなかった出来事になったでしょう。
次回
テルミのお茶会
「闇の魔術の品ですって、お姉様、こわーい」
「聖歌隊の目隠し帽子は怪しいから仕方ないね」
「カインの兜の方が不審者だと思うけれど……」
「ほう。君は湖の大イカとどうしても遊びたいらしい」
「やはり時代はカインハーストよね
(月の香りの狩人も協賛しています)」