人の前で己を示すため誓いを立てること。
狩人の仔ら、特にもクルックスが自らに課す誓いは重い。
ヤーナムに希有たる善性は、だからこそ彼を苛むのだ。
長いような短いようなクリスマス休暇が終わった。
再び学校には生徒が戻ったが、相も変わらず冷え冷えとした学校生活だ。
唯一、変化があるとすればネフライトが主宰する『互助拝領機構』だった。
「おい、何をしている?」
放課後、日課となった廊下の哨戒をしていたクルックスは声をかけた。官憲仕込みの問いかけに自分でも「あぁ、またやってしまった」と悔やむ。
廊下で出会ったルーナ・ラブグッドは、投げかけられた声に大きな目を見開いて振り返った。今日は、彼女の隣に列車で偶然一緒になったことがあるジニー・ウィーズリーもいた。ジニーがビクリと震えた。
素早く「すまない。何か咎めたかったワケではないのだ」と釈明した。
「──ああ、あんた。クルックス・ハントだ」
「覚えてくれて話が早い。また互助拝領機構のチラシか。参加者は増えたか?」
「増えたよ。この子。ジニーだ!」
ルーナは自信満々で紹介したが、一方のジニーは「ち、ちが……あたし、そんなつもりじゃ……」と言いかけた。
気持ちは分かる。
クルックスの目もつい遠くなる。変人グループに誘われたとあっては、他の交友関係にヒビが入ると思っているのだろう。クルックスは気にしないが、一年生の女子の微妙な機微で成り立つ交友関係は面倒だという程度は想像がついた。
「見学だけでもって誘われて……」
「今日は、決闘クラブでやった呪文を学び直すんだ! あんたも来たら?」
「廊下の見回りが終わったら向かおう。ネフにもそう伝えてくれ」
クルックスは、ルーナが掲示板に貼ろうとしていたチラシを受け取った。
チラシには大きな文字で『初★心★者★大★歓★迎』の文字がある。
丁寧に折りたたんで外套のポケットに突っ込んだ。
「それじゃあ、またね」
「よい学びを」
ヒラリと手を振って別れた。
三十分もしない間に合流できるだろう。
そういえば、どの教室でやるか聞かなかったが、校舎を一周する間に分かるだろう。
「…………」
左手ですぐに銃が撃てるように歩くことが癖になった。
放課後はローブを脱いで狩人の外套をまとうことにしていた。狩人の服は、物理法則を物ともしない収納力を秘めているからだ。獣狩りの短銃の銃把に手をかけて周囲の様子をうかがいながら歩く。
とある廊下を曲がったところでスネイプ先生に出くわした。
「スネイプ先生、こんばんは」
「ああ」
素っ気ない。
通りすぎようとしたところ「待ちたまえ」と声をかけられた。
「ふくろう便の件はどうなったかね?」
「ウィーズリーに依頼しました。現在、ウィーズリー夫妻から可否の返答待ちです。返答あれば、次第を報告いたします」
「……年度末までに報告したまえ。寮監でも構わん」
「了解しました」
会話はそれきり終わり、スネイプ先生は去って行った。
ヤーナムのことはもちろん獣の皮を被る男のことなど話題にもしたくないように見えた。
──殺されかけたのだから、それもそうか。
クルックスは再び歩き出した。
(お父様は……スネイプ先生に感心もしていたが、怒りもしていたな)
武装した狩人でなければ生き残るのが難しいヤーナムの夜。
そこで魔法使いが太刀打ちできるとは思っていなかった狩人は、来訪者であるスネイプ先生が生きていたことにとても驚き、感服した。
しかし、夜が明けて会話を交わすうちにその心証は苦いものになった。
クルックスは、スネイプ先生と狩人が会話を交わしているだけに見えたが、狩人は無礼だと感じる何かをされたらしい。終いにはガトリング掃射をお見舞いすべきだったと述べて会話を中断させた。普段は誰であれ、ひとまずは会話しようとする狩人がそのような態度を取るのは珍しいことだ。ビルゲンワースの学徒達がいない場所で物事を決められないという制約があるとはいえ、穏やかな会話の中断だったとは思えない。
スネイプ先生が話題にしたくないのは、引け目があるからかもしれなかった。
窓が多い廊下にさしかかった。ほとんど真横から夕日が差し、クルックスは目を細めた。
足を止めて校舎の外を見ると森番の家とその奥に広がる禁じられた森が見えた。
「…………」
怪物がいるとすれば、それは森ではないかと思っていた。
マクゴナガル先生が変身術の授業で言った。
──歴々の先生、専門家が秘密の部屋の確認に挑み、そして見つからなかった。
生徒より遙かに高度な魔法を操る彼らによって存在が確認できない以上、部屋自体はただのおとぎ話であり、怪物と切り離して考えるべきではないかとクルックスは思っていたのだ。例えば、秘密の部屋とスリザリンの怪物は元々別個に存在するおとぎ話で口伝のうちに両者は混ざり、同時に語られるようになった──とか。
しかし、ネフライトはそれを否定した。スリザリンの継承者、秘密の部屋、怪物。三位は一体のものなのだ、と述べた。
(──怪物。果たして、いかほどの神秘があるものか)
クルックスが銃把を撫でる。
短銃に充填されているのは、特別な水銀弾だ。
(何であれ、打ち砕けるハズだ。殺しきれるハズだ。滅ぼせるハズだ。──お父様の血だ。まともな生き物であればあるほど効果的だろう)
学徒が命名した『青ざめた弾丸』は、狩人の特別な血から作られた銃弾だ。その威力は試したことがない。
しかし。
『いやあ、狩人君の血って無理に採取しようとしても消えちゃうんだよ。内臓攻撃した血もね。それに死んでも死体が残らない。血も残らないのさ。血の遺志は、厳密に血──実体のある人血という意味だが──ではないだろう。だからだと思うのだが……まあ、それも狩人君が献血する気分になれば僕らでも採取ができるけど。彼は、そういう気分になることが少ないからね。けれど『見てくれ』はどこからどうみても輸血液だ。水銀に混ぜ込めば使えるだろう。医療者として保証するよ』とは学徒コッペリアの談。
狩人も水銀弾として使用することを推奨していたので威力に問題はないだろう。
むしろ。
『俺が使っている、俺の銃の銃弾に入ってる、俺の血だ。当然、大丈夫に決まってる。カインの狩人達に匹敵する高い血質でもある。ただ、上位者の寄生虫は人に──まぁ気にするほどでもないな』
とても気になる含みを残したことだけが気がかりだ。
列車の時刻が迫っていたため、それ以上の追求はできなかった。
とりあえず威力だけは保証されているので今回、クルックスは採用することにした。
「しっかりしろ。問題ない。……俺がしくじっても三人がいる」
怪物だけを仕留めればよい。
そのためには、これまでの被害者が襲われた廊下を歩き続ける必要があった。
自らの命を的にして敵を誘き出すしかないのだ。
再び歩き始めたとき。
突如、脳裏に刻んだ、連盟の『淀み』のカレルが蠢いた。
久しぶりの感覚だ。
最初に訪れたのは驚きでも喜びでもない、違和感と異物感による吐き気だった。
しかし、それが何によってもたらされたものだったか。
理解した瞬間にクルックスは銃を抜いた。
「やはりそうだ! ハハハハッ! そうさ! そうなのさ! お前らも穢らわしい血なのだろう! 汚物の、糞袋がッ!」
無限の高揚感に突き動かされ、クルックスは駆けた。
目をあちこちに向けてカレルの反応の濃淡を探る。
そして、導くようにカレルも蠢いた。間違えではない。確実な反応を示している。
「彼方のお父様、あぁ、栄えある連盟の同士! ご照覧あれ! 必ずや俺は虫を踏みつぶして、踏みつぶして──!」
辿り着いたのは、一室の教室だった。
ドアノブに手をかけ、ひねろうとしたその時。
聞き慣れた人の声が聞こえた。
「──さあ、座学は以上だ。これから実技を始める。お互いに呪文をかけ合ってもらう。まずは武装解除の呪文からだ──」
耳の奥で音を立てて、血の気が引いた。
カレルの反応は明確に教室の中を示している。だが、この先にいる人物をクルックスは皆知っているのだ。
頭の中で噛み合っていた重要なものが次々と壊れる感覚に陥る。
クルックスはドアノブを握ったまま、そこから進むにも退くこともできなくなった。
(使命を果たさなければ。連盟の。俺は、連盟員なのだから。だが、この先はネフが、セラフィがいて──違う違う、彼らに虫がいるハズがないッ! では、ルーナか? それともウィーズリーの妹? け、獣ではないのに? まだ瞳孔の輪郭も明確な人だというのに? 数十分で変態が進み──違う違う、淀みなど無いはずだ──さきほど会ったとき、カレルは反応しなかった! ──では? 誰だ? 何だ? 『淀み』のカレルは、いったい誰に反応しているんだ?)
考え続ける意味は薄い。
扉を開ければ、答えがあることをクルックスは知っていた。
躊躇が連盟の異議に悖ることを知りながら、それでも進めないのは、虫の存在が自分の見知った誰かにあると認めたくなかったからだ。
忠と親愛の狭間ですり減りそうなクルックスを救ったのは、意外な人物だった。
「おや。チラシを見て、教室を探していたのですがね。どうやら先客がいるようだ!」
チャーミングな笑顔と共に廊下の向こうからやって来たロックハート先生は、ニコッと笑ってウィンクした。
そして、いつまでも教室に入らないクルックスを見て首を傾げた。
「えー、君、入らないの?」
「は……俺……いえ、俺は、俺は……」
「まあまあ、若人よ! 恥ずかしがることはない! 私と一緒に来たんですからね! むしろ、歓迎されることでしょう!」
短いノック。
室内からの応答を待たず、そしてクルックスからドアノブを奪い取るようにロックハートは握って、ひねった。
「ぃ……! まって──」
扉が開き、背中を押された。
開け放たれた扉を睨み、ネフライトが苛立たしげに教壇から振り返った。時を同じく、立ち上がろうとしていたルーナが目を丸くする。何か書き物をしていたジニーが顔を上げ、黒革の本をパタンと閉じた。
「おや──これは、ロックハート先生」
セラフィが立ち上がって会釈をした。
突如カレルの蠢きが消え、クルックスは辺りを見回した。感じていた虫の存在感が霧散し、今はどこにも感じられなかった。だが、何がどうなっているのか分からず、首を振った。経験上、カレルの蠢きは虫を踏みつぶした時に消えるのだ。
足下を見る。ただの革靴が木目の上にあった。振り返る。どこにも血の跡はない。銃を衣嚢に突っ込み、手のひらを見る。どこも血に汚れていない。
様子がおかしいクルックスを見て、ネフライトが教壇から降りた。
「クルックス、来たまえ。──先生、何か、何か? 現在、見てのとおり互助拝領機構の活動中だ。ロックハート先生、お引き取り願おう」
「まあ、そう言わずにミスター・メンシス。彼が活動に加わりたくて教室の外で迷っていたようですからね。背中を押してあげたのですよ」
「ええ、彼はこの教室に用事があったでしょう。そう。私にね。──クルックス、レポートの添削を持って来てくれたんだろうね?」
ネフライトが強い口調でクルックスに言った。
だが、クルックスには半分も聞き取れなかった。
「違う違う──どうして、なぜ消えたんだ──そんなハズは……どこかに──誰かに──たしかに、虫の」
「クルックス!」
怒鳴ったネフライトが強引にクルックスの体を揺すった。ようやく目の前の状況が見えた彼は怒っているネフライトを見て驚いた。
「わっ。な、なんだ……」
「私のレポートは!?」
「あ、ああ……ここに。でも、まだ途中で……」
クルックスは、ワケも分からず外套のポケットを軽く叩いた。
ネフライトがパッと手を離し、椅子を指差した。
「よろしい。ここにいろ。そこに座って大人しくしているんだ」
「しかし……虫が──」
「座っていろと言っているんだ! いいな!」
「お、ぁ……うん……」
ネフライトの剣幕に圧され、クルックスは近くの椅子を引き寄せて座った。
「よし。……では、気を取り直して講義を続けよう。さて、皆、杖を持っ──」
「よろしい! さあ、皆さん。私が模範を披露しましょう!」
「私が主宰する、私の講義ですよ。言葉を遮らないでいただけますか?」
冷え冷えした声でネフライトは言った。
辛うじて言葉の丁寧さを保っているように周囲は聞こえた。
「あー、そう怖い顔しないで。可愛い顔が台無し」
それから「ハハッ」とロックハート先生は笑うが誰も笑う人はいなかった。
クルックスは、まだ頭の中が虫とカレルの蠢きのことでいっぱいだった。しかし、目の前で今にも銃や剣を抜くのではないかと思えるほど怒っているネフライトを目の当たりにして、意識は徐々に逸れていった。
ネフライトが怒ることは、とても珍しいのだ。
ビルゲンワースの学徒に対面でメンシス学派のことを悪し様に言われても、ひとまずは受け流すことができる程度に許容の上限は高い。そのクルックスがこれまで見たことがないほど怒っていた。顔色は平常と変わらないのに檻の隙間から見える耳の先は赤くなっている。
「おい、ネフ……」
「──いいでしょう先生、そこにお立ちください。私と模範演技をしていただけますか?」
きびきびとネフライトは距離を取るために歩き出した。
丁重なお願いの言葉だったが、すでに彼のなかでは決定事項のようだった。
「いいでしょう! では三つ数えて、イチ──」
距離を取った後に振り返るネフライトは、すでに杖を構えていた。
「ペトリフィカス・トタルス 石になれ!」
結局のところ。ロックハート先生が「ニ」と唱えたかどうか定かではない。意表を突いた呪文は鋭くロックハート先生に突き刺さり、彼は目を見開いたまま石になって転がった。ネフライトは石と化した手から転がった杖を拾い上げ、おもむろに窓を開けると全力で外に投げた。杖は放物線を描き、中庭に飛んでいった。
振り返ったネフライトは、やり遂げた顔をしていた。そして。
「諸君、見てのとおり。決闘に礼儀は必要だ。私も礼儀を重んじる。しかし、私が講義している『戦闘』は礼で始まり終わる代物ではない。時と場所を間違える愚者はこうなるのだ。──セラフィ、捨ててくれ」
「窓から?」
「……うーん……」
ネフライトは沈思を要した。窓と廊下を見比べてどちらが彼の居場所に相応しいか迷っている。そのうちジニーが「か、かわいそう」と言った。
まさかそれに影響されたワケではないだろう。やがてネフライトは「廊下へ」とセラフィを促した。
──この三〇分後に放課後の教室の見回りに来たマクゴナガル先生が、廊下に転がる石になったロックハート先生を見つける騒ぎが起きたが、彼らには興味が惹かれない話だった。
「では、教室が清潔になったところで実技を続けよう。──クルックス、せっかくだから参加してみるかな」
「え……いいのか?」
「落ち着いたのならば、ね。ウィーズリー、クルックスと組みたまえ。ルーナはセラフィと。あ。セラフィ、くれぐれも避けないでくれ。いいな?」
ジニーが赤毛の髪をサッと払って立ち上がった。
クルックスは催促するようにチョイチョイと杖を振った。
「どこか調子が悪いの? その、大丈夫?」
「……問題ない。今はな。……この先、武装解除の時間だ。先に唱えていいぞ」
ジニーは頷き、杖を向けた。
杖腕をまっすぐに伸ばし、ハッキリした発音で呪文を唱えた。
「エ……エクスペリアームス! 武器よ去れ!」
ジニーの呪文の効果は抜群だ。握っていた杖は弾かれるように手から飛び出していく。
「おっ。いいぞ。これまでやったことがあるのか?」
「呪文は、この前の……ロックハート先生の決闘クラブですこしだけ。でも、成功したのは初めてよ」
「ほうほう。そういうものか。次は?」
「『ステューピファイ 麻痺せよ』……なんだけど、それを使うとしばらく動けなくなってしまうから、代わりに『インペディメンタ 妨害せよ』をやる予定。物の動きを鈍らせたり、吹き飛ばしたりする呪文なんだって。何か適当な物を投げつけて」
「よし、分かった。ナイフを六本ほど投げるぞ」
「よくない! どうして、持ち歩いているの?」
「あ。あー。えー。その。ネフに頼まれて」
「どんな頼まれごと……!?」
「せ、詮索は無用だ。分かった。分かった。では椅子を投げる」
ジニーは憮然として腕を組んだ。
「もし呪文が失敗したら、あたしにぶつかることまで考えて提案してほしいけど」
「手頃な物か。俺は手ぶらで来てしまったからな……うーん……あ、この本はどうだ?」
生徒用の長テーブルに置いてあった黒革の本を手に取った。
その途端、ジニーが血相を変えて飛びついてきた。
「──やめてっ! 返して!」
「す、すまない……そんなに気に障るとは……思わなくてだな……」
クルックスはすぐに手を離し、テーブルから離れたがヒステリックに叫んだジニーに全員が振り返った。
「何事だ」
「……その……分からん……本に触っただけなのだが……」
「妨害呪文の練習ならば、これを使ってくれ」
手渡されたのは白くてふわふわした物体だった。
「なんだこれ」
「海綿だ。スポンジ。これは食器や窓ふきに最適なので大量に購入してヤハグルに──んんっ。ともかく」
ジニーは鞄のなかに本を詰めるとパタパタと走ってきた。
申し訳なさそうな顔をする彼女は、もごもごと口を動かした。
「ごめん。あたし、あの本のこと……ビックリしちゃって……」
「俺も無作法なことをしてしまい、申し訳なかった。……続けよう。さ、杖を構えて──」
クルックスは海綿を投げた。
それから概ね充実した時間を過ごし、約二十分ほど経って活動は終了した。
「じゃあね。また来週」
「ああ、楽しみにしている」
ルーナとセラフィはすっかり打ち解けた様子だ。気軽な挨拶を交わし、セラフィはルーナを見送った。
「──ウィーズリー、来週も同じ時間にこの教室で行う。気が向いたら来るといい」
ネフライトが去り際のジニーに声をかけた。
「え、でも、いいの?」
「互助拝領機構に参加する資格は、私が認めることではなく、現在の構成員に勧誘されることだ。だから、ルーナが君を連れてきた時から、君も新しい有資格者になっている。私はその仕組みの話をラブグッドにした心算だったが……ふむ。その様子では聞いていないのだな。どうりで構成員が増えないワケだ。……そういうことだ。気が向いたら来ればいい」
「……ありがとう」
「私に礼は要らない。知恵は望む者に与えられる。君の力になるだろう。寮が違えど決して変わらない価値だ。……拝領を尊びたまえ……」
メンシスの檻のなかでネフライトは目を細めた。
ジニーは頷き、手を振りながら去った。
教室の扉を閉めたあと。
部屋に残ったのは、クルックス、セラフィ、ネフライトの三人だった。
「突然のことで、すこし驚いた。虫が何かと言いかけていたが……な、なに?」
ネフライトが振り返るとほとんど鼻がくっつきそうな距離にクルックスは立っていた。
ジッと探る目で見つめられ、ネフライトは落ち着かない気分になる。
父より薄い銀灰色の瞳は、彼にヤーナムの白霧に覆われた夜空を思い出させ、畏怖を喚起してやまないものだったからだ。
「ああ、そのことなんだが檻を外して服を脱いでくれないか」
「な、な、なんだって? なっあ、こら、ちょっと待て待って──」
聞き咎めている間にクルックスは檻を持ち上げて隣にいたセラフィに渡してしまった。何だか彼らの手際がいい。
──ひょっとして、奸計に嵌められつつあるのだろうか。
ネフライトの脳裏に予想が過ぎったが、しかし、彼らに不利益を与える何かを起こした覚えはないのだ。よって嵌められる謂われもない。言葉と行動の意図がつかめず混乱している間に、クルックスはまるで輪郭を確認するようにネフライトの体のあちこちを触った。
ネフライトは扉に阻まれて後退できず、ドアノブに背中をぶつけた。
「あいたッ、クルックス、その、待て早まるな、私は使用人だが、そういうサービスはしてないし、したことがないし、する予定もないし、セラフィの前だし、そもそも医療者だし、だいたい私だって聖職者の端くれなので聖歌隊のような教義に悖ることはしちゃいけないってダミアーンさんが言って──」
「違う。やはりネフではないのだ。……セラフィ」
「どうしたのかな?」
答えず、クルックスはセラフィの体をペタペタ触った。
「ヘエァッ!?」
その光景に素っ頓狂な声を上げてしまった。しかし、取り沙汰されることはなかった。顔が真っ赤になっているネフライトは放置されたからだ。
やがてクルックスは気が済んだのか「違うな」と言ってセラフィから手を離した。
ネフライトは、床に置かれたメンシスの檻を持ち上げ、クルックスを殴りつけた。
「あッ、痛いッ!?」
「このっ! みさかいなし! は、恥を知れ! 恥を! 説明しろ! わ、私がどれだけ気を回していたのか考えもしないのか!? 頭まで連盟員なのかねッ!?」
「待て、ネフライト。きっと事情があるのだ」
「おぉ、そうだろうそうだろう! でなければただの狂人だ!」
「う……む……そうだな、は、話を、しなければならない……」
セラフィがクルックスの背を押して椅子に座らせた。
落ち着いたところでクルックスは、ぽつぽつと語り始めた。
連盟のカレル。虫のこと。そして辿り着いた教室。
「…………」
セラフィとネフライトは目を合わせて困惑した。
教室にいたのは四人であり、最初から増えても減ってもいない。
そして、誰も獣の予兆はない。
ここは狂気とはほど遠い環境にあるのだ。
「言いたいことは分かる。ここに獣などいない。虫などいないと言いたいのだろう。……だが、カレルが間違えるワケがないのだ。必ず、どこかに誰かに虫が……虫が……いる。いたハズだ……」
「しかし、連盟のカレルは……君の信仰を邪魔する心算はないが……あれは」
ネフライトが言葉を濁すのは、連盟のカレル『淀み』の所以にある。
カレル文字とは、ビルゲンワースの学徒、筆記者カレルが人ならぬ上位者の音を記録し、カレル文字と称したことから始まる。それを脳裏に焼き付けた狩人は、上位者の音に由来する神秘の力を得ることができる。これは血に依らぬ進化として、かつてのビルゲンワースでは大いに期待され、研究されたものだが──『淀み』は異なる経緯で発見されたものだ。
「…………」
伝承では『獣喰らいの内から見出された』と語られる。
獣喰らい。──獣や『獣となった人間』を食べた人間から見出されたものだ。
その行為は、禁忌を破り、冒涜の限り尽くすヤーナムにおいても特に忌避される行為である。筆記者カレルが遺した文字やその他の文字のように上位者から発せられる音を聞き、記した純粋な出のものではない。
ネフライトの本音は「血の迷いに違いない人間から見出されたカレルなど信に値しない」と言いたいところだが、それを言えばクルックスと血を見る争いは避けられず、下手をうてば父たる狩人との諍いにも発展しかねない。だからこそ、彼は連盟とは関わり合いになりたくなかった。
ちらりと隣を見ればセラフィは、相変わらず何を考えているか分からない顔で佇んでいる。
端整な顔とは、このような時に感情が窺えないので嫌いだった。自分の次に「ヤーナムの外の世界がどうなろうと知ったことではない」と思っているだろう彼女がクルックスに何を語るのか。興味はあるが、迂闊に語らせてクルックスに同調させるのはよろしくない。しかし、強硬に否定すれば「ではこれから全員の腹を捌いて確認しようか?」なんて言い出さないとも限らない。
連盟員としてのクルックスは、使命に忠実だ。
彼には即座に教室に入らない程度の恐怖と躊躇があった。
それでも踏み込むのは時間の問題だったとネフライトは思う。
あの場でロックハート先生が来なくとも彼は必ず来ただろう。
連盟の使命を全うするために。
(……連盟のカレルが反応した……誰になぜ……どうして消えたのか。納得させられる、合理的な理由……)
ネフライトの頭には無数の言葉が浮かんでは消える。それでも、およそ万人が納得できる理屈は見つからない。
カレル文字を人の身に刻む以上は絶対的な客観はありえず、主観は避けられない。なかでも『淀み』は、カレル文字を刻んだ者の意識を反映する。──願うものにだけ見え、尽きぬ使命を与えるのだ。
ゆえに現状を極端に理解してしまうと「クルックスが望んだから、虫はいた」としか言えず、何をどう言い繕ったところで「君の気分の問題だよ」という結論になってしまうのだ。
セラフィも『淀み』の効果や由来を知っている。隣に立つ彼女が迂闊なことを言わないかどうか、すでに気が気ではないというのにネフライト自身も注意が足りていないことを口走ってしまいそうだった。
再び言葉を継いだのは、クルックスだった。
「やはり気になる。二人を調べてくる」
「待て、クルックス」
セラフィが立ち上がった彼を椅子に押し戻した。
「待たない。虫は隠れ、蠢いている。カレルは反応しないが……それはヤーナムより隠れるのが上手なのだろう。そして俺が未熟だから見えないのだ」
クルックスの言葉は、きっと誰かに言われた言葉だ。
ネフライトは入れ知恵をした誰かを苦々しく思った。クルックスだけであれば何とか言いくるめて「勘違いだった」と言わせることができたかもしれないのに。しかし、ネフライトが新たに口を挟む前にセラフィが力強くクルックスを椅子に押し付けた。
「君の使命を邪魔する心算は、僕もない。──だが殺すのは善い行いではない。学校のなかでは特に。あらゆる方法で見つかるだろう」
「生徒が続々と石に変えられている状況を見過ごす先生達だぞ。生徒が一人二人減ったところで俺が犯人であることも隠した死体も見つかるワケがない」
「完全な証拠の隠滅は困難だ。斬って捨てることができるヤーナムではない」
「その証拠がなければ捕まらないだろう」
「今は狩人である前に生徒だ。己の生命を害されない限り、僕らが誰かを害することは許されない」
「俺は前提以前の話をしているのだ。生徒である前に虫が巣くう血を淀ませたヤツらだ。生きていることは許されない」
「それはヤーナムの価値観だ。僕らの目で彼らを裁定することは、善い行いではない」
「だが──」
「君の反論を、僕は許さない」
研ぎ澄まされた鋭さでセラフィは断言した。
「いいえ。君も僕も、皆そうだ。この話は、ヤーナムとヤーナムの外の関係であり、お父様が決めることだ。ビルゲンワースの学徒達と共にね。僕らは魔法界ひいてはホグワーツの規則等に従うことを条件にここにいる」
「規則には人を殺してはいけないと書いていないだろう。さんざん破っておいてから、今さら何を言う」
「あまり愚かなことを言うな。すこし不愉快だ。『命は、本来取り返しのつかないものだ』と言ったのは君だろう。信頼も同じだ。僕らは個人として存在するが、ヤーナムの民としてここにいる。忘れることなかれ。……さあ、宣誓を」
クルックスはセラフィとしばらく睨み合っていたが、やがて右手を挙げた。
「……今夜にでもお父様にお伺いを立てる。……しかし、許可をいただくまでは誰も害さないことを月の香りに、お父様に誓おう」
「その宣誓、違えることあたわず。たしかに聞き届けた。ネフもこれでいいだろうか?」
セラフィが、さらりと同意を促した。
ヒヤヒヤしながら会話の行方を見守っていたネフライトは頷いた。
「上出来だ。クルックス、状況は……まだ分からないことが多い。虫の件も我々の神秘との差異で反応しているだけかもしれない。差異の正体が分かるまでは、言動によく注意してくれ。……お父様に不利益をもたらした場合、我々の首が飛ぶだけでは済まないだろう。それに血が淀まぬ人々にまで害をもたらすのは、君も望むことではないだろう?」
「……分かっている。大人しくしている。君の手を煩わせないようにする。それでいいだろう。今は反応もないからな……」
クルックスは頭を巡らせて周囲を警戒している。
彼の感覚は、同じカレルを刻んだ連盟員でも同調するかどうか不明瞭だった。
「君が僕を案じてくれるように、僕も君を案じている。……夜明けは遠い。お父様も君も、使命を曲げることはできないだろう。それでも、しばらく穏やかな時間を過ごすことはできる。僕はそう信じているのだ」
するり。セラフィの繊手がクルックスの肩を、そして首筋を撫でた。小さな子供をなだめるような所作だった。明後日の方向を向いていたクルックスの険ある目が和らぎ、平常を取り戻した。
(──おや。おや。これは、これは。これは……)
ネフライトは廊下に誰もいないことを確認するフリをしつつ、彼らの様子を見ていた。
クルックスとセラフィが親しくしている様子は、昨年まで特になかったと記憶している。
しかし。
夏休みかクリスマスの休暇中に『何か』があったのだろう。
心の距離ともいうべき、他我の秘密を取り除く何かが。
そのうち三人は別れた。
ネフライトは考え事をしながら、メンシスの檻の目を掻いた。
何度も。何度も。レイブンクローの寮に辿り着き、扉を開けるまでそれは続いた。
奇っ怪
楽しい互助拝領機構:
クィレル先生は良い仕事をしてくれました。労働環境さえ整えれば(軟禁)仕事をしていくれるのだから、ダンブルドア校長は運用を間違っていたのでは? ネフライトは勘ぐった。
連盟の使命:
ヤーナムの外にも虫がいるじゃないか!
ハハハ、ああ、ああ、あぁ……どうして……
普通、カインハーストの彼らが求める『穢れ』も連盟員が見出す『虫』も死血のなかに見られる特殊な成分(便宜上の表現)ですが、稀に生きている存在のなかにも見出すことができます。そう連盟員ならばね!
間の悪いロックハート先生:
でも、悪い人じゃないんです。
え? 本がどうやってできるか……?
これは、悪人ですね。
ヤーナムの善性:
ヤーナムにおいて絶滅危惧種的に優しい人格を形成しつつあるクルックスですが、これには狩人も学徒達も人形ちゃんもニッコリです。そのまま育ってね! ……どうしても困ったときは助言者を頼るといい……
セラフィが冷静だった:
他のきょうだい達から「ヤバいヤツ」と思われているセラフィなのですが、実際、その予想はあたることも多いですが、同じ枝葉の存在を思いやることもあります。今回は抑えにまわりました。『穢れた血』騒動の時に即行動しなかったおかげで問題がまぁまぁ自己解決できたので、そのことが成功体験になっています。一回くらいは様子を見てもいいだろう。そんな気の持ちようです。
『淀み』のカレル:
現在の連盟の長、ヴァルトールは獣をパクパクしたついでに自前で閃いたカレルかもしれませんが、医療教会が『見出し』て記録した『淀み』カレルって禁域──の集落。獣性を抑制するとかの目的で実験していた痕跡──あたりで腑分けして見出したものでしょ、俺は詳しいんだ。っていうか現在進行形で禁域の森は医療実験で事故った生き物の不法投棄場所になってるので見りゃ分かる!案件──でも、俺には特別な智慧が(略)
たくさんのご感想をいただいております。毎日の活力になっております。ありがとうございます。
私事でこれより数日、ご返信が遅れてしまいますので、ご了承願いします。
でも、引き続きご感想いただけたら本当に嬉しいのでよろしくお願いします。
また評価や紹介、お気に入りなどたくさんもらってしまい、筆者はビックリしています。挿絵を褒めてくれた方、とても嬉しいぞ。また睡眠時間を奪ってしまい申し訳ない。だいたい朝になったら投稿されていると思って夜はグッスリ寝てくれ!(0時に投稿しながら)
そして、本作に興味を持ったその君、地底人になれとは言わないからBloodborneをやろう! ガスコイン神父が君を待っているぞ! そしてハピエンルートのブラボを百万字書いてくれ。あと聖歌隊に拘束洗脳プレイされる病み人とか頼むぞ。筆者が切実に読みたい。頼む。お願いだ。ヒヒッ。
さて。あってないような定価でもう定価の時より特売価格の期間の方が長いという妙なことになっているBloodborneをよろしくお願いします。ところでホグレガの続報はまだですか? そうですかブラック家やレストレンジ家、はたまたどの時代にもいそうなウィーズリー家の活躍が見られるとかなり期待してプレステをスタンバイさせているのですがまだですか。そうですか。
ところで『2年生』章の投稿ストックも半分を割りました。
──まぁ、よい。もうしばらくの間、強めの幻覚をくらえ!
次回、箸休め回です。
お楽しみいただければ幸いです。