甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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ネフライトの大切なもの

 クルックスは、先日の一件以来、ハリー・ポッターと話していない。

 もともと会話が多い関係ではなかった。

 それにしても挨拶程度は交わしていたが、今はそれさえなくなった。

 

 それ自体は何も苦ではないが、黒革の本のことが気がかりだった。

 ハリーから人目を憚らず、本を取り上げるワケにはいかない。しかし、早急に対処が必要だ。

 その策をネフライトに頼む前に、最悪の事態が起きた。

 

 物盗り騒動が起きたのだ。

 

 ハリー・ポッターの寝室を荒らした誰かはお目当ての品を見つけたらしい。──例の本だ。

 こうなれば「怪しむな」ということが無理である。ネフライトに相談したが、結論は変わらなかった。

 

「──調べは進める。全員でな。だが、お父様のお心を大切にすべきだ。我々は、誰も傷つけてはいけないのだよ。……必要があるまでは」

 

 眼鏡の奥で、彼の緑色の瞳が警告するように輝いた。

 それに「分かっている」と噛みつくように返事をして肩を落としたのが今朝の話。

 

 復活祭の休暇は、できるだけ『きょうだい』の誰かと一緒にいようとクルックスは決めていた。できれば周囲をうまく取り直してくれるテルミが好ましいと思っている。それに彼女から香るロスマリヌスの匂いは、クルックスに聖歌隊の賢人を思い起こさせる。気休めだが、安らぎの残滓を感じていたかった。

 

「テルミ」

 

 声をかけたとき、彼女は外出の用意を調えて何人かの友人達と共にクィディッチ観戦に向かうところだった。クルックスは、すっかり忘れていたのだが今日はグリフィンドールとハッフルパフの試合だった。

 

「なぁに?」

 

「あ、いや……外出なのだな……すまない、忘れていた……」

 

 テルミは控えめに手を振った。

 人混みに流されて見えなくなった彼女を見送り、クルックスはセラフィを探そうと大広間に足を向けた。

 その矢先だった。

 

「クルックス、待ちなさいよ。もぅ、わたしが方向音痴だとご存じだと思ってましたけどねっ」

 

 帽子とウィンプルを外したテルミが駆けてきた。

 

「テ、テルミ、でも試合は……? いいのか?」

 

「どちら勝とうが構いませんの。もともと興味があるフリをしているだけです。そんなことより貴方に恩を売っておく方が楽しいかと思いまして。だからくれぐれも捨てられた犬みたいな顔してはいけないのよ?」

 

「俺は、そんな顔をしていただろうか」

 

「まぁ、知らないの? フフフ、お父様によく似た顔で、寂しそうな顔をしてはいけませんよ。これから春が来て、夏も来るというのに。秋の冷雨に当たった顔をしていたわ」

 

 クルックスは、自分の頬に手を当てた。

 テルミのくすぐるような言葉は、ときにどうすればよいか分からなくなる。

 父たる狩人が感じている戸惑いもこのようなものかもしれない。

 

「それでわたしをどこに連れて行ってくれるのかしら?」

 

「……休暇は、できれば一緒に過ごしたいと考えている。どことは考えていなかった。では、ええと、図書館に行こうか」

 

「え。そこにはネフがいるじゃない」

 

 彼女は、ムッと唇を尖らせた。

 クルックスは、テルミとネフライトの仲が悪いことをしばしば忘れてしまっていた。彼らのやりとりは『じゃれあい』の範囲で収まるように思うのだ。

 

「む。ダメか?」

 

「ダメとは言っていません。でも、女の子を誘うときにノープランは困ります。許されませんよ?」

 

「すまない。君と一緒の時間を過ごしたかっただけなんだ。本当はどこだって構わないと思っている。しかし……ええと、では、そうだな……どこに行こうか……」

 

 中庭と考えついたが、まだ春になったばかりだ。明るい時間もあるが、いまいち曇りがちな今日の天気では風も寒いだろう。

 困っているとテルミがそっと背を押した。彼女はなぜか笑っていた。

 

「いいわ。図書館に行きましょう。クィディッチに向かう集団にセラフィはいなかったので、きっとセラフィもそこに来るでしょう。全員が集まれば三年生の選択科目について情報提供ができますからね」

 

「……いろいろとすまない。君のように配慮できればよいのだが……俺には、とても難しい」

 

「経験の問題よ。大丈夫。クルックスもすこしずつ学んでいけばいいわ。貴方はもっといろいろな人に触れるべきなのよ。そうだ。今年の夏休みは、一緒にダイアゴン横町に行ってお買い物しましょうね」

 

「何か足りないものがあるのか?」

 

「うーん、そういうワケではないのだけど……ウィンドウショッピングって分かるかしら。いろいろなお店を見て回るの」

 

「買いもせずにか? テルミ、店を冷やかすのは善い行いではないと思うぞ」

 

「いえ、そういう意味でもなくて……うーん……貴方も難儀な性格よね。そこがいいのだけど。お店を見て回るのは、いざというときに必要な物がどの店に置いているのか分からないと困るでしょう? 事前に把握するために行くのよ」

 

「了解だ。同行しよう。初めからそう言ってくれ」

 

 二人は、並んで歩き出す。

 何でもない話を気兼ねなく出来ることが嬉しかった。

 会話が続くうちに今朝、渡された課題を思い出した。

 復活祭の休暇中に三年生で選択する科目を決める時期が来たのだ。

 クルックスは科目名だけを見るならば『魔法生物飼育学』が面白そうだと感じていた。

 

「そういえばネフは全科目取ると言っていたな」

 

「全科目? それはできるのかしら? いくつかの科目は、その裏。つまり同じ時間に授業があるのよ。出欠しなくとも課題だけやればよいのかしら?」

 

「さあ。何か策があるような口ぶりだったが……。そうそう、昨年度の首席はネフだったな。今年度も頑張ってほしいものだ」

 

「……誤解したままは嫌なので言っておきますけど、わたしだってその気になれば首席が取れますからね?」

 

「はぁ。しかし、実際はネフだろう?」

 

「頭が良すぎるのも警戒されると思って点数を控えめにしているの。わたしは、とても綺麗で素敵な可愛い女の子でいたいのです」

 

 窓の日差しが眩しい。

 テルミは、軽いステップでクルックスの前を先に行く。

 細い金色の髪は、光を受けるとキラキラと輪になって輝いた。

 

「……お父様が、なぜ君を避けるのか。君は気にならないのか?」

 

 廊下には誰もいないのでクルックスは聞いてみた。

 遂にセラフィは、自分の顔と同じ女性を探すことにした。

 テルミは気にならないのだろうか。それが気になってしまったからだ。

 振り返った彼女は、無邪気に笑いかけた。

 

「ええ。気にならないわ。わたしは、わたしだもの。お父様のお心は、お父様のものだもの。わたしが変わろうと、お父様のお心は変わらないわ。お父様のお心は、お父様の問題なの。だから気にならないわ。……それに戸惑うお父様って、たじたじしていてちょっと可愛いもの!」

 

「それは一般的に情けないと言わないか?」

 

 遙か東方。

 ヤーナムの地で月の香りの狩人は突然のくしゃみに襲われた。

 奇しくもカインハーストの女王への謁見中に起きた悲劇であった。

 しかし、彼らには認知しようのないことであった。

 

「テルミが気にしていないのならばいい。……おや?」

 

 クルックスが階下に見える廊下を見る。銀色の長い髪を鴉羽で結ったセラフィが見えた。

 彼女も視線に気付いたらしくトリコーンを被った頭が階段を見上げる。そして右手を挙げた。

 

「はぁーい、セラフィ、図書館に行っているわねー」

 

 セラフィは帽子を押さえて首肯した。

 

「やっぱり来てくれたから、きょうだい会議ができるわ」

 

「そうだな。テスト対策もしなければならないし……」

 

「何が不安なのかしら?」

 

「いろいろ、いろいろだ」

 

 復活祭の休暇は宿題が出された。

 テストも近い。

 課題の中身を見れば、復習も多いようだ。

 よく見て考えれば整理ができるだろう。

 だが、近頃は授業にも身が入らない。

 

「仕方ありませんね。明日にでも課題を見てあげます。できるところだけでもやって来てくださいね?」

 

「とても助かる」

 

 図書館が見えてきた。

 テルミはウィンプルを被り直し、帽子を被った。

 

「あと約三ヶ月。何事もなく過ぎればよいと思っているのだけど……」

 

「……?」

 

「何かが起きるとしたら『あと』約三ヶ月とも考えられます。皆さん、暢気をしていますけれど状況は何も変わっていないでしょう。……すこし呆れますね」

 

「敵の尾ひとつ掴めない俺達にも同じことが言えるだろう。いい加減に敵の影が見えてもいい頃だ。いずれ誰かがボロを出すだろう」

 

「ここまで誰にも悟られなかった継承者が『今さら』ボロを出すかしら。出したら、そうね、ラッキーと言ってみましょうか」

 

 テルミは笑いながら図書館の扉を開きかけた。

 ドアノブをつかんだまま前のめりになってしまったのは、扉の向こうで誰かが引いたからだ。

 

「きゃっ!?」

 

「ごめんなさいっ! テルミ? ちょうどよかった! 司書のマダム・ピンスが見当たらないし──私これをすぐに先生にお知らせしないと……!」

 

 ハーマイオニーだった。

 いつもにない慌て方をしている。

 

「何を知らせるんだ?」

 

 鋭く問うと彼女は答えた。

 

「怪物の正体よ! スリザリンの怪物は、バジリスク! 蛇の怪物よ。目を見ると死ぬわ! だからハリーにだけ声が聞こえた。蛇語だから! 今日も聞こえたの。大広間から外の競技場に行く前に──だから私、気付いて──とにかく! どこか廊下の角を曲がるときは鏡で先の廊下にバジリスクがいないかどうかを確認してから歩いて。そうすれば石になっても死にはしないわ。私、行くわね! 早くこの情報を誰か、先生に──ダンブルドア校長に伝えないと!」

 

 情報の真偽は分からない。

 だが、ずっと継承者と怪物を追っていたハーマイオニーがつかんだ情報だ。

 信じるに値する。

 駆けだしたハーマイオニーが隣を通りすぎていく。

 

「──テルミ、ネフに伝えろ」

 

「クルックスは?」

 

「セラフィが来た。俺はセラフィに話す」

 

 テルミとクルックスが別れて間もなく、セラフィが追いついた。

 挨拶を遮り、彼女に告げた。

 

「セラフィ、敵が分かった。蛇だ。目を見ると死ぬ」

 

「……たしかなのか?」

 

 セラフィは瞠目した。

 

「分からん。だが、ずっと正体を追っていたハーマイオニー・グレンジャーは確信して──」

 

 後方から、ゴトンと重々しい音が響いた。

 セラフィが目を見開いたまま、無言で衣嚢からレイテルパラッシュを取り出した。

 

「クルックス、真偽はあとだ。敵はすぐそこにいるぞ」

 

 振り返る。

 廊下の端、角にはハーマイオニーが転がっていた。床に落ちるべき手足が、不自然に宙に浮いている。

 手鏡が窓からの日差しを反射し、天井に丸い光を放っていた。

 

「あ──」

 

 手を伸ばす。あまりに遅すぎた。

 一瞬でクルックスは感傷を置き去りにした。

『人は、そうすべき時にすべきことを成すべきだ』

 かつて語り、ハーマイオニーに語られた言葉は、もう一度、自分のなかに還ってきた。

 手を握り、クルックスは歩き出した。

 

「視界のない戦闘だ。やれるか?」

 

「問題ない。聖杯の地下の暗闇より明るい」

 

 カインハーストに仕える者の平坦な声音と共にセラフィは銃──長銃、エヴェリンの撃鉄を起こした。

 クルックスは衣嚢から銃槍とガトリング銃を取り出した。

 

「ガトリング銃で掃射する。敵の規模が不明だ。だから。敵が悲鳴を上げたら僥倖! なければ片端から切り刻め! 我らに月の香りの加護あらんことを! ──行くぞ、殲滅せよッ!」

 

 クルックスはハーマイオニーを飛び越えて、廊下の正面に躍り出る。

 左手に握るガトリング銃の引き金を引いた。

 激しい振動と薬莢が転がる音、そして火薬の匂い。廊下を思い描き、その全面を舐めるように掃射は続ける。

 

 やがて、一発が何かに命中した。

 石壁では起きない反響音。

 

「十時の方向!」

 

「承る!」

 

 クルックスの痺れた鼓膜にセラフィの鋭い声が届いた。

 銃撃。そして、怪物の叫び声が響く。

 だが、セラフィが距離を取った。

 

「……! 大きい。感触では、禁域の森の蛇玉より大きいように感じる。しかも硬いぞ。だが、無敵というワケではない。僕の刃は濡れている。多少届いている。鈍器が有効だろう。しかし、殺しきれる!」

 

「的がデカいなら結構だ。仕掛けるぞ! ここで必ず殺す!」

 

 ガトリング銃を投げ捨て、銃槍の仕掛けを起こした。

 斬り込みながら、散弾の発砲が可能な槍だ。

 

 敵の目さえ見なければいい。

 攻略方法は簡単だ。これが体のどこかに刺されば、敵に頭を巡らせる隙など与えない。爆発金槌で死ぬまで叩き潰すだけだ。

 走りかけたクルックスを止めたのは、誰かに肩を引き留められたからだ。

 

「──彼方に届け、我ら聖歌の声──」

 

 透き通るようなテルミの声が聞こえた。

 

 合計四十八発。

 星の小爆発が発生し、全方位に雨のように降り注いだ。

 ヤーナムにおいて高位の医療者しか使うことのできない『彼方への呼びかけ』と呼ばれる秘技だ。

 いくつかは怪物にも命中したのだろう。再び奇声が聞こえる。

 そして、クルックスの背後では聞き慣れた声が命じた。

 

「──テルミ、月光でなぎ払えッ!」

 

「言われなくても! セラフィ、伏せてなさいッ!」

 

 続けざまに、空気が大きく震える感覚が届いた。

 空気のうねりを知っている。神秘で肌がざわついた。

 

「彼方の月よ、数多の血よ、導きを我に標せ!」

 

 テルミが高らかに掲げる長剣が、神秘をまとい光を収束させた。

 

「我、医療教会の名の下、邪悪を滅ぼさん! 輝け、わたしの──月光の聖剣よッ!」

 

 目を閉じていても感じる、青い月の光をまとった剣が空間を凪いだ。

 暗い光の波は、たしかに大蛇に届き、悲鳴が聞こえた。

 

「クルックス!」

 

「俺の四肢をくれてやる! 策をよこせ、獣を殺すのだ! 今! ここで! 殺すまで、滅ぼすまで、俺は撤退を許さんぞッ!」

 

 猛るクルックスの肩をつかんでいたのはネフライトだった。

 

「お望みどおり殺させてやる。そして犠牲は一人未満で済む。だから私の言うとおりに動くんだ。──ぐぅっ。いいな?」

 

 了解を告げると同時にネフライトの足下からメスを投げ捨てる音、そしてカツンと大きな音が鳴った。

 彼がいつも使っている教会の杭だ。

 

「これより私、ネフライト・メンシスが作戦指揮を執る! 本戦闘の主眼は、スリザリンの怪物を無力化することにある──」

 

「さっき殺すと言っただろうが!」

 

「結果的にそうなるので問題はない! そして我々が戦うのは狩人の誇りのためではない! 生徒のため、ホグワーツのため、彼らが積み上げた全てのために殺すのだ! 怪物よ、眼を剝け! そして、我らの神秘に見えるがよい!」

 

「──策があるならば急げ! 逃げるぞ!」

 

「──あ、壁よ! 壁から顔を出しているんだわ、これ!」

 

 セラフィとテルミが手探りで大蛇と格闘している。

 その時。

 頭の奥に響く、鐘が鳴った。

 

「私が二度鐘を鳴らす。一度目の鐘は、いま鳴らした。二度目の鐘でセラフィとテルミは退け。その間にクルックスが仕留める」

 

 セラフィとテルミから返事があった。

 それを合図にネフライトがクルックスの肩を叩いた。

 

「貫通銃に弾丸を装填。青ざめた弾丸だ。間違えるなよ」

 

「だが、貫通銃は点での攻撃だ。当たらなかったらどうする」

 

「それは君の心配することではない。弾丸は中たるし敵は死ぬ。そのために照準は私が務めるのだから。君は命じられた方向に撃てばいい。引き金を頼む」

 

「──ッ、了解だ!」

 

 すぐさま衣嚢から貫通銃を取り出し、特別な弾丸を装填した。

 

「……まぁ、なんだ。迷信も捨てたものではなかった。こんなところで役に立つとはな……」

 

 満足そうなネフライトの声が、クルックスにとって耳障りだった。

 

 

 

 青ざめた弾丸

 狩人の夢の主からもたらされた神秘の弾丸。

 上位者の寄生虫がそうであるように。

 深い神秘を宿した血は、通常、地上の生き物に馴染まないものだ。

 水銀と交わり、弾丸の形に固められたものには、殺意が宿る。

 ……敵対者よ、ヤーナムの神秘に見えるがよい……

 

 

 

 二度目の鐘が鳴り響いた。

 それを合図に、ネフライトは眼鏡の奥で目を開く。

 セラフィとテルミが床を蹴り、壁を辿って戻ってくる。

 

 そして、見た。

 廊下の奥。壁に開いた穴は閉じかけている──だが、銃弾の方が早い。

 

「十一時の、ほ──!」

 

 傷ついた蛇の頭部が、殺気に反応し正眼を得た。

 黄色の瞳と目が合った。

 その瞬間、ネフライトの全身は硬直した。

 

 

 指示を受けたクルックスは膝立ちで構えた貫通銃を放った。

 結果は確かめることはできなかった。

 怪物の悲鳴を背に、彼はネフライトを抱え上げ、廊下を曲がるまで決して振り返らなかった。

 

 

 クルックスがネフライトを抱え、テルミがハーマイオニーを背負い安全な廊下に待避する。

 やがて図書館から、爆発と奇声に気付いたマダム・ピンスが息を切らして飛び出してきた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 犠牲者は医務室に安置された。

 間もなくダンブルドア校長がやって来るという。

 その話の半分を聞き流したクルックスは、石になったネフライトの手を握っていた。

 

「冷たいのだな……」

 

「そうね。石だから。けれど視界の無い戦闘では、上手くやったでしょう。もし、噛みつかれていたらと考えると……」

 

 死は避けられないことだった。

 テルミの言葉は頷けるものだ。

 ネフライトは「犠牲は一人未満」と言った。

 その言葉の意味をクルックスは手のひらによく感じていた。

 

「素晴らしい成果だ。僕も何本かバジリスクの牙を斬り飛ばした。血も多くはないが採取できた」

 

 セラフィはマントに包んだ血濡れた牙を見せた。

 

「……それをどうするんだ?」

 

「ネフの名でお父様に献上する。僻墓が充実するだろう」

 

 普段であれば、思わず立ち上がる話題であっても今は喜ぶ気分になれそうになかった。

 小さく「そうか」と言ってベッド隣の椅子に座った。

 

 ネフライトの顔を見つめる。

 生きている時間の一瞬を切り取ったハズの光景は、写真と同じもののはずだが、冷たく悲しいものに思える。クルックスは沈む気持ちを抑えきれなかった。

 

「クルックス、自分を責めてはダメよ。皆ができる限りのことをやったのだから」

 

「しかし、もっと早く踏み込んでいれば誰も犠牲者を増やさずに出来ただろう。それか、すぐに二人を呼びに行って──」

 

「そうだとしても君の咎ではない。僕の責でもある。……しかし、バジリスクがグレンジャーに出くわしたあと。新たな獲物がいなければ、その場を去っただろう。あの瞬間に僕らが飛び出して、釘付けにできたことは幸いだった。何もかも自分だけで出来るとは思わないことだ」

 

 反論したくなりクルックスは顔を上げる。だが、誰も彼を見ていなかった。

 セラフィは聖歌の鐘を撫でて狩人服の内にしまった。

 テルミは先ほどからネフライトが握ったまま放さない教会の杭を何とか剥がそうと四苦八苦している。

 

「ああ……すまない……」

 

 ネフライトが目覚めるのは、遠い日ではない。

 マンドレイク薬は、そろそろできるという話もあった。

 

 ひとまず脅威は彼の導きで去ったのだから、今はそれだけを「よし」として納得すべきだった。誰より納得したいから、何度も自分に言い聞かせた。

 

「いいえ。ありがとう。……狩人であれば、このように言うべきなのだろうな」

 

 そうね。テルミの言葉が途切れた。

 医務室の扉が開く音に三人は出入り口を見た。

 

 ダンブルドア校長が四人の寮監とマダム・ポンフリー、それからクィディッチのユニフォームを着たハリー、そしてロンを連れて現れた。

 三人は椅子から立ち上がり、所属による一礼をした。

 

「スリザリンの怪物は、バジリスクでした。そして、偶然にも我々が会敵。致命傷を与えました。……ほんのすこし痛い犠牲でしたが、それに見合う結果を残せたと思いますわ」

 

「ひとまずは礼を。それから──」

 

 ダンブルドア校長は、手をネフライトに向けた。

 

「彼の勇気に賞賛をせねばなるまい」

 

「ええ」

 

 テルミは「ぜひ、そうしてくれ」と言いたげな、悲しみと誇らしさをない交ぜにした顔をした。

 

「──致命傷とは、どういうことか聞かせてもらえるでしょうね」

 

「ネフが照準を務め、俺が貫通銃で撃ちました。そう長くない命だと思われます」

 

「なぜ、そう言えるのかね?」

 

 踏み込んだ質問は、スネイプからだった。

 銃弾についての説明から始めなければならないらしい。

 クルックスは疲れた動作で衣嚢に手を突っ込んだ。

 

「ヤーナムの──」

 

「特別な毒を使っていますの。ですから、死ぬでしょうね。そう判断しています」

 

 言葉を遮り、テルミが答えた。

 ごく普通に「神秘」と言いかけたクルックスは、もう黙っていようと思った。

 スネイプは腕を組み、目を細めた。

 

「バジリスクは巨体だったとマダム・ピンスに報告したのは君だったか。ミス・コーラス=B。その毒は、バジリスクを死に至らしめるに十分な量だったと言えるかね?」

 

 この質問は、罠だろう。

 テルミは顔色を変えなかったが、すぐに答えることができなかった。その様子を見てクルックスは悟った。

 

 頷くことが真実で正しい応対だ。

 硬い体表を持つらしいバジリスクは、レイテルパラッシュの剣で傷つけることができた。そしてネフライトに指示されて使用した貫通銃は、貫通力を調整された長銃だ。そして弾丸は、ヤーナムの異常の極みである『青ざめた血』を混ぜ込んだ水銀弾である。

 彼は「弾丸は中たるし敵は死ぬ」と言った。それは異なる神秘に込められた殺意ゆえか、あるいは水銀による中毒か。分からないが、とにかく死ぬだろう。クルックスも同意する。

 

 そして、頷けば察しのよさそうなスネイプやダンブルドア校長は言葉以上の真実に辿り着くだろう。ヤーナムにはバジリスクを一撃で死に至らしめるほど強力な『何か』があることを。

 再びテルミを見れば、彼女はいつものように笑っていた。

 

「困ってしまうわ。困りましたね。そういえばそうです。わかりませんね。……ああ、失礼。ネフがやられちゃったものですから、わたし達もそれくらいの『見返り』がないと納得できませんでした。だからわたしもクルックスも先のような報告をいたしました。けれど思い込みはいけませんよね? 我々は常に客観的な真実を語らなければなりません。あるいは、真実だと思えることを。ええ、先生方が見つけられないくらいの脅威なのですから! ところで魔法薬学の先生? 神話時代から王の殺しには毒が付き物ですけれど、蛇の王を殺すために必要な毒はどれくらいかしら? どのように調査されたのかしら? どこの書籍の引用? 著者を指差してくださる? どうやら学習が足りないようですからね?」

 

 穏やかにテルミは言った。

 暗に伝えられた言葉は雄弁だ。──バジリスクを毒殺するために必要な量など、お前達も知らないだろう。

 

「……。巨体であればあるほど必要な毒は増える。致命傷と言い切るものから確認したまでのことだ」

 

 クルックスの見るところ。

 テルミは、とても怒っているようだった。何が彼女の気に障ったのか。気疲れしていたクルックスには分からず、そして聞き取れなかった。

 

 スネイプの声音には『バジリスクを殺すことを期待していた』色があった。

 それを四人のうちで誰よりも他人の心の機微を覚り、耳聡いテルミは聞き逃さなさかった。

 

 バジリスクという汚物の清掃を引き受けたことが、そもそもテルミにとって快い話ではない。ネフライトと共に──多少の打算があったが──多くの人々にとって『よかれ』と思ったことを尽くした。だからテルミも、わざわざ月光大剣まで持ち出したのだ。その仕事を後方から『不十分なのではないか?』などと言われたら、彼女も穏やかではいられない。誰が最も利益を享受するか。そこに思いを馳せれば尚更のことである。

 

 剣呑になりつつあるテルミとスネイプの会話に、セラフィが切り込んだ。

 

「バジリスクの毒耐性など僕らの知ったことではない。我々はネフと引き替えにして最大の攻撃を行った。バジリスクは早晩死ぬだろう。それが僕らの見解だ。そして見解を証明するものは僕らの経験だけだ。実地の検証をお求めならば、ぜひバジリスクをお引き留めしておくべきだったかな。先生自らバジリスクに引導を渡したかったように見える。さぞ見物だったろう。ロックハート先生と戦うより生徒の役にも立つ。惜しいことをした」

 

 どんな顔をして言っているのか。

 誰もがセラフィを見た。

 深く被ったトリコーンで目は見えない。

 そして、口元は決して笑ってはいなかった。

 

「バジリスクの存在証明であれば牙がある。これで足るだろう。『確認』など不注意なことをおっしゃってくださいますな。我々の命とて命が惜しい。人は一度しか死ねないのだから。いま生きていることを咎められているように聞こえたのは、きっと僕の気のせいでしょうね」

 

 ──そのとおりだ。

 スネイプはすげなく言って、それ以上の追求を避けた。

 

「わたし達は狩人ですが今はホグワーツの生徒でもあります。そして、作戦実行時にネフが宣言したことであり、きっとマダム・ピンスにも声が届いたことかと思いますが今回は『生徒のため、ホグワーツのため、彼らが積み上げた全てのために』戦いました。また我々がこれからも生徒でいるためにも。決して安くない代償を払った結果に関して、このように責められるのは本当に残念なことですわ。今後の役に立ちそうです。お勉強させていただきました」

 

「わしは誰も咎めるつもりはないよ。ミス・コーラス=B。他の二年生の生徒では、耐えられぬ苦難であったと思う。類い希な勇気と最善の判断を示してくれたことを感謝する。けれど、昨年──ミスター・ハントに伝えていたことでもあるが──力があるからといって矢面に立つ必要は無いと思っておる。あたら命を軽々に取り扱うものではない」

 

「いいえ、先生。見解の相違があることを悲しく思いますわ。力を持つ者が、苦難を享受すべきなのです。あるいは、その苦難を試練として耐えられる者だけが」

 

 ダンブルドア校長は、青いきらきら光る瞳で三人を見つめた。

 クルックスは、昨年の校長室で交わした会話がまざまざと蘇ってしまい、気まずくなって顔を逸らした。だから、テルミが校長の先を見たことに気付かなかった。彼の後方には、場違いに驚いた顔をしているハリー・ポッターがいることなどクルックスは知らなかったのだ。

 

「それに我々が特別な行動をしたとは思いません。ホグワーツの生徒も先生も優秀ですから。誰が出くわしてもきっと勇敢な行動をしてくれたと信じていますわ。今回のバジリスクの討伐は、ホグワーツのマイナスにはなり得ないでしょう。無論、生徒にとってもです。我々は魔法界の常識に欠けておりますが、それでも皆さまの顔を眺め渡してみれば、バジリスクが城内をうろついていることで学舎に箔が付く──なんてことはないのでしょう?」

 

「まったくもってそのとおりじゃよ。まさに『百害あって一利なし』と言える事態じゃ。だが、脅威は去ったワケではない。どうやって秘密の部屋を開け、そして怪物を引き出したのか。それが分からぬうちは引き続き警戒が必要じゃろう。そして一丸となって継承者と秘密の部屋を探さねば」

 

 ──怪物がいなくなっただけでは不満なのか。

 クルックスは、思わず問うような顔をしてしまったらしい。

 ダンブルドア校長は小さく頷いた。

 

「バジリスクは一匹だけなのか? これは継承者以外、誰も知り得ぬことじゃろう。バジリスクは闇の魔法使いに好まれた。しかし、使役するには難しい生き物じゃ。そう数は多くないと信じたいものじゃが」

 

「ええ、できれば二度と対峙したくはありませんね。たいそう面の皮が厚いようですから」

 

 会話は終了に近付いた。

 テルミはおかしそうにいつものクスクス笑いをこぼした。

 

「ヤーナムの子供たち。グリフィンドール、スリザリン、レイブンクロー、ハッフルパフにそれぞれ点を与えたいのじゃが、どうか?」

 

「不要だ。我々は、寮の名誉のために戦ったのではありません。我々が生徒であるために、そして、学校の継続のために戦いました。力は、権力とは別にあるべきだと僕は考えています。交わらぬ油水のように。……けれど点数を与えるとすれば、グリフィンドールが相応しい」

 

 セラフィが左手でネフライトの隣のベッドを差した。

 そこには冷たい体で横たわる。ハーマイオニー・グレンジャーがいた。

 

「グレンジャーだけが、稀なる洞察によりバジリスクに辿り着きました。我々の叡智は、彼女には及ばなかった。賢人が湖から汲むべき真理は他にある」

 

「あいわかった。近いうちにマンドレイク薬が出来るとは知っておるじゃろう。その時に、ミス・グレンジャーに点を与えるとしよう」

 

「ネフもそれを望むだろう」

 

 クルックスは、独り言のように囁いた。

 テルミやセラフィほど口が達者ではない彼は事の成り行きを聞き、そして定まったことを知った。

 

「……俺は行く。許しがあれば会いに来よう。君に尽きぬ加護あらんことを」

 

 ネフライトの指先を撫でるとクルックスはベッドから離れた。

 マクゴナガル先生が厳しい顔で立っていた。

 

「寮まで付き添います。……医務室の外で待っていなさい」

 

 他の二人も寮の先生に先導され、医務室を去って行った。

 医務室の扉を開くと足下に使者が現れた。細い手には手記を持っている。

 

『お父様への報告は、わたしがします。助けが必要な時は、鐘を鳴らして』

 

 ──あぁ。

 クルックスは思わず力ない呻きを上げた。

 

 お父様。

 遙か暗澹たるヤーナムに偏在する、月の香りの狩人。

 

(ネフの献身を、あの人は笑うだろうか。悲しむだろうか。あるいは、怒るだろうか)

 

 今回の出来事は。

 一夜を駆けるほどの労力も費やさなかったハズだが、クルックスは自分がひどく疲れてきっていることを自覚した。

 

 

 


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