自制心と精神力の高い使用者のみ扱うことができる
それ以上のことはない。
ええ。
まったく。
悲劇ですよ。
生徒が立て続けに石になり、そしてついには、連れ去られてしまうだなんて!
思えば最初からダンブルドアの対応は、エー、あまりにお粗末でした。
彼が停職に追い込まれるのも、当然だったと言うべきでしょう。
いいえ?
むしろ、彼はラッキーと思っているのかもしれません。
生徒が連れ去られたとき、彼はこの学校にいなかったのですから!
自分は「関係がない」、「責任がない」と胸を張って言えることでしょう!
そして──ああ、この危険はびこるホグワーツから脱出できて良かったと!
実際、彼は幸運だったワケです。
学校内の誰もが疑わしい状況において。
少なくとも、犯人ではないことがハッキリしたのですから!
しかし、彼の最も幸運だった事とは。
ホグワーツには、最後の希望!
英雄! この私!
ギルデロイ・ロックハートが存在していたコトでしょう!
しかし、学校に残された先生方。同僚でもあった彼らは、愚かでした。
あまりに愚かでした。
つい先日のことです。
ほぼ一年にわたる探索の結果。
私はついにホグワーツの凶事の源!
そして病巣とも言うべき、秘密の部屋の入り口を見つけていたのですから!
私は自室で全ての準備を整え、怪物退治に「いざ出陣!」と廊下へ向かいました。
しかし。
──あぁ、これから先は先生方の名誉のために、敢えて、その名を伏せますがね。
けれど、あなたもきっとご存じのハズだ。
ダンブルドア校長の不在を預かる重鎮であり、優秀な先生でもあった副校長!
彼女は、残念ながら往年の叡智をその辺の廊下に落っことした有様でした。
平たく言えば、そう、ヒステリックな状態でした。
ええ、ええ、彼女をお責めなさるな。
一年間続いた凶事で精神的に参っていたのでしょう。
その判断能力の低さを責めることはできません。
彼女は、それでも出来る限りのことを『果たしているつもり』なのですから。
だが結果は、愚か。愚か。
マグルが木の枝きれを振り回すが如き所行でした。
彼女はなんと私を呼び止め(恐るべきことに!)クビにしたのですから!
そのときの生徒の嘆きは。
校庭を越え、湖を越え、駅のホームまで聞こえる有様でした!
特にも石になってしまった生徒の友人の嘆きは、悲しいものでした……私の心は引き裂かれ! 血は涙となってこぼれました!
友が物言わぬ石となり、辛いでしょう。悲しいでしょう。
しかし、私は学校を去らねばなりませんでした。
愚かといえど学校では権力者である校長代理の命令です。
私は粛々と身支度を整え、こうしてホグワーツを去ったのです。
戦えば、赤子の手をひねるように勝てたでしょう。
私は決闘でなくとも礼儀を重んじます。
秩序と善、そして法を愛する紳士です。
どうして必死で学校を『守っているつもり』の先生に杖をあげることができるでしょう。
…………。
──あぁ? 秘密の部屋の場所、ですか?
残念ながら、ハハハハ、お教えすることはできませんね!
私しか見つけることができない場所にありましたし、コレを見ている読者が次の継承者になってはいけませんから!
──え? 秘密の部屋のなかには何があったか?
いえいえ、それはお教えできません!
──そこをどうにか、ちょっとだけ教えて欲しい?
あぁ、どうかどうか。困らせてくださいますな!
やはりお教えはできません。できませんけれどね。
しかし、しかし!
熱心なファンである、あなただけに──。
ええ。
ちょっとしたヒントだけなら(ウィンクする)
もちろん。これは、まだ誰にも話していない話です!
特ダネですよ。
あなたの新聞社だけに教えるんですからね。
秘密の部屋のなかは(キングスクロス駅に着くまでに考えておく)
(ギルデロイ・ロックハート インタビュー予行練習[脳内手記]より)
■ ■ ■
──こんなハズではなかった。
ロックハートは声も出せずに言った。
言った途端、情けなくて涙が出そうになる。そのことが分かるから言い出せないのだ。
自分は、ヒーローだ。
自称したのではない。
読者が、そう言っている。
まさに、マジックだ。
これは自称だ。
けれどすぐ他称になった。
読者が、そう言った。
どこで間違えたのか。
どうして誰も助けてくれないのか。
何も分からない。だが、分からないままでいい。
それこそが、長くこれを続ける鍵なのだ。──そして、もうすぐこんな悩み事ともおさらばだ。
本と鬘、写真に額縁。
ありとあらゆる物を詰め込んだ。
教室に自分のいた痕跡がひとつもなくなるまで全てを詰め込むつもりだ。
時計を見た。まだホグズミードからの最終便に間に合う。
それからダイアゴン横町のどこかで長い宿をとろう。
次のタイトルは決まっている。
『閉ざされた学校。ホグワーツの真実』だ。
彼は首を傾げた。
──思っていたより平凡だ。
もっと読者が期待してハラハラ、ドキドキするタイトルがいい。
考え事をしながら無心に手を動かす。
だから、ノックの音にも気付かなかった。
扉が開いたことでようやく彼は、やって来た生徒二人に気付いた。
彼は、ほどほどに優れた文筆家だった。そのため、ほんのすこし冷静であれば気付くことができただろう。しかし窮地における冷静さは持ち合わせがなかった。
成功の秘密に気付いてしまった少年達に対し、ロックハートはいつもの手口で挑んだ。しかし。
「エクスペリアームス! 武器よ去れ!」
呪文を受け、手の中から杖が飛ぶ。
その光景を受け入れられずに見ていたロックハートは、さらに杖を向けられた。ハリーの目には、激しい憤りがあった。
ようやく我が身の惨状に気付いた。
助けを求める少年達を丸め込もうとする自分は。
これまで全ての著作でこっぴどくこき下ろした退治されるべき『悪役』であり、かつて滑稽なものとして嗤った存在──幸運を己の実力と勘違いし、落ちぶれた愚者だった。
■ ■ ■
「ロン、杖を拾って。……さあ、歩いて。先生は運がいい。僕たちは秘密の部屋の在処を知っていると思う。誰がそこにいるのかも」
ロックハートは、逃げることを諦めたようだ。
ハリーは杖で彼の背をつついて促す。廊下に出ても往来していた先生やゴーストの姿は、一人も見かけなかった。
廊下を歩き、階段を降りる。例の赤い文字の壁が近くにある女子トイレに向かった。
しかし。
「女子トイレ!? ここ、女子トイレですよ!?」
「いいから行けよ」
ロンが、乱暴にロックハートの杖で彼の尻を叩いた。
ロックハートは震えながら進んだ。
不気味に静まり返る女子トイレで「嘆きのマートル」を探していると、音を立てて扉が開いた。
「ハント!」
「俺達よりも辿り着くのが早いとは驚きだ。……やはり見くびってはいけないようだ」
普段より、目に生気を宿したクルックス・ハントが乾いた声で笑った。
ロンが思わず杖を向けた。
「俺と戦うつもりならば、無駄なのでやめた方がいい。そんなことよりもジニー・ウィーズリーが持つ日記を破壊しなければならない。ジニー・ウィーズリー自体には指一本触れない。──これでいいだろう? 君には、君の家族には、恩がある。決して傷つけはしない」
「絶対だぞ」
ロンは、ゆっくり杖を下ろした。
クルックスは「そうするとも」と言い、口の端を歪めた。そのあとで彼は杖を持っていないロックハートに気付き「ここで何をしているんだ」という顔をした。けれど口に出すことはなかった。彼も弾よけと理解したようだった。
「人手は多い方がいい。人を探すんだから……」
ハリーは、個室をひとつひとつ開けていった。
マートルは一番奥の個室にいた。
そして、マートルの証言が最後の鍵だった。
──この小部屋で死んだのよ。
──オリーブ・ホーンビーがわたしのメガネのことをからかったの。だから、ここに隠れていたの。
──鍵をかけて泣いていたら、誰かが入ってきたわ。何か変なことを言っていた。外国語だったと思うわ。
ハリーは『外国語』が蛇語のことだと分かった。
──とにかく、いやだったのはしゃべっているのが男子だったってこと。
──だから「出てってよ!」って言おうとして……死んだの。
──どうやって? わからないわよ! 泣いてたんだもの!
癇癪を起こしそうになるマートルをなだめるのは、意外なことにクルックスが引き受けた。
「君の言うことはもっともだ。意味もわからず死ぬのは、驚きだ。そして恐ろしいことだったろう。……最期に覚えていることを教えてくれないか?」
──黄色い目玉がふたつ。あのあたりにあったわ。
クルックスが丁寧な礼をする間、ハリーとロンは彼女が漠然と指差す手洗い台に近寄った。
そこに秘密はあった。
継承者以外の誰もが見つけることができなかった。秘密の部屋への入り口だ。
手洗い台の仕掛けが動き、ようやく大人ひとりが入り込めるパイプが現れたとき、突如としてロックハートが逃亡を計った。
最後のチャンスだと思ったのだろう。たしかにここを逃せば、生きて帰れるかもわからない。
だが、彼を逃がすハリーとロンではなかった。
二人でロックハートを押し返し、パイプの淵に足をかけさせた。
「先に降りるんだ」
ロンが凄んで杖を向ける。
それを見ていたクルックスが腰に提げた銃を取り出しながら「待て」をかけた。
「勢いで手を汚すこともあるまい。俺がやろう」
「いいや、僕がやるよ」
ロンがさらにロックハートを追いやった。
ギリギリのところに立つロックハートは、一度だけ暗く底の見えないパイプを見た。
「あー、ウン、どっちか先に降りたくな──」
ロンは杖でロックハートを押した。
尾をひく悲鳴を上げて落ちていった。それから数分後のこと。
──あぁ……こりゃひどい……。
ロックハートは生きていた。
声を確認したハリーとロンは頷きあった。
しかし。
「待て。俺が行く。──壁に一文が増えていた。誰かが連れ去られたらしいが、一緒に連れ帰ってくればいいのだろう」
「僕が行く。連れ去られたのはジニーだ! 僕の妹だ!」
クルックスは、知らなかったようだ。そう、と言いかけた音は小さな吐息になった。
妙な光を宿した瞳が、いつもの薄暗い目に戻った。
「そうか。では止めない。……人は、そうすべき時にすべきことを成すべきだからな」
クルックスは一度目を閉じた。
祈りは数秒だった。再び目を開いたとき、彼には熱のある目で前を向いていた。
「先へ進もう。……全ては守れるほど強くはないが、手の届く範囲は努力する」
「ありがとう。心強いよ」
ハリーはパイプの先へ足を踏み入れた。
暗くて冷たくてヌルヌルする。そんな滑り台を急降下していくようだった。
滑り降りるパイプが地面と平行になった頃、出口から放り出された。
湿った地面に腰を打ち付けて着地した。
「ルーモス 光よ!」
呪文を唱えると灯ができた。
先に着いたロックハートがその灯を見てホッとした顔をしていた。
やがてロンも同じように降りてきた。
手に付いた泥をローブで拭き、ロックハートの杖で光を灯した。
「学校の地下、何キロもずーっと下のほうに違いないよ……」
「ハーマイオニーは大正解だ。パイプ。学校の地下にいるバジリスクがうろうろするにはちょうどいい」
そして、サラザール・スリザリンは賢い。
ハリーは上手いと思った。
女子トイレの出入り口さえうまく隠してしまえれば、こうして蛇語を話す誰かが現れない限り、開かれることはない。
そして、彼はそれでもよかったのだろう。
継承者だけが開くことができれば、それだけでよかったのだ。
ジニーの安否を思う不安とスリザリンへの苛立ちが同時に起こり、ハリーは足音も荒々しく進んだ。
「あ……」
杖先の灯りが、蛇の鱗を照らす。黒々と脱ぎ捨てられていたのは、バジリスクの皮だった。
バジリスクは毒蛇の王。そして、多くの蛇がそうであるように脱皮を繰り返して大きくなる生き物なのだ。
だが、バジリスクは死んだに等しい状態なのだ。
ハリーは恐怖を振り払うように頭を振った。
ロンも生唾を飲み込みながら進んだ。
彼らは勇敢だった。
グリフィンドールが重んじた勇気を体現する存在でもあった。
だからこそ。
平凡で非才、そして勇気を振り絞れない男が取りかねない行動がわからなかった。
「あぁぁ……」
気の抜けた声を上げるとまるで体の骨が抜けたようにロックハートは崩れ落ちた。
ロンは容赦なく彼の背中を杖で突き「立て!」ときつい口調で言った。
──気絶してしまったのだろうか。
ハリーとロンがそう疑って近付いた瞬間、ロックハートは向けられていたロンの杖を奪い取り、立ち上がった。
これまで彼の写真では見たことがない、野望に満ちたスマイルを浮かべた。
「ハッハッハ! 坊やたち、お遊びはこれでおしまいだ。私は、蛇の皮をすこーし学校に持って帰り、女の子を救うのは遅すぎたと告げよう!」
形勢逆転。
そんな言葉がハリーの頭にポンと音を立てて浮かび、ハーマイオニーの声で再生された。
杖を持ち、戦えるのはハリーだけだ。「エクスペリアームス! 武器よ去れ!」は間に合うだろうか。分の悪い賭けに思えた。
そんな計算を始めた頃。
ロックハートの後方で近頃見慣れてしまった枯れた羽を模した帽子が見えた。
クルックスだ。
彼は、ロックハートに狙いを定めているようだ。転がったのは小石ひとつだけ。後ろから忍び寄り、機会をうかがっていた。
ロンは、気付いていないかもしれない。彼は、口を開けてロックハートを見ていた。
「──君たち二人は女の子の無惨な死体を見て、哀れにも気が狂ったと言おう」
ロックハートは、呪文を唱える前にペロリと唇を舐めた。
──どうかハントに気付きませんように。
ハリーは杖を構えた。
「さあ、記憶に別れを告げるがいい! ──気付いているぞ! ハント! オブリビエイト! 忘れよ!」
ロックハートは、素早く振り返り杖を振った。
闇の中でクルックスは「オブリビエイト! 忘れよ!」の呪文をすり抜けるように駆け、飛び上がった。回転ノコギリを捨てた右手でロックハートの髪の毛を掴む。地を蹴った勢いのまま右膝をロックハートの顎にめり込ませた。
素晴らしい膝蹴りだった。
一撃で意識を刈り取り、白目を向いたロックハートの顔面ごと着地した。クルックスは襟首をつかまえると凶悪に歯を剥いた。
「こンの、卑怯者がァッ!! 人命救助に来ていることを俺より忘れているのか!? 教え、導く者の姿か、これが!? 教壇の風上にも置けないクズめ! 本日の糞袋野郎ッ! 好奇心を殺す死があるのならば、功名心を殺す死だってあるのだろう! それを教えてやろうッ! 俺という恐怖を知れ。二度と陽に晒せない体にしてやる──」
「もう気絶してるよ……」
「えっ。あ。本当だ。……ぐぅ。人間は脆くていけない。死んでいないだろうか……?」
……さすがに本当に殺すのは、ちょっと……
もごもごと居心地悪そうに言うクルックスは、ピシピシとロックハートの額を叩いた。彼が着地したのは岩盤がむき出しになった露地だ。そこに擦りつけられたロックハートの顔面は血の雨でも浴びたように真っ赤だった。ハリーは、チーズ・グレーター──チーズをすり下ろすための道具──を想像した。かなり正確に想像できたと思う。ついでにそれで顔面を擦られた時の痛みも。
彼らの頭上でロンは「フン」と鼻を鳴らした。いい気味だと思っているようだった。
「先に進もう、ロックハートはもう、どうでも──」
投げやりなロンの言葉は途切れてしまった。
低い地響きに何事かと見上げた三人は、その先を見て思わず声を上げた。
ところで。
ロックハートが意識と共に放り出した杖は、洞壁に当たって火花が散っていた。
淀み、脆くなった洞窟には、それだけの衝撃で十分だった。
それが引き金になり、トンネルの天井が崩落した。
「ロン──!」
クルックスがハリーをつかみ、これから進もうとしていた通路へ駆けた。
崩落が収まるとロンが呼んでいるのが聞こえた。
「ハリー、ハント、大丈夫!?」
「そこで待ってて!」
ハリーは、咄嗟に言った。
ここで三人で石を崩すだけで何時間もかかってしまいそうだ。
ジニーが連れ去られてから何時間も経っている。猶予はなかった。
「ウィーズリー、ここで石を崩してくれ。もうすこしでセラフィとテルミが来る。長くは待たせない」
隣でクルックスが言った。
いつもぶっきらぼうに感じていた言葉に初めて安心を覚えた。
「頼むよ、ロン」
返事があった。
ハリーは、蛇の抜け殻を越えた。
「足下に気を付けてくれ。……君たちは、夜目が利かないのだろう」
クルックスは、腰につけていた携帯ランタンをハリーに渡した。
「杖があるなら杖を灯りとすればいい。だが、呪文を唱えるときに灯りをなくして視界が暗くなるのはマズい。ないよりマシだろう。持っていてくれ。どうにもならなくなったら、敵に投げつけるのもいい」
「ああ……ありがとう」
ガラガラと石を崩す音が聞こえる。
ほとんど一本道だった。
歩き続けると石を崩す音も、やがて聞こえなくなった。
ヤスリで松明に火を付けたクルックスは、足下を照らすようにかざした。
「進もう。──継承者の顔を知りたくなってきた」
彼は黒の血除けマスクの下で微かに笑ったようだった。
まだ、問題は何も解決していない。
それでも、ハリーは一人ではなかった。
■ ■ ■
『浅い昏睡』とは、一見にして矛盾する表現だ。
しかし、文筆家であるギルデロイ・ロックハートの脳裏に突如として閃いた単語であった。
──ああ、次の本の書き出しは決まったぞ。
一瞬にして指先まで満ちた気力は殴られるような頭の痛みで霧散した。
「手伝ったらどう!? ここまで来て!」
ロンが悲鳴のような声を上げた。
「──わたし達、か弱い女の子なのに?」
「──この男を見張る役が必要だろう。テルミは手伝うといい」
「──わたしの手袋は土木作業用ではなくて、手術用なのですけど。……仕方ありませんね」
岩石が人の手で取り除かれるガラガラという音が聞こえる。
「おや」
鈍痛でひどい頭に呻いていると猫のような瞳が見返していた。
「目が覚めたらしい。もう一眠りしていてもらおう」
セラフィがロックハートの首めがけて脚を振り下ろそうとした。
ロックハートは、すがりつくように地べたを這った。
髪を振り乱し、強ばった顔のまま「待ってくれ!」と叫んだ。
「何もしない! もう何もしない! だから……!」
「それを判断するのは僕だ。盾程度にはなるかと思ったが、この有様ではそれも期待できそうにない。何もしないのならば寝ていろ」
「分かった! 寝る! 寝るから!」
ロックハートは即座に地面に横になった。
「ん。よろしい」
「寝るくらいなら! すこしでも! 瓦礫の撤去を手伝えよ!」
ロックハートは、目をこらした。
──瓦礫。何のことだろうか。
気絶している間に周囲は最後に見た景色とは違っていた。天井が崩落し、人の頭より大きな岩石があちこちに転がっている。
地面に転がる瓦礫を飛び越えてロンがロックハートの胸倉をつかんだ。
「この役立たず! 起きろ! 起きろ! お前がウソだらけの全身タール野郎だってもう知ってるけど、石を退ける程度はできるだろ! 妹が! 死にそうなんだよ!」
「そ、そそ、その節は! 本当に残念だと思うよ。誰よりも私が残念に思ってる──」
「勝手に殺すな! 縁起でもないこと言うなよ! 何のためにハリーが行ったと思っているんだ!」
ロンは、ロックハートの頬を思いっきり殴った。
「お。いいパンチ。今度は、この手頃な石を持ちたまえ」
「スリザリンはあっち行ってろ! なぁ、これでジニーが間に合わなかったら、僕は一生、お前を恨むぞ! ……なに笑ってるんだよ」
「は? ははは、はあはあ、ははは……え?」
ロックハートは、自分の頬に触れた。
たしかに笑っている。
「くそ!」
ロンは彼を突き放した。
力のない笑みがこぼれ、やがて止まった。
ロックハートには、立ち上がる気力もない。
「あぁ、いつか、こうなると思っていた。私の嘘が剥がれて……それが、ようやく訪れたから、笑ってしまっただけなんですよ……」
「そうだな。貴方の所行は、そこのウィーズリーから聞いた。最初に誰かを陥れた時から決まっていた破滅だ。甘んじて受け入れるがよい。ジタバタするのは見苦しいことだ。……もっとも、それを楽しみたい人々が学校には多いだろうけれど」
まさに切れ味の良い飛び出るナイフだ。セラフィの言葉が、胸を刺した。
だが、次にいつ再び崩落するかもしれない場所で悠々と脚を組んでいられる自信をロックハートは理解できなかった。
「君には……分からない! 生まれ持った特別な才能を持つ人には、決して分からない!」
「──それが! いま! 手伝わない理由になるか!?」
ロンがイライラと叫んだ。
飛び跳ねたロックハートは瓦礫を両手でつかんだ。
「こちら、手伝ってくださる? わたしが石を退けますので」
テルミが杖を振る。
浮遊呪文で取り除かれた岩石が遠くに転がった。
「特別な才能? そんなものがなくとも人間は生きていけるのに、なぜ羨むのか? 十全に動く四肢があり、悪知恵を働かせるだけの頭を持ちながら、何が不満だというのか? 明日をも知れぬ病み人でもあるまいに。フフフ、分からないな」
岩石を蹴飛ばしたセラフィにロックハートは大声で言った。
「私は、みんなに私だけを見てほしかったんだ! 誰にも負けない私を! 誰より優れた私を!」
手当たり次第に石を退かした。
次第に手が切り傷だらけで痛くなった。
だが、胸の痛みに比べたらこんなもの──勝るものは何もなかった。
「本だってこんなに続けるつもりはなかった! 一度きりのつもりだった。たった一度だけ! 一冊だけ本を出したら──私は、やめようとした! でも、読者が! 読者が私に望むんだ! 『次の本はいつ出るの?』と! どんなことをしても応えないワケにはいかないでしょう!」
「……むむ? 最初の理由の方が素敵だな。読者からの応援は、貴方が誰かを傷つける理由になりきれなかった。貴方は化けの皮が剥がれて安心しているようだからね」
テルミが「アハ、フフ」とおかしそうに笑った。
楽しげだが、嘲るような響きだった。
セラフィが言葉を続ける。
彼女がここまで話すのは珍しいことだとクルックスならば言うだろう。
琥珀色の瞳は、輝いていた。
「先生。貴方は、もっと利己的になるべきだった。そうなれないのならば、せめて利他的になるべきだった。『認められたいので騙し討ちした。後悔はしていない。今日もやるぞ』となぜ言えないのか?」
「は?」
ロックハートの口から出るべき言葉は、彼の隣で岩を運んでいたロン・ウィーズリーから発せられた。
「──君、なに言っているの? この大嘘つきの犯罪者に、なに言ってんだよ」
セラフィ・ナイトは無視をした。
答えることを期待して、ただロックハートを見ていた。
ロックハートは振り返らず、石を握る手に力を込めた。
「これまでも続けていたことだろう? ならば、これからも続けることができる。諦めずに頑張ろう。いいや、頑張るべきだ。それだけが君の心を満たすのだから。僕は、野心がないから多くの欲望に理解がない。けれど、善悪と賢愚の話は分かるとも。嘘とは何か。己が嘘を嘘と思わなければ全ては真実だ。法が何だというのか。己が悪と断じなければ自分だけは悪ではない。それに貴方の欲は誰しも心に秘める欲ではないか? 果たすことの何が悪い。『自分を認めてほしい』。きっと、ありふれた願いだ。君とて分かるだろう、ウィーズリー」
「僕をハリーの添え物だって言いたいのか?」
ロンは手に持った石を後方のセラフィに投げつけた。
軽やかな身のこなしでそれを避けたセラフィは、小さく笑った。
「危ない危ない、獣性が高くて困るよ」
今度はロンとセラフィが論争になった。
ロックハートは石を握りしめ──隣で作業するロンを見た。そして、彼の腰に差している杖を見た。自分の杖だ。それから、ようやく自分がちょうどいい具合の石を握りしめていることにも気付いた。
だからこそ。
ロックハートは素早く立ち上がり、石をセラフィに投げつけた。
素早く剣の柄で石を叩き落としたセラフィは、しかし、怒ってはいなかった。
「おや。貴方まで何のつもりかな。僕はたった今から君を応援している読者だぞ? 読者様だぞ?」
「やめてくれ! ……もう、やめてくれ……。私は、君の言うとおりだ。ホッとしているんだ……。もし、ここから生きて帰ったら、私は破滅するだろう。あぁ、恐ろしい。でも、それでも『私は、誰?』と自分に問いかけなくて済む。……母は……姉は……あぁ、ガッカリするだろうが……」
「…………」
セラフィの瞳からは、光が消えた。
──つまらん。
学生時代、真実を知った多くの人々が彼に対し、最後に向ける感情だった。
「セラフィ。人の心を知らない貴女。恋しい貴女。そろそろお喋りはおやめにしてくださる?」
「む?」
「はぁぁぁー、わたしの努力の七割で、皆様がお話している間に開通したようですからね」
テルミがボロボロになってしまった白手袋で指さした。
その先には、蛇の抜け殻があった。その頭の指す先は、奥へ繋がる一本の通路だ。
「ジニー!」
小さな穴に頭を突っ込むようにロンが突撃した。
セラフィとテルミは顔を合わせ、やがて、セラフィが歩み寄った。
「ロックハート先生、最後のお仕事だ。──さぁ、ご存分に戦うがよろしい。僕の杖をどうぞ」
ロックハートは、断るつもりだった。
他人の杖であるし自分の呪文の腕では、忘却呪文以外が上手くいくわけがないと思ったからだ。
しかし。
「サクラの木、ドラゴンの琴線──三十五センチ、しなやか」
杖の素材は、よく知っていた。
愛すべき杖と同じモノだったからだ。
ロックハートは震える手で受け取った。それから後ずさりして、テルミが作った穴をくぐって駆けていった。
──いったい何をしに行くのか。
それはセラフィにもテルミにも、ひょっとしたらロックハートさえも理解できていないかもしれない。
しかし彼は駆けていった。
テルミの見るところ。
セラフィは、熱のある瞳で彼の背を見つめていた。
「貴女、どうしてあんなことを? 貴女はクルックスのように純情だと思っていたのだけど」
「僕はレオー様がご心配なさるほど純情だよ。……僕を咎めるかい? 君が?」
「あぁ、こわい顔をしないでください。それから冷静になって考えてくださいね? 勝てるワケない喧嘩を売るハズないでしょう? ネフではあるまいし」
「むむ。それもそうだね」
「けれど、ロックハートがクルックスの邪魔をするのなら背中からブスリとやる必要がありますね。それは貴女にお任せしたいのですけれど」
「承る。今回は僕の蒔いた種だから、言われずとも僕が刈り取ろう。……僕は鴉羽の騎士様より責任感を持ちたい」
「では、万一を防止するために行きましょうね!」
「そうだね。愛しい妹君。カインハーストがそうであるように僕らだけは常に『正しい』のだから」
「あら、カインハーストの辞書には『謙遜』の文字がないのかしら? でも貴女のカインハースト以外をクズだと思っていそうなところ、大好きですよ。純血主義がチワワに見えるくらい差別主義者だもの」
「差別ではない。互いに適度な距離でいるための区別だよ。それに今の僕はカインハーストの住人ではなく……個人的な問題でね」
「個人的な問題? とても気になるわ。わたし達は二年間でどれほどの差異を得たのでしょう?」
「……。いつか君にも話すべき時が来るだろう。今の僕は、ただ知りたいだけなんだ」
トリコーンを深く被り直す。
それは、すでに正面から見えないほどだった。
「自分を認めてほしい。……ありふれた願いだ。それは多くの人間にとって果たしたいことではないのかな?」
そうね。
続くハズだったテルミの言葉は、途切れた。
「たとえ誰かを殺してでも叶えたい。甘い願いではないかと思うんだ」
声音は、淡々としたいつもの調子だった。
しかし、テルミの隣を通りすぎるセラフィの瞳は、軽口も冗談も付けいる隙がないほどに真剣だった。
桜の木、ドラゴンの琴線:
『サクラは、西洋ではあまり人気のない材料です。けれど、日本では──国の花と言えば「菊」と並び、馴染みがあるためか──人気が高く、使う人も多い傾向にあります。極めて高い評価を得ている木材です。どの芯材を使っても、高い効果を発揮してくれるものですが、特にも、ドラゴンの心臓の琴線の芯材との組み合わせは、自制心と精神力を高度に必要とします。』
本作において表現をすると上記のようになるでしょうか。
(原文はWizarding worldのWand Woodsのページをチェックだ)
本作においては、まだパッパラパーになっていないロックハート先生ですが、原作のロックハート先生を見ると、本話程度の暴力行為に曝されただけでは、どうにもならない性質だと思われます。
本話冒頭の脳内インタビュー予行練習の文章は、ロックハート先生が書いている想定で書いています。だんだんとエスカレートして、自分に都合のいいことを書き綴っているうちに本当に自分が迫害されて泣く泣く──ということを本心から思い込んでしまっている状態になっていくのだと思います。彼の中では真実なのです。
本作においてネビルのばあちゃんは「ただの青二才だ」と言いましたが、やはりお年を召した方の目は、ちょっとばかり名の知れた人がどれほどのものなのか、顔を見るだけで分かるのでしょう。伊達に暗黒時代を生きてない。
よって、恐らく彼はどこかで認識阻害系の神秘攻撃を受けたでしょう。間違いない。俺には特別な智慧があるから分かるんだ……騙されんぞ……!
セラフィの所属:
セラフィの杖も「桜の木、ドラゴンの琴線」でロックハート先生と同じです。
彼女はしばしば「僕には野望をもっていない」とか言いますが『マリアを探る』より以前に抱いた『父より優れた狩人になる』と掲げた目標は、父の打倒が必須ではありませんが、その領域に近付こうと試みるものです。それは、クルックスには不遜で恐れ多いことのように感じています。
……相棒も似たようなもの? いや、打倒は目指していないからな、俺は。君のそれを野望と言わず何という。──夢か。そうか。うん。ちょっと納得してしまった。……
そんな時空間的に果てしない夢と深い愛が彼女がスリザリン寮に配された理由です。
けれど、愛については。ネフライトに言わせれば「ただの身内贔屓と道徳心の欠如だ。穢れた貴族どもの教育の賜だな」という感想になるものです。
とはいえ、組分け帽子は適性を見事に見て分けたと言えるでしょう。