甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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クルックス・ハントの手記
──正しき夜明けをもたらすために。
──狩りを尊び、それに殉じます。
──静かな夜を招くために。
──獣を殺し、虫を潰します。



ダイアゴン横丁

『マダムマルキンの洋装店──普段着から式服まで』

 

 しばらく店先で様子を見ていたが、クルックス等と同じ年頃の子供が父母と共に出入りしている。ここならばよいだろう、と判断し四人は扉を開けた。

 

「こんにちはー。マダム? わたし達、ホグワーツの制服を揃えにきたの」

 

 物怖じしないテルミが先陣を切る。

 後ろで「はぁ」と溜め息を吐くと隣のネフライトが「何だ」という視線をよこした。

 

「よくも見知らぬ人に声をかける気になるものだと、感心しているんだよ」

 

「適性の問題だろう。私も、得意なワケでは無い」

 

 ただの適性の問題と切り捨てることは、残念ながらクルックスにはできそうにない。狩人としての意識が、妙なところで引っかかってしまうのだ。『目の前の人物が、次の夜には獣となっているかもしれない』。疑心暗鬼になりかねないヤーナムの狩人を蝕む思考は、クルックスの内側にも燻っている。

 

「気に病まないことだ。ここはどうやら獣の病とは、縁遠いところらしい」

 

 例えば。

 ヤーナムの町において無機物に染みついた獣除けの香は、平時においてもそよぐ風によって嗅ぐことができるのだが、それはこの通りの空気中に存在しない。

 

「あれを見ろ。血の医療の入り込める隙間など無いのだろうさ」

 

 ネフライトが、マルキン洋装店の硝子窓越しに向かいの店を指した。

 店先に釣り下げられた何らかの生物の干物。コウモリの翼。何となくヘムウィックの墓地街を想起させるのだが、気のせいだろう。あれは何だとクルックスは問う。

 

「『薬問屋』らしいな」

 

 医療とは、教会から施されるものである。専門的で特別な知識が必要だ。

 クルックスの、ひいてはヤーナムの常識ではそうだ。

 それが通りの向こうの景色を見て見事木っ端微塵に吹き飛んだので、クルックスはヘラリと笑った。

 

「ふっくくく、そうか……」

 

 ヤーナムにおいて、権威とは医療だ。つまり医療を施す者、医療教会こそが権威である。

 それがここでは金を積めばなせる『手段』に成り下がっているらしい。いいや、まだ分からない。かつてはそうであったのかもしれない。失墜したのかも知れない。歴史を辿ってみるのも楽しみになってきた。

 まあ、医療教会──ヤーナム外の世界にも『当然』あるだろうと思っていた医療者達──の影響に怯えながら学生生活を送ることを想像していたが、存外快適な生活を送れそうである。

 

「しかし貴公、あまり面白い話ではないのでは?」

 

 ネフライトが籍を置くメンシス学派は、医療教会内を二分する勢力の一翼だ。

 彼らは腐っても見習いだろうと『医療者』だ。彼は業を軽んじられたように思えたかも知れない。

 だが。

 

「我らメンシス学派における『医療』は既に肉体の治癒を重んじてはいない。私には関係の無いことだ。大抵の病ならば、輸血液をぶち込んでおけばいい」

 

「ふむ……たしかに……」

 

 父の狩人が懇意にしているギルバート氏も重病らしいが、輸血液で命を繋いでいる。

 どうにも『医療』という言葉の定義からしてヤーナムは、余所と違う気がする。

 恐らくヤーナム外のここでは、旧市街を焼いた例を皮肉以外で『医療』とは呼ぶまい。

 

「クルックス、ネフ。こっちよ」

 

「ああ」

 

 店の奥から現れたマダム・マルキンは藤色の服を着た愛想の良い魔女だった。

 人の好い笑顔には裏があることが常であるヤーナムのせいで警戒してしまったクルックスであったが、次第に警戒を解いた。自分に言い聞かせるように「普通に……普通に……」と唱える。

 

「さあ、坊ちゃん達。こちらですよ。まずは丈を合わせますからね」

 

「よろしくお願いします」

 

 そうして店の奥に通された。

 踏台に立つと、もう一人の魔女が長い黒いローブをピンで止めて丈を測りはじめた。

 

「…………」

 

 長い袖だ。クルックスはすこしだけ不満である。

 長柄の武器を持つとき、袖が引っかかって動きに支障が出そうだ。

 

「学徒の正装とすこし似ていると思わないか」

 

「むっ……」

 

 クルックスの様子を見ていたネフライトが、わずかに興味を惹かれたように目を瞬かせた。

 

「似ているな……。だが、フードが余計だ。檻を被るときに引っかかって破きそうだ」

 

「被るのか。アレを。え。ホグワーツで?」

 

 ネフライトが愛用している"メンシスの檻"は、その名の通り、ちょうど頭を納めることができる被る六角柱の檻である。

 多少の冗談と捉えていたクルックスは、決して笑わないネフライトの目を見て考えを改めた。

 

「ミコラーシュ主宰が考案した交信装置だぞ。合理的過ぎてあの形以外に存在しない代物だ。同じ思考に到達した者がいれば何もかもが、あの形になるハズなのだ。そもそも私があの檻を外すことが遺憾である」

 

「……そ、そう……。俺は啓蒙が低いから、分からん」

 

「さ、坊ちゃん。終わりましたよ」

 

 クルックスのローブを測り終えると次は、ネフライトだった。

 

「お願いします。ただ、すこし袖を短くすることはできますか」

 

「できますけどね、成長するんだから、すこし長めのほうがいいと思うけどね」

 

「……あぁ。そうですか。では、そのようにお願いします。きっと。そうですからね」

 

 人間なのだから、成長するのは当然のことだ。

 だが、ネフライトはそのことを忘れていて、いま思い出した。クルックスも同じだ。忘れていた。

 不可解そうな顔をするマダムだけが、取り残されていた。

 

 店の奥へもうひとり、通されてきた男の子がいた。顎の尖った男の子だ。

 クルックスはもう採寸が終わっているので、彼の邪魔をしないようにスッと体をよけた。 

 

「やあ、君もホグワーツかい?」

 

 男の子が声をかけてきた。

 クルックスは『余計なことを言わないように』と自戒しつつ、答えた。

 

「ああ。今は同郷の彼を待っている」

 

「同郷? どこの出身なんだい?」

 

「谷間にある田舎だよ。君もホグワーツなのかい?」

 

 クルックスは、質問をかわすよりも質問したほうが相手の口を塞げることに気付いた。

 

「ああ、そうさ。僕の父は隣で教科書を買っているし、母はどこかでその先で杖を見ている」

 

 彼は、気取った話し方をする。

 ネフライトの後頭部で跳ねている癖毛を見て鼻で笑った。クルックスから見ても少々手入れ不良に見える髪なので仕方が無い。

 

「君は? マグル出身なのかい?」

 

「身内に魔法使いはいる」

 

 これは、きょうだい達のことを指す。上位者を魔法使いの分類に加えるのは、乱暴な区分だと思ったからだ。

 

「ああそう。僕はこれから二人を引っ張って競技用の箒を見に行くんだ。一年生が自分の箒を持っちゃいけないなんて、理由が分からないね。父を脅して一本買わせて、こっそり持ち込んでやるさ」

 

「理不尽なしきたりはよくあるものだ。俺なら、規則が分かるまで大人しくしているがね。そのうち穴も見つかるだろう」

 

 口元でフフと笑うと彼は、眉を上げて「へえ」と言った。

 

「そうだ。君はどの寮に入るのかもう知っているの?」

 

「いいや」

 

 クルックスは、まったく穏やかでは無かった。

 寮とは何か。さっぱり分からない。とはいえ黙って首を横に振るだけでは話が進まないだろう。

 

「だが、落ち着いて勉強できるところがいい」

 

「それじゃあレイブンクローかな。ハッフルパフかもしれないが」

 

「どこでもうまくやっていきたいものだ。君は、分かっているのかい?」

 

「ああ」

 

 彼の気取った口ぶりのなかに、わずかに高揚が見えた。

 

「まあ、実際に行ってみないとわからないけどさ。僕はスリザリンに決まっているよ。僕の家族はみんなそうだったんだから。僕ならハッフルパフなんかに入れられたら即、退学するよ」

 

「そうか。それは」

 

 クルックスは『短い付き合いだったな』と言いかけたが、ネフライトの一瞥でやめた。

 どうやら我知らず、ヤーナムでよく聞くことができる『あからさまな悪態』が最後の一言に無いと会話としての物足りなさを感じているらしい。テルミのように言葉の扱いが上手ければよいのに。

 

「君のお父さんとお母さんは?」

 

「お父様は忙しい身の上だ。母はいない。……俺達は、あれこれ知らないことばかりで大変だよ。いろいろと知っている君が羨ましい」

 

 彼はフンと鼻を鳴らした。多少、愉悦の色があった。

 ご機嫌取りにしてはそこそこ良い言葉を選べたようだ。

 

「はい、坊ちゃん。終わりましたよ」

 

 ネフライトが礼を言い、踏台から降りた。

 

「じゃ、ホグワーツでまた会おう。たぶんね」

 

「ああ、その時はよろしく頼むよ」

 

 一足先に背を向けたネフライトが、彼にそうされたように鼻で笑った。

 俗世を達観し、自らを客観するための檻を被る彼にとって、あの少年は『俗世に塗れきった』ように見えているのだろう。

 それを非難することはない。クルックスとて同じだ。忌まわしき虫がその身のうちに見えるまでは、誰であれそこそこの付き合いをしてもよいと思うのだ。

 

 女性組の採寸には時間がかかるようなので、二人は先に買い物へ出かけた。彼女達には、後で杖を買う際に合流できるだろう。

 すれ違いに先ほど別れた少年、ハリー・ポッターを見かけたが、彼はひとりきりで緊張しているようだ。こちらに気付かなかったのでクルックスも気付かないふりをした。

 

 そして、ふたりは買い出しに出発した。

 それにしても買い物の内容は不可解だ。

 例えば。

 

「次は羊皮紙と羽ペンだ。文房具は良い。いくらあっても困ることが無い」

 

「しかし、羊皮紙とは? 紙ではダメなのか?」

 

「恐らく神秘、いや、魔法的な問題なのだろう」

 

「なるほど」

 

 あるいは。

 

「星を観測するのに望遠鏡が必要なのか」

 

「遠眼鏡とは違うのか。どこが」

 

 ぼやきながら購入し、いくつかは驚異的な収納力を納める異邦のズボンに納めた。

 杖を売っている店へ訪れる。今度は、女性組のほうが早かった。

 

「あら、来たわ。お姉様」

 

「あ? 『お姉様』?」

 

 クルックスは首を傾げ、ネフライトは「ヒャッヒャハ」と小さく笑った。

 

「何がおかしいか」

 

 お姉様と呼ばれたセラフィがネフライトを見つめた。

 

「いや、別に。そうだ、そういえば、我々の間に上下関係など無かったと思ってな」

 

 父たる狩人のなかでは順番が決まっていそうなものだったが、クルックスは黙っていた。

 テルミが、可笑しそうに笑った。

 

「『ぶっきらぼうな女の子』より『活発な妹に任せている姉』の方がいろいろとやりやすいの。ねぇ、お姉様?」

 

「貴公がそう言うならばそうなのだろう。任せる。妹よ」

 

「よぅし、妹様、頑張っちゃうよー!」

 

 お互いに姉妹役を楽しんでいるようなのでクルックスはこれで良いと思う。

 ただネフライトだけは呆れたように彼らを見やり、声をかけてきた。

 

「私達もやるか。愛しのお兄様よ」

 

「よせ、ネフ。舌を噛ませるぞ。語り明かすことも無いがな。……ただ。まあまあ。問題がなければ、それだけで問題は無いのだ。仲が良いのは、良いことだろう。ほら、次だ。杖とはここの店だろう」

 

 クルックスは、扉を指した。剥がれかかった金色の文字には『オリバンダーの店──紀元前三八二年創業 高級杖メーカー』と書いてあった。埃っぽいショーウィンドウには色あせた紫色のクッションに杖が一本だけ置いてある。

 

 扉をノックしてくぐる。

 店の奥でチリンチリンと涼やかな鈴の音が鳴った。

 もちろん、共鳴の鈴の音では無い。しかし、四人ともそろって扉の鈴を見上げたことに、誰からということもなく失笑してしまった。

 店長だろうか。老人がひとりの客と話している。客はハリー・ポッターだった。

 彼はちょうど杖を購入したところだったらしい。浮かない顔をしていたが、こちらを見ると覚えていてくれたのか顔を明るくした。

 

「あ、君は」

 

「また会ったな。どうやら縁があるようだ」

 

「ポッターさんは、どんな杖を買ったのかしら?」

 

 彼は、ネフライトとセラフィを見て驚いたようだったが、すぐに答えてくれた。

 

「『買った』というよりは、選ばれたみたい。ヒイラギ、不死鳥の尾羽……」

 

「不思議な組み合わせだな」

 

 そもそも、ヒイラギという樹木を知らないクルックスは「ふむふむ」と頷いた。

 

「君達も杖を買いに来たのだね? さあ、一番前の子から」

 

 店長は、ギャリック・オリバンダーと名乗った。

 オリバンダー老人は、銀色に光る目をさらに輝かせて手招いた。

 呼ばれたクルックスは、カウンターの前に立った。

 

「初めてのお客様だね? 私は自分の売った杖は全て覚えているが……どうかな、誰か家族で買っていった方はいるかね?」

 

「申し訳ない。お父様の記憶が定かでは無いため過去を遡ることができない。だが、恐らく一族では初めてだ」

 

「それは光栄なことだ。お名前は?」

 

「クルックス・ハントです」

 

 簡易な礼をする。

 オリバンダー老人が言った。

 

「ハントさん。我がオリバンダーの杖は、強力な魔力を持った物を芯に使っております。一角獣の毛、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線。皆それぞれに違います」

 

「なるほど……」

 

「オリバンダーの杖にはひとつとして同じ杖は無い。もちろん、他の魔法使いの杖を使っても、決して自分の杖ほどには力を出せないワケだ」

 

 オリバンダーの巻き尺が肩から指先、手首から肘などを測った。

 さて、と彼は細長い箱を取り出した。

 

「トネリコとドラゴンの心臓の琴線、しなりやすい、二十八センチ」

 

「振ればよいのですか」

 

 言うなり、クルックスは振った。

 店の奥で何かが爆発する音がしたのでクルックスはそっと返却した。

 オリバンダー老は、すぐに別の箱を出した。

 

「スギとユニコーンの毛、やや曲げやすい、三十センチ」

 

「…………」

 

 クルックスは杖を振った。

 バン、という発砲音がどこからか響いた。

 何となく手に馴染むような感覚が無い。知らない狩人の銃を握った時のような違和感があり、再びクルックスは返却した。

 

 オリバンダー老が店の奥へ杖の箱を取り出しに行く間、クルックスはハグリッドを待っているらしいハリーを振り返った。

 

「ポッターさんもこんな具合だったのか?」

 

「……僕、もっと時間がかかったよ。でも、すごくいい杖が見つかるハズだ」

 

 オリバンダー老は戻ってきた。

 

「イトスギにユニコーンの毛、二十五センチ。良質でしなりがよい」

 

 手にした瞬間。この杖は、他の二本と違う気がした。

 クルックスは三度目の杖を振った。

 杖先に綺麗な花を咲かせたそれを見て、オリバンダー老は「ブラボー!」と叫んだ。

 

「素晴らしい。勇敢なお人柄にこそ寄り添う杖でしょう」

 

「勇敢……俺が……?」

 

 クルックスの杖は決まった。

 けれど、勇敢、という言葉はくすぐったい気持ちになる。

 自分は、父の狩人に及ばない。だから命を投げ捨てるような戦い方しか知らないだけだ。

 

 その後、すぐに店の外にハグリッドがやって来てハリーは去って行った。別れ際に「ホグワーツで会いましょうね」とテルミが声をかけた。

 

「次は、どなたが?」

 

「僕が行こう」

 

 セラフィが手を挙げた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ここは静かな狩人の夢。

 だが、耳の奥には未だ街の喧噪が残響のようにこもっている。

 ネフライトは再び狩人の夢のなかにいた。

 金貨と銀貨の選別作業のために戻ってきたのだが、持ち帰った修学道具一式に狩人は興味津々だった。

 

「これが杖?」

 

 ネフライトが購入した杖。

 黒檀にユニコーンの毛、三十一センチ。

 杖を狩人はくるくると手のなかで回して観察していた。

 

「木材の中に何かが入っていてそれが神秘を感じさせているのか。いいや、それだけではないのか……? しかし、ユニコーンと言ったか。冒涜的な気配がしないが、特別な生き物なのだろうな。ありがとう。また見せてくれ」

 

「はい、お父様。そして飴チャンです」

 

 ネフライトは頼まれていた飴を衣嚢から取り出した。

 

「『シャーベットレモンキャンディ』という物らしいです」

 

「レモン……?」

 

 硝子製のキャニスターに詰め込まれた紡錘形のキャンディをひとつ、つまんだ。口に含む。

 

「あ。酸っぱい。でも、ふむ。あ。甘い。なるほど。レモン……」

 

「狩人様、小さな狩人様、お茶です」

 

 工房の奥から人形が、木製のトレイに載せた茶を持ってきた。

 

「ん」

 

「ありがとう。人形ちゃん」

 

 狩人は、テーブルに積んだ本を一冊手に取った。

 それには『ホグワーツの歴史』と書いてある。

 

 ちらり。

 ネフライトは、興味深そうに前書きを読んでいる狩人に対し言葉を選んだ。しかし、とりとめのない質問をするようにさりげなく。

 

「お父様は、ヤーナムが外でどのように伝えられているか興味がありますか」

 

「うん? そうだな……。数は少ないが、来訪者は絶えることが無い。『どこかでどうにかヤーナムの存在が伝えられているのだろう』とは、思っている。……たしかに興味はあるが、別に調べてくれなんて思っていないぞ」

 

 君らの知見を広げるのが目的だからな、と狩人は言う。

 想定通りの言葉だった。

 

「では、自由研究ということであれば、調べても良いですか?」

 

「好きにしていい」

 

 彼の言葉は、放任ではなかった。

 調べても調べなくてもどちらでもよいことをネフライトに選択を委ねたのだ。

 狩人の本心はさておき、彼はそう受け取った。

 

「学業の片手間に分かる範囲で調べてみますね。……ああ、そうだ。最後にひとつ」

 

「何だ?」

 

 前書きを読み終えた狩人が、目次に進む合間に視線をよこした。

 銀灰の瞳に見つめられるとネフライトはなぜか身が竦んだ。

 

「お父様は、ヤーナムのことが外に知られることをどう思っているのですか?」

 

「……『どう』とは難しい質問だな。人は好奇心を抑えることができない。俺が言えることは『人間が啓蒙的神秘に触れることは、おおかた碌なことにならない』ということだけだ」

 

 狂気は伝染するし、獣が逃げれば獣喰らいと呼ばれた彼の二の舞が発生しかねない。

 そのように考える狩人は二〇〇年以上、獣をヤーナム外に逃がすことはなかった。

 

 さて。

 行動の結果を見れば、彼はヤーナムが外に露呈することを好ましいとは考えていないのだろう。

 結論づけたネフライトは、確認のために口を開いた。

 

「人付き合いをするなかで出身地のことは、必ず話題になります。カバーストーリーを用意するにも、私達は外のことを知らなすぎる」

 

 ヤーナムでは、最初に受ける輸血で記憶を無くすので過去のことなどほとんど問題にならない。だが、外では違う。『ホグワーツの歴史』の冒頭、四人の創始者の一人、サラザール・スリザリンは学徒に制限を課そうとしたことが述べられている。魔法族では、大多数ではないにしろ伝統的に血統を重視するらしいのだ。

 そのことを伝えると狩人はしばしの思案の末、対応方法を考えてくれた。

 

「谷間の田舎だと言っておけばいい。外からの人を拒む隠れた町だとな。魔法なんて神秘があるんだ。そういうこともあるだろう」

 

「分かりました。皆にもそう伝えます」

 

「臨機応変にな。……あぁ、そうだ。クルックスに会ったら『神秘に振れ』って言伝も頼む。あと、この本しばらく借りるぞ。出立前には返す」

 

 狩人は、飢えた顔をして本を読み始めた。時おり「脳が~震える~」と囁いていた。

 ネフライトは、頷き紅茶を飲みながら分別を続けていた金貨を積み上げた。

 

「聖杯のなかで血の遺志を稼いで使者の店で交換するのなら……ハッ……無限に生成できるのでは」

 

「需要と供給の関係が壊れます」

 

 分別した金貨を入れる袋を持ってきた人形が静かに声をかける。

 ネフライトは言う「たしかに」。

 それきり、狩人の夢は静まりかえった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ヤーナム市街。

 クルックスの夜は、長い。

 時間よりは感覚の話である。

 恐らくは、狩りに伴って集中力が緊張と弛緩を繰り返すせいだろう。

 

 辺りに獣の気配が無いことを確認して、ついさっき殺したばかりの罹患者の獣に寄った。

 携帯ランプの鈍いオレンジ色の光が、血だまりを照らした。

 

 にわかに水面が蠢いた。虫だ。

 忌まわしい淀みを象徴するそれは、まるで血から涌き出るようにして現れる。

 

「…………」

 

 肉では無い。血から現れるのだと気付いたのは、何度目の夜を越えてからだっただろう。

 連盟の古株に訊ねれば「そういうものだ」と言う。「なぜ」と問うことも憚れるほどの断言だった。

 いつか自分もそのように疑問に思ったことさえ忘れる時が来るだろうか。

 

「……っ……」

 

 虫を踏みつぶす。

 鳴き声も無く、潰れた。

 血除けマスクのなかで息を吐く。

 

「おい、気を抜くには早いぞ」

 

「お父様」

 

「…………」

 

 狩人は、あたりを見回すフリをした。

 

「あぁ、えーと、連盟の、あの、あれ、新人さん……」

 

 クルックスは「夢以外の場所ではお父様と呼ばないで欲しい」と言われたことを思い出し、訂正した。それにしてもハマらない呼び名だ。連盟に名を連ねた順で言えば、新人に相応しいのはクルックスなのだ。

 狩人は、肩をひょいと上げた。

 

「今の長に言わせれば、もう『連盟の幽霊と名乗れ』って許可くれるだろうさ」

 

「最近の会合に顔を出していないからですよ。気まずくなる前に行ったほうがいいと思いますけど」

 

「うーん……。しかしだな。私が優秀だと他の同士の活躍が霞むだろう」

 

 狩人は気が進まないようだ。

 しかも、本心であっても普通言わない冗談まで言っている。よほど気が進まないらしい。

 

「……いえ、俺が無理強いすることではありませんが」

 

 彼は、銃を握る左手をひらひらと揺らした。

 

「今日は天気がいい。ちょっと顔を出そうかと思っていたところだ。狩りが終わったら、長の意向をうかがいに行く」

 

「そうですか。……今夜はどこにいたんですか?」

 

「下水道」

 

「な、なんでそんなところに」

 

 今日の狩人は血除けマスク越しにでもハッキリと分かってしまう、血とは異なる不衛生な香りが立ち上っていた。てっきり、市街のどこかで獣を狩っているのかと思っていたクルックスは、すこし驚いた。

 船渠から数個の長梯子を降りてようやく辿り着けるあそこには、腐乱死体と遺跡鼠と人食い豚と烏しかいなかったはずだ。

 

「三日に一回くらい掃除したくなる。特に豚まわりはな」

 

「はあ」

 

 豚に関する狩人の並々ならない執着は、未だクルックスには理解ができていない。

 思いついたように彼はクルックスを振り返ると何かの束を渡した。

 

「好きに使っていいぞ」

 

「……? ああ、鼠の……」

 

 クルックスに渡されたのは、投擲用ナイフの原材料になる鼠の骨だった。

 それにしても多い。船渠の底に原材料の鼠はたくさんいるが、ナイフの使用に耐えうる物は少ない。狩人を見上げると彼はフイと視線を逸らした。

 

「数本なら外でもバレないだろう」

 

 外という言葉がホグワーツのことを指すのだと分かった。

 そして、クルックスはこれが餞別であることを知った。

 

「大切に使います」

 

「普通に使っていい。──そら、ぞろぞろ来た。やるぞ。くれぐれも私の前に立つな」

 

「──はいっ!」

 

 ヨセフカの診療所へ続く広場に、もつれるようにやってきた獣狩りの群集が各々の凶器を振り上げる。

 ふたりは、散弾銃を放った。

 赤い月が訪れる夜に限らず、ヤーナムの夜は長かった。




【解説】
とびっきり難解な本――数十年かかっても読破と理解をする根気のある狩人にとって、知識は新しい思索のアイディアになるかもしれないので概ね歓迎して受け入れられました。またビルゲンワースに残る学徒達は歓喜して睡眠を惜しんで議論し続けることになりました。いつものヤーナムですね。
クルックスにとって会話は、とても難しいことです。相互の意思疎通が必要な場に出て来てしまったため、きょうだい以外で彼が交わす会話のテンポは数拍遅れています。

【あとがき】
イギリス魔法界の最大の市場といっても過言ではないダイアゴン横丁。それ以外の市場については、あまり登場しませんね。せいぜいホグズミード村のあれこれが『アズカバンの囚人』から語られ始めるくらいでしょうか。ノクターン横丁についても原作での掘り下げが、一店舗くらいに限られるので、いろいろと想像の余地があるところです。

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