終わりと始まりは同一のものである。
誰かの終わりから始まることもあるだろう。
けれど始めた時と同じように終われないのなら、せめて夢を。
すべて命あっての物種なのだから。
古びた扉がギィと音を立てる。
オリバンダーは眺めていた新聞を置いた。
新学期には、まだ早すぎる。
すると客は──予想とおり、青年が立っていた。
「やあ、こんにちは。いらっしゃいませ」
「私……私は杖を、買いに来たんです」
目深に被ったフードから上ずった声が聞こえた。彼は、ひどく緊張しているようだった。
ようやく一言を言い切った青年は、昨年この先にあるフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で大サイン会を実施した人物だった。
「ずいぶんお待ちしたような気がします。ああ、オリバンダーは売った杖を決して忘れない。買った人も然り。しかし、このところは杖よりペンを持つ機会が多かったようだ」
叱られたように身を縮める青年は、居心地悪そうに身じろぎした。
しかし、オリバンダー老が箱から取り出した杖を差し出したのを見て、ピタリと動きを止めた。
「ミスター、これを」
震える手で杖を手に取った。
初めて触る杖だというのに、仄かに温かい。
青年は、オリバンダー老を見つめた。
「サクラの木、ドラゴンの琴線。ぴったり二十二・五センチ、わずかに曲がる」
「私は……まだ、持つことを許されるのですか?」
「いいえ」
青年は、ショックを受けたように口を開けた。
老人は、ただ微笑むだけだった。
「かつての杖もそうだった。この杖も例外ではない。どの杖も、いつもそう。この杖が、あなたを選んだのですよ」
左手で、そっと杖を撫でる。
木質。長さ。堅さ。杖を振る。杖先に、ライラックの花が咲いた。──何もかもが元通り、時間が戻ったようだった。
初めて杖を手にした十一歳の少年を思い出していた。
けれど、杖を撫でる手だけは見知った青年のものだった。
あれからどこまで遠くまで来てしまったか。
道を踏み外してしまったのか。
それでも。
サクラの木、ドラゴンの琴線。ぴったり二十二・五センチ、わずかに曲がる。
この杖だけは、いつも傍らにあったのだ。
「これが私の……私の……あぁ……きっと……これが、導き……」
身震いの後で青年は、泣き出した。
次は。
次こそは。
今日、今からは。
何にも恥じぬ生き方を。
青年の名は、ギルデロイ・ロックハート。
やがて涙を拭い、彼は店を出るだろう。
馴染みのある新たな杖に誓う、新たな旅立ちだった
■ ■ ■
夜の海は不穏に満ちている。ゆえに白々しい月の光が、黒々とうねる水面を照らす様子は儚い標のように感じられた。
水の色は、暗い。これは緯度が高いことを意味する。南の海では、こうはならない。植物が生き、死に、沈殿し、果てに腐る──浜辺に満ちるのは、磯の香りだ。
初夏の岸辺には、波が寄せる以外に動くものは何もなかった。誰かが息をすれば何者かに見つかってしまいそうな心地の夜だった。
真夜中にさしかかる頃、鳥さえ寝静まったかに思えた岸辺に蠢くものが流れ着いた。それは毛むくじゃらの生き物だった。生きているのだろうか。明確な反応は見られない。
やがて浜辺で波に洗われる脚が、ピクピクと動き出した。震えたのは犬の脚だ。
立ち上がった犬は痩せ衰え、骨が浮いている。不健康な犬だった。その犬は、崖下に設えられた海小屋を目指すかのようにトボトボ歩き出した。
そのとき、雲が月を隠した。
次に月が現れたとき、犬の姿はどこにもなかった。
月下、あの犬と同じように痩せた男が体を引きずるように歩いている。
男が辿り着いた海小屋は、何度目かの嵐により大破しており、屋根が落ちていた。人の手から離れて久しいように見える。硝子を失った窓枠が、錆びた蝶番を得意げにギィギィと鳴らして揺れている。
とうとう力尽いて朽ちた壁に身を寄せた。そうすると壁の隙間から、夏の海から漂う温い風を感じた。
海の沖、それも遙か遠く遠く離れた絶壁の孤島から這い出てきた男の名は、シリウス・ブラックと言った。
十五年前、マグルを大量虐殺した罪で魔法使いの監獄──アズカバンに収監されていた、そして脱獄した唯一の魔法使いだった。
「……休んだら、すぐに発たなければ……あぁ……あいつはホグワーツにいる……ホグワーツに……」
深夜の静海を枕に彼の意識は眠りに落ちた。
眠りは、夏の夜のように短い。
目覚めれば、彼は北へ向かうだろう。
「あいつ」と呼んだ彼がいる懐かしき学び舎、ホグワーツへ。
衰えた痩身に構わず、あらん限りの力をみなぎらせて進むのだろう。
復讐とは、悪人を処刑するために行うのではない。
最も信じていた死者のために生きている者が遂行すべき最善行なのだ。
情は深く、義は重い。
だからこそ。
彼を南へ駆り立てた。
ギルデロイ・ロックハート:
幸せな門出になるといいですよね。
さて:
のこり2話となりました。
もうちょっとだけお楽しみいただければ幸いです。