甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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誓約
誓った約束なれば、果たさなければならない。
それが己から申し出たことならば、なおさらのことである。

もしも、やむを得ず破ったときは誠実であるべきだろう。
おおよそ取り返しの付くヤーナムにおいて。信頼は、例外だ。




誓約に基づく正当なる行為

 ここはヤーナム。

 学舎ビルゲンワース。

 

 昨年を踏襲して行われた『一年間お疲れさま会』は、やはりハメを外した乱痴気騒ぎとなった。

 去年と違うことがあるとすれば、クルックスも血の酒で酔っ払い、深夜は眠ってしまったことだろう。

 

 しかし、習慣とは素晴らしい。

 

 ホグワーツでの授業時間を思い出し、クルックスはガバリと身を起こした。

 

「寝坊だ!」

 

 飛び起きたものの、ここがヤーナムであることに気付き、クルックスはゆるゆると枕に頭を戻した。

 

「うるさいわね……」

 

「すまない、テルミ。──ん? テルミ? テルミ!? なぜここに!?」

 

 腕に、温かく柔らかいものが触れた。

 それがテルミの腹部であることに気付き、クルックスは再び飛び起きた。

 

「ベッド揺らさないで……頭に響きます……んるさい……」

 

 テルミは朝陽から逃げるように薄い毛布を頭にかけた。

 

「すまない。しかし、あの、俺には大事なことなんだが……」

 

 腫れているような目と喉に違和感を覚えながらテルミに話しかけた。

 眠たげなテルミが話す昨夜の顛末とは、実に明朗なことだった。

 

「貴方、お酒を一気飲みして……そこで頭がパァになってしまったようで……水を飲ませたのはよかったのですけど……今度は吐いてしまって……貴方の部屋に一人で置いていたら、吐瀉物で死んでしまいそうだったので見守りを兼ねて……一番近い、わたしの部屋に……」

 

「喉の違和感はそれか」

 

「覚えていないのね……」

 

「俺は何か言っていたか? 聞きたいような、聞きたくないような……気分なのだが」

 

「『蛇と蜘蛛は生きている価値が無いよな』とか。そんなことを言っていましたわ……」

 

「そ、そうか。ならばいい。……もうすこし寝ているといい。誰も起きていないだろう」

 

「テーブルに水差しと薬があるので……テキトーに飲んでくださいね……」

 

 テルミは、むにゃむにゃと話してベッドの上で丸くなって寝てしまった。

 クルックスは、ズボンとボタンを掛け違えたシャツを着ていた。身だしなみを整えて廊下に出た。

 

 

 ヤーナムにしては、珍しく晴れた日だった。

 

 

 白い朝陽に誘われるようにクルックスは上階を目指した。

 やがて埃が動いているのを見つけた。

 風が吹いている。

 自分の足音以外、音のない空間を彼は歩いた。

 

 辿り着いた月見台には、学長のウィレーム。

 そして。

 月の香りの狩人がいた。

 血除けマスクを外し、トリコーンを胸に抱いた彼は湖を見ていた。

 

「……お父様、おはよう、ございます」

 

「おはよう。早いな。体調はどうだ」

 

 彼は振り返った。

 自分とそっくりの顔だ。

 

「すこしだけ喉が痛いだけです。今夜の狩りには支障ありません」

 

「昨日は一番早く寝たからな。しかし、ずいぶん酔ったな」

 

「そのことなのですが、俺は記憶がありません。昨日言ったことは全て戯れ言としてお忘れください……」

 

「ハハハ、そういう気分のときはある。皆、酔っていた。ネフもだ。夜の話は酒で飲み下すものだ。誰も聞き咎めやしない。お互いさまだからな」

 

 手招きされたクルックスは、彼のすぐそばまで歩いた。

 

「しかし、今年も苦労をかけたな」

 

 狩人の手が、目の下をなぞった。

 そこが熱を持っていた理由に気付き、クルックスは彼を見上げた。

 

「俺は……?」

 

 泣いていたのだろうか。

 狩人は、困った顔をした。

 

「夜の話はしないつもりだったが……しかし、それでは君が救われない。君は私に質問したな。『なぜ争うのか』と。君の問いに、私は未だ完全な回答ができない」

 

「…………」

 

 昨夜の出来事が、塩辛い感情と共に蘇ってきた。

 ──そうだ。

 昨日は、あの日校長室から出てきた時に、テルミに零した話を蒸し返してしまったのだ。

 

「夢を見るだけならば罪はない。罪は、叶えようとした瞬間からはじまる。好奇心や探究心は、夢が名を変えたものだ。……皆の夢は同時には叶わない。悲しむべきことにな」

 

「どうすれば」

 

 その後に続けるべき言葉は、クルックス自身が見失ってしまった。

 

 ──報われるのか。

 ──救われるのか。

 ──幸せになれるのか。

 

 言うべき言葉を知っていたかのように狩人は目を細める。

 彼の癖を知っているクルックスは、笑っているのだと分かった。

 

「最初から求めないか。最期まで求め続けるか。人が選べるのは、それだけだろう」

 

「お父様は、どちらを?」

 

「君もいつか分かる。そう遠い話ではないだろう。コッペリアが聖杯のアテをつけてくれたからな。さて、まだ湖は霧も晴れぬ朝だ。もう一度、寝るといい。学徒達は昼を過ぎなければ起きてこない。学舎の見張りは私がする」

 

「……ありがとうございます。お父様も」

 

「うん?」

 

「無理は……しないでくださいね」

 

「無理だと?」

 

「……ホグワーツで起こった石になる現象。その脅威を考えたときに何としても排除しなければならないと思いました。俺は、お父様が動けなくなることをまったく考えたことがなかったからです」

 

 クルックスは、狩人が見ていた景色を眺めた。

 湖は、今日も深く色づいていた。

 

「うまく言えないのですが……お父様がいないヤーナムに陽は差さないと思えます。変なことを言っているのは、分かるのですが……なぜだろう。夜……夜が、ずっと明けないような……まるで話に聞く『獣狩りの夜』のような……そんなことが起きる気がして……」

 

 狩人は、クルックスの背中を叩いた。

 

「ハハハ、俺の心配をするとは! ありがとう! こんなことを心配されたのは、あぁ、もう何年前だろうか!? 分からないな、ずいぶんと久しぶりだ! 心配はいらない。何が起きようが、ここでは悪い夢のようなものだ。揺籃に乗ったつもりでいるといい。難しく考えることはない。君は、ただ獣を狩ればよい。連盟の使命に殉じるのもよいだろう。あぁ、ヤーナム外での虫潰しは時と場所を選ぶがな。……ネフにも告げたが、どうか気を永く保ちたまえよ」

 

「はい。それでは昼に、また」

 

 クルックスは、狩人の礼をすると月見台を辞した。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 月の香りの狩人は、クルックスが訪れる前までそうしていたように湖を眺める。弱い風に吹かれ、湖面は白く輝いていた。

 

「──クルックスは勘が鋭くて参る。ヤーナムの要は何を隠そう、特に隠れていない、この私だからな。俺は、あんなに察しがよかったかな? 連盟式教育の結果か? それとも早々に聖杯に放り込んだのがよかったのかな?」

 

 湖には、かすかに悪夢の霧が漂っていた。

 

 この湖の下には、上位者がいる。

 その名を『白痴のロマ』と言う。

 

 学長ウィレームが健全であった時代に存在したビルゲンワースの学徒。その成れの果てだ。

 彼あるいは彼女にある『隠し/隠れる』という権能。

 その力を借りて、現在のヤーナムは成り立っている。

 

「『最も多くの秘匿を破った者は、最も多くの秘密を持つ者と言える』とはブラドーの言葉だったか。……まったく古狩人はこれだから侮れないのだ。どこまで察しているのやら。……『最初から最期まで』なんて生ぬるい。死んで死んで、繰り返して繰り返して、ようやくの現状だ。獣狩りの夜は、形を変えて続いている。続けなければならない」

 

 朝陽が昇る。

 長い夜を過ごしている狩人は、ますます目を細めた。

 

「こんなに明るいのに……夜明けは、遠いな」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 クルックスは、テルミの部屋に戻ってきた。

 ほとんど私物のない部屋だが、今年になって増えたものがある。

 それはクルックスの部屋にも、セラフィの部屋にも、ネフライトの部屋にも増えたことだろう。写真だ。

 

 ホグワーツを去る日。

 朝食の席で、石から復活したコリン・クリービーが現像した写真をくれたのだ。

 

 湖を背に、四人が並んで立っている。

 緊張した顔をしているのは自分だけだった。

 

「……なんだ。みんな笑っていたのか……」

 

 写真を眺めているとベッドから自分を呼ぶ声が聞こえた。

 

「どうした、テルミ」

 

「寒いの……そばにいて……」

 

 ベッドの上で小さく丸くなっているテルミが、泣きそうな声で言った。

 

 季節は。

 夏に向かいつつある。

 

 湖畔に佇むビルゲンワースには、陽がよく当たる。だから、寒くはないハズだった。

 それでもクルックスは、ベッドに身を横たえた。

 

「ああ、いるとも。もうすこしだけ眠るとしよう」

 

「ねぇ、貴方……辛いことがあったら、ちゃんと言いなさい……」

 

「ん。ああ、そうだな」

 

「わたし……貴方のことが大切なの。ほんとうに。これだけは、ほんとうのことなの……」

 

「君の心配を杞憂にしてみせよう。だから、おやすみ。俺は寝るぞ」

 

「わたしだって、寝てましたもん……」

 

 テルミは、ほんのすこしだけ毛布を上げてクルックスの上にも被せた。

 

「ありがとう。苦労をかけるな」

 

「貴方は……いつも温かいから、特別です」

 

「そうか。そうありたいものだ」

 

 クルックスはテルミを引き寄せた。

 体温と鼓動を感じる。

 彼女がクルックスの胸に頭を寄せた。

 小さな仕草が、この上なく彼を安心させた。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「ぐぅぅ~、ダメだ……ダメすぎる……今日はダメだ……ダメダメだ」

 

「ネフ、しっかりしろ」

 

「僕も……悪酔いしたようだよ……。変だなぁ……カインの酒で酔ったことはないのに。聖歌隊貯蔵の血の酒だから何か混ぜ物でもしてあったのではないかな……? うぅ……。気付けに一杯必要だ、テルミ」

 

「トドメを刺して欲しいのかしら」

 

 時計は正午を指していた。

 クルックスとテルミは快調というべき体調だったが、他の二人は昨夜の深酒でちょっとした足音にさえ顔を顰める状態だ。何とか身支度を調えて教室へ来たことは、一種の奇跡だろう。

 ネフライトは特に深刻でセラフィのように椅子に座ることができず、椅子を三つほど占領して横になっていた。

 

「具合が悪いなら無理をするな。今日の発表は諦めたらどうだ。明日でもいいだろう」

 

「ダメだ……今日のうちに報告をして……私はヤハグルに……」

 

「その体調では無理だろう。セラフィも無理をするな。カインハーストで酔い覚ましに首を刎ねられるのがオチではないか」

 

「いいや、水があれば何とかなると思う。何とかする」

 

「気分で何とかなるものか?」

 

 しかし、ネフライトも「欲しい」と手を上げた。

 クルックスとテルミはちょうど教室の清掃を終えたところだった。

 

「お水を持って来ますから待っていてくださいね。クルックス、手伝ってくださる?」

 

「構わないが……。学徒のお二人も今日だけは無理だと思うのだがな……」

 

 学徒の二人は、起きていた。食事も摂った。

 しかし、クルックスには長年の習慣による反射的な行動の結果に思えた。声をかけてもぼんやりとした返事だったからだ。……たぶん目隠し帽子の下は目を閉じているだろう。

 

「わたしもそうは思いますけれど、お父様が『延期する』と言わない限りは予定どおりの行動をするべきでしょう」

 

 廊下を歩いているとテルミがそんなことを言った。

 二人で厨房へ行き、空の水瓶を抱えて外へ出た。

 

 陽が降り注ぐ中庭にある井戸の周辺には、学徒達が作っている畑があった。

 毎年、彼らは「雑草以上の作物未満」と自嘲する野菜を作っているのだが、今年は毛色が違うモノがあった。

 

「何だこれ」

 

「肥大化した頭部──のようなジャガイモね」

 

 テルミが近くに寄ってペチペチと叩いた。

 普通のジャガイモの大きさとは、こどもの握り拳程度だと知っている。

 一個が一抱えもあるジャガイモがあることをクルックスは学んだ。

 

「品種改良というものか。スゴいな」

 

「違うと思うわ。たぶんクィレル先生の太らせ呪文ではないかしら」

 

「ん? 魔法で食料を増やすことはできないのではなかったか?」

 

「ガンプの元素変容の法則というものね」

 

「そんな名称だった気がする。食料が無限に手に入ったら世の中のたいていの諍いがなくなるだろう。しかし、できないらしいな?」

 

「そのとおり。けれど『無い』を『在る』にすることはできなくとも『在る』を『増やす』ことはできるのでしょう」

 

「……それでも、そこそこの問題は解決できそうだがな。ところで輸血液は増えるのか?」

 

「増えるかもしれないけれど中身がどんなことになるのかしらね。含有成分が薄まるとか、そんな効果がなければいいけれど」

 

 学徒の二人と客人クィリナス・クィレル元先生はこれから約半年。

 ひたすら芋を食べ続ける生活が始まるのだが、それは別の物語となるだろう。

 井戸から水を汲み上げていると噂していたクィリナス・クィレル元先生がやって来た。

 

 昨日、彼はテルミがお土産と称して持って来たシェリー酒を飲んでいた。

 喉が渇いているのかもしれない。そう思っていたが、どうにも様子が違う。

 

 医療教会の黒服に身を包んだ彼は、慌てた様子で胸を押さえ、やって来た。

 

「はぁっはぁっ……あの、今日は誰か誰か、来訪の予定は?」

 

「ありませんね。クルックス、何か聞いているかしら?」

 

「聞いていないな。朝、お父様と会ったときも特に何も……。先生、何か見たのですか?」

 

「部屋の外、軒下を誰か歩いていました。人の足音だったと、お、思います」

 

「いつの話ですか?」

 

「たった今です!」

 

 クルックスは、水瓶を地面に置いた。

 

「──先生は、大教室へ行ってください。セラフィとネフにこのことを伝えて、その後はネフの指示に従ってください。俺とテルミが先行する」

 

 喘ぐようにクィレル先生は頷いた。

 

「いったい誰かしら」

 

「一番可能性があるのは連盟員だ。もっとも距離を考えれば、の話だ。今さら用はないだろう。可能性は高くとも妥当性が低い。これは二〇〇年以上起きなかった出来事だろう。もし、本当に人間であればヤーナムの夢を自覚した者に違いない。──お父様はどこに?」

 

「湖や森をお散歩しています。探す時間は──っ!」

 

 テルミの足が一瞬だけ止まりかけた。

 

「鐘の音……」

 

「? 俺には聞こえない。何の鐘だ?」

 

「学校の入り口、本棚の裏に隠している鐘よ。でもその場所は学徒達から教えられた人しか知らないのに……」

 

「お父様の友人か? それともかつての学徒か? 見れば分かるか。──テルミはここで待て」

 

 この先の角を曲がり、らせん状の階段を下れば学舎の入り口が見える。

 その角にさしかかったところでクルックスはテルミを制した。

 

「いいえ、わたしが先に行きます。わたしの方が弱いのですから」

 

「お父様の関係者ならば俺の顔に思うところもあるだろう。知人ならば僥倖。敵ならば秘技で奇襲しろ。俺が行くぞ」

 

 クルックスは、腰のベルトに銃を提げて先行した。

 金属の擦れる音が、侵入者の足音であるようだった。

 

「──カインハーストの……」

 

 呟いたクルックスは、銃把から手を放した。

 窓から差す正午の光に照らされ、その薄い銀鎧は白金に輝いていた。

 

 カインハーストの鎧一式を身に包んだ男が立っていた。

 兜の面覆いで顔を見ることはできないが、彼もこちらを見上げているらしいことが分かった。

 

「俺はクルックス。──カインの騎士が何のご用事か。伺わせてもらおう」

 

「…………」

 

 彼は無言で階段に足をかけ、腰の仕掛け武器の刀──千景──を抜いた。

 クルックスも銃を抜き、獣狩りの斧を携えた。

 

「何のつもりだ。……血に酔っているのか?」

 

 応えは、甲高い銃声だった。

 エヴェリン──カインハーストの狩人が好んで使う銃──が火を噴き、クルックスは階段を転がるように駆けた。

 助走を付けた斧の一撃は千景の刃に当たったが、切っ先を逸らされた。

 

「んッ!?」

 

 階段の段鼻に顔から飛び込みそうになり、クルックスは銃を手放して受け身を取った。

 

「──ちょっと直線的すぎるな。連盟員らしいと言えばそうだが」

 

 聞き慣れない男の声。騎士は、血に酔ってはいないようだ。

 だが、顔を上げた瞬間。クルックスは飛び跳ねて更に階段を下がった。

 追撃した銃口は白い煙が上っていた。

 

「動きはいい。市街で会ったらそこそこ面倒な手合い。まぁまぁだ。つまり俺様の敵ではないという意味だが」

 

「なぜ、こんなことを──」

 

 問いかけは虚空に消えた。

 階段の向こう、テルミが寄生虫を握りしめた。

 

「もう一人ね」

 

「──彼方に届け、我ら聖歌の声──」

 

 掲げた手から高次元暗黒が広がる。同時に周囲の温度が急激に低下した。

 その祈りは、宇宙の接触と同時に星の小爆発を招き、無数の礫が侵入者へ放たれた。

 

「おっと」

 

 テルミの目からは、激しい光の明滅により礫の到達前に騎士は螺旋階段を飛び降りたように見えた。

 だから、すぐさま手すりから身を乗り出すように階下を見た。

 

「えっそんな──っ」

 

 誰もいない。

 ハッとして階段の中途を見れば、右手で柵に掴まり、左手に握るエヴェリンの銃口は正眼にテルミを狙っていた。

 

「あっ」

 

 テルミは咄嗟に身を引いた。

 致命傷は避けられるが、どこかに弾丸は中る。

 そんな間合いで、引き金は、正しく作動した。

 しかし。

 

 カチ、カチカチ、と引き金が空しく音を立てた。

 

「──ん、ん? んん? あれ、嘘だろ、壊れた?」

 

 騎士は「えぇ」とか「マジかよ」とか言っている。

 クルックスは、階段を昇り側で膝を着いた。

 

「雷管不良か、森の湿気でシケたとか」

 

「あぁぁ、すごく心当たりある──!」

 

「クルックス、助言している場合ではないでしょう!」

 

 テルミの檄にクルックスは、立ち上がった。

 

「ハッ、すまん! ……何だか分からんが、落ちろ!」

 

 クルックスは、彼が支えにしていた握っていた手すりの子柱を斧で斬った。

 

「おうっ!?」

 

 一階程度であれば狩人にとって大した落差ではない。

 実際、騎士は軽い身のこなしで床に着地した。

 その間にクルックスとテルミは体勢を整えた。

 

「まぁいい。かかって来な! 銃が使えなくとも、女王の騎士たる俺が劣ることはありえないのだからな!」

 

「ほう。試してみたいものだ。──私が相手でこの状況からひっくり返せるならば、女王の最も優れた騎士に相応しいだろうな」

 

 階下の暗闇は、明瞭な死地だった。

 その騎士が立ち上がった時には既に、首に『葬送の刃』と呼ばれる大鎌が添えられていた。

 

「つ──」

 

「レオーだな? ノックにしてはずいぶん大きな音であり、敵意がある。何の用事か。聞かせてもらえるだろうな?」

 

 葬送の刃を構えていたのは、月の香りの狩人だった。

 いまや学舎の守護を役割の一つとした彼が、ここにいるのは何もおかしなことではなかった。

 

「お父様!」

 

 クルックスとテルミが階段を駆け下りてきた。

 騎士はそれを見て数の不利を悟ったのだろう。

 

「はいはい、降参、降参」

 

 カインハーストの騎士、レオーは左手のエヴェリンと腰の千景を床に落として両手を挙げた。

 月の香りの狩人は、しばらくジッと彼の背中を見ていたがやがて鎌を下ろした。

 

「あー、ここまで来るのに大変だったんだぜ。連盟員には絡まれるわ。蛇はうざいのなんのって。まったく陰気な森だ。銃も調子が悪くなるし……ツイてないねぇ。よい、しょっと」

 

 レオーは兜に手をかけると外した。

 豊かな銀髪を手ぐしで整えた彼の顔は、右半面が傷病らしくケロイドになっていた。

 しかし左の半面は怪我を負っていない。精悍な面立ちであり、眼には光るものがあった。

 まじまじと彼の顔を見ていたクルックスは、逆に彼に覗き込まれてしまった。

 

「何だ、火傷が珍しいか? 見世物じゃあないんだがな。──なんてな。気にするな、気にするな。これは三歳ぽっちのガキには珍しかろうて」

 

「こども達に会いに来たのか?」

 

「それもあるな」

 

 クルックスとテルミは握手を求められた。

 どうしようか迷っているとテルミが「大丈夫でしょう」と耳元でこっそり呟いた。

 狩人が腕を組んで唸った。

 

「……そういうことは前もって連絡をしてほしいのだが」

 

「この話はやめた方がいいと思うぜ。この先『最近、カインハーストに登城しないのは誰だ』って話になる予定だ」

 

「んんっ!」

 

 月の香りの狩人は、いかにも『痛いところを突かれた』と言いたげに咳払いをした。

 そして。

 

「ちょっとレオー、ちょっと来て」

 

「あ? なに?」

 

「いいからちょっと来て……頼むから……ちょっと来い」

 

「何だってんだよ……?」

 

 レオーの肩のマントを掴み、狩人は壁際まで引っ張って行った。

 

「……相談というか、お願いだ。こどもの教育に悪いから、そういうことはできるだけ言わないでほしいのだが……」

 

「……だって事実だろう?」

 

「……俺が時間感覚に疎くて、うっかりしているだけだから。そう、何というか、大事にしてほしくないんだが」

 

「……? 待って、待って。本当に分からないから教えてほしいんだが、なんで?」

 

「……この話をするとクルックスとか絶対『連盟にも顔出していないしカインにも顔出していないなんて、いったい何やっているんですか?』とか聞いてくるんだ。返事に困るから、その……今回のお仕事は散歩ついでにセラフィを迎えに来た程度の話で済ませてほしいなぁ……と」

 

「……うーん? いまいち分からんが、貴公を困らせても良いコトがないのはそのとおりだし、まぁそういうことなら……?」

 

「……よし、交渉成立だな」

 

「……一応聞くが、連盟にもカインにもほとんど顔出さずに何していたんだ? 俺も女王様に報告する手前、ちゃんと聞いておかないと鴉がうるさいからさ」

 

「……狩人の夢で火薬庫産乳母車の作成をしていたんだ。ようやく排莢が滑らかになったところだ。ガトリング付乳母車の完成も近い。つまり我らの夜明けは近いぞ」

 

「破却! 交渉は破却だッ! この魚介風ヤーナム野郎ッ! と、倒錯しやがって! お貴族様の専売特許侵犯するんじゃねえ!」

 

 突如、レオーは狩人の襟首を掴み上げた。

 

「お、男なら分かるだろう! すなわち包容力と火力、母性と父性の融合だ! やい貴公、約束を違えるとはそれでも騎士か!?」

 

「お前だってカインの騎士だろうがッ!? この浮気性! 女王様が暇すぎて肉塊になろうかとおっしゃっていたぞ! この人でなし!」

 

「上位者だ、文句あるか!?」

 

 狩人は逆にレオーに掴みかかった。

 

「いつだって『あり』よりの『あり』だ! さっさと過去の血族を今のヤーナムに呼び戻せ! 俺の超絶可愛いエヴェリンを至急蘇らせるんだよッ! 鴉のお守りはそろそろ限界だぞッ!? もう嫌だ、アイツ!」

 

「まぁ……それは、それだけは同情する。アイツの頭は、ちょっとおかしい」

 

 二人は、鴉羽の騎士に対する感情だけは意見の一致を見たようだ。

 互いに掴んでいた手を放し「すまん、ちょっと慌ててしまって」とか「気が高ぶっていたかもしれない、悪いな」とか言い合っていた。

 そんな融和ムードが漂いはじめた頃だ。

 

 破壊的な音を立てて扉が開けられた。

 

「──新鮮な侵入者! さあ、剣を握りたまえ。我、聖歌隊のコッペリア! そして、ビルゲンワースの名の下、僕は負けないぜ!」

 

「お、コッペリアじゃないか。元気にしてたか? 頭の調子はどうだ?」

 

「────」

 

 コッペリアは、酸っぱいモノを食べた顔をして振り下ろす場所をなくした槌をブンブンと振った。

 やや遅れて仕込み杖を持つユリエが追いついた。

 

「あら、レオーだったの。銃声が聞こえたから、てっきり鴉の方かと」

 

「アイツなら鐘も鳴らさないぜ」

 

「鐘を鳴らしたのね? 失礼、聞こえなかったわ」

 

「『聞こえなかった』? 聖歌隊が鐘の音を聞き逃すなんて何をしていたんだ?」

 

「僕ら! 二日酔いなのさ!」

 

「えっ?」

 

 レオーは、目を丸くした。

 一方のコッペリアは口を押さえて廊下を引き返していった。

 

「あー、声出したらもっと気持ち悪くなっちゃった……レオーならいいよね……。狩人君、ユリエ、対応お願い……僕、寝てるよ」

 

「後ほどお水を持っていきます」

 

 クルックスが伝えるとコッペリアはヒラヒラと手を振って暗い廊下へ消えていった。

 

「さて、ご用件を伺います。レオー」

 

「あぁ……そうだな」

 

 レオーは、チラリと狩人を見た。

 狩人は熱心に彼を見つめていた。

 再びユリエに向き直ったレオーは、貴族らしく愛想のない顔をしていた。

 

「簡単に言えば、督促に来た」

 

 督促。

 頭上で交わされる言葉が分からず、隣のテルミに訊ねた。

 

「うーん、そうね。『期限が過ぎてしまった約束を成立させるために急かすこと』かしら」

 

 残酷な解説となってしまったテルミの言葉を受けて狩人は、ますます渋い顔をした。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ──立ち話も失礼ですからね。

 ──失礼なことが多くて本当に失礼なのですけれど。

 

 ユリエは、ほとんど口を動かさなかったが狩人のそばを通りすぎる時に「あとで話があるわ」と低い声で言った。

 

「あー、ユリエ、そのー、ユリエさん、あのー……これには深淵で温かい事情があるワケで……」

 

 釈明に追われる狩人を視界の端に置きつつ、ぞろぞろと教室へ向かう道中、テルミはレオーの手を握っていた。

 

「レオーおじさま、森を歩いてくるのは大変だったでしょう?」

 

「んー、まあな。でも慣れるものだ」

 

「わたし、方向音痴なの。それでも慣れますか?」

 

「大丈夫、慣れるよ。三年ちょっとで何でも十全に出来ている方がおかしいのさ。目印を付けてすこしずつ分かる道を増やしていくのがいいと思うぞ」

 

「やっぱり地道にならないといけませんよね……ええ……」

 

「頑張れ、頑張れ。あぁぁあ……! 若人が頑張っている様子を見るのは元気が出るなぁ……!」

 

 しみじみと彼は言った。

 教室に行くと未だに回復しないセラフィは机に突っ伏して寝ていた。

 ネフライトも相変わらず椅子を数席占領して寝ている。

 端の席にはガチガチに緊張したクィレル先生が座っていた。

 

「──あ。貴様が『ヤーナムの外から来た、不運な先生』というヤツか?」

 

「ぁ、は、はぃ……」

 

「ほぉ」

 

 レオーが、目を細めた。

 その目つきは、連盟員が獣の死血から虫を見出すものに似ていることにクルックスは気付いた。

 彼は優しげに笑ったつもりのようだが、クィレル先生がさらに顔を引きつらせた様子を見ると威圧的に感じたらしい。

 

「学舎から出ないことだ。ここより安全な場所は、もはやカインハーストしかありえまい」

 

「は、はあ」

 

「狩人の客ならば、俺様にとっても客人だ。しかし、時の定めがあるとも聞いた。しばしヤーナムへの献身を期待する。具体的には、こども達をよく見てほしいという意味だが──おぅん?」

 

 レオーがふと教室でピクリともしないセラフィを見た。

 

「おや、昼間までセラフィが寝ているとは珍しい」

 

「んん……レオー様の声が聞こえる……幻聴だ……まだ酔っているのだ、僕は……」

 

「こっちも二日酔いか! ガキにどれだけ飲ませたんだよ……」

 

「祝いの席だったから、つい、ね」

 

 ユリエが頬に手を当てて「うふふ、あふふ」と気恥ずかしそうに笑った。

 クルックスは思わずそれに見入ってしまった。

 

「聖歌隊の教育は普通じゃあないだろう。子供の頃から酒と毒と薬で耐性を作るとか何とか──」

 

「レオー様だ!」

 

 ようやく幻聴ではないことに気付いたセラフィが、板模様を頬に付けたまま大きな声を上げた。

 

「元気にしていたか?」

 

「はい! 僕は元気で──テルミ!」

 

 レオーのマントの下から顔を出したテルミがニコニコと笑った。

 

「レオーおじさまとお話しながら来たの。とっても素敵な騎士様ね。セラフィが大切に想うのも分かるわ」

 

「テルミ! レオー様は、ぼ、ぼ、僕の先達だ! 駄目だ、駄目だ! 君の先達は、あっち! あっちだぞ……!」

 

 セラフィがテルミに対して強い感情を向けることは、そう多くない。いいや、思えば初めてのことだった。

 剣呑な目つきでテルミを見るセラフィだったが、レオーがうまく取りなした。

 

「こらこら。『きょうだい』も『しまい』も仲良くしないと駄目だろう。テルミは、俺の後輩に向かないから大丈夫さ」

 

「あら、どうして?」

 

 テルミが、首を傾げた。

 

「俺の後輩は『鴉と上手く付き合うこと』って条件があるんだが、アイツ、教会の連中が特に嫌いみたいだからな。──というワケでテルミはカインには不向きな経歴だな。うーん、残念!」

 

「そうなの? では難しいですね。それにお話を聞いていると、うーん、セラフィほど鴉羽様と上手く付き合えない気がします。理屈もなしに癇癪を起こされるのは、ちょっと困ってしまうかもしれませんからね……」

 

 セラフィのささくれた敵意が収まった。

 テルミは、するりとレオーのそばを離れてセラフィの隣の椅子に座った。

 ネフライトだけは『世界一、どうでもいいものを見た』とでも言いたげに鼻を鳴らし、椅子に寝転がった。彼の中にカインハーストに払うべき敬意というものは存在しないようだ。

 

 簡易な応接場としてテーブルと椅子を用意した。

 椅子に腰掛けるとレオーは封筒を取り出し、狩人に渡した。

 

「狩人は、ちゃんと暦を見て生活しろ。あと、たまには外に出て日干しになれ。黴臭いぞ。これだから地底人は……。はい、これ」

 

 レオーは懐から古風な封筒を取り出した。

 狩人はそれを受け取り、一枚の紙を取り出した。

 

「督促状……『穢れ』の納品時期。もう過ぎていたかぁ……」

 

「思い出したか。おめでとう。とっくに過ぎた。三日前だった」

 

「お、おぉぉう……あの、つかぬことをお伺いするが……女王様、怒って……?」

 

「怒るワケないだろう。どうせ期限をぶっちぎるだろうと見越して俺を寄越したんだから。キレ散らかしているのは鴉だけさ。つまり日常だな。──市街では背中に気を付けることだ」

 

 月の香りの狩人に対し、周囲の人々からは温度の低い目が向けられた。

 もっとも良心的な存在であるクルックスでさえ「お父様……」と呟くなり、湿っぽい目で彼を見ていた。

 そのうちにレオーはもう一封を取り出した。

 

「そして、これは誓約書だ。内容は──まぁ、見てのとおりだが要約すると『諸事情で遅れておりますが三日以内に登城して納めます』。こんなものだ」

 

「三日!?」

 

 狩人は書類を受け取ったまま、ポカンと口を開けた。

 レオーは、ニヤリと笑う。火傷の痕が歪んだ。

 

「何だ? 女王様が定めた期限に問題があるのか? 明日でも構わないぞ?」

 

「あ、はい。三日で」

 

 狩人はペンを手に執った。

 しかし、署名できなかった。

 テルミが狩人のそばに来ると彼の手から書類を奪ったからだ。

 

「あー、テルミ、困る。とても困る。俺が社会的に死んでしまうので返して欲しいのだが……」

 

 テルミのことが苦手である狩人は、手出しができずに宙でペンを動かした。

 

「ええ、返します。勿論ですわ、お父様。けれど内容をキチンと読んでから署名しても遅くはないでしょう? ──あぁ、レオーおじさまも人が悪い。こちら、二枚目がありますね?」

 

 果たして。軽薄な口笛は誰のものだったか。

 肩で笑うレオーは、懐からもう一枚の紙を取り出した。

 

「ハッハッハ。テルミは耳聡く、目聡いのだな。聖歌隊ならばそうか。発見力の違いというモノか。まぁいい。うまく行き過ぎてこちらが不安になるところだった。狩人は、もうすこし警戒した方がいいだろう。雑に生きすぎだぞ」

 

「そんなに騙したいことがあったとは驚きだ。なになに──なにこれ?」

 

 クルックスは、狩人の背後にまわり二枚目の契約書を見た。

 難解な言葉が多くクルックスは理解に時間がかかった。

 誰かが簡単に言い直すのを期待しているとユリエがいち早く顔を上げた。

 

「ふむふむ。なるほど。……狩人君が次に滞納した場合は人質としてこどもを差し出せと言いたいのね?」

 

 だいたい、そういうことだ。

 首肯して見せたレオーに、セラフィが食ってかかった。

 

「なぜです? 僕に不満があるのですか?」

 

「まさかまさか。悲しいことを言ってくれるな、セラフィ。月の香りの狩人とカインハーストはこの先、長い長い付き合いになるんだ。そこは理解しているか?」

 

 そう言うレオーは、互いに顔を見合わせる仔らを見渡した。

 

「ユリエは『人質』なんて物騒な言葉を使ったが、ちゃんと賓客としてもてなす心算だ。狩人が納品──間違った。納『税』だ──すれば帰してやる。お前達が我らが女王様に拝謁する機会があってもよかろう。ちなみに発案は女王様で契約書を整えたのは鴉だ。だから俺に文句を言っても無駄だぞ。異議あれば奏上することだ。丁重にな」

 

 セラフィとて女王様の意向であれば、それ以上の口出しはできないらしい。言葉の圧に屈し「むむっ」と悔しそうに口を噤んだ。

 これまで黙って話を聞いていたネフライトが、突如、上体を起こした。

 

「申し訳ございません。私はヤハグルでの使用人生活が忙しいので、とても」

 

「わたしも登城したい気持ちはあるのですが、孤児院の生活がありますので。とても時期を選ぶことになるでしょう」

 

 素早くテルミとネフライトが『学生中は無理だ』と控えめな申告をした。

 ──俺も続かなければ。

 クルックスが「俺」と言いかけた瞬間、レオーが手早く議論をまとめた。

 

「偉いぞ、さすが連盟員。一番手は決まりだな。よーし、月の狩人。これから毎年滞納していいぞ。ぜひ滞納しろ」

 

 反論の隙はなく、クルックスは「あ、ちょ」と言いかけた。

 そんな彼に狩人は力強く頷いた。

 

「大丈夫だ、クルックス。できるだけ滞納しないからな」

 

「そこは『絶対しないから!』と言って欲しかったですよ、俺は」

 

 四人いて二人が行けない、そして一人はすでに住民扱い──となれば誰か一人は面子のために行く必要があったのだろう。クルックスは遅れてやって来た納得と共にこれからの覚悟を決めた。そう遠くない未来で行くような気がしたのだ。

 

 テルミから書類を受け取った狩人は署名をした。

 

「キリキリ働くことだ。──さぁて、俺の仕事はここまでだ。狩人が納めるまで数日、泊まらせてもらおうか」

 

「部屋の準備をするわ。いつもの部屋でいいかしら?」

 

「ああ、頼む」

 

「──テルミ、奥の部屋を準備してちょうだい」

 

「はぁい。それではレオーおじさま、くつろいでお過ごしくださいね」

 

 テルミは、黒の法衣をつまんでお辞儀をした。

 

「ありがとうなー、聖歌のお嬢ちゃん」

 

 数時間前に出会ったとは思えない親しさを見せつけたテルミは、とことこ歩いて去ってしまった。

 

「あー、私はヤハグルで緊急の諸用がありますので失礼します。お父様、何事かあれば鐘で呼びつけください」

 

「そんな機会はないと思いたいが、そうする。気を付けてな」

 

 ネフライトが厄介事の気配を感じて、そそくさと退去した。

 残ったのはセラフィとクルックスだ。

 

「レオー様、ご下命を。女王様へ契約書を届ける役を務めたいと思います」

 

「ああ、頼むぜ。……そうそう。鴉が殺気立っているから気を付けろ。いつものことだがな。なぁにが気に障ったのやら。俺にもさっぱりだ」

 

「『おかえり』は言ってくれそうにないですね。別に、悲しくありませんが……」

 

 セラフィは封書を受け取ると姿を消した。

 続いて狩人も外套を着込んだ。

 

「ちょっと行ってくる。──クルックス。これから三日間、日付が変わったら古狩人の鐘を三回鳴らしてくれ。悪夢はどうも時間感覚が鈍くなっていけない」

 

「分かりました。ご武運を」

 

 いよいよ残るのはクルックスだけだ。

 

「俺の仕事はありますか、ユリエ様」

 

 見上げると彼女は「うーん」と首を傾げた。

 

「そうね。お部屋に案内して……お茶でも出しましょうか? それとも血の酒の方がいいかしら? そうそう。せっかくだからクルックスは、お客さんの対応を練習してみましょうね」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ビルゲンワースの学舎。

 仔らが立ち入っては行けない部屋はいくつかある。

 そのひとつ。

 かつての仮眠室と思しき小部屋は、狩人の仔は立ち入り禁止となっていた。

 その理由をクルックスは知りつつある。

 

 鍵を使い開いた扉の先には、カインハーストの紋章が刻まれた作りかけの銃や工房道具が置いてあった。

 

「この部屋は、俺が使っている部屋。で、左が鴉の部屋だ。俺の部屋は、日頃も入っていいぞ。まぁ見ても楽しいモノはないだろうが。あーそうそう、夏の間だけでも換気してくれ。日蔭のせいか黴がさぁ……くれぐれも鴉の部屋は絶対に入るなよ」

 

「え、はい。入りませんが」

 

「アイツ、自分の所有物の認識が無茶苦茶だからな。椅子が数センチ動いていただけで殺しに来るぜ」

 

「まさか、そんな」

 

「その『まさか』を大真面目にやるヤツだから参ってるのさ。……主に折衝役の俺がさァ」

 

 レオーは、手甲や脚甲を外してテーブルに置いた。

 胴のベルトに手をかけたところでクルックスは水瓶やカップをテーブルの空いている場所に置き、手伝った。

 

「悪いな。柄ではないだろうに」

 

「いえ。俺は何でもやってみたいので構いません」

 

「そうか? ……ふぅん。お前、狩人に似てないのな?」

 

 背の高いレオーに見つめられた。

 その目は、クィレル先生を探っていた時と同じだった。

 

「残念ですか?」

 

「いや? 悪くないと思っている。──お、外れたな。ありがとう」

 

 鎧一式をテーブルに整列させ、肩や首を回すと彼はベッドに座った。

 クルックスは水瓶を傾けてカップに注いだ。

 渡そうとしたところ、レオーは椅子を差した。

 

「座れよ」

 

「いえ、俺は……下がらせていただきます」

 

「なぁにとって食いやしないさ。俺、連盟員は好きだぜ。狩りの腕がいい。そして真面目なヤツが多いだろう」

 

「誰かご存じなのですか?」

 

 連盟員の間でカインハーストについて語られることは多くない。

 ──西区で見かけたので気を付けるように。この程度の伝言が行われる程度だ。

 狩りの夜に悠長に言葉を交わすことがあるのだろうか。

 クルックスの抱いた疑問は、恐らく彼の想定範囲だった。

 

「ああ、たくさん知ってる。カインの騎士になったヤツらだからな」

 

 クルックスは、彼の言葉を理解するのに時間がかかった。

 理解した後も認められずに言葉を重ねた。

 

「……連盟員とカインの使命は違うものだ。いったい何を……」

 

「ああ、すまん。『元』連盟員と言った方が適切だったな」

 

「…………」

 

 向けるべきは敵意ではない。

 困惑が勝りクルックスは黙る。彼の次の言葉を待った。

 

「果ての見えない獣狩りに、虫潰し。そのなかで心をすり減らしたヤツらが最後に縋るのが慈愛のカインハーストの女王、アンナリーゼ様だ」

 

「かの女王は、貴方は、何と言って連盟員を──」

 

 言いかけた言葉は、侮辱になると思いすんでの所で飲み込んだ。

 しかし。

 

「『誑かしたのか?』」

 

 言い当てられてしまい、クルックスは「いえ」と言うのが精一杯だった。

 レオーは、ケラケラと嗤った。

 

「市井と狩人の間でカインハーストが何と呼ばれているか。ちゃあんと知っているさ。罪人の一族。医療教会の血の救いを穢し、侵す、許されない存在。ハッハッハ、笑うよな。嗤えよ」

 

「──事情があるのでしょう。俺はカインハーストに生きる人々の信仰を嗤いたくはない。他の連盟員のことは知らないが、俺には連盟の使命がある。勧誘であれば、お断りをさせていただきたい」

 

「そう頑なにならずに仲良くしようぜ。セラフィはお前を気に入っているようだ。同胞の信じるものならば、俺も等しく愛していたいのさ。狩人の思惑はさておき、新しい『何か』を生み出す可能性はヤーナムにおいてカインハーストにも存在する。お前のお父様も荷担しているんだ。そう考えれば、ヤーナムにしては良心的な誓約先に思えるだろう? ん?」

 

「……何をもって『良心』とするか。俺達の考えは、大きく異なっているように思う」

 

 苦し紛れに重箱の隅を突いてみた。

 クルックスは、早急に彼の近くから立ち去らなければいけない。そんな思いを募らせていた。

 彼は、二〇〇年近くカインハーストの騎士をしている。そしてカインハーストにおいては狩人や学徒と渡り合う折衝役であり、今のクルックスでは太刀打ちできないほど強い。口論と武力。どちらも負けているのだ。

 ──このままいけば丸め込まれるかもしれない。

 危機感を悟られたのか、レオーはパッと両手を広げ、議論を終わらせた。

 

「まぁまぁ、急ぐ話でもなし。夏休みは長いのだろう? ならば、考える時間も語る時間もたくさんあるというワケだ」

 

「いえ、考えるも語るもなく俺は連盟員で……!」

 

 その時だ。

 ふわりと鼻先に甘い香りが過ぎった。

 これまで嗅いだことのない、甘い、甘い血の香りだった。

 

「──なぁ、クルックス。楽しい休暇にしようぜ」

 

 目を見開いたまま固まる彼の肩をレオーが叩いた。

 ほんの一瞬だけだが、ひどく魅力的な誘いに思えてクルックスは口の中を切れるほどに噛みしめた。

 




誓約に基づく正当なる行為

テルミのおふとぅん:
 温かい人、募集中。


月見台の狩人:
 狩人がビルゲンワースを(狩人の夢以外で)本拠地にした理由でもある。
 補助輪的役割をしているロマが暴かれて殺されるのは、よろしくない事態となるだろう。
 ──それにしても、夜明けは遠い。
 狩人は、仔らの成長速度についていけない自分を感じて繊細になってしまっています。


二日酔い:
 ヤーナムの民は、酒に酔わない。血に酔う。
 普通、血の酒は狩りで撒き餌に使うものだ。
 だが、仔らが生まれるより前も年に一度だけ、学徒達は封を開けていた。

 酩酊。それは仮初めの忘却だ。

 明日には心身の鈍痛と引き替えに愚かさを二人で嘆く。
 すなわち伝統だ。
 そうして二人は生きてきた。
 終わりがあるから遂げられる。
 知性の在る生き物にとって、忘却は無くてはならないものだ。
 ……狩人もいろいろよく忘れる。
 やはり必要なものなのだ。

狩人の工作:
ガトリング付乳母車
ヤーナムの酔狂という酔狂が結晶した、冒涜的武装。
狩り武器ですらない。しかし、拠点防衛には向くはずだ。
……女王様に報告できるワケがない。俺の首が飛ぶ。レオーは速やかにキレた。……


【追記】
本話/zeroとして前夜の話(夜、一年間お疲れさま会)をソナーズ様にて公開しています。
筆者(ノノギギ騎士団@活動中@NONOGIGInights)フォロワー限定公開です。
読まなくても本話・今後の展開に大きな影響はないものですが、より楽しめるかもしれません。
以下、ソナーズ様リンクです。
https://sonar-s.com/novels/982b8bc6-f935-401f-8b77-641832b78174
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