甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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レオーの煙管
刻み煙草を吸うための道具。吸い口と雁首は銀で作られ、三種の植物模様が美しく刻まれている。
長い夜あるいは聖杯でそれはエヴェリン亡き頃の彼を人に留める縁だった。
葉煙草が切れた時、彼は全てを手放した。



騎士と学舎(中)

 依頼と言えば。

 クルックスは狩人からの依頼を忘れていなかった。

 日付が変わる頃に『古狩人の鐘を鳴らす』という仕事のため、普段であれば市街を哨戒する夜の時間であってもクルックスは学舎に留まっていた。

 再び伏せったコッペリアに食事や水を届けた後は、クィレル先生に昨年遅れた勉強を見てもらうため『授業準備室』と吊り下げられた彼の住まう部屋に向かう。

 昨年までは休暇前十日間で片付けていたホグワーツの宿題だが、クルックスが他の三人に比べ課題の解決に時間がかかることを考慮し、特別に三日間宿題計画を前倒しすることになっていた。

 

 月の香りの狩人の仔らが使っている部屋は、それ以前に仮眠や物置として使われていた部屋であった。

 現在、彼らが寝泊まりするための部屋は、瓶詰めの目玉や赤子の検体などのビルゲンワースの過去の遺物を片付け、ベッドを押し込んだ程度の小部屋になっている。この『授業準備室』も同様の経緯で生活に必要な物品が押し込められた部屋になっているが──狩人や学徒にはちょっとした見栄があったのだろう──ビルゲンワースの学舎において最も品の良い机である学長用の机があり、部屋の隅には天蓋付きのベッドもある。

 もっとも天蓋付きベッドは、狩人が『狩人の悪夢』からとても頑張って持って来た悪夢に存在する時計塔の患者用ベッドであることを学徒以外は知らない。いざという時は患者を拘束するために使われるベッドは仔らが使っている物よりも重く、堅牢な構造をしている。薬品と死の匂いが染みついているのはヤーナムにおいて最早特筆すべきことではないだろう。

 

 そんな『授業準備室』では、クィレル先生がカサコソと音を立てて歩き回っているようだ。

 ノックをすると入室の許可を得た。

 

「失礼します」

 

「やあ、ク、クルックス……」

 

「お時間いただき恐縮です。クィレル先生と──」

 

「よう」

 

「今日はどこにでもいらっしゃいますね。レオー様」

 

「月見台とかな。ククク……」

 

 ソファーで寛いでいるのはレオーだった。

 昼間と同じ軽装だが、腰には千景を帯刀している。それに目を留めていると「明るい夜だからな」と言って笑った。

 

「そのことですが、ユリエ様の依頼でコッペリア様を探していたところで……申し訳ありません。月見台で聞いてしまったことは誰にも口外しませんので」

 

「なあに狩人も知っている話さ。気にしないぜ。──さて、お暇するかな。舶来品より貴重らしいとの噂のシェリー酒をもらいに来ただけだからな。ああ、そうそう。クルックス。先生との用事が終わったら俺の部屋に来い」

 

「分かりました」

 

「うんうん。こどもは素直で可愛いな。──では、センセ。佳い夜を」

 

 グラスに輝くシェリー酒を持ってレオーはクルックスと入れ違いに部屋を出て行った。

 途端にクィレル先生は足腰がヘロヘロになって椅子に座った。

 

「お、おっかない人です……」

 

「脅されたのですか?」

 

「い、いえ、丁寧でしたよ……丁寧でしたけど……目が……怖い」

 

 ──人殺しの目です。

 吐息だけで言ったクィレル先生は黒いウィンプルを被った頭を振り、レオーのことを思考から追い出したようだった。

 

「さ、さあ、座って。勉強を見ていきましょう」

 

 彼は、ホグワーツで昨年度起きた事件はネフライトが学期末の片手間で作成した報告書により彼の目にも触れたらしい。ネフライトが提出した秘密の部屋の事件簿に彼は大いに驚いた。

 

 ──まさか生きているうちに謎が解かれるとは思っていませんでした。

 ──本では伝説と誇らしげに語られますが、それはごくごく一部の話。今を過ごす生徒の間では、噂話にもなりきれない『不思議な出来事』のようなものでした。

 ──先生方が夜歩きする生徒を脅かすために作った話かと思っていた人も多いのではないでしょうか。

 ──真実が……まさか、こんな事とは思いませんでしたが……。いやはや。

 

 そんな感想を述べた彼も一年ばかり就いていた『闇の魔術に対する防衛術』は、昨年度務めていたロックハート先生が辞職したことにより、再び空席になった。そのため、この科目について宿題がないことは幸いである。そう述べたところ、クィレル先生は書斎机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。

 

「残念なお知らせになるかもしれませんが、課題です。『闇の魔術に対する防衛術』ですよ」

 

「えっ!?」

 

「昨年度は『まとも』な授業を受けられなかったとネフライトから聞きましたので彼から依頼を受けて、よ、要点をまとめたものを準備していました」

 

「ネフは、本当に、どこまでも……気が利くな……。りょ、了解しました」

 

 がっくり肩を落としたクルックスをどう見たのか。

 クィレル先生は、取り繕うように「実技を多めにするので大丈夫ですよ」と励ました。

 

「ありがとう、ございます……」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 二時間後。

 魔法についての講義で頭をパンパンにしたクルックスは、レオーの部屋に向かった。

 時計を見れば、日付が変わるまであと数時間だ。

 ヤーナムで過ごす夜は、目が冴えており体の調子が最高にいい。気分が上向き、手足に力が入る。

 弾むような足取りでレオーの部屋までやって来た。

 

 ノックをして入ると部屋には紫煙が充満していた。

 数本の蝋燭と開け放った窓から差す月光を光源とする部屋はどこもかしこも薄暗く、家具の陰が奇妙に大きく見えた。

 

「ン。悪いな。カインハーストでは、うかうか吸えなくてね。鴉が嫌いなんだよなぁ、煙草」

 

 そう言いつつもクルックスが部屋に入ると煙管の火皿を空にした。

 

「何か飲む? 血酒しかないが」

 

「いえ、俺は遠慮します。……お父様からの言伝もありますので」

 

「そうか。真面目だねぇ」

 

 レオーは、棚に置いてある瓶を一本取り出した。

 

「シェリー酒も悪くはなかったが、やはり酔えないな。香りは、結構好きな部類だったが」

 

「魔法界には、見慣れない酒もありました。俺も詳しくはないのですが……蜂蜜酒とか」

 

「ああ、ミードな。作る方法は簡単だが、蜂蜜自体が手に入らないんだよなぁ。……蜂蜜酒、懐かしい言葉だ。もう何十年と存在を忘れていた」

 

「冬に蜂蜜を準備してみましょうか。俺がセラフィに渡します」

 

「あー、いや、気を遣わなくてもいいさ。カインハーストは、ほら、ちょっとな。返せる物もない」

 

 悪夢に閉ざされ、果てのない風雪と悪夢の生物が彷徨う異境の地だと聞く。セラフィから聞いた話は本当なのだろう。レオーは「物資が無いのだ」と煙管を袋の中に仕舞った後で言った。

 

「これからうかがう昔話のお代として、差し上げたいのです」

 

 クルックスはレオーから血酒の瓶を受け取ると封を開けてグラスに注いだ。

 グラスを揺らす彼は、ニィと笑った。

 

「ここ座れよ。なんだ? ユリエからそう言えって言われたのか?」

 

「いえ、俺の問題です。ヤーナムのことは、できるだけ広く、深く知っておくべきだと思っていますから」

 

 クルックスは、ほんのすこし逡巡したが断る理由がないことに思い至り、レオーの隣に座った。長らく使われていなかったソファーは二人分の重みでわずかに軋む音を立てた。

 

「ほうほう。殊勝な心がけだな。真っ先に死にそうだが」

 

 投げやりに嗤うレオーは、グラスの半分ほどを一気に飲んだ。

 しかし、目は酔いも淀みもしない輝きがあった。

 

「さて、どこからどう話したものか迷うものだな。……ふむ。そういえば、カインハーストのことは何を知っている?」

 

「血の女王をいただく一族で、女王に赤子をもたらすために狩りをしていると。医療教会と仲が悪いとか。……これくらいですね」

 

 レオーは「だいたいあってるな」と言って、グラスを揺らした。

 

「俺は年長面をしているが──実際、年かさではあるのだが──全てを知っているワケではないし、真実を知らされているとも思っていない。月見台で聞いていただろう。あらゆる物事の秘密、なかでも中核や神髄と呼ぶべきものは、当事者だけが知っている。しかも抱え落ちした状態で──有り体に言ってしまえば、死んで謎だけが遺っている状態だ。とても癪なことにな。この前提は、分かっているか?」

 

「そのことは、うすうす気付いています。お父様が全てを一度に解決できていない理由でもあるのだと思います」

 

「他にも理由がありそうだけどな。何だよ。ガトリング付乳母車って。ダメだろ。ちゃんと固定まで考えないと。衝撃で乳母車吹っ飛んじゃうだろ」

 

「俺は何も知らないことになっているので、その、何も知りません。でも伝えておきますね」

 

「……なぁ。お前のパパ、そういうのたくさん作ってるの?」

 

 レオーは、さりげなく聞いたが同じソファーに座っているクルックスには彼が気がかりそうにソワソワしていることに気付いた。

 

「いえ、たくさんでは……。あ、でも乳母車はたくさんあったような……?」

 

 クルックスが狩人の夢のなかで乳母車を見る機会は多くないが、いつも違う乳母車だということは知っている。

 レオーが楽しげに「そっかぁ~」と言うのでクルックスは慌てて彼を見た。

 

「あ、レオー様、これは内密のお話としていただければ……」

 

「言わねえよ。言えるわけねえだろ。俺の趣味も疑われるわ」

 

「『も』? 俺は口外しないので。絶対にしないので。心配しないでください、大丈夫です」

 

「……お前といると調子が狂うな。狩人と同じ顔なばかりに、つい口が軽くなる。しかも逸脱するんだから、手に負えない……」

 

 レオーは自省するようにグラスを傾けた。

 クルックスは血酒を足した。

 

「カインハーストと医療教会は、なぜ仲が悪いのでしょうか? 決定的なのは処刑隊の派遣でしょうが……そもそもの原因とは?」

 

 ビルゲンワースとカインハースト。

 ヤーナムの歴史を鳥瞰するならば、両者の影響力はヤーナムの民の末代を支配するほどに大きいものだと言える。

 クルックスの問いにレオーは、簡単に答えた。

 

「いろいろ理由はあるが、結局は『土地の奪い合い』だろうな」

 

 ピンと閃かない理由だ。

 クルックスは首を傾げた。

 

「土地、ですか? いえ古今東西、土地の範囲を争って戦争が起きることは知っています。けれどヤーナムにおいてそれが当てはまるとは思っていなかったので、意外な理由だと驚いています……」

 

「そうさ。冷たい水。肥沃な土地。民族同士の対立。異なる宗教の対立。争いの種はさまざまある。ヤーナムの場合は、地下墓地だ。土地の争いは、そのまま神秘の奪い合いになった。決裂が不可逆になった神秘のことは、聞いたことがあるだろうな。穢れた血を生み出すキッカケになったビルゲンワースの『禁断の血』。これが見出された時から争いは始まった」

 

 神の墓地たるヤーナムの地下から見出された『禁断の血』について、後世に残された情報は定かではない。

 現物はビルゲンワースに存在した裏切り者によって盗まれ、カインハーストに捧げられたのだという。それを啜った者に起きた効果は、ヤーナムが悪夢に深く沈んだ今なお絶大だ。

 

「禁断の血は古い上位者由来の何か、だったのでしょうか。寒く厳しいカインハーストにおいて、数百年、いえ、お父様の周回を含めれば千年近いかもしれません。血の女王は、まさしく尽きざる生命の源と言っても差し支えがない」

 

「中身はお優しい普通の淑女なんだけどなぁ。腰が抜けるほど魔性だぜ。──齧りつきたくなる、甘い、甘い、匂いがする……」

 

 レオーが耳元で囁くのでクルックスは、身震いした。

 それだけではない。レオーがまとう香りもクルックスには毒だった。それは華やかさの欠片もない、ただの煙草の香りなのだが、身を近付けた時に感じる苦みのなかにある甘い芳香はクルックスを落ち着かない気分にさせる。

 出来るだけ身を離しつつ、彼は質問を重ねた。

 

「そ、それで? 『禁断の血』を持ち帰ったのは、カインハーストだ。物の見方によっては引き金を引いたのはカインハースト、と言えるでしょう?」

 

「正論を言うな。逆上するぞ。いや、俺はしないが。──しかし、考えてもみろ。カインハーストはヤーナムの領主でもあるのだから『出土した神秘の遺物の持ち主は、我々だ』と言える。自分の敷地内で発見した物を自分の家に持ち帰って、自分で消費した。簡単で正しい理屈だろう? カインハーストの騎士としては、この論が間違っているとは思わない」

 

「……! 当時の正当性はカインハーストにあった、ということですか?」

 

 レオーは、クルックスの質問を見越したように小さく笑った。

 

「『そうだ』と言ってしまえないのが、カインハーストにとっても苦いことでもある。──さて、歴史のお勉強をしよう。まず禁断の血が見つかる以前、カインハーストとウィレーム学長率いるビルゲンワースは、悪い関係ではなかった。むしろ良好だ。互いに不利益が少ない状態だった」

 

「え? どうして?」

 

 現在の状態からは信じられない過去だ。

 クルックスが思わず口を開いた様子を見て、レオーはクルックスの肩に腕をまわした。

 

「カインハーストはビルゲンワースより先にヤーナムの地下に神の墓地があることを知っていた。むろん神秘の存在も」

 

「……なぜ?」

 

「さあ。そこは俺も分からん。だが、後々のビルゲンワースや医療教会と同じだろう。そして古くはトゥメルと同じだ。──上位者に憧れたのだ。人の先を見たい、なりたいと願ったからだ。果てを望んだからだ。それが脈々と受け継がれて数千か何百年。俺達は『何のために』は忘れたが、憧れだけは呪いのように遺っている」

 

 ──そして、現在。最も目的に近付いているのだ。

 レオーが伏せた言葉をクルックスは確かに感じ取った。

 

「ではカインハーストが地下調査をしていたのですか?」

 

「お前の想定していそうな組織としての調査ではないだろうが、多少はあったのだろう。今でも聖杯儀式の術式がカインハーストにあるからな。まぁ、いつの世もおおっぴらにやるほどカインハーストに力があったワケではない。お前のような月の香りの狩人の系譜はどうも忘れがちのようだが、神秘調査には死が付き物だ。一族がやるには、あまりに痛い損失だ。そこで考古学の学校だったビルゲンワースのパトロンをしつつ学徒達に調査を『させた』。ついでに年頃の一族を学徒として何人か入学させたかもしれんな」

 

 ──捨て石だ。

 クルックスは、誰かに冷たい手で背筋を撫でられたかのように感じられた。

 望まず得てしまった神秘の智慧は、しかし通常は人間が持つべきものではない。後に墓暴きとなるビルゲンワースの学徒たちは、元を正せばただのヤーナム市民だ。神秘への対策ができていたとは思えない。

 

「経験が蓄積されるまで、大勢死んだらしいな。あの地下墓地はいるだけで頭がおかしくなるだろう? 出口の見えない入り組んだ構成。しかも姿を変え、最奥には異常なモノが待ち受ける。その時は、言葉も知らなかっただろうが。まさに悪夢だな」

 

「そこに何があるのか、教えることはできたハズだ。カインハーストが神秘の探求者であったのならば──」

 

 レオーは薄く微笑んだ。湖で見た時と同じ笑みだというのに、月明かりのせいだろうか、心ない笑みに見えた。

 

「ククク、面白いことを言うのな。教えるワケがないだろう? 皆が神秘を使えるようになったら人は平等になってしまう。カインハーストは、お貴族様だぜ? 格差と不平等を愛する富の権化が、再分配なんてするわけないだろう。下々から碌な見返りも望めないってのに」

 

「貴方も過去の貴族と同じようなお考えなのですか?」

 

 言葉には、棘がある。

 クルックスがレオーを見つめる目も鋭くなった。

 

「クフフ、おいおい、怒ってるのか? へぇ。優しいのな、お前。セラフィとは違う。ああ、質問の回答はもちろん『違う』だ。現状のヤーナムで『お貴族様』だ何だって言ってられないだろ。まあ、どうでもいい過去の下々の犠牲は忘れるとしてだ。──ビルゲンワースの調査が何十年、何百年かかったか分からないが、神秘について理解し始めたし対策もできるようになってきた。発狂を鎮める鎮静剤とかな。そして地下から持って来た成果は、残念ながらカインハーストの総取りというワケにはいかない。ビルゲンワースとカインハーストで山分け状態だったのだろう」

 

「どうしてですか?」

 

「そこはアレさね。足下を見られたってヤツだろ、たぶん。それに実働はビルゲンワースだ。地下から地上に持って来て、カインハーストの手に渡るまでいくらでもちょろまかせる」

 

「それは、そうかもしれません。なるほど。そして禁断の血が見出されて関係は一変したと……」

 

「いいや、まだ。まだだ。カインハーストの誰かが禁断の血を持ち帰った時点では、致命的な不和ではなかった──と思う」

 

 クルックスは、すこし考えてレオーの言葉の意味を理解した。

 

「『まだ』ビルゲンワースとカインハーストの関係が悪化しただけ。カインハーストにとって致命的ではない。致命的だったのは──」

 

「医療教会の設立だ。ビルゲンワースから分かれた一派。ローレンス率いる医療教会。『聖血を求めよ』とは笑わせる。あぁ、忌々しいことさね」

 

 血の救いの根源であり、輸血液の原料でもあるとされる聖血。

 その源は、狩人にも市民にも明らかにされていない。

 聖血の源が何なのか。クルックスはいつか知りたいと思っている。

 

 とにもかくにも、決定的な決裂の『はじまり』は医療教会だ。

 

 ビルゲンワースから分かれた学徒の一人、ローレンスが興した医療教会が、市民そして病み人に血の救いを『拝領』し始める。そして奇妙な風土病である『獣の病』が蔓延し、獣に抗するため狩人達が現れる。

 時を同じく。

 血の女王の願いを果たすため、血を狩る騎士らが生まれ、カインハーストの凋落は加速する。

 

(彼らは、民を獣から守る役目を負う狩人を狩るのだから、民の心がカインハーストから離れるのは当然だ)

 

 さすがのクルックスもこの意見の発露は控えた。だがレオーはクルックスが口を開くのを待ち構えているような気もした。

 クルックスが沈黙を保ち続けるとレオーは「ハーッ」と息を吐き、白けた顔をした。

 

「変なところで空気読めるのな、お前。セラフィなら『そんなことをしているから民の心がカインハーストから離れるのだ。当然では?』とか言うぜ」

 

「セラフィ。なぜ言ってしまうんだ」

 

 ──俺でも惨い結果しか招かないと分かるのに。

 思わず痛ましい顔をしてしまったクルックスにとって、さらに驚くべき事にセラフィには、さらにその先があった。

 

「スゴいよなぁ。アイツの空気読めないところ大好きだぜ、俺。で、問題はその後。聞いてくれよ。──初対面でそれを言って、まぁ鴉が秒でキレるワケだ。でも鴉が抜刀するより先に『僕らが死に続けることで民に迷惑をかけずに「穢れ」を生産し続けられるのでは?』とか言って自分の首を落としたのを見た時は『ヤバいヤツが来たな』って思ったよ」

 

「どうして、そう、思い切りが良いんだ……」 想像に容易い行動にクルックスは右手で顔を覆った。

 

「さすがの鴉もビックリしたみたいで、千景を中途半端に抜いたまま、どうしよう、どうしようって死体のまわりウロウロしてるんだ。傑作だったな。ここ数十年で一番、笑った。最高だった」

 

「笑うところですか? お貴族様の感性はよく分からん……」

 

 レオーの思い出し笑いがひとしきり済んだところで、彼は疲れた人間がするように息を吐き出すと背中を丸めた。

 

「とどのつまりさ。最初は、ビルゲンワースとカインハースト──あいや、これはちょっと正しい表現ではないな。ビルゲンワースの一派で後に医療教会を設立する連中──と言うべきか。最初は、ソイツらとカインハーストの縄張り争いで、互いの正義の押し付け合いで、終いにはカインハースト絶滅戦争だったってワケさ。そこに神秘や血の医療が絡まり、加害者も被害者も多くなって後々複雑な問題として凝り固まった。……できるだけ話を簡単にするなら、こんな感じになるんだろうな」

 

「──カインハーストと連盟の関係は?」

 

「何もないさ。組織・団体としては、まったく。カインハーストの狩人にとっては良質な『穢れ』を落とす獲物さね。連盟に属しながら、たまにカインハーストに来る奴もいた。それだけさ」

 

「……積極的に勧誘していたワケではないのですか?」

 

「むしろ逆勧誘されたことがある。何だよ虫って気持ち悪いな。血中にあるのは血晶石と穢れだろ。気軽に倒錯するなよ。倒錯は、お貴族様の特権だぞ?」

 

「──この話は、お互い戦争になるのでやめよう。やめましょう。俺は連盟の誇りを懸けてカインハーストの貴方に挑みたくない」

 

「ああそう? まあ俺はどうでもいいんだけど」

 

 クルックスは、すっかり乾いてしまったグラスに瓶の底に残っていた血酒を注いだ。

 最後の血酒はドロリと濁り、グラスとの間に銀の糸を引いた。

 

「……カインハーストも医療教会も同じだ。被害者のまま加害者にもなれる。被害者の面で加害者を続けている。業深いことさね」

 

「カインハーストは血族を増やしたいのだと思っていました。違うのですか?」

 

「さてな。どう思う?」

 

 クルックスは、血酒で満たされていた瓶を置いた。その右手に、なぜかレオーの左手が触れた。

 グラスと間違えたのだろうか。

 クルックスは「失礼」と述べて手を引っ込めようとした。

 

「まぁ待て。そう逃げるなよ」

 

 その一言でレオーはクルックスの右手を捉えた。

 利き手を取られた事実に気付くのに彼は時間がかかった。

 そんなことが気にならない距離にレオーが顔を寄せたからだ。

 

「レ、レオー様……ちょっと……」

 

 クルックスは、腰を浮かせようとして失敗した。膝を割り、レオーが足の動きを阻んだからだ。

 端的に「近いです」と言ってもいいものか迷う。今更になってクルックスの脳裏にはユリエから言われた「失礼をしないようにね」の指示が思い出された。

 結局、抵抗らしいことはできず彼は、レオーの肩にやんわりと触れた。

 

「ところで話は変わるが、俺とお前は似てると思わないか?」

 

「……? いえ、俺は……貴方ほどしっかり生きてはいない。いつも自分のことで精一杯です。……連盟の使命と他の三人に支えられてなんとかやっているようなものですから、何も、俺は」

 

「そう卑下することはないさ。俺は十分やっていると思うがな。市街の狩人にお前ほどの歳で加わっている者はいないだろう? 俺も殺した覚えがないからな。立派じゃあないか」

 

 流血が必須である千景を握るレオーの手指はどこもかしこも硬く、決して肌触りの良くないものだったが、それが妙に自分と他人の境界をクルックスに意識させた。

 慣れない賞賛と握られた手の熱さは初めてのものだ。彼の知るコッペリアの手は、いつも手術用の手袋を付けている。伝わる熱は、これほど熱くない。頭と胸の奥が未体験の熱にざわついた。もうすこし気を抜けば、しまりなく照れ笑いしてしまいそうだった。

 

「……い、いえ、俺は……出来ることをしているだけですから……」

 

「死ぬのは気分が悪いだろう? 俺も知っている。それでも獣狩りを続けるのは何故だ?」

 

「虫のいなくなった綺麗なヤーナムが見たいからです。俺ができるのはそれだけです。それでいいとも思っています……」

 

 クルックス、と彼は何度か名前を呼んだ。

 呼ぶ度に頭の端から痺れていくような心地がした。

 レオーはクルックスの耳に口を寄せた。

 

「はぁ……。最も新しい月の香りの狩人。我らがヤーナムの夢、愛し仔よ。今のヤーナムは、上位者が気まぐれに見る泡沫の夢だ。『穢れ』を集め、女王が啜ることには意味があるが、獣狩りに意味はない。死んだものが元通りになるのだからな。ずっとそうだ。ずっとずっと。俺は一五〇年以上。最古参では二〇〇年以上そうらしいな?」

 

 穏やかに吐き捨てる口ぶりだった。

 ヤーナムが抱える問題だ。

 根本的な構造が崩壊している世界は、それを知る人間に計り知れない負荷をもたらしている。普段はできるだけ考えないようにしていて、話題にも出さないことを気をつけている。そのことを考えると頭の中の熱が引いた。

 悪夢に冒され、守られ、閉ざされた世界の歪な構造の真実を知る人々は、好機と捉えているのだろうか。それとも。

 

「さすがは上位者。まともじゃない。よって何もかも意味がないと言える。市街の獣狩りなど、まったく無駄だ。とっくに気付いているだろう?」

 

 狂気は、蒼い瞳の瞳孔の奥に黒々とあった。

 骨が折れるほどに手を握られながら、クルックスは彼を見つめた。

 

「いいえ。レオー様、それは違う。人には意志がある。意志は例え遺志と成り果てても、誰かが継いでいくものだ。そうでなければお父様が、一度でも夜を明けさせることは出来なかった。だから『何もかも意味がない』なんて言わないでください。……その言葉は、きっと、ヤーナムにとっても貴方にとっても悲しいことです」

 

 唐突に狂気は去った。

 見間違えだったように彼の蒼い瞳は明るく、しかも細められた。

 

「ふーん。あっそう」

 

「な、なにか?」

 

 ──ひょっとして、演技だったのだろうか。

 クルックスは、テルミほど人の顔色を読むのが上手ではない。そしてレオーは、クルックスの見るところ人の情に滑り込み、惑わせるのが得意であるかもしれない。

 セラフィがかつて口にした「年長者という者は、どうしても若者を手玉に取りたがるよなぁ」という言葉は、その後の会話の流れから鴉を指すのだと思っていたが、今思えば先達の両者のことを指していたのだろう。

 罠に嵌められた感覚に陥りながら、しかし、頭と胸の熱のせいで彼を睨むことが出来なかった。彼の掌は、熱い。そのくすぐったさに気を許してしまえばニヨニヨと笑ってしまいそうだった。

 

「お前は諦めないのなぁ。ふーむ。いいねぇ。素晴らしい。だからこそ若者は愛せるのだ」

 

 くすぐるように指を弄ばれてクルックスは「うっ」と唇を噛んだ。

 

「……け、軽々にそんなことを言うべきではないと思います」

 

「なんで? どうして言っちゃいけないんだ? んん?」

 

 聞き返されるとは思わず、怯んだ。

 互いの呼吸がハッキリと感じられる距離で囁かれ、呼吸が浅くなる。頬が赤くなる感覚があった。

 

「だから、その、あ、あ、あ、『愛せる』とか……俺にはよく分からない……でも、なぜか恥ずかしい言葉のような気がします……」

 

「えぇぇ? 別に? こうして愛せるからなぁ。俺様はお前のこと好きだぜ? ええ? お前は違うのか?」

 

 クルックスの膝に置かれていたレオーの右手が、するりと頬を撫でた。

 その途端に、獣や神秘の眷属達を恐れなかった自分の体がビックリして飛び跳ねた。

 

「ダメ……ダメですよ、何というかダメです。絶対ダメな気がします。……レオー様、俺は、どうしてもセラフィと争いたくないので、これ以上はご容赦を……」

 

「セラフィなら今頃カインハーストで鴉と遊んでいる。仲良くしようぜ。お前とは長い付き合いになりそうだからさァ」

 

「そ、それは、ぁ、そうかもしれませんが……っ!?」

 

 クルックスは、混乱しつつある頭でレオーを押しのけようとした。

 もっとも、コッペリアがそうであるようにカインハーストの恵体とは、そんなことで揺らぐものではなかった。

 

「あ──あ、そうだ! ユ、ユリエ様が『誰かの体に触れるのはダメよ』とおっしゃっていました。だから、俺には、禁止されていることですから……」

 

「さてはお前、真面目ちゃんだな? 貞操観念しっかりしていて先達は本当に嬉しいよ」

 

 レオーが呆れた口調で言った。

 

「いえ、ユリエ様の指示はいつも的確です。命令は傾注に値するものです。だ、だから……その……」

 

 レオーの左手は、銃を握る手である。右手ほど裂傷の痕跡は感じられない。だが、首に添えられると大きな存在感を感じた。当たり前のことだったが、大人の手は大きいものだ。クルックスの喉を絞めるには十分だった。今のところ、彼にはその気がないようだった。

 

「頑なにならずにさ。人助けだと思えばいいだろう。古狩人にも休息が必要だと思わないか?」

 

「きゅう、休息ならば、女王様に申請すべきでは?」

 

 自分が的外れなことを言っていると思うが、その弾みで会話の方向性が変わればいいと思った。

 

「うちの女王様そういうことしないからなぁ。余所で済ませてこいって方針なんじゃないかな。たぶん。知らないけどな」

 

 クルックスの頭のどこかに住み着くネフライトが「それ見たことか。カインハーストは碌なところじゃない。自爆営業を強いるなど!」とケラケラと嗤った。ヤーナムで過ごしていると罵詈雑言のバリエーションばかり増えていくが、いま最も必要とされるのは若者を手玉に取りたがって仕方のないレオーから逃れる術である。

 考えても考えても妙案は思い浮かばない。

 だからクルックスはソファーに押し倒され、アームに後頭部を打った。せめてもの抵抗で視線を窓へ逸らした。

 

「レオー様。俺は情というものがよく分からないですが……貴方の好意は、俺に不相応だと思います」

 

「ほう。謙虚だな。愚かしい。だが、愛そう。俺はお前を評価しているのだ。相応の価値を定めるのは、いつだって俺様だ。……ヤーナムに稀に見られる善性は、なんと長き夜の末、死に絶えていなかったらしいからな。祝福に値するだろう」

 

「善性?」

 

 クルックスは、自分自身がヤーナムにとって善い存在であらねばならないと思っている。

 敵対的な存在である獣や上位者・眷属を除き、誰に対しても、何に対しても『善いもの』でありたい。ヤーナムが迎える朝にとって相応しい存在でありたいからだ。しかし、全てのものに都合の良い存在などありえないとも思っている。そのため善性が好意を受け取るために必要な資格だとすれば、クルックスは進んで断るべきだった。

 

「俺は『善い』ものに憧れてはいますが、そのものではない。貴方の好意は、恐らく素晴らしいものだと思います。そして、価値あるものには限りがある。……お貴族様とは、誰にもこんなことをするのですか?」

 

「バカを言え。見境くらいある。気に入ったヤツとだけだ」

 

「セラフィとは?」

 

「おま、ばっか、鴉がいる前で出来ると思うか? 火薬庫に火炎瓶じゃ済まない。遺骨パンチで頭蓋が砕けるぜ」

 

「それでも貴方の好意は、貴方を慕うセラフィに与えてください。俺にはとても不相応なものです」

 

 常識として礼を知るものであれば舌打ちなど下品な行いはしないものだったが、レオーはまさしくそれをしてしまいたかったに違いない。火傷痕が痛々しい右半面を歪め、口の端を不快に上げた。

 

「……マナーのなっていないヤツだな。ここには俺とお前だけだというのに。なんだセラフィが恐いのか?」

 

「そういうワケでは……俺はセラフィを傷つけたくないだけです。セラフィはテルミに『僕の先達だ』と言った。彼女が声を上げるのは、これまでになかったことだ。レオー様が俺を特別扱いしたことが知れたら、彼女は穏やかではない」

 

「お前が黙っていれば、バレないだろうさ。嫉妬させたいなら別だがな」

 

「そうだとしてもです。俺は火薬庫が好きですが、見えている爆薬に火炎瓶を投げ込む趣味はないです。……『きょうだい』に対し、俺は常に誠実でなければならない。なので、そろそろ気分を変えていただけないかと思うのですが……」

 

 レオーの顔が不可解に曇った。そして、クルックスの脇腹をこすった。

 

「くすぐったいんですが」

 

「……はぁ? ひょっとして、お前にそういう知識はないのか? てっきりコッペリアとよろしくしているものだと思っていたが……」

 

「『無い』と表現して差し支えないです。俺達には知識が足りないんです。ユリエ様が、俺達の血はどんな内容になっているか分からないので『むやみに人に与えてはいけない』ともおっしゃっていました」

 

「ん? 血? なに?」

 

「えっ。え? エっ?」

 

「うん? ん? うーん? まぁいいかぁ! こういう時に細かなことを気にする俺ではないからな! しかし、しかし、手つかずかぁ。いいね、いいねぇ。思いがけないこともあるものだ。新雪を踏み荒らすのも楽しみの一つだ。『淀み』を『穢れ』で蹂躙するのも一興。──憎々しい連盟の狗め。脳裏のカレル文字が掠れるほどに調教してやろう」

 

 クルックスの顔を見つめる彼はうっそりと唇を濡らした。

 酔っ払っているような言動ではあるが、顔色には窺えない。困惑に目を白黒させるクルックスは、会話が噛み合わないことに気付いた。

 

「調教とは? 血の聖女のように血の質を変える方法のことですか?」

 

「──じき分かる。なぁに貴族の嗜みというものさね。悪いようにはしない。癖にはなるかもしれんが、それは世の中の楽しみが一つ増えたということでお得感が増すだろう。愛は人生を充実させるぞ俺が言うのだ間違いない」

 

 クルックスの口に指を入れてレオーは、笑った。

 まさか指を噛むわけにはいかず、クルックスは困った。

 

「うぁ、あうぅ、ぅ……」

 

「感心、感心。歯並びがいいのなァ。白くて綺麗な歯だ。あの狩人の顔だからと食指も動かなかったが、いや、むしろ好きになってきたな」

 

「ぐ……でも、お父様が見ていますから」

 

 レオーの目は、驚愕に見開かれた。

 そして、クルックスの手を掴んでいた指は何かに弾かれたように離れ、窓を振り返る。その瞬きの間に彼の右手はナイフを握っていた。

 それから数秒をかけてレオーは『お父様』が部屋を薄暗く照らす月を指すことが分かったのだろう。彼は、大きな声で笑った。

 

「ククク、クク、クッ、ハッハハハハハハ! うんうん、面白い! 面白い! いいぞいいぞ、面白いのなァ、クルックス! 気に入った! 好きだ! 愛せる! あ、ちょっと待て笑う。ハッハッハっ、ハハハ!」

 

 クルックスの顔を見るだけで笑ってしまうらしい彼は、最後には「ヒィー、ヒィー」と苦しげな息を吐いて顔を伏せた。

 その間にクルックスは、着衣を整えてソファーに座り直した。ぐらぐらする頭と胸の熱は、彼から離れると落ち着きを取り戻し始めた。

 互いに深呼吸した後でレオーが、一人分の空白を空けてソファーに腰を下ろした。

 

「いやぁ笑った笑った。こんなに笑ったのは……ハハっ……セラフィの就任以来だ。いや、萎えたけど……」

 

「ナイフをお持ちだったとは気付きませんでした。貴方は本当に優れた騎士のようだ」

 

「当然だ。カインハーストの騎士様だぜ。丸腰などありえないのさ。……しかし、お前……開口一番それなのな? 襲われかけたの分かってる? 襲った俺が心配になってきちゃったよ」

 

「カインハーストでは血を飲むのが嗜みと伺っています。なので、そういう行為なのかと思っていましたが……え? 違うのですか?」

 

「たしかにその習慣はあるが滅多にないぞ。あったとしてもごくごく親しい間柄だけさ」

 

「そうなのですか。では、えっ。何を?」

 

「……俺にまだ罪悪感とかあったんだなぁ。知らなかったぜ。そのうち大人になったら教えてやる。せいぜい体を鍛えておくんだな」

 

「はぁ。よく分かりませんが、体は鍛えてますので大人になる頃には大丈夫だと思います」

 

「わぁ~オジサンすごく楽しみぃ~。──違うわ。危機感が足りないんだ、お前は。いいか? 昼夜問わず酒飲んだ大人と個室で二人っきりになることは絶対に避けろ」

 

「で、でも、歴史のお勉強と言ったのはレオー様なのに……」

 

「かーっ。お人好し過ぎる。優しい通り越して愚か者だぜ。お前は契約書の二枚目を見せない俺を知っているハズだろうが。今日会ったばかりの、そんな大人を信用するんじゃあないよ」

 

「し、しかし、レオー様はお父様の同僚でもありますし、セラフィの尊敬する先達です。いったい何が起きると言うんですか?」

 

「何が起きちまっていたんだろうなー不思議だなー俺も知りたいところだぜ。いいか? 今回はたまたま未遂になっただけだから。今日が月のある夜でよかったな。ツキがあるってヤツだよ、ワハハ」

 

「は、はぁ。俺にはよく分からない言葉ばかりで困る。……でもセラフィのことを大切にしてください。セラフィは、貴方のことをよく慕っていますから」

 

「言われるまでもない」

 

 レオーは懐から一本の小瓶を取り出してテーブルに置いた。

 

「勧誘はやめだ、やめ。お前にはもっと楽しい使い道がありそうだ。それに見ていて可哀想になるほど騎士に向かないっぽいからさ」

 

「……それは?」

 

「血酒だ。俺と同じ匂いがするぜ」

 

 この言葉だけでクルックスは、血酒の中身の血が誰のものなのか察した。

 恐れるようにテーブル上の小瓶を見ていたが、レオーはそれを手に取るとクルックスに放った。

 

「これを飲ませながら血族の勧誘をするんだ。次第に飢えた目になるのが、まあ堪らないねぇ」

 

「……コッペリア様が、貴方を悪いオジサンと言っていたのは、正しいことだったようだ」

 

「そう言いなさんな。イイこともしてやっただろう。これが典型的な勧誘方法だ。俺様が『種明かし』したのだから、もう誰にも引っかかるなよ」

 

「ありがとうございます。勉強させていただきました。ええと。これは、どうすれば?」

 

 手の中で持て余す小瓶は、できれば返品したい物だった。

 しかし、レオーは受け取る気がなさそうにそっぽを向いた。

 

「お前のパパに納税記念品とでも言って渡してやれ」

 

「どうして直接渡さないんですか?」

 

 クルックスの言葉にレオーは、大いに呆れた顔をした。

 

「『どうして』って、そりゃあ、お前さん。なんで取り立て屋が記念品なんて出さなきゃならないんだよ。納税なのに」

 

「そういうものなんですか……?」

 

「お前のそういうところ、いやになるほど狩人にそっくりだ。もうすこし大人になったら酒の味を覚えておけよ。酔えなくとも場に酔うことを覚えておけ。──ヤーナムなんざ、狩人がどう足掻いても悪夢みたいな土地さ」

 

 それでも、と言葉を継いだクルックスは、その後の言葉が続かずうつむいた。

 彼の頭にレオーは手を置いた。千景を握る騎士の手は、やはり温かく歪に硬いものだった。

 

「いまさら、誰が悪いで済むハナシではない。まぁ騎士の俺は『ビルゲンワースと医療教会が悪い』と呪い続けなければいけない立場だが、それはそれとしてな。……病み人だった狩人がやって来るとっくの昔から詰んでいるのだ、この街は。昔々、それこそ成立から呪われていてもちっともおかしくない。真実を探るには遅すぎて、諦めるにはすこし早い。俺が生きていた時分でさえそうだったのだから、鴉が駆け、狩人が見た末期ヤーナムは暗澹たる有様だったろうな。そのせいか狩人はあまり最後の周回の話をしない」

 

 レオーの青い瞳は、長い夜に留まりすぎたのだろう。暗く、沈んだ色に見えた。

 

「お父様が続ける夜で、俺も獣を狩って虫を潰す以外の何かできればいいのですが……。そうだ。レオー様のために俺ができることはありますか?」

 

「おぉ? 俺の下で働きたいとか見所あることを言うな。早死にするぞ」

 

「そうなんですか?」

 

「そうそう。処刑隊を名乗る不埒な野郎の内臓を引きずり出して湖の魚の餌にしたり、車輪に手足括り付けて市街を引き回しにするのが最近の俺の生き甲斐だから危ないだろ」

 

 クルックスは、彼の言葉を理解するために時間を要した。

 カインハーストの騎士、レオー。

 現在のヤーナムの仕組みのなかで彼は特異な存在だ。年長者であり、カインハーストの古きを知り、情を知る人である。だからこそ、話せば分かる人なのではないか。そう思っていたクルックスは、自分の思い込みがまったく明後日の見当違いだったことを知った。

 

 月の香りの狩人たるお父様は知っているのだろうか。

 クルックスの頭に危惧が浮かんだ。

 カインハーストには、憎悪が和らぐどころか時が止まったまま、むしろ醸成された存在がいることを。

 

「カインハーストの騎士たる俺は騙らない。俺は今が大切だが今に続いた過去が、消え、忘れられてよいものだとどうして思えよう。カインハーストには苦しむ娘らがいる。美しい娘らだった。処刑隊に犯され、潰され、殺された。悔しかろうに……憎かろうに……。誰もあの娘らのために足を止めず、誰もあの娘らを覚えていない。命が絶えた今もなお救いは与えられず、悪霊となって夢を彷徨っている。鴉にもセラフィにも理解してほしいとは、願わない。それでも俺は、俺だけは、あの娘らのことを忘れてはいけないのだと思っている。血の紐帯は、褪せることなく俺の中にある。……穢れた、それでも愛しい、狂おしき我がカインハーストに」

 

「…………」

 

 この人は。

 とても、報われないことを願っている。

 クルックスは、ソファーに放られた彼の手を握った。

 彼自身が認めている狂気は、理解が及ぶほど温かいものだった。

 レオーが掬い上げようとしているのは、カインハーストにかつていた娘達の無念だ。

 彼の歩む夜の道程が、果てしないものであることだけクルックスは理解した。

 

「貴方の夜が明けることを……俺は祈っています」

 

「ありがとなー。そういうワケで娯楽はいくらでもあればいい。それは人に留まる縁になるからな」

 

 レオーはクルックスに笑いかけた。

 

「こんな世界だ。せいぜい自分の信じたいものを信じて、居心地が良いところにいればいいのさ。時間なんて持て余すほどあるのだから、人手不足なんて甘えなのだろうな。本音としちゃ俺は、いつだって新しい後輩が欲しいけど……」

 

 どうしてセラフィがいるのに欲しがるのだろうか。

 それを訊ねるとレオーはクルックスには理解ができないことを言った。

 

「セラフィはなぁ。後輩なんだけど、違うんだよ。大事な後輩でさ。俺が欲しいのは、もっと、こう、雑に顎で使える後輩」

 

「それはもう後輩ではなく使用人とか奴隷ではないですか」

 

「そうなんだけどね? そう言わないように頑張っている俺の努力を無かったことにしないでね? ああ、そうそう、狩りの腕は市街の狩人以上に欲しい。そしてできれば可愛い子がいい。またはクルックス」

 

 極めて高度な要求だ。

 クルックスは彼の後輩候補が見つかったら、その顔を拝みに行こうと思った。そしてもうひとつの選択肢はかなり難しい。

 

「俺は連盟の使命で忙しいのでカインハーストの騎士は勤まりませんね」

 

「分からないだろう。人の心は変わるものだ。しっかし、カインハーストってさァ。人間関係の調整が難しいよね? まず機嫌損ねた鴉に転がされるのがオチだろ。セラフィは……言葉にしないだろうが、拗ねそうだ。なぁ、俺は、いつになったら引退できるだろうか……?」

 

「うーん。あと五百年くらいを見積もってみては?」

 

「発狂するわ。今でもたまにするけど」

 

 それからクルックスは、しばらく愚痴に付き合わされた。

 結果、分かったことは『鴉はレオー泣かせの破綻者である』という事実だけだったのでクルックスにとって、とても参考になる出来事になった。

 

 後々の夜のことを考えれば特にも覚えておく事柄であったのだが、クルックスは酒ではなく場に酔っていた。

 レオーの話は『やや酒の入った親戚のおじさん』の話として半分ほど聞き流していた。

 

 そのことを彼は、遠くない未来でしっかりと後悔することになるのだが、全て月の照らす未来の話だ。




レオーの語る歴史
 語ったのは事実の一側面──どころかレオーの私見であるため、本当のところはどうなのか分からない実態があります。しかし、クルックスの考える材料にはなるので、レオーも自分の持っている情報を誰かに渡せてホッとしているかもしれません。形はどうあれ、これも狩人の継承にあたるでしょう。
 レオーが市街を徘徊する理由は『穢れ』を集める仕事にかこつけて、悪夢から這い出てきた古狩人をもれなくふん縛り拷問して情報を引き出すことにあります。鴉は気分が乗れば手伝ってくれますし、セラフィにも拷問の手技を教え込まないといけないのでレオーおじさんは最近充実した狩人生活を送っています。──これから毎日、人狩り行こうぜっ!

趣味や娯楽
 本作においては心のよりどころとしての重要な意味を持ちます。刻み煙草が無くなったことは平時において「仕方ねえな」で済まされる出来事でした。しかし、聖杯のなかでその事態に直面した彼は自分を見失いました。エヴェリンもいないし、きっかけは何でもよかったんでしょう。ただ、数少ない楽しみが永久に終わってしまったことを考えたときに偶然、狂ってしまっただけ。
 一方でクルックスによってうっかりバラされる狩人の性癖。まだ乳母車蒐集家程度ということしか露見していないため大丈夫でしょう。同時にレオーの少年愛の趣味も露見したことです。プラマイゼロ。クルックスがセラフィに背中を刺される日も近い。──まっ、相手が違っ

他人の温度に弱いクルックス
 生まれてから誰かと皮膚接触する機会が少ないクルックスは他人に温度にとても敏感で、テルミとの同衾後は特に温かいものに対して弱くなりつつあります。
 赤子として抱き上げられることもなかった彼にとって、他人に触れることは真新しい経験であり、忘れがたく強烈な体験なのです。


 月の香りの狩人の仔であるため、連盟員であっても明確で積極的な敵とはなり得ないクルックスに対して、レオーの好感度は元より高めでしたが、今夜でかなり高くなりました。反比例してセラフィからの好感度は低くなります。適切な対応をしてセラフィの誤解を解きましょう。
 ──え? セラフィの好感度を爆稼ぎしているのはエブリデイ暴力を振りかざす鴉? もうワケわかんねぇな。

余談
セラフィ「ねぇ、鴉羽の騎士様。レオー様がクルックスとイチャイチャしている気配がしますが、レオー様は僕のことが大切なハズなので鴉羽の騎士様も気のせいだと思いますよね? ねぇ、鴉羽の騎士様? どう思いますか?」
鴉「黙秘する」
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