甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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金属製の容器。材料により呼び名が異なる。
軽量そして長期の保存に優れる発明品は19世紀に現れたが、ヤーナムにおいては主流になる機会を逸した。
当時、硝子瓶による瓶詰めは重く、壊れやすかった。



夏の海と記憶(上)

『諸賢、お父様の命令で我々は旅行に行くことになった』

『〇七〇〇、狩人の夢に集合せよ』

 

 ネフライトより緊急の手記が届いた時分とは、日常を連盟活動に費やし充実した一日を過ごしたクルックスが(今日もよく働いた。よし寝よう)と一日を振り返りつつ寝床に向かい、ついでに寝間着に着替えた明け方の頃であった。

 

 文章を二度読むまでもなく、言いたいことや聞きたいことが大量に発生してしまった。

 その日のクルックスは遠足を前にした幼児のごとく、ジッとしていられなくなり、そのまま定刻を迎えたのだった。 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 早朝にキングスクロス駅から出発し、電車と地下鉄、それからバスを乗り継ぎ約五時間。

 彼らがニューカッスル中央駅に降り立ったとき、特にもクルックスは英ポンドを握りしめ、初めて駅ナカの売店に訪れていた。隣に立つテルミはレジバスケットを持ちクルックスに追いついた。肝心の彼は業務用冷蔵庫の前で右往左往していた。

 

「クルックス、あまり緊張しないで。普通にしてくださいね。……盗みだと疑われると面倒ですから……」

 

「分かっている。だがもうダメかもしれない。見ろ、缶がたくさん並んでる。これぞブルジョア。大量消費社会の末路なのだ。どれを買えばいいのか分からない。もうダメだ。おしまいだ」

 

「貴公の終末、早すぎです。ふむふむ。成分的にはジュースみたいね。かぼちゃジュースばかり飲んでいたから新鮮ですね。──オレンジと葡萄、どちらがお好き?」

 

「え、そうだな。ふむ……今日は葡萄の気分だ」

 

 テルミはガラスの扉を開き、ジュース缶を手に取るとバスケットに入れた。

 

「いいと思います。わたしも好きです。美味しいですよね、葡萄。ではオレンジはセラフィの分として……。あとはネフが飲むものを選んで下さいな」

 

「水がいいだろう。彼は俺達と違って味覚を楽しまない」

 

「その割にバタービールには目がないようですけどね。あ。この毒々しい缶にしましょう。面白そう。カロリーゼロだし」

 

「ん? カロリーゼロの食べ物が存在するのか? な、何のために……?」

 

 食事と言えば栄養補給と団欒の時間という理由しかしらないクルックスにとって『カロリーゼロ』の食べ物の存在は謎だった。食べる意味があるのだろうか。テルミも首を傾げている。

 

「さぁ? 喉ごしのためかしら? これ、ネフの分ね」

 

「なぜ金を支払ってカロリーゼロのジュースを飲まねばならないんだ?」

 

「それを理解するために買ってみるの。はぁい、レジに行きますよ」

 

 レジのおじさんは、二人をジロリと見ただけの愛想がない人だった。しかし、目が合っただけヤーナム基準では良い人物のように思えた。

 

 さて今日のクルックスは、狩人服のなかでも比較的、普通でまともである異邦の狩人服を来ていた。テルミはダイアゴン横丁で調達したらしきワンピースを着ている。すれ違う親子連れの女の子が着ているような普通の服だ。しかし、襟首に大きな白いリボンをあしらったワンピースは父たる狩人の顔を曇らせた。いつのかの夜の不幸な出来事を思い出したのかもしれない。

 そんな二人は──決して胸を張ることではなかったが──見かけ上は、不審だと思われる要素は無いハズだった。それに品物の金さえ受け取ってもらえれば何も問題はないだろう。クルックスはテルミが商品の入ったバスケットをカウンターに置くと彼に何かを言われるより先にポンド札をカウンターに置いた。

 店員は、ジュース缶を数えるとレジスターを操作して金額を表示した。

 ハッとしてクルックスは隣のテルミを見た。

 

「なぁ、ここで俺はチップを出すべきなのか?」

 

「無くても大丈夫ですが、あってもお釣りで足りる金額なので大丈夫でしょう」

 

 チップは不必要だった。

 クルックスは、ひとつ賢くなった。

 受け取った缶ジュースを鞄に詰め込んでいるとテルミがお釣りから数枚の硬貨をカウンターに置いた。

 

「わたし達、社会勉強中なの。お付き合い、ありがとうございますね」

 

 店員は、すこし驚いた顔をして「よき日を」と言った。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「さて、なぜ私がここで強心剤ならぬ魔剤を飲んでいるのか。その説明からせねばなるまいね」

 

 電車の移動時間のほとんどを睡眠に費やしたネフライトは、カロリーゼロの炭酸ジュースを一口飲んだ。

 狩人の仔らは、駅からほど近い競技場隣の公園にいた。

 テルミはブランコに座って楽しげにしている。

 すこし離れたブランコの安全柵に腰掛けているクルックスとセラフィは、顔を見合わせてから「まあ、そうだな」とぼやいた。

 

「……しかしこれ、辛いぞ」

 

 カロリーゼロの魔剤をネフライトは律儀に飲んでいた。

 

「あー、これも舌がピリピリします。炭酸ジュースだったのですね。ねぇ、クルックス? わたしの舌、溶けてませんか?」

 

「どれ見せてみろ。……あ、いや、溶けてないぞ」

 

 クルックスはテルミの顎に触れたとき彼女の華奢な骨格にドキリとしてしまった。テルミは「でもヒリヒリしますね……」と呟いて舌を出した。チラリと見える赤い舌の印象が、妙に記憶に残る。

 

「へえ。メロンソーダ。メロンソーダか。どうやって作られているのだろうね」

 

 テルミのジュースを一口飲んだセラフィが身震いし、首を傾げた。

 

「スパークリングワインの亜種だろう。うぅ、度し難い。こんな娯楽に費やすならば、探究を──などと愚痴を言っても仕方がない。おぉ、カフェインが効いてきた気がする。──さて諸賢。突然の旅行だが、もちろん私の意志ではない」

 

 睡魔に打ち勝ち、気を取り直したネフライトが断言した。

 

「君がヤハグルを離れたくないことを俺達は知っている。お父様がこんな意向を示すとは意外だが……」

 

 ネフライトは語った。

 

「私は学期末の独断専行について罰を受けた。お父様は『四人で海にでも行って遊んでおいで』とおっしゃった。だから私は海へ行く計画を作成し、実行している。以上だ」

 

 クルックスは、簡潔に述べられた事情を頭の中で整理し、首を傾げた。

 ──そもそも俺が受ける罰ではないか。

 その思いは後ほど狩人に伝えるとして棚上げするとして。彼は、頭上に広がる夏の青空を見、首を傾げた。罰にしては罰らしくない仕打ちである。『遊んでおいで』とは、忠告にも聞こえない。隣を見ればセラフィも首を傾げていた。端整な顔立ちで何を考えているか分かりにくい。何も言わないところを見ると自分の真似をしている可能性が高いような気がした。

 テルミが、メロンソーダの缶ジュースを一気に飲み干した。

 

「わー。すごーい。お父様ったら咎める気ゼロなのね。でも、きっと学徒のお兄様やお姉様には『キツく叱った』なんて言っているに違いないわ」

 

「なぜそんなことを?」

 

「上位者の血がヤーナムの外で使用されたことに少々気に病んでいるのでしょう」

 

「その論で語るのならば、僕らが外でウロウロしているのは発狂モノだろうねぇ」

 

 セラフィが冗談めかして言う。

 テルミは応じて笑ったが、ネフライトは不快そうに鼻を鳴らすだけだった。

 

「お父様は、ある程度の露呈は許容するつもりのようなのだから学徒達も黙っていればよいものを。そもそもだ。ヤーナムのことをバラしたくないのなら、私達のことをヤーナムから出さなければよかっただろうに」

 

「そこはお父様と学徒達の微妙な関係の妙というものね。お父様ってときどき学徒達に相談せずに物事を決めてしまうことがあるようですから。結局、間違っていることは少ないから学徒達も問題にしていないことが多いのでしょう。けれど、お父様が旅行を薦めたのは仕置きのためではないと思いますね。お父様と学徒達には、じっくり相談したいことがあるから」

 

「何を?」

 

「ダンブルドア校長からのお手紙。返信を考えなきゃね」

 

 クルックスは、頭からすっぽり抜けてしまっていたことを思い出した。

 秘密の部屋にてバジリスク討伐の後、校長室で日記帳に使用した弾丸についてクルックスとテルミは質問を受けた。答えず「月の香りの狩人へ訊ねて欲しい」と告げたテルミに対し、ダンブルドアは質問状を用意した。

 

「まさか『上位者』の名前を出すワケにはいかないだろう。何と返事をするのだろうか」

 

「今頃、適当な言い訳を考えているでしょう。……心配しなくても大丈夫よ、クルックス」

 

「それは、そうなのだが……」

 

「大丈夫、大丈夫。『分からない』って答えたって上出来よ。『仕組みは分からないけど便利だから使っている』なんてモノありふれているわ。魔法を棚に上げてわたし達を責めることは『まとも』なら、しないでしょう」

 

 テルミは、飲み終えた缶ジュースを後方に放った。カコン、と空々しい音を立てて鉄のカゴの中に落ちる。

 軌道を見守っていたセラフィが言った。

 

「おや。すこし、お行儀がよくないな」

 

「今の十代はこんなものと聞いたわ。年頃のことをしてみたくて。家に着く前に缶ジュースを開けて、歩きながら飲んで、その辺に捨てる、とか? ゴミを散らかすのは性分ではありませんのでちゃんとゴミ箱に捨てましたからよいでしょう」

 

「僕らは三歳か四歳なのだから、十代の遊びは早すぎる」

 

「あら。火遊びはお好きみたいですけどね?」

 

「何の話か。心当たりがないのだが?」

 

「血族のおじさま、貴女にゾッコンのようですから。ウフフ、面白くなってしまって」

 

「ああ、レオー様? 僕も同じように大切に想っているのだから釣り合いはとれている。もちろん、同じ枝葉の君たちのことも大切だよ。」

 

 クルックスは突然尻の座りが悪い気分になり安全柵に座り直し、セラフィを横目で見た。彼女はいつものように超然としている。レオーは、あの夜クルックスとの間にあった出来事を話さなかったのだろう。当然なのだが、あらためて確認できてホッとした。

 ネフライトは、顔を顰めた次の瞬間に背中を向けて地面に転がる石を蹴飛す。ちょっかいをかけたハズのテルミが一番つまらなさそうな顔をしていた。

 

「もう、貴女って恥ずかしい顔もせずそういうこと言うのですから、トコトンからかい甲斐がありませんね……」

 

「そうかな? 僕にとっては普通のことなのだけど」

 

 ネフライトが凄まじい形相で振り返った。怒りと憎しみを煮詰めた顔だった。

 

「この会話、中止! 中止! やめろ。寒気がする。怖気! 情報伝達は終わったのだから、さっさと海に行くぞ! シャキシャキ歩け!」

 

「はぁい。ねぇ、ご飯はどこで食べましょう? クルックス、食べたいものはありまして?」

 

「道中、見かけた店で買えばいいだろう」

 

「ああ、いいですね。大きな通りのようですしお店には困らないでしょう」

 

 三人は公園を出て歩き出した。

 風景を愉しみたいので徒歩で海岸線まで歩く予定である。

 約一二マイル。一九・三一キロメートル。

 三時間程度の道のりだとネフライトは告げた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 ニューカッスル・アポン・タインとは、北部イングランド最大の都市である。近代では、多くのイギリスの都市がそうであるように工業で栄えた。

 ネフライトが旅行先に選んだ理由は、実に大したことがない。

 たまたま開いた旅行雑誌にニューカッスル・アポン・タインの記事があり、それを覚えていたのだと言う。 

 

 クルックスは、テルミと共に歩いていた。

 

「……こうして君と二人で歩いているとロンドンに向かったことを思い出す」

 

「そうね。だいたい三年前になるかしら。野宿には懲りましたね」

 

「まったくだ。今ならもう少し快適な生活を約束しよう。それにしても……」

 

 町中の道を歩きながら、クルックスは隣を歩くテルミを見た。

 三年前のことを思い出してしまったのは、テルミと一緒に歩いているからだけではない。

 

「君は背丈が変わらないな。セラフィはもともと高めだったが、君も一年生の時はネフや俺と同じくらいだったのに」

 

 目線の高さが変わってしまった。

 テルミはクルックスを見るためにわざわざ頭を上げなければならなかった。

 

「成長が遅いのは、わたしも気がかりにしていましたけれど……そんなに気になります?」

 

「大きくても小さくても君は君だ。俺は気にしない。しかし、今後は目を引くことになるだろう。『発育が遅い』の言い訳も来年は、さらに苦しくなりそうだ」

 

 クルックスは、ホグワーツにてグリフィンドール寮で交わされていた会話を思い出す。

 曰く一年でもうローブが何センチも短くなってしまったから買い換えが必要だ、とか。

 その話をするとテルミは「むぅ」と困ったように唇を尖らせた。

 

「『まとも』な生育ではないことを怪しまれるだろう。お父様に相談してはどうだ?」

 

「ううん、難しいわ。お話をしたことは、ええ、あるのですけど。お父様は、ほら、わたしに対しては曖昧な態度ですから……すぐに逃げてしまって。そもそも、お父様に相談して、どうにかなる話ではないかもしれませんから別に気にしていないのですけどね……」

 

「そうか。お父様の望む事ではないかもしれないが、受ける影響は大きい。お父様の眠気が俺達にも及んだように。繋がりは深く、強いものだ。俺から相談してみようか?」

 

「こっそり聞いてくれますか。こっそりでいいの。わたしは、あまり気にしていないことだから」

 

「そうなのか?」

 

「ええ。体が小さいと大人は油断しますからね。悪いことばかりではないの」

 

 テルミが楽しげに歩く様子を見て「たしかに」とクルックスは唸る。

 小柄で華奢な少女が、まさか高位医療者も顔負けの神秘の暴力で隕石を降らせてくるとは思うまい。

 月の香りの狩人に連なる自分達の肉体は、見かけとおりの中身ではない。だが体格によるリーチの不利は存在する。

 

「路地には気をつけよ。君がヤーナムの市街を歩く機会は少ないだろうが万一のことを考えて、俺としては筋力に振っておくことをお勧めする」

 

「嫌よ。──なんて三年前は思っていたのだけど、使う仕掛け武器がネフと被るのはもっと気まずいので悪い選択ではないかもしれませんね」

 

「先日のバジリスク退治のおり、君の月光は素晴らしい働きをした。ぜひ筋力に振ろう。やられる前にやるために」

 

 テルミは「考えておきます」と気のない返事をした。

 

「ぐぅ。手応えがない。もっと火薬庫の素晴らしさを伝えなければ」

 

「貴方には、医療教会の素晴らしさを説いた方がよいかしら? いつか時間をとってお話しましょうか? カインハーストの騎士に何かを吹き込まれたのではないかとわたし、心配で心配で。カインハーストに行くならば医療教会に来たって同じことでしょう。ねぇ、クルックス?」

 

 テルミがクルックスの腕をするりと絡めた。

 温かく柔らかな手だった。ふりほどく理由が無いため彼は好きなようにさせた。

 

「君が心配することは何もない。レオー様とお話したが分かってくれた。俺は騎士には向かない性格だから勧誘は諦めたそうだ」

 

「とは言いますけれどね? 『押して駄目なら引いてみろ』という言葉もあることです。本当に諦めたのかしら?」

 

「え。それは……ど、どう、だろう……?」

 

 テルミの「それみたことか」という顔を見たくないクルックスは取って付けたように「俺は大丈夫だと思うがな……」と呟いた。

 やがて巨大な橋を渡っているとセラフィと並んで歩いていたネフライトが振り返った。

 

「これがタイン川だ。もうすこし歩けば海に至る。もう潮の匂いが分かるだろうか。この先、北海だ」

 

「北海」

 

 クルックスはネフライトの言葉を繰り返した。

 

「むむ、クルックス。まさか北海を知らないなどということはないだろうね?」

 

「ち、地図では見たことがある。北海。知っている。……たぶん、だが……」

 

「…………」

 

 ネフライトは、じっとりとした目でクルックスを見た。そして隣に立つセラフィを見た。

 

「北の海だ。知っているよ。北の海だ」

 

「換言すればよい話ではないのだよ」

 

「──わたしにも聞きなさいよ」

 

「君の無知を私が知って何の益があるというのだね? まぁいい。……さて。北海は地形的には、やや東だ。メルカトル図法で示された場合、イギリスが縦長にあるだろう。その大陸の右だ。右。古くはゲルマン海とも呼ばれた。今の要は、エネルギー源ともなっている北海油田と総称される油田やガス群だ。北は、ノルウェー海。東は、スカゲラク海峡とカテガット海峡、その他諸々。南は、ドーバー海峡・イギリス海峡、そして遠くは大西洋に繋がる好漁場でもある。水深は約九十メートル。潮流は左回りだ」

 

「ほう。さすがネフ。博識だな」

 

「褒めても何もないぞ。……しかし、図鑑や地図を見るよりも壮大だ。巨大構造物の趣はヤーナムにもあるが、これはこれで」

 

「利便性の向上は人の夢だ。より近く、より大きく、より簡単に。まさに我々が立脚するこれは立派な橋だ」

 

「ヤーナムには見られない進歩の仕方だ」

 

「夢を支えるのは人の願いだ。願うだけならば罪はないのだとお父様も言っていた」

 

「罪どころか私にはすでに形になっているように思うがね。……ハァ。あれもこれもヤーナムが地図上のどこに存在するか観測するためにいろいろと知識を仕入れたのだが、結局、分からずじまいだ。分からないほうがよいのかもしれないが……ふむ……」

 

 思索に沈んでしまったネフライトは、再び歩き出した。

 同じように歩き出そうとしたクルックスは、潮の香りを感じた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「わー、すごーい。海って感じですね」

 

 ようやく辿り着いた海は、青い海、白い砂浜──ではない。

 やや暗い海の色と灰色の砂浜が、北の海の色であるらしい。

 クルックスは、辺りを見回してその傾向を学習した。

 

 海を望む浜辺には、レストランがあった。

 駐車場で車を停めた何人かの客がパラパラと見える。

 海岸線を目で辿っていたクルックスは「ん」と気になる物を見つけた。

 

「ネフ、あれは? 変な色の崖がある」

 

 歩きにくい砂浜に立ち、感触を確かめる。

 そのうち視界に入った背後の崖を指差した。

 ネフライトは、一言で「地層」と言った。

 

「辞書的には層状の岩体というべきなのだが、この説明で分かるか?」

 

「層とは、薄いものを言うだろう。岩は薄くないと思う」

 

「岩の集合体を広く層と捉えて考えるのだが……分かる?」

 

「理解が足りない。どういうことだろうか?」

 

 ネフライトは「つまり。ふむ」と言い、ポケットから手持ちの手記を取り出したが、すぐに思い直して砂浜にしゃがみ込み、砂山を作った。

 

「この砂を山としたとき、このように半分に割る。すると断面が見えるとするだろう。この断面が、崖に見えるアレだ」

 

「では、アレは山が割れたのか?」

 

「そうとは限らない。風や海、いろいろと考えられる理由はあるのだが、恐らくアレは地殻変動と言ってだな……。海の底にあった地面が、まぁいろいろあって、地表にせり上がってくる現象がある。その影響で地上に露出して今のように見えるようになったのだろう」

 

「元々は海の中にあったのか?」

 

「そう。いいえ、冗句ではないが、んんっ。地層は、水の流れで運ばれてきた土砂や生き物の死骸が積み重なっていく。だから古いものが下に、新しいものが上だ。あの崖は、層ごとに色が違うだろう? あれは時代ごとの堆積物の違いなのだ。そして、生き物の死骸のうち骨格があるものは化石になる。ただ全てではない。化石になるモノもある、と言うべきだろうか」

 

「なるほど。とてつもない圧をかけられているだろうに、それでも生き物の骨は遺るのだな」

 

「いいや、骨そのものではない。堆積物に包まれている間にミネラルなどの鉱物に置換されてしまうこともある。また、遺るのは生き物ばかりではない。石炭は分かるだろうか?」

 

「ホグワーツに行く汽車を動かしているのは、石炭だと聞いた。黒い岩のような物だ」

 

「そのとおり。あれも大昔は地上に生えていた樹木だった。それが倒れた後、腐敗するより先に空気に触れない湿原とかの環境──例えば、完全に地中に埋まるとかした場合──変質して石炭になる」

 

「どれほどの期間で?」

 

「ざっと二千年から三億年ほどかかる」

 

「果てしない時間だな。想像も出来ない。……? 待て? すると……すると……聖杯はどうなる?」

 

 クルックスの質問に「へえ」とか「ふぅん」と軽い相槌を打っていたセラフィとテルミが視線を寄越した。

 

「聖杯?」

 

「聖杯はヤーナムの地下に広がっている。そこに骨があるだろう。人骨ではない。大きな生物の骨だ。しかし、生きている姿は見たことがない。見かけるのは全て骨だ。あれはかつてヤーナムも海の底であったことを意味する化石なのだろうか?」

 

 クルックスが言う「骨」とは。

 遺跡の中にうち捨てられた、長い頭と胴を持つ生き物の骨のことだ。暗がりでは、その肋骨部分に足を取られて転び、血やヘドロが溜まった浅池に頭から突っ込んだ経験がある。そんな苦い思い出を各々が持っていた。

 

「そういえば、あれは何の骨なのだろうね?」

 

「鯨だ」

 

 ネフライトは、浜辺に転がっていた手頃な流木を持って砂地に絵を描いた。

 

「骨とは、こういう物のことだな?」

 

「ああ、それだ」

 

 クルックスが指示するまでもなくネフライトは、思い描いていた骨格を描く。そして、もう一度「鯨だ」と言った。

 

「鯨にしては頭の質量が足りないのでは?」

 

 テルミが「鯨って頭が大きいと思っていたのだけど」と言い、宙に四角を描いた。

 

「鯨の頭は、ほとんどが油や脂肪だ。骨があるのは、歯の周辺と考えれば分かりやすいだろう。鯨の骨格構造は主に二種類だ。ハクジラ亜目とヒゲクジラ亜目だ。頭骨がある場合、見分けるのはそう難しいことではない。聖杯にいるのはハクジラ亜目だ。そして、ヒゲクジラ亜目の骨は弧状の骨と剣先のような骨が線対称に並ぶ。こういう形だ」

 

「鯨の骨がなぜ、聖杯にあるのだろう?」

 

「さあ、それは私にも分からない。古くはトゥメル。遠くはローラン。かの人々に鯨の骨を海から運んで遺跡に放置するなんて奇習がなければ『もともと、そこにあったもの』として考えるのが妥当だが……。テルミは、どう思うね?」

 

「不定形の悪夢に海も空もないと思います。だから鯨がいるのは『神の墓地に相応しいから』なのでしょう」

 

「……全然分からない。俺にも分かるように言ってくれ」

 

 神秘談義に足を突っ込むといつもクルックスは分からなくなってしまう。

 テルミが悩みつつ、言葉を重ねた。

 

「大量の水は神秘を守る断絶ですから、神秘の前触れでもあるわ。けれど聖杯のなかは、湿ってはいますが大量の水は存在しない。大量の水の先にある神秘こそが聖杯の中であり、鯨はかつてそこが水に浸かっていたことの証拠と捉えることができる、とか。……なぜかしら。我ながらめちゃくちゃなことを言っている気がするわ」

 

「聖歌隊がまともではないので今さら気にすることではないだろう。そのため、大量の水が海という考えは素晴らしい。そういえばそうだな。大量の『真水』とは言い伝えられていない。ヤーナムは海に面してはいないが──」

 

 ネフライトの話は続いていたが、クルックスの頭には、閃きが訪れていた。

 ヤーナム。海。大量の水。神秘。

 脈打つように記憶の彼方から単語が飛来する。

 ヤーナムの海を彼は知っていた。

 

 ヤーナムを揺籃とする上位者の夢で見たことがある。

 黄昏に光る海。降り止まない雨。そして、波の向こうの月を。

 

「あっ──」

 

 今さら思い至る。父たる狩人が、ただの時間つぶしで『海へ行くといい』など助言するハズがなかったのだ。

 地層から目を離し、クルックスは白波が砂浜を洗う北海を眺めた。

 つられて海を見たセラフィが、目を細めた。

 

「ネフ。もっと単純なことかもしれないよ」

 

「例えば?」

 

「流れ着いて来たのではないかな、鯨。体には脂肪が多いのだろう? ならば浮くハズだ。浜辺に流れ着くなんてこともあるかもしれない」

 

「海と聖杯が接続されていると? それは、やや突飛な考察に思える」

 

「そう結論を急くものではない。ただの連想だよ。それに接続されていると考えると聖杯の中身まで流れ着いてきたことになりそうではないか。ヤーナム女王が海を漂って来たならば、さぞかしゾッとする光景だろうね」

 

 恐怖を認識できないセラフィが「ゾッと」など言うのは、彼女なりに考えた冗談の極みだ。それを分かっているネフライトは、議論に水を差されたように感じたのだろう。やはり不快そうにフンと鼻を鳴らした。

 

「あとでレポートでも書いて提出してもらおうかな。テルミ、昼時間を過ぎてしまったが、食事にしよう」

 

「魔剤が欲しいの? カフェイン中毒者かしら。血の中毒より健康的ですね?」

 

「そうそう、これがないと昼間は眠くて──違う! サンドウィッチ!」

 

「何を食べます? オススメはジャムとイチゴのホイップサンドです」

 

「成分量とカロリー的にパンなのかケーキなのか曖昧すぎてイライラする」

 

 そんなことを言いながら、結局ホイップサンドをむしゃむしゃ食べたのでネフライトは甘いものが好きなのだろう。クルックスは、ひとつ学びを得た。




仔らの夏休み企画、第1弾!
 海に辿り着くことが目的なのでネフライトは移動時間に時間がかかるルートをわざわざ選びました。
 狩人は、仔らのことをあまり罰したくありません。言わなくても分かるだろう、という思いによるものですが、特にバジリスクに青ざめた弾丸を使用したことは結果として不可逆的な被害が出なかったので特に指導する必要もないだろう、という判断をしているからです。だいたい青ざめた弾丸が何を原料とするものなのかヤーナムの外の人物に分かるハズないので大丈夫大丈夫の精神。また、セラフィが冷やかしたように「そもそもね」という話にも繋がってしまいそうだからです。これが、ほならね理論……。
 それにしても、こども達に聞かれるとマズい話なのかな。

余談
 作中に登場した魔剤はモンエナを想定しているものですが、モンエナにはゼロシュガーがあり、それはカロリーゼロになっているそうです。
 しかし、モンエナは2002年から発売しているアメリカの飲料です。よってハリポタの時代(本話はハリー3年生なので1993年)考証的には存在しない物です。ご注意ください。(念のため)
 では、なんで登場させたって? 缶コーヒーよりカフェイン中毒者っぽいネフライトが書けるかと思ったからです。

余談の余談
 モンエナは、カフェインが多く含まれる飲料です。カフェインを摂取すると疲労感を軽減させ、長時間の運動が続けられることや、集中力を高める効果もあると言われています。※個人差はあります。
  筆者はコーヒーでさえ頭痛がするので常飲はしない。
  だが、修羅場の猛者には心身の栄養として重用される。
  所詮は気休めだ。だが、まあよいではないか。

現地をご存じの人へ
 Googleマップを参考にしている筆者を鼻で笑って下さい。
 聖杯の話をしたいがために欲を出してしまいました。
 赦してくれ……赦して……くれ……。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
ご感想お待ちしています(交信ポーズ)
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